2010年8月22日、チリ北部のアタカマ砂漠。
地上から何度も岩盤へ打ち込まれていた探査孔の一本が、地下にいる作業員たちのいる場所へ到達した。
地上へ引き上げられたドリルには、小さな紙が取り付けられていた。
そこには、33人全員が避難場所で無事であることを知らせる言葉が書かれていた。
彼らが地下に閉じ込められてから、すでに17日が経過していた。
しかし、生きていることが分かっただけでは救出できない。
作業員たちは地表からおよそ600~700m下にいる。通常の坑道から近づく経路は崩落によって塞がれ、地上と地下をつないでいたのは、当初、人間が通ることのできない細い探査孔だけだった。
ここから必要になったのは、単に「穴を掘る」作業ではない。
33人を地下で生かし続ける補給線をつくり、人間が通過できる救出孔を掘削し、その中を安全に往復できるカプセルを設計し、一人ずつ地上へ引き上げる。
事故発生から69日後の2010年10月13日、最後の作業員が地上へ戻った。
33人全員が生還した。
CASE FILE 32では、この救出が「奇跡」の一言で片づけられるものではなく、探索、掘削、補給、医療、通信、機械設計、運用を積み重ねた一つの大規模な救出MISSIONだったことを追っていく。
CASE FILE 32|チリ鉱山33人救出 2010(全10回)
- 第1回|チリ鉱山33人救出とは?|地下約700mから全員を救い出した2010年サンホセ鉱山事故【現在の記事】
- 第2回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか|事故前の警告と安全管理の穴
- 第3回|生存確認までの17日間|地下に閉じ込められた33人はどう生き延びたのか
- 第4回|どうやって地下の33人を見つけたのか|17日目の探査孔と「Estamos bien」のメモ
- 第5回|地上と地下をどうつないだのか|「パロマ」補給線とNASAの医療・心理支援
- 第6回|33人の出口をどう掘ったのか|Plan A・B・C、三つの救出坑掘削作戦
- 第7回|Fénix 2はどう設計されたのか|一人ずつ地上へ運ぶ救出カプセルの構造
- 第8回|33人はどう地上へ戻ったのか|Fénix 2による約23時間の全員救出
- 第9回|救出成功のあと何が問われたのか|事故責任・安全監督・サンホセ鉱山のその後
- 第10回|映画『チリ33人 希望の軌跡』はどこまで実話なのか|The 33を史実と比較
先に結論|33人は「発見・維持・掘削・搬送」の4段階で救出された
2010年のサンホセ鉱山事故を大きく分解すると、救出までには4つの問題を順番に解決する必要があった。
| 段階 | 解決しなければならなかった問題 | 結果 |
|---|---|---|
| 1. 発見 | 33人が地下のどこにいて、生存しているのか | 8月22日に探査孔が到達し、生存確認 |
| 2. 維持 | 救出孔が完成するまで、33人をどう生かし続けるか | 細い孔を使い、食料・水・医薬品・通信手段などを供給 |
| 3. 掘削 | 人間が通過できる大径の救出経路をどう造るか | 複数の掘削計画を並行して進め、Plan Bが突破 |
| 4. 搬送 | 狭く長い孔を使い、一人ずつ安全に地上へ運ぶにはどうするか | 救出カプセルFénix 2を使用し、33人全員を救出 |
事故が起きたのは2010年8月5日。
33人の生存が確認されたのは8月22日。
最初の作業員が地上へ戻ったのは10月13日午前0時10分ごろで、最後の作業員が地上へ出たのは同日21時55分ごろだった。
事故発生から救出まで、69日。
この69日間のうち、最初の17日間は地上側が33人の生死すら確認できず、その後の約7週間は「生存している33人を、救出設備が完成するまで地下で維持する」という別の問題との戦いになった。
2010年8月5日|サンホセ鉱山が崩落した
サンホセ鉱山は、チリ北部アタカマ州の都市コピアポの北側に位置する銅・金鉱山だった。
Codelcoの2010年報告によれば、8月5日13時40分ごろ、大規模な崩落が発生した。
岩盤の巨大な塊が坑道を塞ぎ、内部で働いていた33人が地下に取り残された。
問題は、単純に入口まで瓦礫を取り除けば到達できる状態ではなかったことである。
