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捜査は何を崩壊原因と認定したのか設計・施工・維持管理を検証する

捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する

建築・構造物事故

1995年6月29日、三豊百貨店A棟が崩壊した。

しかし事故直後の段階では、現在のように原因が整理されていたわけではない。

冷却塔が重すぎたのか。

コンクリートが弱かったのか。

柱が細かったのか。

5階を飲食店へ変更したことが原因なのか。

それとも、フラットスラブという構造形式そのものに問題があったのか。

多数の仮説を検証するため、事故現場では救助活動と並行して、構造部材の回収、材料試験、図面の確認、構造計算の再検討が始まった。

1995年7月25日、検警合同捜査本部は中間捜査結果を発表した。

さらに約4か月にわたる捜査と技術鑑定を経て、11月8日、ソウル地方検察庁は536ページに及ぶ「三豊百貨店崩壊事故捜査および原因究明鑑定団活動白書」をまとめた。

最終的な結論は、一つの欠陥を名指しするものではなかった。

建築・構造設計、施工、監理、用途変更、荷重、維持管理。

建物の一生に関わる複数の段階で問題が重なり、その結果として柱と床版の接合部が耐えられなくなった。

第8回では、第2回から第5回まで個別に見てきた問題を、事故後の捜査・鑑定結果から逆向きに組み立て直す。

CASE FILE 13|三豊百貨店崩壊事故特集(全10回)

ここまで、三豊百貨店の設計変更、フラットスラブ構造、追加荷重、崩壊前の警告、6月29日の時系列、17日間の救助活動を追ってきた。

第8回では、それらを事故後の調査がどのように評価したのかを整理する。

  1. 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
  2. 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
  3. 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
  4. 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
  5. 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
  6. 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
  7. 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
  8. 第8回|現在の記事:捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
  9. 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
  10. 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革

先に結論|捜査が認定したのは「総体的な失敗」だった

1995年11月8日に公表された検察白書は、三豊百貨店事故について、

建築・構造設計、施工、維持管理など、建築過程全般にわたる複合的な不備による事故

と最終的に整理した。

つまり、

「冷却塔が原因」
「柱が細かったから」
「コンクリートが弱かったから」

という一つの説明では足りない。

事故原因を分解すると、少なくとも次の4層に整理できる。

主な内容
直接的な崩壊メカニズム 柱・スラブ接合部のせん断破壊と進行性崩壊
構造耐力を下げた要因 柱寸法、鉄筋、ドロップパネル、施工品質など
要求荷重を増やした要因 5階用途変更、床・壁、屋根仕上げ、冷却塔など
事故を防げなかった管理要因 設計変更、監理、維持管理、前兆への対応

この4つは、別々の事故原因ではない。

一つの因果関係の中にある。

事故調査は何を調べたのか

崩壊原因を再検証したTae Won Parkの研究では、事故後の技術調査は大きく4種類に整理されている。

  1. 崩壊現場と地盤状態の調査
  2. 現場から採取したコンクリート・鋼材の強度試験
  3. 設計図書と施工・維持管理記録の検討
  4. 構造解析

つまり、瓦礫を見て「施工が悪そうだ」と判断したわけではない。

図面ではどう設計されていたのか。

構造計算ではどの寸法を使っていたのか。

実際の柱はどの大きさだったのか。

鉄筋はどこへ配置されていたのか。

コンクリートはどの程度の強度を持っていたのか。

完成後にどのような変更が行われたのか。

それらを照合して崩壊を再現していった。

調査には大きな制約があった|救助と証拠保存は両立しにくい

ただし、事故現場を理想的な状態で保存することはできなかった。

瓦礫の下には多数の被災者がいた。

最優先すべきなのは、当然ながら救助と遺体収容である。

そのため重機で瓦礫を取り除き、コンクリート床版や柱を移動させる必要があった。

Parkは後年の研究で、救助活動と現場整理のため、事故現場そのものを調査用に完全保存することはほぼ不可能だったと述べている。

そこで調査側は、回収された柱・スラブ・鉄筋、事故前の写真、設計図書、構造計算書、施工記録など複数の証拠を組み合わせる必要があった。

この点は重要である。

三豊百貨店事故には非常に詳細な調査結果が残っているが、崩壊開始の「最初の一瞬」まで映像のように完全再現できるわけではない。

直接的な崩壊メカニズム|柱と床版の間で何が起きたのか

検察の中間捜査結果では、5階と屋上の過大荷重が、施工上の問題を抱えた柱・スラブ部分へ作用し、柱とスラブの間でせん断破壊が発生したことが崩壊の直接的なメカニズムとして整理された。

