1986年4月26日。
チェルノブイリ4号炉は爆発し、
原子炉としての形を失った。
だが事故処理側から見れば、
それは終点ではなかった。
むしろ、
そこから別の巨大事業が始まった。
壊れた建物。
飛散した燃料。
放射性物質で汚染された道路と土壌。
高線量の瓦礫。
内部状態さえ完全には分からない4号炉。
そのすぐ隣には、
再び運転させることが検討されていた1~3号炉もあった。
破壊された4号炉を
そのまま放置することはできない。
放射性物質の飛散を減らし、
周辺で作業できる環境をつくり、
事故炉を長期間管理できる状態へ移さなければならない。
そのためソ連は、
数十万人規模の事故処理作業員を動員した。
後に
「リクビダートル」
と呼ばれる人々である。
そして事故からわずか7か月後。
4号炉は巨大なコンクリートと鋼鉄の構造物で覆われた。
一般に「石棺」と呼ばれる、
正式名称
「Shelter Object(シェルター・オブジェクト)」
である。
しかしそれは、
通常の原子力施設のように
完全に設計された恒久建築物ではなかった。
事故で残った不安定な建物をそのまま利用しながら、
極端な放射線環境の中で
わずか206日で造られた緊急構造物だった。
CASE FILE 38|第8回
今回の問い
原子炉そのものが破壊された4号炉を、
ソ連はどうやって近づける状態にし、
わずか半年ほどで巨大な覆いを建設したのか。
リクビダートル、除染、遠隔作業、
コンクリートと鋼鉄、
そして「石棺」が最初から抱えていた弱点を追う。
「リクビダートル」とは誰だったのか
リクビダートルという言葉は、
チェルノブイリ事故後の
「事故結果の処理・除去」に従事した人々を広く指す。
一つの職業名ではない。
原発職員。
消防。
軍人。
建設作業員。
運転手。
技術者。
測量・放射線管理要員。
医療関係者。
ヘリコプター乗員。
除染作業員。
事故処理には、
極めて多様な組織と人員が投入された。
UNSCEARによれば、
旧ソ連各国の制度上
リクビダートルとして認定証を受けた人は
約60万人に達した。
ただし、
60万人全員が1986年の4号炉周辺で
高線量作業をしたわけではない。
活動期間も1986年だけではなく、
その後数年間に及ぶ。
被ばく線量も、
作業場所、時期、仕事内容によって大きく異なる。
FACT CHECK|「60万人が石棺を造った」のか
違う。
約60万人という数字は、
広い意味で事故処理作業員として認定された人々の規模である。
UNSCEARでは、
除染、警備、放射線監視、
廃棄物施設やダムの建設など
多様な業務が含まれている。
チェルノブイリ原発公式資料では、
1986年のShelter Object建設そのものには
約9万人が関与したとしている。
最初に必要だったのは、「建てる」ことではなく「近づける」ことだった
4号炉を覆う構造物を造ろうとしても、
事故直後の現場へ普通の建設作業員を入れることはできない。
発電所敷地には、
炉心から飛散した燃料、
黒鉛、
構造材、
汚染された土砂などが残っていた。
場所によって線量率は大きく異なる。
つまり、
建設前にまず
「どこで、何分間、人が作業できるか」
を把握しなければならなかった。
放射線測量。
高線量物体の除去。
表面汚染の除染。
土壌処理。
道路整備。
遮蔽壁。
建設基地。
大量のコンクリートを供給する設備。
事故炉を覆う前に、
その周囲へ巨大な工事現場そのものを作る必要があった。
5月――発電所周辺の除染が始まる
5月に入ると、
チェルノブイリ原発とプリピャチ周辺で
本格的な除染作業が進められた。
建物を洗浄する。
道路表面を処理する。
高濃度に汚染された土を取り除く。
放射性瓦礫を回収する。
必要な場所は
コンクリートなどで覆う。
目的は
「地域全体の放射能を消す」ことではない。
作業員が通る道路や、
建設機械を置く場所、
設備を組み立てる場所について
線量を下げることが重要だった。
つまり除染は、
次の事故処理作業を可能にするための前工程
でもあった。
汚染地域の外に「きれいな側」を作る
Shelter建設では、
放射線管理のために
作業区域を分ける考え方が使われた。
できるだけ線量の低い区域で
大型構造物を組み立てる。
そして完成した大きな部材を
クレーンなどで高線量区域へ運び、
現場での人間による作業時間を減らす。
チェルノブイリ原発公式資料は、
この
「クリーン区域で大型部材を組み立て、
高線量側では可能な限り遠隔で設置する」
方法が非常に有効だったとしている。
接続部分についても、
現場で作業員が長時間細かな加工をしなくて済むよう
設計された。
普通の建設工事なら、
