現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

CASE90

東海道新幹線――「夢の超特急」はどう実現したのか

東海道本線の輸送力限界から、十河信二・島秀雄らの推進、技術統合、試験、世界銀行借款を経て1964年の東海道新幹線開業へ至る過程を検証する。

全8回 総読了時間 約153分
第1回から読む
MEGA TECH|技術・産業日本1950年代1960年代

READ THE CASE

ARTICLE

  1. 01 東海道本線はなぜ限界だったのか――新幹線が「別線」になった理由1950年代の東海道本線が抱えた輸送力の限界と、国鉄が標準軌の新線を選んだ意思決定を一次資料から整理する。 19分
  2. 02 十河信二と島秀雄――政治力と技術力はどう結びついたのか十河信二と島秀雄を「新幹線の父」という英雄物語だけでなく、経営・政治と技術統合の役割分担から読み直す。 19分
  3. 03 「東京―大阪3時間」は夢物語だったのか――1957年ヤマハホール講演の設計思想1957年5月の山葉ホール講演を、宣伝文句ではなく車両・軌道・安全・信号を分解した技術提案として読み解く。 19分
  4. 04 新幹線は「速い車両」だけでは作れない――標準軌・交流電化・ATC・電車方式の統合東海道新幹線の本質を0系の最高速度だけでなく、軌道・電力・信号・車両を統合したシステム設計として解説する。 19分
  5. 05 鴨宮モデル線で何を試したのか――0系前夜、200km/hから256km/hまでの検証鴨宮モデル線を速度記録の舞台ではなく、車両・軌道・電力・信号を統合検証した本番前テスト環境として読み解く。 19分
  6. 06 世界銀行8,000万ドルは何を変えたのか――新幹線の資金計画と膨らんだ建設費1961年世界銀行審査時の1,971.93億円と後年の最終総工費3,800億円を時点分離し、新幹線の資金・統治問題を検証する。 19分
  7. 07 十河と島はなぜ開業前に去ったのか――1963年退任を資料から読み直す「建設費超過の引責辞任」という定説を、西条市の任期満了記載、1963年国会会議録、後年報道に分けて検証する。 20分
  8. 08 1964年10月1日、「夢の超特急」は何を達成したのか――4時間開業から3時間10分へ1964年10月1日の東海道新幹線開業を、東京―新大阪4時間・210km/h・計60本という初日仕様と1965年3時間10分に分けて検証する。 19分

RSS FEED

RSSで更新を受け取る

RSSリーダーへ次のURLを登録すると、新着記事を確認できます。

フィードを直接開く