2003年12月13日夜。
アド・ドールの2つの農場を捜索した米軍部隊は、サダム・フセインを見つけられずにいた。
Wolverine 1。
Wolverine 2。
約8か月の追跡の末に絞り込んだ2地点だった。
それでも、本人はいない。
部隊は捜索を続けた。
米陸軍公式戦史『On Point II』によれば、特殊作戦部隊の兵士が地面に置かれた不自然なカーペットに気づいた。
それをめくる。
下から発泡スチロール状の覆いが現れる。
その下に、垂直に降りる狭い空間があった。
別の当時の公式説明では、入口はレンガと土によってカモフラージュされていたとされる。
入口を開けると、その下に一人の男がいた。
髪とひげは伸び、数か月前までテレビに映っていたイラク大統領の姿とは大きく違っていた。
男は抵抗しなかった。
やがて自らをサダム・フセインだと名乗った。
だが、作戦はここで完全には終わらない。
捕まえた男が、本当にサダム・フセインなのか。
似た人物ではないのか。
替え玉ではないのか。
米軍側は、身体的特徴、他の拘束者による識別、医療検査、そしてより科学的な確認へ進んだ。
CASE FILE 27の第9回では、有名な「スパイダーホール」の実像と、発見から本人確認までを、公的記録の差も含めて検証する。
CASE FILE 27|サダム・フセイン逃亡・追跡・拘束特集(全10回)
第8回では、約600人規模で行われたOperation Red Dawnと、Wolverine 1・2の最初の捜索が空振りに終わったところまでを追った。
第9回では、その後の数分から数時間を見る。
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第1回|サダム・フセインはどう捕まったのか|2003年、政権崩壊からOperation Red Dawnまで
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第2回|バグダッド陥落後、サダムはどこへ消えたのか|2003年4月から始まった逃亡
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第3回|なぜティクリート周辺が捜索の中心になったのか|故郷・支援網・チグリス川沿いの地理
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第4回|米軍はどうサダムを追ったのか|親族・側近・HUMINTをつないだ人物相関図
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第5回|ウダイとクサイの死は追跡をどう変えたのか|2003年7月、モスルで失われた政権中枢
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第6回|なぜサダムを何度も捕まえられなかったのか|急襲作戦と逃亡を支えた人間関係
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第7回|サダムの居場所はどう突き止められたのか|側近拘束からアド・ドールへ続いた情報連鎖
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第8回|Operation Red Dawnとは何だったのか|Wolverine 1・2と2003年12月13日の急襲
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第9回|現在の記事:
「スパイダーホール」で何が見つかったのか|サダム拘束と身元確認の全記録 -
第10回|拘束後のFBI尋問で何が分かったのか|サダムが語った逃亡生活と2003年を再検証する
この記事で分かること
- 「スパイダーホール」と呼ばれた場所はどのような空間だったのか
- 最初の農家捜索後、どうやって入口を発見したのか
- 入口がどのように隠されていたと記録されているのか
- サダムは発見時に抵抗したのか
- 武器はどこで見つかったのか
- 75万ドルの現金はどこにあったのか
- 現金の位置について公的資料間にどのような差があるのか
- 拘束した人物を最初にどう本人と判断したのか
- DNA検査は拘束直後に完了していたのか
- 12月14日の「We got him!」までに何が確認されていたのか
先に結論|「穴を見つけた」だけでは、サダム拘束は完了しなかった
サダム拘束を象徴するものとして残ったのは、地面に開いた小さな穴だった。
しかし、実際には三つの段階を分けて考える必要がある。
第1段階
隠れ場所を発見する
↓
“`
第2段階
中にいる人物を生きたまま拘束する
↓
第3段階
その人物が本当にサダム・フセインなのか確認する
“`
Operation Red Dawnは第1段階までにも8か月かかっている。
そして、穴から一人の男を出した後にも、本人確認という作業が残っていた。
