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5月10日、登頂隊はなぜ遅れたのか深夜の出発からヒラリー・ステップ、山頂到達まで

5月10日、登頂隊はなぜ遅れたのか|深夜の出発からヒラリー・ステップ、山頂到達まで

山岳遭難

1996年5月10日午前1時前後。

標高約8,000mのサウス・コルから、数十人の登山者がエベレスト山頂へ向かっていた。

空は比較的穏やかだった。
少なくとも、この時点で彼らを襲うことになる夜の吹雪は始まっていない。

問題は、別のところから少しずつ積み上がっていった。

先行する予定だったシェルパが予定どおり早く出発せず、上部ルートの固定ロープが完全には準備されていなかった。
登山者はロープ設置を待ち、狭い場所では列ができた。

午前が終わっても、まだ山頂へ向かう登山者がいた。

午後1時、山頂直下のヒラリー・ステップには複数人が並んでいた。
午後2時を過ぎてから山頂へ着く者も現れた。
さらに後方には、ロブ・ホール、ダグ・ハンセン、スコット・フィッシャーらが残っていた。

朝から悪天候だったわけではない。

では、なぜ登頂隊はこれほど遅い時間まで山頂付近に残ることになったのか。

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1996年エベレスト大量遭難特集(全10回)

1996年春のエベレストで起きた大量遭難を、商業登山隊の構成、南東稜の地形、
5月10日の登頂行動、下降中の悪天候、サウス・コルでの救助、
Hall隊とFischer隊それぞれの最終局面、北側の遭難、事故後の原因論争まで順番に追います。

先に結論|ひとつの大きな遅れではなく、小さな遅れが連鎖した

5月10日の登頂が遅くなった理由を、
「ヒラリー・ステップで渋滞したから」と一つだけにまとめることはできない。

登頂行動の前から、予定されていたルート工作の手順に変更が生じていた。

上部ルートでは新しい固定ロープが必要な場所が残っており、
登山中のガイドやシェルパがその場で作業することになった。

作業している間、後続は停止する。

その後も南峰、山頂稜線、ヒラリー・ステップという一度に多人数が通れない地点で列が生じた。

一方で登山者ごとの速度差も大きかった。

午前中に引き返した者がいる一方、
午後になっても山頂へ向かう者がいた。

そして重要なのは、
「午後になったら突然全員が危険だと分かる」という明確な境界線があったわけではないことである。

天候は日中の大部分で比較的良好だった。
山頂は見えていた。
他の登山者も前へ進んでいた。

一つひとつの判断だけを切り取ると、
その時点では続行可能に見えた場面もある。

しかし、時間だけは確実に失われていった。

ここで、5月10日の上部ルートと遅れが生じた地点を一本につないでおく。

1996年5月10日|South Colから山頂までの遅延ポイント【模式図】

South Col / Camp IV
5月9日 22:30〜23:00ごろ 出発
↓ 深夜〜早朝
Balcony付近
早朝|Beck Weathersが登頂中止・待機
↓ 上部へ進行
South Summitへ続く上部斜面
7:00〜10:00ごろ|固定ロープ設置作業
後続に待ち時間
South Summit
10:00ごろ 先頭到達
11:30ごろ Taske到達・待機
正午前後 一部登山者が撤退
↓ 露出した稜線・固定ロープ
Hillary Step
13:00ごろ|6〜7人ほどの列
登りと下降が同じ狭い難所へ集中
Everest Summit
14:00前後〜15:00台|後続も到達
↓ 同じルートを下降
Hillary Step上部
16:00ごろ|HallとHansenがまだ高所
「登頂の遅れ」が「下降・救助の問題」へ変化

1996年5月10日のSouth Colから山頂までを、本文とPBS FRONTLINEの時系列に基づいて整理した模式図。距離・傾斜・標高を正確な縮尺で再現した地形図ではない。目的は、固定ロープ設置、South Summit、Hillary Stepという複数の待機地点が時間的に連鎖したことを示すことにある。


