三豊百貨店がなぜ崩れたのか。
事故後の技術調査は、設計、施工、用途変更、追加荷重、維持管理など、複数の問題が同じ建物の中で重なっていたことを明らかにした。
しかし、原因が分かっただけでは裁判にならない。
刑事裁判で問われるのは、
「その原因について、誰が、どのような注意義務を負い、それを怠ったのか」
である。
1995年12月27日、ソウル地方裁判所は三豊百貨店崩壊事故をめぐって起訴された25人に一審判決を言い渡した。三豊側の経営陣だけではない。施設担当者、構造・建築設計者、施工関係者、そして三豊側から金銭を受け取った行政関係者まで被告席に並んだ。[1]
三豊グループ会長だった李鐏(イ・ジュン)には、一審で懲役10年6か月。
息子で三豊百貨店社長だった李漢相(イ・ハンサン)には懲役7年。
その後、李鐏の刑は控訴審で懲役7年6か月へ変更され、1996年8月23日、大法院が原判決を確定させた。[2][3]
だが、この裁判で最も重要なのは刑期の数字だけではない。
大法院は三豊百貨店について、
建築計画、構造設計、施工、完成後の維持管理という異なる段階の過失が複合して一つの事故を生んだ
と認定した。[4]
つまり司法判断でも、この事故は「一人の手抜き」で説明されなかった。
CASE FILE 13|三豊百貨店崩壊事故特集(全10回)
第8回までは、技術的な原因と事故調査を追ってきた。
第9回では視点を法廷へ移し、「事故原因」と「刑事責任」を分けて整理する。
- 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
- 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
- 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
- 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
- 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
- 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
- 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
- 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
- 第9回|現在の記事:誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
- 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革
先に結論|「建物を壊した責任」と「行政を腐敗させた責任」は別に裁かれた
三豊百貨店事件では、異なる種類の犯罪が一つの裁判に現れる。
| 責任の種類 | 主な対象 | 主な罪 |
|---|---|---|
| 建物崩壊と死傷結果への責任 | 経営・設計・施工・施設管理関係者 | 業務上過失致死・致傷など |
| 許認可をめぐる腐敗 | 三豊側・行政関係者 | 贈賄・収賄・収賄後不正処事など |
| 会社財産等をめぐる犯罪 | 経営関係者 | 業務上横領等 |
この三つを混ぜると、
「賄賂を受け取った公務員が建物を直接崩した」
という誤った理解になりやすい。
行政関係者への贈収賄は重大な問題だったが、物理的な崩壊メカニズムそのものは、第8回で見た設計・施工・荷重・維持管理上の複合的な欠陥によって説明された。
裁判では、それぞれについて別の構成要件と証拠が必要だった。
事故後、25人が刑事裁判へ
検察は1995年12月6日の結審時、三豊百貨店崩壊事故について、
「設計・施工・維持管理過程の総体的な不備によって発生した惨事」
という立場を示した。
李鐏には懲役20年を求刑。
李漢相には懲役7年。
三豊・設計・施工関係者には禁錮3~5年、公務員についても収賄額や行為に応じて懲役刑が求刑された。[5]
裁判の対象は、経営トップだけではなかった。
一審判決時点で被告人は25人。
建築計画から施工、施設管理、行政許認可まで、事故の因果関係を構成した複数の立場が刑事責任を問われた。
李鐏|なぜ経営トップに業務上過失致死傷が成立したのか
李鐏は単なる株主や名目的所有者ではなかった。
大法院判決は、李鐏について三豊建設の代表取締役であり、三豊百貨店の会長として建物新築工事と完成後の維持管理業務を統括していたと認定している。[4]
判決が挙げた注意義務は広い。
当初ショッピングセンターとして工事を始めたあと百貨店へ事業計画を変更したなら、実際の用途に合わせて総合的な建築計画を作り直す必要があった。
5階を飲食店街として使用するなら、その荷重を考慮して構造計算をやり直し、必要な補強をしなければならなかった。
