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1984年12月3日の朝を生き延びれば、事故は終わる。
そういう災害ではなかった。
大量の有毒ガスを吸った人々には、その後も咳、息切れ、目の症状、消化器症状、筋力低下などが残った。
事故から数か月。
数年。
そして10年。
症状はどこまで続いたのか。
さらに、
がんは増えたのか。
妊娠や出生には影響したのか。
事故から何十年も続くすべての病気を、1984年のガス曝露によるものと考えてよいのか。
これらを調べるため、Indian Council of Medical Research――ICMRは事故直後から長期研究を開始した。
今回中心に読むのは、1985年から1994年まで住民を追跡した大規模疫学調査である。
先に結論|10年後にも、曝露地域の健康状態は対照地域まで戻らなかった
ICMRの長期疫学報告の結論は明確だった。
曝露した住民では、事故から年月がたつにつれて症状の頻度や強さは低下した。
しかし、
10年間の追跡終了時点でも、曝露地域の死亡率と疾病率は対照地域に近い水準まで低下していなかった。
特に長く問題となったのは、
- 呼吸器
- 眼
- 消化器
だった。
なかでもICMRは、長期追跡で最も重要な所見として持続する呼吸器疾患を挙げている。
| 健康影響 | 長期追跡での整理 |
|---|---|
| 呼吸器 | 長期的に最も重要。咳、息切れ、気道過敏性などが継続 |
| 眼 | 急性期は非常に高頻度。多くは改善したが眼症状は長期追跡でも対照地域より多かった |
| 消化器 | 曝露地域で長期的な症状増加を確認 |
| 精神・神経症状 | 多数で報告。ICMRでは別プロジェクトでも調査 |
| 妊娠転帰 | 事故直後に流産率上昇。その後は低下 |
| がん | 専用がん登録で追跡。MIC曝露による一般的ながん増加を単純には立証できず |
ICMRは約8万人の曝露住民を登録した
事故直後には、長期影響がどの程度残るのか分かっていなかった。
そこでICMRは1985年、Bhopal Gas Disaster Research Centre(BGDRC)をGandhi Medical College内に設置した。
そして疫学研究の中心となる住民集団を登録した。
| 地域 | 長期追跡コホート |
|---|---|
| 重度曝露地域 | 26,382人 |
| 中等度曝露地域 | 34,964人 |
| 軽度曝露地域 | 18,675人 |
| 対照地域 | 15,931人 |
曝露地域だけで合計80,021人。
対照地域を加えると、約9万6千人規模になる。
調査員は家庭を訪問し、
- 死亡
- 疾病・症状
- 妊娠転帰
などを継続的に記録した。
この調査は事故直後の患者だけを見る病院ベースの研究とは違う。
地域住民を登録し、曝露地域と非曝露地域を長期間比較する
ことが目的だった。
MAP NOTE|ICMRの「重度・中等度・軽度・対照地域」は、実際の地域区分である
この4区分は、単なる説明用のラベルではない。ICMRの長期疫学報告では、事故後の死亡状況などを基礎に、調査対象地域を重度・中等度・軽度・対照へ分けて追跡した。
また、ICMR/NCDIRの2010年がん登録報告では、1984年当時のボパール56市区を36のMIC影響区と20の非影響区に分け、影響区をさらに重度2区・中等度5区・軽度29区として整理している。がん解析では、この36影響区をArea 1、20非影響区をArea 2として比較した。
公式報告書には曝露区域を示す地図が掲載されている。ただし、公開PDF上で地図画像そのものの再転載・改変条件を確認できないため、本記事では区域境界を推測した自作地図や、第三者地図画像の直接転載は行わない。
ICMR/NCDIR「Cancer in Bhopal」のMIC影響・非影響区域図を確認する(公式PDF)
したがって、この後に出てくる「重度曝露地域」「対照地域」は、個々人のMIC吸入量を直接測った区分ではなく、事故後の地域単位の影響を疫学的に比較するための地理的分類として読む必要がある。
ただし「重度曝露」は個人のMIC吸入量ではない
この研究を読むとき、一つ重要な注意点がある。
1984年12月3日の夜、住民一人ひとりが何ppmのMICを何分間吸入したかという測定値は存在しない。
工場周辺には、住民の個人曝露量を連続測定する設備はなかった。
