STORY SO FAR
前回「5300年前の装備は何を語るか――銅斧・弓矢・衣服から見るエッツィの生活」で確認した論点を受け、この回では体に刻まれた生活史――病気・食事・刺青から見えるエッツィについて、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。
エッツィの身体は、単に「5300年前の人間の姿」を残しただけではない。
骨、歯、血管、肺、胃腸、皮膚、爪、DNAまでが研究対象になり、一人の人間がどの程度身体を使い、何を食べ、どのような病気や負担を抱えていたのかが、部分的ながら復元されてきた。
この点でエッツィは、通常の考古資料とは性質が違う。
石器や土器から分かるのは、社会の技術や行動の一部である。墓地の人骨からは年齢、性別、外傷、栄養状態などを集団として比較できる。
一方、エッツィには軟部組織が残る。
肺の中の煤。
腸内の寄生虫卵。
胃の中の最後の食事。
血管の石灰化。
皮膚へ入れられた煤の粒子。
歯周組織の状態。
そのため、彼の身体は一種の「生活履歴」として読むことができる。
ただし、ここでも限界がある。
病変が見つかったからといって、生前にどの程度症状があったかは分からない。病原体DNAがあることと、重い病気を発症していたことも同じではない。刺青の位置と関節の摩耗が重なることも、その刺青が治療だったと証明するわけではない。
この記事では、身体から直接確認できる事実と、そこから導かれる医学的・文化的解釈を分けて整理する。
まず、どのような身体だったのか
南チロル考古学博物館は、骨組織の検査からエッツィの死亡時年齢をおよそ46歳としている。
現代なら中年だが、当時としてはかなり長く生きた側に入る。
ミイラの身長は約1.54メートル。生前は約1.60メートルだったと推定される。体重は現在約13キログラムだが、生前は約50キログラムと見積もられている。
皮下脂肪は少なく、筋肉質で活動量の多い体格だった可能性が高い。
この像は、装備から見た人物像とも合う。
CASE058-03で見た通り、エッツィは斧、弓、矢筒、短剣、容器、衣服などを携え、高山環境を移動していた。骨と関節の状態も、平地でほとんど動かない生活ではなかったことを示す。
ただし「筋肉質だった」ことと「健康だった」ことは同じではない。
身体の内部には、長年の負荷、感染、歯の問題、血管変化など複数の異常が残っていた。
関節――山を歩き続けた身体の摩耗
X線やCTでは、右股関節、膝、肩、頸椎、腰椎などに退行性変化が確認されている。
2021年にまとめられた30年間の病理研究でも、右股関節の関節症、頸椎・腰椎の比較的軽い変性が整理されている。
これは、46歳という年齢だけではなく、長期間の身体負荷と関係していた可能性がある。
アルプスの急斜面を歩き、荷物を運び、木材を加工し、狩猟や日常作業を行う生活では、現代の座位中心生活とは異なる反復負荷がかかる。
ただし、「関節が悪かったから歩けなかった」と考える必要はない。
彼は死亡直前まで標高3000メートルを超える場所へ到達している。
つまり、関節の変性がありながら、高い移動能力を維持していた。
ここから読み取れるのは、病変の有無ではなく、病変を抱えた身体で活動を続けていたということになる。
骨折痕――死亡時の傷とは別の「過去の事故」
エッツィの身体には、死亡直前の外傷以外にも古い損傷がある。
博物館は、生前に肋骨や鼻を骨折していたことを紹介している。
骨折が治癒している場合、それは死の直前の事件とは切り離して考える必要がある。
過去に事故、転倒、争いなどがあった可能性はあるが、具体的な原因までは分からない。
高山での生活は転倒や打撲の危険が大きい。
一方、銅器時代社会で人間同士の暴力が存在したことも考古学的には知られている。
しかし、治った骨折一本から「戦士だった」「何度も襲撃された」といった物語へ進むことはできない。
身体は外傷を記録していても、その場面までは記録していない。
爪――一時的な強い身体ストレス
発掘では、剥がれ落ちた爪も回収された。
博物館によれば、確認された爪には横方向の溝、いわゆるBeau線が見られた。
