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オッペンハイマーとロスアラモスなぜプルトニウム爆弾の設計は行き詰まったのか――1944年、implosionへの転換

Los AlamosのPower House。Manhattan ProjectでGeorge Kistiakowskyが暮らした建物。
NPS/GLOWINSKI 出典 Public Domain

THE QUESTION

なぜプルトニウム爆弾の設計は行き詰まったのか――1944年、implosionへの転換について、この回が担う固有の論点は何か。

STORY SO FAR

前回「なぜオッペンハイマーが選ばれたのか――理論物理学者がロスアラモス所長になるまで」で確認した論点を受け、この回ではなぜプルトニウム爆弾の設計は行き詰まったのか――1944年、implosionへの転換について、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。

1944年のロスアラモスでは、原子爆弾開発が「完成へ向かって一直線に進んでいた」わけではない。

むしろこの年、マンハッタン計画は設計の根本を揺るがす問題に直面した。

当初、ロスアラモスではウランとプルトニウムの双方について、二つの核分裂性物質を短時間で一体化させる、いわゆるgun-type方式が有力な案として研究されていた。考え方そのものは比較的理解しやすく、ウランについては研究が前進していた。プルトニウムにも同じ発想を適用できれば、兵器設計を共通化しやすい。

ところが1944年春から夏にかけて、原子炉で生産されたプルトニウムを実際に測定すると、その前提が崩れた。

問題になったのは、プルトニウムの中に含まれる別の同位体、プルトニウム240だった。原子炉でつくられたプルトニウムには、初期の小規模な実験試料よりも多くのPu-240が含まれ、その一部が自発核分裂を起こすことで、中性子が予想以上に頻繁に存在することが分かった。

これはgun-typeにとって致命的だった。

gun-typeは、分離した状態では連鎖反応が持続しない核分裂性物質を、極めて短い時間内に反応が急速に進む状態へ移すという考え方に依存する。ところが、その移行が完了する前に偶然の中性子が連鎖反応を始めてしまうと、十分な状態になる前にエネルギー放出が始まり、装置自身が崩れてしまう可能性が高くなる。

つまり問題は、「プルトニウムが核分裂しない」ことではなかった。

逆である。

望んだ瞬間より前に反応が始まってしまう危険が高すぎた。

このためロスアラモスは、プルトニウム用gun-typeの開発を事実上断念し、当時まだ不確実性の大きかったimplosion方式へ研究資源を集中させることになる。

CASE064-02で追うのは、爆弾の具体的な作り方ではない。

1944年に何が測定され、なぜそれが従来の設計思想を壊し、ロスアラモスという研究組織そのものを再編させたのか。その「設計判断の転換」を追う。

最初から二つの核物質を並行していた

マンハッタン計画の特徴の一つは、最初から一つの方法に賭けなかったことである。

ウランについては天然ウランの中から核分裂しやすいウラン235を濃縮する必要があった。一方、プルトニウム239は原子炉の中でウラン238から人工的に生産できる可能性があった。

どちらも簡単ではない。

ウラン濃縮では、化学的にはほとんど同じ同位体を物理的に分けなければならない。そこでオークリッジでは複数の濃縮法が並行して建設された。

プルトニウムでは、まず原子炉で物質を生産し、その後、強い放射能を持つ照射済み燃料から化学的にプルトニウムを取り出す大規模工程が必要だった。その試験拠点がオークリッジのX-10であり、本格生産拠点がワシントン州ハンフォードだった。

兵器側のロスアラモスから見ると、これは「どの物質が、いつ、どれだけ届くか」という巨大な不確実性でもあった。

そのため、設計も一系統だけに固定できなかった。

1943年にロスアラモスが動き始めた時点では、gun-typeは重要な中心案だった。これは従来の火砲のような機械的発想を応用し、分離した核分裂性物質を急速に一体化させるというものだった。

ここで注意したいのは、gun-typeが「簡単な兵器」だったという意味ではないことである。

必要な核物理の理解、材料の取り扱い、機械的精度、計測、信頼性評価はいずれも高い水準を要求した。ただし、1943年時点のロスアラモスにとっては、爆発そのものを利用して物質を一様に圧縮するimplosionより、成立経路を見通しやすいと考えられていた。

