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1984年12月3日の朝。
ボパールでは、まだ死亡者数すら把握できていなかった。
しかし事故が巨大であることだけは明らかだった。
工場を所有・運営していたのはインド法人Union Carbide India Limited(UCIL)。
その株式50.9%を保有していたのが、米国ニューヨークを本拠とするUnion Carbide Corporation(UCC)だった。
数十万人規模の被害が生じたとき、一つの問題がすぐに浮かび上がった。
誰が、誰に、いくら支払うのか。
そしてもう一つ。
この事故について、誰が刑事責任を負うのか。
この二つは同じ問題ではない。
ボパール事故では、民事補償と刑事責任が複雑に絡みながら、その後数十年にわたって別々の司法手続をたどることになる。
先に結論|「4億7000万ドル払って終わった」ではない
ボパール事故後の司法手続を非常に大きく分けると、こうなる。
| 問題 | 主な結末 |
|---|---|
| 被害者への民事補償 | 1989年、UCCが4億7000万ドルを支払う包括和解 |
| 1989年和解で消された刑事手続 | 1991年、最高裁が刑事手続を復活 |
| UCILインド人幹部らの刑事責任 | 2010年、7人とUCILが過失による死亡等で有罪 |
| より重い刑事責任 | 1996年最高裁判断によりSection 304 Part IIではなく304-Aで審理 |
| 1989年和解の追加増額 | 2023年、最高裁がインド政府のCurative Petitionを棄却 |
したがって、
1989年和解=すべての責任について最終判決が出た
という理解は正しくない。
特に重要なのは、4億7000万ドルという金額が、
裁判でUCCの法的責任額を審理して確定した損害賠償判決ではなく、訴訟途中で成立した和解額
だったことである。
1985年|インド政府が被害者を代表する法律を作った
事故後、数十万人に及ぶ可能性のある被害者が、それぞれ個別に巨大企業を訴えることは現実的ではなかった。
そこでインド議会は、
Bhopal Gas Leak Disaster (Processing of Claims) Act, 1985
を制定した。
法律は1985年3月29日に成立し、同年2月20日に遡って効力を持つものとされた。
この法律の最大の特徴は、中央政府に、
ボパール事故に関連する被害者の請求を代表して行動する排他的権限
を与えたことである。
中央政府は被害者に代わって、
- 訴訟を起こす
- 他の法的手続を行う
- 和解する
ことができるようになった。
つまり以降の巨大訴訟では、
インド政府自身が多数の被害者を代表してUCCと争う
という構造になった。
最初の大きな訴訟の舞台は、インドではなくアメリカだった
事故後、UCCの本拠地であるアメリカでも、多数の損害賠償訴訟が起こされた。
それらはニューヨーク南部地区連邦地方裁判所へ集約された。
1986年の判決では、145件の訴訟が係属し、約20万人の原告が関係していたと記録されている。
原告側から見れば、米国企業UCCをアメリカの裁判所で追及するという構図である。
ところがUCCは、この訴訟の審理場所に異議を唱えた。
主張したのが、
forum non conveniens
――より適切な裁判地が別に存在する場合、現在の裁判所が事件を却下できるという考え方だった。
事故現場はインド。
多くの被害者もインド。
工場従業員もインド。
証人や物証の多くもインドにある。
1986年6月10日、John F. Keenan判事は、訴訟をインドで扱うことが適切だとして、ニューヨークの統合訴訟を却下した。
FACT CHECK|アメリカの裁判所がUCCを「無罪」としたのではない
ニューヨーク連邦地裁は事故責任の有無を審理してUCCを免責したわけではない。
判断したのは、
「この巨大訴訟をどこの国の裁判所で扱うべきか」
という管轄・裁判地の問題だった。
UCCにはインド裁判所の管轄へ服することなどが条件とされた。
1986年|インド政府は33億ドルを求めてUCCを訴えた
アメリカでの訴訟がインドへ移ったあと、インド政府はボパール地方裁判所でUCCに対する民事訴訟を起こした。
請求額は、およそ33億米ドルだった。
しかし、本案判決まで待っていれば被害者救済に長い時間がかかる。
そこで政府は、裁判中でも先に一部資金を支払わせるinterim compensation――暫定補償を求めた。
