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なぜサンホセ鉱山は崩落したのか事故前の警告と安全管理の穴

なぜサンホセ鉱山は崩落したのか|事故前の警告と安全管理の穴

鉱山事故・救助

2010年7月3日。

チリ北部のサンホセ鉱山で、一人の作業員が岩盤に関係する重大事故に遭い、片脚を切断する重傷を負った。

鉱山の一部では作業が停止された。

しかし7月21日、当局は対策が実施されたとして作業再開を認めた。

その15日後

2010年8月5日、サンホセ鉱山内部で大規模な崩落が発生した。

巨大な岩盤が坑道を塞ぎ、33人の作業員が地下深くに取り残された。

彼らが69日後に全員救出されたことは世界的に知られている。

だが事故の前まで時間を戻すと、別の姿が見えてくる。

サンホセ鉱山では以前にも死亡事故が発生し、2007年には操業停止を命じられていた。

その後の再開過程でも、地質・岩盤、換気、避難経路、補強などについて当局から繰り返し指摘が出ている。

では、2010年8月5日の崩落は、本当に何の前触れもない事故だったのか。

今回は救出作戦からいったん離れ、33人が地下へ閉じ込められるまでに何が起きていたのかを追う。


CASE FILE 32|チリ鉱山33人救出 2010(全10回)

  1. 第1回|チリ鉱山33人救出とは?|地下約700mから全員を救い出した2010年サンホセ鉱山事故
  2. 第2回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか|事故前の警告と安全管理の穴【現在の記事】
  3. 第3回|生存確認までの17日間|地下に閉じ込められた33人はどう生き延びたのか
  4. 第4回|どうやって地下の33人を見つけたのか|17日目の探査孔と「Estamos bien」のメモ
  5. 第5回|地上と地下をどうつないだのか|「パロマ」補給線とNASAの医療・心理支援
  6. 第6回|33人の出口をどう掘ったのか|Plan A・B・C、三つの救出坑掘削作戦
  7. 第7回|Fénix 2はどう設計されたのか|一人ずつ地上へ運ぶ救出カプセルの構造
  8. 第8回|33人はどう地上へ戻ったのか|Fénix 2による約23時間の全員救出
  9. 第9回|救出成功のあと何が問われたのか|事故責任・安全監督・サンホセ鉱山のその後
  10. 第10回|映画『チリ33人 希望の軌跡』はどこまで実話なのか|The 33を史実と比較

先に結論|「崩落の原因」と「事故を防げなかった理由」は分けて考える必要がある

サンホセ鉱山事故について、最初に重要な点を整理しておきたい。

2010年8月5日に巨大な岩盤が動き、坑道を塞いだこと自体は確認されている。

一方で、

「なぜ、その岩盤がその日に崩壊したのか」

という物理的な直接原因と、

「なぜ、崩落が起きたときに33人が地下へ閉じ込められる状態だったのか」

という安全管理上の問題は同じではない。

事故後のチリ下院調査では、鉱山を運営していたCompañía Minera San Esteban Primera側の安全管理と、鉱山監督機関SERNAGEOMINによる監督・検査の双方が厳しく批判された。

