2008年11月26日午後9時15分頃、ムンバイ南部の海岸へ10人の実行犯が到着しました。
約40分後、中央駅、レオポルド・カフェ、タージマハル・パレス・ホテル、オベロイ・トライデント、ナリマン・ハウスという性質の異なる場所で、銃撃、爆発、侵入、人質事件がほぼ同時に始まります。
中央駅へ向かった2人の移動は、翌27日午前0時30分頃に終わりました。しかし三つの籠城現場では事件が続きます。オベロイ・トライデントの制圧は28日午前7時頃、ナリマン・ハウスは同日夜、最後まで残ったタージホテルは29日午前9時頃に終結しました。
「約60時間」という長さだけを見ると、一つの建物で戦闘が続いたように見えます。実際には、短時間で終わった現場、移動し続けた実行犯、人質を伴う籠城、大型ホテルの捜索が並行していました。本記事では、11月26日夜から29日朝までを、日付と現場を分けて追います。
この記事で分かること
- 最初の上陸から各地点の襲撃が始まるまで
- 中央駅を出た2人がカマ病院周辺を経て拘束されるまで
- タージ、オベロイ、ナリマン・ハウスで何が同時進行したのか
- 警察、海軍特殊部隊、国家治安警備隊がどの段階で対応したのか
- 各現場がいつ制圧されたのか
- 資料で確認できる時刻と概算時刻の違い
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ムンバイ同時多発テロ事件特集(全9回)
第3回では、2008年11月26日午後9時15分頃から29日午前9時頃までを時系列で再構成します。複数現場の出来事を一本の物語にまとめず、「市街地を移動した2人」と「三つの籠城現場」を並行して確認します。
各地点の正確な位置関係は第4回、ホテルとナリマン・ハウス内部の籠城・救出は第5回、対応が長期化した構造は第6回で詳しく扱います。
- ムンバイ同時多発テロ事件とは?映画『ホテル・ムンバイ』の元になった26/11の全貌
- ムンバイ同時多発テロはどう計画されたのか|標的の偵察と海上侵入ルート
- ムンバイ同時多発テロ事件の時系列|2008年11月26日から29日まで 【現在の記事】
- ムンバイ同時多発テロはどこで起きたのか|襲撃地点と移動経路を地図で確認
- タージホテルでは何が起きたのか|オベロイ・ナリマン・ハウスを含む籠城と救出
- なぜムンバイ同時多発テロの制圧に約60時間かかったのか|警察・消防・特殊部隊の対応
- ムンバイ同時多発テロの実行犯と指示役は誰だったのか|10人の襲撃班と計画組織
- 映画『ホテル・ムンバイ』はどこまで実話なのか|登場人物・救出・事件現場を検証
- ムンバイ同時多発テロ事件のその後|カサブ裁判・治安対策・現在も続く司法手続き
最初に押さえる全体時系列
約60時間の主要な転換点
- 11月26日 21時15分頃
10人がバドワール・パーク付近へ到着し、5組に分散 - 21時45分~22時頃
中央駅、カフェ、ホテル、ナリマン・ハウスで襲撃が相次いで始まる - 11月27日 0時30分頃
中央駅から移動した2人を警察が阻止。カサブを拘束 - 27日
タージ、オベロイ、ナリマン・ハウスで救出・制圧作戦が続く - 11月28日 7時頃
オベロイ・トライデントを制圧 - 28日夜
ナリマン・ハウスを制圧 - 11月29日 9時頃
タージホテルの最後の実行犯が制圧され、事件終結
時刻はインド標準時です。「頃」は裁判資料の約時刻、証言による時刻、複数資料で数分程度の幅があるものを示します。三つの籠城現場では、救出・捜索・戦闘が同時並行していました。
| 時刻表記 | 本記事での扱い |
|---|---|
| 「21時55分」など | 判決中のCCTV、通信、記録などに具体的な時刻がある |
| 「21時15分頃」など | 裁判所が事件全体の開始時刻として約時刻を示している |
| 「夜」「朝」 | 公式資料が細かな時刻を示さず、日付と時間帯まで確認できる |
| 順序のみ | 前後関係は確認できるが、分単位で固定できない |