米陸軍の最新公式戦史は、サダムの身元を科学的に確認するまでには数時間を要したと記録している。
つまり、
「穴から出てきた瞬間に、世界中が知る確定情報になった」わけではない。
最初の捜索では見つからなかった
第8回で見たように、特殊作戦部隊はWolverine 1とWolverine 2を確保した。
2つの農家を調べる。
農場の所有者らを拘束する。
しかし、サダム本人は出てこない。
米陸軍の公式戦史では、その後、建物の周囲やヤシの木が生える一帯まで捜索を広げたとされている。
ここで重要なのは、
「サダムはこの農場にいる」
という情報が、
「サダムはこの部屋にいる」
という情報ではなかったことである。
農場へ到達した後にも、敷地内のどこを探すのかという最後の問題が残った。
地面のカーペット|『On Point II』が記録する発見
米陸軍公式戦史『On Point II』には、入口発見の様子が比較的詳しく残されている。
周囲を捜索していた特殊作戦部隊の兵士が、地面に置かれたカーペットが不自然に見えることに気づいた。
カーペットを動かす。
その下から発泡スチロールのブロックが現れる。
さらにその下に、垂直方向へ降りる狭い空間があった。
米陸軍の同戦史には、兵士が発泡スチロールの蓋を持ち上げている写真も収録されている。
この入口の下が、後に世界中で「spider hole」と呼ばれる場所だった。
当時の公式会見では「レンガと土で隠されていた」と説明された
一方、12月14日の公式記者会見でリカルド・サンチェス中将は、入口について、
brick and dirt――レンガと土でカモフラージュされていた
と説明している。
『On Point II』では、
カーペット。
発泡スチロール。
垂直の入口。
という発見過程が記述され、
当日の会見では、
レンガと土によるカモフラージュ。
と説明されている。
これらは必ずしも矛盾するとは限らない。
入口周辺が複数の素材で覆われていた可能性もある。
ただし、公的資料が異なる表現をしている以上、本記事では一方だけを「唯一の構造」として再現しない。
「スパイダーホール」は地下基地ではない
「地下にサダムが隠れていた」と聞くと、秘密地下壕のようなものを想像するかもしれない。
しかし公開資料から見る限り、そのイメージは大きすぎる。
サンチェス中将は、サダムが発見された場所を地下約8フィートにある「spider hole」と説明した。
8フィートは約2.4mである。
米陸軍公式戦史は、そこをsmall subterranean chamber――小さな地下空間と表現している。
米陸軍Center of Military Historyの別資料では、「冷蔵庫ほどの大きさの穴」と表現された例もある。
つまり、施設として考えるより、
発見を避けるために地面の下へ作られた非常に小さな隠れ場所
と理解した方が近い。
FACT CHECK|「スパイダーホール」はサダム側の正式名称だった?
違う。
米陸軍の最新公式戦史は、この小さな地下空間を、連合軍兵士が後に「spider hole」と呼ぶようになったと記録している。
したがって、サダム側が潜伏施設を「スパイダーホール」と命名していたわけではない。
本記事でも、「当時の米軍側で広く使われた呼称」として扱う。
入口を開ける|中にいた男
発泡スチロールの覆いを外し、垂直の空間を確認すると、その下に一人の男がいた。
米陸軍情報部門の公式解説では、髪とひげを伸ばした男が両手を上げ、自分がサダム・フセインであることを認めたと記録している。
最新の米陸軍公式戦史にも、通訳を通じて身元を問われた男が、自らサダムだと答えた記録が残されている。
ただし、自分で名乗ったことは本人確認の最終根拠にはならない。
この時点では、
「サダムを名乗る、非常によく似た男を拘束した」
という段階だった。
サダムは抵抗したのか
結論から言えば、拘束時に銃撃戦にはならなかった。
12月14日の公式会見でサンチェス中将は、
Operation Red Dawn全体で負傷者はなく、一発の銃弾も発射されなかったと説明している。
米空軍の公式年表も、サダムがスパイダーホールから発見され、抵抗せず降伏したと整理している。
これは、7月のウダイ・クサイ拘束作戦とは大きく違う。
息子2人のときは住宅から銃撃を受け、TOW対戦車ミサイルまで投入する戦闘になった。
サダム本人の拘束では、そうならなかった。
拳銃はあったのか
ここは少し注意が必要である。
『On Point II』には、Operation Red Dawnを計画した第1旅団作戦担当者の回想として、サダムが拳銃を所持していたことが記録されている。
もしその拳銃を突入部隊へ向けていれば、捕獲ではなく射殺という結果になった可能性が高かったと、当時の指揮官は振り返っている。
しかし、実際には発砲しなかった。
そのためサダムは生きたまま拘束された。
一方、後年の米陸軍記事には「拳銃とアサルトライフルを持っていた」という表現もある。
