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1984年12月3日未明。
ボパールの病院に、患者が押し寄せ始めた。
一人や二人ではない。
目から涙を流し、激しく咳き込み、息ができないと訴える人々が、次々に病院へ入ってくる。
吐いている人がいる。
自力で立てない人がいる。
口元に泡を浮かべている人もいる。
外の道路では、さらに多くの住民が病院を目指していた。
ところが、診療する側には重大な情報が欠けていた。
患者たちは、何を吸ったのか。
工場から有毒物質が漏れたことは分かり始めていた。
しかし、住民が実際に曝露したガス雲の正確な組成も、それに対する特異的な解毒法も、事故直後には確立していなかった。
医療側は、病名を知ってから患者が来る通常の診療とは逆の状況に置かれた。
目の前の症状から、何が起きているのかを同時に解明しながら治療しなければならなかった。
先に結論|最初の72時間で中心になったのは「呼吸を維持すること」だった
ICMRの臨床報告を読むと、急性期のボパールで最も大きな問題となった臓器は肺と気道だった。
Hamidia Hospitalへ入院した患者の記録では、
- 息苦しさ
- 激しい咳
- 喉の刺激・窒息感
- 肺水腫を示す所見
- 目の激しい刺激
が非常に高い頻度で確認されている。
急性期治療では、
酸素投与
+
気管支拡張薬
+
ステロイド
+
抗菌薬
+
重症例では人工呼吸
などの支持療法が行われた。
つまり最初の医療現場で優先されたのは、
「毒物を完全に中和する」ことより、まず患者が呼吸できる状態を維持すること
だった。
病院へ来た患者は、どんな状態だったのか
ICMRは事故後、Hamidia Hospitalに急性期入院した978人の診療記録を調査している。
そのうち統計解析に十分な記録が残っていた544人について、症状が詳しく整理された。
| 症状 | 544人中の割合 |
|---|---|
| 息苦しさ | 98.9% |
| 咳 | 94.8% |
| 目の刺激・流涙・視界のかすみ等 | 85.8% |
| 口元のピンク色の泡 | 52.0% |
| 悪心・吐き気・嘔吐 | 52.0% |
| 喉の刺激・窒息感 | 46.0% |
| 著しい脱力 | 25.0% |
| 胸痛 | 25.0% |
| 昏睡 | 7.2% |
ほぼ全員に近い患者が呼吸器症状を示していた。
さらに診察所見では、83%以上で肺のrhonchi / crepitations――喘鳴や湿性ラ音などの異常呼吸音が確認された。
呼吸数が毎分40回を超えていた患者も約20%いた。
単に「目が痛い」「咳が出る」という刺激症状だけではない。
重症患者では、肺そのものが急速に障害されていた。
なぜ口から「ピンク色の泡」が出たのか
急性期患者の約52%に記録された所見の一つが、pink froth at mouthだった。
これは重度の肺障害を理解する重要な所見である。
肺の内部には、肺胞と呼ばれる非常に小さな空間がある。
通常ここでは、空気と血液の間で酸素と二酸化炭素を交換している。
しかし強い刺激性ガスによって肺胞と毛細血管が障害されると、血液中の液体成分が肺胞側へ漏れ出す。
いわゆる肺水腫である。
液体が空気と混ざると泡状になり、重症例では口元まで上がってくることがある。
ICMRが事故後に行った胸部X線調査でも、急性期患者には広範な肺水腫を示す所見が確認された。
500例を調べた放射線学的検討では、
| 所見 | 割合 |
|---|---|
| 間質性肺水腫 | 41.4% |
| 間質性+肺胞性肺水腫 | 40.6% |
| その他の異常 | 複数 |
| 明確な異常なし | 2.2% |
つまり、重症患者の多くでは気道刺激だけでなく、肺深部まで障害が及んでいた。
978人の入院患者のうち70人が死亡した
Hamidia Hospitalに急性期入院した978人のうち、ICMR資料では70人、7.1%が死亡した。
事故直後の死亡原因として中心になったのは呼吸不全だった。
その後数日以内の死亡でも、呼吸器系の合併症が主要因として記録されている。
しかし、この70人を「ボパール事故の最初の72時間の死者数」と考えてはいけない。
これはHamidia Hospitalへ入院した患者のうちの死亡数である。
病院へ到達する前に、自宅や道路で死亡した住民も多数いた。
ICMRは事故後最初の3日間について、ボパール全体で2,000人を超える死亡が発生したとしている。
数字の違い|70人と2,000人超は矛盾しない
70人:
Hamidia Hospitalへ入院した978人のうち死亡した患者。
2,000人超:
ICMRが事故後最初の3日間について示しているボパール全体の死亡規模。
集計母集団が異なるため、同じ「死亡者数」として比較してはいけない。
ここで、急性期患者978人の記録が集積されたHamidia Hospitalの現在位置を確認しておく。