1987年12月17日、ボパール地方裁判所はUCCに対し、
3億5000万ルピー
ではなく、
350 crore rupees=35億ルピー
の暫定補償を命じた。
UCCが争った結果、1988年4月4日にマディヤ・プラデーシュ高等裁判所はこれを250 crore=25億ルピーへ減額した。
インド政府とUCCの双方がこの判断を不服として最高裁へ進む。
そこで事態が大きく変わった。
1989年2月|最高裁で突然成立した4億7000万ドル和解
最高裁で争われている途中、インド政府とUCCは和解交渉へ入った。
1989年2月14日と15日、最高裁はその合意を記録した。
UCCが支払う金額は、
4億7000万米ドル。
当時の換算で約750 crore rupeesだった。
支払期限は1989年3月31日。
これは、
ボパール事故から生じた請求・権利・責任についての包括的和解
として作られた。
最高裁は、長期化する訴訟よりも被害者へ早急に資金を提供する必要性を重視した。
事故からすでに4年以上が経過していた。
長期裁判を続ければ、最終判決、控訴、さらに外国での執行まで何年かかるか分からない。
その不確実性と即時救済を比較した結果が4億7000万ドルだった。
4億7000万ドルは「事故責任を裁判で計算した結果」ではない
この点は、2023年の最高裁判断を理解するうえでも重要になる。
1989年の訴訟は、本案について最後まで審理されていない。
UCCがどこまで法的責任を負うのか。
被害者一人ひとりに法律上いくら支払うべきなのか。
それらを証拠調べの末に裁判所が判決したわけではない。
2023年の最高裁も、この点を明確にしている。
1989年の和解は、UCCの責任または本来支払うべき賠償総額についての司法判断ではなかった。
訴訟を続ける不確実性を避け、早期救済を得るための合意だった。
1989年の4億7000万ドルをどう読むべきか
× 「最高裁が被害総額を4億7000万ドルと認定した」
× 「裁判でUCCの責任が4億7000万ドルと確定した」
○ 「インド政府とUCCが4億7000万ドルで包括和解し、最高裁がその和解を記録した」
そして1989年和解は、刑事事件まで消していた
1989年の和解には、現在から見ると極めて重要な条項が含まれていた。
民事請求だけではない。
事故に関係する刑事手続も打ち切る内容になっていた。
つまり当初の和解は、
民事補償を4億7000万ドルで終結
+
関係する刑事事件も終了
という非常に広い効果を持っていた。
この部分には強い批判が起こり、最高裁へReview Petition――再審査請求が出された。
1991年|最高裁は和解を維持したが、刑事事件を復活させた
1991年10月3日、インド最高裁の憲法法廷は1989年和解を再検討した。
結論は二つに分かれた。
第一に、
4億7000万ドルの民事和解そのものは維持する。
第二に、
刑事手続を消した部分は適切ではなく、撤回する。
これにより、一度終了していた刑事事件が再び動き始めた。
ここから、
「企業が補償金を支払ったこと」と「関係者が犯罪行為について責任を負うか」
が、法的にも明確に分離される。
刑事事件では、当初もっと重い罪が問題になった
インド側の刑事事件では、UCIL幹部らについて、
IPC Section 304 Part II
――結果として死亡を生じ得ることを認識しながら行為した場合に問題となる「culpable homicide not amounting to murder」の適用が争われた。
しかし1996年9月13日、インド最高裁は、
当時示されていた証拠では、被告らが人の死亡を生じさせることを認識しながら行為したとするSection 304 Part IIの構成までは成立しない
と判断した。
一方で、工場の構造・運転上の欠陥と被告らの過失については、少なくともprima facie――一応の事件成立を認める材料があるとして、
Section 304-A――過失による死亡
で刑事裁判を続けることを認めた。
この違いは、その後の刑罰上大きな意味を持つ。
当時のSection 304-Aの法定刑上限は2年だったからである。
2010年|事故から25年以上後、初めて有罪判決
2010年6月7日。
事故から25年6か月後。
ボパールのChief Judicial Magistrate裁判所は、UCILの元幹部らに判決を言い渡した。
有罪となった個人は7人。
- Keshub Mahindra――元UCIL会長
- Vijay Gokhale――元Managing Director
- Kishore Kamdar――元Vice President