坑内は不安定で、地上から33人の正確な位置や状態も確認できない。途中からは通常の坑道を使った接近が困難と判断され、地上から細い探査孔を掘って地下を探す方法が中心となった。
つまり救助側は、最初から「救出方法」を考えられたわけではない。
まず、彼らが生きているのか、どこにいるのかを探さなければならなかった。
17日間、地上は33人の生死を確認できなかった
地下では33人が避難場所付近に集まり、限られた食料を分けながら生存を続けていた。
一方、地上では複数の探査孔が掘削された。
地中深くにある限られた空間へ、地表から細い孔を正確に到達させる必要がある。地下坑道は三次元的に延びており、わずかな掘削方向の誤差も、深度が増えるほど大きな位置ずれになる。
8月22日、そのうちの一本が作業員たちのいる場所へ到達した。
地上へ戻ったドリルには、33人が無事であることを伝える手書きのメモが取り付けられていた。
事故から17日目。
ここで初めて、救助作戦の目的は「生存者を探す」ことから、「確認できた33人を地上へ戻す」ことへ変わった。
FACT CHECK|「地下700m」は正確にはどういう意味か
この事故では「地下700m」「地下720m」「622m」といった異なる数字が資料に現れる。
これは必ずしも資料同士が矛盾しているという意味ではない。
NASAは33人が地表から約2,300フィート、約700m下に閉じ込められたと説明している。一方、Codelcoの救出記録では、作業員たちがいた場所について622mという数値も使われている。
鉱山では「地表からの垂直距離」「坑内のレベル」「掘削孔の長さ」などが同じ数値になるとは限らない。
本シリーズでは一般的な説明では「地下約700m」とし、技術的な寸法を扱う回では、それぞれの資料が何を基準にした数値なのかを区別する。
見つけた後も、すぐには救出できなかった
8月22日に33人の生存が確認された瞬間は、この事故で最も有名な場面の一つである。
しかし工学的に見ると、ここは救助の終了地点ではなく、むしろ本格的な救出作戦の開始地点だった。
探査孔は人間を通せる大きさではなかった。
NASA Earth Observatoryの記録では、8月末時点で地上と地下をつないでいた孔は長さ約700m、直径約23cm程度だった。
この細い経路は、人間を救い出すには小さすぎる。
その代わり、地上から地下へ物資を送る生命線として使うことができた。
食料、水、医薬品、衣類。さらに通信機器や家族との手紙などが地下へ送られた。
作業員たちには、救出孔が完成するまで地下で生活を続けてもらわなければならない。
救助側にとって必要だったのは、掘削速度だけではなかった。
栄養、医療、衛生、心理状態、通信まで含めた「地下生活の維持システム」を構築する必要があった。
NASAは「救出した組織」ではなく、専門支援を行った
この救出について語る際、NASAの名前が頻繁に登場する。
ただし、その役割は正確に区別しておく必要がある。
救出作戦そのものはチリ政府が主導し、チリの鉱業関係者、Codelco、海軍、民間企業など、多数の組織と専門家が参加して進められた。
チリ政府は、長期間にわたり閉鎖された危険環境で人間を維持するという点からNASAへ技術的助言を求めた。
NASAから派遣されたのは、医師2人、心理学者1人、エンジニア1人からなる4人のチームだった。
彼らは医療、栄養、心理面について助言するとともに、後には救出カプセルに求められる安全要件についても支援した。
NASA自身も、この活動をチリ政府による大規模な救出活動への一部の技術支援として位置づけている。
したがって、
「NASAが33人を救出した」
という説明は正確ではない。
より実態に近いのは、
「チリ政府主導の救出作戦に、NASAを含む国内外の専門組織が技術支援した」
という整理である。
出口は一つに賭けなかった|Plan A・B・C
33人の生存確認後、地上では人間が通れる大きさの救出孔を造る作業が始まった。
ここで特徴的だったのは、一つの方法が成功するまで待ち続けたのではなく、異なる掘削方式を使った複数の計画が進められたことである。
それが後にPlan A、Plan B、Plan Cと呼ばれた掘削作戦だった。
