1972年2月28日。
テレビ画面の中で、一つの山荘へ大量の水が噴きつけられていた。
巨大な鉄球が壁へぶつかる。
盾を持った機動隊員が、少しずつ建物へ近づく。
ときおり負傷した警察官が運び出される。
しかし、山荘の中はほとんど見えない。
人質は生きているのか。
5人はどこにいるのか。
次に何が起こるのか。
その答えを、テレビを見ている側も知らなかった。
中継は午前から続いた。
昼を過ぎた。
午後になった。
それでも事件は終わらない。
そして夕方。
人質救出と5人逮捕が目前に迫った時間帯には、NHKと民放を合わせたテレビ視聴率が89.7%に達したと記録されている。
あさま山荘事件は、一つの人質事件であると同時に、日本のテレビ史に残る巨大な生中継になった。
そして、その画面の片隅にはもう一つ、後世まで語られるものが映っていた。
湯気の立つ白い容器。
発売からまだ半年ほどしかたっていなかった、日清食品の「カップヌードル」である。
この記事で分かること
- 「視聴率89.7%」とは何の数字なのか
- NHK単独の平均視聴率はどれくらいだったのか
- なぜ長時間の中継がこれほど見られたのか
- 鉄球の映像が事件の象徴になった理由
- テレビが事件の「共通体験」をどう作ったのか
- カップヌードルは本当にあさま山荘事件で有名になったのか
- 事件当時、カップヌードルはどの程度新しい商品だったのか
- 「弁当が凍ったからカップヌードル」という逸話をどう扱うべきか
先に結論|89.7%は「一つの番組」の視聴率ではない
あさま山荘事件について調べると、非常に高い確率でこの数字が出てくる。
89.7%。
あまりにも大きいため、
「NHKのあさま山荘事件中継が89.7%を記録した」
と理解されることもある。
しかし、この理解は正確ではない。
まず、ビデオリサーチが現在公開している歴代高世帯視聴率番組の記録を確認すると、1972年2月28日のNHK総合は次のようになっている。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 番組名 | ニュース(連合赤軍・浅間山荘事件) |
| 放送日 | 1972年2月28日 |
| 開始 | 9時40分 |
| 放送時間 | 640分 |
| 平均世帯視聴率 | 50.8% |
640分。
つまり10時間40分である。
一つのニュース番組が午前9時40分から約10時間40分放送され、その全時間帯の平均世帯視聴率が50.8%だった。
これだけでも極めて大きな数字である。
一方、89.7%は別の指標である。
広く記録されているのは、事件終結が近づいた18時26分ごろ、NHKと民放を合わせたテレビ視聴率が89.7%に達したというものだ。
つまり、
50.8%
NHK総合の長時間報道番組の平均世帯視聴率
89.7%
特定時点でNHK+民放を合計した視聴率として広く記録される数字
である。
二つを同じ「番組視聴率」として扱ってはいけない。
FACT CHECK|「日本人の89.7%が見ていた」でもない
89.7%は一般にビデオリサーチの関東地区のデータとして引用されている。
したがって、「日本国民の89.7%が同時に見ていた」と人口比へそのまま置き換えるのも正確ではない。
本シリーズでは、「NHK・民放を合わせた関東地区のテレビ視聴率が89.7%に達した」と整理する。
NHKだけでも、10時間40分平均50.8%
89.7%という数字ばかりが目立つが、むしろ異常さが分かりやすいのはNHKの50.8%かもしれない。
一瞬だけ50%を超えたのではない。
ビデオリサーチの記録では、9時40分開始、640分の番組平均で50.8%である。
朝。
昼。
午後。
夕方。
長時間にわたって大量の世帯がテレビを見続けていたことになる。
番組内容は、完成したドキュメンタリーではない。
結末を編集したニュース特集でもない。
現場でその瞬間に起きている事件だった。
だからテレビを見る側にも、いつ終わるか分からない。
これが生中継の最大の特徴だった。
なぜ、これほど長時間見続けられたのか
あさま山荘事件には、テレビ中継と極めて相性の強い条件が重なっていた。