- J. Mukund――元Works Manager
- S.P. Choudhary――元Production Manager
- K.V. Shetty――元Plant Superintendent
- S.I. Qureshi――元Production Assistant
さらに法人としてUCILも有罪となった。
個人被告にはSection 304-Aなどに基づき、最大2年間の禁錮刑が言い渡された。
裁判所は、工場運転に関係した被告らの過失を認定した。
FACT CHECK|「8人が有罪」表記に注意
2010年判決について「8人が有罪」とする当時報道もあるが、整理すると、
7人の生存していたUCIL元幹部+法人UCIL
が有罪となった。
別の個人被告R.B. Roy Choudhuryは裁判中に死亡していた。
また米UCC元会長Warren Andersonはこの2010年判決で有罪判決を受けた被告ではなく、インドの刑事手続ではabsconderとして別扱いだった。
なぜ「数千人死亡」で最高2年だったのか
判決後、とくに強い批判を受けたのが刑の軽さだった。
数千人が死亡した大規模産業災害なのに、個人への最大刑は2年。
しかしこれは2010年の裁判官が自由に刑を2年へ軽くしたというだけではない。
大きく影響したのが、1996年の最高裁判断だった。
より重いSection 304 Part IIの適用が外れ、
Section 304-A――causing death by negligence
で裁判が進んだ。
その法定刑上限が2年だった。
したがって、
事故規模
≠
裁判所が自由に選べる最大刑
である。
刑事司法では、被害規模だけでなく、どの犯罪構成要件を証拠で立証できるかによって刑の範囲が決まる。
2010年判決で刑事事件が完全終了したわけではない
有罪となった元幹部らは2010年判決を不服として控訴した。
一方、CBI側も刑罰が軽すぎるとして争っている。
そのため、
2010年6月7日=刑事事件の最終確定日
ではない。
2026年時点でも、2010年有罪判決をめぐる控訴手続はボパールの裁判所で続いている。
事故から40年以上たっても、刑事事件の一部はなお手続上完結していない。
民事側では、2010年に政府が和解金の追加を求めた
一方、民事補償では別の問題が浮上した。
1989年の4億7000万ドル和解は、当時想定した死亡者数・負傷者数を基に作られていた。
しかしその後、補償対象として認定された人数は、当初の想定と大きく異なった。
特に「minor injury」に分類された人数は大幅に増えた。
インド政府は2010年、最高裁へCurative Petitionを提出する。
主張の中心は、
1989年和解を維持したまま、UCC側に追加資金を負担させたい
というものだった。
政府が挙げた理由には、
- 死亡・傷害人数について当初想定との差
- 救済・リハビリテーション費用
- 環境劣化に関連する費用
などが含まれた。
2010年時点の一つの算定方法では総額約7,844.92 crore rupees、2022年に更新された同方式では約13,998.54 croreという数字も最高裁資料に示された。
ただしこれは、
「最高裁が認定した追加賠償額」ではない。
政府側がCurative Petitionの中で提示した計算である。
2023年3月14日|最高裁は追加請求を棄却した
2010年に提出されたCurative Petitionについて、5人の裁判官からなるインド最高裁法廷が2023年3月14日に判断した。
結論は、
棄却。
政府が求めた形で1989年和解額を追加増額することは認めなかった。
ただし、この判決を
「最高裁が被害者への補償は十分だったと道徳的に宣言した」
とだけ理解すると、判断構造を取り落とす。
最高裁が重視したのは、Curative Petitionという極めて例外的な手続で、すでに確定した和解をどう扱えるのかという法的問題だった。
政府は「和解を取り消したい」のではなく「金額だけ増やしたい」と求めた
2023年判断の核心の一つがここにある。
インド政府は、
「1989年和解そのものが無効だから全部やり直したい」
とは求めなかった。
和解の効力は残す。
しかし金額だけ追加する。
最高裁はこの要求を、“top up”と表現した。
裁判所は、
和解が有効なら一方当事者だけの要求で金額を後から上乗せする法的根拠はなく、和解を破棄するなら元の訴訟そのものを復活させることになる
という問題を指摘した。
政府はそこまで求めていなかった。
