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ボパール化学工場事故タンクE610で何が起きたのか水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出

タンクE610で何が起きたのか|水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出

化学・産業災害

STORY SO FAR

前回「事故前、工場の安全余裕はどう失われたのか|保守・安全設備・過去の漏洩を追う」で確認した論点を受け、この回ではタンクE610で何が起きたのか | 水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出について、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。

1984年12月2日、深夜。

ボパール工場の地下に設置されていたMIC貯蔵タンクTank 610の内部で、静かに異常が進んでいた。

外から見れば、ただのステンレス製タンクだった。

しかし内部では、貯蔵されていたイソシアン酸メチル――MICに、本来入ってはならない水が混入していた。

MICと水は反応する。

しかも、その反応は熱を出す。

温度が上がれば反応速度はさらに上がる。反応が速くなれば、さらに多くの熱とガスが生じる。

やがて、


反応する
↓
熱が出る
↓
温度が上がる
↓
反応が速くなる
↓
さらに熱とガスが生じる

という自己加速状態に入った。

これが暴走反応(runaway reaction)である。

Tank 610の圧力は急上昇した。

そして圧力が安全系統の設定値を超えると、タンクを破裂から守るためのリリーフ系が作動した。

問題は、その先だった。

タンクから逃がされた有毒ガスを処理するはずの設備が、十分な能力を発揮できなかった。

こうしてTank 610内部の化学反応は、数時間のうちに都市規模の災害へ変わっていった。

先に結論|Tank 610は「爆発した」のではない

ボパール事故は、ときに

「MICタンクが爆発した事故」

と説明される。

しかし、事故の仕組みを理解するうえでは、この表現は避けた方がよい。

Tank 610内部では非常に激しい化学反応が起き、温度と圧力が急上昇した。

だが、タンクそのものが爆発して裂け、内容物が一瞬で飛散したわけではない。

圧力が上昇すると、


Tank 610
↓
Rupture Disc(破裂板)
↓
Safety Relief Valve(安全逃し弁)
↓
Relief Valve Vent Header
↓
Vent Gas Scrubber
↓
大気放出ライン

という経路へガスが流れる設計だった。

事故では、タンク内部の圧力上昇によって破裂板と安全逃し弁が作動し、大量のガスがこの系統へ流れ込んだ。

つまり、

タンクを守るために圧力を逃がした結果、その放出物を処理する側の能力が問題になった

のである。

FACT CHECK|「Tank 610爆発」は正確ではない

Tank 610内部では爆発的な速度の化学反応が進行したが、貯蔵タンク自体が破裂して内容物を直接市街地へ撒き散らした事故ではない。

内部圧力が上昇し、破裂板と安全逃し弁を通じてガスがリリーフ系へ放出された。

本シリーズでは「タンク爆発」ではなく、原則として暴走反応・圧力上昇・大量放出と表現する。

事故前のTank 610には大量のMICが残されていた

第2回で見たように、ボパール工場にはMIC貯蔵タンクが3基あった。

  • Tank 610
  • Tank 611
  • Tank 612

事故を起こしたのはTank 610である。

ICMRの技術報告は、事故時にTank 610から最終的に放出された量を約40トンとしている。

資料によって放出量の推計には差があるため、40トンを絶対的な確定値として扱う必要はない。

重要なのは、少量の配管漏れではなく、数十トン級のMIC在庫を抱えた貯蔵タンク内部で反応が起きたことである。

さらに、Tank 610の状態には事故以前から問題があった。

1996年のインド最高裁判決に引用された捜査内容では、Tank 610は1984年10月22日以降、ほぼ大気圧に近い状態で保管され、11月30日と12月1日に窒素で加圧しようとしたものの成功しなかったとされている。[4]

