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アイスマン「エッツィ」エッツィはどこで育ち、どう移動したのか――同位体・銅の産地・アルプスの交流

エッツィ本人の生活圏・最後の高度移動・物資流通を分けた模式図
REAL CASE FILE / SELF-DIAGRAM Site original

THE QUESTION

エッツィはどこで育ち、どう移動したのか――同位体・銅の産地・アルプスの交流の場所・空間条件は事件理解にどう関わるのか。

STORY SO FAR

前回「DNAが描き直したエッツィ――祖先・肌の色・髪・ゲノムの新像」で確認した論点を受け、この回ではエッツィはどこで育ち、どう移動したのか――同位体・銅の産地・アルプスの交流の場所・空間条件は事件理解にどう関わるのか。を扱う。

エッツィの発見地点は分かっている。

イタリア・南チロルとオーストリアの国境近く、ティーゼンヨッホ、標高約3210メートル。

しかし、その場所が彼の「故郷」だったとは限らない。

人は死んだ場所で生まれるわけではない。
持っている道具の材料が採れた場所へ、本人が必ず行ったとも限らない。

エッツィについては、歯、骨、腸内容物、花粉、銅斧、石器を組み合わせることで、出生・成長、成人期の居住、死亡直前の移動、そして物資の流通圏まで推定されてきた。

その結果、彼がアルプスの南側で育ち、成人後も南アルプスの複数地域を行き来していた可能性は高い。

一方で、「どの村で生まれ、何月何日にどの峠を通ったか」まで復元できるわけではない。

この問題を正しく理解するには、三つを分ける必要がある。

本人の身体が記録する移動。
腸内容物が記録する最後の移動。
道具の材料が記録する物資の移動。

この三つは、重なる部分はあっても同じものではない。

歯は子ども時代、骨は成人期を記録する

エッツィの移動を復元する中心的な方法が同位体分析である。

特に重要なのが、歯のエナメル質と骨の違いだ。

歯のエナメル質は、幼少期に形成された後、基本的には作り直されない。

そのため、エナメル質のストロンチウムや酸素同位体比には、歯が形成された時期に摂取した食物や水、つまり幼少期に暮らした地質・水環境の情報が残る。

一方、骨は生きている間に代謝によって入れ替わる。

骨によって代謝速度は異なるが、成人期の数年から十数年規模の生活環境が反映される。

だから、

歯と骨の値が似ていれば、幼少期と成人期に似た地質・水環境へ住んでいた可能性がある。

値が異なれば、成長後に別の地域へ移動した可能性が出てくる。

エッツィでは、この歯と骨の差が重要な手掛かりになった。

何を測るのか――ストロンチウム・酸素・鉛

2003年のScience論文で、Wolfgang Müllerらはエッツィの歯と骨について、ストロンチウム、鉛、酸素、炭素の同位体を分析した。

さらに腸内容物に含まれる雲母の年代的・地質学的情報も比較した。

ストロンチウムは地質と結びつく。

岩石中のルビジウムとストロンチウムの組成は地質年代や岩石種類によって異なり、風化した土壌から植物へ、植物や動物から人間へ取り込まれる。

酸素同位体は、水循環や気温、高度、降水条件と関係する。

高地と低地、内陸と沿岸では飲み水の酸素同位体組成が変わるため、移動の手掛かりになる。

鉛同位体も地域地質を絞る補助情報になる。

ただし、これらはGPS座標ではない。

同じような地質を持つ離れた谷が、似た同位体値を示すことがある。

水や食料が別地域から運ばれることもある。

そのため同位体分析が示すのは、通常「候補地域」であって、特定の家の位置ではない。

2003年研究――発見地点の南〜南東約60km圏

Müllerらの結論は、エッツィの生育地を、発見地点からおよそ60キロ以内の南または南東側にある複数の谷へ絞れる、というものだった。

これは大きな意味を持つ。

発見地点はアルプス主稜線上に近い。

しかし身体に残った同位体は、北側のオーストリア・エッツタールで育った人物というより、現在のイタリア側、南アルプスの谷の環境と合う。

研究では、石灰岩や玄武岩、特定の火山岩が優勢な地域を排除し、片麻岩や千枚岩などを持つ複数地域を候補として残した。

その候補には、シュナルス谷、フィンシュガウ、ウルテン谷、アイザック谷中部、プスター谷下部などが含まれた。

ここから後続研究では、より具体的に「アイザック川とリエンツ川の合流域付近で幼少期を過ごし、成人後にフィンシュガウ/エッチュ谷方面へ移った可能性」を紹介するものも出た。