Beau線は、重い感染、栄養不足、強い生理的ストレスなどによって、一時的に爪の成長が止まると生じる。
したがって、エッツィが死亡前のある時期に大きな身体ストレスを受けたことを示す可能性がある。
ただし、原因は特定できない。
高熱だったのか。
栄養状態が悪化したのか。
別の病気だったのか。
爪は「何かがあった」ことを示しても、「何があったか」までは教えない。
この点は、エッツィ研究全体で重要な考え方である。
痕跡と原因を一対一で結ばない。
肺――室内の火を吸い続けた痕跡
エッツィの肺には大量の煤粒子が残っている。
1998年の電子顕微鏡研究では、肺組織に多数のanthracotic area、つまり炭素粒子が沈着した領域が確認された。
研究者は、主な由来として住居内の開放火を考えている。
これは現代の喫煙歴とは意味が違う。
銅器時代の住居では、暖房、調理、照明に火を使う。十分な煙突や機械換気はない。室内で火を使い続ければ、煙や微粒子を日常的に吸い込む。
肺には煤だけでなく、雲母、石英などの微細鉱物や、穀物処理に由来する可能性のある有機物も見つかった。
2021年の病理総説でも、肺のanthracosisと、軽度のsilicosisの可能性が挙げられている。
ここから見えるのは、「自然の中で暮らしていたから空気がきれいだった」という単純なイメージではない。
薪火中心の生活は、現代とは別の形の大気汚染を身体へ蓄積する。
歯――硬い食事だけでは説明できない口腔疾患
エッツィの歯は激しく摩耗していた。
穀物を石臼で挽くと、細かな石粒が粉へ混ざりやすい。粗い食品と合わせて長年噛めば、歯の咬合面は現代人より強く削れる。
しかし、エッツィの口腔状態は「摩耗していた」だけではなかった。
2013年、2005年の高解像度CTを再評価した研究で、複数の虫歯、歯髄に達するほど深い病変、歯槽骨の喪失を伴う歯周病が確認された。[5]
上顎前歯には外傷痕もあった。
つまり、農耕社会への移行期に増えた炭水化物摂取と口腔衛生の問題が、一人の身体にも見えている。
農耕以前の狩猟採集社会で虫歯がゼロだったわけではないが、穀類など発酵性炭水化物の比重が増えると、虫歯リスクが上がる。
エッツィは肉だけを食べる高山狩人ではない。
穀物を日常的に利用する農耕社会の一員だった。
歯は、その生活の変化を直接記録している。
胃の位置が分からなかったという研究史
エッツィの「最後の食事」は、発見直後から注目された。
しかし意外なことに、胃内容物の本格分析はかなり後になった。
ミイラ化によって内臓の位置が大きく変形し、初期の検査では胃そのものが正確に認識されていなかったからである。
その後のCTで胃の位置が確認され、内容物を採取できるようになった。
この研究史は重要である。
古代人の身体が残っていても、最初からすべて見えるわけではない。
CT、内視鏡、DNA解析、脂質分析、顕微鏡など技術が進歩するたびに、同じ身体から新しい情報が出る。
2018年の「最後の食事」研究は、その代表例だった。
最後の食事――肉、脂肪、穀物
2018年のCurrent Biology論文は、胃内容物をDNA、脂質、タンパク質、顕微鏡など複数の方法で分析した。
その結果、アイベックスの肉と脂肪、アカシカ由来の肉、ヒトツブコムギ系の穀物、植物成分などが確認された。
特に注目されたのが、脂肪の多さである。
研究者は、胃内容物に占める脂質成分が非常に高いことを示した。
標高3000メートルを超える寒冷環境で活動する人間にとって、脂肪は重量あたりのエネルギー密度が高い。
現代の登山でも、軽量で高カロリーな食品は合理的である。
ただし、「高脂肪食を好んでいた」と一般化するには注意が必要である。
胃に残っているのは、死亡前の一回の食事に近い。
一人の人生全体の食生活を一食だけで代表させることはできない。
むしろ確実なのは、死亡直前に、エッツィがかなりのエネルギーを含む食事を取っていたことである。
肉は生だったのか、乾燥肉だったのか
最後の食事には、アイベックスやアカシカの筋組織が含まれていた。
研究では、肉が新鮮だった可能性と、乾燥・保存された肉だった可能性の両方が検討されている。
顕微鏡像からは、筋組織が強い加熱で完全変性した状態ではなかった。