三豊百貨店は大きな梁を使わず、床版を柱が直接支えるフラットスラブ系の構造だった。

この形式では、柱周辺の床版へ大きなせん断力が集中する。

限界を超えると、柱が床を押し抜くようなパンチングせん断が発生する。

そして一つの接合部が支えを失えば、そこが負担していた荷重が周囲の柱へ移る。

隣の柱も余裕を失っていれば、次の接合部が壊れる。

これが連鎖し、A棟の大規模な進行性崩壊へ発展した。

原因1|構造計算書と実際の設計が違っていた

事故後の捜査で、最も重要な発見の一つが構造計算書と設計図の不一致だった。

1995年7月の検察捜査では、A棟4階・5階のエスカレーター周辺にある複数の円形柱について、構造計算上は、

直径800mm・主鉄筋16本

とされていたのに対し、設計・施工図では、

直径600mm・主鉄筋8本

となっていたことが確認された。

実際の柱も、600mm側の設計に従って施工されていた。

つまりこの問題は、

「施工者が800mmの図面を無視して600mmにした」

という単純な施工ミスではない。

構造計算で必要とされた条件が、設計図へ適切に反映されていなかった。

設計段階から確認系統が機能していなかったことになる。

80cmから60cm|数字以上に大きい差

直径800mmから600mmへの変更は、直径だけなら25%の縮小である。

しかし円形柱の断面積で比較すると、

600² ÷ 800² = 0.5625

となる。

つまり断面積は、800mm柱の約56%

約44%小さくなる。

さらにフラットスラブでは、柱周囲の長さそのものがパンチングせん断耐力に関係する。

柱が小さくなれば、床から柱へ荷重を渡す領域も小さくなる。

このため柱径の違いは、柱の圧縮性能だけでなく、柱・スラブ接合部の耐力にも影響した。

原因2|ドロップパネルが設計どおりではなかった

柱と床版の接合部を強くするため、フラットスラブ構造では柱周辺だけ床を厚くするドロップパネルが使われる。

検察は事故現場から回収した部材と事故直前の写真を調査し、崩壊開始領域とされた5階食堂付近の柱の一つで、ドロップパネルが存在しなかったことを確認した。

別の箇所でも、本来15cmの増厚が必要だった部分が、実際には6~9cm程度しか施工されていなかったことが捜査で確認されている。

ドロップパネルが薄い、あるいは存在しなければ、柱周辺の床版有効せいが小さくなる。

その結果、パンチングせん断に対する余裕が低下する。

ここでも重要なのは、

「ドロップパネルが一か所なかったから全壊した」

という読み方ではない。

すでに柱径、鉄筋、荷重など他の条件も不利になっていた。

原因3|床版の鉄筋位置が深すぎた

調査では、スラブ上部の鉄筋位置にも問題が確認された。

本来、柱周辺では上側鉄筋が床表面に比較的近い位置へ配置され、負曲げに抵抗する必要がある。

しかし検察捜査では、床表面から3~4cm程度の位置が想定されていた鉄筋が、実際には6~10cm程度の深さへ配置されていた部分が確認された。

鉄筋が内部へ沈むと、外から見た床厚が同じでも、構造計算上有効に働く有効せいが小さくなる。

Gardnerらの再計算では、設計上410mmだった有効せいが、実際には約360mmになっていたと整理されている。

これも、柱・床版接合部のせん断耐力を小さくする方向へ働いた。

原因4|コンクリート強度は設計値より低かった

事故現場から回収されたコンクリートについても試験が行われた。

Gardnerらが事故調査委員会結果から整理した値では、設計圧縮強度は21MPaだったのに対し、崩壊した北側部分の平均値は約18MPaだった。

ただし、ここは誤解しやすい。

「18MPaだったから建物が崩れた」わけではない。