このため、プルトニウムにもgun-typeを使えるなら、開発上の大きな利点があった。

しかし、その前提は「プルトニウム」という元素名だけを見ていては分からない問題によって崩れる。

初期のプルトニウム試料と、原子炉産プルトニウムは同じではなかった

プルトニウムは自然界から大量に採掘できる物質ではない。

1940年代初頭、科学者が扱えたプルトニウムは、加速器などを使ってごく少量つくられた試料だった。そこで得られる量は非常に小さく、兵器に必要な規模とは比較にならない。

マンハッタン計画がプルトニウムを実用的な経路とみなせたのは、原子炉でウランを照射し、そこで生じたプルトニウムを化学分離するという工業工程を構築しようとしたからだった。

1943年11月、オークリッジのX-10 Graphite Reactorが運転を開始した。[2]DOEは、X-10がロスアラモスへ最初の有意な量のプルトニウムを供給し、その試料の核分裂研究が兵器設計へ大きな影響を与えたと説明している。

ここで初めて、ロスアラモスは「実際の生産工程から出てくるプルトニウム」を詳しく調べられるようになった。

そして、そこに重要な差が見つかった。

原子炉の中でウランからPu-239が生成されたあと、そのPu-239がさらに中性子を取り込むとPu-240が生じる。[1]したがって、原子炉で照射して得るプルトニウムは、単一の同位体だけで構成されるわけではない。

1944年春にオークリッジから届いた原子炉産プルトニウムを測定した結果、Pu-240に由来する自発核分裂が重要な問題になることが明らかになった。

Los Alamosの歴史資料では、1944年夏のClinton――現在のオークリッジ――産プルトニウムの自発核分裂率測定によって、gun assembly方式を使う望みが失われたと記録されている。

この発見は「計算値の微修正」ではなかった。

それまで一つの有力設計として進められていたプルトニウムgun-typeを、成立困難と判断させる種類の発見だった。

自発核分裂とは何か

通常、核分裂の説明では、中性子が原子核に当たり、核分裂が起き、そこから別の中性子が出て次の核分裂を引き起こす、という連鎖反応が中心になる。

しかし一部の重い原子核では、外部から中性子を受けなくても、自然に核分裂することがある。

これが自発核分裂である。

自発核分裂が起きれば、中性子が放出される可能性がある。

ここで重要なのは、Pu-240が存在すると「いつ中性子が現れるか」を設計者が完全には制御できないことである。

原子爆弾のように極端に短い時間変化を扱う装置では、この「偶然の中性子」が大きな問題になる。

核分裂性物質がまだ望ましい状態へ移行している途中で中性子が入れば、連鎖反応が早く始まる可能性がある。すると、エネルギーの放出によって物質が膨張・分解し、本来目指した状態まで進めなくなる。

この現象はpredetonation、すなわち早期の反応開始として説明される。

重要なのは、これは「爆発するか、しないか」の二択ではないということだ。

反応開始のタイミングが早すぎれば、設計者が期待するようなエネルギー放出に至る前に装置が物理的に崩れる可能性がある。

したがって兵器設計の問題は、単純に核分裂性物質を集めればよいという話ではなく、望ましい状態が成立するまで、連鎖反応の本格的な開始を遅らせられるかという時間の問題でもあった。

この「時間」が、プルトニウムgun-typeを追い込んだ。

なぜgun-typeでは対応できなかったのか

gun-typeでは、分離していた物質を機械的な運動によって一体化させる。

そのため、完全に一体化するまでには必ず有限の時間がかかる。

Pu-240による自発核分裂が無視できないほど多い場合、その移行時間の途中で中性子が現れ、反応が早く始まる確率が高くなる。

問題を解決する一つの発想は、「もっと速く一体化すればよい」というものになる。

しかし、ロスアラモスの検討では、必要になる速度はgun-typeという方式で現実的に達成できる範囲を超えると判断された。

Los Alamosの歴史資料は、この結論を明確に記している。原子炉産プルトニウムの中性子背景が高いため、predetonationを避けるには、プルトニウムgunで可能なものよりはるかに速い組み立てが必要になると判断されたのである。

