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最終突入で何が起きたのか殉職・負傷・人質救出・5人逮捕

最終突入で何が起きたのか|殉職・負傷・人質救出・5人逮捕

人質・籠城事件

1972年2月28日、午前10時。

あさま山荘を包囲していた警察に、実力行使開始の命令が下った。

籠城開始から10日目。

警察はそれまで、包囲、説得、偵察を続けてきた。

しかし5人は投降しない。

人質も解放されない。

そして山荘内部では、銃器と爆発物を使った抵抗態勢が維持されていた。

警察は最後の投降勧告を行った。

それでも応答はなかった。

放水が始まった。

催涙ガス弾が撃ち込まれた。

鉄球やクレーンによって山荘の壁が破壊されていく。

やがて機動隊員が、できた開口部から内部へ入った。

しかし、そこから事件終結まではさらに約7時間を要する。

午前中だけで複数の警察官が撃たれた。

二人の警察官が、その後死亡する。

午後には手製爆弾が警察官のいる厨房へ投げ込まれた。

夕方になっても、ベッドルームから銃撃は続いた。

そして午後6時台。

機動隊員が最後の部屋へ突入する。

人質は生きていた。

立てこもっていた5人も全員逮捕された。

10日間続いたあさま山荘事件は、ようやく終わった。

この記事で分かること

  • 2月28日の最終突入が何時に始まったのか
  • 一階・二階はどのように制圧されたのか
  • 高見繁光警部はいつ撃たれたのか
  • 内田尚孝警視はいつ撃たれたのか
  • 午後になっても抵抗が続いた理由
  • 手製爆弾がどこで使用されたのか
  • 最後の抵抗拠点がどこだったのか
  • 人質はいつ救出されたのか
  • 5人はいつ全員逮捕されたのか

先に全体像|午前10時に始まり、終結は午後6時台だった

2月28日の最終突入は、「鉄球で壁を壊してすぐ終了」というものではない。

東京高裁判決を基準にすると、約8時間に及ぶ攻防だった。

時刻 主な出来事
8:51 投降勧告・事前警告
9:25 2回目の勧告・警告
9:55 最後の勧告・警告
10:00 強行措置決行
10:30過ぎ 放水・催涙ガス・鉄球による破壊が本格化
11:24ごろ 突入部隊が一階へ進入
11:27ごろ 高見繁光警部が銃撃される
11:30ごろ 一階制圧
11:54ごろ 内田尚孝警視が銃撃される
12:02ごろ 二階制圧
12:26ごろ 高見警部死亡
14:50ごろ 手製爆弾が厨房へ投げ込まれ警察官5人負傷
16:01ごろ 内田警視死亡
16:30過ぎ ベッドルームへの最終制圧開始
18:10ごろ 警察官がベッドルームへ突入
18:15~18:20ごろ 人質救出・5人全員逮捕

