Youngを「途中で失敗した人」にすると、解読の論理が見えなくなる
Thomas Youngの名前は、Champollionの前に置かれることが多い。
その並びだけを見ると、物語は簡単になる。
Youngが挑戦した。
十分には解けなかった。
Champollionが完成させた。
しかし、この三行だけでは解読の核心に届かない。
重要なのは、Youngが何を証拠として、未知のヒエログリフへどこまでphonetic valueを置ける状態にしたのかである。
Youngの成果を正確に見ると、Champollionの突破も「天才が突然すべてを見抜いた」出来事ではなく、すでに見えていた部分規則をどこまで一般化できるかという次の問題として見えてくる。
したがって評価軸は、成功か失敗かではない。
証明できた範囲と、まだ証明できなかった範囲の境界である。
cartoucheは、名前だけでなく比較範囲を与えた
長い未知文の中から一つの名前を探すのは難しい。
どこからどこまでが一語なのか、どの記号が音を表すのかも分からないからだ。
そこで有力な手掛かりになったのが、王名を囲むcartoucheだった。
Greek textにはPtolemyの名がある。
Hieroglyphic側には、王名と考えられるcartoucheがある。
両者を対応させれば、未知の長文全体ではなく、境界のある記号列と既知の固有名を比較できる。
これは問題を大きく単純化する。
Ptolemyという名前に対して、cartouche内の各記号がどのようなsound valueを持つ可能性があるかを考えられるからだ。
Youngはこの比較から、一部のhieroglyphがroyal nameのsoundを書いていることを示した。
British Museumのobject recordも、Youngが王名の中で一部のhieroglyphがsoundsを書いていることを最初に示した人物として位置づけている。
cartoucheの価値を、王名が入っている目印としてだけ理解すると半分しか見えない。
未知の長文では、どこからどこまでを比較単位にするか自体が難しい。
しかしcartoucheが王名を囲むまとまりとして認識できれば、比較対象の範囲を切り出せる。
Greek側ではPtolemyというknown nameがある。
Hieroglyphic側では、王名候補のまとまりがある。
この二つを比べれば、研究者は全文の意味を知らなくても、限られた記号列についてsound correspondenceを考えられる。
つまりcartoucheは「答えが書かれた箱」ではない。
未知textの中から、検証可能な小さな問題を切り出す境界だった。
この性質があるから、Youngのphonetic analysisは思いつきではなく、parallel textの構造から導かれた研究になる。
「絵」から「音」へ進んだことの意味
一つのhieroglyphが音を表す。
現在の私たちには、それは特別な主張に見えないかもしれない。
しかし解読前の問題設定では、この一歩は大きい。
ヒエログリフの見た目は絵画的である。
そのため、記号は概念や象徴を直接表すものだという考え方に引かれやすい。
ところが王名の比較からsound valueを割り当てられるなら、少なくとも一部のhieroglyphは、見た目の意味だけではなくspoken nameの音と結びついていることになる。
ここで未知文字の研究は質的に変わる。
記号の象徴的な意味を推測するだけでなく、実際のnameを材料にphonetic correspondenceを検証できるようになる。
Youngの重要性は、このphonetic方向へ確かな足場を置いたことにある。
13のphonetic valuesという成果をどう扱うか
Royal College of Physiciansの解説は、YoungがPtolemyの比較を通じて13のsignについてphonetic valuesを提案したと説明している。
この「13」という数字は、Youngが完全なアルファベットを完成させたことを意味しない。
個々のsignとvalueを一覧で出すこともしない。
その詳細を正確に列挙するには、Youngの1819年の図版まで個別に照合し、彼自身の提案と後世の理解を分けなければならない。
証拠が保証する範囲を超えて評価を広げる必要はない。
YoungはPtolemyのcartoucheから複数のphonetic valueを提案し、一部hieroglyphの音価を具体的に研究可能な形へ進めた。
この段階で重要なのは数そのものより、方法である。
既知のnameを使う。
未知のcartoucheを対応させる。
記号を分解する。
sound valueの候補を置く。
別の名前や資料で確かめる。
この方法が、後の一般化へつながる。
YoungはDemoticも別問題として見ていなかった
Youngの仕事をPtolemyのcartoucheだけに縮めるのも不十分である。
Youngの研究をたどると、彼がDemoticとHieroglyphicの関係そのものを重要な問題として扱っていたことが分かる。
ここまで見てきた文字体系の整理で整理した通り、DemoticとHieroglyphicは別言語ではない。