しかし刑事捜査では、特定の人物を起訴できるだけの崩落原因と刑事責任を確定することができず、2013年に起訴せず捜査が終了している。

したがって、

「会社のある一つの行為が直接崩落を起こした」

と単純に断定するのも、

「完全に予測不能な自然現象だった」

と片づけるのも適切ではない。

確認できるのは、事故以前からこの鉱山で岩盤、安全設備、換気、避難経路、監督体制をめぐる複数の問題が繰り返し表面化していたという事実である。

サンホセ鉱山は、事故の3年前に一度閉鎖されていた

サンホセ鉱山は新しい鉱山ではなかった。

チリ下院調査委員会の記録では、長期間にわたって採掘されてきた鉱山で、2010年以前にも重大事故が発生していた。

2007年1月5日。

鉱山内部で岩盤に関係する事故が起こり、地質技術者のマヌエル・ビジャグランが死亡した。

これを受け、チリの鉱山監督機関であるSERNAGEOMIN(Servicio Nacional de Geología y Minería)は操業を停止させた。

2007年3月22日にはResolution No.316が出され、サンホセ鉱山の操業停止が正式に命じられている。

ただし、これは永久閉山ではない。

安全上必要な条件を整え、当局の承認を得た場合には再開できる一時的な停止だった。

再開には特に、岩盤状態を評価する地質・地盤工学的な調査が重要とされた。

なぜ「岩盤」が問題になっていたのか

地下鉱山では、坑道を掘ればその周囲の岩盤にかかる応力状態が変化する。

採掘によって空洞を広げれば、残された岩盤や柱が支えなければならない荷重も変わる。

したがって、

  • どこまで空洞を拡大できるか
  • どの程度の岩盤を残すか
  • どこをボルトや金網などで補強するか
  • 岩盤の変形や異常をどう監視するか

といった設計と監視が必要になる。

特にサンホセ鉱山では、2007年の死亡事故を受け、SERNAGEOMINが再開条件として地盤・岩盤に関する調査、危険箇所の特定、補強方法の設定を要求していた。

つまり、岩盤の安全性は2010年になって突然浮上した問題ではなかった。

2007年末|まず限定的な作業再開が認められた

操業停止後、鉱山を運営していたSan Esteban Primeraは再開に向けた手続きを始めた。

SERNAGEOMINと会社側の間では、地盤調査や再開条件について複数回のやり取りが行われた。

2007年12月19日。

SERNAGEOMINは、鉱山内部の一部について限定的な作業を認めた。

ただし、全面的な操業再開には条件があった。

チリ下院調査委員会の記録では、会社側に対して少なくとも、

  • 換気計画
  • 電気設備計画
  • 完全な地盤・岩盤工学的調査
  • 坑道補強の方針
  • 岩盤状態を監視する仕組み

などが要求されていた。

ここで重要なのは、再開手続き自体が存在しなかったわけではないという点である。

会社側は資料を提出し、SERNAGEOMINも段階的に作業を認めていた。

問題は、その条件が現場でどこまで継続的・実効的に満たされていたのかという部分にあった。

2008年5月|サンホセ鉱山は全面再開を認められた

2008年3月には、さらに一部の作業継続が認められた。

そして5月30日、SERNAGEOMINはサンホセ鉱山の全面的な操業再開を認めた。

この再開時にも、換気や坑内設備について複数の条件が付けられている。

チリ下院調査記録によれば、換気設備の運用、坑内の扉、換気用などの立坑・坑道設備への梯子設置、換気能力の確認などが求められていた。

また後の議会調査では、全面再開が通常の「resolution」ではなく「oficio」と呼ばれる行政文書で処理された点も問題として取り上げられた。

手続き上の形式そのものが崩落を起こしたわけではない。

しかし、2007年に死亡事故を受けて閉鎖された鉱山を、どの条件で再開させ、その後どう監督したのかは、事故後の重要な検証対象となった。

再開直後の検査でも問題は残っていた

全面再開から約3週間後の2008年6月18日、SERNAGEOMINはサンホセ鉱山を検査した。

その結果を伝えた7月3日付文書には、かなり厳しい内容が残っている。

チリ議会資料によると、この検査では、

  • 意思決定権限を持つ会社側担当者が検査に対応しなかった
  • ディーゼル機器に関する指示
  • 避難用施設が本来とは異なる用途で使われていた
  • 換気状態が非常に悪いと評価された
  • 発電設備に必要な基礎が確認できなかった
  • 補強用金網の施工が不十分と評価された