最終日の核心は、午前中の「建物への侵入」よりも、その後にある。

一階と二階を制圧しても、事件は終わらなかった。

5人は上部の区画やベッドルーム周辺へ集まり、さらに抵抗を続けた。

午前8時51分|最後の投降勧告

警察は実力行使の直前まで、投降の機会を残していた。

東京高裁判決によれば、2月28日には、

  • 午前8時51分
  • 午前9時25分
  • 午前9時55分

の3回にわたり、投降勧告と強行検挙に入る旨の事前警告が行われた。

それでも5人は山荘から出てこなかった。

午前10時。

警察は強行措置の決行を命じた。

ここで、10日間続いた「包囲を主体とする警備」は、建物内部へ入る作戦へ切り替わった。

午前10時30分過ぎ|山荘の壁が壊され始めた

山荘へ放水が集中した。

催涙ガス弾も撃ち込まれた。

そして鉄球による壁面破壊が始まった。

狙いは前回見たとおり、建物を破壊することそのものではない。

犯人側が監視している既存の玄関だけに頼らず、新しい進入経路を作ることだった。

午前11時5分ごろまでには、玄関や三階便所付近の壁が破られていった。

外から見れば、山荘の形そのものが変わり始めていた。

しかし山荘内部では、犯人側がまだ銃を持っている。

壁に穴が開いたことは、事件が終わったことを意味しない。

ここから人間が入らなければならなかった。

午前11時24分ごろ|最初の部隊が一階へ入る

東京高裁判決では、午前11時24分ごろ、突入部隊が一階へ進入したと認定されている。

約6分後。

午前11時30分ごろには一階が警察側の支配下に入った。

ここだけを見ると作戦は順調に進んでいる。

しかし、そのわずか数分の間に重大な被害が発生した。

午前11時27分ごろ|高見繁光警部が撃たれた

放水による破壊作業の指揮に当たっていた高見繁光警部が、屋根裏方向から散弾銃で撃たれた。

東京高裁判決では、改造された弾丸が左上眼瞼部に命中したと認定されている。

高見警部は重傷を負い、搬送された。

午後0時26分ごろ。

死亡した。

あさま山荘事件で殉職した二人の警察官の一人である。

重要なのは、この時点で一階への突入が始まっていた一方、犯人側にはまだ屋根裏などから外・内部の警察官を狙撃できる場所が残っていたことである。

警察が建物の一部へ入ったことと、建物を制圧したことは同じではなかった。

午前11時42分|厨房への進入

機動隊員は、山荘西側の非常口を破壊して厨房へ入った。

内部にはバリケードが残っていた。

これを撤去しながら進む。

午前11時44分ごろには、一階から二階へ向かって進行を開始した。

しかしその間も、上から銃撃が続いた。

午前11時47分|さらに警察官が撃たれる

山荘へ突入しようとしていた大津高幸巡査が、屋根裏から散弾銃で撃たれた。

大津巡査は重傷を負い、後に左眼を失うことになる。

防弾盾。

放水。

催涙ガス。

壁面破壊。

複数の対策を講じても、銃撃を完全には止められていなかった。

午前11時54分ごろ|内田尚孝警視が撃たれた

数分後、さらに重大な銃撃が起きた。

警視庁第二機動隊を指揮していた内田尚孝警視が、山荘内部の状況を確認しようとして盾から顔を出した。

その瞬間、屋根裏からライフル銃で狙撃された。

弾丸は左上眼瞼部に命中した。

内田警視は重傷。

午後4時1分ごろ、死亡した。

高見警部に続く、二人目の殉職者だった。

表記上の注意|階級が資料によって違って見える理由

東京高裁判決では、銃撃時の階級として「高見繁光警部」「内田尚孝警視」と記録されている。

後年の資料や国会記録では、殉職後の特進を反映した階級で記載される場合がある。

本記事の突入時系列では、司法資料に合わせて事件時の階級表記を基本とする。

正午過ぎ|一階と二階を制圧、それでも5人は残っていた

午前11時56分ごろには、ベッドルーム付近を偵察しようとした上原勉警部も顔面を撃たれて負傷した。

それでも警察側は進んだ。

午後0時2分ごろ。

二階部分の制圧が完了する。