このため、「和解を残したまま追加金だけUCC側へ負担させる」という請求は認められなかった。
2023年最高裁は、インド政府にも厳しい指摘をした
1991年の最高裁判断では、もし和解資金が将来不足した場合には、
福祉国家としてインド政府が不足分を補う責任を負う
という多数意見が示されていた。
また将来発症する可能性のある人々について、医療保険を用意する考えも示されていた。
2023年最高裁は、その保険が実際には用意されなかったことについて、
政府側の重大な不履行を指摘した。
つまり2023年判決は、
「UCCにはこれ以上何の問題もない」
という企業評価を行った判決ではない。
1989年に成立し、1991年にも維持された和解を、2023年にCurative Petitionを使って一方的に増額できるか
という限定された法的問題への回答だった。
2023年最高裁判決が「決めたこと/決めていないこと」
決めたこと:
インド政府が求めた方法で、1989年和解へ追加負担を上乗せするCurative Petitionは認めない。
決めていないこと:
1984年事故の技術原因を新たに認定したわけではない。
決めていないこと:
UCCの不法行為責任額を2023年に本案審理して算定したわけではない。
決めていないこと:
事故被害が4億7000万ドル相当だったと医学的・社会的に再評価したわけではない。
40年の司法手続を一本にすると
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1984 | ボパール化学工場事故 |
| 1985 | Bhopal Gas Leak Disaster (Processing of Claims) Act成立 |
| 1986 | 米連邦地裁がforum non conveniensにより訴訟をインドへ |
| 1986 | インド政府がボパールで約33億ドルを求めてUCCを提訴 |
| 1987 | ボパール地方裁判所が350 croreの暫定補償を命令 |
| 1988 | 高裁が250 croreへ減額 |
| 1989 | 最高裁で4億7000万ドルの包括和解成立 |
| 1991 | 民事和解を維持、刑事手続を復活 |
| 1996 | 最高裁がSection 304 Part IIを外し、304-A等での審理へ |
| 2010 | UCIL元幹部7人とUCILが有罪 |
| 2010 | インド政府が追加負担を求めCurative Petition提出 |
| 2023 | 最高裁がCurative Petitionを棄却 |
| 2026 | 2010年刑事有罪判決をめぐる控訴手続はなお継続 |
「企業責任」は一つの判決で決まったわけではなかった
ボパール事故では、
「Union Carbideは責任を取ったのか」
という問いに、YESかNOだけで答えるのは難しい。
UCCは4億7000万ドルを和解金として支払った。
しかしその和解は、事故責任について本案判決を受けた結果ではない。
UCILとインド人幹部らについては刑事裁判が行われ、2010年に有罪判決が出た。
一方、刑の上限は2年だった。
さらにその有罪判決自体も控訴され、その手続は長期間続いている。
民事と刑事。
米国企業UCCとインド法人UCIL。
企業と個人。
補償と処罰。
それらを一つの「責任」という言葉へまとめると、ボパール事故後の司法過程は見えにくくなる。
まとめ|1989年に金額は決まった。しかし事故の後始末は終わらなかった
1985年、インド政府は被害者の請求を一括して代表する法律を作った。
当初アメリカで始まった巨大訴訟はインドへ移され、インド政府はUCCに約33億ドルを請求した。
しかし本案判決まで進む前に、1989年、UCCが4億7000万ドルを支払う包括和解が成立した。
この和解は早期救済を目的としたもので、裁判所がUCCの最終的な損害賠償責任額を本案審理で計算した判決ではない。
当初は刑事事件まで終了させたが、1991年に最高裁がその部分を取り消し、刑事手続を復活させた。
1996年には適用可能な刑事罪名がSection 304-Aなどへ整理され、2010年、UCIL元幹部7人と会社UCILに有罪判決が出た。
そして2010年、インド政府は1989年和解への追加負担を求めた。
しかし2023年最高裁は、
確定した和解を維持したまま金額だけを一方的に「top up」することはできない
として請求を退けた。
事故から数十年にわたる法的手続を見ると、一つのことが分かる。
1989年に和解金は決まった。
しかし、