Codelcoの記録では、Plan Aは8月31日、Plan Bは9月5日、Plan Cは9月21日に掘削を開始している。
最終的に救出経路として使われたのはPlan Bだった。
一見すると「最も成功しそうな方法を一本だけ選ぶ」方が効率的に見える。
しかし地下数百mの岩盤を高速で掘削する作業では、地質、機械故障、孔の曲がり、掘削速度など多くの不確実性がある。
複数方式を並行させることは、時間と設備を余分に使う一方で、一つの方式が失敗した場合に救出全体が止まるリスクを下げる。
CASE32では、この三つの掘削計画を第6回で詳しく比較する。
最後の問題は「人間をどう通すか」だった
救出孔が地下へ到達しても、それだけでは33人を安全に引き上げられない。
数百mの狭い孔を、一人の人間が垂直方向に移動する必要がある。
途中でカプセルが引っ掛かった場合はどうするか。
乗っている人の体をどう固定するか。
地上とどう通信するか。
カプセルが回転するのをどう抑えるか。
緊急時に内部から脱出できるのか。
こうした条件を満たすために製作されたのが、救出カプセルFénix 2(フェニックス2)だった。
Codelcoの記録では、カプセルの基本・概念設計には同社の技術者が関わり、製作にはチリ海軍系の造船・整備組織ASMARが参加した。
NASAのエンジニアリングチームも、安全要件に関する多数の提案をチリ側へ提供している。
Fénix 2そのものの構造と、「なぜこの形になったのか」は第7回で詳しく見る。
2010年10月13日|一人ずつ地上へ戻る
救出作戦の最終段階は10月12日夜から始まった。
まず救助員がFénix 2で地下へ降下し、作業員を地上へ送り出す準備を行った。
10月13日午前0時10分ごろ。
最初の作業員フロレンシオ・アバロスが地上へ到達した。
そこからFénix 2は、地下と地上の間を繰り返し往復した。
一人が乗り込み、地上へ上がる。
カプセルを点検する。
再び地下へ降ろす。
次の一人を乗せる。
このサイクルを繰り返し、約23時間後の21時55分ごろ、33人目となるシフト責任者ルイス・ウルスアが地上へ戻った。
33人全員の救出が完了した。
事故から全員救出まで|69日間の時系列
| 日付 | 事故・救出の動き |
|---|---|
| 2010年8月5日 | サンホセ鉱山で大規模崩落。33人が地下に取り残される。 |
| 8月6日 | 救助・技術チームが現地入りし、探索と救出計画が進められる。 |
| 8月15日 | 坑内の不安定性から通常経路による接近が困難となり、探査孔が重要な手段となる。 |
| 8月22日 | 探査孔が作業員のいる場所へ到達。33人全員の生存を確認。 |
| 8月23日 | 地下との本格的な連絡が始まり、食料・医薬品などの供給が進む。 |
| 8月31日 | Plan Aの掘削開始。 |
| 9月5日 | Plan Bの掘削開始。 |
| 9月21日 | Plan Cの掘削開始。 |
| 10月11日 | Plan B側の設備を救出用へ切り替え、最終準備が進む。 |
| 10月12日夜 | 救助員がFénix 2で地下へ降下し、最終救出開始。 |
| 10月13日 00:10ごろ | フロレンシオ・アバロスが最初に地上へ到達。 |
| 10月13日 21:55ごろ | ルイス・ウルスアが33人目として地上へ到達。全員救出。 |
サンホセ鉱山はどこにあったのか
サンホセ鉱山は、チリ北部アタカマ州、コピアポの北側に位置していた銅・金鉱山である。
NASAの衛星観測資料でも、植物のほとんどないアタカマ砂漠の中に鉱山施設が確認できる。
下の地図は、2010年のサンホセ鉱山跡周辺を位置関係として確認するためのものとする。
サンホセ鉱山跡周辺。現在の地図表示は2010年当時の施設配置をそのまま示すものではありません。
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「奇跡の救出」で終わらせると、重要な部分が見えなくなる
33人全員が生還した結果だけを見ると、この出来事はしばしば「奇跡の救出」と表現される。
しかし、その言葉だけでは救出が成立した理由を説明できない。
17日間の探索。
地下との補給線。
医療と栄養管理。
通信システム。
複数方式による救出孔の掘削。
