2011年7月22日17時17分。
警察官のような制服を着たアンネシュ・ベーリング・ブレイビクが、フェリーMS Thorbjørnでウトヤ島へ上陸した。
その約4分後、17時21分ごろに最初の銃撃が始まる。
島にはAUFのサマーキャンプ参加者やスタッフなど564人がいた。
警察の対テロ部隊が島へ上陸したのは18時27分。
ブレイビクが逮捕されたのは18時34分だった。
つまり、最初の発砲から逮捕まで約73分。
その間、島内では人々が建物、森、水際へ分散し、一部は湖へ逃れた。外部では警察への通報、民間船による救助、警察部隊の集結と渡湖が同時進行していた。
この事件を理解するには、「銃撃が約1時間続いた」とまとめるだけでは足りない。
どの時点で警察に情報が入り、いつ民間救助が始まり、警察がいつ本土側へ着き、いつ実際に島へ入ったのか。
時間軸を重ねることで、事件の構造が見えてくる。
- ブレイビクがいつウトヤ島へ到着したのか
- 最初の銃撃から逮捕まで何分かかったのか
- 人々が島内のどの方向へ逃れたのか
- 警察への最初の通報がいつ入ったのか
- 民間船による救助がいつ始まったのか
- 警察が本土側へ到着してから島へ渡るまでの流れ
- 18時34分の逮捕までに何が同時進行していたのか
CASE FILE 25|2011年ノルウェー連続テロ事件特集(全10回)
2011年7月22日、オスロ政府庁舎への爆破とウトヤ島での銃撃によって77人が死亡した。
この特集では2つの攻撃、ウトヤ島の地理、警察対応、救助、公式調査、裁判、そして事件後のノルウェーまでを全10回で追います。
- 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
- 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
- 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
- 第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理
-
第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う【現在の記事】
- 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題
- 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
- 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
- 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
- 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在
先に結論|約73分の間に3つの流れが同時進行した
ウトヤ島で最初の銃撃が起きたのは17時21分ごろ。
ブレイビクが逮捕されたのは18時34分だった。
この約73分を理解するとき、島内の犯人の動きだけを追うと全体像を見失う。
少なくとも3つの流れが同時に進んでいた。
一つ目は、島内で人々が建物、森、水際へ逃れ、さらに湖へ脱出していく流れ。
二つ目は、通報を受けた複数の警察組織が部隊を集め、ウトヤ島へ向かう流れ。
三つ目は、周辺住民らが自分たちの船で湖へ出て、逃げてきた人々を救助する流れである。
そして警察の最初の部隊が島へ上陸した18時27分から逮捕までは約7分だった。
公式委員会も、上陸後の警察部隊の行動は速く、決断力のあるものだったと評価している。
問題となったのは、その前だった。
最初の警察車両が本土側へ到着してから、実際に島へ渡るまでに時間を要した。
この部分は第6回で詳しく検証する。
16時55分|オスロから来た車が本土側船着場へ到着
ウトヤ島への攻撃は、17時21分に突然始まったわけではない。
その前に、実行犯はオスロ政府庁舎から約40km離れたウトヤ島周辺まで移動している。
22 July Centreの公式タイムラインによると、16時55分、オスロ爆破現場から逃走に使われた車両がウトヤ島の本土側船着場へ到着した。
16時57分には、島側へ「オスロの爆発を受けて安全確認を行うため、警察官が島へ渡りたい」という連絡が入る。
ブレイビクは警察官に似た制服を着ていた。
そのため、島にいる人々から見れば、首都で大規模爆発が起きた直後に警察官が安全確認へ来るという説明には一定の現実味があった。
17時10分ごろ、ブレイビクはAUFが使用していたフェリーMS Thorbjørnに乗り、本土側からウトヤ島へ向かった。
17時17分|通常の船着場から島へ入る