構造物には通常、安全余裕がある。

コンクリート強度が設計値を多少下回っていても、それだけで即座に崩壊するとは限らない。

しかし、

柱が小さい。
有効せいが小さい。
鉄筋位置が悪い。
ドロップパネルに問題がある。
さらに荷重が増えている。

という状態であれば、コンクリート強度低下も同じ方向へ安全余裕を削る。

原因5|5階は構造計算なしに飲食店街へ変えられた

第4回で詳しく扱ったように、5階は当初ローラースケート場として計画されていた。

しかし実際には飲食店街へ変更された。

レンガ壁、床仕上げ、設備、庭園などが追加され、固定荷重が増加した。

検察の1995年7月25日の中間捜査結果では、この用途変更について、十分な構造計算を行わないまま変更されたことが問題として挙げられた。

事故調査委員会を整理したGardnerらは、用途変更によって5階固定荷重が当初想定より約35%増えたと計算している。

つまり、耐力の小さくなった柱・床版接合部に対して、上から作用する荷重は逆に増加していた。

原因6|屋根にも設計時より大きな荷重があった

屋上でも同じ問題が確認された。

設計時に軽量コンクリート仕上げとして想定されていた荷重より、実際の屋根仕上げは重かった。

さらに空調用冷却塔が設置されていた。

検察は5階と屋上の過大荷重を、崩壊に大きく寄与した要因として挙げている。

ただし、ここでも冷却塔単独説には注意が必要である。

事故調査の結論は、

「冷却塔が重かったので建物が壊れた」

ではない。

設計・施工上の問題によって余裕を失った構造へ、設計時と異なる5階・屋上荷重が作用した。

この組み合わせで理解する必要がある。

原因7|監理が施工不良を止められなかった

建物は、設計者が図面を作り、施工者が造れば完成するわけではない。

工事が図面どおり行われているかを確認する監理が必要になる。

しかし検察の中間捜査では、三豊百貨店で常駐監理が十分に行われていなかったことも問題とされた。

韓国国家記録院の事故整理でも、

  • 設計と監理の独立性が弱かったこと
  • 構造安全確認が形式的だったこと
  • 専門知識を持たない行政職員による形式的な安全点検

などが背景として挙げられている。

構造計算と設計図が違う。

設計図と実施工にも問題がある。

その途中で誰かが検出して是正できれば、事故への連鎖を切ることができる。

三豊百貨店では、そのチェック層も十分に機能しなかった。

原因8|完成後の維持管理でも、変更が繰り返された

事故原因は、1989年の完成時点で固定されたわけではない。

営業開始後も売場の拡張、用途変更、設備追加などが行われた。

建築物に変更を加えるなら、

現在の構造耐力

新たに加わる荷重

既存の損傷状態

を確認する必要がある。

ところが三豊百貨店では、完成後の建物についても適切な構造安全確認が十分に行われなかった。

韓国国家記録院はこの事故を、設計・施工だけでなく維持管理上の失敗まで含む事故として整理している。

原因9|崩壊前の亀裂・床沈下に対応できなかった

そして最後に残るのが、1995年6月29日の判断である。

どれだけ設計や施工に問題があっても、崩壊前に建物から人を避難させれば、少なくとも502人という人命被害は回避・縮小できた可能性がある。

検察が11月にまとめた白書でも、事故当日に何度も現れた崩壊兆候へ適切に対応しなかったことが、被害を大きくした要因として指摘された。

ここは構造的な「崩壊原因」と、人命被害を拡大した「管理上の原因」を分ける必要がある。

問い 主な要因
なぜ建物が崩れたのか 設計・施工上の欠陥と過大荷重による柱・スラブ接合部の破壊
なぜ502人が死亡したのか 営業中の建物で崩壊し、重大な前兆後も十分早く全館避難が行われなかったこと