Hamidia Hospitalの現在位置。1984年当時からボパールの主要医療機関として存在していたが、現在の病院建物・構内配置は事故当時と同一ではない。
患者の多くは、工場から1km以内に住んでいた
Hamidia Hospitalへ入院した978人の住所を見ると、曝露の強さが地理的にも表れている。
| 工場からの距離 | 入院患者数 |
|---|---|
| 1km以内 | 733人 |
| 1~2km | 127人 |
| 2km超 | 118人 |
入院患者の約75%が、工場から1km以内の地域に住んでいた。
第5回で見たJ.P. Nagar、Railway Colonyなどの重度曝露地域と重なる。
興味深い記録もある。
ICMRによれば、工場に隣接していても事故当夜の風下ではなかった住宅地では、影響が比較的小さかった。
距離だけではなく、風向が曝露を大きく左右したことが分かる。
978人中812人が、家を出て走っていた
もう一つ、急性期診療記録から分かる重要な数字がある。
Hamidia Hospitalへ入院した978人のうち、812人は事故時に家の外へ飛び出し、さまざまな方向へ走っていた。
第5回で見た住民避難の状況が、患者記録からも裏付けられる。
一方、ICMRは住宅条件によっても曝露の程度に違いが見られたと記録している。
窓や閉鎖性の乏しい住宅ではガスが内部へ入り込みやすかった。
同じ地区でも、寒い夜だったため窓を閉じていた比較的密閉性の高い住宅では、症状が軽かった例があった。
また、催涙ガスだと思って濡れた布で顔を覆った住民の中にも、重篤な症状を免れた例が記録されている。
ただし、これは後から確認された個別観察であり、
「濡れた布がMIC事故への確実な防護手段だった」
と一般化するべきではない。
医師たちにも「何が漏れたのか」が十分には分からなかった
通常の化学事故医療では、
物質特定
↓
毒性確認
↓
曝露経路確認
↓
除染・治療法決定
という流れを作ることが理想になる。
しかしボパールでは、その順序が成立しなかった。
患者が先に来た。
ICMRの後年の総括は、事故直後の重大な問題として、
ガス雲の正確な組成と、その特異的な解毒法について十分な知識がなかった
ことを明記している。
事故の中心物質がMICであることが分かっても、Tank 610では高温の複雑な化学反応が起きていた。
住民が吸入したものを、
研究室で扱う純粋なMICだけ
と仮定できる状態ではなかった。
そのため医療現場では、まず目の前に現れている症状へ対処する必要があった。
治療の中心は「支持療法」だった
ICMRの臨床報告に記録された急性期治療には、
- 酸素投与
- 気管支拡張薬
- 抗菌薬
- 鎮咳薬
- 副腎皮質ステロイド
- その他の生命維持処置
が含まれている。
重症患者の一部では、人工呼吸器による換気も必要になった。
これは「MIC専用治療」というより、
損傷を受けた呼吸器が回復するまで、酸素化と呼吸を支える治療
である。
肺水腫が進めば、肺胞に空気を送っても酸素が血液へ移りにくくなる。
そのため重症患者では、
「咳を止める」
程度では済まない。
生命維持そのものが必要になった。
目にも、強い化学刺激による障害が起きていた
呼吸器と並んで、ほぼすべての初期記録で目の症状が目立つ。
解析された544人の85.8%に、
- 目の刺激
- 大量の涙
- 羞明
- 視界のかすみ
- 異物感
などが確認された。
重症例では、
- まぶたの腫脹
- 眼瞼けいれん
- 角結膜炎
- 角膜上皮の欠損
も記録されている。
そのため事故当夜に「目が見えない」と感じた住民がいたことは、単なるパニックの表現ではない。
強い化学刺激によって流涙と角膜・結膜障害が生じ、実際に視界を確保しにくい状態になっていた。
ただし「大量の失明が起きた」とは確認されていない
ここでも急性症状と長期障害を分ける必要がある。
事故直後、多くの患者が激しい眼症状を経験した。
しかしICMRの長期眼科追跡では、主要な病変は眼の前眼部にあり、多くは治癒し、進行性に視力を失っていく病態は確認されなかったとされている。
つまり、
事故直後に視界を失うほどの眼症状があったこと
と、
そのまま恒久的失明に進んだこと
は別である。
こうした違いも、第9回の長期健康影響で整理する。
「解毒剤」はあったのか|チオ硫酸ナトリウムをめぐる問題
ボパールの医療史で議論が続いたものの一つが、チオ硫酸ナトリウム(Sodium Thiosulphate / NaTS)だった。
チオ硫酸ナトリウムは、シアン化物中毒などで利用される薬剤として知られている。
Tank 610内部が高温になったことで、ガス雲にシアン化水素などが含まれていた可能性をめぐる議論が起こり、NaTSの使用も検討された。
しかし、
事故直後の時点で「ボパール患者にはNaTSが確立された特効薬である」と結論づけられていたわけではない。
ICMRはその後、1985年以降にNaTSの臨床試験を実施し、一部の患者で症状改善を報告している。