これで警察は一階と二階を押さえた。

しかし犯人5人と人質はまだ確保されていない。

5人は上部の区画、屋根裏、ベッドルーム周辺などを利用して抵抗を続けていた。

山荘の下側から少しずつ警察側の領域が広がる。

一方、犯人側が動ける範囲は徐々に狭くなる。

最終日の攻防は、建物全体を一度に制圧するものではなく、犯人側の占有区域を一つずつ削っていく過程だった。

午後0時33分|屋根裏側も破壊される

屋根裏には銃眼が設けられていた。

そこから警察官への狙撃が行われていた。

午後0時33分ごろ、機動隊は銃眼のある屋根裏の道路側を破壊した。

警察側は、犯人が安全に射撃できる場所そのものを減らそうとしていた。

その後、警察側には威嚇射撃による制圧命令も出された。

ただし、司法資料によれば、警察側の銃器使用は犯人を直接射殺する目的ではなく、最後まで威嚇射撃に限定された。

人質の存在に加え、犯人5人を全員逮捕するという作戦目標が維持されていたからである。

午後0時50分|取材中のカメラマンも撃たれた

銃撃は警察官だけに向けられたわけではない。

午後0時50分ごろ。

山荘南側の山腹で取材していた信越放送のカメラマンが拳銃で撃たれ、負傷した。

東京高裁判決では、報道関係者であると認識したうえで発砲したと認定されている。

山荘周辺では、最終突入開始後も警察官以外の人間が銃撃に巻き込まれる危険が続いていた。

午後、一度進撃が止まる

警察は一階と二階を制圧した。

しかし、そこから一気に最後の部屋へ突入したわけではない。

活動はいったん中断された。

すでに午前中だけで多数の負傷者が出ている。

二人の指揮官が致命傷を負っていた。

犯人側はまだ銃を持っている。

人質も一緒にいる。

警察は再び、上部の区画をどう制圧するかを考えながら進まなければならなかった。

そして、この停止中にも犯人側は反撃の機会を狙っていた。

午後2時50分|厨房へ手製爆弾が落ちてきた

午後2時50分ごろ。

事件は再び大きく動く。

犯人側は、警察官が厨房にいることを把握した。

坂口弘が手製爆弾に点火。

天井付近に作られていた屋根裏への穴を利用して投げ込んだ。

爆弾は天井の破れ目から厨房へ落下した。

爆発。

東京高裁判決では、この一発によって警察官5人が負傷したと認定されている。

警察はすでに厨房を「制圧した」と考えられる状態にしていた。

しかし、その頭上にはまだ犯人側が利用できる空間があった。

一つの部屋を占拠しても、上下方向まで完全に安全になったわけではない。

あさま山荘の複雑な内部構造が、最後まで警察を苦しめた。

資料差|爆発による負傷者数

事件終結3日後の警察庁による国会報告では、この爆発による負傷を「警察官3人」と報告している。

一方、後の東京高裁判決では5人の警察官が負傷したと認定されている。

本記事では、刑事裁判で証拠を整理した後年の司法認定を基準として5人とする。

事件直後の速報的な公式報告と、後に確定した司法資料で数字が変わる例として区別して扱う。

午後3時58分ごろ|まだ銃撃は終わらない

午後4時が近づいていた。

実力行使開始からすでに約6時間。

それでも犯人側は銃撃を続けていた。

午後3時58分ごろには、山荘南東側から偵察していた警察官2人が散弾銃で撃たれ、負傷した。

警察が一階と二階を制圧しても、犯人側にはまだ外へ射撃できる場所が残っていた。

そして午後4時1分ごろ。

午前中に撃たれていた内田尚孝警視が死亡した。

警察側は二人の殉職者を出した。

それでも、人質はまだ山荘の中にいた。

午後4時30分過ぎ|最後の抵抗拠点はベッドルームへ

午後4時30分を過ぎたころ。

機動隊はベッドルームに対する本格的な制圧行動を開始した。

事件初日から、人質が主に置かれていた場所でもある。

5人も最終的にこの周辺へ集まっていた。

警察は威嚇射撃を行いながら、入口付近のバリケードを撤去。

さらに壁を破壊して接近した。

山荘全体を巡る攻防は、最後の数部屋へ収束していった。