そのためICMRは、事故直後の地域別死亡率などを使って、
- 重度
- 中等度
- 軽度
- 対照
に地域を分類した。
つまり、
「重度曝露地域に住んでいた」=「全員が同じMIC濃度を吸った」
ではない。
住宅の密閉性、事故時の居場所、逃げた方向、滞在時間などによって個人差がある。
これは、長期疫学結果から個人の病気について因果関係を判断するときの重要な制約になる。
死亡率は、事故の翌年以降も曝露地域で高かった
事故直後の大量死亡については前の記事で見た。
では、その後はどうだったのか。
ICMRが1984~1993年の死亡を追跡すると、
曝露地域では、対照地域より高い死亡率が継続していた。
主要な死因として目立ったのが呼吸器疾患だった。
もちろん、事故後に曝露地域で死亡した人すべてについて
「原因はMIC」
と判定されたわけではない。
ICMR自身も、年齢、喫煙、事故以前の健康状態、曝露したガスの種類や濃度など、多くの要因が死亡・疾病率へ影響すると注意している。
それでも集団として見ると、
曝露地域と対照地域の差は短期間では消えなかった。
最大の長期問題は、やはり肺だった
事故直後、ガスは最初に目と呼吸器を強く傷害した。
そして長期追跡でも、呼吸器が最も重要な問題として残った。
事故から1~3か月の亜急性期でも、
- 息切れ
- 咳
- 胸痛
などが続いた。
一部の患者では肺機能検査で、
- 閉塞性障害
- 拘束性障害
- 両者の混合
が確認された。
さらに3か月を超えた慢性期にも、多くの曝露者が呼吸器症状を訴え続けた。
ICMRは、事故後の急性肺障害によって残った瘢痕や後遺変化が、
- 気道過敏性
- 反復する呼吸器感染
- 線維化
- 肺気腫
- 気管支拡張
などを介して、長期間あるいは生涯にわたり呼吸器症状・障害を生じさせる可能性を指摘している。
重要|「進行性肺疾患」と「長く残る肺障害」は同じではない
ICMRの最終的な整理では、事故を一回の急性吸入障害として捉えている。
つまり曝露後もMICが体内で増え続け、何十年も肺を新たに焼き続けるという意味ではない。
一方、事故時に生じた肺損傷の瘢痕や気道障害が残れば、咳、息切れ、気道過敏性、感染などを繰り返す可能性がある。
「進行する毒性」と「一度受けた損傷の長期的な後遺症」を区別する必要がある。
事故から5年後にも、毎日数千人が医療機関を訪れていた
症状は時間とともに減少した。
これはICMRも確認している。
しかし、急速にゼロへ近づいたわけではない。
ICMRの総括では、
事故から5年後にも、毎日数千人の曝露者が病院や診療所を訪れていた
と記録されている。
さらに10年間の疫学追跡では、曝露地域の疾病率は対照地域より一貫して高かった。
報告書は、
10年経過しても死亡率・疾病率が対照地域に近い水準へ低下していない
と結論づけた。
この結果から分かるのは、
ボパールの医学的影響を「1984年12月3日の急性中毒」だけで切ることはできない、ということである。
目の障害はどうなったのか
事故当夜、目の症状は極めて多かった。
強い刺激。
大量の涙。
目を開けられない。
視界がかすむ。
角結膜炎。
しかし長期経過については、呼吸器とは少し違う。
ICMRの臨床報告では、多くの急性眼病変は治療後に改善した。
1~3か月後には、急性期に眼症状を持っていた多くの患者で病変が治癒し、
進行性に視力を失っていく所見は確認されなかった。
一方、地域疫学調査では、眼科的な症状・疾病率そのものは長期にわたり対照地域より高かった。
つまり、
「眼症状が長期的に存在した」
ことと、
「曝露者が時間とともに失明していった」
ことは別である。
「ボパールで大量の失明が続いた」という説明は正確ではない
事故当夜には、目を開けられず「見えない」状態になった人が多数いた。
これは医学記録とも整合する。
しかしICMRの長期報告は、
事故による眼障害が進行性の病態となって失明へ至るという証拠は示していない。
長期的な眼症状そのものは残った。
だが「症状」と「失明」は分ける必要がある。
これはボパール事故の健康影響を過小評価するための区別ではない。
むしろ、どの臓器にどのような障害が、どの期間続いたのかを正確に理解するための区別である。
消化器症状も長期追跡で確認された
ICMRの約10年間の調査で、呼吸器・眼に続いて目立ったのが消化器系だった。
事故直後から、
- 食欲低下
- 悪心