誰がどこまで責任を負ったのかという問題まで、その日にすべて終わったわけではなかった。
そして法律が扱う「補償」とは別に、さらに長い時間軸の問題が残った。
事故を生き延びた人々の身体である。
呼吸器。
眼。
死亡率。
がん登録。
事故から年月がたったあと、どの健康影響が実際に確認されたのか。
次回は、印象や証言だけではなく、ICMRが続けた長期追跡調査を読む。
CASE FILE 33|ボパール化学工場事故 1984(全10回)
- 第1回|ボパール化学工場事故とは?|1984年、一夜で都市を覆った有毒ガス災害
- 第2回|ボパール工場は何を作っていたのか|農薬製造工程と危険物MICの貯蔵
- 第3回|事故前、工場の安全余裕はどう失われたのか|保守・安全設備・過去の漏洩を追う
- 第4回|タンクE610で何が起きたのか|水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出
- 第5回|1984年12月3日未明、ガスはどう市街地へ広がったのか|漏洩発覚からボパール駅まで
- 第6回|病院は何に対処していたのか|未知の有毒曝露とボパール最初の72時間
- 第7回|ボパール事故の原因はどこまで確定しているのか|政府調査と「破壊工作説」を分ける
- 第8回|ユニオン・カーバイドの責任はどう裁かれたのか|1989年和解から2023年最高裁まで【現在の記事】
- 第9回|ボパールの健康被害はどこまで続いたのか|ICMR長期追跡調査を読む
- 第10回|事故から40年以上、何が終わっていないのか|補償・医療・工場跡地と有害廃棄物
出典・参考資料
-
Government of India,
“The Bhopal Gas Leak Disaster (Processing of Claims) Act, 1985” -
United States District Court, Southern District of New York,
“In re Union Carbide Corporation Gas Plant Disaster at Bhopal, India”,
12 May / 10 June 1986 proceedings concerning forum non conveniens -
Supreme Court of India,
“Union Carbide Corporation v. Union of India”,
Orders dated 14–15 February 1989 and Statement of Reasons dated 4 May 1989 -
Supreme Court of India,
“Union Carbide Corporation v. Union of India”,
Review Judgment, 3 October 1991 -
Supreme Court of India,
“Keshub Mahindra v. State of Madhya Pradesh”,
13 September 1996 -
Central Bureau of Investigation,
statement concerning the Bhopal gas tragedy criminal judgment,
7 June 2010 -
Supreme Court of India,
Union of India & Others v. Union Carbide Corporation & Others,
Curative Petition (Civil) Nos.345–347 of 2010,
Judgment dated 14 March 2023
資料上の注意:
1989年の4億7000万ドルは、UCCの不法行為責任と損害総額を本案審理によって確定した判決額ではなく、インド政府とUCCの包括和解額である。
1989年和解は当初刑事手続も終了させたが、1991年最高裁Review Judgmentによって刑事手続部分が復活した。
2010年判決は7人のUCIL元幹部と法人UCILに対するもので、米UCC本体またはWarren Andersonに対する有罪判決と混同しない。
2023年最高裁判決は1984年事故の技術原因やUCCの損害賠償責任額を新たに本案審理したものではなく、1989年和解への追加負担をCurative Petitionによって求められるかを主に判断したものである。
また、2010年刑事判決に対する控訴手続は2026年時点でも継続しているため、刑事事件を「2010年に完全確定」とは記載しない。