1914年8月15日。
蒸気船 SSアンコン が大西洋側からパナマ運河へ入り、ガトゥン閘門で持ち上げられ、ガトゥン湖を進み、クレブラ・カットを抜け、ペドロ・ミゲルとミラフローレスの閘門を通って太平洋側へ向かった。
この日が、パナマ運河の公式な開通日として記録されている。[1][2]
だが、「8月15日に初めて船が運河を通った」とだけ書くと、完成までの実際の工程を大きく単純化してしまう。
閘門は1913年から試験されていた。
クレブラ・カットへの注水も1913年に始まっていた。
1914年1月7日には、フランス時代から使われていたクレーン船 アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley) が、自走する外洋船として初めて運河全体を通過した。[1]
5月には貨物を積んだはしけが運河を通り、曳船 マリナー(Mariner) が大洋から大洋まで連続航海を行った。[3]
8月3日には クリストバル(Cristobal) が開通前試験航海を行い、その後も複数の船が試験通航した。[3]
そして8月15日、SSアンコンが「公式開通」の船として航路を通った。
つまり、運河の完成には一日だけの境界線があるわけではない。
構造物が完成する。
水を入れる。
閘門を動かす。
浚渫する。
船を試験的に通す。
貨物を運ぶ。
組織を建設体制から運営体制へ変える。
最後に、商業運河として正式に開く。
パナマ運河が「工事現場」から「交通インフラ」へ変わったのは、この一連の移行過程だった。
この連載の最終記事では、1904年から分解して見てきた衛生、掘削、ダム、湖、閘門、鉄道、労働力が、1913~1914年にどのように一つの運河へ統合されたのかを追う。
記事概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 主対象 | パナマ運河 完成と開通 |
| 転換期 | 1913~1914年 |
| 1913年9月10日 | クレブラ・カット最後の蒸気ショベルによる乾式掘削終盤 |
| 1913年9月26日 | タグボート「ガトゥン」がガトゥン閘門で最初の試験閘門通過 |
| 1913年10月10日 | ガンボア土堤爆破、クレブラ・カットへの本格注水 |
| 1913年12月10日 | クカラチャ地滑りを浚渫し最初の水路を開通 |
| 1914年1月7日 | アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley)が最初の自航外洋船による全線通航 |
| 1914年5月18–19日 | 最初の運河での貨物取扱い |
| 1914年5月19日 | Tug マリナー(Mariner)が最初の大洋間の連続航海 |
| 1914年8月3日以降 | クリストバル(Cristobal)等による開通前の試験通航 |
| 1914年8月15日 | SSアンコンが公式開通時の定期商船通航 |
| この回の問い | 運河はいつ、何をもって「完成した」と言えるのか |
この回の問い
パナマ運河は、いつ完成したのか。
一つの日付だけを答えるなら、1914年8月15日である。
しかし工学的に見るなら、完成は段階的だった。
コンクリートが最後まで固まった日。
最後の岩を蒸気ショベルがすくった日。
ガトゥン湖の水がクレブラ・カットへつながった日。
閘門が初めて船を持ち上げた日。
初めて外洋船が全線を通った日。
初めて貨物が通った日。
そして一般の商業航路として正式に開いた日。
「完成」という言葉には、少なくとも構造的完成、機能的完成、運用上の完成、公式開通という複数の意味がある。
この違いを区別すると、SSアンコンの役割が正確に見えてくる。
SSアンコンは「運河を史上初めて通った船」ではない。
運河が公式に開かれた日に、その実用システムを代表して通航した最初の定期商船だった。[1][3]
1. 完成とは何を意味したのか
構造物が完成しても船は通れない
閘門のコンクリートが完成しただけでは運河ではない。
ダムが完成しただけでも運河ではない。
クレブラ・カットを掘っただけでも通れない。
船が大洋から大洋まで移動するには、
- 大西洋側進入水路
- ガトゥン閘門
- ガトゥン湖
- クレブラ・カット/ガイラード・カット
- ペドロ・ミゲル閘門
- ミラフローレス閘門
- 太平洋側進入水路
が一つの水路としてつながる必要がある。
さらに、閘門には電力と制御が要る。
水位を維持する必要がある。
航路の障害物を除去する必要がある。
船を誘導する水先案内人と運用組織も必要になる。
完成とは「物がある」状態ではなく、一連の機能が連続して動く状態である。
工事組織から運営組織へ
1914年4月1日、Isthmian Canal Commissionは廃止され、恒久的な運河運営体制へ移行した。George W. ジョージ・W・ゲーサルズは初代パナマ運河の総督となった。[1]
この組織変更は、工事史では目立ちにくい。
しかし巨大インフラでは非常に重要である。
建設組織の目的は「造る」こと。
運営組織の目的は「毎日安全に使える状態を維持する」こと。
必要な責任体系が違う。
工事が終わったから組織を解散するだけでは、翌日から船を通せない。
パナマ運河では、開通前に組織も運用へ切り替えられていた。
2. 1913年、乾いた掘削路へ水を入れる
最後の蒸気ショベル
第3回で見たように、クレブラ・カットの乾式掘削は地滑りに苦しんだ。