- 嘔吐
などは多数の患者に見られていた。
長期疫学でも、曝露地域では消化器系の疾病率が対照地域より高い状態が続いた。
ただし、個々の胃腸疾患について
「すべてMICによる直接障害」
と判断したわけではない。
ICMR自身がこの研究を多臓器への影響としてまとめており、呼吸器ほど単一の病態で説明できるものではなかった。
精神・神経症状も報告された
ICMRの疫学報告では、多数の曝露者にneuropsychiatric symptomsが発生したことも記録されている。
その強さは年月とともに低下した。
ただし精神健康については、今回中心にしている長期疫学プロジェクトとは別に、専用研究も実施されている。
したがって、
「どの精神疾患が何%増加した」
という数字を、この疫学報告だけから一括して出すことはしない。
ここで確認できるのは、
身体症状だけでなく、精神・神経領域も事故後の医療・研究対象になった
という範囲である。
妊娠していた女性には何が起きたのか
事故時に妊娠していた女性についても、ICMRは追跡した。
長期報告では、事故時点で確認された2,566件の妊娠のうち、
- 373件が流産
- 82件が死産
となったと記録している。
特に事故直後、重度曝露地域では流産率が大幅に上昇した。
ICMRの地域調査では、事故直後の重度曝露地域における流産率を1,000妊娠あたり523と報告している。
そして曝露が軽い地域ほど低くなる傾向があった。
一方、その後の年では流産率は低下した。
1989年までには、曝露地域全体でも事故直後よりかなり低くなっている。
注意|流産増加=MICの特定化学作用だけ、とまでは言えない
ICMRは事故直後の曝露地域で流産・死産が多かったことを記録している。
一方で報告書自身、生命を脅かす大災害では強い身体的・心理的ストレスなどによっても妊娠転帰が悪化し得ると指摘している。
したがって、
「事故後に流産率上昇が観察された」
と、
「そのすべてがMIC固有の催奇形作用によって生じた」
は別の主張である。
では、がんは増えたのか
長期健康影響で、最も慎重に扱う必要がある問いの一つががんである。
事故直後にがんが発生するわけではない。
もし化学曝露が発がんリスクを高めるとしても、長期間の観察が必要になる。
そこでICMRは、事故後にBhopal Population Based Cancer Registryを設置した。
1986年1月1日から、ボパール住民に発生したがんを継続的に登録する仕組みである。
2010年には、
Cancer in Bhopal: Comparison of Cancer Patterns in MIC Affected and Unaffected Areas
という報告書がまとめられた。
中心となる分析期間は1988~2007年。
20年間のがん発生を、MIC影響地域と非影響地域で比較した。
がん登録では、曝露地域の発生率が高く見える部位があった
報告書では、男女とも全がんをまとめた年齢調整罹患率は、MIC影響地域の方が高かった。
男性では、
- 舌
- 口腔
- 下咽頭
- 食道
- 肺
などで影響地域の罹患率が高く見えた。
一見すると、
「MIC曝露によってがんが増えた」
と考えたくなる。
しかし、ICMRはそこで分析を止めていない。
喫煙・噛みたばこを補正すると差が消えた
影響地域と非影響地域では、住民の生活習慣が完全に同じではない。
特に重要だったのがたばこだった。
MIC影響地域では、喫煙や噛みたばこなど、たばこを使用する住民の比率が高かった。
そこでICMRがたばこ習慣の違いを考慮すると、
影響地域で見られた、たばこ関連がんの高い罹患率の差は実質的に消失した。
報告書は、
影響地域で観察された高い罹患率について、MIC曝露そのものよりも、地域間のたばこ使用率の違いによって説明される可能性を示している。
FACT CHECK|「ボパールではMICのせいでがんが増えた」と断定できるか
ICMRの1988~2007年がん登録では、MIC影響地域で一部のがん罹患率が高かった。
しかし男性の主要なたばこ関連がんについては、たばこ習慣を考慮すると地域差がほぼ中和された。
したがって、この報告書だけから
「MIC曝露による一般的ながん増加が証明された」
とは言えない。
一方で、すべてのがんについてリスク上昇が完全に否定された、という意味でもない。
症例数が少なく十分な解析ができなかったがんもあり、報告書自身がさらなるデータ蓄積を求めている。
