現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか通報・指揮・移動・連携の問題

なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題

テロ・襲撃事件

2011年7月22日17時52分。
最初の警察パトロールが、ウトヤ島の対岸にある本土側船着場へ到着した。

島までは約625m。
警察官たちは対岸から銃声を聞き、島で人々が襲われていることも把握していた。

まず、現在の地理でウトヤ島と本土側の近さを確認しておく。

ウトヤ島と周辺の現在位置。2011年7月22日の警察対応では、本土側船着場、Utvika Camping、Storøyaなど複数地点の位置関係と部隊・船の移動が重要になる。現在のGoogle Mapは、当日の集合地点変更、警察ボートや民間船の実際の航跡、警察の上陸地点を再現するものではない。


Googleマップで大きく見る

しかし、警察が実際にウトヤ島へ上陸したのは18時27分だった。
本土側への最初の到着から約35分後である。

そして上陸から約7分後の18時34分、実行犯アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは逮捕された。

この数字だけを見ると、「625mを渡るのに、なぜ35分もかかったのか」という疑問が残る。
22 July Commissionも、この時間を「受け入れられない」と厳しく評価した。

ただし原因は、一つのボート故障や一人の警察官の判断ではなかった。
通報、指揮、通信、集合地点、船の準備、警察組織間の連携――複数の小さな問題が重なった結果だった。

この記事で分かること

  • 警察はいつウトヤ島の銃撃を把握したのか
  • 最初の警察はいつ本土側へ到着したのか
  • なぜ到着後すぐ島へ渡らなかったのか
  • なぜ集合地点が途中で変更されたのか
  • 警察ボートはなぜ止まったのか
  • 利用できる民間船をなぜ早く使えなかったのか
  • 警察ヘリコプターはなぜ使われなかったのか
  • 22 July Commissionは最終的に何を問題としたのか

CASE FILE 25|2011年ノルウェー連続テロ事件特集(全10回)

2011年7月22日、オスロ政府庁舎への爆破とウトヤ島での銃撃によって77人が死亡した。
この特集では、攻撃そのものだけでなく、地理、警察対応、救助、公式調査、裁判、そして事件後のノルウェーまでを全10回で追います。

  1. 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
  2. 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
  3. 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
  4. 第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理
  5. 第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う

  6. 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題【現在の記事】
  7. 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
  8. 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
  9. 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
  10. 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在

先に結論|「警察が来なかった」のではなく、来た部隊を島へ入れる仕組みが崩れた

22 July Commissionの結論は明確だった。

警察はウトヤ島周辺へ大規模な部隊を比較的速く集めていた。
一方で、それらの部隊を効率よく連携させ、利用可能な船を使って島へ送り込むことができなかった。

委員会は、最初の警察が本土側へ到着してから島への上陸までに約35分を要したことを「受け入れられない」と評価している。

しかし同時に、18時27分に警察が島へ上陸してからの行動は高く評価した。

警察官たちは銃撃が続く方向へ走り、自らも撃たれる危険がある中で犯人を捜索した。
上陸から逮捕まで7分弱。
委員会は、この部分について「非常に効果的で目的に沿った行動」だったと評価している。