ただし、より新しい公式戦史は、AK-47二丁について「農家と周囲のヤシ林の初期捜索で発見」としており、サダム本人が穴の中でAK-47を直接携行していたとは記述していない。
したがって本シリーズでは、
拳銃を所持していたという記録は採用するが、「穴の中でAK-47を抱えていた」とまでは断定しない。
AK-47二丁と75万ドル
米陸軍の最新公式戦史『The U.S. Army in the Iraq War, Volume 1』によれば、農家と周囲のヤシ林を最初に捜索した際、
- AK-47ライフル 2丁
- 現金75万ドル
が発見された。
75万ドル。
100ドル紙幣にすれば7,500枚である。
しかし、この現金については別の公式資料で少し違う記録がある。
現存する「サダムのマネーボックス」
U.S. Army Center of Military Historyは、現在もサダム拘束に関係する現物資料をArmy Artifact Collectionで紹介している。
その一つが、
Saddam Hussein’s Money Box
である。
緑色の金属製の箱で、内部には100ドル紙幣で合計75万ドルが入っていたとされる。
同館は、この箱について、
「サダムが拘束された際、スパイダーホールにあった品の一つ」
と説明している。
また、この金は彼の移動用資金だったとみられるとしている。
資料差|75万ドルは「穴の中」か「農場の捜索で発見」か
米陸軍の公的資料同士でも表現が一致していない。
『The U.S. Army in the Iraq War, Volume 1』
農家と周囲のヤシ林を最初に捜索した際に、AK-47二丁と75万ドルを発見したと記述。
U.S. Army Center of Military History / Saddam Hussein’s Money Box
75万ドル入りの緑色金属箱を「スパイダーホールにサダムとともにあった物品の一つ」と説明。
金額が75万ドルだったことと、緑色の金属箱が現物資料として保存されていることは一致している。
一方、箱が正確に穴の内部に置かれていたのか、農場敷地内の別の場所から回収されたのかについては、公開されている米陸軍資料間に記述差がある。
そのため本記事では「サダム拘束現場から75万ドルが回収された」ことを確実な骨格とし、正確な配置は断定しない。
現場で確認できるものを整理する
| 項目 | 確認できる内容 | 注意点 |
|---|---|---|
| 地下の隠れ場所 | 小さな地下空間。入口は隠されていた | カーペット、発泡スチロール、レンガ・土など資料によって描写差 |
| 深さ | 当時の公式会見で約8フィート | 約2.4m |
| サダム本人 | 髪・ひげを伸ばした状態で発見 | 自ら名乗っただけで本人確認を完了したわけではない |
| 拳銃 | 所持していたとする米陸軍公式戦史の記述あり | 発砲しなかった |
| AK-47 | 2丁を回収 | 最新公式戦史では農家・周辺の捜索で発見 |
| 現金 | 75万ドル | 正確な発見位置は公式資料間で差 |
| 金属箱 | 緑色のMoney BoxがArmy Artifact Collectionに現存 | 100ドル紙幣で75万ドルを収納していたとされる |
捕まえた男は本当にサダムなのか
拘束直後、米軍上層部はすぐに「100%サダムだ」と世界へ発表したわけではない。
ホワイトハウスの12月14日の記録によれば、ラムズフェルド国防長官から報告を受けたブッシュ大統領も、最初は慎重だった。
偽者や替え玉の可能性を考えていたからである。
国防長官側からは、身体の識別可能な特徴によって信頼度が上がっているという報告が伝えられた。
しかし、さらに確認作業が続けられた。
第一段階|本人の身体的特徴
サダムは長年公人だった。
写真や映像だけでなく、身体的な特徴についても情報が存在する。
ホワイトハウスの当日の説明によれば、米中央軍側はサダムにあるidentifying marks――識別可能な身体的特徴を確認し、本人である可能性が非常に高いと判断した。
ただし、この段階でもホワイトハウスは慎重姿勢を維持していた。
第二段階|他のイラク人拘束者による識別
12月14日の公式会見でサンチェス中将は、拘束されていた他の人物によってもpositive identificationが行われたと説明している。
つまり、サダム本人を直接知る人物にも確認させた。
これは顔写真だけを見るより強い確認材料になる。
一方で、証言による本人確認だけでは科学的な最終確認とは別である。
第三段階|医療検査
拘束されたサダムは、米軍の収容施設へ移送され、医療検査を受けた。
12月14日の記者会見で世界中へ流れたのが、その映像だった。
口の中を確認する。
頭髪やひげの状態を見る。
身体状態を確認する。
サンチェス中将は、サダムが健康状態としては良好に見え、移送・医療検査の過程でも協力的だったと説明している。
この映像は、サダム政権時代の整えられた大統領像とはあまりにも違っていたため、拘束そのものと同じくらい強い印象を残した。