ただし、これは一つの解釈モデルである。

2003年論文そのものの強い結論は、出生・幼少期の地域が発見地点の南〜南東約60キロ圏の複数谷に限定され、成人期には異なる地質環境へ移動した可能性があるというところに置くべきである。

なぜ「出生地はここ」と一点指定できないのか

一般向け記事では、エッツィの出生地を「現在のブレッサノーネ付近」と書く例がある。

別の資料では、「シュナルス谷またはフィンシュガウ出身」とされる。

一見すると矛盾して見える。

実際には、研究の対象と精度が違う。

同位体研究では、歯のエナメル質を地域の地質・水環境へ照合する。

照合できる背景試料の密度が低ければ、複数の谷が候補として残る。

後の研究や総説では、花粉、植物遺体、集落分布、装備の型式など別の考古学証拠を加えて、シュナルス/フィンシュガウ地域を生活圏として強調する。

2025年のNature Communications論文も、エッツィの安定同位体研究によって、発見地点に近いシュナルス/セナーレス周辺の複数谷へ起源を絞れると整理している。

したがって、現時点で安全なのは、

南アルプス側の近隣谷で育ち、北側遠方から来た人物ではない

という範囲である。

出生村を一点に固定するより、この方が同位体研究の性質に合う。

成人期には移動していた

2003年研究では、歯のエナメル質と骨の同位体組成が一致しなかった。

これは、子ども時代と成人期に同じ地質環境だけで生活していなかったことを示す。

骨は成人期のより新しい生活環境を反映する。

その値は、エナメル質が示す幼少期環境とは異なり、成人後に別の谷へ移った可能性を支持した。

この結果から、下フィンシュガウやエッチュ谷方向への移動が提案された。

ただし、「永久移住」だったかは分からない。

季節的に低地と高地を移動していた可能性もある。

家畜放牧。
狩猟。
交易。
親族訪問。
資源採取。
社会的用務。

アルプスの谷間を移動する理由はいくつもある。

同位体は移動があった可能性を示すが、移動目的は記録しない。

骨格そのものも「歩く人」を示していた

2006年の身体計測研究でも、エッツィは高い移動性を持つ人物として評価されている。

博物館の研究年表も、この研究を「よく歩いていた人物」と要約する。

これは同位体とは別の証拠である。

骨格形態は長期間の身体活動によって変化する。

日常的に急峻な山地を歩き、荷重を受けていたなら、その身体には活動パターンが反映される。

ただし、骨格だけで移動経路は分からない。

「たくさん歩いた」と「どの谷を歩いた」は別である。

ここでも、異なる種類の証拠を役割ごとに使う必要がある。

最後の約33時間――腸内花粉が残した高度変化

幼少期や成人期の移動とは別に、死亡直前の短期移動を調べる研究もある。

2007年、Klaus Oegglらは、エッツィの消化管を連続的に採取し、各位置に残る花粉と植物遺体を分析した。

食物は腸を移動する。

そのため消化管の異なる位置を調べれば、時間の異なる食事と、その時に周囲で飛んでいた花粉をある程度並べられる。

研究チームが再構成した最後の約33時間は、非常に大きな高度移動だった。

最初は森林限界に近い約2500メートル。

その後、暖地性樹木が生える約1200メートル以下の低地。

最後に、3000メートルを超える恒久雪氷域。

つまり、

高地 → 低地 → 超高地

という移動が、短時間のうちに行われた可能性がある。

これは、エッツィが高山で偶然迷った人物ではなく、谷と高地を行き来することに慣れていたという像とよく合う。

花粉は「ルート地図」ではない

最後の33時間という数字は印象的だが、ここにも注意が必要である。

花粉はGPSではない。

ある植物の花粉が腸にあるからといって、その植物の真横で食事をしたとは限らない。

風で飛ぶ。

食物に付着する。

水や容器へ入る。

花粉の消化管内移動速度にも個人差がある。

また、約1200メートル以下、約2500メートル、3000メートル超という高度帯は、植生帯から推定したものだ。[1]

