現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

チェルノブイリ原発事故③なぜ安全試験は危険な運転状態へ入ったのか――出力低下とキセノン中毒

チェルノブイリ原発事故③|なぜ安全試験は危険な運転状態へ入ったのか――出力低下とキセノン中毒

原子力事故

1986年4月25日。
チェルノブイリ原子力発電所4号炉は、
事故を起こすために運転されていたわけではない。

翌日から予定されていた定期点検へ向け、
原子炉を停止する途中だった。

その停止過程を利用して、
以前から残されていた一つの試験を実施する予定になっていた。

外部電源を失った場合、
停止していくタービン発電機の惰性回転だけで、
非常用ディーゼル発電機が立ち上がるまでの短時間、
必要なポンプへ電力を供給できるか。

試験は本来、原子炉を約700MW(th)まで下げた状態で実施する計画だった。

しかし実際にはそうならなかった。

出力低下は途中で約9時間止められ、
深夜になって再開された。
その後、原子炉出力は予定していた値を通過し、
約30MW(th)まで急落する。

そこから出力を戻すために多数の制御棒が引き抜かれ、
最終的に4号炉は約200MW(th)という低出力で試験を行うことになった。

この過程で重要になるのが、
キセノン135による「キセノン中毒」と、
運転反応度余裕――ORMの低下
である。

ただし、ここには有名な誤解がある。

「キセノン中毒で出力が30MWまで落ちた」
「700MW以下での運転は禁止されていた」
「運転員が無理やり200MWまで戻したことだけが事故原因だった」

いずれも、それだけでは事故経過を正確に説明できない。

4号炉がどのように危険な運転状態へ入ったのか。

4月25日から26日未明まで、
事故前約24時間を時系列で追う。

CASE FILE 38|第3回

今回の問い

約700MWで実施する予定だったタービン惰性回転試験は、
なぜ約200MWという低出力で行われることになったのか。

出力低下の延期、キセノン135、制御棒、ORM。
事故を可能にした炉心状態が形成されるまでを追う。

4月25日01時06分――4号炉の出力低下が始まった

INSAG-7に収録された事故時系列では、
4号炉の出力低下は1986年4月25日01時06分に始まった。

この時点での運転反応度余裕、
ORMは31本相当だった。

原子炉は定期点検へ入る予定で、
停止までの途中でタービン発電機8号機を使った
惰性回転試験を行うことになっていた。

試験の目的は、
外部電源が失われた際の短時間をどうつなぐかだった。

原子炉が停止したとしても、
燃料からすぐに熱が消えるわけではない。
核分裂が止まった後も崩壊熱が残るため、
冷却水を循環させ続ける必要がある。

非常用ディーゼル発電機が起動するまでの間、
回転を続けるタービン発電機から
ポンプへ電力を供給できるのか。

これを確認するのが今回の試験だった。

チェルノブイリ原発公式資料によれば、
試験は原子炉熱出力約700MWで行う計画だった。

03時47分――出力は1600MW付近で止められた

01時06分から始まった出力低下によって、
03時47分には原子炉熱出力が約1600MWまで下がった。

定格熱出力3200MWのおよそ50%である。

その後は、
この1500~1600MW付近の状態が長時間続くことになる。

04時13分から12時36分にかけては、
タービン発電機の制御系パラメータや振動特性の測定も行われた。

ここで一度、
原子炉側の状態を見る。

07時10分、
ORMは13.2本相当まで低下していた。

当時の運転規則における下限は15本相当だった。

つまりこの時点では、
ORMが規定値を一時的に下回っていた。

しかしその後ORMは回復し、
15時20分には16.8本、
23時10分に出力低下を再開した時点では
26本相当になっていた。

したがって、
「4月25日の朝から事故時刻までずっと制御棒が危険なほど抜かれていた」わけではない。

炉心状態は時間とともに変化していた。

14時00分――試験開始直前に電力系統から待ったがかかった

本来なら、
4号炉はそのまま出力を下げ、
午後には試験を実施して停止する予定だった。

ところが14時00分、
キエフの電力系統ディスパッチャーから