一方、ボパール事故におけるシアン化物の寄与とNaTSの位置づけについては、その後も研究者間で議論が続いた。
FACT / DEBATE|NaTSをどう扱うか
FACT:
ICMRは事故後、チオ硫酸ナトリウムについて臨床研究を行った。
FACT:
ICMR報告は一部患者の症状改善を記録している。
DEBATE:
実際のガス雲におけるシアン化物の臨床的重要性、事故急性期にNaTSをどの程度広く使用すべきだったかについては論争が残った。
したがって「使えば多数を確実に救えた特効薬が隠された」といった単純な断定は行わない。
最初の問題は、ベッド数だけではなかった
大規模災害で医療能力を考えるとき、
「病床が足りたか」
だけを見ても十分ではない。
ボパールでは、
| 医療資源 | 事故時の問題 |
|---|---|
| 人員 | 短時間に大量の患者が集中 |
| 病床 | 通常想定を超える傷病者 |
| 酸素・呼吸管理 | 多数の患者が同時に呼吸器症状を呈した |
| 毒性情報 | 曝露物質の正確な組成が不明確 |
| 治療プロトコル | 未知の大量化学曝露に対する確立済み手順がない |
| トリアージ | 軽症から重症まで非常に多数の患者が同時到着 |
| 情報共有 | 工場・行政・医療間で即時に必要情報を揃えることが困難 |
化学災害では、
「医師がいる」だけでも、「病院がある」だけでも足りない。
何が漏れ、どの程度有害で、どの治療を優先すべきかという情報も医療資源の一部になる。
それでも、ボパールの医療側はその場で診療体制を作った
ICMRの後年の報告は、事故発生直後の状況を「医学史上ほとんど前例のない状況」と表現している。
Gandhi Medical CollegeとHamidia Hospitalを中心とする地元医療スタッフ、看護・救急関係者、社会活動者らは、大量の患者を受け入れながら診療体制を組み立てていった。
その中心人物の一人として、Gandhi Medical CollegeのDr. N.P. MisraがICMR資料に記録されている。
事故後には、インド国内の複数の医学研究機関もボパールへ研究者・医師を送り、
- 肺機能
- 呼吸器病変
- 眼障害
- 毒性
- 妊娠への影響
- 神経・精神症状
などの調査が始まった。
ICMRは最終的に20を超える研究プロジェクトを立ち上げた。
しかしそれは、事故翌朝までに科学的回答が揃ったという意味ではない。
むしろ、
分からないことがあまりにも多かったため、医療と研究を並行して始める必要があった
ということである。
3日間で2,000人を超える死亡|急性期の重さ
ICMRの臨床報告は、事故後最初の3日間で2,000人を超える住民が死亡したとしている。
死亡は病院内だけで起きたのではない。
自宅。
道路。
避難中。
そして病院。
高濃度曝露を受けた地域では、患者が医療機関へ到達する前に死亡する例もあった。
ICMRは工場周辺の約10万人について、より高濃度の有毒ガスへ曝露した可能性があると推計している。
つまり医療システムから見ると、
「非常に多くの患者が来た」のと同時に、「最重症者の一部は病院まで来ることすらできなかった」
災害だった。
72時間が過ぎても、患者は「治った」わけではなかった
事故後数日が過ぎれば、Tank 610からのガス放出そのものはすでに終わっている。
しかし医学的な問題は続いた。
急性期を生き延びた患者にも、
- 咳
- 息切れ
- 胸痛
- 目の症状
- 著しい疲労感
などが残った。
ICMRは1985年1月以降を「subacute phase」として分け、持続する症状の調査を続けている。
さらにその先には、数年単位の疫学調査が必要になった。
事故の医療は、
救命
↓
急性期治療
↓
亜急性期診療
↓
長期追跡
へ移行していった。
ボパールが示した「化学災害医療」の難しさ
第3回・第4回では、工場に存在した複数の安全防護層を見た。
しかし有毒物質が工場外へ出た瞬間、別の防護層が必要になる。
それが、
- 住民への警報
- 避難計画
- 化学物質情報
- 救急搬送
- 病院の災害計画
- 毒物治療情報
である。
設備安全をどれだけ考えていても、100%漏洩しない保証はない。
だから本来は、
「漏らさない安全」と「漏れた後に被害を抑える安全」の両方
が必要になる。
ボパールでは、プラント内の防護層が失敗した後、都市側の緊急対応システムにも極端な負荷が一気に集中した。
事故がSYSTEMとして重要なのは、この連鎖にある。
まとめ|病院は「未知の患者」を診ていた
1984年12月3日未明、ボパールの医療機関には大量の患者が押し寄せた。
Hamidia Hospitalに入院した978人の記録では、ほぼ全員に呼吸器症状があり、85%以上に眼症状が確認された。
急性期の重症患者では肺水腫と呼吸不全が中心となり、70人がHamidia Hospitalで死亡した。
ボパール全体では、ICMRは最初の3日間で2,000人を超える死亡を記録している。