午後5時20分ごろ|ベッドルームへ入ろうとした警察官が撃たれる

午後5時20分ごろ。

廊下からベッドルームへ突入しようとした鬼沢貞夫巡査が撃たれた。

弾丸は眼部に命中した。

事件終結まで残り1時間ほど。

それでも山荘内部へ最初に顔を出す警察官には、重大な危険が残っていた。

午後5時48分ごろには、談話室側からベッドルームへ向けた放水によって壁が破られた。

警察側は、さらに別方向から内部を見ることができるようになった。

午後5時55分ごろ|再び顔面への銃撃

破壊された場所からベッドルーム内部を確認しようとした目黒成行巡査部長が、銃撃を受けた。

顔面に弾丸が命中し、負傷した。

最後の部屋に近づくほど、距離は短くなる。

警察と犯人側の射撃距離も縮まる。

外から鉄球で壁を壊していた段階とは、まったく違う危険が生じていた。

午後6時9~10分ごろ|最後の突入

午後6時を過ぎた。

実力行使開始から約8時間。

事件終結直後の国会報告では、午後6時9分に警察官がベッドルームへ突入したと報告されている。

東京高裁判決では、午後6時10分ごろにベッドルーム内へ突入した警察官への銃撃が認定されている。

距離は至近距離だった。

遠藤正裕巡査が、坂東国男から拳銃で眼部を狙われ、負傷した。

後に右眼を失う重傷となった。

つまり、5人の逮捕直前まで実弾による抵抗が続いていた。

午後6時15~20分|人質救出、5人全員逮捕

ここで10日間の事件が終わる。

事件終結3日後の警察庁による国会報告では、

午後6時15分、人質を無事救出し、犯人5人を順次逮捕した

とされている。

一方、後の東京高裁判決では、

午後6時20分、5人を次々に逮捕するとともに人質を救出した

と認定されている。

数分の差がある。

これは「人質を警察側が確保した時点」「5人全員の逮捕が完了した時点」など、記録対象の違いによる可能性がある。

本シリーズでは無理に一つの分刻み時刻へ統一しない。

午後6時15~20分ごろ、人質救出と5人全員の逮捕が完了した

と整理する。

結果 内容
人質 生存して救出
坂口弘 逮捕
坂東国男 逮捕
吉野雅邦 逮捕
加藤倫教 逮捕
加藤元久 逮捕

警察側が最初から掲げていた二つの主要目標、

「人質の安全救出」

と、

「犯人全員の逮捕」

は達成された。

5人はその場で射殺されることなく確保された。

人質はどのような状態だったのか

人質となっていた管理人の妻は、10日間山荘内に監禁されていた。

救出後、軽井沢病院へ搬送された。

事件終結直後の警察庁国会報告によれば、疲労は非常に激しかったものの、医師は心身に重大な異常はなく、休養によって回復すると診断したと報告している。

つまり、警察が10日間最優先としていた目的は達成された。

人質は生きて山荘から出た。

しかし、警察側の三つ目の目標だった「受傷事故の絶無」は達成できなかった。

二人の警察官が殉職した

最終突入で死亡した警察官は二人。

氏名 銃撃 死亡
高見繁光警部 11:27ごろ 12:26ごろ
内田尚孝警視 11:54ごろ 16:01ごろ

二人とも、午前中の比較的早い段階で撃たれている。

つまり、最終作戦の最大の人的犠牲は「最後の部屋へ入った瞬間」ではなく、まだ警察が山荘内部の支配範囲を広げていた段階で生じていた。

警察庁『昭和48年 警察白書』は、事件全体で警察官2人が殉職し、26人が重軽傷を負ったと総括している。

さらに一般人1人が死亡し、1人が負傷した。

人質救出は成功した。

しかし、無傷で終わった作戦ではない。

なぜ警察側にもこれほど負傷者が出たのか

2月28日の時系列を見ると理由が分かる。

警察官が撃たれた場面は一つではない。

  • 放水・破壊作業を指揮している最中
  • 山荘へ接近している最中
  • 盾から顔を出して内部を確認した瞬間
  • ベッドルーム付近を偵察した瞬間
  • 厨房内にいるところへ爆弾を投げ込まれたとき
  • 最後の部屋へ突入しようとした瞬間