出力低下を延期するよう求められた。

電力需要へ対応するため、
4号炉を系統へ接続したまま発電させる必要があった。

その結果、
原子炉は約1600MWの状態で長時間運転を続けることになった。

試験開始は午後から深夜へずれ込んだ。

ここはチェルノブイリ事故の説明で、
しばしば「夜勤へ引き継がれたため事故が起きた」
という物語にまとめられる。

しかし、単純に勤務時間だけを原因とみなすことはできない。

重要なのは、
予定していた出力変化の時間軸そのものが大きく変わったことである。

原子炉内部では、
出力を変更すると燃料温度や冷却材だけでなく、
核分裂生成物の濃度も時間とともに変化する。

その代表がキセノン135だった。

キセノン135――原子炉の出力を押し下げる物質

原子炉では、
ウランの核分裂によってさまざまな核分裂生成物が作られる。

その中で原子炉運転に大きな影響を与えるものの一つが、
キセノン135である。

キセノン135には、
中性子を非常に強く吸収する性質がある。

核分裂連鎖反応に使われるはずだった中性子を
キセノン135が吸収すれば、
原子炉の反応度は低下する。

そのため原子炉運転の世界では、
キセノン135の増加によって
反応度が抑えられる状態を
「キセノン中毒」あるいは「キセノンポイズニング」と呼ぶ。

原子炉出力を下げる

中性子束が減少する

キセノン135の中性子吸収による消滅が減る

一方でヨウ素135の崩壊からキセノン135が生成され続ける

キセノン135濃度が一時的に増える

原子炉の反応度をさらに低下させる

ここで重要なのは時間差である。

原子炉出力を下げた瞬間に、
キセノン135の状態が新しい出力へ即座に追従するわけではない。

出力変更後もしばらく、
ヨウ素135からキセノン135が生成され続ける。

一方、
出力が下がったことで中性子によるキセノン135の消滅量は少なくなる。

このため出力低下後には、
一時的にキセノン135が増加し、
原子炉出力を上げにくい方向へ作用する。

FACT CHECK|キセノンは原子炉に混入した「毒物」なのか

そうではない。

キセノン135は核分裂によって生じる核分裂生成物の一つで、
通常運転中の原子炉にも存在する。

「中毒」「poison」という名称は、
中性子を吸収して核分裂連鎖反応を抑える性質を表す原子炉工学上の表現である。

23時10分――約9時間遅れて、再び出力を下げ始める

電力系統から出されていた運転継続要求が解除されたのは、
4月25日23時10分だった。

ここから4号炉は、
再び停止へ向けた出力低下を開始する。

この時点でORMは26本相当。

少なくともこの瞬間については、
15本という下限値を上回っていた。

26日00時05分には、
熱出力は約720MWまで低下した。

これは当初試験を予定していた
約700MWに近い。

そのまま安定させて試験へ移れば、
実際に事故が起きた状態とはかなり異なる条件になった可能性がある。

しかし出力低下はそこで止まらなかった。

00時28分――500MW付近から、突然30MWへ

26日00時28分ごろ、
原子炉熱出力は約500MWまで下がっていた。

このとき、
原子炉出力制御が
局所自動制御系から主レンジの自動出力制御へ切り替えられた。

その過程で、
熱出力が突然約30MWまで低下した。

中性子出力は実質的にゼロ近くまで低下したとされる。

これは試験計画にはなかった。

そしてこの30MWへの急落が、
事故前の原子炉状態を大きく変える転換点になった。

ただし、
なぜここまで出力が低下したのかについては断定できない。

INSAG-7に収録されたソ連側委員会の再検討では、
当時残された情報だけでは、
原因を一義的に解析することは難しいとされている。

自動制御系の切替時の操作、
制御系の応答などが検討されているが、
「ある一人の運転員が誤って出力をゼロまで落とした」
と確定できる資料ではない。

FACT CHECK|キセノン中毒が30MWへの急落を直接起こしたのか

そう断定することはできない。

キセノン135はこの時期の炉心反応度へ大きな影響を与えていた。
しかしINSAG-7では、
00時28分に約500MWから30MWへ急落した直接原因について
情報不足のため一義的に確定できないとしている。