1.結末が誰にも分からなかった
現在の私たちは結末を知っている。
人質は救出される。
5人は全員逮捕される。
しかし2月28日の視聴者には分からない。
警察が壁を壊している。
銃撃も起きている。
負傷者が運び出される。
それでも山荘内の様子は見えない。
次の数分で事件が終わる可能性もある。
逆に夜まで続く可能性もある。
画面から離れれば、その瞬間を見逃す。
この構造が長時間視聴を生みやすかった。
2.出来事が「見える」事件だった
警察捜査の多くはテレビ向きではない。
事情聴取。
鑑識。
捜索。
内部会議。
重要ではあっても、カメラで見て分かる変化は少ない。
しかし2月28日のあさま山荘では、外からでも状況の変化が見えた。
放水が始まる。
鉄球が動く。
壁が壊れる。
警察官が前進する。
負傷者が搬送される。
建物の姿が少しずつ変わる。
事件内部の核心は見えなくても、「何かが進んでいる」ことは映像だけで分かった。
3.複数の放送局が同じ出来事を追っていた
89.7%という数字の意味はここにある。
一つの放送局だけに視聴者が集中したのではない。
NHKと複数の民放が、同じ事件の進行を報道していた。
視聴者がチャンネルを変えても、再びあさま山荘の映像へ行き着く状況が生じる。
このため事件は、一つの局のニュース番組ではなく、テレビというメディア全体が追う出来事になった。
4.事件終結の瞬間が夕方まで延びた
午前10時に実力行使が始まった。
しかし正午になっても終わらない。
午後になっても終わらない。
最終的に人質救出・5人逮捕が完了するのは午後6時15~20分ごろだった。
朝から見ていた人にとって、夕方は「もうすぐ終わるかもしれない」時間でもあった。
そして89.7%が記録されたとされる18時26分は、まさに事件終結直後の時間帯である。
テレビ画面では「内部」が見えなかった
ここには一つの逆説がある。
あさま山荘事件は映像として非常に強い事件だった。
しかし、視聴者が本当に知りたい場所は映っていない。
山荘内部である。
カメラが映せるのは外側だった。
- 山荘の外観
- 警察部隊
- 放水
- 鉄球
- 車両
- 搬送される負傷者
人質がどこにいるのかは見えない。
5人が何をしているのかも分からない。
警察官が内部のどこまで進んだのかも、映像だけでは完全には分からない。
つまり視聴者は、事件を大量に見ているのに、核心部分は見えない状態だった。
この情報不足もまた、画面から離れにくくする要因になった。
鉄球はなぜ「あさま山荘事件そのもの」のように記憶されたのか
第7回で見たとおり、鉄球は最終突入作戦の一要素でしかない。
放水。
催涙ガス。
特型車。
複数方向からの突入。
階段の閉塞。
区画ごとの制圧。
実際の作戦は複雑だった。
しかし、これらは映像だけでは役割が分かりにくい。
鉄球は違う。
大きな鉄の塊が動く。
壁にぶつかる。
壁が壊れる。
一目で理解できる。
しかも何度も繰り返される。
結果として、作戦全体の中では一つの工具だった鉄球が、視聴者にとっては「事件が動いていることを示す映像的シンボル」になった。
FACT CHECK|鉄球は事件を終わらせた「決定兵器」ではない
鉄球で壁を破壊した後も銃撃は続き、警察官2人が殉職した。
最終的な人質救出には、機動隊員が建物内部へ入り、階・部屋ごとに進む必要があった。
テレビ史上の象徴性と、作戦上の実際の役割は分けて考える必要がある。
もう一つテレビに映ったもの|カップヌードル
鉄球とはまったく異なる形で、あさま山荘事件と結びついたものがある。
カップヌードルである。
日清食品の公式社史には、山荘を包囲する警察官の非常用食料としてカップヌードルが配られ、それを食べている様子がテレビ中継で繰り返し映ったと記録されている。
商品が発売されたのは、事件前年の1971年9月18日。
つまり事件当時、発売から約5か月だった。
現在のような定番商品ではない。
まだ市場に登場して間もない、新しいタイプの即席麺だった。
事件以前のカップヌードルは、まだ「どこでも売っている商品」ではなかった
日清食品の公式年表を見ると、発売直後の販売状況が分かる。