17時17分、MS Thorbjørnがウトヤ島へ到着する。
第4回で見たように、これは非正規の侵入経路ではない。
島の通常の船着場から上陸し、そこからHovedhuset方向へ上がる正規ルートだった。
島側では、ウトヤ島の管理責任者モニカ・ブーセイと、当日警備を担当していたトロン・ベルントセンらがブレイビクを迎えた。
その時点でも、島の参加者たちにとって彼は「犯人」ではなく、警察官のように見える人物だった。
この偽装は、その後の島内でも重要になる。
ブレイビクは事件中、警察官を装って人々に声をかけ、身を隠していた人を安心させようとする行動も取っている。
17時21分ごろ|最初の銃撃
警察の推定では、最初の発砲は17時21分ごろだった。
Hovedhuset付近でモニカ・ブーセイとトロン・ベルントセンが殺害され、事件が始まる。
その後、ブレイビクはKafébygget方向へ移動した。
周囲にいた人々は銃声を聞き、建物内、島の奥、森、水際などへ逃げ始める。
ここから島内の状況は急速に分散していく。
全員が同じ方向へ逃げたわけではないため、事件を一本の「犯人ルート」だけで説明することはできない。
逃げる側には、それぞれ別の判断があった。
建物に隠れる人、森へ入る人、崖下や水際へ向かう人、湖へ飛び込む人。
その一方で、島外へ連絡を取ろうとする人もいた。
17時24分以降|島から通報が相次ぐ
17時24分、MS Thorbjørnの船長が、警察官のような服装をした男がウトヤ島で発砲していると外部へ通報した。
22 July Commissionによると、17時25分37秒にはSøndre Buskerud警察管区の通信指令室にも、島内から最初の緊急通報が入っている。
電話をかけたのはKafébyggetにいた参加者だった。
通話中にも銃声や叫び声が聞こえる状態で、警察側は島で実際に銃撃が続いていることを認識することになった。
17時29分までには、Nordre Buskerud、Søndre Buskerud、Osloという複数の警察系統が、ウトヤ島で警察官のような服装の男が若者を撃っているという情報を把握していた。
ここが警察対応上の最初の大きな転換点である。
オスロ政府庁舎への対応と並行して、別地点で進行中の銃撃事件へ部隊を向ける必要が生じた。
17時26分〜17時37分|島中央部から周縁部へ逃げる人々
22 July Centreの時系列では、17時26分から28分ごろにKafébygget周辺で被害が拡大する。
その後、17時31分から37分ごろにかけて、Kjærlighetsstienと呼ばれる小道や、水際へ下る急斜面周辺でも被害が生じた。
事件が進むにつれて、人々は島中央部から外側へ押し出されていった。
しかし「島の外側へ行く」ことは、そのまま安全圏へ出ることを意味しない。
第4回で整理したように、島の端には道路ではなく湖がある。
そのため森や岸辺まで逃げた人々は、そこで身を隠し続けるか、湖へ入るかという選択を迫られることになった。
17時33分|オスロへ向かっていた対テロ部隊が転進
17時29分、オスロ警察もウトヤ島での銃撃を把握した。
17時33分には、もともと政府庁舎爆破への対応で移動していた警察の対テロ部隊Beredskapstroppenが、ウトヤ島へ向かうよう指示を受ける。
ここから警察側では、道路を使ってウトヤ周辺へ移動する部隊と、現地警察、さらに水上輸送の準備が同時に動き始める。
ただし、島への最終進入には船が必要だった。
この「道路で現場近くまで行くこと」と「島へ入ること」の間に存在したギャップが、後の公式調査で大きな問題となる。
17時40分〜17時44分|湖へ逃げる人々
17時40分台になると、島から湖へ逃げる人々が増えていた。
22 July Centreの公式時系列では、17時40分から44分ごろ、ブレイビクが湖を泳いで島から離れようとする人々へ発砲したことも記録されている。
この時間帯には、逃走中に1人が湖で溺れ、別の1人が急斜面から転落して死亡している。
つまり、ウトヤ島で死亡した69人をすべて「銃撃による死亡」と単純化するのも正確ではない。
事件から逃れようとする過程そのものが、極めて危険な状況になっていた。
一方、本土側では島から泳いできた人々の存在が確認され始める。
周辺住民の中には、自分の船を出して救助へ向かう人も現れた。
この民間救助はこの後さらに拡大するが、詳細は第7回で扱う。
17時52分|最初の警察車両が本土側へ到着
17時52分、Nordre Buskerud警察の最初のパトロールが、ウトヤ島と約625m離れた本土側船着場に到着した。
ここは時系列上、非常に重要な時点である。
警察は事件現場の「対岸」まで来ていた。
しかし、島へはまだ渡っていない。