屋根に冷却塔を設置するなら、その荷重を床版へ直接作用させない構造上の措置を検討する必要があった。
そして事故当日には、現場から亀裂進行について報告を受け、状態が深刻であることを確認した以上、客と従業員を安全に避難させる注意義務もあったとされた。[4]
つまり李鐏の責任は、
「会長だから責任を取らされた」
のではない。
建物の計画・変更・維持管理に実際の権限と注意義務を持ち、それを怠ったという具体的な過失が認定された。
「専門家に任せていた」は免責にならなかった
大法院判決には、この事件の重要な部分がある。
李鐏側は、日常点検を担当する職員が別におり、事故当日にも専門家の助言に基づいて補強工事の準備をしていたという事情を主張した。
しかし大法院は、それだけで李鐏に崩壊を予見する可能性がなかったとはいえないと判断した。[4]
これは経営責任を考えるうえで重要である。
巨大な施設では、経営者本人が鉄筋を組んだり構造計算をしたりするわけではない。
それでも、安全に関する重大情報が経営レベルへ上がり、営業停止や避難を決定できる権限が経営側にあるなら、
「専門家がいるから自分には関係ない」
とはならない。
一審|李鐏に懲役10年6か月
1995年12月27日。
ソウル地方裁判所刑事合議22部は一審判決を言い渡した。
李鐏について、業務上過失致死傷や特定犯罪加重処罰法違反に関わる犯罪などを認定し、懲役10年6か月を言い渡した。検察の求刑は懲役20年だった。[1]
一審裁判所は、三豊事故を、
社会に蔓延した不実と腐敗が重なった事故
と評価した。
そして、建築法規を無視した工事、無分別な利益追求、行政関係者への贈賄などを厳しく指摘した。[1]
李漢相|三豊百貨店社長にも懲役7年
李鐏の息子で、三豊百貨店社長だった李漢相も業務上過失致死傷などで起訴された。
検察の求刑は懲役7年。
一審判決も懲役7年だった。[1]
1996年4月26日の控訴審でも、李漢相には懲役7年が言い渡されている。[2]
ここでも、親族であるという理由ではなく、百貨店経営・管理における地位と注意義務が問題になった。
設計者|計算と図面に責任を持つ側
刑事責任は経営側だけでは終わらない。
一審では、構造設計者や建築設計者にも業務上過失致死傷について有罪判決が言い渡された。
聯合ニュースの一審判決一覧では、
- 構造設計者:禁錮3年
- 建築設計者:禁錮3年
などが記録されている。[1]
大法院判決は、設計段階の過失も具体的に記録している。
構造計算担当者については、5階・屋根階の一部柱とスラブの耐力計算、外周柱との接続、冷却塔3基の荷重計算などに問題があったとされた。
設計・監理担当者についても、
- 冷却塔設置による構造条件を図面へ反映しなかった
- 5階を飲食店街へ用途変更した際に再構造計算を行わせなかった
- 屋根仕上げ方法を十分に指定しなかった
- 工事監理を十分に行わなかった
と認定されている。[4]
施工側|「図面が悪かった」だけでは終わらなかった
事故原因には設計上の問題があった。
しかし裁判所は、施工側にも独立した注意義務があったと認定した。
大法院判決には、施工時の問題として、
- 上端鉄筋が正常位置より沈んで施工されたこと
- 多数のドロップパネル部分が設計より薄かったこと
- 一部のドロップパネル施工が欠落したこと
- 梁の鉄筋量が設計より少なかったこと
- スターラップの径・間隔が図面と異なっていたこと
- 鉄筋の定着長不足
などが詳細に記載されている。[4]
一審では5階躯体工事に関わったウソン建設側の担当者にも有罪判決が出た。
ウソン建設の建築主任には禁錮1年6か月、ほか複数の施工関係者には禁錮1年・執行猶予2年などが言い渡された。[6]
裁判所は、三豊側だけに事故原因を集中させず、施工側にも責任が存在すると判断した。
維持管理側|完成したあとも注意義務は終わらない
三豊百貨店事故の最高裁判決が特徴的なのは、建築中の行為だけを問題にしていない点である。
判例要旨は、
建築計画
↓
建築設計
↓
建築工事
↓
建物完成後の維持管理
における過失が複合的に作用したとする。[4]
完成後の5階飲食店化。
冷却塔の設置・移設。
設備工事に伴う構造部材への変更。
崩壊当日の亀裂への対応。
これらは建設会社が建物を引き渡した後の問題である。
「竣工したから安全責任が終了する」のではない。
建物を変更しながら使用する側にも、構造安全を維持する注意義務があることが裁判でも重要視された。
大法院が認めた「共同正犯」|別々の時期の過失が一つの事故を作った
この判決で特に重要なのが、
業務上過失致死傷罪の共同正犯
という判断である。
通常、「共同正犯」と聞くと、複数人が相談して一緒に犯罪を行った場面を想像しやすい。
しかし三豊百貨店の場合、
構造設計者と施工担当者と経営者が、
「建物を崩壊させよう」