肺がんだけを見ると、少し複雑だった
男性の肺がんでは、MIC影響地域で1988~1999年の最初の11年間に年齢調整罹患率が有意に上昇し、その後は低下する傾向が見られた。
非影響地域では、同じような有意な変化は確認されなかった。
ただし、これも
「だからMICが肺がんを発生させた」
と直結させることはできない。
たばこ習慣。
人口移動。
社会経済状態。
曝露地域の分類。
そして事故直後に最も重篤な曝露を受けた人の一部が早期に死亡していること。
こうした条件を考慮する必要がある。
「がんが増えなかった」という結論にもしてはいけない
逆方向の単純化にも注意が必要である。
ICMR報告は、
「MICに発がん性は一切ない」
と証明した研究ではない。
がん登録は地域住民に発生したがんを観察する記述疫学である。
個人ごとの1984年の吸入量を測定し、その曝露量と後のがんを一対一で追跡した研究ではない。
さらにICMR自身、
- 曝露地域と非曝露地域の間を移住した人がいる
- 住所情報による分類誤差があり得る
- 最重症曝露者の一部は事故直後に死亡している
- 一部の希少がんは症例数が少ない
という限界を挙げている。
適切な結論は、
「1988~2007年のICMRがん登録では、MIC曝露による一般的ながん増加を明確に立証する結果にはならなかった」
という範囲である。
長期追跡にも限界がある
ICMRの研究は非常に大規模だった。
しかし、どれほど大きな疫学調査でも、1984年の夜を完全に再現することはできない。
特にボパールでは、
| 制約 | 意味 |
|---|---|
| 個人曝露量が不明 | 各住民が何ppm・何分吸入したか分からない |
| ガス組成が完全には不明 | 純MICだけでなくTank 610の反応生成物を含んでいた |
| 地域分類 | 個人ではなく居住地域等で曝露強度を近似 |
| 住民移動 | 長期間には転居・追跡不能が生じる |
| 生活習慣 | 喫煙・栄養・既往疾患など他要因がある |
| 最重症者の死亡 | 長期追跡対象になれなかった高曝露者がいる |
つまり、
「事故後に病気になった」ことと「その病気が事故によって起きた」ことの間には、疫学的検証が必要になる。
一方で、だからといって長期影響が存在しなかったことにもならない。
約10年間の集団追跡で、曝露地域の呼吸器・眼・消化器などの疾病率が対照地域より高い状態を続けたことは、ICMR自身が報告している。
1985年から1994年までの研究が残した最も重要な結果
ICMRの長期疫学研究を一文に縮めるなら、
「症状は改善したが、事故の影響は数か月では消えなかった」
になる。
| 時期 | 健康状態 |
|---|---|
| 事故直後 | 肺・眼を中心に極めて高い急性疾病率、大量死亡 |
| 1~3か月 | 呼吸器・消化器等の症状が多数で継続 |
| 3か月以降 | 症状の頻度・強度は徐々に低下するが慢性症状が残る |
| 約5年 | なお多数の曝露者が医療を必要とする |
| 約10年 | 死亡率・疾病率は対照地域の水準まで戻らず |
そして現在も「ガス被害者の医療」を担う病院が存在する
長期医療は研究報告だけで終わらなかった。
ボパールには現在もBhopal Memorial Hospital and Research Centre(BMHRC)がある。
この病院は、ボパールガス被害登録者への医療提供と、臨床・疫学研究を目的に設けられた医療機関である。
現在はICMRの下で運営され、複数の専門診療科と地域医療拠点を持つ。
事故から40年以上が経過しても、
「ボパールガス被害者の医療」という制度そのものが残っている。
これは、事故の医学的影響が事故当夜だけで完結しなかったことを象徴している。
まとめ|長期影響はあった。しかし「すべて」を事故のせいにはできない
ICMRは1985年から1994年まで、約8万人の曝露住民と約1万6千人の対照住民を追跡した。
その結果、曝露地域では事故後も長期間、
- 呼吸器
- 眼
- 消化器
を中心とする疾病が多く確認された。
死亡率も1984~1993年を通して曝露地域の方が高く、主要な死因の一つは呼吸器疾患だった。
症状は時間とともに減少した。
急性眼障害の多くは改善し、進行性の失明につながる病態は確認されなかった。
それでも10年間の追跡終了時に、曝露地域の死亡率・疾病率は対照地域に近い水準まで戻っていなかった。