1971年9月18日、新宿の伊勢丹百貨店を皮切りに本格販売を開始。
しかし当初は、店頭に十分並ぶ商品ではなかった。
そのため日清食品は、夜勤のある、
- 消防署
- 警察署
などの特殊な販売ルートにも力を入れていた。
この点は、あさま山荘事件との接続を理解するうえで重要である。
事件当日に突然、警察が未知の商品を採用したというより、発売初期から警察・消防のような勤務環境も販売先として意識されていた。
なぜ現場でカップヌードルが役立ったのか
カップヌードルには、屋外の長時間警備と相性のよい構造があった。
容器そのものが食器になる。
別の鍋で麺を煮る必要がない。
熱湯を入れれば調理できる。
一人分ずつ配ることができる。
大量の食器を準備する必要も少ない。
2月の軽井沢で多数の警察官が交代しながら警備を続ける状況では、こうした特徴に実用上の意味がある。
そして、その場面をテレビカメラが捉えた。
カップヌードルを食べる機動隊員が全国へ映った
日清食品は現在の公式社史で、あさま山荘事件について、
警察官がカップヌードルを食べる様子がテレビ中継で繰り返し映され、その後商品が急速に売れるようになり、生産が追いつかなくなったと説明している。
別の公式企業史でも、この出来事が商品の人気を決定づける契機になったと位置づけている。
広告ではない。
商品説明でもない。
事件現場で警察官が実際に使っている。
しかも、その映像を非常に多くの視聴者が見ている。
結果としてカップヌードルは、意図しない形で巨大なテレビ露出を得た。
ただし「事件のおかげでカップヌードルが誕生した」は間違い
時系列を確認すれば分かる。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1971年5月 | カップヌードル発表会 |
| 1971年9月18日 | 本格発売開始 |
| 1971年10月 | 専用の関東工場完成 |
| 1971年11月 | 銀座歩行者天国などで販売 |
| 1972年2月 | あさま山荘事件 |
商品そのものは事件より前に開発・発売され、生産体制も作られていた。
したがって正確には、
「あさま山荘事件でカップヌードルが生まれた」のではなく、「発売初期の商品がテレビ中継を通じて極めて大きな認知を得た」
という関係になる。
「弁当が凍ったのでカップヌードルになった」はどこまで事実か
あさま山荘事件とカップヌードルについては、よく次のように説明される。
「軽井沢が寒すぎて弁当が凍ってしまったため、温かいカップヌードルが配られた」
非常に分かりやすい話である。
しかし、本シリーズではこの部分を公式確認済みの中核事実には置かない。
日清食品の現在の公式社史で明確に確認できるのは、
- 警察官の非常用食料としてカップヌードルが配られた
- 食べる様子がテレビ中継で繰り返し映った
- その後、販売が急増して生産が追いつかなくなった
というところまでである。
弁当の凍結に関する逸話は後年広く語られているが、この記事ではそれを必要以上に確定事実化しない。
FACT GATE|カップヌードル
FACT:1971年9月18日に発売済みだった。
FACT:発売初期には警察署・消防署など特殊ルートへの営業を行っていた。
FACT:あさま山荘事件で警察官の非常用食料として配られた。
FACT:食べている姿がテレビ中継に繰り返し映った。
日清食品による企業史上の評価:その後、販売が急速に伸び、生産が追いつかなくなった。
本記事で確定しない:「弁当が凍ったことだけを理由に採用された」という単一原因の逸話。
企業史の証言と、第三者データは分ける
ここにも資料の種類の違いがある。
テレビ視聴率については、ビデオリサーチの記録を利用できる。
一方、
「あさま山荘事件によってカップヌードル人気が決定的になった」
という評価は、主として日清食品自身の企業史に記録されている。
企業自身が自社商品の歴史を振り返った資料である以上、その性質は明示しておく必要がある。
ただし、
- 事件現場で配られたこと
- テレビに映ったこと
- 発売から約5か月の新商品だったこと
自体は、商品史を考えるうえで十分重要である。