本来の運転状態から外れていたことを示す重要な記録である。

事故を開始させたのは、水とMICの接触だった

1985年のインド側科学調査とUnion Carbide側の調査は、立場や最終的な原因論には違いがあるものの、

大量の水がTank 610内部へ入り、MICとの反応を開始させた

という点では共通している。

ここは、ボパール事故で比較的強く確認できる部分である。

一方で、

その水がどの配管から、どのような経路で、なぜタンクへ入ったのか

については議論がある。

配管洗浄作業との関係を重視する説明もあれば、Union Carbideは後に意図的に大量の水を投入した「破壊工作」だったと主張した。

この二つを混ぜてはいけない。

FACT / CLAIM|水流入について

FACTとして扱う:
Tank 610へ水が入り、MICとの反応が暴走反応の引き金になった。

この段階では確定扱いしない:
水が侵入した具体的な配管経路、誰の操作によって入ったのか、意図的だったかどうか。

後者は事故調査資料とUnion Carbide側主張を比較する必要があるため、第7回で検証する。

MICと水が接触すると、なぜ圧力が上がるのか

MICと水の基本的な反応を単純化すると、


MIC + 水
↓
メチルアミンなどの生成物 + 二酸化炭素(CO₂) + 熱

となる。

重要なのは二つある。

熱が発生すること。

そして、

二酸化炭素などのガスが発生すること。

閉じられたタンク内部でガスが生じれば、圧力は上昇する。

さらに反応熱によってMICそのものの温度が上がれば、液体だったMICはより激しく蒸発する。

MICの常圧沸点は約39℃である。

つまり温度が数十℃まで上昇するだけでも、蒸気の発生は大きくなる。

Tank 610内部では、


水との反応によるCO₂生成
+
MICと反応生成物の加熱・蒸発

が同時に圧力を押し上げていった。

実際のタンク内部では、もっと複雑な反応が起きていた

ただし、Tank 610内部の化学を

「MIC+水」

という一つの反応式だけで説明するのも正確ではない。

1985年の科学調査では、事故後にTank 610内部の残留物が採取・分析された。[1]

そこで示されたのは、タンク内部でMICの加水分解だけではなく、複数の反応が同時進行していたという姿だった。

その一つがMICの三量化(trimerization)などの反応である。

これらも発熱を伴う。

さらに、鉄などの物質が存在すると、特定の反応を促進する可能性がある。

Union Carbide側の技術調査は、Tank 610内に通常より高いクロロホルム濃度が存在し、温度上昇とともに腐食が進み、生成した鉄がMICの三量化反応を促進したというメカニズムを提示した。

一方、タンク内部で実際に起きた全反応と、その寄与率を事故後に完全再現することは困難である。

ICMRも後年、Tank 610内では未知の高温・高圧条件のもと複雑な反応生成物が生じたことを指摘している。

したがって、

「水を入れたら直ちにMICが全部気化した」

という単純な現象ではない。

複数の発熱反応が互いに加速しながら進んだ化学的暴走だったと見る方が近い。

なぜ「暴走」したのか|正のフィードバックが成立した

制御系として見ると、Tank 610内部では危険な正のフィードバックが成立したと考えると分かりやすい。

段階 Tank 610内部で起きること
1 水がMICへ混入する
2 発熱反応が始まる
3 MIC温度が上昇する
4 反応速度が増大する
5 他の発熱反応も加速する
6 CO₂・MIC蒸気・反応生成物が増える
7 タンク圧力が上昇する
8 温度上昇によってさらに反応が速くなる

通常の温度制御なら、発生する熱以上の速度で熱を外へ逃がせれば、温度を一定範囲に抑えられる。

しかし第3回で見たように、Tank 610を本来約0℃に保つための冷凍設備は事故時には運転されていなかった。

Tank 610のMICは事故前、約15~20℃程度の周囲温度に近い状態だったとUnion Carbide側の技術調査は推定している。[2]

低温であれば反応速度を遅くし、対応時間を確保できる可能性があった。

だが事故時には、その余裕がなかった。

午後11時ごろ、最初の異常が計器に現れた

事故当夜の記録をTank 610だけに絞って並べると、暴走反応がどのように加速したかが見える。

時刻の目安 Tank 610・MIC設備で確認されたこと
12月2日 23時ごろ Tank 610の圧力上昇が確認される。資料では約10 psigとの記録がある
23時台 MIC設備付近で目の刺激を伴う小規模な漏洩が認識される
12月3日 0時15分ごろ 制御室のTank 610圧力が25~30 psig付近へ急上昇
0時15~30分 現場計器の温度・圧力が測定範囲を超える。ICMR記録では+25℃、55 psigを超過
その後 破裂板・安全逃し弁が作動し、ガスがリリーフ系へ大量流入
0時30分ごろ スタックからガス雲が確認され、工場内警報
1時ごろ MIC設備へ水噴霧を開始するが、放出口上部まで届かない
3時ごろ スタックからの大規模放出が停止したと記録される

この時間経過を見ると、午後11時ごろの圧力上昇から、午前0時台の急激な圧力上昇まで、

反応速度が一定ではなく、途中から急速に加速している

ことが分かる。

これが暴走反応の特徴である。

40 psigを超えると、タンクを守る安全系が作動する

Tank 610には、内部圧力が異常に高くなった場合にタンク本体を守るリリーフ系があった。

インド最高裁判決に記載された設備構成では、Tank 610の圧力が40 psigを超えると、

Rupture Disc(RD:破裂板)

が破れ、その先の

Safety Relief Valve(SRV:安全逃し弁)