しかし、これだけから「生肉を食べた」と断言することもできない。
弱く加熱した肉、乾燥肉、燻製に近い処理など、複数の可能性がある。
ここでもエッツィ研究は、現代の食文化名をそのまま貼り付けるより、分析で確認できる処理痕に留める方が正確である。
ワラビは食べたのか
2018年の研究では、胃からワラビ類の微粒子も検出された。
ワラビには毒性成分があり、その存在は研究者を悩ませた。
意図的に薬用として摂取した。
包材や容器として使った植物片が食事へ混入した。
食材処理の過程で偶然入った。
複数の説明が可能である。
したがって、「エッツィは毒草を薬として飲んでいた」と確定することはできない。
この点は、後で扱う刺青とも似ている。
治療目的として筋の通る解釈があっても、治療行為そのものを直接観察したわけではない。
腸の寄生虫――鞭虫の卵
エッツィの消化管からは鞭虫Trichuris trichiuraの卵が確認されている。
鞭虫は人間の大腸に寄生する線虫で、糞便で汚染された土壌や食物を通じて感染する。
感染量が少なければ無症状の場合もあるが、多ければ腹痛、下痢、貧血などを起こす。
エッツィがどの程度症状を持っていたかは分からない。
重要なのは、銅器時代の生活環境に、現代の衛生設備が前提とする糞便管理や清潔な水供給がなかったことである。
寄生虫感染は、個人の「不潔さ」というより生活環境の一部として理解する方がよい。
興味深いことに、エッツィは樺多孔菌とされる菌類を携行していた。
一部研究では、この菌が抗菌・駆虫作用を持ち、寄生虫対策に使われた可能性が提案されている。
しかし、携行していた理由は確定していない。
「鞭虫がいた」ことは事実。
「薬効を持つ可能性のある菌を持っていた」ことも事実。
「本人が鞭虫を治療する目的でその菌を服用していた」は仮説。
この三段階を分ける必要がある。
胃の細菌――5300年前のHelicobacter pylori
2016年には、エッツィの胃からHelicobacter pyloriのゲノムが復元された。
H. pyloriは現代でも非常に一般的な胃内細菌で、一部の人では慢性胃炎、胃潰瘍、胃がんなどと関連する。
ただし、感染者すべてに症状が出るわけではない。
エッツィについても、菌の存在は確認できるが、「胃潰瘍で苦しんでいた」とまでは言えない。
この研究の面白さは個人の病気だけではない。
H. pyloriは人間集団とともに移動してきたため、その系統から人類移動を研究できる。
エッツィ由来株は、現在のヨーロッパに多いアフリカ系とアジア系の混合株とは異なり、当時ヨーロッパに存在したアジア系統に近い特徴を持っていた。
一人の胃の細菌が、銅器時代ヨーロッパの人口史へつながった例である。
ライム病――「世界最古の患者」と言い切ってよいか
エッツィのDNA解析では、Borrelia burgdorferiに関連する配列が報告され、博物館は「ライム病の最古の証拠」と紹介している。
これが広く、「エッツィはライム病だった」と伝えられた。
しかし、2021年の病理総説では、この診断はなお議論中とされている。
古代DNAでは、微生物配列の同定、汚染、保存状態などを慎重に評価する必要がある。
したがって、このシリーズでは、
「ボレリア由来と解釈されたDNA証拠が報告されている」
ところまでは扱うが、
「エッツィが臨床的なライム病を発症していた」
とは断定しない。
病原体のDNAと臨床診断は別である。
血管――「現代病」が5300年前にもあった
CTでは血管に石灰化した動脈硬化性変化が確認されている。
2021年の病理総説では、年齢の割にやや早い軽度・局所的な動脈硬化性変化として整理されている。
この発見は、「動脈硬化は現代の高脂肪食と運動不足だけで生じる病気」という単純なイメージを崩した。
エッツィは日常的に歩き、体脂肪も少なかったと推定される。
それでも動脈硬化性変化があった。
古代ミイラを対象にした他地域のCT研究でも、エジプト、ペルー、北米など異なる生活様式の人々から動脈硬化が確認されている。
原因としては、加齢、遺伝的素因、慢性感染、煙の吸入など複数要因が考えられる。