事件と商品が結びついたのは、テレビが「周辺」まで映したからだった
警察が何を食べているかは、事件の核心ではない。
人質救出にも、犯人逮捕にも直接関係しない。
しかし長時間の生中継では、常に鉄球や銃撃だけを映せるわけではない。
待機する警察官。
車両。
報道陣。
休憩。
食事。
現場周辺にあるものまで画面に入る。
その結果、本来事件とは関係の薄い商品が、事件を見ていた大量の視聴者の記憶へ残った。
これは長時間生中継特有の現象でもある。
テレビが作った「あさま山荘事件の記憶」
現在、事件を直接体験していない世代が「あさま山荘事件」と聞いて思い浮かべるものには偏りがある。
鉄球。
放水。
雪。
機動隊。
カップヌードル。
しかしCASE37でここまで見てきたように、事件を成立させた重要な要素はそれだけではない。
榛名山のアジト発覚。
5人の逃走。
さつき山荘。
人質確保。
10日間の説得。
山荘内部のバリケード。
警察官への銃撃。
家族による呼びかけ。
内部で出た人質解放案。
こうした出来事の多くは、テレビカメラから見えない。
そのため社会的記憶には、「テレビで見えた部分」が強く残った。
鉄球とカップヌードルに共通するもの
まったく違う二つに見える。
鉄球は警察作戦の装備。
カップヌードルは食事。
しかし、後世まで残った理由には共通点がある。
テレビ画面だけで意味を理解しやすかった。
鉄球が壁へ当たれば、誰でも「山荘を壊している」と分かる。
警察官が湯気の出るカップを持って食べていれば、「現場で温かいものを食べている」と分かる。
複雑な政治思想や警察指揮系統の説明は必要ない。
一枚の映像として成立する。
長時間生中継の中で、そのような視覚的に強い場面が繰り返し映った。
それが事件の象徴になっていった。
「テレビ史上の事件」と呼ぶ意味
あさま山荘事件の重要性は、視聴率が高かったことだけではない。
テレビを通じて、多くの視聴者が同じ現実の出来事の結末を同時に待ったことにある。
映画ではない。
ドラマでもない。
スポーツ中継でもない。
現実の人質事件である。
しかも、警察側にも死傷者が出ている。
それが編集済みの映像ではなく、その時間に進行している。
視聴者と警察の間にある時間差は非常に小さい。
鉄球が動けば、その瞬間を見る。
負傷者が運ばれれば、その映像を見る。
夕方になって人質が救出されれば、その結末を同じ日に知る。
事件はテレビを通して、巨大な同時体験になった。
数字をもう一度整理する
| 数字 | 何を意味するか |
|---|---|
| 640分 | ビデオリサーチ記録上のNHK総合ニュース放送時間 |
| 50.8% | 同番組の平均世帯視聴率 |
| 89.7% | 18時26分ごろのNHK+民放を合わせたテレビ視聴率として広く記録される値 |
特に重要なのは、50.8%と89.7%を混ぜないことである。
NHKの番組視聴率89.7%ではない。
また89.7%は関東地区のテレビ視聴データとして引用されるもので、全国人口の89.7%を意味するわけでもない。
それでも、長時間のNHK中継が平均50.8%を記録し、事件終結時にテレビ視聴そのものが極めて高い水準へ達していたことは変わらない。
まとめ|日本が見ていたのは、「まだ結末のない事件」だった
1972年2月28日。
警察は午前10時に実力行使を開始した。
その様子はテレビで長時間中継された。
放水。
鉄球。
機動隊。
破壊されていく山荘。
搬送される負傷者。
しかし人質の姿は見えない。
5人の姿もほとんど見えない。
視聴者は、事件の外側を見ながら、内部で何が起きているかを待ち続けた。
ビデオリサーチの公式記録では、NHK総合の約10時間40分のニュース番組は平均世帯視聴率50.8%。
そして事件終結直後の18時26分ごろには、NHKと民放を合わせた視聴率が89.7%に達したと広く記録されている。
その長時間中継の中で、作戦の一部だった鉄球が事件全体の象徴になった。
そして、現場で警察官に配られた発売約5か月のカップヌードルも、テレビ画面を通じて大量の視聴者の目に入った。