と相談していたわけではない。
それぞれが異なる時期・異なる役割で、安全上必要な注意を怠った。
大法院は、それらの過失が組み合わさって同じ崩壊・死傷結果を生じさせたとして、各段階の関係者を業務上過失致死傷罪の共同正犯として処罰する判断を維持した。[4]
この考え方は、三豊事故をSYSTEM型として見るうえでも非常に重要である。
一人の行為だけでは事故全体を説明できない。
しかし、
「自分の工程だけなら建物は崩れていない」
という理由で、すべての関係者が責任を免れるわけでもない。
公務員|設計変更と許認可をめぐる贈収賄
三豊事故の刑事裁判には、もう一つ大きな問題があった。
行政側の腐敗
である。
一審では、三豊側から設計変更や仮使用承認などをめぐって金銭を受け取ったとして、元瑞草区庁長の李忠雨(イ・チュンウ)と黄哲民(ファン・チョルミン)が有罪となった。
一審判決は、
| 被告 | 一審 |
|---|---|
| 李忠雨・元瑞草区庁長 | 懲役3年+追徴金1,300万ウォン |
| 黄哲民・元瑞草区庁長 | 懲役2年6か月+追徴金1,200万ウォン |
だった。[1]
さらに元瑞草区庁都市整備局長など、ソウル市・瑞草区庁の複数の公務員についても収賄や不正処事をめぐる刑が言い渡された。
ただし、一審で認定された賄賂額はそのまま確定しなかった
ここは事件解説で省略されやすい。
一審では元区庁長2人に対して1,300万ウォン、1,200万ウォンという大きな収賄額が認定された。
しかし控訴審では、認定された金額が縮小した。
1996年4月26日のソウル高等法院判決では、黄哲民について一審の1,200万ウォンすべてではなく、200万ウォンを賄賂として認定し、懲役10か月とした。[2]
最終的に大法院は、
| 被告 | 確定刑 |
|---|---|
| 李忠雨・元瑞草区庁長 | 懲役10か月+追徴金300万ウォン |
| 黄哲民・元瑞草区庁長 | 懲役10か月+追徴金200万ウォン |
とした原判決を確定させた。[3]
したがって、
「元区庁長が1,300万・1,200万ウォンの賄賂を受け取ったことが最高裁でそのまま確定した」
と書くのは正確ではない。
一審と確定判決を分ける必要がある。
贈収賄があった=その行政承認だけで建物が崩れた、ではない
贈収賄が確認されたことは、行政監督の信頼性を大きく損なう事実である。
しかし技術的な因果関係は別に検討しなければならない。
賄賂を受け取る。
↓
不適切な行政判断が行われる。
↓
安全上問題のある変更・営業状態が是正されない。
というSYSTEM上の経路は考えられる。
一方、物理的に床版を破壊したのは、柱・スラブ接合部へ作用した荷重と不足した耐力である。
つまり、
汚職は構造破壊の「力」ではない。
危険を検出・是正するはずの行政防護層を弱くする要因
として理解する方が正確である。
李鐏の刑はなぜ10年6か月から7年6か月になったのか
1995年12月27日の一審は懲役10年6か月。
1996年4月26日のソウル高等法院は懲役7年6か月。
そして8月23日、大法院がその原判決を確定した。[2][3]
ここでは注意が必要である。
現在確認できる当時の公開報道要約だけでは、一審10年6か月から控訴審7年6か月へ変更された理由の全文を十分に確認できない。
したがって本記事では、
「反省したため減刑された」
「高齢だったから減刑された」
「事故責任が軽く認定された」
などの理由を推測では補わない。
確認できる事実は、
控訴審が業務上過失致死等について李鐏へ懲役7年6か月を言い渡し、大法院がその判断を維持した
というところまでである。
FACT CHECK|減刑されたということは、事故責任も否定されたのか
それは違う。
大法院判決は李鐏について、建築計画、用途変更、冷却塔、維持管理、そして事故当日の避難措置に関する業務上の注意義務違反を明確に認定している。
また建築計画・設計・施工・維持管理の各段階の過失が複合して事故を発生させたという原審判断も維持した。
したがって、刑期が一審より短くなったことを「崩壊への責任が否定された」と読むことはできない。
大法院判決|96도1231
1996年8月23日、大法院刑事第2部は三豊百貨店事件について判決を言い渡した。
事件番号は、
96도1231
である。
李鐏については懲役7年6か月を言い渡した原審を確定。
元瑞草区庁長2人についても懲役10か月と追徴金を言い渡した原審を維持し、ほかの被告人らの上告も棄却した。[3]
しかしこの判決の意味は、刑期確定だけではない。
判例要旨として現在まで残っている重要事項は、
- 複数段階の過失が重なった建物崩壊で各関係者を業務上過失致死傷の共同正犯としたこと
- 贈賄側と収賄側の処罰関係について判断したこと
- 業務上過失致死傷罪の公訴時効の起算点を示したこと
- 行政職員の虚偽文書作成などについて職務上の不正行為を判断したこと