PBS FRONTLINE「The Hour-By-Hour Unfolding Disaster」で時系列を確認する


PBS FRONTLINE「Interactive Map」で1996年の位置関係を確認する

この模式図で重要なのは、山頂直下の一か所だけで渋滞したのではなく、South Summitへ至るロープ工作、South Summitでの待機、Hillary Stepの狭い通過点が順番に時間を消費したことである。

5月9日夜|登頂前に、予定されていた手順が変わった

登頂隊がSouth ColのCamp IVへ入ったのは5月9日だった。

この時点で翌日の天候を懸念する声はあったが、
夜には天候が改善し、Adventure Consultants、Mountain Madness、台湾隊は山頂へ向かうことを決めた。

Mountain Madnessのガイド、ニール・ベイドルマンによれば、
当初はAdventure Consultantsのアング・ドルジェ・シェルパと、
Mountain Madnessのロプサン・ジャンブー・シェルパが
顧客より約2時間早く出発する計画だった。

目的は、先行してルートを確認し、
必要な場所へ固定ロープを設置しておくことだった。

ところが、この計画どおりには進まなかった。

2人が揃って予定時刻に先行し、
すべての上部ルートを準備しておくという形にはならなかった。

その結果、登頂隊自身が上部へ到達した段階で、
まだロープ設置が必要な場所が残った。

この変更が、翌朝最初の待ち時間につながる。

22時30分〜23時ごろ|South Colから登頂が始まる

David Breashearsの1996年5月15日の証言では、
Hall隊、Fischer隊、台湾隊は5月9日22時30分から23時ごろに
South Colから山頂へ向かい始めた。

資料によって出発時刻には多少の差があるが、
大筋では深夜前後の出発で一致している。

狙いは、夜明け前にできるだけ高度を稼ぎ、
午前中から昼過ぎまでに山頂へ到達することだった。

山頂アタックでは、
「山頂に着くまで何時間かかるか」だけでなく、
そこからCamp IVまで下降する時間も確保しなければならない。

その意味では、スタート時刻からすでに時計との競争が始まっていた。

深夜〜早朝|最初は大きな異常なく進んでいた

出発後しばらくは、
後に起きる大量遭難を予告するような明確な危機があったわけではない。

登山者はヘッドランプをつけ、
固定ロープを利用しながらBalcony方向へ進んだ。

標高8,000m以上では登山者ごとの速度差が大きくなる。

同じ隊で出発しても、
全員が同じ間隔で行動し続けることはできない。

速い登山者は前へ出る。
遅い登山者は後ろへ下がる。

ガイドと顧客も次第に分散していった。

この「隊列が伸びる」という現象そのものは、
エベレスト登山では異常ではない。

しかし後から考えると、
誰がどこにいるかを一人のリーダーが直接把握することを難しくした要素の一つだった。

早朝|ベック・ウェザーズに視覚障害が起きる

Adventure Consultantsの顧客ベック・ウェザーズは、
登高中に視界の異常を訴えた。

ウェザーズは過去に受けた目の手術の影響もあり、
高所で視覚に問題が生じていた。

ロブ・ホールは彼にそれ以上登らないよう指示した。

ただし、直ちにCamp IVへ単独で下降させたわけではない。

ウェザーズはBalcony付近で待機し、
Hallが下山してくるのを待つことになった。

この判断は後の下降局面で重大な意味を持つ。

しかしこの時点では、
「天候が崩れてSouth Colへ戻れなくなる」ことを前提とした判断ではなかった。

7時〜10時ごろ|上部で固定ロープの設置が必要になる

登頂隊が南峰方向へ高度を上げていくと、
予定どおりには準備されていなかった固定ロープが問題になった。

PBS FRONTLINEでは、
7時から10時ごろにかけてMountain Madnessのガイド、
ニール・ベイドルマンらがロープ設置を手伝ったと整理している。

Charlotte FoxのAmerican Alpine Journalへの記録でも、
古いロープだけでは不十分な区間があり、
新しい固定ロープを設置しながら進んだことが記されている。