事件は南ムンバイの複数地点で進んだ
主要現場は南ムンバイの比較的狭い範囲にあります。しかし、建物の種類と現場の状況は同じではありません。中央駅とレオポルド・カフェでは短時間の無差別銃撃が起き、タージ、オベロイ、ナリマン・ハウスでは実行犯が建物内へとどまりました。
現在の南ムンバイです。2008年当時の道路、建物名称、入口、警備設備、規制線、実行犯や部隊の正確な移動経路を再現するものではありません。
地図上では各地点が近く見えても、同じ部隊が短時間に巡回して解決できる状況ではありませんでした。大型ホテルでは多数の客室と避難者を確認しながら進む必要があり、ナリマン・ハウスでは人質が残り、中央駅を出た2人は市街地を移動し続けました。
11月26日午後9時15分頃|10人が上陸して分散
インド最高裁判決は、一連の攻撃が11月26日午後9時15分頃に始まったと整理しています。この頃、バドワール・パーク付近の海岸で、住民がゴムボートから降りる実行犯を目撃しました。
10人のうち8人が上陸し、2人はゴムボートでナリマン・ポイント方面へ移動します。その後は2人ずつの5組となり、中央駅、レオポルド・カフェとタージホテル、タージホテル、ナリマン・ハウス、オベロイ・トライデントへ向かいました。
この時点では、都市側から10人全体を一つの襲撃班として把握することはできませんでした。各地から別々の通報が入り始めて初めて、単独の銃撃事件ではなく、複数地点を結ぶ危機であることが見えてきます。
11月26日午後9時45分~10時頃|五つの現場が一斉に動く
中央駅|午後9時55分頃に銃撃と爆発
アジマル・カサブとアブ・イスマイルはタクシーでチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅へ向かいました。裁判記録にある駅員の証言では、午後9時55分頃に大きな爆発音が聞こえ、負傷した乗客や逃げる人々が確認されています。
2人は駅構内で銃撃を続けた後、歩道橋側から駅を出て、カマ病院方面へ移動しました。駅の事件だけで終わらず、警察との追跡・交戦を伴う移動型の事件へ変わります。
レオポルド・カフェ|銃撃後、2人はタージへ
別の2人はレオポルド・カフェを銃撃し、短時間で現場を離れました。その後、徒歩でタージホテルへ向かい、先にホテルへ入った2人と合流します。
このため、レオポルド・カフェは短時間で襲撃が終わった一方、そこから移動した実行犯はタージの籠城を長期化させる側へ加わりました。
ナリマン・ハウス|午後9時45分頃には侵入
上陸地点から歩いた2人はナリマン・ハウスへ侵入しました。最高裁判決に記載された従業員の証言では、午後9時45分頃、建物内の階段に銃を持つ男が確認されています。
従業員2人は室内へ隠れ、上階にいた住人と宿泊者らは人質となりました。周囲の建物や道路にも銃撃と手榴弾による危険が及び、事件は一棟内部だけに限定されませんでした。
オベロイ・トライデント|午後9時55分頃に侵入
ゴムボートでナリマン・ポイント方面へ移動した2人は、午後9時55分頃にオベロイへ入りました。CCTVには、ロビーとレストランで銃撃を始める様子が記録されています。
ホテル従業員はレストランの扉を閉め、客を裏側のサービス動線から避難させました。実行犯はその後上層階へ移り、建物内にとどまります。
タージホテル|4人が建物内で合流
タージへ直接向かった2人はロビーで銃撃し、上層階へ移動しました。レオポルド・カフェから来た2人も合流し、タージ内部の実行犯は4人となります。
ホテルでは銃撃、爆発、火災、宿泊客と従業員の避難が重なりました。午後10時を過ぎる頃には、南ムンバイで「駅を出て移動する2人」「タージの4人」「オベロイの2人」「ナリマン・ハウスの2人」という四つの流れが並行していました。
11月26日午後10時30分頃|別の場所でタクシー爆発
レオポルド・カフェへ向かった2人が利用したタクシーには爆発物が残されていました。最高裁判決によれば、午後10時30分頃、別の客を乗せてマズガオン地区のワディ・バンダー・ロードを走行中に爆発し、運転手と乗客が犠牲となり、周囲の人々も負傷しました。