特定の村や峠を直接示したわけではない。

したがって、「最後の33時間の完全なルート」が復元されたわけではない。

強く言えるのは、短時間に低地と高地を往復する大きな垂直移動があった可能性が高いということまでである。

羊飼いだったのか

高地と低地を移動する人物と聞くと、季節放牧を行う羊飼いが連想される。

実際、エッツィを牧畜者とする説は長く存在した。

しかし、その職業は確定していない。

発見地点周辺で見つかった動物糞の花粉研究では、エッツィの時代に高地放牧が行われていたという単純な説明へ疑問も出ている。

研究プロジェクトでは、紀元前3600~2900年ごろの発見地点の窪地から家畜糞が確認されず、当時その地点が新石器時代の高地放牧と直接結びついていたという解釈を疑問視した。[1]

つまり、

高地をよく歩いた。
谷と山を往復した。

この二つから、

職業は羊飼いだった。

とはならない。

交易者、狩人、牧畜者、地域有力者など複数の役割があり得る。

銅斧――本人ではなく「物」が南トスカーナから来た

CASE058-03で見た銅斧は、移動研究でも重要である。

2017年の鉛同位体分析では、銅刃の金属は南トスカーナの鉱床と強く一致した。

発見地点から数百キロ南である。

この結果だけを見ると、

「エッツィはトスカーナへ行った」

と言いたくなる。

しかし、それは証拠を超える。

分析しているのはエッツィの骨や歯ではなく、斧の銅である。

移動したのは、

鉱石かもしれない。
精錬された銅塊かもしれない。
半製品かもしれない。
完成した斧かもしれない。

複数回の交換を経て南アルプスへ届いた可能性もある。

したがって、銅斧が示すのは本人の旅行ではなく、銅器時代に南トスカーナとアルプス圏を結ぶ金属流通が存在したことである。

ただし銅の流通像も単純ではない

2017年研究は、当時アルプスにも銅鉱床が知られ、利用されていたにもかかわらず、エッツィの斧の銅が南トスカーナ由来だったことを重要視した。

これは、アルプス北側・南側の金属流通が一つの均一市場ではなかった可能性を示す。

文化圏ごとに異なる供給回路があり、その中を銅が移動した。

つまり「近い鉱山から取るのが合理的」とは限らない。

金属には品質、加工技術、社会的価値、交易関係がある。

現代の物流と同じで、地理的最短距離が供給経路を決めるとは限らない。

エッツィの銅斧は、一人の携行品の中に、数百キロ規模の社会的ネットワークが折り畳まれていたことを示す。

石器――少なくとも3地域から来た石材

2018年のPLOS ONE研究では、エッツィが所持した燧石製工具の原材料が詳しく調べられた。

結果、少なくとも3つの異なる南アルプス系供給域が確認された。

完成矢の一つに使われた石材は、トレンティーノのノン谷の露頭と一致した。

この地域はフィンシュガウから直線で約40キロ。

短剣の石材は、南西トレンティーノから来た可能性が高く、フィンシュガウからおよそ60~75キロ。

別の工具に使われたMaiolica系石材は、トレント高原、バルド=ボンドーネ地域、フォルガリア、アジアーゴ、レッシーニ山地、グラッパ山地など、より広い候補域が残る。