つまり問題の中心は、

「警察官が犯人へ向かう勇気を欠いていた」ことではない。

現場へ向かう人員、情報、指揮、通信、船という複数の資源を、短時間で一つの行動へまとめる仕組みが機能しなかったことだった。

17時24分〜17時29分|銃撃情報は警察へ届いていた

ウトヤ島で最初の銃撃が始まったのは17時21分ごろだった。

17時24分には、フェリーMS Thorbjørnの船長から、島で警察官のような服装をした男が発砲しているという情報が外部へ伝えられた。

17時25分37秒には、Søndre Buskerud警察管区の通信指令室へ島内から緊急通報が入る。

電話の向こうでは銃声や叫び声が聞こえていた。
その後、警察官のような制服を着た人物が人々を撃っているという通報が相次いだ。

17時29分までには、

Nordre Buskerud
Søndre Buskerud
Oslo

という複数の警察管区が、ウトヤ島で進行中の銃撃事件を把握している。

したがって、警察到着の遅れを「通報が遅かったから」と説明することはできない。
銃撃開始から数分以内に、事件そのものは警察へ伝わっていた。

小さな通信指令室に大量の電話が集中した

ウトヤ島を管轄していたNordre Buskerud警察管区の通信指令室は、平常時から大規模事件を前提とした大人数のセンターではなかった。

22 July Commissionによれば、7月22日夕方のHønefoss警察署の通信指令室は、週末体制で1人が勤務していた。

その担当者は112番の緊急電話を受けるだけではなく、警察無線、出動部隊、利用可能な人員や資機材を把握し、同時に警察活動全体を動かす必要があった。

そこへウトヤ島の参加者、家族、周辺住民、他警察管区、救急機関、報道機関などから大量の電話が集中した。

さらに別の問題もあった。

当時、Nordre Buskerud警察管区では新しいデジタル警察無線「Nødnett」がまだ整備されておらず、従来のアナログ無線は地域によって通信状態が悪かった。

そのためオスロから向かう対テロ部隊と、地元警察の通信指令室との間で安定した通信ができず、電話に頼らざるを得ない場面があった。

しかしその電話回線も、大量の着信によって非常に混雑していた。

つまり問題は「情報が存在しなかった」ことではなく、大量に入る情報を整理し、必要な相手へ届け、共通の状況認識へ変換する能力に限界があったことだった。

17時38分|最初の地元警察が出動する

17時38分、地元警察の最初のパトロールP-30がHønefoss警察署を出発した。

2人の警察官は防護装備を着用し、拳銃と短機関銃を装備していた。
どちらも武装事件に対応する資格を持っていた。

パトロールに与えられた当初の指示は、ウトヤ島方向へ向かい、状況を確認・監視するというものだった。

14分ほど走った17時52分、P-30はウトヤ島の本土側船着場へ到着する。

対岸では銃撃が続いていた。
警察官たちは銃声を聞き、煙も確認した。

ここで「なぜ2人ですぐ船を探して島へ行かなかったのか」という問題が生じる。

最初の2人は、すぐ渡るべきだったのか

この問題について22 July Commissionの評価は、単純なものではない。

委員会はまず、進行中の銃撃事件で最初の部隊に「観察」を中心とする指示を与えたこと自体に疑問を呈した。

人が撃たれていることが分かっている場合、最初に到着した警察部隊には、明らかに不可能でない限り、犯行を止めるためできることを行うという考え方が基本になる。

一方で、P-30の警察官たちは、自分たちがこれから到着する警察ボートに拾われ、地元警察の突入部隊に組み込まれるという計画を知らされていなかった。

さらに到着直後には「警察ボートや消防側の船がこちらへ向かっている」という情報も受けていた。

そのため委員会は、最初の数分だけを切り取って「2人が何もしなかった」と単純化してはいない。

ただし17時57分以降、対テロ部隊用に船を確保するよう指示された後も、18時15分ごろまで十分な船の確保に動かなかった点については批判している。

同時に、その後P-30の一人が民間船の手配で重要な役割を果たし、警察ボートが動けなくなった後の部隊輸送を助けたこと、両警察官がその後の救助・捜索活動に加わったことも委員会は記録している。