パナマ運河庁によれば、1913年9月10日、最後の蒸気ショベルがクレブラ・カットから最後の岩をすくい、最後の土砂列車が搬出した。[4]
ただし「最後の岩」という表現を、全掘削が完全終了した意味にしてはいけない。
1913年1月のクカラチャ地滑りでは約200万立方ヤードの土砂がクレブラ・カットへ入り、残りを乾いた状態で掘り続けるより、注水後に浚渫する方針が採られた。[4]
つまり工法が変わった。
鉄道と蒸気ショベル中心の乾式掘削から、船上の浚渫船による水中掘削へ移る。
六本のパイプから水を入れる
1913年9月末、ガンボアの土堤に設けられた大きなパイプから水がクレブラ・カットへ入り始めた。[4]
それまで鉄道列車が走っていた掘削路が、航路へ変わる。
ここは巨大工事の劇的な転換点である。
土地として扱っていた場所を、水路として運用し始める。
10月10日、ガンボア土堤を爆破
1913年10月10日、ウッドロウ・ウィルソン大統領がワシントンから信号を送り、ガンボア土堤中央部の爆破が行われた。[4]
この出来事はしばしば「大統領がボタンを押して運河を完成させた」と象徴的に語られる。
しかし実際には、爆破だけで完成したわけではない。
水路にはまだ土砂が残り、クカラチャ地滑りなどの障害を浚渫船で除去する必要があった。
1913年12月10日、古いフランス製ラダー式浚渫船(ladder dredge) マーモット(Marmot) がクカラチャ地滑りを切り開き、最初の航行可能な水路を通した。[4]
ここで初めて、大西洋側と太平洋側を結ぶ水上ルートが実用試験へ近づいた。
3. 閘門を実際に動かしてみる
ガトゥン閘門の最初の試験閘門通過
1913年9月26日、外洋側で作業に使われていたタグボート ガトゥン(Gatun) がガトゥン閘門で最初の試験閘門通過を行った。[4]
完成した巨大閘門に実際の船を入れ、水を流し、船を上げる。
設計上の計算と現場の作動が一致するかを確認する試験だった。
興味深いのは、この時点では中央制御盤がまだ完成しておらず、バルブを手動操作したことである。[4]
つまり構造物は動く。
しかし正式運用に必要な制御システムは完成途上。
「閘門が使える」と「閘門運用システムが完成した」は、ここでも別の段階だった。
太平洋側でも先に試験が進む
ペドロ・ミゲル閘門とミラフローレス閘門はガトゥン閘門より先に構造上の完成へ近づいていた。[4]
1913年10月にはミラフローレスでも最初の船を通す試験が行われている。
閘門一か所だけ成功すればよいわけではない。
全線で同じ船が連続して通れる必要がある。
そのため、個別設備試験の後に「全システム試験」が必要になる。
4. アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley)――最初の完全通航
1914年1月7日
パナマ運河庁は、1914年1月7日、古いフランスのクレーン船 アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley) が、自走する外洋船として最初にパナマ運河全体を通過したと記録している。[1]
1933年の *Panama Canal Record* も、この船を「first self-propelling, ocean-going vessel to pass through the Canal」と整理している。[3]
この事実は重要だ。
8月15日のAnconを「最初の船」とだけ書くと、1月の通航を消してしまう。
ではなぜ1月7日が開通日ではないのか
アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley)は、一般商業航路の公式開通を告げる船ではなかった。
もともと工事に使われていたクレーン船で、運河組織の作業の一環として通った。
運河自体もまだ最終調整中だった。
航路浚渫。
運用試験。
組織移行。
商船を受け入れる手続き。
これらが続いていた。
「船が物理的に通れる」と「商業運河として開いている」は違う。
アレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley)は、前者を証明した。
SSアンコンは、後者の開始を象徴した。
5. 貨物と直通航海の試験
最初の貨物通過
1933年の公式 *Panama Canal Record* は、1914年5月18~19日に、蒸気船アラスカン(Alaskan)からバルボアで積み替えた砂糖を載せた3隻のはしけが運河を通り、これが運河での最初の貨物取扱いだったと記録している。[3]
船そのものが通れるだけでなく、貨物を実際に運べる。
商業運河として次の段階へ進んだ。
タグボート「マリナー」(Mariner)
1914年5月19日、タグボート マリナー(Mariner) が2隻の空のはしけを曳き、大西洋側クリストバル(Cristobal)から太平洋側バルボアまで通航した。[3]
公式記録はこれを、船が大洋から大洋へ行った最初の大洋間の連続航海と整理している。
ここでも「最初」が増える。
- 自航外洋船による全線通航
- 最初の貨物取扱い
- 最初の大洋間連続航海
- 公式開通時の通航
歴史資料が細かく区別する理由は、それぞれ違う能力を証明しているからだ。
8月の試験通航
正式開通直前には、パナマ鉄道汽船会社の船が試験航海を行った。
*Panama Canal Record*によれば、
- 8月3日: クリストバル(Cristobal)