同様に、中央駅へ向かった2人が使ったタクシーに残された爆発物も、後にヴィレ・パルレで爆発しています。主要襲撃地点から離れた場所でも被害が起きたため、事件の範囲を一層把握しにくくしました。
11月26日午後10時~27日午前0時30分頃|中央駅の2人が市内を移動
中央駅を出たカサブとイスマイルは、カマ病院の周辺と建物内を移動しました。病院では患者や職員が避難・籠城し、警察部隊が実行犯を捜索します。午後11時頃には、2人が病院の屋上付近にいたことが証言から確認されています。
その後、2人は病院周辺を出て警察官らと交戦しました。ムンバイ警察のヘマント・カルカレ、アショーク・カムテ、ヴィジャイ・サルスカールらが乗った警察車両が襲撃され、複数の警察官が死亡します。実行犯はその車両を奪って移動しました。
車両が走行できなくなると、2人は午前0時15分頃に別の乗用車を奪いました。警察無線を通じて車種と進行方向が伝えられ、ギルガオン・チョウパティ付近には検問が設けられます。
11月27日午前0時30分頃|カサブを生きたまま拘束
午前0時30分頃、奪われた乗用車が検問へ接近しました。警察との銃撃の末、イスマイルは死亡し、カサブは拘束されます。この際、警察官トゥカラム・オンブレが死亡しました。
上陸から約3時間で、中央駅から市街地を移動した2人の行動は止まりました。しかし残る8人は、タージ、オベロイ、ナリマン・ハウスの内部にいました。ここから事件の中心は、移動する実行犯の追跡から、三つの建物での救出・捜索・制圧へ移ります。
11月27日未明|三つの籠城現場へ対応
事件発生直後はムンバイ警察が各現場へ向かい、タージでは消防による消火と避難、海軍の特殊部隊MARCOSによる対応も行われました。しかし、大型ホテル二棟と人質のいる施設を同時に制圧するには、より大規模な対テロ部隊が必要でした。
国家治安警備隊NSGの公式資料によれば、部隊は26日から27日にかけての深夜、ニューデリーからムンバイへ空輸されました。複数現場へ同時に対応するため、任務部隊はタージ、オベロイ・トライデント、ナリマン・ハウスへ分割されます。この作戦に付けられたコードネームが「ブラック・トルネード」です。
タージでは火災と人質、広い建物が重なった
27日午前1時15分頃の傍受通話では、タージ内部の実行犯と国外の指示役との連絡が確認されています。通話の中で建物への放火を促す内容も記録されました。
午前2時15分頃には、タージの4人が拘束していた人々を連れて階を移動したことが裁判記録に残っています。宿泊客や従業員が各所に残るなか、治安部隊は「実行犯を探す」「取り残された人を救出する」「火災へ対処する」という三つの課題を同時に進めました。
ナリマン・ハウスでは11時頃に幼児が救出された
ナリマン・ハウスで隠れていた従業員2人は、27日午前11時頃に室外へ出ました。上階から幼児の泣き声を聞き、子どもを連れて建物外へ脱出しています。
一方、他の人質は建物内に残り、実行犯は外部の指示役と連絡を続けていました。周辺への射撃もあり、治安部隊は正面から簡単に接近できる状況ではありませんでした。
11月27日|事件の全体像が見えても、現場は終わらない
27日の日中には、10人のうち2人が中央駅から市街地を移動し、残る8人が三つの施設へ籠城している構図が明らかになっていきました。しかし、実行犯の人数が分かることと、建物を安全に制圧できることは別です。
タージとオベロイは多数の客室、廊下、宴会場、レストラン、サービス動線を持つ大型施設です。宿泊者と従業員の位置を確認しながら部屋を一つずつ捜索する必要があり、発砲音や火災があっても、実行犯の正確な位置が常に分かるわけではありませんでした。
ナリマン・ハウスでは、人質の安否と実行犯の位置が不明なまま、周辺建物にも危険が及んでいました。NSGは上空から隊員を投入し、複数方向から建物へ接近します。