石器セットは少数なのに、原料産地は一つではない。

これは重要である。

エッツィは「近所の一つの採石場から石を集め、自分ですべて作った人物」ではなかった可能性が高い。

エッツィは石器の専門職ではなかった

2018年研究は、石器製作技術そのものも分析した。

エッツィは工具を再研磨し、刃を調整する技能は持っていた。

しかし、専門の石器製作者に必要な製作道具一式を持っていたわけではない。

刃材や矢尻の素材は、専門的な製作者または仲介者から手に入れた可能性が高い。

ここから見えてくるのは、銅と同じ構造である。

本人が原料産地まで行ったとは限らない。

専門職が加工し、村や集団を経由し、交換されてきた可能性がある。

実際、エッツィの石器はかなり消耗しており、死亡前には新しい燧石へしばらくアクセスできていなかったと分析されている。

常に自由に原料産地へ行ける人ではなかった。

ネットワークに接続していても、補給にはタイミングがある。

アルプスは「壁」だったのか「道」だったのか

アルプスは高い山脈である。

冬は雪に閉ざされ、峠越えには危険がある。

だから、人間集団を隔てる障壁として機能する。

一方で、谷と峠は明確なルートでもある。

2018年石器研究は、エッツィの工具に北イタリアの型式的特徴だけでなく、スイスのホルゲン文化と比較できる要素があることを指摘した。

フィンシュガウは東スイスの湖沼地域とポー川流域のほぼ中間に位置する。

南アルプスで産出した燧石が北へ運ばれ、文化的様式も峠を越える。

2025年の東イタリア・アルプス古代DNA研究も、アルプスが北と南の文化交流をつなぐ重要な橋である一方、遺伝的には長期間比較的限定された外部流入しか受けなかった可能性を示した。

つまり、アルプスは壁か道か、どちらかではない。

物や知識は通るが、人の大規模な遺伝的置換は限定的だった時期がある。

この二重性がある。

2025年古代DNA研究が加えた背景

CASE058-06では、エッツィ自身の高品質ゲノムから、初期新石器農耕民関連祖先が非常に高いことを見た。

2025年、Nature Communicationsでは、東イタリア・アルプスの先史時代人47個体規模のデータが解析された。

その結果、多くの個体で、エッツィと似た農耕民関連祖先中心の遺伝構造が長く維持されていた。

ステップ牧畜民関連祖先がこの地域で明確に現れるのは、エッツィよりかなり後の紀元前2400年ごろ以降である。

研究は、アルプス地域が物質文化上は広域接触を持ちながら、遺伝的には比較的限定された外部流入のもとで連続性を維持した可能性を示す。

これは、エッツィの道具の「広域性」と、ゲノムの「地域的連続性」が矛盾しないことを説明する。

物が動く距離と、人の集団が移住する距離は同じではない。

本人の移動と物資の移動を分ける

ここまでの証拠を一度整理する。

本人の移動を比較的直接示すもの

歯の同位体。
骨の同位体。
腸内容物。
花粉。
身体活動を反映する骨格。

これらは、エッツィ本人の生涯や最後の時間に結びつく。

物資の移動を示すもの

銅斧の銅。
燧石の地質学的産地。
道具の型式。
衣服や装備の技術比較。

これらは社会の流通圏を示す。

本人の移動と一致する可能性はあるが、直接証明しない。

深い人口史を示すもの

全ゲノム。
Y染色体。
ミトコンドリアDNA。

これらは数世代、数百世代の祖先関係を扱う。

本人の毎日の移動とは時間軸が違う。

この三つを一つの地図へ重ねると、もっともらしい「大旅行記」を作れてしまう。

しかし科学的には、分けた方が正しい。

「トスカーナからスイスまで旅した男」ではない

エッツィの資料を最大限ドラマチックに並べると、

祖先はアナトリア系。
銅はトスカーナ産。
石器はトレンティーノ産。
道具にはスイス文化の影響。
最後はオーストリア国境で死亡。

となる。

ここから「ヨーロッパ中を旅した男」という像を作るのは簡単だ。

しかし証拠はそれを支持しない。

アナトリア系祖先は、エッツィより数千年前にヨーロッパへ拡大した集団の遺伝成分である。

トスカーナ産銅は物資流通。

スイス的な道具特徴は文化的接触。

本人の同位体は、むしろ南アルプスの比較的限られた地域での生活を示す。

つまり、

エッツィ自身の行動圏は地域的だった可能性が高いが、彼が属した社会の物資・技術ネットワークはそれよりはるかに広かった。

これが最も重要な結論になる。

D03――一枚の「ルート図」にしない

本人の移動・最後の高度変化・物資流通を分けた模式図
本人の移動・最後の高度変化・物資流通を分けた模式図 / REAL CASE FILE SELF-DIAGRAM