Fénix 2の設計と製造。
救出順序と地上側の医療体制。
そして、地下にいる33人自身の協力。
これらのうち一つだけで、33人を地上へ戻すことはできなかった。
CASE32で見るべきなのは、単独の英雄ではなく、複数の技術と組織をつなぎ、時間制約の中で一つの救出システムを成立させた過程である。
ただし、救出成功と事故原因は別の問題である
33人全員が助かったことと、そもそもなぜ33人が地下に閉じ込められたのかは分けて考える必要がある。
事故後、サンホセ鉱山の安全管理や監督体制はチリ国内で大きな問題となった。
2019年にはチリ政府が10月13日を「鉱山安全の日」と定めた際にも、2010年8月5日のサンホセ鉱山事故と69日後の全員救出が、その背景として明記されている。
つまり、この出来事には二つの側面がある。
一つは、33人を救い出した救出MISSION。
もう一つは、33人が地下に取り残される事故をなぜ防げなかったのかという鉱山安全の問題である。
次回は後者から始める。
次回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか
救出作戦が世界的に注目されたことで、サンホセ鉱山事故は「33人全員が助かった出来事」として記憶されやすい。
しかし事故以前に、この鉱山では安全をめぐる問題がすでに存在していた。
事故は予測不能な一度きりの崩落だったのか。
それとも、設備、採掘、避難経路、安全監督といった複数の問題が積み重なった結果だったのか。
次回は、救出劇からいったん時間を巻き戻し、2010年8月5日に33人が地下へ閉じ込められるまでを検証する。
CASE FILE 32|全10回
- 第1回|チリ鉱山33人救出とは?【現在の記事】
- 第2回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか
- 第3回|生存確認までの17日間
- 第4回|どうやって地下の33人を見つけたのか
- 第5回|地上と地下をどうつないだのか
- 第6回|33人の出口をどう掘ったのか
- 第7回|Fénix 2はどう設計されたのか
- 第8回|33人はどう地上へ戻ったのか
- 第9回|救出成功のあと何が問われたのか
- 第10回|映画『チリ33人 希望の軌跡』はどこまで実話なのか
出典・参考資料
-
NASA History, “Chilean Miners Rescue Oral Histories”
― 事故日、33人、約2,300フィート、17日後の生存確認、NASA支援内容、69日後の救出を確認。 -
NASA Earth Observatory, “San Jose Mine, Chile”
― サンホセ鉱山の位置、アタカマ砂漠、地下との細径連絡孔、補給内容を確認。 -
Codelco, Reporte de Sustentabilidad 2010, “Operación San Lorenzo”
― 事故発生時刻、探索、Plan A・B・C、Fénix 2、救出時系列を確認。 -
Codelco, “Fénix 2: Hecho en El Teniente”
― Fénix 2の設計・製造体制、主要構造を確認。 -
NASA Engineering and Safety Center / NASA Spinoff
― 救出カプセルに対するNASA側の技術的要求・提案の範囲を確認。 -
Biblioteca del Congreso Nacional de Chile, Decreto 23
― 2010年8月5日の事故、33人、69日間、10月13日の救出、および「Día Nacional de la Seguridad Minera」制定理由を確認。
資料上の注意:
本記事ではNASA、Codelco、チリ政府・議会資料など、公的・準一次資料を優先した。
「地下の深さ」は資料によって約700m、720m、622mなど表記が異なるため、一般説明では「地下約700m」とし、個別技術記事では各資料が示す測定基準を区別する。
また、NASAは救出作戦全体の主体ではなく、チリ政府から要請を受けて医療・栄養・心理・救出カプセルの技術要件について助言した組織の一つとして扱う。
映画『The 33』は史実確認の根拠には使用しない。