ここでも「警察官個人の無気力」という説明では、実際の経過を正確に表せない。

オスロからは26人規模の対テロ部隊が向かっていた

地元警察とは別に、オスロからはBeredskapstroppen、通称Deltaと呼ばれる警察対テロ部隊がウトヤ島へ向かっていた。

17時32分、部隊にはウトヤ島へ向かう指示が出される。

当時、隊員の一部は政府庁舎爆破への対応に投入されていたため、それぞれの任務から離脱し、装備を整えてから車両へ乗る必要があった。

17時42分には最初の車両が政府庁舎地区から出発。
その後も車両が続き、最終的に26人という大きな武装警察戦力がウトヤ島方向へ移動した。

オスロ中心部から本土側船着場までは約38km。

しかし部隊には、この先でもう一つ大きな問題が待っていた。

「どこへ行けば船に乗れるのか」が統一されていなかった。

17時57分|集合地点が3.6km北へ変わる

地元警察が当初設定していた集合地点は、ウトヤ島のほぼ対岸にある本土側船着場だった。

地元警察側は、そこへ警察ボートを回し、到着した警察官を乗せて島へ渡る計画を立てていた。

ところがオスロの対テロ部隊は、その計画を十分に把握していなかった。

17時57分、ようやく対テロ部隊側の車両が地元警察の通信指令室と連絡できた際、集合地点はその場でStorøyaのゴルフ場付近へ設定された。

そこは本来の本土側船着場から約3.6km北にある。

変更そのものより深刻だったのは、その情報が関係者全員へ共有されなかったことである。

警察ボート側は、集合地点が変更されたことを知らなかった。

そのためボート側は当初の船着場へ向かうつもりで移動し、車両側はStorøyaへ向かうという、人と船が別々の地点へ集まろうとする状態になった。

22 July Commissionが後に繰り返し問題とした「資源同士が出会わなかった」という状況が、ここで具体的に現れている。

対テロ部隊の車は、本来の船着場付近を通過していた

このすれ違いを象徴する出来事がある。

18時01分、対テロ部隊の車両D-36は、本来の集合地点だったウトヤ島本土側船着場への入口付近を通過した。

車内には、船が確保できれば直ちに島へ向かう準備のできた警察官が3人いた。

しかし彼らは正しい進入地点を把握しておらず、そのまま先へ進んだ。
途中で道を尋ね、18時04分にはUtvika Campingへ入ったものの、そこでも目的地点ではないことが分かり、再び道路へ戻っている。

