2010年10月12日夜。
サンホセ鉱山の地上に設置された救出プラットフォームから、一人の男がFénix 2へ乗り込んだ。
しかし、彼は33人のうちの一人ではない。
Codelcoの鉱山救助員、
マヌエル・ゴンサレス。
救出作戦の最終段階は、
33人を上げる前に、救助員を地下622mへ送り込む
ところから始まった。
Fénix 2が細い救出孔を下降する。
地下では、69日間閉じ込められてきた33人が待っている。
ゴンサレスが地下へ到着すると、救出用ハーネス、健康状態、カプセルへの乗り込みを確認しながら、一人ずつ地上へ送り出す作業が始まった。
最初の作業員が地上へ姿を現したのは、
10月13日午前0時10分ごろ。
33人目が出たのは、
同日21時55分ごろ。
約23時間。
Fénix 2は地上と地下を何度も往復し、33人全員を地表へ運んだ。
だが、33人目が出たところで作戦はまだ終わっていない。
地下には救助員が残っていた。
最後に地下を離れたのも、最初に降りたマヌエル・ゴンサレスだった。
今回は、
2010年10月12日夜から13日深夜まで、Operación San Lorenzoの最後の約24時間
を時系列で追う。
CASE FILE 32|チリ鉱山33人救出 2010(全10回)
- 第1回|チリ鉱山33人救出とは?
- 第2回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか
- 第3回|生存確認までの17日間
- 第4回|どうやって地下の33人を見つけたのか
- 第5回|地上と地下をどうつないだのか
- 第6回|33人の出口をどう掘ったのか
- 第7回|Fénix 2はどう設計されたのか
- 第8回|33人はどう地上へ戻ったのか|Fénix 2による約23時間の全員救出【現在の記事】
- 第9回|救出成功のあと何が問われたのか
- 第10回|映画『チリ33人 希望の軌跡』はどこまで実話なのか
先に結論|33回同じ作業を繰り返したわけではない
救出映像だけを見ると、
Fénix 2が地下へ降りる。
一人が乗る。
地上へ上がる。
そして次の人を迎えに降りる。
という単純な往復作業に見える。
しかし実際には、一人を救出するたびに、
- 地下側で乗員の健康状態を確認
- 救出用装備を着用
- Fénix 2へ乗り込む
- ハーネス・通信・酸素等を確認
- 地上側と地下側で準備完了を確認
- 巻上げ開始
- 孔内を数百m上昇
- 地上到着
- 乗員を降ろす
- Fénix 2を点検
- 再び地下へ下降
という工程を繰り返している。
そして救出途中で通信設備に故障が起きれば、
運用方法そのものを切り替えなければならなかった。
救出開始前|地上には医療チームが待機していた
救出された33人がカプセルから降りれば、それで終わりではない。
69日間の地下生活を終えた直後である。
地上側には事前に医療チームが配置されていた。
Codelcoの記録によれば、救出された作業員はまず現地の医療設備で診察を受け、その後必要に応じてコピアポ病院へ搬送する体制が準備されていた。
救出時には、
- 血圧
- 心拍
- 呼吸状態
- 脱水
- 循環器症状
- 皮膚・眼の状態
などを確認する必要がある。
また69日間ほとんど自然光を浴びていなかったため、地上へ出る際には遮光性の高いサングラスも使用された。
救出チームは14人|そのうち6人が地下へ降りた
Codelcoの公式記録では、最終救出作戦を担当した救助員は14人だった。
内訳には、
- Codelcoの鉱山救助員
- 民間鉱山関係者
- チリ海軍の衛生・救助要員
- アタカマ地域の救助員
などが含まれていた。
そのうち6人がFénix 2を使って実際に地下へ降りている。
最初に降りたのが、Codelco El Tenienteの救助員
マヌエル・ゴンサレス
だった。
なぜ救助員を先に地下へ送る必要があったのか
Fénix 2は完全自動のエレベーターではない。
地下側で、
誰を次に乗せるか。
乗員の体調に問題はないか。
ハーネスが正しく固定されているか。
通信設備が使えるか。
カプセルに異常はないか。
を確認する人が必要になる。
また救出の途中で作業員の体調が変化した場合、
予定していた救出順序を変更する判断
も必要になる。
救助員は単なる「乗せ係」ではなく、
地下側の運用・安全・医療判断を支える要員だった。
最初に誰を出すか|「最も弱い人」ではなかった
