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1987年の目撃者は何を見たのかフード姿の似顔絵、6年の沈黙、1993年の犯行再開

1987年の目撃者は何を見たのか|フード姿の似顔絵、6年の沈黙、1993年の犯行再開

テロ・襲撃事件

1987年2月20日、ユタ州ソルトレイクシティ。

コンピューター店の窓から、一人の従業員が駐車場を見ていた。

そこにいたのは、フード付きの服を着て、大きなサングラスをかけた男だった。

男は駐車中の車の近くに何かを残した。

そして立ち去った。

FBIの後年の回顧によれば、男は自分が窓から見られていることに気づいたようだった。それでも走って逃げることはなく、その場から歩いて去った。[1]

その後、コンピューター店の経営者の息子が駐車場へ戻り、残されていた物に触れた。

爆発した。

被害者は生命に関わる重傷を負った。[1]

1978年から続いていたUNABOM事件で、捜査当局が見てきたのは、ほとんどが爆発物の残骸、包装、発送記録、被害者、現場だった。

この日、初めてそこに、

「犯人とみられる人物を実際に見た人」

が加わった。

目撃証言をもとに作られたのが、後にユナボマー事件を象徴することになる、フードとサングラス姿のComposite Sketch――容疑者似顔絵である。

ようやく犯人の「顔」が見えた。

しかし、この事件からセオドア・カジンスキーの逮捕までは、さらに9年以上かかる。

しかも目撃された直後、ユナボマーは約6年間、確認できる事件を起こさなくなる。

第4回では、この1987年の目撃証言が捜査に何を与え、なぜ似顔絵があっても犯人を特定できず、1993年の犯行再開までUNABOM捜査が長い沈黙に入ったのかを追う。

CASE FILE 21|ユナボマー追跡特集(全10回)

CASE FILE 21では、1978年から1996年まで続いたUNABOM事件を、犯人の人物伝ではなく「FBIが正体不明の爆弾犯へどう近づいたか」というHUNTとして追っている。

第3回では、物証、被害者、地理、人物像を調べても、一人の名前へ収束しなかった理由を見た。

今回は、その長期捜査の中で初めて犯人の外見が捜査資料へ加わった1987年2月20日に焦点を絞る。


  1. 第1回|ユナボマー事件とは?|17年に及んだ連続爆破とFBI追跡の全貌

  2. 第2回|ユナボマー爆破事件の時系列|1978年から1995年、16件のUNABOM事件を追う

  3. 第3回|FBIはなぜユナボマーを17年間特定できなかったのか|UNABOM捜査班と残された物証
  4. 第4回|現在の記事:
    1987年の目撃者は何を見たのか|フード姿の似顔絵、6年の沈黙、1993年の犯行再開

  5. 第5回|ユナボマーのマニフェストはなぜ新聞に掲載されたのか|35,000語の声明とFBIの決断

  6. 第6回|家族はどうユナボマーに気づいたのか|リンダとデイヴィッド・カジンスキー、捜査を動かした情報提供

  7. 第7回|文章から犯人は特定できたのか|手紙・マニフェストのFBI言語分析と捜索令状

  8. 第8回|1996年4月3日、モンタナの小屋で何が見つかったのか|カジンスキー逮捕と家宅捜索

  9. 第9回|ユナボマー事件の裁判とその後|有罪答弁、終身刑、2023年の死と捜査の遺産

  10. 第10回|Netflix映画『UNABOMBER』はどこまで実話なのか|ハーバード実験とFBI捜査を史実検証

先に結論|1987年は「犯人を見つけた日」ではなく、「初めて姿だけが見えた日」だった

1987年2月20日の事件は、UNABOM捜査にとって非常に大きな進展だった。

FBIの公式資料は、この事件についてUNABOM捜査で初めて有力な目撃者が得られた事件と位置づけている。[2]