11月28日午前7時頃|オベロイ・トライデントを制圧
オベロイ・トライデントでは、NSGがホテル内部の捜索と宿泊客の救出を進めました。最高裁判決によれば、最後に残った実行犯が28日午前7時頃に制圧され、二つのホテル棟での作戦が終了します。
これで三つの籠城現場のうち一つが終結しました。しかし、ナリマン・ハウスとタージでは作戦が継続していました。都市全体として事件が終わったわけではありません。
11月28日夜|ナリマン・ハウスを制圧
ナリマン・ハウスでは、NSG隊員がヘリコプターから屋上へ降下し、建物内へ進入しました。NSG公式資料では、隊員ガジェンダー・シンが27日午後7時頃に屋上へ降下し、翌28日の作戦中に死亡したことが記録されています。
最高裁判決は、ナリマン・ハウスが28日夜に制圧されたとしています。実行犯2人は死亡しましたが、人質となった人々も犠牲となっていました。
この時点で残る現場はタージホテルだけとなります。襲撃開始からすでに二日近くが経過していました。
11月29日午前9時頃|タージホテルで事件終結
タージでは、救出、消火、捜索、制圧が最後まで続きました。4人の実行犯は順次制圧され、11月29日午前9時頃、最後の1人が治安部隊によって死亡しました。
最高裁判決は、この時点を一連の攻撃の終結としています。11月26日午後9時15分頃から数えると、約59時間45分。一般に「約60時間」と呼ばれるのは、この開始時刻と終結時刻を結んだ長さです。
ただし、すべての現場が60時間続いたわけではありません。レオポルド・カフェの襲撃は短時間、中央駅から移動した2人は約3時間で阻止され、オベロイは28日朝、ナリマン・ハウスは28日夜に終結しました。タージだけが29日朝まで残ったため、事件全体の終了時刻がそこに置かれています。
四つの流れを並べると何が見えるか
| 時間帯 | 中央駅から移動した2人 | タージ | オベロイ | ナリマン・ハウス |
|---|---|---|---|---|
| 26日21時台 | 中央駅を襲撃 | 4人が侵入・合流 | 2人が21時55分頃侵入 | 2人が21時45分頃までに侵入 |
| 26日22時~深夜 | カマ病院周辺へ移動 | 銃撃・爆発・火災・人質 | 上層階へ移動・籠城 | 人質を取り籠城 |
| 27日0時30分頃 | イスマイル死亡、カサブ拘束 | 継続 | 継続 | 継続 |
| 27日 | 終了 | 救出・捜索・制圧 | 救出・捜索・制圧 | 救出・制圧 |
| 28日7時頃 | 終了 | 継続 | 制圧 | 継続 |
| 28日夜 | 終了 | 継続 | 終了 | 制圧 |
| 29日9時頃 | 終了 | 最後の実行犯を制圧 | 終了 | 終了 |
この表から分かるのは、対応部隊が一つの現場を終えてから次へ移ればよかったのではないことです。27日は、性質の異なる三つの建物で作戦を並行させなければなりませんでした。国家治安警備隊が任務部隊を分割したのも、この同時性に対応するためです。
時系列で混同しやすい点
「最初の襲撃地点」を一つに固定しすぎない
最高裁判決は事件全体の開始を午後9時15分頃としますが、これは上陸を含む一連の攻撃の開始です。各施設での銃撃開始はその後で、中央駅、カフェ、ホテル、ナリマン・ハウスの数分単位の前後関係は、資料と定義によって表現が変わります。
「ブラック・トルネード」を事件全体の名前にしない
ブラック・トルネードは、国家治安警備隊がムンバイで行った制圧作戦のコードネームです。11月26日夜からの警察、消防、海軍特殊部隊などの全活動を一括して指す名称ではありません。
「29日まで全地点で戦闘が続いた」わけではない
現場ごとに終結時刻は異なります。29日午前9時頃という時刻は、最後まで残ったタージの制圧時刻であり、事件全体の終結点です。
よくある疑問
事件はいつ始まり、いつ終わったのですか
インド最高裁判決は、2008年11月26日午後9時15分頃に始まり、11月29日午前9時頃に終わったと整理しています。