が開く構成だった。

これは異常ではなく、最後の圧力保護機能としては設計どおりの方向である。

タンクを密閉したまま圧力上昇を許せば、最悪の場合は容器そのものが破壊される。

そのため圧力を別の安全な設備へ逃がす。

問題は、

「逃がした先が本当に安全だったか」

である。

ガスは本来、Vent Gas Scrubberへ送られるはずだった

安全逃し弁から出たガスは、Relief Valve Vent Headerを通ってVent Gas Scrubberへ送られる設計だった。

VGSでは苛性ソーダを使い、有毒なMICを化学的に中和する。

つまり、


Tank 610で止められない
↓
圧力を安全逃し弁から逃がす
↓
VGSで除害する

という防護構造だった。

しかし事故当夜、ICMRはVGSで苛性ソーダ溶液が循環していなかったと記録している。

英国Health and Safety Executiveも、事故時にVGSを起動しようとしたものの、運転可能な状態ではなかったとしている。

さらに、Tank 610から流れ出したガス量と速度は、通常の排ガス処理とは比較にならないほど大きくなっていた。

タンク内部の暴走反応が、下流の安全設備が想定する条件を大幅に超える放出へ変わっていたのである。

設計上の「安全弁」が、都市への出口になった

ここにボパール事故の技術的な厳しさがある。

安全逃し弁そのものは、タンクを守るために必要な設備である。

しかし安全弁は、危険物を消滅させる装置ではない。

内部圧力を別の場所へ逃がすだけである。

その先に十分な処理設備がなければ、

「タンクを守るために排出した危険物」が別の場所へ移動する。

ボパールでは、


Tank 610
↓
破裂板
↓
安全逃し弁
↓
排気配管
↓
処理能力を発揮できないVGS
↓
大気放出

という経路が成立した。

設備単体を見るだけなら、安全逃し弁は作動した。

システム全体を見ると、その作動によって大量の有毒物質が下流設備へ移り、最終的に工場外へ出た。

安全設備の評価では、「作動したか」だけではなく、「作動した結果を次の防護層が処理できたか」まで見なければならない。

Tank 610内部は、どこまで高温・高圧になったのか

事故時の最高温度・最高圧力を直接記録した計器データは残っていない。

計器は途中で測定上限を超えている。

そのため、事故後の技術調査ではタンクの変形、残留物、化学反応、放出状態などから最高条件が推定された。

複数の技術資料では、Tank 610内部が200℃を超える高温に達した可能性が示されている。

一方、具体的な最高温度・圧力値は調査・モデルによって異なる。

したがって、

「事故時は正確に○○℃、○○psiだった」

と一本の数字へ固定するより、

計器上限を大きく超える高温・高圧状態に達したことが事故後解析から推定されている

とする方が安全である。

FACT CHECK|計器表示と事故後推定は別

事故当夜に実際に読まれた値:
ICMRでは、制御室で25~30 psig、その後現場の温度・圧力計が+25℃・55 psigの表示範囲を超えたと記録されている。

事故後の解析:
Tank 610内部は、その後さらに大幅な高温・高圧へ進んだと推定される。

両者を同じ「測定値」として扱わない。

放出されたものは「純粋なMIC」だけだったのか

もう一つ注意が必要なのが、工場から出たガスの組成である。

一般には「MICガス漏洩」と呼ばれる。

事故の中心物質がMICだったことに問題はない。

しかしTank 610では、MICが高温条件下で水や不純物などと複雑に反応していた。

そのためICMRは、住民が曝露したものを単純な純MICとはせず、

MICと複数の反応生成物を含む「Toxic Gas(es)」

として扱っている。

事故後のタンク残留物や人体試料からも複数の化学物質が検討された。

ただし、

「実際のガス雲には必ず○種類の物質がこの濃度で存在した」

と再構成できるほど完全な測定データが事故当夜に存在したわけではない。

この点でも、

確認できることと、事故後解析から推定されることを分離する必要がある。

事故を「水が入ったから」で終わらせてはいけない

ここまでを見ると、ボパール事故の直接的な開始点は比較的単純に見える。

水がMICへ入った。

しかし事故分析としては、ここで止めるべきではない。

危険な化学プラントでは、一つの異常が起きること自体を完全にゼロにはできない。

だからこそ、多重防護を設ける。

もし、

  • MIC在庫量がもっと少なかった
  • 低温管理が維持されていた
  • 異常をより早く検知できた
  • タンクを隔離・移送できた
  • VGSが十分に機能した
  • フレア系統で処理できた

なら、同じ水侵入が起きても、事故の最終規模が同じだったとは限らない。

したがって因果を、

水流入 = ボパール事故のすべて

と置くのは不十分である。

より正確には、


水流入
↓
暴走反応開始
↓
冷却による抑制余裕が小さい
↓
急激な温度・圧力上昇
↓
リリーフ系作動
↓
下流の除害設備が大量放出を処理できない
↓
大気中へ大量放出