さらに、Utvika Campingには警察が使用できる船があるという情報も地元警察の通信指令室へ入っていた。

しかしこの情報も、対テロ部隊へ時間内に伝わらなかった。

人員はいた。
船も存在した。
それでも情報が適切につながらなければ、二つの資源は一つの行動にはならない。

警察ボートも、すぐには出せる状態ではなかった

地元警察にはボートがあった。

ただし、事件発生時にすぐ発進できる状態で待機していたわけではない。

ボートはトレーラーに載せて保管されており、出動準備では空気の不足した部分へ空気を入れ、燃料を補給する必要があった。

その後、ボートは湖へ降ろされ、Storøya方向へ向かった。

18時11分ごろ、警察ボート側はStorøya付近へ到着する。
そこで初めて、対テロ部隊の車両が新しい集合地点へすでに来ていることを確認した。

本来なら、

車両で到着した部隊

地元警察のボート

をすぐに組み合わせて島へ向かうはずだった。

しかし、ここでも次の問題が起きる。

急ぐあまり、警察ボートを過積載にした

対テロ部隊は一刻も早く島へ向かおうとした。

18時15分ごろ、警察ボートには多数の武装警察官と装備が乗り込んだ。

ボートは明らかな過積載状態になり、低速でしか進めなくなった。

さらに約600m進んだところで、エンジンが停止した。

この出来事だけが映像や報道で強く印象に残り、「警察が小さなボートに乗りすぎて故障したため遅れた」と説明されることがある。

だが、時系列を見ると分かるように、警察ボートの停止は遅延の最後の一部分にすぎない。

それ以前から、

  • 通信の不安定さ
  • 集合地点の変更
  • 変更情報の共有不足
  • 民間船情報の未活用
  • ボート準備の遅れ

が発生していた。

ボート故障だけを原因にすると、危機対応システム全体の問題を見落とすことになる。

民間船へ乗り換えたが、また過積載になった

警察ボートが動けなくなると、周辺にいた民間船が救援に入った。

警察官たちは最初の民間船へ移乗した。

しかし、そこでも急ぐあまり多くの警察官と装備が一度に乗り込み、再び過積載となった。

船は進めたものの速度が出なかった。

その後、別のより速い民間船が近づいたため、警察官4人がそちらへ分かれた。

ようやく部隊が2隻に分散すると、水上移動の速度が上がった。

最初の船がウトヤ島へ到着したのは18時27分だった。

18時27分以降は、状況が急速に変わった

最初に上陸したのはBeredskapstroppenの4人。

約1分後には、さらに6人が別の船で島へ到着した。

島にいた若者たちから情報を得ながら、部隊は犯人を探して移動した。

一方の部隊は北側へ向かい、別の部隊は南側から聞こえる銃声を追った。

警察官たちは、犯人が複数いる可能性や、犯人が爆発物を持っている可能性も否定できない状態だった。

それでも部隊は銃声の方向へ高速で進んだ。

18時34分、ブレイビクを発見して逮捕。

最初の警察上陸から7分弱だった。

22 July Commissionは、この段階の警察官について、自らの生命に大きな危険を負いながら迅速かつ断固として行動したと評価している。

FACT CHECK|どの時間が問題だったのか

区間 時刻 評価
最初の警察が本土側へ到着 17:52 島まで約625m
最初の警察が島へ上陸 18:27 約35分後
犯人逮捕 18:34 上陸から7分弱

22 July Commissionは、17時52分から18時27分までの時間を「受け入れられない」と評価した。

一方、上陸後の約7分については、警察官の行動を非常に効果的かつ目的に沿ったものと評価している。

なぜヘリコプターを使わなかったのか

ウトヤ島事件では、「対テロ部隊をヘリコプターで直接運べなかったのか」という疑問も繰り返し指摘されてきた。

当時、オスロ警察の警察ヘリコプターは存在していた。

しかし7月22日は、ヘリコプター部門が夏季休暇のため閉鎖されており、搭乗員の待機体制もなかった。
機体自体はGardermoenにあったものの、すぐに飛ばせる運用体制ではなかった。

そのため17時32分にBeredskapstroppenがウトヤ島へ向かう段階では、ヘリコプターは利用できず、約38kmを車で移動することが現実的な選択になった。

軍や救難機を使う可能性も後に検証された。

ただし22 July Commissionは、利用手続きや搭乗準備、部隊がヘリコプターの場所まで移動する時間まで考慮すると、例えばSea King救難ヘリを使ったとしても、Beredskapstroppenをウトヤ島本土側まで運ぶ時間が自動車より明確に速かったとは断定していない。

したがって、

「ヘリを使わなかったから35分遅れた」

という説明も単純化しすぎている。

一方で委員会は、警察ヘリコプターが夏季休暇で運用できなかった体制そのものについては、重要な警察即応能力の問題として検証している。

「無線が違う」という問題もあった

警察が島へ上陸した後も、通信問題は終わらなかった。

複数の警察管区から来た部隊が同時にウトヤ島で活動したが、全員が共通の無線システムを使用できたわけではなかった。

オスロでは新しいNødnettが使われていた一方、Nordre Buskerudでは旧来の通信設備が残っていた。

22 July Commissionには、現場警察官から通信状態が極めて悪かったという証言も記録されている。

大規模事件では、人員を増やせば対応力が単純に増えるわけではない。

10人が別々の情報を持って動くより、5人が同じ情報と同じ指揮系統で動く方が効率的な場合もある。

7月22日の警察対応は、「人数」ではなく「連携できる人数」が重要であることを示した。

委員会が見たのは「個人の失敗」より組織の失敗だった

22 July Commissionは、当日の多くの個々の警察官が強い使命感を持って行動していたことを認めている。

地元警察の指揮担当者も、対テロ部隊も、できるだけ早く島へ到達しようとしていた。

特にBeredskapstroppenでは、急ぐあまりボートへ人員を載せすぎたことが、逆に進入速度を落とす結果になった。

これは「やる気がなかった」ために起きた失敗とは正反対である。

個人が全力で動いていても、

情報が共有されない。
集合場所が一致しない。
利用可能な船が把握されない。
無線がつながらない。
指揮計画が関係者へ伝わらない。

その状態では、組織全体としての速度は上がらない。

委員会は、22 July全体を通して生じた失敗の背景として、危険を認識する能力だけではなく、決めたことを実行する能力、組織間で協調する能力、情報通信技術の利用、責任を明確にするリーダーシップなどを問題にしている。