第四段階|より科学的な確認
12月14日の会見時点で、DNAについて質問されたサンチェス中将は、
より決定的な本人確認検査を進めている
と回答している。
つまり、会見が始まった瞬間にDNA鑑定まで全て完了していた、という説明ではない。
一方、米陸軍の最新公式戦史は、サダムの身元を科学的に確認するまでに数時間を要したと記録している。
この流れを整理すると、
本人を名乗る
↓
外見・身体的特徴を確認
↓
本人を知る拘束者が識別
↓
医療検査
↓
より科学的・決定的な確認
↓
サダム・フセイン本人と確定
となる。
FACT CHECK|「DNA鑑定で本人だと分かってから、米政府へ連絡した」?
時系列はそこまで単純ではない。
ホワイトハウス記録によれば、ブッシュ大統領は12月13日の段階で「サダムを捕まえた可能性が高い」という報告を受けていた。
ただし、偽者の可能性を考えて慎重に扱われていた。
身体的特徴などで信頼度を高め、その後さらに確認作業が続けられた。
12月14日の公式会見時点でも、サンチェス中将はDNAを含むより決定的な確認作業が進行中だと説明している。
したがって、「DNA結果が出るまで誰もサダムだと思っていなかった」わけでも、「穴から出た瞬間に科学的本人確認まで終了した」わけでもない。
12月14日|「Ladies and gentlemen. We got him!」
翌12月14日。
バグダッドで記者会見が開かれた。
Coalition Provisional AuthorityのL. Paul Bremerは、記者たちの前に立つ。
そして短く告げた。
“Ladies and gentlemen. We got him!”
会場から歓声と拍手が起きた。
続いて、サンチェス中将がOperation Red Dawnの概要を説明する。
アド・ドール。
Wolverine 1・2。
約600人。
2つの目標。
最初の空振り。
集中的な再捜索。
そして、地下の隠れ場所。
さらに、拘束時と髭を整えた後のサダムの写真、医療検査の映像も公開された。
それによって、8か月間「生きているのか、どこにいるのか」さえ確定できなかった人物が、世界中のテレビ画面へ再び現れた。
有名な映像が隠してしまうもの
サダム拘束を記憶している人の多くが思い浮かべるのは、
伸びたひげ。
医師に口を開けられている姿。
地面に開いた穴。
この三つだろう。
しかし、それだけを見ると、このCASEの核心が見えにくくなる。
穴を偶然見つけたのではない。
アド・ドールを偶然通りかかったのでもない。
ティクリートをしらみつぶしに探して、たまたま当たったのでもない。
4月から積み上げたHUMINT。
家族関係。
Link Analysis。
多数の空振りの急襲。
アル・ムスリット家。
バシム。
イブラヒム。
Wolverine 1・2。
そこまで進んで、ようやく最後の入口に手が届いた。
「スパイダーホール」は8か月の追跡が最後に縮んだ一点だった
CASE27を地理的な縮小として見ると、次のようになる。
イラク全土
↓
ティクリート周辺
↓
家族・側近ネットワーク
↓
アル・ムスリット家
↓
イブラヒム
↓
アド・ドール
↓
Wolverine 1・2
↓
農場敷地
↓
地面の不自然な覆い
↓
発泡スチロールの蓋
↓
小さな地下空間
2003年4月には国全体だった捜索範囲が、12月13日夜には一人が入れるほどの空間まで縮んだ。
これが、CASE27のHUNTの最終地点だった。
拘束直後の事実関係を整理する
| 項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 日時 | 2003年12月13日20時30分ごろ |
| 地域 | ティクリート南方、アド・ドール周辺 |
| 状況 | Operation Red Dawnによる農場・周辺捜索 |
| 発見場所 | 小さな地下の隠れ空間 |
| 深さ | 当時の公式会見で約8フィート(約2.4m) |
| 抵抗 | 発砲なし。生きたまま拘束 |
| 武器 | 拳銃所持の記録あり。現場ではAK-47二丁も回収 |
| 現金 | 75万ドル |
| 本人確認 | 身体的特徴、他の拘束者による識別、医療検査、科学的確認 |
| 公式発表 | 12月14日、L. Paul Bremerらが世界へ発表 |
「捕まった姿」だけで逃亡生活全体を推測してはいけない
サダムが発見されたときの姿は強烈だった。
長い髪。
濃いひげ。
小さな地下空間。
そのため、
「8か月間ずっとこの穴で生活していた」
と考えたくなる。
しかし、12月14日の公式会見でサンチェス中将自身が、
サダムがこの場所にどのくらい滞在していたかは分からない
と回答している。
したがって、「4月から12月までスパイダーホールで暮らしていた」とは言えない。
この問題は、拘束後の本人への聞き取りを使わなければ確認できない。
それが次の第10回のテーマになる。
FACT CHECK|サダムは8か月間ずっとスパイダーホールで暮らしていた?