それまで捜査側が持っていたのは、

  • 爆発物の残骸
  • 包装や発送に関する情報
  • 被害者の属性
  • 事件が起きた地域
  • 犯人の職業や教育歴についての推定

だった。

ここへ初めて、

「このような外見の人物が現場にいた」

という情報が加わった。

だが目撃証言は、指紋やDNAとは性質が違う。

似顔絵が示すのは、目撃者の記憶をもとに再構成した「似ている可能性がある人物像」であって、一人の人間だけに一致する識別情報ではない。

しかも、最も特徴的だったフードと大型サングラスは、同時に顔の多くを隠していた。

そのため1987年事件は、

「犯人の姿を初めて得た重大な前進」でありながら、「その人物が誰なのかは依然として分からない」

という捜査上の矛盾を生んだ。

1987年2月20日|CAAMSコンピューター店

事件が起きたのは、ユタ州ソルトレイクシティにあったCAAMS Inc.というコンピューター店だった。

FBIの事件タイムラインでは、この事件はUNABOM関連の12件目に位置づけられている。[3]

この時点で最初の事件から約9年が経過していた。

すでに事件は、

  • 大学
  • 航空機
  • 航空会社
  • コンピューター関係者
  • 研究者

などへ広がっていた。

1985年12月には、サクラメントのコンピューター店経営者ヒュー・スクラットンが死亡している。

そして1987年、再びコンピューター店が現場になった。

ただし、この日の最大の意味は標的ではない。

犯人とみられる人物が現場に姿を見せたことだった。

店内から、男を見ていた人物がいた

FBIの2021年回顧によれば、CAAMSの従業員が店内から駐車場を見ていた。

そこで、男が駐車している車の近くに物を残すところを目撃した。

男は従業員が自分を見ていることに気づいたようだった。

しかし、その場から走り去ったわけではない。

FBIの回顧では、男は落ち着いた様子で歩いて立ち去ったとされている。[1]

その後、店の経営者の息子が駐車場へ戻り、残されていた物に触れた。

爆発によって重傷を負い、病院へ搬送された。

UNABOM事件で最初の爆発から約9年。

初めて、事件直前の現場にいた人物を見た証言者が現れた。

フードと大型サングラス|初めて得られた犯人像

FBIが現在公開している資料では、目撃された男はフード付きのスウェットシャツとアビエーター型のサングラスを着用していたとされている。[2]

目撃証言をもとに、捜査当局はComposite Sketchを作成した。

1987年2月23日付の当時の報道では、連邦当局が事件から数日後には似顔絵を公開し、今回の爆発と1978年以来の11件を合わせた12件が関連事件であると発表していたことが確認できる。[4]

これはUNABOM捜査の性格を変えた。

それまで一般市民へ説明できる犯人像は、主に抽象的なものだった。

例えば、

「大学やコンピューター分野に関心がある可能性」

「特定地域に居住歴がある可能性」

「高い教育を受けている可能性」

といったものである。

だが似顔絵なら、

「この人物に見覚えはないか」

と一般市民へ直接問いかけられる。

捜査当局にとって、これは大きな違いだった。

ただし、似顔絵は「写真」ではない

ここでComposite Sketchの意味を過大評価しないことも重要である。

似顔絵は、防犯カメラ映像から切り出した写真ではない。

目撃者の記憶を聞き取り、その特徴を絵として再構成したものだ。

さらに1987年の目撃では、男はフードと大型のサングラスを着用していた。

目の周辺、髪型の一部、顔の輪郭の一部など、人物識別で重要になる特徴が隠れている。

似顔絵を見て、

「似た人物を知っている」

という情報を集めることはできる。

しかし、

「この絵と一致したので犯人である」

という証拠にはならない。

UNABOM捜査で必要だったのは、似顔絵から候補者を増やすことではなく、似顔絵に似た人物を具体的な爆破事件へ接続する証拠だった。

FACT CHECK|有名な「フード+サングラス」の似顔絵は、1987年にそのまま完成した?

完全には同じではない。

1987年2月のソルトレイクシティ事件の目撃証言から、事件直後に最初のComposite Sketchが作成・公開された。

一方、現在ユナボマー事件を紹介する際によく使われる、より精密なフードとサングラス姿の似顔絵は、同じ1987年の目撃証言をもとに、1994年に forensic artist Jeanne Boylanが改めて作成した版である。