といった問題が指摘されている。

特に換気については改善期限が設けられ、改善しなければ再び操業を止める可能性まで示された。

つまり、

「2008年に再開許可が出た=安全上の問題が完全に解消した」

というわけではなかった。

2009年にも「岩盤」「避難経路」「換気」が指摘された

さらに2009年4月13日にもSERNAGEOMINによる検査が行われた。

その後の文書で地域責任者は、会社側へ複数の改善を求めている。

その中には、

  • 崩落を防ぐための岩盤・地盤工学的管理
  • 地表へ接続する第二の避難経路
  • 換気の改善

が含まれていた。

2010年8月5日に実際に起きた事態を知った上で読むと、重い内容である。

大規模崩落によって主な坑道が塞がれたとき、33人は通常の経路から地上へ脱出できなかった。

救助隊も坑道側から容易に接近できず、最終的には地上から探査孔を掘って彼らを探さなければならなかった。

ただし注意しなければならない。

2009年の指摘が存在したことだけから、

「この指摘を守っていれば2010年の事故は確実に起きなかった」

とまでは断定できない。

ここで確認できるのは、事故前年にも岩盤管理と非常時の脱出能力が当局の検査対象になっていたということである。

作業員側からも以前から安全問題が訴えられていた

事故後、San Esteban Primeraの労働組合関係者もチリ下院調査委員会で証言した。

彼らは、サンホセ鉱山を含む会社の施設について、以前から繰り返し安全上の問題を会社側へ伝えていたと説明している。

議会での証言によれば、その訴えは2010年の事故直前に初めて始まったものではなく、2000年代前半まで遡るとされた。

もちろん、労働組合の証言と、技術調査によって確定した事実は同じ証拠レベルではない。

しかし、

「事故以前に現場側から安全への懸念が存在した」

ことを示す資料の一つではある。

FACT CHECK|「事故前から危険な鉱山だと分かっていた」はどこまで言える?

言えること:

  • 2007年に死亡事故を受けて操業停止措置が取られている。
  • 再開時には地盤調査、補強、換気など複数の安全条件が課されている。
  • 2008年の検査で換気や補強などの問題が指摘されている。
  • 2009年にも岩盤管理、第二避難経路、換気改善が求められている。
  • 2010年7月にも重大な負傷事故が発生している。

言いすぎになること:

  • 当局が「2010年8月5日に大崩落する」と具体的に予測していた。
  • 一つの違反だけが8月5日の崩落を直接発生させた。
  • 現在公開されている資料だけで崩落の物理原因が完全に確定している。