異なる局面で繰り返し被害が発生している。

犯人側には、

  • 拳銃
  • ライフル銃
  • 散弾銃
  • 手製爆弾

が残されていた。

しかも屋根裏や壁の銃眼、ベッドルームなど、建物内部から警察官を狙える。

防弾盾や車両を使用しても、内部を確認するためにはどこかで顔や身体を露出しなければならない。

その一瞬が狙われた。

警察側はどれだけの装備を使ったのか

東京高裁判決には、2月28日一日だけで警察が使用した装備量も記録されている。

装備 2月28日の使用量
発煙筒 12個
催涙ガス弾 1,489発
放水 148.5トン
拳銃 16発

警察官は1,635人が配備されたと判決には記録されている。

一方、犯人側も午後5時ごろまでに確認されたものだけで40発を発砲。

その後もベッドルーム内外で複数回の乱射を行い、手製爆弾も使用した。

この数字を見ると、2月28日が単純な「突入」ではなく、長時間の武装抵抗下で行われた人質救出作戦だったことが分かる。

警察は犯人へ直接銃撃しなかったのか

東京高裁判決は、警察側について、犯人制圧時も銃の使用を威嚇射撃にとどめたと評価している。

理由は二つある。

第一に、人質がいる。

第二に、犯人5人を全員逮捕するという作戦目標がある。

その結果、警察側は放水、催涙ガス、建物破壊、防弾盾などを大量に使用しながら、少しずつ内部へ進んだ。

これは警察官側の危険を増やす面もあった。

それでも最終的に5人は生きたまま逮捕された。

FACT CHECK|「銃撃戦」という言葉について

警察白書などは事件を「銃撃戦」と表現することがある。

ただし、双方が同じように相手を射殺する目的で銃を撃ち合っていたという意味ではない。

東京高裁判決では、警察側の銃器使用は最後まで威嚇射撃に抑制されていたと認定されている。

本シリーズでは、この非対称性を区別する。

午後6時台|10日間の籠城が終わった

2月19日午後3時半ごろ。

5人があさま山荘へ入った。

管理人の妻を拘束した。

午後4時ごろには警察官への最初の発砲が始まった。

それから10日。

2月28日午後6時台。

警察官が最後のベッドルームへ入った。

銃撃を受けながら5人を確保した。

人質も救出した。

東京高裁判決が事件の終結時刻として記録しているのは、午後6時20分ごろである。

あさま山荘事件という「人質籠城事件」は、ここで終わった。

しかし、連合赤軍事件そのものは終わっていない。

山荘から5人が逮捕されたことで、警察は彼らから事情を聴くことができるようになる。

そして捜査が進むにつれ、山岳アジトで起きていた12人死亡の事件も社会の前に姿を現していく。

あさま山荘事件の終結は、別の事件の全容が明らかになる入口でもあった。

最終突入を時系列で見る

8:51
第1回投降勧告

9:25
第2回投降勧告

9:55
最後の投降勧告

10:00
強行措置決行

10:30過ぎ
放水・催涙ガス・壁面破壊

11:24
一階突入

11:27
高見警部銃撃

11:30
一階制圧

11:54
内田警視銃撃

12:02
二階制圧

14:50
厨房で手製爆弾爆発

16:30過ぎ
ベッドルーム制圧開始

17:20
突入警察官が銃撃される

18:09~10
最後の突入

18:15~20
人質救出・5人全員逮捕

まとめ|人質は救出された。しかし「無事な作戦」ではなかった

1972年2月28日午前10時。

警察は強行措置を開始した。

放水。

催涙ガス。

鉄球。

壁面破壊。

複数方向からの機動隊進入。

午前11時24分ごろには一階へ入った。

正午過ぎには一階と二階を制圧した。

しかし抵抗は終わらなかった。

屋根裏から銃撃が続いた。

高見繁光警部が撃たれ、死亡した。

内田尚孝警視も撃たれ、死亡した。

午後2時50分ごろには手製爆弾が厨房へ投げ込まれ、警察官5人が負傷した。