確認できない。
2003年12月14日の公式会見でサンチェス中将は、サダムが拘束地点にどれほどの期間いたのか分からないと明言している。
スパイダーホールは「拘束時に隠れていた場所」である。
それを2003年4月以降の全逃亡期間の居住場所とみなす根拠にはならない。
まとめ|世界が見た「穴」は、追跡の原因ではなく最後の結果だった
2003年12月13日夜。
Wolverine 1とWolverine 2を捜索しても、サダムは見つからなかった。
部隊は周囲の捜索を続けた。
地面の不自然な覆い。
発泡スチロール。
隠された垂直の入口。
その下に、小さな地下空間があった。
中から、一人のひげを伸ばした男が現れた。
自らをサダム・フセインだと名乗る。
銃撃戦にはならなかった。
現場では武器や75万ドルの現金も回収された。
その後、身体的特徴。
本人を知る拘束者。
医療検査。
より科学的な本人確認。
複数の確認を経て、捕まえた人物がサダム・フセイン本人であることが確定していく。
翌14日。
バグダッドの記者会見で、L. Paul Bremerが告げた。
“Ladies and gentlemen. We got him!”
有名になったのは、穴だった。
しかし、穴そのものがサダムを捕まえたわけではない。
8か月かけて国全体から一つの農場まで情報を縮めたから、最後に地面の小さな違和感まで探すことができた。
スパイダーホールは追跡成功の秘密ではない。
追跡が最後に到達した「一点」だった。
次の第10回はCASE FILE 27の最終回になる。
拘束後、サダム・フセイン本人はFBI特別捜査官ジョージ・ピロと長期間の面談を行った。
そこで本人は、2003年の政権崩壊前後について何を語ったのか。
逃亡中、どのような生活をしていたのか。
米軍が追跡中に推測していたことと、拘束後の本人供述はどこまで一致するのか。
そして、本人の言葉だからといって、どこまで事実として扱えるのか。
最終回では、追跡側の記録とFBI Vaultに残る拘束後資料を分離しながら、2003年のHUNTを逆向きに検証する。
CASE FILE 27|全10回
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第1回|サダム・フセインはどう捕まったのか|2003年、政権崩壊からOperation Red Dawnまで
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第2回|バグダッド陥落後、サダムはどこへ消えたのか|2003年4月から始まった逃亡
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第3回|なぜティクリート周辺が捜索の中心になったのか|故郷・支援網・チグリス川沿いの地理
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第4回|米軍はどうサダムを追ったのか|親族・側近・HUMINTをつないだ人物相関図
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第5回|ウダイとクサイの死は追跡をどう変えたのか|2003年7月、モスルで失われた政権中枢
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第6回|なぜサダムを何度も捕まえられなかったのか|急襲作戦と逃亡を支えた人間関係
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第7回|サダムの居場所はどう突き止められたのか|側近拘束からアド・ドールへ続いた情報連鎖
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第8回|Operation Red Dawnとは何だったのか|Wolverine 1・2と2003年12月13日の急襲
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第9回|現在の記事:
「スパイダーホール」で何が見つかったのか|サダム拘束と身元確認の全記録 -
第10回|拘束後のFBI尋問で何が分かったのか|サダムが語った逃亡生活と2003年を再検証する
今回出てきた言葉
- スパイダーホール(Spider Hole)
- サダム・フセインが2003年12月13日に発見された小さな地下の隠れ場所を、米軍側が後に呼んだ名称。サダム側の正式施設名ではない。
- Subterranean Chamber
- 地下空間。米陸軍の最新公式戦史が、サダムの隠れ場所を説明する際に使用している表現。
- Positive Identification
- 本人であることを積極的に識別・確認すること。拘束直後にはサダム本人を知る他の拘束者による識別も行われた。