どちらもEgyptian languageを記すscriptである。
Youngはこの二つの間にある関係へ注目した。
そのため彼の研究は、GreekからHieroglyphicへ一直線に進むだけではない。
Greek、Demotic、Hieroglyphicを行き来しながら、同じEgyptian languageが異なるscriptでどう表されるかを考える作業になる。
この三者比較は、Rosetta Stoneが「二言語・三文字体系」であることの研究上の意味を具体化している。
Demoticとの比較が与える追加の制約
未知のHieroglyphicだけにsound valueを置くと、その候補が正しいかどうかを確かめる材料は限られる。
しかし同じEgyptian languageを記すDemoticがあるなら、別のscriptから同じnameやwordへ接近できる可能性がある。
もちろん、Demoticの記号とHieroglyphicの記号が見た目で一対一対応するわけではない。
それでも、Greek側の既知情報、Demotic側のcandidate、Hieroglyphic側のcartoucheを組み合わせれば、仮説に複数の制約を加えられる。
Youngの研究が重要なのは、単一の「当たり記号」を見つけたからではない。
異なるscriptの関係を使ってphonetic analysisを進めたからである。
この点は前の記事の比較法から直接つながる。
YoungがDemoticとHieroglyphicの関係を研究した事実は、彼の仕事が一つのcartoucheだけに依存していなかったことを示す。
同じEgyptian languageを二つのscriptで見ることができれば、Hieroglyphic側の仮説を別の表記体系と比較できる。
ここで重要なのは、Demoticが単純な中間表記として「正解」を教えるわけではないことだ。
Demotic自体も解読対象だった。
だから研究者は、Greekというknown anchor、Demoticのname comparison、Hieroglyphicのcartoucheという複数の不完全な手掛かりを組み合わせる。
完全に読める資料一つと、完全に読めない資料一つの二者比較ではなく、確度の異なる複数の証拠を重ねる。
この研究の進め方を見ると、解読が一枚の石だけで完結しなかった理由も分かる。
1819年の公刊資料が示すYoungの到達点
YoungのEgyptian研究は、1819年のEncyclopaedia Britannica supplementにおける“Egypt”として一次史料が残っている。
その図版には多くのsignと語彙が整理されており、Youngの研究が一つの王名だけに限られていなかったことを具体物として確認できる。
しかし1819 workが存在する意味は大きい。
後世の要約だけでYoungの成果を評価するのではなく、彼がどの段階で何を整理していたかを一次史料へ戻って確認できるからだ。
解読史は優先権争いとして語られることがある。
そうした場面ほど、後世の人物評だけでなく、その時点で公表された研究そのものを基準にする必要がある。
Youngの仕事を正当に評価するには、「Champollionより先か後か」だけでなく、1819年時点でどの問題を研究可能な形にしていたかを見る。
Youngについて語るとき、後世のChampollion評価から逆算すると、成果が過小評価されることがある。
逆に優先権を強調しすぎれば、成果が過大評価されることもある。
一次史料へ戻れることは、この両方を避けるために重要である。
1819年の“Egypt”は、Youngが当時どの問題を扱い、どの段階まで整理していたかを確認できる資料である。
1819年にYoung自身の研究が公表されているため、その位置づけは後世の人物評だけに頼らず、当時の公刊資料から確認できる。そこには、後世の評価ではなく、Young自身がどの対応を重視し、どこまで説明しようとしていたかが残る。
一次史料へ戻る意味は、誰か一人を勝者に決めることではない。
その時点で公表されていた資料と、そこから言えた範囲を切り分けることにある。
1819年の『Egypt』は、Youngの途中経過を具体物として残している
Youngの仕事を評価するとき、「彼もphonetic valueに気づいていた」という要約だけでは具体的な根拠が足りない。1819年にEncyclopaedia Britannicaのsupplementへ掲載された“Egypt”は、現在も一次史料として確認できる。
Google Booksのbibliographic recordは、このworkにfive plates containing a hieroglyphical vocabularyが付されていたことを示す。Royal College of Physiciansの解説は、Youngが13のhieroglyphについてphonetic valuesを提案し、それを慎重に“Sounds?”と位置づけたこと、さらにDemoticとHieroglyphicの大量のvocabulary materialをまとめたことを説明している。