現地で寸法を合わせ、
溶接し、
ボルトを締めるという方法を取れる。
しかしチェルノブイリでは、
現場滞在時間そのものが被ばく線量になる。
施工性=放射線防護
だった。
時間・距離・遮蔽――工事計画そのものが被ばく管理になった
放射線環境での基本的な防護原則は、
単純化すると三つに分けられる。
時間。
線源の近くにいる時間を短くする。
距離。
可能な限り線源から離れる。
遮蔽。
コンクリート、鋼材、土砂などを間に置く。
Shelter建設では、
これを工事方式そのものへ組み込む必要があった。
高線量区域の事前測定。
遮蔽物の設置。
遠隔操作機器。
大型クレーン。
クリーン区域でのプレハブ化。
作業時間管理。
通常なら施工効率のために行う工程分割が、
ここでは人間の被ばく線量を抑えるための
安全機能になった。
ロボットを使えば、人間は要らなかったのか
高線量区域で人間を働かせないため、
遠隔操作機器や特殊車両も使用された。
チェルノブイリ原発公式資料では、
重機の一部へ
遠隔操作装置や防護構造が追加されたことが記録されている。
しかし1986年の技術で、
事故現場のすべてを完全無人化することはできなかった。
瓦礫。
崩壊した建物。
段差。
高い放射線。
不安定な通信。
未知の内部構造。
通常の工場に設置する産業ロボットとは
条件が違う。
そのため、
可能なところでは遠隔化し、
それが成立しない部分では
人間の滞在時間を制限して作業するという
混合方式になった。
「石棺」をどう造るか――18案が検討された
事故炉を長期的にどう保存するかについて、
最初から現在知られる形が決まっていたわけではない。
チェルノブイリ原発公式資料によれば、
概念設計段階では
18種類の案が検討された。
砕石とコンクリートで
事故炉全体を埋める案。
巨大なアーチを造る案。
球形に近い大規模構造物で覆う案。
しかし多くの案は、
大量の資材と長い工期を必要とした。
そして工期が長くなれば、
それだけ高線量区域で人が作業する時間も増える。
事故処理では、
建物として理想的かどうかだけでなく、
作業員が受ける総線量も設計条件になる。
最終的に選ばれたのは「壊れた4号炉を利用する」方法だった
最終案では、
事故で残った4号炉の構造物を
新しいShelterの一部として利用することになった。
すべてを解体して
新しい建物へ造り直すのではない。
比較的損傷の少ない壁や構造物を
支持構造として使い、
その外側・上側へ新しい壁や梁を追加する。
チェルノブイリ原発公式資料は、
Shelterを
事故で残った「旧構造」と、
事故後に建設した「新構造」の組み合わせ
と説明している。
代表的な追加構造には、
- カスケードウォール
- バットレスウォール
- 原子炉区画上部の覆い
- 脱気器建屋側の構造物
- タービン建屋側の閉鎖構造
などがあった。
これは工期と被ばくを減らすには合理的だった。
しかし同時に、
後にShelter最大の弱点となる設計判断でもあった。
壊れた建物を、強度計算の前提に使う
通常の建築物なら、
柱や梁について
材質、寸法、接合状態、荷重条件を確認し、
それを前提に構造計算する。
しかし4号炉の一部は、
爆発と火災を受けていた。
近づけない場所もある。
内部を確認できない。
構造物がどこまで損傷しているか
完全には分からない。
その構造物を
新しい屋根や梁の支持部として利用した。
これは通常の設計とは根本的に違う。
支持構造そのものの状態に不確実性を抱えたまま、
その上に巨大な封じ込め構造を造る必要があった。
時間をかけて事故炉を完全調査してから設計する、
という選択肢を取りにくかったからである。
5月29日――4号炉を「Shelter」で覆うことが正式に決まる
事故後、
4号炉を長期的に隔離する方針が固められた。
5月29日、
ソ連共産党中央委員会と閣僚会議の決定によって、
4号炉と関連構造物を処理し、
「Shelter of ChNPP Unit 4」
を建設する方針が正式化された。
そのために
Construction Management No.605、
いわゆる建設管理605が組織された。
事故対応は、
消防と緊急操作の段階から、
巨大な土木・建築プロジェクトへ移っていった。
まず巨大工事を支えるインフラを造った
Shelterだけを見ていると、
巨大な壁や屋根を直接造り始めたように見える。
実際には、
その前に大量の支援設備が必要だった。
コンクリートプラント。
資材受入れ基地。
建設機械の整備基地。
道路。
作業員宿泊施設。
食堂。
衛生設備。
放射線管理設備。
車両の除染施設。
作業員は、
できるだけ汚染の少ない場所で生活し、