キセノン中毒が特に重要になるのは、
出力が落ちた後、再び出力を上げようとした局面である。

30MWまで落ちると、キセノンの影響はさらに強くなる

原子炉出力が30MWまで落ちると、
中性子束も大幅に低下する。

するとキセノン135を中性子吸収によって消滅させる量も減る。

一方、
それ以前の運転によって生成されていたヨウ素135は残っており、
そこからキセノン135が生成され続ける。

つまり原子炉は、
時間が経過するにつれて
さらに反応度を失いやすい状態になる。

この状態から出力を上げようとすれば、
キセノンによって失われた反応度を
何かで補わなければならない。

そこで使われるのが制御棒である。

出力を戻すため、制御棒を引き抜く

通常、
制御棒は炉心へ挿入するほど中性子を吸収し、
原子炉出力を下げる。

逆に制御棒を引き抜けば、
中性子の吸収量が減り、
正の反応度を加えることができる。

30MWまで落ちた4号炉の出力を回復するため、
運転員は制御棒を引き抜いていった。

その結果、
原子炉出力は再び上昇する。

26日01時00分ごろには、
熱出力約200MWで安定した。

しかしこれは、
当初予定していた約700MWよりはるかに低い。

そして制御棒を多数引き抜いて出力を維持したため、
ORMも大きく減少していった。

なぜ700MWまで戻さなかったのか

ここは後世の説明で、
「700MWまで戻すべきだったのに、
運転員が200MWで強行した」
と説明されることがある。

確かに試験計画では約700MWが予定されており、
約200MWで試験を実施する判断は
計画からの逸脱だった。

しかし、
当時の運転規則が700MW未満での原子炉運転そのものを禁止していた、
という説明はINSAG-7では否定されている。

低出力運転は、
RBMKの安定性という観点から問題を持っていた。

だがその危険性が、
運転規則や設計資料によって
運転員に十分明確に示されていたわけではなかった。

INSAG-7に収録された再評価では、
約200MWでタービン惰性回転試験を実施する判断について、
試験計画からの逸脱ではあったものの、
設計文書・規制文書・運転文書が
この出力での運転を禁止してはいなかったとされている。

FACT CHECK|「700MW以下での運転は禁止されていた」は正しいか

正確ではない。

タービン惰性回転試験は約700MWで行う計画だった。
その意味で200MWでの試験は試験計画から外れていた。

しかし後のINSAG-7では、
700MW未満での原子炉運転そのものを禁止する規定は確認されていない。

重要なのは
「禁止された出力で運転した」という単純な違反ではなく、
低出力域でRBMKの安全特性がどれほど悪化するかが、
運転側へ十分伝達されていなかったこと
である。