この三つは分けて考える必要がある。

そして事故の1か月前、再び重大事故が起きた

2010年7月3日。

サンホセ鉱山でヒノ・コルテスという作業員が、岩盤に関係する事故によって重傷を負った。

結果として片脚の切断を余儀なくされた。

8月5日の崩落まで、わずか約1か月である。

事故後、該当区域では作業停止措置が取られた。

しかしSERNAGEOMINは7月21日、必要な対策が実施されたとして作業再開を認めた。

そして15日後、大規模崩落が起きる。

後の議会調査では、この一連の経緯も当然、検証対象になった。

2010年8月5日13時40分|巨大な岩盤が坑道を塞いだ

8月5日13時40分ごろ。

Codelcoの救出記録では、サンホセ鉱山内部で非常に大規模な崩落が発生したとされている。

巨大な岩塊が坑道を塞いだ。

その向こう側に33人が取り残された。

事故直後には坑道側から救助を試みる動きもあったが、岩盤は不安定だった。

8月15日までには、巨大な岩盤によって通常経路からの接近が現実的ではなくなり、地表からの探査孔が33人を探す主要な手段となっていく。

ここで、事故以前の安全管理上の問題が救出にも影響する。

主経路が失われたとき、33人を即座に地上へ逃がせる別経路は機能しなかった。

結果として地上側は、

「33人がどこにいるのか」

という探索から始めなければならなかった。

では、岩盤そのものはなぜ崩れたのか

ここが、この事故で最も注意して書かなければならない部分である。

事故後には、岩盤の状態、採掘方法、補強、過去の事故、地盤工学的管理などについてさまざまな検討が行われた。

しかし最終的な刑事捜査においても、8月5日の崩落を特定の人物の刑事責任へ結び付けられるほど明確な原因は確定されなかった。

2013年、チリの検察当局は約3年間にわたる捜査を終了した。

SERNAGEOMINの技術資料、警察による調査、行政調査、関係者証言などが検討されたが、検察は起訴に進むだけの十分な証拠が集まらなかったと判断した。

検察側も、技術資料が崩落原因や個人の刑事責任を断定するには決定的ではなかったとしている。

そのため本シリーズでは、

「原因は○○だった」

という単一原因説は採用しない。

一方、議会調査は企業と監督機関を厳しく批判した

刑事責任を確定できなかったことは、事故前の安全管理に問題がなかったことを意味しない。

2011年3月、チリ下院はサンホセ鉱山事故について調査した委員会報告を承認した。

下院の公式発表では、事故についてSan Esteban Primeraの鉱山所有側と、SERNAGEOMINによる十分な監督の欠如に責任があるという委員会の判断が示されている。

ここでは「責任」という言葉の意味を区別する必要がある。

種類 何を判断するものか サンホセ鉱山事故
技術的原因 岩盤がなぜ崩壊したのか 単一の原因として完全確定していない
行政・制度上の責任 安全管理や監督が適切だったか 議会調査で企業側・監督側双方が厳しく批判された
刑事責任 特定人物を犯罪として起訴できるか 2013年、十分な証拠がないとして起訴せず捜査終了

この三つを混ぜると、

「安全上の問題があったのだから刑事犯罪も確定している」

あるいは逆に、

「誰も起訴されなかったのだから安全上の問題もなかった」

という誤った理解につながる。

この事故を「作業員のミス」に還元できない理由

産業事故では、事故直前に最後の操作をした人物へ原因を集中させる説明が作られやすい。

しかしサンホセ鉱山では、事故以前の記録を見るだけでも、検討すべき層は一つではない。

防護層 事故以前に確認できる論点
岩盤・採掘 地盤工学調査、危険箇所、補強、監視が再開条件になっていた
坑道補強 2008年検査で補強方法に関する指摘があった
換気 2008年、2009年の検査で改善対象となった
避難 地表へつながる第二の避難経路が2009年に求められていた
会社の安全管理 過去の重大事故、労働組合側からの安全上の訴えが存在した
行政監督 閉鎖、段階的再開、全面再開、その後の検査という監督過程が検証対象になった

この事故は、

「一人が何かを間違えたため33人が閉じ込められた事故」

として理解するよりも、

「危険な地下環境に対して複数の防護層がどこまで機能していたのかを検証すべきSYSTEM事故」

として見る方が実態に近い。

事故前の流れを並べると見えてくるもの

年月日 出来事
2007年1月5日 サンホセ鉱山で死亡事故。
2007年3月22日 SERNAGEOMINがResolution No.316で操業停止を命じる。
2007年12月19日 一部の作業を認める。全面再開には地盤調査・換気・電気設備・補強・監視などを要求。
2008年3月7日 一部作業の継続を承認。
2008年5月30日 全面的な操業再開を承認。
2008年6月18日 SERNAGEOMINが検査。換気や補強など複数の問題を確認。
2009年4月13日 検査を実施。岩盤管理、第二の避難経路、換気改善などが指摘される。
2010年7月3日 作業員が重大事故で片脚を失う。
2010年7月21日 停止していた作業区域の再開を当局が認める。
2010年8月5日 大規模崩落。33人が地下に取り残される。