問題は、ロープを設置する作業そのものが危険だったことだけではない。

作業中は、後ろの登山者が前へ進めない。

一つの斜面で数十分待つ。

その後また進み、
次の場所で再び待つ。

この繰り返しによって、
登頂隊全体の時刻が少しずつ後ろへずれていった。

10時ごろ|先頭グループが南峰へ到達する

PBSの再構成では、
午前10時ごろに先頭の登山者がSouth Summitへ到達し始めた。

ここまで来れば、
エベレスト本峰は視界に入る。

標高差だけなら残りは約100m。

しかし前回の記事で見たように、
South Summitから本峰までは簡単な尾根歩きではない。

露出した稜線を渡り、
Hillary Stepを通過しなければならない。

そして、ここでも固定ロープが問題になった。

Charlotte Foxは、
South Summit付近で追加のロープと酸素ボンベを待ち、
1時間以上停止したと記録している。

「山頂がすぐそこに見える場所」で、
時計だけが進んでいった。

11時30分ごろ|John Taskeは南峰直下で時計を見る

Adventure Consultantsの顧客John Taskeは、
11時30分ごろSouth Summitの少し下へ到達したと証言している。

そこでロープが空くまで20〜30分ほど待った。

座って補助酸素を吸いながら、
Taskeはこの先の時間を計算した。

ここから山頂へ進めば、
到着は午後3時近くになるかもしれない。

その場合、補助酸素を使い切り、
暗闇の中でSouth Colへ戻る可能性がある。

そのリスクは自分にとって許容できない。

Taskeはそう判断し、登頂を断念した。

正午ごろ|3人が山頂を諦めて引き返す

正午前後、
Adventure ConsultantsのLou Kasischke、John Taske、Stuart Hutchisonは
山頂へ進まず下降する判断をした。

ここは、1996年事故を考えるうえで非常に重要な場面である。

3人は体力を完全に失っていたから引き返したわけではない。

少なくともTaskeとKasischkeの証言では、
「このまま進めば設定された引き返し時刻までに山頂へ着けない」
という時間判断が中心にあった。

Kasischkeは後年、
山頂が近い状況で引き返すことに強い葛藤があったと振り返っている。

他の登山者はまだ上へ進んでいる。

あと1〜2時間進めば山頂へ着くようにも見える。

それでも彼は下山した。

結果から見れば正しい判断だった。

しかし当時の本人にとっては、
明白で簡単な選択ではなかった。

FACT CHECK|ターンアラウンド・タイムは「13時」で全員一致していたのか

1996年事故では「午後2時が絶対的な引き返し時刻だったのに、
HallやFischerがそれを無視した」と説明されることがある。

実際の証言は、それほど単純ではない。

John TaskeはPBSで、
「ターンアラウンド・タイムは13時で、14時という話もあった」
という趣旨の証言をしている。

Lou Kasischkeも13時を基準に判断したと述べている。

一方、Mountain MadnessのCharlotte FoxはAmerican Alpine Journalへの記録で、
14時が合意された引き返し時刻だったと記憶している。

つまり、資料から確認できるのは、
「午後の一定時刻を越えれば危険性が高まるという認識があった」ことであり、
全隊・全参加者が完全に同じ一つの時刻を共有していたと断定するのは慎重であるべきである。