夕方になっても銃撃は続いた。

そして午後6時台。

警察は最後の抵抗拠点だったベッドルームへ入った。

人質を救出。

坂口弘。

坂東国男。

吉野雅邦。

加藤倫教。

加藤元久。

5人全員を逮捕した。

警察側が10日間掲げ続けた、

「人質を生きて救出する」

「犯人5人を全員逮捕する」

という二つの目標は達成された。

しかし、その代償は大きかった。

事件全体で警察官2人が殉職。

26人が重軽傷。

一般人1人が死亡し、1人が負傷した。

最終日の映像は、日本中へ生中継された。

壁へぶつかる鉄球。

大量の放水。

盾を持って進む機動隊。

そして、長時間画面の前から離れなかった視聴者。

あさま山荘事件は、人質籠城事件であると同時に、日本のテレビ史にも残る出来事になった。

次回は山荘の内部から、テレビの向こう側へ視点を移す。

なぜ日本中が、この一日の中継を見続けたのか。

そして、なぜ現在まで「あさま山荘事件」と聞くと、鉄球とカップヌードルの映像が語られるのか。


CASE FILE 37|全10回

今回出てきた言葉

高見繁光警部
2月28日の最終突入で放水・破壊作業の指揮中に銃撃を受け、死亡した警察官。後年資料では殉職後の特進を反映した階級で表記される場合がある。
内田尚孝警視
警視庁第二機動隊を指揮していた警察官。山荘内部を確認しようとした際に屋根裏から狙撃され、同日午後死亡した。
威嚇射撃
相手を直接射殺することを目的とせず、行動を抑止するために行う射撃。東京高裁判決では、警察側の銃器使用が最後まで威嚇射撃に抑制されていたと認定されている。
手製爆弾
犯人側が独自に製造した爆発物。2月28日午後2時50分ごろ、屋根裏側から厨房へ投げ込まれ、司法認定では警察官5人が負傷した。
ベッドルーム
山荘三階にあった部屋。人質が主に監禁され、坂口らの拠点となった。最終的に5人が追い詰められた最後の主要抵抗区画となった。

出典・参考資料

  • 東京高等裁判所 昭和57年(う)1330号判決
    2月28日の投降勧告、午前10時の強行措置開始、一階・二階の制圧、高見繁光警部・内田尚孝警視への銃撃、厨房への手製爆弾投擲、夕方のベッドルーム攻防、午後6時20分ごろの5人逮捕・人質救出までの詳細な時系列について主要資料として参照。
  • 第68回国会 参議院地方行政委員会 第2号(1972年3月3日)
    事件終結3日後の警察庁による公式報告。午後3時30分以降の制圧、午後6時9分の最終突入、午後6時15分の人質救出、5人の順次逮捕、救出直後の人質の健康状態について参照。
  • 警察庁『昭和48年 警察白書』第7章「公安の維持」
    人質の無事救出、犯人5人全員検挙、警察官2人殉職・26人重軽傷、一般人1人死亡・1人負傷という事件全体の公式集計に参照。
  • 警察庁『昭和63年 警察白書』
    10日間にわたり銃器・爆発物を使用して警察部隊と対峙し、最終的に5人全員が検挙されたという後年の公式整理に参照。

時刻差について:
事件終結直後の1972年3月3日の国会報告は午後6時15分に人質救出・犯人5人の順次逮捕としています。一方、後の東京高裁判決は午後6時20分に5人を逮捕するとともに人質を救出したと認定しています。本記事では記録対象の違いを考慮し、「午後6時15~20分ごろ」と整理しています。

負傷者数について:
事件直後の速報的な国会報告と、後の警察白書・刑事裁判では一部の負傷者集計が異なります。本シリーズでは最終的な事件全体の人数について警察庁白書の「警察官2人殉職、26人重軽傷、一般人1人死亡、1人負傷」を基準とし、個別行為については東京高裁判決を優先します。

警察官の階級について:
高見繁光・内田尚孝両名は殉職後の特進により、後年資料では「警視正」「警視長」等の階級で記載される場合があります。本記事の突入時系列では、東京高裁判決が事件時について用いる「高見警部」「内田警視」を基本表記としています。