- 8月9日: アドバンス(Advance)
- 8月11日: パナマ
が大西洋から太平洋へ試験航海し、一部は往復も行った。[3]
乗客は乗せたが、この試験通航では貨物を扱わなかったとされる。
つまり8月15日の前には、航路自体は何度も使われていた。
開通日は「初めて通れるようになった日」ではなく、通常商業運用へ切り替える日だった。
6. 1914年8月15日、SSアンコン
大西洋から太平洋へ
1914年8月15日、SSアンコンは大西洋側のクリストバル(Cristobal)を出発し、太平洋側へ向かった。
パナマ運河庁の90周年資料によれば、アンコンは午前7時10分に大西洋入口を出発した。[5]
ガトゥン閘門へ入る。
三段上がる。
ガトゥン湖へ出る。
ガイラード・カット/クレブラ・カットを進む。
ペドロ・ミゲル閘門で下がる。
ミラフローレス閘門を通る。
太平洋側バルボアへ向かう。
これはこの連載で8記事に分けてきたシステムを、一隻の船が順番に通過する航海だった。
「最初の公式通航」
パナマ運河庁はアンコンの航海を最初の公式通航と表現する。[1]
1933年の公式記録はさらに厳密に、Anconを「商業運航で運河を通航した最初の定期商船」と整理している。[3]
この言い方が最も正確である。
Anconより前にも船は通っている。
しかし8月15日から、運河は通常の商業航路として公開される。
船上には誰がいたのか
パナマ運河庁の写真史では、Anconには約200人が乗り、船長ジョン・コンスタンティンとパナマ大統領ベリサリオ・ポラスも含まれていたと説明している。[6]
一方、ジョージ・W・ゲーサルズは船上ではなく、陸側から列車で通航を追ったと公式史に記される。[1]
華やかな国際首脳会議ではない。
しかし建設者、運河関係者、パナマ側代表者が、その一日を見届けた。
08.jpgが写している瞬間
今回の08.jpgは、U.S. National Archivesの写真 185-G-0889(NAID 100996358) をクロップした公開画像と一致する。[7]
写真には、ペドロ・ミゲル閘門へ進入するSSアンコン、閘門壁、壁上の設備、見守る人々、背後の丘陵が写る。
この一枚は「船が運河を通った」だけでなく、十年間別々に建設されてきた航路・閘門・運用設備が同時に動いている状態を記録している。
7. なぜ大規模な祝典にならなかったのか
当初は1915年の大イベントへつなぐ計画だった
パナマ運河庁によれば、運河開通を祝う大規模な計画が準備されていた。[1]
1915年のパナマ-太平洋 International Expositionへ向け、国際艦隊がHampton Roadsから運河を通ってSan Franciscoへ向かう構想もあった。
しかし1914年夏、ヨーロッパでは第一次世界大戦が始まった。
7月末から8月初めにかけ、主要国が相次いで戦争状態へ入る。
運河の公式開通は、その直後だった。
開通式は控えめに
世界大戦の勃発によって、計画されていた盛大な国際祝典は実現しなかった。[1]
SSアンコンの航海は公式開通として行われたが、国際的な大祝典ではなかった。
パナマ運河庁は、international dignitariesの出席もなかったと説明している。[1]
これは歴史の偶然である。
世界の海上交通を変える巨大インフラが完成した時、世界は別の巨大事件へ入っていた。
8. 開通しても工事は終わらない
クレブラ・カットは「完成後」も動く
1914年8月15日に公式開通しても、クレブラ・カットの地質は安定した構造物になるわけではない。
第3回で見たように、この人工峡谷では地滑りが長期的な問題となった。
開通後も航路を維持するため、浚渫と斜面監視が必要だった。
「開通日」は、保守が不要になる日ではない。
むしろこの日から、建設問題が運用・保守問題へ変わる。
水路は常に浚渫する
ガトゥン湖とクレブラ・カットへ土砂が流れ込む。
地滑りもある。
港湾入口にも堆積が起きる。
航路深さを維持するには、浚渫船を継続して動かさなければならない。
1913年末から使われた浚渫船は、開通準備のためだけでなく、その後の運河維持にもつながる設備だった。
閘門も保守対象になる
ゲート。
バルブ。
電動機。
牽引機関車。
制御システム。
どれも可動設備である。
故障すれば通航能力が落ちる。
巨大構造物は「完成したから放置できる」のではない。
運河をインフラとして成立させるのは、開通後の点検・修理・改修である。
運用開始は新しい工程の開始
建設のクリティカルパスは1914年で終わる。
その代わり、
- 航路維持
- 水位管理
- 閘門の保守
- 船舶運航計画
- 水先案内
- 交通管制
- 浚渫
- 緊急対応
という運用工程が始まる。
パナマ運河の寿命は、コンクリートの強さだけで決まらない。
組織が運用し続けられるかで決まる。
9. 運河は世界航路をどう変えたのか
「世界を一夜で変えた」とは言わない
パナマ運河の開通後、大西洋と太平洋を結ぶ航路距離は多くの組み合わせで短縮された。
特に米国東海岸と西海岸、大西洋側と太平洋側の港を結ぶ航路では、南米最南端を回る必要がなくなる。
パナマ運河庁は、運河が距離・時間・輸送費を減らす世界的な航路として機能してきたと説明している。[8]
しかし「1914年8月16日から世界貿易が一変した」と単純化するのは適切ではない。
開通直後は第一次世界大戦中である。
航路選択は船の大きさ、貨物、港湾、運賃、戦争、保険、燃料費などでも変わる。