- Identifying Marks
- 身体にある識別可能な特徴。拘束直後、米中央軍側が本人である可能性を確認する材料の一つとして利用したとホワイトハウスが説明している。
- Saddam Hussein’s Money Box
- サダム拘束現場に関連する緑色の金属箱。U.S. Army Center of Military HistoryのArmy Artifact Collectionに保存されており、75万ドル分の100ドル紙幣が入っていたとされる。
- Wolverine 2
- Operation Red Dawnで設定された2つの主要目標の一つ。公式会見では、その北西側にある不審地点の集中捜索からスパイダーホールが発見されたと説明された。
出典・参考資料
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U.S. Army — The U.S. Army in the Iraq War, Volume 1: Invasion – Insurgency – Civil War, 2003–2006
農場・ヤシ林での初期捜索、AK-47二丁と75万ドル、発泡スチロール製の入口、小さな地下空間、サダム発見時の状況、科学的本人確認まで数時間を要したことの主要根拠として使用。
-
U.S. Army Combat Studies Institute — On Point II: Transition to the New Campaign
Wolverine 1・2の初期捜索、地面のカーペット、発泡スチロール、垂直の入口、サダムの拳銃所持、拘束後の移送などの確認に使用。
-
U.S. Army / U.S. Army Intelligence Center of Excellence — Operation RED DAWN nets Saddam Hussein
Wolverine 1・2の初期捜索失敗、協力HUMINT情報源による隠れ場所の追加特定、地下の穴からサダムを発見したことの確認に使用。
-
U.S. Army Center of Military History — Saddam Hussein’s Money Box
サダム拘束現場に関連する緑色金属箱が現存すること、100ドル紙幣で合計75万ドルが入っていたことの確認に使用。現金の正確な発見位置については最新公式戦史との記述差を本文に明記。
-
U.S. Department of State Washington File — Transcript: Coalition Forces Capture Saddam Hussein
2003年12月14日のBremer・Sanchezらによる公式記者会見。約8フィートのスパイダーホール、入口のレンガ・土によるカモフラージュ、無発砲・無負傷、本人を知る他の拘束者によるPositive Identification、DNA等の追加確認が進行中だったこと、拘束地点にどれほど滞在していたか不明だったことの確認に使用。
-
The White House Archives — White House Press Secretary Scott McClellan Briefs Reporters Sunday, December 14, 2003
拘束直後に米政府側も偽者の可能性を警戒していたこと、サダムの身体的なidentifying marksが初期本人確認に利用されたこと、正式確認まで慎重に扱われていたことの確認に使用。
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The White House Archives — President Bush Addresses Nation on the Capture of Saddam Hussein
2003年12月13日20時30分ごろ、ティクリート郊外の農場付近でサダムが生きたまま拘束され、作戦に死傷者がなかったという米政府公式発表の確認に使用。
本記事では、サダム拘束現場について米陸軍の複数の公的資料を照合しています。入口について『On Point II』はカーペットと発泡スチロール、2003年12月14日の公式会見はレンガと土によるカモフラージュと説明しており、一方だけを唯一の構造として再現していません。また、75万ドルの現金について最新公式戦史は農家・周辺の初期捜索で回収したと記す一方、U.S. Army Center of Military Historyの現物資料ページは緑色のMoney Boxをスパイダーホール内にあった物品と説明しています。金額と箱の存在は一致しますが、正確な回収位置については資料差として扱っています。サダムの逃亡期間全体をスパイダーホール生活として描く根拠もなく、当時のサンチェス中将自身が拘束地点での滞在期間は不明と回答しています。