CASE058-06で扱うゲノム研究でも、エッツィには心血管疾患に関係する遺伝的素因が報告されている。
したがって、「高脂肪の最後の食事をしたから動脈硬化だった」と結びつけるのは誤りである。
一回の食事と長期的な血管病変は時間軸が違う。
刺青――61個、19群
エッツィの身体には多数の刺青がある。
2015年の多波長撮影による全身マッピングでは、61個の刺青が19群に整理された。[7]
多くは短い平行線で、一部は十字形。
腰、肋骨周辺、手首、膝、ふくらはぎ、足首などに分布する。
古い研究では肉眼や赤外線写真で確認できる刺青数にばらつきがあったが、可視光だけでは見えにくい皮膚を多波長で撮影することで、新しい群も確認された。
さらに組織学・電子顕微鏡研究では、刺青部分の結合組織中に煤粒子が確認されている。
現代の電動タトゥーマシンのように多数の針で色素を高速注入したのではない。
皮膚を細く傷つけ、そこへ炭素系顔料を入れる方法だったと考えられている。
現在知られている直接的な人皮膚上の刺青資料として、エッツィの刺青は最古級、研究によっては最古の確実例とされる。
なぜ刺青を入れたのか
刺青の意味は分かっていない。
装飾。
集団所属。
通過儀礼。
宗教。
治療。
どれも人類学的にはあり得る。
エッツィで特に注目されたのが治療説である。
理由は、多くの刺青が腰、膝、足首など、退行性変化や痛みが起きやすい部位の近くにあるからだ。
1990年代末には、刺青位置と東アジアの鍼灸点との対応を論じる研究も現れた。
そこから「鍼灸は中国より2000年早くヨーロッパに存在した」という強い表現まで広がった。
しかし、これは慎重に扱うべきである。
刺青が痛みのある部位へ集中することは、治療説を支持する材料になる。
一方で、刺青のすべてが病変部と一対一で対応するわけではない。2015年の全身マッピングでは右下胸部にも新しい刺青群が見つかり、単純な関節痛対応図だけでは説明しにくい。
さらに、同じ場所へ刺激を与える治療と、体系化された鍼灸医学は同じではない。
したがって、現在合理的なのは、
刺青の一部が痛みや身体症状への治療的刺激として使われた可能性がある。しかし、目的は確定しておらず、「鍼灸そのもの」と断定することもできない。
という表現になる。
刺青が衣服の下にある意味
博物館は、刺青の多くが通常は衣服に隠れる位置にあることを、純粋な装飾説に対する一つの材料としている。
見せるための装飾なら、常に隠れる位置へ集中させる必要はない。
これは確かに治療説と整合する。
しかし、古代社会の身体装飾が「他人に常時見せるため」だけだったとは限らない。
儀礼時のみ見せる。
本人にとって意味がある。
集団内の特定場面だけで確認する。
そのような文化的機能もあり得る。
したがって、「衣服の下=治療」とはならない。
考古学で文化行動を復元するとき、現代の広告・ファッション的な「見せる装飾」だけを基準にしないことも必要である。
「薬を使っていた」はどこまで言えるか
エッツィについてはしばしば、
「寄生虫を薬草で治療していた」
「刺青で関節痛を治療していた」
「天然抗生物質を持っていた」
といった表現が使われる。
完全な誤りではないが、証拠を一段階ずつ見る必要がある。
鞭虫卵は実際にある。
樺多孔菌など薬理作用を持ち得る菌類を携行していた。
ワラビ類も胃から検出された。
関節には変性がある。
刺青はその周辺に多い。
ここまでは観察事実である。
そこから、
「症状を本人が認識していた」
「特定物質を薬として選んだ」
「治療効果を経験的に理解していた」
「刺青は医療行為だった」
へ進むほど、推論が増える。
2019年のbioarchaeology of care研究も、エッツィに治療・ケアの可能性を検討しつつ、直接証明の難しさを認めている。
したがって、このCASEでは「医学を持っていた/持っていなかった」という二択にしない。
身体異常に対応するため、植物、菌類、皮膚刺激などを経験的に利用していた可能性がある。
ただし、その知識体系の名称や理論は分からない。
FACT CHECK――身体から何が確実に言えるか
「エッツィは健康な壮年男性だった」
半分だけ正しい。