救出順序は、単純な年齢順でも名前順でもない。
当時公表された計画では33人を大きく三つのグループへ分けた。
| グループ | 人数 | 考え方 |
|---|---|---|
| 第1群 | 5人 | 身体状態が良く、途中で問題が起きても状況を説明・対応できる人 |
| 第2群 | 11人 | 健康上の問題などから比較的早く地上へ出す必要がある人 |
| 第3群 | 17人 | 比較的体力があり、長時間地下に残ることができる人 |
最初の数人は、
Fénix 2の実運用を人間が乗った状態で確認する役割
も持っていた。
万一、
途中で強い振動がある。
車輪が異常な音を出す。
通信状態が悪い。
予想以上に身体的負担が大きい。
という問題が起きた場合、
地上へ戻った後に具体的な情報を救助チームへ伝えられる人が望ましい。
なぜフロレンシオ・アバロスが最初だったのか
33人の中で最初に選ばれたのは、
フロレンシオ・アバロス
だった。
当時31歳。
地下ではシフト責任者ルイス・ウルスアを補佐する立場にあり、身体状態も良好と判断されていた。
最初の乗員には、
「最も早く出してあげたい人」
ではなく、
「最初の実運用に適した人」
が選ばれたのである。
10月12日夜|マヌエル・ゴンサレスが地下へ降りる
地上からFénix 2がゆっくり下降していく。
乗っているのはゴンサレス。
彼自身も、これから通る600m以上の救出孔が人間を乗せた状態で問題なく運用できるかを確認する最初の人物になる。
地下へ到着。
カプセルの扉が開く。
69日ぶりに、33人のもとへ地上から人間が直接入った。
この時点で、
地上と地下は初めて、
「物資・通信」ではなく「人間が往来できる経路」
になった。
最初の上昇|フロレンシオ・アバロス
アバロスがFénix 2へ入る。
身体をハーネスで固定する。
装備を確認する。
扉を閉じる。
地下側が準備完了を伝える。
巻上げ開始。
数百mの救出孔をFénix 2が上昇していく。
地上側では家族、医療スタッフ、救助関係者、チリ政府関係者が待っていた。
そして10月13日午前0時10分ごろ。
Fénix 2が地表へ到着した。
扉が開く。
フロレンシオ・アバロスが地上へ出た。
事故から69日。
33人のうち最初の一人が、サンホセ鉱山から生還した。
最初の一人が成功した意味
アバロスが無事に地上へ出たことで、
救助チームは初めて、
- Fénix 2が人間を乗せて全区間を通過できる
- 巻上げ設備が正常に作動する
- 救出孔の曲がりを通過できる
- 乗員の身体が上昇に耐えられる
- 通信が機能する
ことを実運用で確認できた。
Fénix 1による事前試験とは意味が違う。
実際の作業員を622m運んだ状態で、システム全体が成立した。
ここから作戦は連続運転へ移る。
2人目|マリオ・セプルベダ
次に地上へ出たのは、
マリオ・セプルベダ。
地下から送られた映像でも頻繁に話していた人物である。
セプルベダは地上へ出ると、地下から持ってきた石などを周囲へ渡し、声を上げた。
映像としては非常に印象的な場面だった。
しかし救助側から見ると重要なのは、
二回連続で人員搬送が成功した
ことである。
これによってFénix 2の往復運転に対する信頼性はさらに高まった。
4人目|唯一のボリビア人カルロス・ママニ
4番目に救出されたカルロス・ママニは、33人の中で唯一のボリビア人だった。
彼を含め、救出は事前に策定された順序を基本として進められた。
ただし医療状態が変化すれば、
地下側の救助員と地上側医療チームが相談し、変更できる運用だった。
固定されたプログラムを機械的に実行していたわけではない。
最初の5人|「ハビレス」を先に出す
最初の5人は、
- Florencio Ávalos
- Mario Sepúlveda
- Juan Illanes
- Carlos Mamani
- Jimmy Sánchez
だった。
当時の報道では、この最初のグループを、
「hábiles」――状況対応能力の高い者
として分類している。
最初に体力の弱い人を出さなかったのは、
Fénix 2による人員搬送そのものが、まだ本番で使い始めたばかりだったからである。
その後は医療上の優先度を反映していく
最初の実運用確認が終わると、救出は健康状態などを考慮したグループへ移った。
長期間の地下生活では、
年齢。
持病。
皮膚疾患。
呼吸器症状。
循環器系。
など、状態は33人全員で同じではない。