したがって本記事では、「運河が新しい選択肢を作った」という範囲で述べる。
地理そのものは変わらない
北アメリカと南アメリカの地形は変わらない。
Cape Hornはそのまま存在する。
変わったのは、船が選べる経路である。
パナマ地峡を越える人工水路を作ることで、人間は世界地図に新しい海上ルートを追加した。
巨大インフラが経済へ与える力は、物を生産することではなく、距離と時間の関係を変えることにある。
地図|パナマ運河の全通航ルート
本記事は「開通航海」が主題なので、単一閘門ではなく運河全体を地理基準とする。
08.jpgの撮影地点理解用:
地図上の注意: 1914年8月15日のSSアンコン通航はパナマ運河全線で起きた出来事であり、ペドロ・ミゲル閘門だけを「開通地点」とはしない。ペドロ・ミゲルのリンクは08.jpgの歴史写真の位置関係を理解するための補助である。Google マップの現在の地点表示と1914年の設備範囲は同一ではないため、歴史的境界を現在のピンへ固定しない。
10. 八つのシステムが一つにつながる
ここまでこの連載では、パナマ運河を分解して見てきた。
01――全体設計
運河は一本の溝ではなく、ダム、湖、閘門、掘削、鉄道、衛生、労働力を統合したシステムだった。
02――衛生
人が継続して働けなければ工事は続かない。
黄熱病とマラリア対策は、医学だけでなく工事生産性の条件だった。
03――クレブラ・カット
山を掘る。
しかし斜面が動く。
機械力を増やしても、地質条件が工事量そのものを変えた。
04――ガトゥン・ダムと湖
山を全部海面まで削る代わりに、川をせき止めて高い水面を造る。
湖そのものを航路にする。
05――閘門
高い湖へ船をどう上げるか。
答えは、船を吊り上げるのではなく、水面を重力で上下させることだった。
06――鉄道物流
掘削機だけでは土は消えない。
列車、リジャーウッド式アンローダー、スプレッダー、線路移設機を連続させ、掘削土を毎日処理する。
07――労働者
この巨大システムを動かしたのは数万人の人間だった。
西インド諸島出身者を含む多国籍労働者が工事を支えた一方、ゴールド・ロール/シルバー・ロール制度による待遇格差も存在した。
08――運用へ
そして最後に、各サブシステムを一隻の船が順番に通過する。
SSアンコンの航海は、巨大工事の「最終部品」ではない。
すでに造られた全システムが一つのサービスとして動くことを示す統合試験の最終的な公的証明だった。
11. パナマ運河建設が残したもの
技術
大規模土木工事。
巨大土堰堤。
大容量コンクリート工事。
電気制御式の閘門。
鉄道による大量生産型の物流。
長期浚渫。
これらは個別発明というより、巨大事業で統合された技術群だった。
公衆衛生
蚊媒介感染症に対する科学的知識を、排水、住宅、上水、網戸、医療、環境管理へ大規模展開した。
第2回で見たとおり、衛生は工事外の補助業務ではなかった。
労働と社会
5万人を超える人々が建設に参加した。
その経験には技術的達成だけでなく、移住、疾病、事故、人種差別、賃金格差、コミュニティ形成が含まれる。
巨大インフラの歴史を設備だけで書くことはできない。
政治と主権
パナマ運河の建設と運営は、1903年の条約と米国による運河地帯管理の中で進んだ。
その政治的関係は1914年で終わらない。
後代の条約、主権をめぐる対立、1977年トリホス=カーター条約、1999年のパナマへの管理移管へ続く。
ただし、それはこの連載の建設期間を越えるため、本記事では詳細へ踏み込まない。
完成とは「固定」ではない
1914年の運河と現在の運河は同じではない。
航路は拡幅される。
設備は更新される。
運用方式は変わる。
2016年には新しい閘門群も加わった。
それでも、1914年に成立した基本原理――高い湖と閘門を使って地峡を越える――は、パナマ運河の中核として残っている。
まとめ|1914年8月15日は、十年間の工事が「使えるシステム」になった日だった
SSアンコンは、パナマ運河を最初に通った船ではない。
1914年1月にはアレクサンドル・ラ・ヴァレー(Alexandre La Valley)が全線を通っていた。
5月には貨物が通った。
マリナー(Mariner)は大洋から大洋まで連続航海した。
8月初旬にはクリストバル(Cristobal)、アドバンス(Advance)、パナマが試験通航した。
それでも1914年8月15日が開通日なのは、この日から運河が公式な商業交通路として運用へ移ったからである。
この違いは、パナマ運河建設の本質をよく表している。
巨大インフラは、最後のコンクリートを打てば完成するわけではない。
機械が動く。
水が流れる。
船が通る。
人が操作する。
事故へ備える。
組織が維持する。
顧客が使える。
そのすべてがそろって、初めてインフラになる。
1904年、米国が工事を引き継いだ時、現場には未完成の掘削、疾病、鉄道、フランス時代の設備が残っていた。
そこから十年。
蚊を減らした。
鉄道を造り直した。
山を掘った。
崩れた斜面をまた掘った。
川をせき止めた。
巨大な湖を造った。
閘門を造った。
数万人の労働者を集めた。
水を入れた。
試験した。
浚渫した。
そして一隻の船が、大西洋から太平洋へ通った。
この航海が証明したのは「水路がつながった」ことだけではない。
別々に作られた巨大な技術・組織・労働システムが、初めて一つの交通サービスとして成立したことだった。
それが、1914年8月15日の意味である。