CASE058-07ではSELF_DIAGRAM D03を使う。

ただし、一本の赤線で、

出生地 → 住居 → トスカーナ → ノン谷 → 発見地点

と結んではいけない。

それは証拠を混ぜた架空の旅程になる。

D03は三層に分ける。

Layer 1:本人の生活圏

南アルプスの候補谷を広い帯で示す。

幼少期候補。
成人期候補。
発見地点。

位置は「candidate zone」として表現し、出生村を一点固定しない。

Layer 2:最後の高度移動

約2500m → 約1200m以下 → 3000m超。

これは2007年の花粉研究に基づく高度帯の移動として示す。

具体的道路や峠を決めない。

Layer 3:物資ネットワーク

南トスカーナ:銅。
ノン谷など南アルプス:燧石。
南西トレンティーノ:短剣石材候補。
スイス方面:型式的類似。

ここは破線にし、「material/cultural circulation」と明記する。

本人がそこへ旅行した線として描かない。

FACT CHECK――移動についてどこまで言えるか

「エッツィは発見地点付近で生まれ育った」

そこまでは言えない。

同位体は発見地点の南〜南東約60キロ以内の複数谷を幼少期候補として示し、発見地点そのものの高地を出生・定住地とはしない。

「ブレッサノーネ付近が出生地だった」

有力な具体案の一つだが、一点確定ではない。

2003年同位体モデルからアイザック/リエンツ合流域を強調する解釈がある一方、後続研究ではシュナルス/フィンシュガウなど南アルプス近隣谷をより広く生活圏として扱う。

「成人後に別地域へ移動した」

支持される。

歯と骨の同位体差は、幼少期と成人期の生活環境が異なることを示す。

ただし永久移住か季節移動かは確定しない。

「最後の33時間に大きな高度移動をした」

2007年花粉分析が支持する。

約2500m付近から約1200m以下へ下り、最終的に3000m超へ戻ったという再構成が提案されている。[1]