したがって、

「目撃は1987年」「最初の似顔絵も1987年」「後に広く知られる改訂版は1994年」

と分けると理解しやすい。

1987年当時、捜査側は何を考えていたのか

事件発生から数日後の1987年2月23日、当時の報道には、連邦捜査当局が容疑者についてかなり具体的な外見情報を公開していたことが残っている。

また、捜査側はこの人物がソルトレイクシティ周辺に関係している可能性も考えていた。

その理由は、1981年のUniversity of Utah事件に加え、ユタ州との関係を示す複数の捜査情報が存在したためだった。[4]

犯人像は少しずつ狭まっていた。

地域。

標的。

外見。

それでも名前には届かない。

理由は、第3回で見た問題と同じだった。

条件が当てはまる人物は多数いる。

「似ている人物」と「爆破事件を実行した人物」の間には、まだ巨大な空白があった。

現場からは「FC」の文字が刻まれた破片も残った

FBIが現在保存・公開している1987年事件の証拠品には、爆発後に回収された金属片がある。

その一部には、「FC」という文字が刻まれていた。[2]

この文字はUNABOM関連資料で繰り返し現れる特徴の一つだった。

後に犯人から送られる手紙でも「FC」という名称が使われるようになる。

しかし1987年時点では、その文字がセオドア・カジンスキーという名前を意味するわけではなかった。

ここでも同じ構造が現れる。

特徴はある。

事件同士をつなぐ材料もある。

しかし犯人個人へつながる情報がない。

UNABOM捜査は、「手掛かりが少なかった事件」というより、手掛かりを名前へ変換できなかった事件だった。

そして突然、事件が止まった

1987年2月20日の次にFBIのUNABOMタイムラインへ現れる事件は、1993年6月22日である。

約6年4か月の空白がある。

FBIの2021年回顧では、1993年までに「ユナボマーは死亡したのではないか」と考える人もいたと紹介されている。[1]

それほど長い空白だった。

ただし、

なぜ1987年から1993年まで犯行が確認されなかったのかについて、捜査当時に確定した理由はなかった。

目撃されたことを警戒したのか。

別の事情があったのか。

意図的に活動を中断したのか。

こうした説明を考えることはできるが、空白期間そのものから原因を断定することはできない。

捜査側にとって「事件が起きない」ことは二つの意味を持った

新しい事件が起きないことは、当然ながら新しい被害者が出ないという意味では望ましい。

しかし長期捜査という観点では、別の問題が生じる。

新しい事件がなければ、

  • 新しい物証が出ない
  • 新しい発送地点が出ない
  • 新しい目撃者が現れない
  • 犯人の行動パターンを更新できない
  • 新しい文章も得られない

ということになる。

1987年、FBIは初めて犯人の姿を得た。

ところがその直後、捜査へ新しい情報を供給していた事件そのものが止まった。

HUNTとして見ると、非常に厳しい局面である。

追跡対象の姿は初めて見えた。

しかし次の足跡が消えた。

似顔絵を公開しても、なぜ一人に絞れなかったのか

1987年の似顔絵には、一般市民から情報を得るという大きな役割があった。

しかし、似顔絵だけで事件を解決するには少なくとも二つの条件が必要になる。

一つは、その人物を知る人が絵を見ること。

もう一つは、「似ている」という認識を、事件との具体的接点へ変えられることだ。

例えば、

「知人に似ている」

だけでは足りない。

その人物に、

  • 事件発生地域との関係
  • 事件時期の移動記録
  • 関連物証
  • 犯人の文章との関連

などが重ならなければならない。

1987年時点で、Ted Kaczynskiという名前を似顔絵とUNABOM事件へ結びつける人物は現れなかった。

後に家族から具体的な情報が提供されるのは、1995年のマニフェスト公開後である。

1993年6月22日|6年間の沈黙が終わる

1993年6月22日。

カリフォルニアの遺伝学者チャールズ・エプスタインが、自宅で送られてきた荷物を開けた。

爆発し、負傷した。

FBIのタイムラインでは、1987年以来の13件目のUNABOM事件である。[3]

2日後の6月24日。

今度はコネチカット州のYale Universityで、コンピューター科学者デイヴィッド・ゲランターが送られてきた荷物によって重傷を負った。

約6年間何も起こらなかった事件が、今度はわずか2日間で2件起きた。

UNABOM事件は終わっていなかった。

1993年の再開には、1987年までと違うものがあった

1993年以降、犯人は爆発物だけではなく文章を送り始める。

これは捜査にとって非常に大きな変化だった。

1987年までの有力な人物情報は、

「誰かが外から見た犯人」

だった。

1993年以降に増え始めたのは、

「犯人自身が外へ出した言葉」

だった。

FBI特別捜査官Kathleen Puckettは後年、1993年から届き始めた手紙が、捜査側にとって犯人へつながるほぼ唯一の線だったと振り返っている。[5]