作業区域へ専用輸送で移動する。
汚染区域から出る車両は
放射線測定を受け、
必要なら除染された。
事故現場そのものだけでなく、
人と物を汚染区域へ出入りさせる物流システムを
構築する必要があった。
5月20日~7月15日――まず現場を工事可能にする
チェルノブイリ原発が整理したShelter建設工程では、
最初の段階が
5月20日から7月15日までとされている。
この時期の中心は、
本体工事よりも準備だった。
高線量源の除去。
除染。
建設部材の製作。
コンクリートプラントなどのインフラ整備。
つまり、
事故炉の近くへ巨大構造物を建てるための
足場を作った。
7月16日~9月15日――主要構造物を建設
第2段階では、
Shelter本体の主要な土木・建築工事が進められた。
大量のコンクリートが投入され、
事故炉の周辺へ
厚い壁が造られていく。
大型鋼構造物を使って
上部を覆う。
使用された建設機械も巨大だった。
チェルノブイリ原発公式資料には、
主ブームで最大650tを吊れる
DEMAG製クローラクレーンなどが記録されている。
人間が高線量区域へ入り、
細かく部材を組み立てる代わりに、
できる限り大きな構造物を
遠くから一度に設置する。
大型重機は、
単なる施工能力ではなく
放射線防護装置でもあった。
9月15日~11月30日――閉鎖構造を完成させる
最後の段階では、
屋根や閉鎖構造、
各種設備の完成が進められた。
Shelterは
単純なコンクリートの箱ではない。
内部の状態を監視する設備。
電源。
換気。
消防設備。
放射線監視。
事故炉を長期間管理するための
最低限のシステムも必要だった。
34万5000立方メートルのコンクリート
最終的な工事量は巨大だった。
チェルノブイリ原発公式資料によれば、
Shelter建設では
約34万5000m³のコンクリートが使用された。
さらに
約7000tの鋼構造物が組み立てられた。
建設に関与した人員は約9万人。
工期は206日。
| 項目 | 規模 |
|---|---|
| 建設期間 | 206日 |
| 建設関係者 | 約90,000人 |
| コンクリート | 約345,000m³ |
| 鋼構造物 | 約7,000t |
| 完成・受入れ | 1986年11月30日 |
事故が起きたのは4月26日。
11月末には、
巨大な破壊原子炉が
一つの構造物の内部へ収められていた。
11月30日――Shelter Objectが受け入れられる
1986年11月30日。
国家委員会による
Shelter Objectの使用受入れ文書が署名された。
事故から約7か月。
壊れた4号炉を
外部環境からある程度隔離する巨大構造物が完成した。
一般には
「サルコファガス」
――石棺と呼ばれるようになる。
FACT CHECK|正式名称は「石棺」なのか
正式には
Shelter Object
と呼ばれる。
「石棺」「サルコファガス」は、
破壊された原子炉を巨大構造物で覆った外観や役割から広まった通称である。
本シリーズでは一般的な理解のため「石棺」も使用するが、
技術的な説明ではShelter Objectと表記する。
石棺の中に、燃料はどれほど残ったのか
爆発によって大量の放射性物質が環境へ放出された。
しかし、
原子炉燃料のすべてが外へ飛び出したわけではない。
チェルノブイリ原発の現在の公式説明では、
事故炉に存在した核燃料の
約95%が、炉心破片、燃料含有溶融物、燃料ダストなどの形で
Shelter内部に残ったと推定している。
重要なのは、
元の燃料集合体の形で
きれいに残っているわけではないことだ。
事故時の高温によって、
燃料、
コンクリート、
砂、
金属などが反応し、
溶融した物質も生成された。
それが冷えて固まり、
lava-like fuel-containing materials
――溶岩状燃料含有物質
と呼ばれる形で残っている。
つまり石棺の目的は、
単に壊れた建物を雨風から守ることではない。
内部には大量の核燃料由来物質が残っている。
それを外部環境から隔てながら、
長期に監視する必要があった。
「完全密閉」ではなかった
石棺という言葉からは、
巨大なコンクリート容器の中へ
4号炉を完全に密閉したイメージを持ちやすい。
しかし実際のShelterは、
完全な気密容器ではなかった。
事故で残った建物へ
新しい構造を継ぎ足して造られている。
構造物には隙間があり、
外気や雨水が内部へ入り得た。
内部の放射性物質を
可能な限り局限化する機能は持つが、
通常の原子炉格納容器と同じものではない。
FACT CHECK|石棺=原子炉格納容器なのか
違う。