という連鎖として見る必要がある。

「原因」と「侵入経路」は別の問題である

そして、ここからボパール事故で最も論争の大きい部分に入る。

水がTank 610へ入った。

ここまではインド側調査とUnion Carbide側調査で大きな隔たりはない。

しかし、

なぜ水が入ったのか。

について説明が分かれる。

事故当時には配管洗浄作業が行われていた。

配管、バルブ、ブラインド板、ベントヘッダーなどを経由して水がタンクへ流入した可能性を指摘する調査・証言がある。

一方、Union Carbideは後に、通常の洗浄作業だけでは必要量の水は入らず、何者かがホースを使って意図的にTank 610へ水を投入したという「破壊工作説」を主張した。

この争点は、化学反応そのものとは別である。

水とMICが反応したことが確認できても、

水の侵入経路や行為者まで自動的に確定するわけではない。

そのため本記事では、ここから先へ踏み込まない。

第7回で、

  • インド政府側科学調査
  • 捜査・司法資料
  • Union Carbide調査
  • 破壊工作説
  • 配管洗浄説

を資料別に並べ、

どこまでがFACTで、どこからがCLAIM / THEORYなのか

を検証する。

まとめ|小さな異物混入が、数十トンの在庫を反応系へ変えた

Tank 610に貯蔵されていたMICへ水が侵入した。

水とMICの発熱反応によって熱と二酸化炭素が生じ、温度と圧力が上昇した。

温度上昇は反応そのものを速め、MICの蒸発や別の発熱反応も加速させた。

こうしてTank 610内部では自己加速的な暴走反応が成立した。

事故当夜、タンク圧力は急上昇し、計器の測定範囲を超えた。

40 psigを超える圧力からタンクを守るため、破裂板と安全逃し弁が作動した。

本来なら、そのガスは下流の安全設備で処理されるはずだった。

しかしVGSを含む防護設備は、大量放出を止められる状態ではなかった。

数時間のうちに、Tank 610にあった数十トン級の内容物の相当量が大気側へ移った。

事故の出発点は、工場地下の一つのタンクだった。

だが、その先には工場の壁があっただけで、ガスを止める物理的な境界はもう残っていなかった。

深夜の冷たい空気の中へ出た有毒ガスは、工場周辺の住宅地へ流れ始める。

そこで事故の主役は、設備から人間へ変わる。

眠っていた住民は、何が漏れたのかも、どちらへ逃げればよいのかも知らなかった。

次回は1984年12月3日未明のボパール市街地へ移る。

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FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] S. Varadarajan, L. K. Doraiswamy, N. R. Ayyangar, C. S. P. Iyer, A. A. Khan, “Report on Scientific Studies on the Factors Related to Bhopal Toxic Gas Leakage”, 1985
  2. [2] Indian Council of Medical Research (ICMR) / Bhopal Gas Disaster Research Centre, “Health Effects of the Toxic Gas Leak from the Union Carbide Methyl Isocyanate Plant in Bhopal”
  3. [3] Union Carbide Corporation, “Bhopal Methyl Isocyanate Incident Investigation Team Report”, March 1985
  4. [4] Supreme Court of India, Keshub Mahindra v. State of Madhya Pradesh, 1996
  5. [5] UK Health and Safety Executive, “Union Carbide India Ltd, Bhopal, India – 3rd December 1984”

  1. 01 ボパール化学工場事故とは?|1984年、一夜で都市を覆った有毒ガス災害
  2. 02 ボパール化学工場事故|ボパール工場は何を作っていたのか|農薬製造工程と危険物MICの貯蔵
  3. 03 ボパール化学工場事故|事故前、工場の安全余裕はどう失われたのか|保守・安全設備・過去の漏洩を追う
  4. 04 ボパール化学工場事故|タンクE610で何が起きたのか|水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出
  5. 05 ボパール化学工場事故|1984年12月3日未明、ガスはどう市街地へ広がったのか|漏洩発覚からボパール駅まで
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  7. 07 ボパール化学工場事故|ボパール事故の原因はどこまで確定しているのか|政府調査と「破壊工作説」を分ける
  8. 08 ボパール化学工場事故|ユニオン・カーバイドの責任はどう裁かれたのか|1989年和解から2023年最高裁まで
  9. 09 ボパール化学工場事故|ボパールの健康被害はどこまで続いたのか|ICMR長期追跡調査を読む
  10. 10 ボパール化学工場事故|事故から40年以上、何が終わっていないのか|補償・医療・工場跡地と有害廃棄物

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