ここで設計判断は行き止まりになる。

材料側を見れば、ハンフォードでは巨大な生産施設の建設が進み、プルトニウムを大量生産する国家規模の投資が行われている。

兵器側を見れば、そのプルトニウムを使うために想定していた方式が成立しない。

これはロスアラモスだけの問題ではない。

ハンフォード、オークリッジ、シカゴ、ワシントンの計画管理まで含む、マンハッタン計画全体の戦略問題だった。

「不純物があるなら取り除けばいい」では済まなかった

この問題を初めて聞くと、Pu-240を不純物として取り除けばよいように思える。

しかしPu-239とPu-240は、元素としてはどちらもプルトニウムである。

化学分離は、プルトニウムをウランや核分裂生成物から取り出すことには使える。実際、マンハッタン計画ではそのための巨大な化学分離施設が建設された。

一方、同じ元素の同位体同士は化学的性質が非常に近い。

つまり、「プルトニウムを他の元素から分ける工程」と、「Pu-239だけをPu-240から簡単に選り分けること」は別問題である。

マンハッタン計画はすでにウラン235をウラン238から分離するため、電磁分離や拡散など極めて大規模な同位体分離設備を必要としていた。プルトニウム経路の強みは、本来、そのようなウラン同位体分離とは異なる方法で核分裂性物質を得られる点にあった。

したがって、原子炉産プルトニウムの同位体組成を兵器側の単純な化学精製で解決することはできなかった。

設計側が、材料の実際の性質に適応しなければならなかった。

ここにマンハッタン計画の重要な特徴が見える。

計画は「理論上もっとも美しい方法」を実現するのではなく、工場から実際に出てくる材料、測定された物理特性、残された時間に合わせて、設計を変更していった。

プルトニウムを捨てる選択肢は現実的ではなかった

では、プルトニウムgun-typeが成立しないなら、プルトニウムそのものを諦め、ウランだけに集中すればよかったのだろうか。

理屈の上では選択肢に見える。

しかし1944年のマンハッタン計画にとって、それは極めて重い決断だった。

オークリッジではウラン235濃縮施設の建設が進んでいたが、濃縮ウランの確保は容易ではなかった。一方、ハンフォードでは複数の生産炉と化学分離施設を中心に、プルトニウム生産のための巨大複合施設が建設されていた。

DOEの公式史が強調するように、implosionを完成できなければ、ハンフォードで生産するプルトニウムを兵器へ利用する道が失われる。

つまり1944年夏の問題は、「一つの兵器案が失敗した」だけではない。

マンハッタン計画の二本柱のうち、プルトニウム経路全体が兵器へ接続できなくなる危機だった。

このため、implosionは「面白い代替案」から、「プルトニウムを利用するために解かなければならない必須課題」へ変わった。

Project Yの歴史資料は、この転換を非常に明確に表現している。

それ以前、implosionは難しいが成功すれば有望な別方式だった。ところが1944年夏以降、それはHanford plutoniumを利用するための「絶対的な必要条件」になった。

この一文だけでも、ロスアラモス内部の優先順位がどれほど大きく変わったかが分かる。

implosionは何を変える考え方だったのか

implosionという語は「内向きの爆発」を意味する。

ここでの考え方を高い抽象度で言えば、外側からほぼ同時に圧力を加え、核分裂性物質を短時間でより反応しやすい状態へ移すというものだった。

gun-typeが「離れている部分を機械的に移動させて一体化する」方向の発想なら、implosionは「全体を外側から急速に変形・圧縮する」方向の発想である。

重要なのは、後者では物質全体の状態変化を非常に短い時間で進められる可能性があることだった。

そのため、自発核分裂による中性子背景が高いプルトニウムでも、望ましい状態へ移行する時間を短くできる可能性があった。

しかし、これで問題が解決したわけではない。

むしろ別の難題が一気に増える。

圧力が均一でなければ、物質の状態変化も均一にならない。実際の高性能爆薬は理想的な数学上の球面波を自動的に作るわけではない。爆発現象そのものを測定し、理論計算と突き合わせ、非対称性を減らし、再現性を確認しなければならない。

つまりimplosionへの転換とは、gun-typeの問題を「別の一つの部品」に置き換えることではなかった。

爆薬物理、流体的挙動、計測、理論計算、材料研究を一体化した、新しい研究プログラムを作ることだった。

このため、ロスアラモスの組織まで変える必要が生じる。

1944年にプルトニウムgun-type案からimplosion重視へ転換した因果を示す概念図
図:1944年の設計判断。原子炉産プルトニウムの性質がgun-type案を困難にし、implosionが最優先課題となった。概念図であり兵器の構造・寸法・起爆仕様は示さない。