通常の原子炉格納容器は、
設計段階から荷重、圧力、気密性、
地震等を考慮して建設される安全設備である。
Shelter Objectは、
事故後の高線量環境で
破壊された既存建屋を利用しながら
緊急に構築された局限化施設だった。
完成した瞬間から、すでに弱点を抱えていた
Shelter Objectの最大の問題は、
施工不良という単純な話ではない。
そもそも建設条件が
通常の建築物とは違いすぎた。
詳細な現地調査ができない。
高線量で近づけない。
事故で変形した構造物を支持材として使う。
現場で長時間の精密作業ができない。
そして、
とにかく短期間で放射性物質の飛散を抑える必要がある。
チェルノブイリ原発自身も、
Shelterについて
通常の設計・建設・試運転・運用基準に従って造られた施設ではなく、
構造強度や信頼性の面で
通常の安全基準を満たすものではなかったと説明している。
寿命も明確ではなかった。
なぜ「もっと頑丈なもの」を最初から造らなかったのか
現在から見れば、
最初から100年間使える巨大シェルターを
事故炉の外側に造ればよかったようにも見える。
しかし1986年には、
事故炉が大量の放射線を出していた。
作業時間が長くなれば、
作業員の集団線量も増える。
巨大な新構造物を完全新設するには、
基礎工事、
地盤工事、
精密測量、
資材搬入、
現場組立が必要になる。
それだけ時間もかかる。
事故処理時の設計には、
通常の建築とは違うトレードオフがあった。
| 要求 | 問題 |
|---|---|
| 短期間で完成させる | 詳細調査・精密施工に時間を使えない |
| 作業員の被ばくを減らす | 現場作業時間を減らす必要がある |
| 構造を強くする | 大型工事ほど高線量区域での施工量が増える |
| 事故炉を完全に調査する | 高線量・瓦礫で接近不能な区域がある |
| 放射性物質放出を減らす | 完成を急ぐ必要がある |
1986年のShelterは、
恒久解ではなく、まず事故炉を管理可能な状態へ移すための緊急解
だったと考える方が近い。
事故処理は「石棺完成」で終わらなかった
11月30日にShelterが受け入れられても、
4号炉内部の問題が解決したわけではない。
内部の燃料含有物質。
放射性ダスト。
雨水。
腐食。
火災リスク。
建物の変形。
地震や強風に対する構造安定性。
そして、
内部へ人が近づけない区域。
チェルノブイリ原発によれば、
1986年以降も
Shelter内部のかなりの範囲は
高線量や物理的障害のため
十分に調査できない状態が続いている。
つまり、
石棺は事故炉を
「安全な普通の建物」に変えたのではない。
管理不能に近かった事故炉を、
長期管理できる状態へ一段階移した
のである。
石棺の存在は、別の問題を先送りした
1986年の最優先課題は、
放射性物質の拡散を減らし、
現場周辺で事故処理を続けられるようにすることだった。
Shelterはその役割を果たした。
しかし内部に残された燃料や瓦礫を
最終処分したわけではない。
むしろ、
それらを巨大構造物の中へ
一時的に閉じ込めた。
そのため将来、
不安定な旧構造物をどう解体するか。
燃料含有物質をどう取り出すか。
放射性廃棄物をどう処理するか。
という次の問題が残された。
1990年代以降、
このShelterを
「環境的に安全なシステム」へ変える計画が進められることになる。
その結果として建設されたのが、
巨大な
New Safe Confinement
である。
ただし、
その経緯と現在の4号炉については
シリーズ最終回で扱う。
リクビダートルを「英雄物語」だけにしない
事故処理では、
非常に多くの人が
困難な放射線環境で作業した。
その貢献がなければ、
除染もShelter建設も成立しなかった。
しかし、
チェルノブイリを
「勇敢な人々が命を懸けて救った」
という物語だけにすると、
SYSTEM事故としての重要な部分が消える。
なぜ、
人が高線量区域へ入らなければならなかったのか。
なぜ、
遠隔操作だけでは処理できなかったのか。
どの仕事なら機械へ任せられ、
どこから人間が必要になったのか。
どうやって作業時間を管理したのか。
どの程度の線量が記録されたのか。
その記録の精度は十分だったのか。
こうした問題まで含めて
事故処理を評価する必要がある。
「事故を収束させた」と「問題を解決した」は違う
1986年11月。
事故直後の状態と比べれば、
4号炉は大きく変わっていた。
開放された炉心は
Shelter Objectの内部へ収められた。
発電所周囲の除染も進んだ。
他の原子炉を再稼働させるための環境整備も行われた。