この二つは関連しているが、同じ問いではない。

7月25日の「中間結果」と11月8日の「最終白書」を分ける

三豊百貨店事故の資料を読むと、7月中旬から後半の報道に、

「崩壊原因が判明」
「直接原因を確認」

という表現が複数登場する。

しかしこれらの多くは、捜査途中の結果である。

7月13日には柱径やドロップパネルの問題が報じられた。

7月16日には、構造計算書と設計図を比較した初期検討で13か所の差が確認されたと報道された。

その後、7月25日の中間捜査結果では、柱・スラブ・鉄筋など11か所が構造計算書と異なる設計になっていたと整理されている。

この「13」と「11」は矛盾として一方を消すべきではない。

捜査途中の暫定確認と、その後の整理結果の違い

として扱う方が適切である。

そして11月8日に、約4か月の精密鑑定と捜査をまとめた536ページの白書が発行された。

本シリーズでは、最終的な事故像についてはこの11月段階の整理を優先する。

FACT CHECK|結局「最大の原因」は何だったのか

1995年7月25日の中間捜査結果では、特に

5階・屋上の過大荷重と、ドロップパネルなど柱・スラブ部分の施工不良

が決定的な原因として強く挙げられた。

しかし11月の最終白書は、事故全体を設計・施工・維持管理まで含む総体的な不備として結論づけている。

したがって、

「直接、構造を破壊したものは何か」

という問いなら、

耐力の不足した柱・スラブ接合部へ過大な荷重が作用し、せん断破壊が連鎖したこと

と説明できる。

一方、

「なぜその状態になったのか」

まで問うなら、設計・施工・監理・用途変更・維持管理・避難判断まで含める必要がある。

FACT CHECK|コンクリートの「手抜き工事」が主原因だったのか

三豊百貨店はしばしば「粗悪なコンクリートによる手抜き工事」と説明される。

実際、崩壊部から採取されたコンクリートの平均強度は設計値を下回っていた。

しかし事故調査は、コンクリート強度だけを主原因とはしていない。

柱寸法、鉄筋位置、ドロップパネル、荷重、用途変更などを含めて計算すると、複数の不利条件が重なっていた。

したがって、

「安いコンクリートを使ったので崩れた」

という説明は過度な単純化になる。

FACT CHECK|フラットスラブ構造そのものが欠陥だったのか

これも違う。

Gardnerらは事故調査委員会報告を使って、当初設計条件での柱・スラブ接合部を複数の設計規準で再計算している。

当初の設計条件だけなら、一定の安全性を有していた。

問題は、

  • 部材寸法が計算条件から変わったこと
  • 鉄筋位置など施工状態が不利だったこと
  • 荷重が増加したこと
  • 維持管理でそれを是正できなかったこと

が重なったことである。

フラットスラブ構造だから自動的に危険なのではない。

この構造に必要な精密な設計・施工・管理が確保されなかったことが問題だった。

事故原因を一本の因果関係にすると

ここまでの調査結果を、一つの流れとして整理する。


設計変更を繰り返す

構造計算と設計図に差が生じる

柱径・鉄筋・床版接合部などの耐力が設計想定より低くなる

施工・監理でも問題を是正できない

5階を飲食店化し、屋根にも追加荷重を載せる

完成後の維持管理でも十分な構造検討を行わない

柱・スラブ接合部の安全余裕が小さくなる

1995年6月29日、床変形が急速に進行

柱・スラブ接合部でせん断破壊

荷重が隣接柱へ移動

進行性崩壊

そして人命被害については、さらに、


重大な前兆を確認

一部閉鎖・会議

全館避難が遅れる

営業中の建物が崩壊

という別の因果関係が重なる。

「一人のミス」で説明できない事故だった

三豊百貨店事故の原因を詳しく調べるほど、責任の範囲は広がる。

構造計算をした人。

設計図を作った人。

施工した人。

現場を監理した人。

用途を変更した経営側。

建物を点検した行政。

事故当日に営業継続を判断した人。

それぞれの行動が同じ重さの責任を持つわけではない。

また、技術的に事故へ寄与したことと、刑法上の責任が成立することも同じではない。

事故調査では、

「何が建物を壊したか」

を追える。

しかし裁判では、

「誰がその結果について法的責任を負うのか」

を個人ごとに判断しなければならない。

ここから先は、構造解析だけでは決められない。

次回|技術的原因は、誰の刑事責任になったのか

事故原因は、設計・施工・維持管理の複合的な失敗として整理された。

しかし白書が完成する前から、捜査は責任者個人へ向かっていた。

三豊側の経営陣。

設計者。

施工関係者。

監理関係者。

そして許認可を担当した公務員。

事故後、複数の人物が起訴された。

三豊グループ会長だった李鐏には、一審で懲役10年6か月が言い渡された。

しかしその後の控訴審では刑が変更され、最終的に大法院で懲役7年6か月が確定する。

なぜ刑期が変わったのか。

建物を所有・運営していた経営者は、502人の死亡についてどの範囲まで刑事責任を負ったのか。

設計者、施工者、公務員は何を問われたのか。

そして三豊側と行政の間にあった贈収賄は、事故原因とどのような関係にあったのか。

次回は技術調査から法廷へ移る。