1944年夏、ロスアラモスは組織そのものを作り替えた

技術的な危機が大きかったことは、その後の組織変更を見ると理解しやすい。

ロスアラモスはもともと、gun-typeを主要な兵器問題として組織されていた。

もちろんimplosion研究も存在したが、最初から研究所全体がimplosion中心だったわけではない。

ところが、Clinton産プルトニウムの自発核分裂率測定によってプルトニウムgunへの望みが絶たれると、それまでの組織構造では不十分になった。

1944年夏、オッペンハイマーは研究所を大きく再編する。

Project Yの歴史によれば、新たにG DivisionとX Divisionが設けられた。Gはimplosionに関わる兵器物理を、Xは高性能爆薬に関する研究を主に担当する体制となった。理論、実験、化学・冶金、兵器工学など既存部門も、implosion問題を中心に相互作用するよう再配置されていく。

ここでCASE064-01のテーマが再び現れる。

なぜオッペンハイマーが所長に選ばれたのか。

1942年には、それは「異なる分野をまとめられる人物だから」という期待だった。

1944年夏、その能力は実際の危機対応で試される。

設計の前提が崩れたとき、研究所は「失敗した設計を微調整する」のではなく、数百人規模の研究組織を別の中心課題へ向け直さなければならなかった。

これは科学上の決定であると同時に、プロジェクト管理上の決定だった。

危機は、測定が計画を否定したことで起きた

この出来事には、科学技術史として重要な点がある。

マンハッタン計画は、最初から完成した理論を工場で再現した計画ではなかった。

逆に、工場規模の生産に近づいたことで、それまで十分に見えていなかった物理的性質が明らかになり、兵器設計が変更された。

つまり流れは、単純な

「理論 → 設計 → 製造」

ではない。

実際には、

「理論 → 小規模実験 → 生産試料 → 再測定 → 設計前提の破綻 → 組織再編 → 新しい実験」

というフィードバックだった。

原子炉産プルトニウムの自発核分裂率は、その典型である。

初期の少量試料を基にした理解では見えにくかった問題が、実際の生産方式に近い試料を得たことで顕在化した。

この意味で、Pu-240問題は「研究者が重大な計算ミスをしていた」という話ではない。

研究対象となる物質そのものを、必要な量と条件でまだ十分に持っていなかったため、工業化の進展によって初めて確認できた性質があった、という話である。

新技術開発では、スケールアップすると新しい問題が現れる。

マンハッタン計画でも同じだった。

gun-typeが残ったウランと、implosionへ進んだプルトニウム

1944年の転換後、ウランとプルトニウムの兵器経路は明確に分かれていく。

ウラン235についてはgun-type方式の研究が継続された。

プルトニウムについてはgun-typeを断念し、implosionへ集中した。

同じ「原子爆弾」という言葉でまとめられるが、二つの兵器は核物質だけを差し替えた共通設計ではない。

材料の核的性質が異なれば、兵器の成立方法も変わる。

この点は、原子爆弾開発を理解するうえで重要である。

マンハッタン計画が成功したのは、一つの発明を大量生産したからではない。

複数の物理的経路、複数の巨大工場、複数の兵器概念を並行させ、途中で一つの経路が行き詰まれば資源配分を変えるという、極端に冗長な開発体制を取ったからでもある。

その冗長性は莫大な費用を必要としたが、1944年のPu-240問題では保険として機能した。

プルトニウムgunが失敗しても、implosion研究そのものはすでに存在していたからである。

ただし、存在していたことと、完成の見通しが立っていたことは同じではない。

1944年夏の時点で、implosionはまだ非常に難しい研究課題だった。

「代替案」から「絶対に成功させる課題」へ

ここが1944年の最大の変化である。

Pu-240問題が明らかになる前、implosionは難度の高い別方式だった。

問題が明らかになった後、implosionはプルトニウム経路を生かすための必須方式になった。

研究組織の意味も変わる。

以前なら、gun-typeを本線として進めながらimplosionを探ることができた。

以後は、implosionが失敗すれば、ハンフォードで生産するプルトニウムを兵器化できない。

これは研究者にとっても、計画管理者にとっても圧力の種類が違う。

「成功すれば有望」ではなく、「成功しなければ巨大な生産経路が利用できない」のである。

DOEのマンハッタン計画史では、オッペンハイマーがこの状況に対応して、ロスアラモスの努力をimplosion習得へ最大限集中させるため大規模な再編を行ったと説明されている。

これ以降のロスアラモスでは、implosionの対称性をどう評価するか、爆発現象をどう計測するか、計算と実験をどう照合するかという研究が急速に重くなる。

詳細な兵器構造へ踏み込まなくても、開発の性格が大きく変わったことは分かる。

1943年のロスアラモスが「核分裂性物質をどう兵器へまとめるか」を考える研究所だったとすれば、1944年後半のロスアラモスは「極めて短時間に起きる複雑な物理現象を、測定と計算で制御可能な工学へ変える研究所」になっていく。[6]