しかし、
事故で発生した放射性物質そのものが
なくなったわけではない。
問題の多くは、
Shelterの内部へ移された。
だからチェルノブイリの事故処理は、
「解決」というより
危険を管理可能な形へ変換する作業
だった。
まとめ|206日で造られた「石棺」は、最終解ではなかった
チェルノブイリ事故後、
約60万人が広い意味で
リクビダートルとして事故処理に関与した。
その仕事は、
単に4号炉の屋根へ瓦礫を戻すことではない。
放射線測定。
除染。
道路整備。
廃棄物処理。
輸送。
設備建設。
そしてShelter Objectの建設。
巨大な産業プロジェクトだった。
4号炉を覆うShelterには、
約9万人が建設に関与した。
使用されたコンクリートは
約34万5000m³。
鋼構造物は約7000t。
設計・建設は
わずか206日で進められた。
1986年11月30日、
Shelter Objectは正式に受け入れられた。
しかし、
それは通常の原子力施設ではない。
事故で損傷した4号炉の残存構造を利用し、
高線量環境の中で
短期間に造られた緊急構造物だった。
強度。
気密性。
耐久性。
内部状態。
多くの不確実性が残った。
それでも1986年当時、
開放された事故炉をそのまま残すより、
はるかに管理可能な状態へ変えた。
チェルノブイリ事故処理の本質は、
危険を完全に消したことではない。
制御不能な破壊状態から、
人間が監視・補修・次の処理を続けられる状態へ
危険を一段ずつ移していったこと
にある。
ところで、
ここまでの記事では
RBMKの設計、
運転、
試験、
緊急停止系という
複数の問題を見てきた。
しかし事故直後、
公式説明で強く責任を問われたのは
運転員だった。
その後、
ソ連内部の新しい調査結果と
IAEAによる再評価によって、
事故原因の説明は変わっていく。
なぜ1986年の説明と
1993年のINSAG-7では
事故の見え方が違うのか。
次回は、
「運転員のミス」という初期説明が、
設計・規制・安全文化を含むSYSTEM事故へ
どう再評価されたのかを追う。
現場の位置|4号炉 Shelter Object
出典・参考資料
-
Chornobyl Nuclear Power Plant,
Shelter Object Construction.
Shelter建設案、放射線防護方式、
既存4号炉構造の利用、
建設人員、コンクリート・鋼材量、
工期、1986年11月30日の受入れ等の確認に使用。 -
Chornobyl Nuclear Power Plant,
Accident and its Elimination.
4号炉長期保存方針、
Shelter Objectの構造的役割、
約90,000人・206日という工事規模のクロスチェックに使用。 -
Chornobyl Nuclear Power Plant,
The Main Dates of the First Stage.
1986年5月から11月までの
Shelter建設各工程の時系列確認に使用。 -
United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation,
UNSCEAR 2000 Report, Annex J: Exposures and Effects of the Chernobyl Accident.
リクビダートルの定義、
約600,000人という認定者規模、
事故処理作業の範囲の確認に使用。 -
International Atomic Energy Agency,
チェルノブイリ4号炉およびShelter Object関連資料。
Shelterの位置づけと事故炉の長期管理について補足確認に使用。
“`
“`
※「リクビダートル」は一つの職種を意味しない。
UNSCEARの約600,000人は、
軍・民間を含む広範な事故処理作業員として認定された人口であり、
1986年のShelter建設作業員数とは異なる。
※Shelter Object建設についてチェルノブイリ原発公式資料は、
約90,000人、345,000m³のコンクリート、
約7,000tの鋼構造物、206日という値を示している。
※Shelter Objectは恒久的な原子炉格納容器として設計されたものではない。
事故で残った旧構造と新設構造を組み合わせた緊急局限化施設であり、
完成当初から構造安定性・耐久性等に不確実性を抱えていた。
※New Safe Confinementは本記事では位置づけの説明にとどめ、
建設・機能・事故後のRBMK改修・現在の4号炉については
第10回で扱う。