そこで比較的早く医療評価が必要な人を先へ送り、
地下でさらに十数時間待てる体力のある者を後方へ残した。
救出順序|33人はこの順番で地上へ戻った
| 順 | 氏名 |
|---|---|
| 1 | Florencio Ávalos |
| 2 | Mario Sepúlveda |
| 3 | Juan Illanes |
| 4 | Carlos Mamani |
| 5 | Jimmy Sánchez |
| 6 | Osmán Araya |
| 7 | José Ojeda |
| 8 | Claudio Yáñez |
| 9 | Mario Gómez |
| 10 | Álex Vega |
| 11 | Jorge Galleguillos |
| 12 | Edison Peña |
| 13 | Carlos Barrios |
| 14 | Víctor Zamora |
| 15 | Víctor Segovia |
| 16 | Daniel Herrera |
| 17 | Omar Reygadas |
| 18 | Esteban Rojas |
| 19 | Pablo Rojas |
| 20 | Darío Segovia |
| 21 | Yonni Barrios |
| 22 | Samuel Ávalos |
| 23 | Carlos Bugueño |
| 24 | José Henríquez |
| 25 | Renán Ávalos |
| 26 | Claudio Acuña |
| 27 | Franklin Lobos |
| 28 | Richard Villarroel |
| 29 | Juan Carlos Aguilar |
| 30 | Raúl Bustos |
| 31 | Pedro Cortés |
| 32 | Ariel Ticona |
| 33 | Luis Urzúa |
Fénix 2は一人を上げるたびに点検された
一人が地上へ出る。
するとすぐに次の人を迎えに降ろしたわけではない。
設計者Alejandro Pobleteも地上側に立ち会い、
一回ごとにFénix 2の状態を確認した
とCodelcoは記録している。
確認対象になるのは、
- 側面ローラー
- 鋼製フレーム
- ハーネス
- 通信機器
- 巻上げ接続部
などである。
数百mの岩盤孔を往復するたび、接触や振動を受ける。
異常が小さいうちに発見しなければ、
次の乗員を乗せた状態で故障する可能性がある。
救出速度は徐々に上がっていった
最初の数回は慎重に行われた。
実際の人間を乗せて、
カプセル。
救出孔。
巻上げ設備。
地下側作業。
地上側作業。
すべてが予定どおり機能するか確認する必要があったからである。
しかし往復を重ねるにつれて、
作業員も救助員も手順に習熟する。
乗り込み。
固定。
点検。
下降。
という各工程が安定し、
救出サイクル全体が徐々に短縮されていった。
地下側にも救出を止めないための人員を残す
救出が進めば、地下に残る作業員は減っていく。
しかし人数が減っても、
救出運用に必要な仕事まで減るわけではない。
Fénix 2を受け入れる。
通信する。
次の乗員を準備する。
機材を移動する。
そのため最後まで、
救助員と作業能力のある鉱山作業員を地下側へ残す
必要があった。
15時30分ごろ|救出中に光ファイバーが切れた
順調に見えた救出作戦にも、途中で実際の異常が発生している。
10月13日15時30分ごろ。
岩石が落下し、地下と地上をつないでいた光ファイバーが切断された。
映像が消えた。
これは単なるテレビ中継の問題ではない。
地上側の巻上げオペレーターは、地下の映像をFénix 2の位置決めにも利用していた。
つまり、
運転監視系の一つが失われた。
しかし救出は止めなかった|バックアップ通信へ切り替える
第5回で見たように、地下通信は最終的に一系統だけではなかった。
光ファイバーが失われた後、地上側は以前使用していた別の映像機材を使う方法へ切り替えた。
地下では、
アリエル・ティコナ
と
ペドロ・コルテス
が機材の位置と設定を変更した。
その結果、
電話線を利用して地下映像を再び地上へ送ることに成功した。
主通信系が失われても、救出作戦全体を止めない。
第6回のPlan A・B・Cと同じ思想が、ここにもあった。
FACT CHECK|「世界中へ映像を送るために光ファイバーが必要だった」だけ?