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第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者

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第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判

CASE FILE 13|全10回

  1. 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
  2. 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
  3. 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
  4. 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
  5. 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
  6. 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
  7. 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
  8. 第8回|現在の記事:捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
  9. 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
  10. 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革

出典・参考資料

  • 聯合ニュース — 「検察、三豊惨事白書発刊」(1995年11月8日)

    ソウル地方検察庁が536ページの「三豊百貨店崩壊事故捜査および原因究明鑑定団活動白書」を発行し、建築・構造設計、施工、維持管理など建築過程全般の複合的な不備を最終結論としたことの確認に使用。
  • 聯合ニュース — 「設計・施工等の総体的な不備、過大荷重が崩壊原因」(1995年7月25日)

    検警合同捜査本部の中間捜査結果。5階・屋上の過大荷重、柱・スラブ施工不良、構造計算なしの用途変更、常駐監理不在などが直接・間接的原因として整理されたことの確認に使用。
  • 聯合ニュース — 「三豊百貨店、柱・スラブ工事不良確認」(1995年7月13日)

    構造計算上の柱径800mm・主鉄筋16本に対し、設計・施工では600mm・8本だったこと、ドロップパネルが設計寸法より薄く施工されていたことの確認に使用。
  • 聯合ニュース — 「三豊捜査、柱骨組み等の設計差確認」(1995年7月16日)

    構造計算書と設計図の初期精査で13か所の差が確認されたこと、柱、鉄筋、ドロップパネル、スラブの施工状態など捜査途中の技術確認に使用。7月25日の後続整理との数字差は捜査進展によるものとして区別。
  • 聯合ニュース — 「三豊百貨店、5階柱ドロップパネルなしで施工」(1995年7月17日)

    崩壊開始領域とされた5階食堂付近の柱上部にドロップパネルが存在しなかったことを、残骸分析と崩壊直前写真から確認した捜査結果に使用。
  • 韓国国家記録院 — 「三豊百貨店崩壊」

    床沈下から隣接柱への荷重移動と連鎖的せん断破壊、設計・監理体制、構造安全確認、行政点検、施工・下請け等を含めた事故背景の公的整理に使用。
  • Tae Won Park — Inspection of collapse cause of Sampoong Department Store, Forensic Science International, 2012

    現場・地盤調査、コンクリート・鋼材試験、設計図書・施工管理資料、構造解析という事故調査方法と、設計・施工・管理上の直接・間接要因が重なったという技術的再検証に使用。
  • Gardner, Huh & Chung — Lessons from the Sampoong department store collapse, Cement and Concrete Composites, 2002

    事故調査委員会報告の整理、パンチングせん断、柱径、床版有効せい、コンクリート強度、用途変更による荷重増加、および複数の不利条件を組み合わせた構造解析の確認に使用。

本記事は1995年7月の検警合同捜査本部による中間捜査結果、同年11月のソウル地方検察庁白書についての当時報道、韓国国家記録院、事故調査委員会報告を整理したGardnerらの構造工学論文、Parkによる2012年の再検証を照合して構成しています。捜査途中では「構造計算書との差13か所」、後の中間結果では「11か所」など数字が変化している部分があるため、一方を誤りとして消さず、暫定調査と後続整理を区別しました。また「冷却塔」「コンクリート」「柱径」「フラットスラブ」のいずれか一つを単独原因とはせず、最終白書に沿って設計・施工・荷重・監理・維持管理が重なったSYSTEM事故として整理しています。