高い活動能力と筋肉量を持っていた可能性がある一方、関節変性、歯周病、虫歯、寄生虫、肺の煤沈着、軽度の動脈硬化など複数の病変があった。
「最後の食事は肉だけだった」
違う。
アイベックスやアカシカだけでなく、穀物や植物成分も確認されている。
「高脂肪食だったから動脈硬化になった」
証明できない。
最後の一食と長期的な血管病変を直接結びつけることはできない。遺伝、加齢、感染、煙など複数要因が考えられる。
「ライム病だった」
慎重に扱う必要がある。
ボレリア由来とされたDNA証拠は報告されているが、臨床的な発症まで確定したわけではなく、後年の総説でも議論中とされる。
「胃潰瘍だった」
確定していない。
H. pylori感染は確認されたが、感染していたことと胃潰瘍を発症していたことは別である。
「刺青は鍼治療だった」
確定していない。
痛みの出やすい部位との対応は治療説を支持するが、刺青の目的そのものは不明で、体系化された鍼灸と同一視する根拠もない。
「61個の刺青がある」
強い根拠がある。
2015年の多波長撮影による全身マッピングで61個、19群と整理された。[7]
一人の身体から社会を見る
エッツィの健康状態は、一人の特殊な人物だけの話ではない。
歯の虫歯と歯周病は、農耕と穀物利用が定着した生活を反映する。
肺の煤は、室内で火を使う住居環境を反映する。
寄生虫は、現代的衛生設備のない生活圏を反映する。
関節の摩耗は、高い身体活動を反映する。
動脈硬化は、現代病だと思われていた病変が古代にも存在したことを示す。
胃の内容物は、狩猟と農耕が同時に食生活へ入っていたことを示す。
そして刺青は、身体へ意図的に痕跡を残す文化行為が5300年前に存在したことを示す。
つまり、エッツィの身体は個人のカルテであると同時に、銅器時代社会の生活環境を映すセンサーでもある。
「不健康だった」のではなく、病変と共に生きていた
現代医学の診断名を並べると、エッツィは非常に病気が多い人物に見える。
関節症。
歯周病。
虫歯。
寄生虫。
H. pylori。
肺のanthracosis。
動脈硬化。
しかし、これは現代の全身CT、DNA解析、顕微鏡、病理検査を一人の身体へ集中した結果でもある。
現代人でも、同じ密度で全身を調べれば、無症状の所見が複数見つかることは珍しくない。
エッツィが死亡直前まで高山を移動していたことを考えると、病変が即ち重度の機能障害を意味したわけではない。
むしろ重要なのは、複数の慢性的な負担を抱えながら、高い身体活動を維持していたという点である。
病気がなかったのではない。
病変と共に生活していた。
その姿は、古代人を「強靱で病気知らず」と理想化する見方にも、「短命で常に病弱だった」と見る見方にも当てはまらない。
まとめ――身体は、道具よりさらに細かな生活記録だった
CASE058-03では、装備から銅器時代の技術と生活能力を見た。
CASE058-04で身体を見ると、その生活のコストが見えてくる。
山を歩くことで関節は摩耗する。
火を使うことで煤を吸う。
穀物を食べることで歯の病変が増える。
衛生環境の中で寄生虫や細菌と共存する。
高い活動量を持っていても血管変化は起きる。
痛みや不調に対して、何らかの治療的行為を試みた可能性もある。
最後の食事からは、肉、脂肪、穀物を組み合わせた高エネルギーの食事が見える。
刺青からは、身体へ意図的に線と十字を残す文化が見える。
しかし、その意味は一つに決められない。
エッツィの身体が教える最大のことは、5300年前の人間が現代人とはまったく別の生物だった、ということではない。
同じように関節が摩耗し、歯が悪くなり、感染し、食べ、傷つき、身体の不調と付き合っていた。
違うのは、その問題に対処する技術、生活環境、社会の仕組みである。
そして次の記事では、その身体に残った「日常の病変」ではなく、人生の最後を決めた急性外傷へ焦点を移す。
CASE058-05では、左肩の矢尻、血管損傷、手の切創、頭部外傷を時間順に並べ、エッツィの死因について何が確定し、どこから先が未解決なのかを法医学的に検証する。
FACT CHECK|出典・参考資料