違う。
Codelcoの通信担当者Larry Grenettは、地下映像が巻上げオペレーターによるFénix 2の正確な位置確認にも使われていたと証言している。
そのため15時30分ごろの光ファイバー断は、
放送系の障害だけではなく救出運用上の障害
でもあった。
バックアップ系で映像を復旧したことには、安全運用上の意味があった。
32人目|アリエル・ティコナ
光ファイバー障害の復旧を地下側から支援したアリエル・ティコナは、
32人目
として地上へ向かった。
その時点で地下に残る33人の作業員は、
ただ一人になる。
シフト責任者、
ルイス・ウルスア。
なぜルイス・ウルスアが最後だったのか
ウルスアは事故当日のシフト責任者だった。
崩落後、33人の所在を確認し、
最初の17日間には食料配給や集団行動の中心になった。
地上と接触してからも、
救助側との連絡窓口として重要な役割を担った。
そのため救出でも、
最後まで地下側の責任者を残す
構成が取られた。
これは象徴的な演出だけではない。
最後まで、
地下に残っている人数。
作業状況。
救助員との連携。
を把握できる人物を残すという運用上の意味がある。
21時55分|33人目、ルイス・ウルスア
10月13日夜。
ウルスアがFénix 2へ乗り込んだ。
ここまで32人が通った救出孔を上昇する。
そして21時55分ごろ。
Fénix 2が地上へ到着した。
ウルスアが外へ出る。
これで、
8月5日に地下へ閉じ込められた33人全員が地上へ戻った。
事故から69日。
生存確認から52日ほど。
本格救出開始から、ほぼ23時間だった。
ウルスアは「シフトを引き渡した」
Codelcoの記録では、地上へ出たウルスアはチリ大統領に対して、
自分のシフトを引き渡す
という趣旨の言葉を伝えた。
地下へ入ったシフト責任者が、
33人全員を地上へ戻してから最後に出る。
結果として、69日間続いた地下側の勤務をそこで終えた形になった。
しかし「33人救出完了」は作戦終了ではない
テレビ中継では、ルイス・ウルスアが出た瞬間が「救出完了」として扱われる。
33人という救出対象だけを見れば、そのとおりである。
しかし鉱山内部には、
救助員がまだ残っている。
彼らも同じFénix 2を使って地上へ戻さなければならない。
最後の作業は、
地下に投入した救助チームを回収することだった。
最初に降りた男が、最後に出る
救助員が一人ずつ地上へ戻る。
地下から人が減っていく。
最後に残ったのが、
最初に地下へ入ったマヌエル・ゴンサレスだった。
Codelcoの記録では、
ゴンサレスは最初に降り、最後に上がった救助員
とされている。
33人を送り出したあと、
ゴンサレス自身がFénix 2へ乗る。
そして地上へ向かう。
10月13日深夜。
サンホセ鉱山の地下から、
最後の人間が退出した。
地下が空になった
8月5日以来、
33人が閉じ込められていた地下区域。
8月22日からは地上と細い孔でつながった。
10月9日には人間が通れる救出孔が完成した。
10月12日夜には救助員が降下した。
そして10月13日深夜、
33人と救助員の双方が地上へ戻った。
Codelcoの公式時系列は、この最後を、
「鉱山が完全に空になった」
という形で記録している。
救出当日の運用を時系列で整理する
| 時刻・段階 | 出来事 |
|---|---|
| 10月12日夜 | Fénix 2による最終救出作戦開始。救助員Manuel Gonzálezが最初に地下へ降下。 |
| 10月13日 00:10ごろ | 1人目Florencio Ávalosが地上へ到着。 |
| 未明~朝 | 最初の5人を中心に、Fénix 2の人員搬送を連続実施。 |
| 朝~午後 | 医療上の優先度などを考慮しながら救出継続。 |
| 15:30ごろ | 落石により光ファイバー切断。地下映像を喪失。 |
| その後 | Ariel Ticona、Pedro Cortésらが地下側で通信設備を再構成。電話線経由で映像復旧。 |
| 夜 | 32人目Ariel Ticonaを救出。 |
| 21:55ごろ | 33人目Luis Urzúaが地上へ到着。33人全員救出。 |
| 深夜 | 地下へ降りていた救助員が順次退出。 |
| 深夜 | Manuel Gonzálezが最後に地下を離れ、坑内から全員退出。 |
この救出が「一人ずつ」だった理由
33人を早く出すだけなら、
一度に数人を乗せられる大型カプセルの方が効率的に見える。
しかし救出孔の直径は約70cm級しかない。
一人乗り以外の選択肢は現実的ではなかった。
結果として、
一人上げる。
点検する。
一人分の空カプセルを地下へ戻す。
次の一人を載せる。
という直列処理になる。
設備として言えば、
スループットより一回ごとの安全確認を優先した搬送システム
だった。
23時間止めずに動かすための冗長性
CASE32を第4回から追っていくと、同じ設計思想が何度も現れる。
探査孔を複数掘る。