ここで数字の大きさを、正解数のように扱ってはいけない。提案されたentryのすべてが後世の理解と一致したわけではない。重要なのは、Youngの研究が「Ptolemyを一つ読んだ」という一点で終わっていなかったことである。
彼はロゼッタ・ストーンの各テキストの対応、デモティックとヒエログリフの関係、固有名、象徴的要素と表音的要素を一つの研究資料として整理しようとしていた。その成果と誤りの両方が公刊資料として残ったため、後続研究者は「Youngが何を知り、どこで止まったか」を後世の評判だけでなく文書から評価できる。
この一次史料を読むと、YoungをChampollionの前座にも、隠れた完全解読者にもする必要がなくなる。1819年時点の仮説を、その到達範囲のまま見ることができる。
Youngが証明したのは「phonetic signsがある」という重要な部分
Youngの成果を最も簡潔に言うなら、一部hieroglyphがroyal nameのsoundを書いていることを示した、となる。
これは「hieroglyphは音を表さない」という単純な見方を崩す。
しかし、ここから先に大きな分岐がある。
phonetic signsは、Ptolemyのようなforeign nameを表すときだけ使われる特例なのか。
それともEgyptian native namesや普通のEgyptian wordsにも使われる、writing systemの一般的な仕組みなのか。
この違いは決定的である。
前者なら、音を表すhieroglyphは外来名を書くための補助機能に留まる。
後者なら、Egyptian languageを読むための中心原理の一つになる。
Youngはこの境界を完全には越えなかった。
限界を「失敗」とせず、次のgeneralization条件として読む
Royal College of Physiciansの解説は、Youngがphonetic useをnon-Egyptian wordsの外へどこまで広げられるかについて確信を持てなかったことを示している。
British Museumの解説も、Champollionがこの点をさらに進めたことをYoungとの違いとして説明する。
ここで「Youngは間違っていた」とまとめると、研究過程を壊してしまう。
彼の一部phonetic readingが重要だったからこそ、次に「その原理はどこまで広いのか」という問いを立てられた。
適用範囲を限定しすぎたことと、発見そのものが無価値だったことは別である。
科学や歴史研究では、部分的に正しいモデルが次の研究を可能にすることがある。
Youngの位置は、その典型として読むことができる。
最も重要なのは、Youngに何が欠けていたかを「欠点」として列挙することではない。
残された問いを明確にすることである。
一部signがsoundを表すことは示せた。
royal nameでphonetic valuesを扱えた。
DemoticとHieroglyphicの関係も研究した。
しかしphonetic principleをnative Egyptian namesとEgyptian language全体へ広げるところには未確定が残る。
この未確定点が、そのまま次の問題になる。
phonetic readingはforeign rulersのnamesだけの特例なのか、それともEgyptian writing systemそのものの一般原理なのか。
Champollionの1822年を評価するとき、この問いを基準にすれば、逸話や人物神話に頼らずbreakthroughを説明できる。
partial modelと全体系の間
Ptolemyのnameを対象にしてsound valuesを考えることは、文字体系全体を読むこととは違う。
ここで重要になるのは、「解読」には複数の段階があるという点である。
Stage 1
特定の記号列をknown nameと対応させる
Stage 2
一部signへphonetic valueを置く
Stage 3
別のnameでも同じvalueが再現するか確認する
Stage 4
native Egyptian names / ordinary wordsへ広げる
Stage 5
phonetic以外のsign functionも含めwriting system全体を説明する
Youngは、この階段の重要な中段まで進んだ。
Champollionのbreakthroughは、その階段の続きを進める。
この連続性が見えれば、二人を勝敗で並べる必要はなくなる。
解読史を完成形から逆算すると、途中のモデルは不完全に見える。
しかし不完全であることと、役に立たないことは同じではない。
Youngが一部のroyal nameでphonetic valueを示せたなら、それは「少なくともこの条件では、hieroglyphがsoundを表す」という制約を追加する。
この制約は、後の研究者が採用できる。
もし別のnameでも同じvalueが再現すれば、適用範囲を広げられる。
再現しなければ、valueか前提のどちらかを修正する。
こうしてpartial modelは次のtestを生む。
解読の進展は、最初から完全なsystemを提示することだけでは測れない。
次の証拠で反証・拡張できるmodelを作ること自体が前進である。