事故時に妊娠していた女性では、事故直後に流産・死産が増加し、その後は低下した。
がんについてはさらに慎重である。
1988~2007年のICMRがん登録では、曝露地域で一部のがん罹患率が高かったものの、男性の主要なたばこ関連がんについては、たばこ習慣を考慮すると差がほぼ消えた。
したがって、
「MICによって長期健康被害はなかった」
とも、
「事故後に起きたすべての病気はMICが原因だった」
とも言えない。
資料から確認できるのは、
一回の化学曝露が、少なくとも約10年にわたり集団レベルで確認できる健康影響を残した
ということだった。
しかしボパールには、身体の問題とは別に、もう一つ長く残ったものがある。
工場そのものだ。
閉鎖された敷地。
残された化学物質と有害廃棄物。
補償制度。
ガス被害者のための医療制度。
そして事故から40年後になっても続いた廃棄物処理。
次回、CASE33の最終回では、
1984年から現在まで、ボパールで何がまだ終わっていないのか
を追う。
CASE FILE 33|ボパール化学工場事故 1984(全10回)
- 第1回|ボパール化学工場事故とは?|1984年、一夜で都市を覆った有毒ガス災害
- 第2回|ボパール工場は何を作っていたのか|農薬製造工程と危険物MICの貯蔵
- 第3回|事故前、工場の安全余裕はどう失われたのか|保守・安全設備・過去の漏洩を追う
- 第4回|タンクE610で何が起きたのか|水流入、暴走反応、圧力上昇とMIC放出
- 第5回|1984年12月3日未明、ガスはどう市街地へ広がったのか|漏洩発覚からボパール駅まで
- 第6回|病院は何に対処していたのか|未知の有毒曝露とボパール最初の72時間
- 第7回|ボパール事故の原因はどこまで確定しているのか|政府調査と「破壊工作説」を分ける
- 第8回|ユニオン・カーバイドの責任はどう裁かれたのか|1989年和解から2023年最高裁まで
- 第9回|ボパールの健康被害はどこまで続いたのか|ICMR長期追跡調査を読む【現在の記事】
- 第10回|事故から40年以上、何が終わっていないのか|補償・医療・工場跡地と有害廃棄物
出典・参考資料
-
Indian Council of Medical Research / Bhopal Gas Disaster Research Centre,
“Technical Report on Population Based Long Term Epidemiological Studies on Health Effects of Bhopal Toxic Gas Exposure (1985–1994)” -
Indian Council of Medical Research,
“Technical Report on Population Based Long Term Clinical Studies (1985–1994)” -
National Cancer Registry Programme, Indian Council of Medical Research,
“Cancer in Bhopal: Comparison of Cancer Patterns in MIC Affected and Unaffected Areas (1988–2007)”,
2010 -
Indian Council of Medical Research,
Bhopal Memorial Hospital and Research Centre
資料上の注意:
ICMR長期疫学調査の「重度・中等度・軽度曝露」は個人ごとのMIC吸入濃度測定ではなく、地域別死亡率などを基礎にした分類である。
事故後の疾病をすべてMIC曝露の直接的結果とはみなさず、年齢、喫煙、既往疾患、社会経済条件、人口移動などの交絡要因を考慮する必要がある。
一方、ICMRは1985~1994年の追跡で、曝露地域における死亡率および呼吸器・眼・消化器を中心とする疾病率が対照地域より高い状態を長期間確認した。
がんについては1988~2007年のPopulation Based Cancer Registryで比較され、一部のがんで影響地域の罹患率が高かったが、主要なたばこ関連がんではたばこ習慣を考慮すると差がほぼ中和された。したがって、この報告だけからMIC曝露による一般的ながん増加を確定したとは記載しない。