22 July Centreは、この時点でパトロールが受けていた指示が明確ではなく、部隊はそのまま島へ渡らなかったと記録している。
その後、警察側の集合地点が別の場所へ設定され、人員と船の合流、水上輸送の準備に時間を要することになる。
「なぜ17時52分に本土へ着いたのに、上陸が18時27分になったのか」は、第6回の中心テーマになる。
17時59分ごろ|実行犯が警察へ電話する
事件の途中、ブレイビク自身も警察へ電話している。
22 July Commissionによれば、17時59分、Nordre Buskerud警察の通信指令室に非通知番号から電話が入った。
ブレイビクは自分の名前を名乗り、ウトヤ島にいることと、降伏したいという趣旨を伝えた。
しかし通話は短時間で切れた。
ここで注意したいのは、この電話によって事件が終わったわけではないことである。
通話後、ブレイビクは再び島内を移動し、銃撃を続けている。
したがって「17時59分に降伏を決意した」と単純に理解することはできない。
公式委員会も、電話後の行動を踏まえ、実際に直ちに犯行をやめる意思がどこまであったのかについて慎重に見ている。
18時00分ごろ|民間船による救助が本格化
18時ごろになると、周辺住民らが自分たちの船でウトヤ島周辺へ向かい、湖にいる人々や岸辺から逃れようとしている人々の救助を始めていた。
現場には統一された一つの救助ルートがあったわけではない。
島から泳ぐ人。
民間船に拾われる人。
湖岸に身を隠す人。
島内に残る人。
それぞれが別々の場所で動いていた。
警察の正式な突入より先に、湖上では民間人による救助活動が進んでいたことになる。
18時01分〜18時18分|島の南西側へ事件が移る
18時を過ぎるころ、ブレイビクは島の周縁部を移動していた。
22 July Centreの時系列では、18時01分から08分ごろにStoltenbergetとBolsjevika周辺、18時13分から18分ごろにはPumpehuset周辺で多数の被害が発生している。
Pumpehuset周辺には、それ以前から多くの人が身を隠していた。
ブレイビクは警察官であるかのように振る舞い、身を隠していた人々に声をかけた。
公式調査では、「安全になった」「警察が来た」と信じさせるような言動によって、人々を表へ出そうとしたことも確認されている。
警察官を装って島へ入ったことが、事件開始時だけではなく、その後の行動でも利用されていたことが分かる。
18時07分|対テロ部隊がStorøyaへ到着
18時07分、オスロから向かったBeredskapstroppenの最初の部隊が、集合地点とされたStorøyaへ到着した。
その4分後の18時11分には、現地警察のボートもStorøyaへ到着する。
ここから、人員を船へ乗せてウトヤ島へ渡す段階へ移る。
しかし水上移動は計画どおりには進まなかった。
18時19分、警察官を乗せてウトヤ島へ向かっていた警察ボートは、過積載状態となり、エンジン部分に水が入り停止する。
そのため警察は、周囲にいた民間船へ人員を移して島へ向かうことになった。
この場面は、警察対応の問題を象徴する出来事として広く知られている。
ただし「警察ボートが故障したから35分遅れた」と一つの原因だけにまとめるのは正確ではない。
集合地点、船の確保、通信、指揮など複数の問題がその前から積み重なっていた。
18時21分|対テロ部隊が民間船で渡り始める
18時21分、Beredskapstroppenの部隊は民間船の協力を受けてウトヤ島への渡湖を開始した。
その3分後、18時24分にはブレイビクから警察へ2回目の電話が入る。
再び降伏する意思を伝えた。
しかし、この時点でも警察はまだ島へ上陸していない。
島内では銃声が続き、湖では人々が避難し、民間船が救助を続けていた。
18時27分|最初の対テロ部隊がウトヤ島へ上陸
18時27分。
Beredskapstroppenの最初の4人がウトヤ島へ上陸した。
ここから時系列の速度が変わる。
22 July Commissionは、最初の部隊が島へ上陸してから逮捕まで7分弱だったと記録している。
上陸した部隊は、島にいる人々から犯人の位置について情報を受けながら移動した。
別の部隊もまもなく上陸する。
最初の部隊は北側へ、後続部隊は銃声を聞いて南側へ進み、島内を捜索した。
警察官たちは、犯人が一人だけなのか、爆発物を持っているのかなどを確定できていない状態で進んでいた。
18時30分ごろ|最後の重大局面
22 July Centreのタイムラインでは、18時30分ごろ、島南端のSydspissen周辺で最後の大きな被害が生じている。
ほぼ同じ時間帯に、警察部隊は島内を南方向へ進んでいた。
つまり警察が島へ上陸したあとも、直ちに銃撃が止まったわけではない。