Plan A・B・Cを並行させる。
Fénix 1・2・3を用意する。
通信系にもバックアップを持たせる。
救出当日に光ファイバーが切れれば電話線系へ切り替える。
一つの方式を絶対に故障しないように作るのではなく、
一つが失われても次の手段へ移れる構成
を積み重ねている。
結果として、実際に通信障害が発生しても救出作戦全体は停止しなかった。
「奇跡」では説明できない23時間
最初の探査孔が33人へ到達したことには、大きな不確実性があった。
Plan Bが最初に貫通したことにも、機械トラブルを乗り越えた経緯がある。
33人が69日間生存したことも異例だった。
だからこの救出が「奇跡」と呼ばれるのは理解できる。
しかし10月13日の23時間について言えば、
映像の裏側にあったのは、
手順化された反復運用
だった。
一人を準備する。
確認する。
上げる。
診察する。
カプセルを確認する。
戻す。
そして異常が起きれば代替系へ切り替える。
33人全員救出という結果は、
救出孔・巻上げ・カプセル・通信・医療・地下要員・地上要員という複数システムを約23時間連続して運用した結果
だった。
33人は助かった。では、事故そのものはどう処理されたのか
10月13日、世界中の関心は33人全員の生還へ集中した。
しかし、
なぜサンホセ鉱山は崩落したのか。
なぜ過去に重大事故があった鉱山が操業していたのか。
会社側の安全管理は適切だったのか。
SERNAGEOMINの監督は十分だったのか。
事故後、誰がどのような責任を問われたのか。
そして救出を経験したチリの鉱山安全制度は何を変えたのか。
救出成功によって、
事故原因と責任の問題まで解決したわけではない。
次回|救出成功のあと何が問われたのか
33人全員が生還したことで、Operación San Lorenzoは成功した。
しかしサンホセ鉱山事故そのものについては、別の検証が始まる。
チリ下院調査。
SERNAGEOMIN。
鉱山所有会社San Esteban Primera。
刑事捜査。
損害賠償。
そして鉱山安全制度。
次回は、
第9回「救出成功のあと何が問われたのか|事故責任・安全監督・サンホセ鉱山のその後」
で、10月13日の歓喜の後に残った問題を追う。
出典・参考資料
-
Codelco, Reporte de Sustentabilidad 2010 / Operación San Lorenzo
― 10月12日の救助員降下、10月13日00:10のFlorencio Ávalos、約23時間の救出、21:55のLuis Urzúaを確認。 -
Codelco, “La brigada de rescate”
― 救出担当14人、地下へ降りた6人、Manuel Gonzálezが最初に降り最後に退出したことを確認。 -
Codelco, “Siempre conectados, el día del ascenso”
― 10月13日15:30ごろの光ファイバー断、映像が巻上げ位置確認に使用されていたこと、電話線を利用した映像復旧、Ariel Ticona・Pedro Cortésの作業を確認。 -
Codelco, “Manuel González, el primer brigadista que entró y el último que salió”
― Manuel Gonzálezの地下降下と最終退出を確認。 -
NASA History, “Chilean Miners Rescue Oral Histories”
― 33人が事故から69日後に全員地上へ戻ったこと、救出まで継続したチリ政府との技術協力を確認。 -
2010年10月12~13日のチリ国内・国際報道
― 救出順序、最初の5人を対応能力の高いグループとし、その後に医療上優先される人、最後に体力のある人を配置した運用を確認。
資料上の注意:
各作業員の地上到着時刻には報道資料によって数分程度の差がある。第1号Florencio Ávalosについても00:04、00:10、00:11などの記録が存在するため、本記事ではCodelcoの2010年公式報告に合わせて「00:10ごろ」とした。最後のLuis UrzúaについてもCodelco公式記録の21:55を採用した。
救出順については当時公表された順番を掲載したが、事前計画は健康状態によって変更可能な運用だった。また「5人のhábiles、11人のdébiles、17人のfuertes」という表現は当時報道で使われた分類であり、医学的診断名ではない。本記事ではそれぞれ「初期運用へ対応しやすい人」「比較的早い医療評価が必要な人」「地下に長く残れる体力のある人」という意味で扱った。
なお、Codelcoの2010年報告には救出中「生命への危険はなかった」という趣旨の総括があるが、実際には通信障害など異常事象も発生している。本記事では公式総括をそのまま「リスクゼロ」と解釈せず、実際に存在した故障モードとバックアップ対応を分けて記述した。