200MWで「安定した」ことと、安全だったことは違う

01時ごろ、
4号炉の表示上の熱出力は約200MWで安定した。

しかし原子炉の一つの出力値が一定になったからといって、
炉心全体が安全な状態になったとは限らない。

第2回で見たように、
RBMKは非常に巨大な炉心を持つ。

特に低出力状態では、
炉心内部の出力分布が不均一になりやすい。

さらにキセノン濃度、
制御棒配置、
冷却材流量、
蒸気量によって、
炉心の反応度特性も変化する。

表示上は200MW。

だが原子炉内部では、
定格運転時とはかなり異なる条件が成立していた。

問題は「制御棒を抜いたこと」だけではない

出力回復のため制御棒を引き抜いた。

ここだけを見ると、
事故原因は簡単に見える。

「出力が落ちたのに無理に上げようとして、
制御棒を抜きすぎた」

しかしSYSTEM事故として見るなら、
そこで止めてはいけない。

制御棒を引き抜くこと自体は、
原子炉の通常の出力制御でも使われる。

問題は、
その結果としてORMが小さくなったとき、
RBMKの安全特性そのものが大きく変化する設計だった
ことである。

ORMが低下すると、
単に「停止させるための制御棒が少なくなる」だけではない。

正のボイド係数が大きくなり、
制御棒を大きく引き抜いた配置では、
緊急停止時のpositive scram効果も問題になり得る。

つまりORMは、
原子炉の動特性に関係する重要な安全パラメータだった。

しかし事故当時、
その意味が運転員へ十分理解される形で
扱われていたとは言い難かった。

「ORM 8本」が確認されたのは事故直前だった

事故後の計算では、
01時22分30秒ごろのORMは
8本相当だったと評価されている。

運転規則上の下限である15本を大きく下回る。

ただし、
この数値を運転員がその瞬間に
リアルタイムで正確に把握していたと考えるのも適切ではない。

当時のRBMKでは、
ORMは専用のアナログメーターで常時表示されるような値ではなく、
炉内状態をコンピューターで計算して求める必要があった。

計算と表示には時間差が存在した。

したがって事故後に再構成された
「01時22分30秒=ORM 8本」という値と、
制御室の運転員がその時点で認識していた値は分けて考える必要がある。

これは事故調査で重要な点である。

後からすべてのデータを集めて見ることと、
当事者がその瞬間に持っていた情報とは同じではない。

01時03分、01時07分――さらに循環ポンプを投入

約200MWで出力を安定させた後、
試験準備は続けられた。

01時03分には左側回路へ予備の主循環ポンプ1台、
01時07分には右側回路へさらに1台が投入された。

これによって、
8台の主循環ポンプが運転する状態になった。

冷却水の流量は増える。

一見すると、
原子炉をよりよく冷却するので安全側に見える。

しかしRBMKでは、
冷却材流量の変化が
蒸気量と反応度へ影響する。

水の流量が増えれば、
炉心内の蒸気量は減少する。

RBMKでは蒸気が減ることは、
正のボイド係数を通じて
負の反応度方向へ働く。

すると200MWを維持するため、
さらに制御棒位置の調整が必要になる。

こうして試験直前の4号炉は、
出力だけを見れば安定していても、
複数のパラメータが互いに強く結びついた状態になっていった。

事故直前の4号炉で重なっていたもの

“`

“`

要因 何が起きていたか 安全上の意味
試験延期 1600MW付近で長時間運転 当初予定した出力低下の時間軸が変化
深夜の出力低下 23:10から再び出力を低下 炉心の反応度状態が変化
00:28の出力急落 約500MWから約30MWへ 予定外の極低出力状態へ入った
キセノン135 低出力化により反応度を抑制 出力回復を難しくした
制御棒引抜き 出力を約200MWへ回復 ORM低下につながった
低出力運転 定格3200MWに対し約200MW 炉心出力分布・反応度特性が不安定になりやすい
8台の循環ポンプ 高い冷却材流量 蒸気量と反応度のバランスへ影響
低ORM 事故直前の再計算値は8本相当 RBMKの安全特性が悪化する条件

では、どこで試験を中止すべきだったのか

結果を知っている現在から見れば、
いくつもの時点で
「ここで止めればよかった」と言える。

出力が30MWまで落ちた時点。

ORMが下限を下回った時点。

試験計画から外れた200MWで実施すると決めた時点。

しかし事故分析で重要なのは、
後知恵だけで個人を評価することではない。

各時点で運転員に、
どの情報が与えられていたのかを見る必要がある。

たとえば、
低ORMが単に運転規則上の数値ではなく、
正のボイド係数を増大させ、
制御棒の緊急停止特性まで悪化させるほど
重要な安全パラメータだと理解されていたのか。