語彙。

綴り。

文章の癖。

社会に対する考え方。

読書傾向。

1987年の似顔絵とはまったく違う種類の人物情報が、ようやく捜査へ入ってきた。

1994年|1987年の記憶から、もう一度顔を作った

1993年に犯行が再開し、1994年12月には広告会社幹部トーマス・モッサーが死亡した。

UNABOM Task Forceは、1987年の目撃証言を再び活用する。

1994年、forensic artistのJeanne Boylanが、1987年の目撃者への聞き取りをもとに新しいComposite Sketchを作成した。

現在、ユナボマー事件の記事やドキュメンタリーで頻繁に見る、フードを深く被り、大型のサングラスをかけた人物像は、この1994年版である。

事件から7年が経過していた。

それでも捜査側は、1987年の一度の目撃情報を使い続けていた。

これは逆に言えば、

1987年以降、それを上回る新しい目撃証言が得られていなかった

ということでもある。

1995年にも、FBIはサングラス姿の似顔絵を使い続けた

1995年には、1987年の最初の似顔絵を作成したartistが、サングラスを外した状態を推定した別の絵を作っていた。

しかし当時の報道によれば、FBIはこれを正式な公開資料として採用しなかった。

理由は単純である。

1987年の目撃者は犯人の目を見ていない。

サングラスの下にある目を描けば、それは目撃情報ではなく推測になる。

FBI側は、目撃者が納得しているサングラス姿のComposite Sketchを引き続き使用する方針を示した。[6]

これはComposite Sketchの限界をよく示している。

情報を増やしたくても、実際に見ていない特徴を描き足せば、かえって誤った人物像を作る危険がある。

FACT CHECK|似顔絵はカジンスキー本人に「そっくり」だったから逮捕につながった?

逮捕の直接的な突破口ではない。

1987年の目撃証言から作られたComposite Sketchは、UNABOM捜査で初めて一般市民へ具体的な犯人像を示せる重要資料だった。

しかしFBIは、その似顔絵からセオドア・カジンスキーという名前へ直接到達していない。

具体的な人物名が捜査へ入るのは、1995年のマニフェスト公開後、カジンスキーの家族側から情報提供があってからである。

したがって似顔絵の価値は、「犯人を特定した証拠」ではなく、「長期捜査で初めて得られた外見上の手掛かり」と位置づけるのが正確である。

1987年の意味|「人を見た」のに、追跡は止まった

UNABOM事件をHUNTとして見ると、1987年は奇妙な転換点になっている。

“`

“`

1987年以前 1987年2月 1987〜1993年
物証・被害者・地域から犯人像を推定 初めて犯人とみられる人物を目撃 約6年間、新事件なし
顔が分からない Composite Sketch完成 新しい目撃情報が増えない
抽象的なプロファイル 具体的な外見情報を獲得 名前への接続なし