上陸地点から犯人の位置を特定し、そこまで移動する時間が必要だった。
18時34分|逮捕
18時34分ごろ、警察部隊はSkolestua付近の林でブレイビクを発見する。
警察官が呼びかけると、ブレイビクは一度林の中へ入り、その後再び姿を現して手を広げた。
警察側は、彼の腰や胸元に装備が見えたことから、爆発物を身につけている可能性も警戒した。
数秒間の緊張状態の後、警察は身柄を確保した。
ブレイビクは抵抗しなかった。
18時36分、現場部隊から無線で、犯人を逮捕したこと、多数の死傷者がいること、急速な救急搬送が必要であることが伝えられた。
17時21分ごろに始まった攻撃は、ここでようやく終わった。
主要時刻を一本の表で見る
| 時刻 | 出来事 | 確度 |
|---|---|---|
| 16:55 | 実行犯の車がウトヤ島本土側船着場へ到着 | 公式時系列 |
| 17:10 | MS Thorbjørnでウトヤ島へ移動 | 公式時系列 |
| 17:17 | ウトヤ島へ上陸 | 公式記録 |
| 17:21ごろ | 最初の銃撃 | 警察推定 |
| 17:24 | MS Thorbjørn船長が島での銃撃を外部へ通報 | 公式時系列 |
| 17:25:37 | Søndre Buskerud警察へ島内から緊急通報 | 通信記録 |
| 17:29 | 複数警察管区がウトヤ島の銃撃を把握 | 公式調査 |
| 17:33 | オスロの対テロ部隊がウトヤ島へ転進 | 公式記録 |
| 17:52 | 最初の警察車両が本土側船着場へ到着 | 公式記録 |
| 17:59ごろ | 実行犯が警察へ最初の電話 | 通信記録 |
| 18:07 | 対テロ部隊がStorøyaへ到着 | 公式時系列 |
| 18:13〜18:18 | Pumpehuset周辺で重大な被害 | 時間帯推定 |
| 18:19 | 警察ボートが航行不能となる | 公式記録 |
| 18:21 | 対テロ部隊が民間船を使って渡湖開始 | 公式時系列 |
| 18:24 | 実行犯が警察へ2回目の電話 | 公式時系列 |
| 18:27 | 最初の対テロ部隊がウトヤ島へ上陸 | 公式記録 |
| 18:34 | ブレイビクを逮捕 | 公式記録 |
| 18:36 | 逮捕完了と多数の死傷者を現場部隊が無線報告 | 無線記録 |
確定時刻と「ごろ」「時間帯」を分ける
この事件には、通信記録、警察無線、映像、電話記録などから秒単位まで確認できる時刻と、証言や行動記録から推定された時刻が混在している。
例えば、17時25分37秒の緊急通報は通信記録から確認できる。
18時27分の警察上陸、18時34分の逮捕も公式記録でかなり明確に確認できる。
一方、最初の銃撃について22 July Commissionは17時21分ごろと推定している。
また、島内各地点での被害についても、「17時31分〜37分」「18時13分〜18分」といった時間帯で整理されている箇所がある。
したがって、事件全体を分単位で並べる場合でも、すべての出来事が同じ精度で確定しているわけではない。
その表現は正確ではない。
17時29分までには複数警察管区が事件を把握し、17時33分にはオスロの対テロ部隊がウトヤ島へ向けて転進している。
現地側でも部隊の出動が始まっていた。
一方で、最初の警察が本土側へ到着した17時52分から、最初の対テロ部隊が島へ上陸する18時27分まで約35分を要したことも事実である。
22 July Commissionは、この上陸までの時間を問題視した。
反対に、18時27分の上陸から18時34分の逮捕までの部隊行動については、高い行動意欲と迅速な対応を評価している。
つまり警察対応を評価する場合、
通報後の出動
→ 本土への移動
→ 集合地点
→ 船の確保
→ 渡湖
→ 上陸後の突入
を分けて見る必要がある。
69人死亡という数字の背景
2011年7月22日午後、ウトヤ島には564人がいた。
そのうち69人が事件によって死亡した。
22 July Commissionによれば、さらに33人が銃撃によって生命に関わる、または重い身体的負傷を負った。
そのほかにも、逃走の際の骨折や切り傷などを負った人がいた。
人数だけを見れば「564人のうち69人」と表現できる。
しかし時間軸を見ると、その数字の意味は大きく変わる。
最初の銃撃から警察上陸まで約66分。
島外へ徒歩で逃げられない環境で、人々は建物、森、水際、湖へ分散し続けた。
その外側では通報、警察出動、民間救助が並行していた。
ウトヤ島事件は、単に「一人の犯人が島内を移動した事件」ではない。
閉じられた地理の中で逃げる人々と、外からそこへ入ろうとする救助・警察側の動きが同時に進行した事件だった。
この時系列から見える最大の転換点はどこか