「エッツィは羊飼いだった」

未確定。

高い移動性は支持されるが、職業を牧畜者へ限定する直接証拠はない。

「銅斧の銅は南トスカーナ産」

強く支持される。

2017年鉛同位体研究では、アルプス鉱床ではなく南トスカーナ鉱床との一致が示された。

「本人がトスカーナへ行った」

証拠はない。

銅または斧が交易・交換で移動した可能性が高い。

「石器原料は一か所から来た」

違う。

少なくとも3つの南アルプス系供給地域が確認され、ノン谷や南西トレンティーノなどが含まれる。

「アルプスは孤立した世界だった」

違う。

道具と原料は広域接触を示す。一方、2025年古代DNA研究は、文化的接触に比べて外部からの大規模な遺伝的流入は長く限定的だった可能性を示す。

どのくらいの範囲が「日常圏」だったのか

正確な半径は分からない。

しかし、エッツィの身体と道具を合わせると、少なくとも三つの空間スケールが見える。

第一は、数十キロ規模の生活圏。

南アルプスの谷底と高地を行き来する。

第二は、数十~100キロ規模の資源・道具供給圏。

ノン谷、トレンティーノ、さらに南アルプスの複数石材産地。

第三は、数百キロ規模の金属流通・文化交流圏。

南トスカーナの銅。
スイス文化との型式的接触。

一人の人物の生活はローカルでも、使う物はローカルではない。

これは現代社会にも似ている。

日常生活は一つの地域で完結していても、スマートフォンの材料や食品の原料は世界各地から来る。

銅器時代の規模は小さいが、構造は同じである。

エッツィは「アルプスを越える世界」に生きていた

エッツィの時代のアルプスは、無人の自然障壁ではなかった。

谷には集落がある。

高地へ人が入る。

峠を越えて石器、銅、技術、様式が動く。

2003年同位体研究が示した重要点の一つも、後期新石器~銅器時代には中央ヨーロッパのアルプス谷が恒常的に居住されていたことである。

「高山のミイラ」が見つかったことで、エッツィを山中の孤独な例外として考えやすい。

しかし実際には、彼は谷に根を持つ人間だった可能性が高い。

高山は生活圏の外ではなく、谷社会とつながった移動空間だった。

2025年研究で見える「物は動く、人は必ずしも大規模には動かない」

2025年の東イタリア・アルプス古代DNA研究は、この構造をさらに明確にした。

中期新石器から青銅器時代中期まで、多くの個体が似た祖先構成を維持した。

ステップ関連祖先など外部由来の新しい成分は一部個体に入るが、地域全体を急速に置き換えたわけではない。

一方、考古学では遠距離の文化接触が明らかである。

研究者自身も、東イタリア・アルプスの文化発展は断絶的な人口置換より、新しい知識や技術の獲得によって説明できる部分が大きいと論じている。

これはエッツィの斧に非常によく合う。

遠くの銅が来る。

しかし、その銅と一緒に南トスカーナの集団全体が移住してきた証拠はない。

交易・技術伝播と人口移動は別の現象である。

まとめ――本人は南アルプス、ネットワークはもっと遠くへ伸びていた

エッツィの移動を一つのルートに描くことはできない。

だが、空間の階層は見える。

歯の同位体は、幼少期を発見地点の南〜南東約60キロ圏の南アルプス側で過ごした可能性を示す。

骨の同位体は、成人後に別の地質環境へ移動したことを示す。

腸内花粉は、最後の約33時間に低地と高地を大きく往復した可能性を示す。

骨格は、長期間の高い移動性と整合する。

一方、銅斧の銅は南トスカーナから来た。

石器原料はノン谷、南西トレンティーノなど少なくとも複数の地域から来た。

道具の型式にはスイス方面との接触も見える。

したがって、エッツィを理解する最も正確な表現は、

本人の生活圏は南アルプスの比較的近い谷々だった可能性が高いが、彼が属した社会の物資・技術ネットワークは数百キロ先まで伸びていた

というものになる。

これで、CASE058の主要な証拠はほぼ揃った。

発見。
保存。
装備。
身体。
死。
DNA。
移動。

最後のCASE058-08では、これらを時間順に並べ直す。

1991年から35年にわたり、何が確定し、何が否定され、何が今も更新されているのか。

さらに2026年には、エッツィ本人と装備を高精細3Dで保存するデジタルツイン研究も公開された。

次に問うのは、30年以上研究してもなお、なぜエッツィは「解決済み」にならないのかである。

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] Wolfgang Müller, Henry Fricke, Alex N. Halliday, Malcolm T. McCulloch, Jo-Anne Wartho, “Origin and Migration of the Alpine Iceman,” *Science* 302(5646), 2003, 862–866. DOI: 10.1126/science.1089837
  2. [2] Klaus Oeggl, Werner Kofler, Alexandra Schmidl, James H. Dickson, Eduard Egarter-Vigl, Othmar Gaber, “The reconstruction of the last itinerary of ‘Ötzi’, the Neolithic Iceman, by pollen analyses from sequentially sampled gut extracts,” *Quaternary Science Reviews* 26, 2007, 853–861. DOI: 10.1016/j.quascirev.2006.12.007
  3. [3] Ursula Wierer et al., “The Iceman’s lithic toolkit: Raw material, technology, typology and use,” *PLOS ONE* 13(6), 2018, e0198292. DOI: 10.1371/journal.pone.0198292
  4. [4] Gilberto Artioli et al., “Long-distance connections in the Copper Age: New evidence from the Alpine Iceman’s copper axe,” *PLOS ONE* 12(7), 2017, e0179263. DOI: 10.1371/journal.pone.0179263
  5. [5] Andreas G. Nerlich et al., “The Iceman: Life scenarios and pathological findings from 30 years of research on the glacier mummy ‘Ötzi’,” *Der Pathologe* 42(5), 2021, 530–539. DOI: 10.1007/s00292-021-00961-6
  6. [6] South Tyrol Museum of Archaeology, “Milestones in Ötzi research.”
  7. [7] “Genomic diversity and structure of prehistoric alpine individuals from the Tyrolean Iceman’s territory,” *Nature Communications*, 2025. DOI: 10.1038/s41467-025-61601-8
  1. 01 アイスマン「エッツィ」|氷河から現れた死者――1991年、エッツィはどう発見されたのか
  2. 02 アイスマン「エッツィ」|なぜ5300年間残ったのか――エッツィの発見地点と氷河保存の謎
  3. 03 アイスマン「エッツィ」|5300年前の装備は何を語るか――銅斧・弓矢・衣服から見るエッツィの生活
  4. 04 アイスマン「エッツィ」|体に刻まれた生活史――病気・食事・刺青から見えるエッツィ
  5. 05 アイスマン「エッツィ」|エッツィはなぜ死んだのか――矢傷・頭部外傷・最後の数日
  6. 06 アイスマン「エッツィ」|DNAが描き直したエッツィ――祖先・肌の色・髪・ゲノムの新像
  7. 07 アイスマン「エッツィ」|エッツィはどこで育ち、どう移動したのか――同位体・銅の産地・アルプスの交流
  8. 08 アイスマン「エッツィ」|30年以上の研究で何が分かり、何が残ったのか――エッツィ研究の現在地

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