普通なら、犯人の姿を得たところから追跡は加速するように見える。

UNABOMでは逆だった。

最も具体的な人物情報を得た直後に、犯人の行動が見えなくなった。

結果として1987年の似顔絵は、その後何年にもわたって「最後に見えた犯人」の姿として使われ続けることになる。

1993年から、HUNTの方法が変わった

6年ぶりに事件が再開したとき、FBIには1987年までとは違う選択肢が生まれた。

犯人が文章を書き始めたからである。

つまりUNABOM捜査は、


物証を追う


被害者を追う


場所を追う


顔を追う


言葉を追う

と、捜査の入口を変えていった。

1987年に得られた似顔絵は消えたわけではない。

1990年代にも、捜査当局は地域情報や犯人像と組み合わせ、一般市民への呼びかけに使用した。

しかし、最終的な突破口になるのは「顔を知っている人」ではなく、「この文章を書きそうな人物を知っている人」だった。

1995年のマニフェスト公開へ向かう理由が、ここにある。

まとめ|似顔絵は犯人を捕まえなかった。しかし「見えない犯人」を初めて人間にした

1987年2月20日、ソルトレイクシティのCAAMSコンピューター店で、一人の従業員が犯人とみられる男を目撃した。

フード。

大型のサングラス。

その証言からComposite Sketchが作られた。

約9年間、爆発物の残骸しか残さなかった人物に、初めて具体的な外見が与えられた。

しかし、それでも名前は分からなかった。

似顔絵は一人だけを識別できる証拠ではなく、顔の多くはフードとサングラスで隠されていた。

そして目撃された直後、FBIのタイムラインからUNABOM事件は約6年間消える。

1993年、犯人は突然戻った。

だが今度は、爆発物だけではなかった。

犯人自身の文章が外へ出始める。

1987年に得られたのが「外から見た犯人」だったとすれば、1993年以降に得られたのは「犯人自身が書いた犯人像」だった。

その変化が、最終的に17年間動かなかった捜査を動かす。

次の第5回では、1995年に犯人が送った約35,000語のマニフェストへ進む。

FBIと司法省は、なぜ爆弾犯の要求を受け入れて文章を新聞へ掲載したのか。その判断にはどのような危険があり、なぜ結果的に家族からの情報提供へつながったのかを追う。


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CASE FILE 21|全10回


  1. 第1回|ユナボマー事件とは?|17年に及んだ連続爆破とFBI追跡の全貌

  2. 第2回|ユナボマー爆破事件の時系列|1978年から1995年、16件のUNABOM事件を追う

  3. 第3回|FBIはなぜユナボマーを17年間特定できなかったのか|UNABOM捜査班と残された物証
  4. 第4回|現在の記事:
    1987年の目撃者は何を見たのか|フード姿の似顔絵、6年の沈黙、1993年の犯行再開

  5. 第5回|ユナボマーのマニフェストはなぜ新聞に掲載されたのか|35,000語の声明とFBIの決断

  6. 第6回|家族はどうユナボマーに気づいたのか|リンダとデイヴィッド・カジンスキー、捜査を動かした情報提供

  7. 第7回|文章から犯人は特定できたのか|手紙・マニフェストのFBI言語分析と捜索令状

  8. 第8回|1996年4月3日、モンタナの小屋で何が見つかったのか|カジンスキー逮捕と家宅捜索

  9. 第9回|ユナボマー事件の裁判とその後|有罪答弁、終身刑、2023年の死と捜査の遺産

  10. 第10回|Netflix映画『UNABOMBER』はどこまで実話なのか|ハーバード実験とFBI捜査を史実検証

今回出てきた言葉

CAAMS Inc.
1987年2月20日のUNABOM事件が起きた、ユタ州ソルトレイクシティのコンピューター店。この事件でFBIは初めて有力な目撃証言を得た。
Composite Sketch
目撃者の記憶をもとに作成する容疑者の似顔絵。写真や生体認証ではなく、人物を探すための捜査・情報提供資料として使われる。
1987年版スケッチ
ソルトレイクシティ事件直後に目撃証言から作成された最初のユナボマー容疑者似顔絵。
1994年版スケッチ
1987年の目撃情報をもとにJeanne Boylanが改めて作成したComposite Sketch。現在、フードとサングラス姿のユナボマー像として広く知られている。
FC
一部のUNABOM関連証拠や後の文書に現れる文字。事件間の関連を考える材料にはなったが、それ自体から犯人の実名を特定できたわけではない。

出典・参考資料

本記事は、FBIのUNABOM事件史、1987年CAAMS事件の証拠品解説、2021年のFBI回顧Podcastを中心に、1987年当時および1994〜1995年の同時代報道を補助資料として使用しています。1987年の目撃証言と、その後広く知られるComposite Sketchを同一の「一枚」と単純化せず、事件直後の初期スケッチと1994年のJeanne Boylanによる改訂版を区別しました。また、1987〜1993年の犯行空白について、その理由を示す確定的な資料はないため、「目撃されたため活動を止めた」などの説明は事実として採用していません。爆発物については事件・捜査の理解に必要な範囲だけを記述し、再現可能な構造・製造方法は扱っていません。最終確認日は2026年8月31日です。