医療側は酸素、気管支拡張薬、ステロイド、抗菌薬、重症例への人工呼吸などを用いて治療した。
しかし事故直後には、患者が吸入したガス雲の正確な組成や、確立された特異的解毒法について十分な情報がなかった。
患者はすでに目の前にいる。
科学的な答えは、まだ揃っていない。
その状態で、医師たちは救命と原因究明を同時に始めなければならなかった。
そして、この「何を吸ったのか」という疑問は、病院だけの問題ではなかった。
事故そのものについても、後に二つの説明が対立することになる。
Tank 610へ水が入ったことは分かっている。
では、
その水は、なぜ入ったのか。
配管洗浄から入り込んだのか。
それともUnion Carbideが後に主張したように、誰かが意図的に投入したのか。
次回はボパール事故で最も混同されやすい「原因」の問題を、政府調査・科学調査・企業側主張に分けて検証する。
CASE FILE 33|ボパール化学工場事故 1984(全10回)
- 第1回|ボパール化学工場事故とは?|1984年、一夜で都市を覆った有毒ガス災害
- 第2回|ボパール工場は何を作っていたのか|農薬製造工程と危険物MICの貯蔵
- 第3回|事故前、工場の安全余裕はどう失われたのか|保守・安全設備・過去の漏洩を追う
- 第4回|タンクE610で何が起きたのか|水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出
- 第5回|1984年12月3日未明、ガスはどう市街地へ広がったのか|漏洩発覚からボパール駅まで
- 第6回|病院は何に対処していたのか|未知の有毒曝露とボパール最初の72時間【現在の記事】
- 第7回|ボパール事故の原因はどこまで確定しているのか|政府調査と「破壊工作説」を分ける
- 第8回|ユニオン・カーバイドの責任はどう裁かれたのか|1989年和解から2023年最高裁まで
- 第9回|ボパールの健康被害はどこまで続いたのか|ICMR長期追跡調査を読む
- 第10回|事故から40年以上、何が終わっていないのか|補償・医療・工場跡地と有害廃棄物
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出典・参考資料
-
Indian Council of Medical Research (ICMR),
“Clinical Studies on the Methyl Isocyanate (MIC) / Toxic Gas Exposed Population of Bhopal” -
Indian Council of Medical Research / Bhopal Gas Disaster Research Centre,
“Health Effects of the Toxic Gas Leak from the Union Carbide Methyl Isocyanate Plant in Bhopal:
Technical Report on Population Based Long Term Clinical Studies (1985–1994)” -
Indian Council of Medical Research,
Technical Report on Population Based Long Term Epidemiological Studies (1985–1994) -
Dhara VR, Gassert TH,
“The Bhopal syndrome: persistent questions about acute toxicity and management of gas victims”,
International Journal of Occupational and Environmental Health, 2002 - “Disaster at Bhopal: the accident, early findings and respiratory health outlook in those injured”
資料上の注意:
本記事の急性期症状・入院患者数・死亡数・治療内容は、主としてICMRが事故後に集積したHamidia Hospitalの臨床記録に基づく。
978人はHamidia Hospitalへの入院患者であり、ボパール全体の患者数を示すものではない。
また、急性期に住民が曝露したガスは一般に「MIC」と呼ばれるが、Tank 610内部では複数の高温反応が起きており、ICMRはMICと反応生成物を含む「toxic gas(es)」として扱っている。
チオ硫酸ナトリウムについては、その後ICMRによる臨床研究が行われたものの、シアン化物の寄与および急性期治療としての位置づけには医学的論争があるため、「確立された特効薬」とは記載しない。
長期呼吸器障害、眼科的予後、妊娠、神経・精神症状などは第9回で長期追跡資料から別途検討する。