日清食品の公式社史は、この露出の後に商品が急速に売れ、生産が追いつかなくなったと記録している。
あさま山荘事件を後世に残したのは、事件そのものだけではない。
テレビが何を映し、視聴者が何を繰り返し見たか。
それが事件の記憶の形を大きく決めた。
しかし、2月28日午後6時台でCASE37はまだ終わらない。
5人は逮捕された。
ここから裁判が始まる。
山岳ベース事件の全貌も明らかになる。
警察は銃器・爆発物事件への装備と対応を見直す。
そして連合赤軍という組織は、社会からまったく違う目で見られるようになっていく。
最終回は、山荘の「その後」を追う。
あさま山荘事件は、裁判、警察、社会に何を残したのか。
CASE FILE 37|全10回
- あさま山荘事件とは何だったのか|10日間の籠城と人質救出の全体像
- なぜ連合赤軍5人はあさま山荘へ逃げ込んだのか|山岳アジト発覚から軽井沢まで
- 2月19日、あさま山荘で何が起きたのか|人質確保と籠城開始
- 警察はなぜすぐ突入しなかったのか|「人質の安全」を最優先した包囲作戦
- なぜ籠城は10日間も続いたのか|厳寒・地形・銃器・山荘構造
- 説得はなぜ成立しなかったのか|家族の呼びかけと山荘内の断絶
- 2月28日の突入作戦はどう組み立てられたのか|放水・装甲車・鉄球
- 最終突入で何が起きたのか|殉職・負傷・人質救出・5人逮捕
- なぜ日本中がテレビに釘付けになったのか|生中継とカップヌードル【現在の記事】
- あさま山荘事件は何を残したのか|裁判・警察装備・社会的記憶
今回出てきた言葉
- 世帯視聴率
- テレビを所有する調査対象世帯のうち、ある番組や時間帯を視聴していた世帯の割合を示す指標。現在の個人視聴率とは区別する必要がある。
- 総視聴率/複数局合計
- 本記事では、NHKと民放を合わせた特定時点のテレビ視聴を説明するために使用している。89.7%を一つの放送局・一番組の視聴率とは扱わない。
- カップヌードル
- 日清食品が1971年9月18日に本格発売したカップ入り即席麺。あさま山荘事件当時は発売から約5か月で、現場の警察官へ非常用食料として配られ、食べる姿がテレビ中継に映った。
- 鉄球
- 2月28日の最終突入で山荘壁面を破壊するために使用された装備の一つ。作戦全体のごく一部だったが、テレビ映像によって事件を象徴する存在となった。
出典・参考資料
- ビデオリサーチ「全局高世帯視聴率番組50」
1972年2月28日のNHK総合「ニュース(連合赤軍・浅間山荘事件)」について、9時40分開始、640分、平均世帯視聴率50.8%という公式記録の確認に使用。 - 共同通信「あのころ『あさま山荘事件』が発生」
現在の報道機関による事件回顧として、テレビ中継が最高視聴率89.7%を記録したとの確認に参照。 - 日清食品グループ「NISSIN HISTORY」
1971年9月18日のカップヌードル発売、発売初期の販売状況、警察署・消防署など特殊ルートへの営業、あさま山荘事件で警察官へ非常用食料として配られたこと、テレビ中継に映ったことについて参照。 - 日清食品グループ「安藤百福クロニクル」
あさま山荘事件でカップヌードルを食べる機動隊員の姿が中継され、その後商品の人気が大きく拡大したという企業史上の評価について参照。
89.7%について:
本記事では「NHKの瞬間視聴率89.7%」とは記載していません。NHK単独についてビデオリサーチが現在公開している公式値は、640分の番組平均世帯視聴率50.8%です。89.7%はNHKと民放を合わせた特定時点の値として広く記録されています。
地域について:
視聴率データは関東地区の測定値として扱います。「日本人の89.7%」という人口比の意味には置き換えません。記事タイトルの「日本中」は、全国的な社会現象を示す一般表現であり、統計的母集団を意味するものではありません。
カップヌードルについて:
事件後の販売急増については日清食品自身の企業史による評価です。独立した第三者販売統計と同じ証拠階層には置いていません。また、「弁当が凍ったため採用された」という有名な逸話は、今回確認した日清食品公式資料が直接示す中核事実ではないため断定していません。