33人が助かったからといって、「事故そのもの」まで成功談にはならない

サンホセ鉱山事故には、強烈なコントラストがある。

事故後の救出作戦は、多数の専門家と組織、複数の掘削方式、医療・通信システム、Fénix 2などを組み合わせた大規模なプロジェクトとなった。

結果として33人全員が生還した。

一方、事故以前の記録には、

死亡事故。

操業停止。

条件付き再開。

換気や補強への指摘。

第二避難経路の要求。

事故1か月前の重大負傷事故。

という履歴が残っている。

つまり、

「33人を救う能力」と「33人を閉じ込める事故を防ぐ能力」は、別々に評価しなければならない。

救出の成功が、事故以前の問題を消すわけではない。

そして地下では、地上が知らない17日間が始まっていた

8月5日の崩落直後、地上では33人が生きているのかすら分からなかった。

だが地下では、33人が生きていた。

救助がいつ来るかは分からない。

地上と連絡する手段もない。

手元にある食料は、本来69日間どころか17日間を想定した量でもなかった。

その状態で、33人は食料を管理し、役割を分担し、地上からドリルが到達するまで待つことになる。

次回は地上側の救助活動ではなく、完全に外界から切り離された地下側の17日間へ入る。


次回|生存確認までの17日間

事故発生から8月22日まで、地上は33人の生存を確認できなかった。

地下では何人が生き残っているのか。

救助は来るのか。

そもそも地上は自分たちの場所を見つけられるのか。

何も分からない。

限られた非常食を前に、33人は長期戦になる可能性を考え始めた。

第3回「生存確認までの17日間|地下に閉じ込められた33人はどう生き延びたのか」では、崩落直後から探査孔が到達するまでを、地下側から追う。


CASE FILE 32|全10回

  1. 第1回|チリ鉱山33人救出とは?
  2. 第2回|なぜサンホセ鉱山は崩落したのか【現在の記事】
  3. 第3回|生存確認までの17日間
  4. 第4回|どうやって地下の33人を見つけたのか
  5. 第5回|地上と地下をどうつないだのか
  6. 第6回|33人の出口をどう掘ったのか
  7. 第7回|Fénix 2はどう設計されたのか
  8. 第8回|33人はどう地上へ戻ったのか
  9. 第9回|救出成功のあと何が問われたのか
  10. 第10回|映画『チリ33人 希望の軌跡』はどこまで実話なのか

出典・参考資料

  • Cámara de Diputadas y Diputados de Chile,
    Comisión Investigadora sobre Seguridad de Faenas Mineras/Mina San José関連調査記録
    ― 2007年の閉鎖、2008年の再開手続き、検査、過去事故、行政監督について確認。
  • Cámara de Diputadas y Diputados de Chile,
    “Cámara de Diputados aprueba informe de Comisión Investigadora sobre accidente de la Mina San José”
    ― 2011年に承認された調査委員会報告の結論、San Esteban PrimeraおよびSERNAGEOMINへの評価を確認。
  • Biblioteca del Congreso Nacional de Chile,
    Informe de la Comisión de Minería y Energía
    ― 2007年閉鎖、段階的再開、2008年全面再開、検査記録、2009年の岩盤管理・第二避難経路・換気に関する指摘、2010年7月事故を確認。
  • Cámara de Diputadas y Diputados de Chile,
    “Sindicatos de la minera San Esteban acusaron problemas de seguridad desde el año 2002”
    ― 労働組合側による事故以前の安全上の訴えを確認。証言資料として扱い、技術的確定事項とは区別した。
  • Codelco,
    Reporte de Sustentabilidad 2010 / Operación San Lorenzo
    ― 2010年8月5日13時40分ごろの崩落、坑道閉塞、救助経路が探査孔中心へ移行した経緯を確認。
  • Fiscalía Regional de Atacama関連発表・報道
    ― 2013年に刑事捜査が起訴なしで終了したこと、技術資料から崩落原因・個人の刑事責任を断定するだけの証拠が得られなかったことを確認。

資料上の注意:
本記事では「岩盤が崩れた直接的な物理原因」「事故以前の安全管理上の問題」「行政監督上の責任」「個人の刑事責任」を分離した。
チリ下院調査委員会は鉱山所有側とSERNAGEOMINの監督について厳しい結論を示したが、2013年の刑事捜査では特定人物を起訴するのに十分な証拠がないとして捜査が終了している。
したがって、本記事では一つの違反や一人の人物を「崩落の直接原因」と断定しない。
また、労働組合・関係者の議会証言は重要な資料ではあるものの、証言内容そのものを技術調査による確定事実とは扱わない。