[1] Autoridad del Canal de Panamá — End Of The Construction
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá / Panama Canal Authority
- Title: *End Of The Construction*
- Source type: Official historical narrative
- Primary or Secondary: Secondary official history
- URL: https://pancanal.com/en/end-of-the-construction/
- Claims supported:
- 1914-01-07 Alexandre La Valleyのcomplete passage
- 1914-04-01 Isthmian Canal Commission廃止・Governor体制への移行
- 1914-08-15 official opening
- SS Ancon / Captain John A. Constantine
- Goethalsが陸上・鉄道側から通航を追ったこと
- World War Iによる大規模祝典計画の中止
[2] Autoridad del Canal de Panamá — Preguntas Frecuentes
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá
- Title: *Preguntas Frecuentes*
- Source type: Official FAQ
- URL: https://pancanal.com/preguntas-frecuentes/
- Claims supported:
- SS Anconが1914-08-15に公式な最初のtransitを行ったこと
- Alexandre La Valleyが1914-01-07に作業通航したこと
- 建設費・掘削量等のCASE全体背景
[3] The Panama Canal Record — Early Transits of the Canal
- Organization: Panama Canal / U.S. Government
- Publication: *The Panama Canal Record*, September 15, 1933
- Source type: Official retrospective based on Canal records
- Primary or Secondary: Institutional primary/retrospective record
- URL: https://www.govinfo.gov/content/pkg/GOVPUB-W79-02a7bacdec4e94ce77e32a6492fa1eef/pdf/GOVPUB-W79-02a7bacdec4e94ce77e32a6492fa1eef.pdf
- Claims supported:
- 1914-01-07 first self-propelling oceangoing complete passage
- 1914-05-18–19 first cargo handling
- 1914-05-19 Mariner first direct continuous ocean-to-ocean voyage
- August 3 Cristobal test transit
- August 9 Advance
- August 11 Panama
- August 15 Ancon opening voyage
- Ancon = first regular merchant vessel in commercial service
- Arizonan等のopening後normal commercial transit
- Important:
- 「first ship」の複数定義を整理する中心Authorityとして使用。
[4] Autoridad del Canal de Panamá — Design Of The Locks
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá
- Title: *Design Of The Locks*
- Source type: Official engineering history
- URL: https://pancanal.com/en/design-of-the-locks/
- Claims supported:
- 1913-01 Cucaracha slide約2,000,000 yd³
- 1913-09-10 last steam shovel / last dirt train
- 1913-09-26 tug Gatunのfirst trial lockage
- central control board未完成、manual valve control
- Gamboa dikeへのpipesによる注水
- 1913-10-10 Woodrow Wilson signalによるdike blast
- dredgingへの工程移行
- 1913-12-10 dredge Marmotのpioneer cut