低出力域でRBMKがどれほど不安定になり得るかが、
運転資料で十分明確だったのか。

制御棒挿入開始時に
正反応度が入る可能性を運転員が知っていたのか。

それらを考えなければ、
「規則を破った運転員」という説明だけで終わってしまう。

試験計画にも問題はあった

一方で、
運転側に何の問題もなかったわけでもない。

約700MWで実施する計画だった試験を、
約200MWで続行したことは計画からの逸脱だった。

また事故直前のORMは、
後の計算では規定下限を大きく下回っていた。

試験は、
原子炉・タービン・電気設備・循環ポンプなど
複数系統の状態を同時に変化させるものだった。

それにもかかわらず、
試験プログラムそのものは
原子炉安全の観点から十分に検討されたものではなかった。

つまりチェルノブイリ事故を正確に見るなら、
二つの極端な説明を避ける必要がある。

二つの単純化を避ける

単純化1:
「すべて運転員の無謀な操作が原因だった」

→ RBMKの設計欠陥、安全情報、停止系、規制の問題を説明できない。

単純化2:
「設計が悪かったので運転員の操作は何も問題ではなかった」

→ 約200MWでの試験続行、ORM低下など、
実際の事故前運転条件を説明できない。

チェルノブイリは、
設計上の弱点と運転上の条件が同じ時間・同じ炉心で接続された事故
と見る必要がある。

01時23分04秒――危険な状態のまま試験が始まる

こうして4号炉は、
当初予定とはかなり異なる状態で
タービン惰性回転試験を迎えた。

熱出力は約200MW。

キセノンによる反応度抑制。

多数の制御棒が引き抜かれ、
ORMは事故後の再計算で8本相当。

8台の主循環ポンプが運転し、
冷却材流量は大きい。

炉心入口の水は沸点に近く、
わずかな流量変化でも
炉心内の蒸気量が変化し得る。

そしてRBMKは、
蒸気量が増えると正反応度が加わり得る
正のボイド係数を持っていた。

01時23分04秒。

タービン発電機8号機への蒸気が遮断され、
惰性回転試験が始まった。

タービンの回転数が下がる。

そこから電力を受けている循環ポンプの回転も低下する。

水の流量が変わる。

炉心内の蒸気量が増え始める。

ここまでは、
試験開始に伴って予想できる機械的な変化だった。

しかし4号炉では、
その変化が原子炉の核反応そのものへ戻ってくる。

蒸気が増える。

正の反応度が入る。

出力が上がる。

さらに蒸気が増える。

第2回で見た正帰還が、
現実の炉心で始まる条件がそろっていた。

まとめ|危険だったのは「低出力」だけではない

チェルノブイリ4号炉の試験は、
当初約700MWで行われる予定だった。

しかし4月25日14時、
電力系統からの要求によって出力低下が延期され、
約1600MWでの運転が深夜まで続いた。

23時10分に出力低下を再開。

26日00時05分には約720MWとなったが、
00時28分ごろ、
自動制御系の切替過程で
出力は予定外に約30MWまで急落した。

この急落の直接原因は、
後のINSAG-7でも一義的には断定されていない。

しかし、その後は明確である。

低出力化によってキセノン135の影響が強まり、
反応度を確保するため多数の制御棒が引き抜かれた。

原子炉は約200MWまで回復したが、
その裏側でORMは低下した。

結果として事故直前の4号炉では、


低出力
+ キセノン中毒
+ 多数の制御棒引抜き
+ 低ORM
+ 大きな冷却材流量
+ 正のボイド係数

という条件が同時に成立していた。

一つ一つの出来事だけを見ても、
4号炉が数十秒後に破壊されるとは分からない。

しかしそれらが同じシステム上でつながると、
試験開始による小さな流量変化を
原子炉自身が増幅できる状態になる。

そして01時23分04秒、
試験は始まった。

残された時間は、
もう1分もなかった。

次回は、
この01時23分04秒から爆発までを秒単位で追う。

循環ポンプの流量低下。
蒸気量の増加。
出力上昇。
AZ-5。
制御棒挿入。
そして原子炉の破壊。

チェルノブイリ事故で最も重要な数十秒を、
INSAG-7と事故記録から再構成する。

現場の位置|チェルノブイリ原子力発電所4号炉

現在のチェルノブイリ原子力発電所。
1986年当時の4号炉設備配置・管理区域を示すものではない。


Googleマップで大きく見る

出典・参考資料

    “`

  • International Atomic Energy Agency,
    The Chernobyl Accident: Updating of INSAG-1, Safety Series No.75-INSAG-7.
    4月25~26日の時系列、
    原子炉出力、ORM、00時28分の出力低下、
    約200MWでの試験決定、
    運転規則の再評価に使用。
  • Chornobyl Nuclear Power Plant,
    Background, Chronology of the Accident.
    試験計画、電力系統からの出力維持要求、
    23時10分の出力低下再開、
    00時28分の出力急落等のクロスチェックに使用。
  • Chornobyl Nuclear Power Plant,
    Accident and its Elimination.
    約700MWで予定されたタービン惰性回転試験の目的、
    01時23分04秒の試験開始等の確認に使用。
  • International Atomic Energy Agency,
    RBMKおよびチェルノブイリ事故関連技術資料。
    キセノン中毒、反応度、ボイド係数、事故後安全評価の補足に使用。
  • “`

※本文中の出力は原則として原子炉の熱出力MW(th)。
発電機から取り出す電気出力MW(e)とは異なる。
RBMK-1000の定格電気出力は約1000MW(e)、
定格熱出力は約3200MW(th)である。

※00時28分に約500MWから約30MWへ出力が急低下した原因について、
INSAG-7は当時残された情報だけでは一義的な解析が困難としている。
そのため本文では「キセノン中毒が出力急落を起こした」
「運転員の単純な操作ミスで落ちた」と断定していない。

※約200MWで試験を行ったことは当初の試験計画からの逸脱だったが、
INSAG-7では700MW未満での原子炉運転自体が当時の運転規則で禁止されていた、
というINSAG-1由来の説明は修正されている。