などだった。[4]
建物を造ったのは1980年代なのに、公訴時効は切れていなかったのか
設計・施工関係者の過失の多くは、1980年代後半の建築時に行われていた。
そのため裁判では、
「すでに公訴時効が成立しているのではないか」
という争点も生じた。
大法院はこれを退けた。
業務上過失致死傷罪では、過失行為をした瞬間だけでなく、被害者が死亡・負傷するという結果が発生して犯罪が終了した時点から公訴時効を計算すると判断した。[4]
三豊事故では、その結果が発生したのは、
1995年6月29日
である。
したがって、建築行為が何年も前だったことだけを理由に刑事責任を免れることはできなかった。
三豊裁判の刑を整理する
主要な被告について、確認できる判決経過を整理する。
| 立場 | 一審 | 控訴審・確定段階 |
|---|---|---|
| 李鐏・三豊会長 | 懲役10年6か月 | 控訴審7年6か月 → 大法院確定 |
| 李漢相・三豊社長 | 懲役7年 | 控訴審7年 |
| 構造設計者 | 禁錮3年 | 関係者ごとに控訴審判断 |
| 建築設計者 | 禁錮3年 | 関係者ごとに控訴審判断 |
| ウソン建設建築主任 | 禁錮1年6か月 | 施工関係者にも有罪判決 |
| 李忠雨・元瑞草区庁長 | 懲役3年+追徴1,300万ウォン | 懲役10か月+追徴300万ウォン確定 |
| 黄哲民・元瑞草区庁長 | 懲役2年6か月+追徴1,200万ウォン | 懲役10か月+追徴200万ウォン確定 |
この表だけを見ると、「502人が死亡した事故にしては軽い」と感じる読者もいるかもしれない。
実際、当時の韓国社会でも一審判決の量刑について批判や不満が報じられた。[7]
ただし刑事裁判では、被害者数をそのまま刑期へ換算するわけではない。
適用できる犯罪類型、当時の法定刑、個々の被告の注意義務、因果関係、故意か過失かなどを基に量刑される。
なぜ「殺人罪」ではなかったのか
三豊百貨店では、事故当日に重大な亀裂や床沈下が認識されていた。
それでも営業が続いた。
そのため、
「危険を知っていたなら殺人ではないのか」
という疑問が生まれる。
しかし刑法上の殺人罪には、単に危険な判断をしただけではなく、人を死亡させることについて故意が必要になる。
三豊事件で裁判所が認定した中心的な犯罪は、
業務上過失致死傷
だった。
大法院も、李鐏について事故当日に亀裂の深刻さを確認した以上、客や従業員を避難させる注意義務があったと認定した一方、判決は殺人故意を認定するものではない。[4]
FACT CHECK|「崩れると知っていて客を残した」なら殺人では?
「建物に重大な危険があることを予見できた」
ことと、
「人が死亡しても構わないと認容した」
ことは刑法上同じではない。
三豊事件の確定判決は、重大な注意義務違反と予見可能性を認定したが、殺人罪として処罰したものではない。
責任は25分の1ずつだったわけではない
25人が起訴されたからといって、責任を25等分したわけではない。
ある人物は構造計算を誤った。
別の人物は設計図へ必要な安全条件を反映しなかった。
施工側は鉄筋や床版を適切に施工しなかった。
経営側は建築計画を繰り返し変更し、用途変更や追加設備を進めた。
行政側には贈収賄と許認可をめぐる問題があった。
そして事故当日には、危険を認識しながら利用者を十分早く避難させられなかった。
役割は違う。
刑も違う。
しかし大法院は、
「それぞれの過失が別々だから、誰も全体事故について責任を負わない」
とはしなかった。
三豊裁判がSYSTEM事故として重要な理由
三豊百貨店の判決文を読むと、事故原因の文章が非常に長い。
構造計算。
設計。
鉄筋。
ドロップパネル。
5階用途変更。
冷却塔。
設備工事。
維持管理。
事故当日の避難。
通常の刑事事件なら、一つの人物の一つの行為を追えばよい場合もある。
三豊ではそうならない。
数年前の設計上の過失が残る。
施工上の過失がその上に加わる。
完成後の変更がさらに加わる。
行政監督が十分に止めない。
最後に、崩壊当日の判断まで加わる。
これらが1995年6月29日に一つの結果へ収束した。
大法院が「各段階の過失が複合的に作用した」と整理したことは、この事故の構造を非常に端的に表している。
裁判で終わっても、安全問題は終わらなかった
1996年8月23日、大法院判決によって主要な刑事責任が確定した。
しかし、それで三豊百貨店事故への対応が完了したわけではない。
502人が死亡した巨大事故は、
「誰を刑務所へ送るか」
だけでは再発を防止できない。
構造設計の確認方法。
工事監理。
既存大型建築物の安全点検。
用途変更時の安全確認。
災害現場の指揮系統。
大規模救助体制。
事故が起きたときの行政対応。
事故後の韓国では、こうした制度そのものが検討対象になった。
ただし、現在の制度をすべて、