- [1] South Tyrol Museum of Archaeology, “The Body.”
- [2] Andreas G. Nerlich et al., “Der Mann aus dem Eis. Lebensszenario und Pathologische Befunde aus 30 Jahren Forschung an der Gletschermumie ‘Ötzi’,” *Der Pathologe*, 2021. PMID: 34240239
- [3] Frank Maixner et al., “The Iceman’s Last Meal Consisted of Fat, Wild Meat, and Cereals,” *Current Biology* 28(14), 2018, 2348–2355.e9. DOI: 10.1016/j.cub.2018.05.067
- [4] James H. Dickson et al., “The omnivorous Tyrolean Iceman: colon contents (meat, cereals, pollen, moss and whipworm) and stable isotope analyses,” *Philosophical Transactions of the Royal Society B* 355, 2000
- [5] Roger Seiler et al., “Oral pathologies of the Neolithic Iceman, c.3,300 BC,” *European Journal of Oral Sciences* 121(3), 2013, 137–141. DOI: 10.1111/eos.12037
- [6] Frank Maixner et al., “The 5300-year-old Helicobacter pylori genome of the Iceman,” *Science* 351(6269), 2016, 162–165. DOI: 10.1126/science.aad2545
- [7] Marco Samadelli et al., “Complete mapping of the tattoos of the 5300-year-old Tyrolean Iceman,” *Journal of Cultural Heritage* 16(5), 2015, 753–758. DOI: 10.1016/j.culher.2014.12.005
- [8] M.A. Pabst et al., “The tattoos of the Tyrolean Iceman: a light microscopical, ultrastructural and element analytical study,” *Journal of Archaeological Science* 36(10), 2009, 2335–2341. DOI: 10.1016/j.jas.2009.06.016
- [9] M. Pabst & F. Hofer, “Deposits of different origin in the lungs of the 5,300-year-old Tyrolean Iceman,” *American Journal of Physical Anthropology* 107(1), 1998. PMID: 9740297
- [10] Aaron Deter-Wolf et al., “The world’s oldest tattoos,” *Journal of Archaeological Science: Reports* 5, 2016, 19–24. DOI: 10.1016/j.jasrep.2015.11.007
アイスマン「エッツィ」|5300年前の男は誰で、なぜ死んだのか 第4回 全8回 全8回を見る
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