最初に制圧された実行犯は誰ですか
中央駅を襲撃して市内を移動したアブ・イスマイルとアジマル・カサブです。27日午前0時30分頃、警察の検問でイスマイルが死亡し、カサブが拘束されました。
国家治安警備隊はいつ来たのですか
NSG公式資料では、11月26日から27日にかけての深夜、ニューデリーからムンバイへ空輸されたとされています。到着後、三つの籠城現場へ部隊を分けて対応しました。
どの現場が最後まで残ったのですか
タージマハル・パレス・ホテルです。オベロイ・トライデントは28日午前7時頃、ナリマン・ハウスは28日夜、タージは29日午前9時頃に制圧されました。
要点まとめ
ムンバイ同時多発テロ事件は、11月26日午後9時15分頃の上陸から始まりました。10人は5組へ分かれ、約40分のうちに中央駅、レオポルド・カフェ、タージ、オベロイ、ナリマン・ハウスへ到達しました。
中央駅を襲撃した2人はカマ病院周辺を経て市内を移動し、27日午前0時30分頃に警察によって阻止されました。一方、残る8人は三つの建物へ籠城し、救出・捜索・制圧作戦が並行して進められます。
オベロイは28日午前7時頃、ナリマン・ハウスは28日夜に制圧されました。最後まで残ったタージで29日午前9時頃に最後の実行犯が死亡し、約60時間に及んだ事件全体が終結しました。
次回は時間軸から地理へ視点を移します。上陸地点、中央駅、カマ病院、二つのホテル、ナリマン・ハウス、カサブ拘束地点を地図上に置き、どの移動が確認でき、どこからが概略なのかを整理します。
ムンバイ同時多発テロ事件特集
- ムンバイ同時多発テロ事件とは?映画『ホテル・ムンバイ』の元になった26/11の全貌
- ムンバイ同時多発テロはどう計画されたのか|標的の偵察と海上侵入ルート
- ムンバイ同時多発テロ事件の時系列|2008年11月26日から29日まで 【現在の記事】
- ムンバイ同時多発テロはどこで起きたのか|襲撃地点と移動経路を地図で確認
- タージホテルでは何が起きたのか|オベロイ・ナリマン・ハウスを含む籠城と救出
- なぜムンバイ同時多発テロの制圧に約60時間かかったのか|警察・消防・特殊部隊の対応
- ムンバイ同時多発テロの実行犯と指示役は誰だったのか|10人の襲撃班と計画組織
- 映画『ホテル・ムンバイ』はどこまで実話なのか|登場人物・救出・事件現場を検証
- ムンバイ同時多発テロ事件のその後|カサブ裁判・治安対策・現在も続く司法手続き
出典・参考資料
-
Supreme Court of India — Md. Ajmal Md. Amir Kasab v. State of Maharashtra(2012年8月29日)
事件の開始・終結時刻、上陸、中央駅からカマ病院周辺への移動、カサブ拘束、タージ・オベロイ・ナリマン・ハウスの展開と制圧時刻、CCTV・証言・通信記録の確認に使用。 -
Bombay High Court — Mohammed Ajmal Mohammad v. State of Maharashtra
166人の犠牲者、238人の負傷者、11月26日夜から29日朝まで続いた事件全体の司法上の確認に使用。 -
National Security Guard — Operation Black Tornado, Mumbai
NSGが26日から27日にかけて深夜に空輸されたこと、複数現場へ任務部隊を分割したこと、作戦コードネームの確認に使用。 -
National Security Guard — Veer Gatha
ナリマン・ハウスへの上空からの投入と、タージ・ナリマン・ハウスで任務中に死亡したNSG隊員に関する公式記録の確認に使用。
本記事はインド最高裁・高裁判決と国家治安警備隊の公式資料を中心に作成しています。時刻はインド標準時で、「頃」は判決中の約時刻、証言時刻、資料間で幅があるものを示します。現在のGoogleマップと独自時系列図は位置・順序の理解を目的とし、2008年当時の建物、規制線、部隊配置、分単位の全行動を再現するものではありません。