「三豊百貨店事故をきっかけに作られた」
と説明することも正確ではない。
前年1994年には聖水大橋崩壊があり、1995年にも大邱上仁洞ガス爆発など大規模事故が続いていた。
三豊百貨店は、その連続する大型災害の中で韓国の安全・災害管理体制を根本から問い直す一つの決定的な事件になった。
次回はいよいよ最終回。
三豊百貨店崩壊事故のあと、実際に何が変わったのか。
安全点検、災害管理法、救助体制、制度改革を、事故との直接的な因果関係が確認できるものと、同時期の広い改革とに分けて追う。
CASE FILE 13|全10回
- 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
- 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
- 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
- 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
- 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
- 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
- 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
- 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
- 第9回|現在の記事:誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
- 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革
出典・参考資料
-
韓国・国家法令情報センター — 大法院 1996年8月23日宣告 96도1231 判決
本記事の主要司法資料。建築計画、設計、施工、完成後の維持管理における複数の過失が複合して崩壊したこと、各段階の関係者について業務上過失致死傷の共同正犯を認めたこと、公訴時効の起算点などの確認に使用。
-
聯合ニュース — 李鐏三豊会長に懲役10年6か月判決(1995年12月27日)
被告25人に対する一審判決。李鐏10年6か月、李漢相7年、構造・建築設計者、三豊施設関係者、ウソン建設施工関係者、行政関係者など各被告の一審刑を確認するため使用。
-
ソウル新聞 — 李鐏会長に懲役20年求刑(1995年12月7日)
検察による李鐏懲役20年、李漢相7年、設計・施工関係者および行政関係者への求刑内容と、「設計・施工・維持管理の総体的不備」という検察側の事件整理を確認するため使用。
-
ソウル新聞 — 三豊李鐏会長10年6か月、李漢相社長7年(1995年12月28日)
一審判決でウソン建設側にも刑事責任が認められたこと、建築主任への禁錮1年6か月、ほかの施工関係者への執行猶予、元区庁長らへの刑の確認に使用。
-
ソウル新聞 — 三豊李鐏会長に懲役7年6か月/ソウル高裁(1996年4月27日)
1996年4月26日の控訴審で李鐏が7年6か月、李漢相が7年となったこと、元瑞草区庁長らの収賄認定額・刑が一審から変更されたことの確認に使用。
-
ソウル新聞 — 三豊事故刑確定/李鐏会長7年6か月/大法院(1996年8月24日)
1996年8月23日、大法院が李鐏の懲役7年6か月を確定したこと、元瑞草区庁長2人の懲役10か月・追徴金300万ウォン/200万ウォンの確定を確認するため使用。
-
MBC Newsdesk — 大法院、三豊李鐏会長に懲役7年6か月(1996年8月23日)
大法院判決当日の報道として、控訴審の懲役7年6か月が確定したことを再確認するため使用。
-
ソウル新聞 — 1995年事件・事故回顧(1995年12月30日)
三豊事故の一審判決後、甚大な被害規模に対して刑が軽いとの社会的批判が存在したことを、当時の報道として確認するため使用。
本記事は、韓国国家法令情報センターが公開する大法院1996年8月23日宣告96도1231判決を司法判断の中心資料とし、1995年の一審、1996年の控訴審・大法院判決を伝えた聯合ニュース、ソウル新聞、MBCの当時報道を照合して構成しています。一審判決で認定された収賄額と確定判決の追徴額には大きな差があるため、判決段階を区別しました。また、李鐏の一審10年6か月から控訴審7年6か月への変更理由については、参照できた当時の公開報道要約だけでは理由全文を確認できないため、推測による減刑理由は記載していません。事故当時の一部報道では死者503人とする暫定集計がありますが、本シリーズの被害人数は韓国国家記録院の後年確定整理に合わせ、死者502人を基準としています。