13時ごろ|ヒラリー・ステップにまだ列があった

Camp II付近にいたIMAX隊のDavid Breashearsは、
山頂部を下から観察していた。

彼が強い不安を感じたのが午後1時ごろだった。

山頂から約300ft下にあるHillary Step付近に、
6〜7人ほどの登山者が並んでいるのが見えた。

Breashearsらは登山者の速度と補助酸素の消費量から、
「遅すぎる」と考えた。

この時刻は、
Hall隊の一部顧客が引き返す判断をした時刻とほぼ重なる。

一方では「もう遅い」と判断して下降する者がいる。

そのすぐ上では、
まだ山頂を目指して列が続いていた。

ヒラリー・ステップ|登る人と下る人が同じ場所を使う

Hillary Stepの問題は、
登りの遅れだけでは終わらない。

先頭の登山者が山頂へ到達し始めると、
今度は下降してくる登山者が現れる。

しかし後方には、
まだ登っている人がいる。

一つの狭い難所に、
上へ進みたい登山者と下へ戻りたい登山者が同時に入る。

Charlotte Foxは後の下降時、
Hillary Stepにまだ登頂を目指す人々がいて、
大きなボトルネックになっていたと証言している。

つまり午前中に生じた遅れは、
登頂時だけで解消されたわけではない。

遅れた人が上へ進み続けることで、
今度は先行者の下降にも影響した。

14時前後|山頂へ到達する登山者が増える

午後2時前後になると、
Adventure ConsultantsとMountain Madnessの登山者が相次いで山頂へ到達した。

1996年5月10日にベースキャンプから発信されたNOVA/PBSの速報は、
Hall隊とFischer隊の登頂について
「いずれも午後2時ごろで、非常に遅い」
と報じている。