事件の転換点はいくつかある。
17時21分ごろの最初の発砲。
17時24分以降の通報。
17時33分の対テロ部隊転進。
17時52分の最初の警察到着。
18時27分の島上陸。
18時34分の逮捕。
その中でも警察対応を考えるうえで特に重要なのは、17時52分から18時27分までである。
警察は本土側の近くまで来ていた。
しかし現場は水面の向こうにある。
集合地点の設定、通信、船の確保、部隊の合流、警察ボートの問題などが重なり、上陸まで時間を要した。
逆にいえば、18時27分に部隊が島へ入ってからは状況が急速に変わった。
7分弱で犯人は逮捕されている。
この差こそ、22 July Commissionがウトヤ島での警察行動を検証するときに重視した部分だった。
まとめ|73分を「一本の時計」だけで見ない
2011年7月22日17時17分、ブレイビクはウトヤ島へ上陸した。
17時21分ごろ最初の銃撃が始まり、18時34分に逮捕された。
その約73分の間、島内では人々が逃げ続け、島外では警察への通報と部隊の移動、さらに民間船による救助が同時に進んでいた。
17時52分には最初の警察が本土側へ到達していたが、実際の島上陸は18時27分だった。
一方、上陸後の警察部隊は7分弱で逮捕に至っている。
したがって「警察はなぜ遅かったのか」という疑問に答えるには、単純に17時21分から18時34分までを一つの数字にしてはいけない。
次回は、この時間軸を警察側から逆にたどる。
通報はいつ入り、どの部隊がどこへ向かい、なぜ本土到着から島への上陸まで約35分を要したのか。
22 July Commissionが「受け入れられない」と評価した警察対応の構造を詳しく検証する。
CASE FILE 25|全10回
- 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
- 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
- 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
- 第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理
- 第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う【現在の記事】
- 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題
- 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
- 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
- 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
- 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在
出典・参考資料
-
22 July Centre
「What happened on 22 July, 2011? | Timeline」
16時55分の本土側船着場到着、17時10分のフェリー移動、17時17分の上陸、17時21分以降の島内時系列、警察・民間救助、18時34分の逮捕までを確認。 -
22 July Commission
NOU 2012:14「Report of the 22 July Commission」Chapter 2
最初の発砲時刻、実行犯の島内移動、警察への電話、島内各地点での出来事、逮捕までの経過を確認。 -
22 July Commission
NOU 2012:14 Chapter 7
17時25分37秒の緊急通報、17時29分までの複数警察管区への情報共有、警察部隊の出動、本土到着、渡湖、18時27分の上陸、18時34分の逮捕を確認。 -
22 July Commission
NOU 2012:14 Chapter 9
島内564人、69人死亡、33人の重大な銃撃負傷、医療・救助活動について確認。
資料について:
本記事では22 July Centreの公式時系列と22 July CommissionのNOU 2012:14を中心資料としています。
時刻には、通信記録・警察記録などから確定できるものと、証言・捜査記録から推定されたものがあるため、「17時21分ごろ」「18時13分〜18分」のように精度を分けて記載しています。
また、第5回は事件全体の時間関係を理解することを目的とし、警察の判断・通信・集合地点・船の問題の詳細は第6回、民間船や医療・救助の詳細は第7回へ分離しています。