FACT CHECK:よくある誤解

「Pu-240があるとプルトニウムは爆発しない」わけではない

違う。

問題は、連鎖反応を起こせないことではなく、自発核分裂による中性子背景のため、望ましい状態になる前に反応が始まる確率が高くなることだった。

だからこそgun-typeが問題になり、より短時間で状態を変える別方式が必要になった。

「プルトニウムの純度が悪かった」という単純な品質問題でもない

通常の化学的不純物の除去と、同じ元素の同位体組成は別問題である。

原子炉での生産方法そのものがPu-240を伴うため、兵器設計は実際に供給される材料の核的特性へ適応する必要があった。

「implosionはPu-240問題が出てから突然発明された」わけではない

implosion研究はそれ以前からロスアラモスで行われていた。

1944年の発見によって変わったのは、implosionの存在ではなく、その優先順位である。

難しい代替案から、プルトニウム経路を救うための中心課題へ格上げされた。

「gun-typeは完全に失敗した」わけでもない

プルトニウム用gun-typeは断念されたが、ウラン235用gun-typeは継続された。

したがって1944年の判断はgun-typeという考え方全体の放棄ではなく、材料ごとの物理的性質に応じて設計経路を分けた判断だった。

この危機がオッペンハイマーの役割を変えた

CASE064全体の主人公をオッペンハイマーに置くなら、1944年の転換は重要な節目になる。

1943年までの彼の仕事は、研究所を作り、科学者を集め、異なる専門分野を同じ場所へ置くことだった。

1944年になると、その組織を「新しい問題へ向けて作り替える」仕事が加わる。

技術開発では、計画開始時の組織が最後まで最適とは限らない。

重要な測定結果が前提を否定したなら、人員、部門、優先順位、設備、情報の流れまで変えなければならない。

Pu-240問題に対するロスアラモスの反応は、その典型だった。

オッペンハイマーは、失敗を隠して従来案へ固執するのではなく、研究所全体をimplosion中心へ振り向けた。

この判断が正しかったかどうかは、当時まだ証明されていない。

implosion方式が本当に成立するかは、1944年夏には未確定だったからである。

だから次の課題は、組織を再編しただけでは終わらない。

理論物理学者、爆薬研究者、実験物理学者、化学者、冶金学者、計測技術者を、一つの非常に難しい問題へどう統合するかが問われる。

CASE064-03では、オッペンハイマーがこの再編されたロスアラモスをどのように動かし、専門分野の違う科学者集団を一つの開発計画へまとめていったのかを追う。

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] U.S. Department of Energy, *The Manhattan Project: Making the Atomic Bomb*
  2. [2] U.S. Department of Energy, “X-10 Graphite Reactor.”
  3. [3] U.S. National Park Service, “Manhattan Project Science at Los Alamos.”
  4. [4] U.S. National Park Service, “About Los Alamos — Manhattan Project National Historical Park.”
  5. [5] U.S. Department of Energy, “V-Site Assembly Building and Gun Site.”
  6. [6] Los Alamos National Laboratory / U.S. Department of Energy historical record, *Los Alamos Scientific Laboratory: Project Y History*(1944年夏の再編、自発核分裂率測定、implosion優先化に関する歴史記録)。
  7. [7] Los Alamos National Laboratory, “The Oppenheimer Years 1943–1945” historical review
  1. 01 なぜオッペンハイマーが選ばれたのか――理論物理学者がロスアラモス所長になるまで
  2. 02 オッペンハイマーとロスアラモス|なぜプルトニウム爆弾の設計は行き詰まったのか――1944年、implosionへの転換
  3. 03 オッペンハイマーはロスアラモスをどう動かしたのか――科学者集団を一つの計画へまとめる
  4. 04 オッペンハイマーとロスアラモス|トリニティ実験はなぜ必要だったのか――「Gadget」を実戦前に試す理由
  5. 05 オッペンハイマーとロスアラモス|なぜ実験場はニューメキシコ砂漠になったのか――Trinity Site選定と巨大な試験準備
  6. 06 オッペンハイマーとロスアラモス|Gadgetの最終準備と100フィート塔
  7. 07 オッペンハイマーとロスアラモス|1945年7月16日午前5時29分45秒――世界初の核実験はどう進んだのか
  8. 08 「成功」は何を証明し、何を残したのか――測定結果、fallout、オッペンハイマーの記憶

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