警察上陸が遅れた主な要因

要因 当日の影響
通信指令室の負荷 大量の通報・部隊・情報を少人数で処理
通信設備 警察管区間で安定した情報共有が困難
集合地点変更 車両部隊とボート側の合流地点がずれた
民間船情報 利用可能な船を早期に十分活用できなかった
警察ボート 即時発進状態ではなく、さらに過積載で停止
民間船への移乗 最初の民間船も過積載となり速度低下
ヘリコプター 警察ヘリが即応可能な体制になかった

22 July Commissionの結論|より速い警察活動は現実的に可能だった

事件から約1年後、22 July Commissionは警察対応について厳しい結論を示した。

その核心は、

「ウトヤ島の人々を守る当局の能力は機能しなかった。より迅速な警察活動は現実的に可能であり、犯人はもっと早く止められた」

というものだった。

これは「警察が何もしていなかった」という意味ではない。

委員会自身、警察は大規模な部隊を速やかに動員し、島へ上陸した後の部隊は極めて迅速に行動したと評価している。

それでも結果として、利用できる人員と船が適切な場所で適切な時間に結びつかなかった。

だから問題は、装備一つを交換すれば解決するようなものではなかった。

情報共有。
指揮。
通信。
計画。
訓練。
資源管理。
組織文化。

事件後の改革が広範囲に及んだ理由もここにある。

まとめ|35分の原因は「一つの失敗」ではなかった

17時52分、最初の警察官2人がウトヤ島の本土側へ到着した。

最初の対テロ部隊が島へ上陸したのは18時27分。
約35分後だった。

その間には、最初の部隊への指示、通信指令室の負荷、警察管区間の通信問題、集合地点の変更、船との合流失敗、利用可能な民間船の情報共有不足、警察ボートの過積載と停止が重なっていた。

一方、警察が島へ入ってから逮捕までは7分弱。

この二つの数字を並べると、7月22日の警察対応の問題が見えてくる。

現場で犯人へ向かう能力よりも、その能力を必要な場所へ必要な時間に届ける仕組みが弱かった。

そして警察が到着するまでの間、島の周囲では別の救助活動がすでに始まっていた。

次回は警察側から視点を離れ、ウトヤ島から逃れた人々と、それを助けるため自ら船を出した周辺住民、救急・医療側の動きを追う。



← 第5回



第7回へ →

CASE FILE 25|全10回

  1. 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
  2. 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
  3. 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
  4. 第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理
  5. 第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う
  6. 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題【現在の記事】
  7. 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
  8. 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
  9. 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
  10. 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在

出典・参考資料

  • 22 July Commission
    NOU 2012:14「Report of the 22 July Commission」Chapter 7「Politiaksjonen Utøya」
    17時25分以降の通報、地元警察の出動、17時52分の本土側到着、集合地点変更、警察ボート、民間船、18時27分の上陸、18時34分の逮捕、委員会による警察対応評価を確認。
  • 22 July Commission
    NOU 2012:14 Chapter 6「Politiaksjonen i Oslo」
    Oslo警察・Beredskapstroppenのウトヤ島への転進、部隊動員、警察管区間の通信・情報共有について確認。
  • 22 July Commission
    NOU 2012:14 Chapter 12「Helikopter og beredskap」
    2011年7月22日の警察ヘリコプター運用体制、軍・救難ヘリ利用可能性について確認。
  • Norwegian Government
    Meld. St. 21 (2012–2013)「Terrorberedskap」
    22 July Commissionの主要結論と、事件後の治安・危機対応改革の政府整理を確認。
  • 22 July Centre
    「Response」および22 July Commission関連展示
    警察・救急・市民の対応、公式調査後の評価について補助確認。

資料について:
本記事では、「警察が遅れた」という結果だけで個々の警察官を評価せず、22 July Commissionが検証した通報、通信、指揮、集合地点、船舶、部隊移動を段階ごとに分離しています。
委員会は、本土側到着から島上陸まで約35分を要したことを厳しく批判する一方、島上陸後の警察官については、重大な危険を負いながら迅速かつ断固として行動したと高く評価しています。
また、警察ヘリコプターが即応できなかったことはFACTですが、「ヘリを使えば確実に犯人を大幅に早く逮捕できた」とまでは公式報告書は断定していないため、本記事でもそのようには記述していません。