Mountain MadnessのCharlotte Foxは、
自身の時計で14時15分ごろ山頂へ着いたと記録している。

Sandy Hill、Lene Gammelgaard、Yasuko Nambaらも
この時間帯に山頂へ到達した。

天候は、この時点ではまだ決定的に崩れてはいなかった。

青空が見え、
遠くまで展望があったという証言もある。

だから山頂に立った人々にとって、
その瞬間に「これから大量遭難が始まる」と分かる状況ではなかった。

しかし14時は、山頂に「着けばよい」時間ではない

午後2時に山頂へ着いたとしても、
そこから標高約8,000mのSouth Colへ戻らなければならない。

Hillary Step。
South Summit。
Balcony。
急な雪面。

登りで数時間かかった高所ルートを、
疲労した状態で逆にたどる。

しかも後方には、
まだ山頂へ向かっている登山者がいた。

David Breashearsは、
14時30分、15時ごろに登頂の無線連絡が入ってきたことで
さらに警戒を強めたと証言している。

問題は「14時を1分でも過ぎたら死亡する」ということではない。

登頂が遅れるほど、
下降の安全余裕が減っていくことにある。

ダグ・ハンセンは、先行者よりかなり遅れていた

Adventure Consultantsの顧客ダグ・ハンセンは、
Hall隊の中でも後方にいた。

ハンセンは前年1995年にもHallとエベレストへ挑戦していたが、
山頂直下で引き返している。

1996年は再挑戦だった。

Michael Groomが山頂から下降する途中、
ハンセンを山頂の約70m下で見たという証言が残っている。

この時点ですでに、
多くの登山者は登頂を終え、下降を始めていた。

Hallはハンセンとともに上部に残った。

なぜHallがこの時刻までハンセンの登頂を続けさせたのか。

この判断は1996年事故でもっとも議論されてきた部分の一つである。

しかしHall本人もHansen本人も死亡している。

「前年に登頂できなかった顧客を何としても山頂へ連れていきたかった」
という説明はあり得る推測ではあっても、
Hall自身が残した決定的な説明ではない。

スコット・フィッシャーも、Mountain Madnessの後方にいた

Mountain Madnessのリーダー、スコット・フィッシャーも
先頭ではなかった。

顧客の状態を確認しながら行動していたことに加え、
フィッシャー自身にも疲労が蓄積していた。

Mountain Madnessの先行者が山頂へ到達したあとも、
フィッシャーは後方から上がってきた。

Charlotte Foxの記録では、
彼女たちが山頂を離れるころ、
フィッシャーがようやく山頂へ姿を見せた。

ロプサン・ジャンブー・シェルパがフィッシャーとともに残り、
他のメンバーは下降を始めた。

この時点でMountain Madness隊も、
「隊長が先頭で全員をまとめて下ろす」状態ではなくなっていた。

15時以降|登る人と下る人が山頂部ですれ違う

午後3時を過ぎるころ、
先に登頂した者たちは下降へ入っていた。

一方でHall、Hansen、Fischerら後方の登山者は、
まだ山頂付近にいた。

Hillary Stepでは、
下降する者と登る者が同じ固定ロープを使用することになった。

この段階になると、
朝に生じたロープ設置の遅れ、
登山者ごとの速度差、
難所での待ち時間が一つにつながってくる。

山頂へ着くのが遅れた。

だから下降開始も遅れた。

下降開始が遅れたところへ、
上りと下りのボトルネックが再び生じた。

そして次に、天候が変わり始める。

16時ごろ|HallとHansenはまだHillary Step付近にいた

PBS FRONTLINEの時系列では、
午後4時ごろ、Rob HallがBase Campへ無線連絡を入れている。

HallとDoug Hansenは、
まだHillary Step上部の高所にいた。

設定されていたとされる引き返し時刻を、
数時間過ぎていた。

その後、Hallからの通信は緊急性を増す。

Hansenが自力で下降できない状態になったとみられ、
Hall自身も高所から動けなくなっていく。

この時点で問題は、
「登頂するか諦めるか」ではなくなった。

どうやって生きてSouth Colへ戻るか、という救助の局面へ変わっていた。

5月10日の登頂経過を時系列で整理する

時刻 主な出来事 意味
5月9日 夜 天候改善を受け、Hall隊・Fischer隊・台湾隊が登頂続行を決定 翌朝ではなく夜間から最終登頂行動へ入る
22:30〜23:00ごろ South Colから登頂開始 山頂往復に必要な時間の計算が始まる
早朝 Beck Weathersが視覚異常のため登頂中止 Balcony付近でHallを待つことになる
7:00〜10:00ごろ 上部で固定ロープ設置作業 後続に待ち時間が生じる
10:00ごろ 先頭がSouth Summit付近へ Hillary Stepまでの上部ルートで再び待機
11:30ごろ John TaskeがSouth Summit直下に到達 時刻・酸素・下降時間を考えて撤退判断
正午前後 Kasischke、Taske、Hutchisonが引き返す 時間制限を理由に山頂を断念
13:00ごろ Hillary Step付近に複数人の列 IMAX隊が「遅すぎる」と警戒
14:00前後 複数の登山者が山頂へ到達 通常より遅い時間帯へ入る
14:00〜15:00台 後続も山頂へ。先行者は下降開始 Hillary Stepで上り・下りが交錯
16:00ごろ HallとHansenがまだHillary Step上部 登頂問題から救助問題へ転換

時刻はPBS FRONTLINE、NOVA、American Alpine Journalなどの証言を突き合わせた概略です。
極限高度では本人の時計確認がない出来事も多く、証言間で時刻差があります。
「14時15分」のように本人が時計を確認した記録と、
「午後2時ごろ」のような後方からの観測値を同じ精度では扱っていません。

固定ロープが準備されていれば事故は防げたのか

ここで注意が必要である。

5月10日に固定ロープの準備が予定どおり進まず、
待ち時間が生じたことは複数資料から確認できる。

だからといって、
「ロープの準備不足が8人死亡の原因だった」
と結論づけることはできない。

仮に1時間早く進めていたとしても、
その後の登山者ごとの速度差、
HallとHansenの行動、
Fischerの体調、
下降時の判断、
そして夕方の悪天候がどう変わったかは分からない。

固定ロープ問題は、
事故を成立させた複数の時間的要因の一つとして扱うべきである。

FACT CHECK|「渋滞だけ」が事故原因ではない

1996年事故は、現在のエベレストで見られる大規模な登頂待ちの写真と結びつけて
「渋滞事故」と説明されることがある。

5月10日に実際に待ち時間やボトルネックが生じたことは確認できる。

しかし、それだけでは大量遭難を説明できない。

固定ロープの未準備、登山者の速度差、South Summitでの待機、
Hillary Stepでの列、遅い登頂、遅い下降開始、
酸素消費、疲労、暗闇、そして夕方からの天候悪化が時間的に連結している。