[5] Autoridad del Canal de Panamá — Panama Canal Turns 90
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá
- Title: *Panama Canal Turns 90*
- Date: 2004-08-16
- Source type: Official anniversary history
- URL: https://pancanal.com/en/panama-canal-turns-90/
- Claims supported:
- 1914-08-15のSS Ancon transit
- Atlantic entrance Cristobal出発 7:10 a.m.
- Atlantic to Pacificのopening-day voyage
[6] Autoridad del Canal de Panamá — History in Pictures: 107 Years of the Panama Canal
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá
- Title: *History in Pictures: 107 Years of the Panama Canal*
- Source type: Official historical photo chronology
- URL: https://pancanal.com/en/history-in-pictures-107-years-of-the-panama-canal/
- Claims supported:
- SS Ancon 1914-08-15 Atlantic→Pacific
- 約200人乗船
- Captain John Constantine
- Panama President Belisario Porras
[7] U.S. National Archives — SS Ancon entering Pedro Miguel Locks
- Holding institution: U.S. National Archives and Records Administration
- Record / image identifier: 185-G-0889
- NAID: 100996358
- Description: *Opening of the Panama Canal SS Ancon entering Pedro Miguel locks from Culebra cut Aug 15, 1914*
- Date: 1914-08-15
- Author / creating organization: Panama Railroad Company
- Source type: Primary visual source
- Primary or Secondary: Primary visual
- Exact local derivative match: Wikimedia Commons cropped derivative 1,468 × 1,115, identical to the local 08.jpg pixel dimensions
- Source reference: https://catalog.archives.gov/id/100996358
- Cropped derivative reference: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SS_Ancon_(1902_ship)_NARA_185-G-0889_cropped.jpg
- Rights: Public Domain in the United States / U.S. federal government work
- Claims supported:
- 08.jpgのexact source identity
- 1914-08-15 opening-day transit at Pedro Miguel Locks
[8] Autoridad del Canal de Panamá — 100 Years Connecting the World
- Organization: Autoridad del Canal de Panamá
- Title: *The Panama Canal Celebrates 100 Years Connecting the World*
- Date: 2014-08-15
- Source type: Official institutional retrospective
- URL: https://pancanal.com/en/the-panama-canal-celebrates-100-years-connecting-the-world/
- Claims supported:
- 1914-08-15 opening to world trade
- Canalが航路距離・時間・輸送費を減らす交通路として機能してきたこと
- Limitation:
- 現代のroute / port / transit statisticsは本記事の1914年評価には使用しない。
1914年公式開通航海の運河全体ルート