「渋滞」は重要な寄与要因だが、
単独原因と断定するのは適切ではない。

なぜ午後になっても登頂を続けたのか

結果を知った現在から見ると、
「正午になった時点で全員引き返せばよかった」と考えやすい。

しかし5月10日の日中、
登山者の前に見えていた状況はもっと曖昧だった。

天候は比較的良い。

山頂は近い。

前の人も登っている。

固定ロープの待ち時間は自分の体力不足ではない。

補助酸素もまだある。

そして多くの登山者にとって、
この日は数か月、あるいは数年準備してきた一度きりの登頂日だった。

その条件では、
「あと少しだけ進む」という判断が繰り返されやすい。

一回の判断で3時間遅れたわけではない。

10分。
20分。
30分。

その積み重ねで、
気づいたときには午後になっていた。

「山頂が近い」という情報は、安全情報とは限らない

South Summitから山頂を見ると、
距離は短く感じられる。

Hillary Stepを越えれば、
残る標高差もわずかである。

しかし、
安全判断では山頂までの距離だけを見てはいけない。

必要なのは、

  • 現在時刻
  • 自分の疲労
  • 補助酸素の残量
  • 後方まで戻る距離
  • 難所での下降待ち
  • 日没時刻
  • 天候変化

まで含めた残存余裕である。

John Taskeが正午ごろに行ったのは、
まさにこの計算だった。

山頂まで行けるかではなく、
山頂へ行ったあとにCamp IVまで戻れるかを考えた。

その結果、彼は山頂を諦めた。

登頂成功者が増えるほど、下降側の問題が大きくなった

午後2時前後、
多くの登山者が山頂へ立った。

この瞬間だけを見れば、
Adventure ConsultantsとMountain Madnessの商業遠征は高い登頂成功率を達成していた。

しかし登頂者が増えるほど、
今度は全員を下降させなければならない。

先頭と最後尾の時間差は広がっている。

体力も違う。

酸素残量も違う。

そしてガイドも各所に分散している。

さらにHillary Stepという同時通過できない場所がある。

登りで生じた隊列の分散は、
そのまま下降時の管理問題へ変わった。

16時を過ぎると、事故の性質が変わり始めた

午後の早い時間まで、
主な問題は「登頂が予定より遅れていること」だった。

しかし16時ごろになると、
HallとHansenは上部で下降できない状態になりつつあった。

Fischerも後方で疲労していた。

下降中の登山者の一部には体調悪化が出始めた。

そして低い場所から雲が上がってきた。

ここから先、
状況は急速に変わる。

日中には見えていたルートが見えなくなる。

Hillary Stepを越えれば安全なのではない。

South Summitを越えても終わりではない。

Balconyから下へ降りても、
Camp IVへ着かなければならない。

登頂日の前半で失った時間が、
下降時には戻すことのできない安全余裕の不足として現れてくる。

5月10日の本質は「一つの失敗」ではない

登頂隊は深夜にSouth Colを出発した。

予定されていた先行ロープ工作が完全には実行されなかった。

上部でロープを設置しながら進んだ。

登山者が待った。

隊列が伸びた。

South Summitでも待った。

一部は正午に撤退した。

一部はそのまま進んだ。

午後1時になってもHillary Stepに列があった。

午後2時以降に山頂へ着く者が続いた。

さらに後方にはHall、Hansen、Fischerがいた。

どこか一つで、
全員が同時に間違った判断をしたわけではない。

小さな遅れと個別判断が同じ方向へ積み重なった。

その結果、
午後遅くになっても標高8,700〜8,800m付近に登山者が残った。

そこへ、天候が変わる。

次回は5月10日の午後から夜へ進む。

山頂から下降を始めた登山者たちが、
なぜHillary Step、South Summit、Balconyを越えながらSouth Colへ戻れなくなったのか。

吹雪、暗闇、補助酸素、疲労、視界喪失が重なっていく過程を追う。

出典・参考資料

本記事の時刻は、PBS FRONTLINE、1996年当日のNOVA速報、
David Breashearsの1996年5月15日インタビュー、
American Alpine Journalの当事者記録を照合して再構成しています。
高所では時計を確認していない出来事も多く、証言には数十分〜それ以上の差があります。
そのため推定時刻を分単位の確定時刻として扱っていません。
また、ターンアラウンド・タイムはJohn Taskeらの「13時」と
Charlotte Foxの「14時」という記憶差があるため、
「全員が合意した一つの絶対時刻」とはしていません。
固定ロープの未準備や渋滞も確認可能な寄与要因ですが、
それ単独を8人死亡の原因とは断定していません。