Youngの仕事はこの位置にある。
Ptolemy以外の名前が示した次の段階
Youngの研究にはPtolemy以外のname比較も関係する。
Champollionの1824年のPrécisにも、YoungによるPtolemyやBereniceをめぐる試みへの言及があり、Ptolemy以外の名前も比較の射程に入っていたことが分かる。
個々の記号と音価の一覧を細かく追わなくても、研究上の到達点は見える。
理由は二つある。
PtolemyやBereniceをめぐる比較で見るべきなのは、個々のsignの一覧そのものより、Youngがどこまでphonetic principleを広げられたかという点である。
個々のsignを詳細に並べるには、1819年の図版を一つずつ照合し、Young自身の提案と後世の理解を区別する必要がある。
図版の細部は、Young自身の提案と後世の理解を分けて読む必要がある。その区別を保つことで、成果を過大にも過小にも評価せずに済む。
人物評価より、証拠の接続を見る
YoungとChampollionの関係を人物論だけで追うと、「どちらが本当の解読者か」という問いへ引かれる。
重要なのは別の点である。
どの証拠が、どの推論を可能にしたか。
Youngの場合、Ptolemy name、cartouche、Greek comparison、Demotic-Hieroglyphic relationが結びつく。
そこからphonetic valuesの一部が得られる。
しかしnative Egyptian namesやordinary Egyptian wordsへphonetic principleを一般化するところには未解決が残る。
この証拠の連鎖を追えば、人物の名声に依存せず成果を位置づけられる。
「外国人名だけかもしれない」という限定は、当時の重要な仮説だった
後から見ると、phonetic signsがEgyptian language全体にも使われることを知っているため、「なぜYoungはもっと広げなかったのか」と考えやすい。
だが研究中の視点では、適用範囲を慎重に限定することには理由がある。
Ptolemyのようなnameは、Egyptian native vocabularyとは異なる由来を持つ。
もしEgyptian scribesがforeign nameを書くときだけsound-based signsを特別に使ったのだとすれば、royal nameの成功例をordinary Egyptian wordsへそのまま広げるのは危険である。
確認した史料は、Youngがphonetic useをnon-Egyptian wordsの外へ十分一般化できなかったことを示す。
これを「思いつかなかった」と単純化しない。
一つのsuccessful caseからどこまでgeneralizationしてよいかが未解決だったと捉える。
この問いを正確に残すことで、Champollionの次の一歩の意味が明確になる。
一般化には、同じ規則が別カテゴリーでも働く証拠が必要になる
foreign nameでphonetic valueが機能する。
次に必要なのは、native Egyptian nameでも同じ原理が働くことを示す証拠である。
そこで同じsound valueが再現できれば、「foreign name専用」という限定は弱くなる。
さらにordinary Egyptian wordsでもphonetic signsが働くなら、phonetic principleはwriting systemの中心原理の一つとして位置づけられる。
この推論の連鎖が、Champollionの一般化を理解する手掛かりになる。
foreign royal name
→ partial phonetic value
→ native Egyptian name
→ broader phonetic principle
Youngの研究が残した未解決点は、そのまま次の段階の問いになる。
ここまでで、何を示せば一般化と呼べるのかが見えてくる。
答えを出すのはChampollionのArticleである。
Youngは「音」を問題の中心へ置いた
ここまでで確認できることは明確である。
YoungはPtolemyのcartoucheとGreek nameを比較し、一部hieroglyphのphonetic valuesを示した。
1819年にはその研究を公表している。
そして、phonetic principleをforeign namesの外へ十分に一般化するところには限界が残った。
つまりYoungの仕事は、失敗ではない。
hieroglyphがsoundを持つことを、具体的なcomparison problemとして前進させた部分解読だった。
その成果があるから、次の問いが鋭くなる。
phonetic signsは外国人名のためだけの例外なのか。
それとも、古代Egyptian自身のnamesやlanguageにも働くのか。
1822年、Champollionが突破するのはこの境界である。
その先では、9月14日の逸話、22日のLettre完成、27日のAcadémieでの発表を区別しながら、何が一般化されたのかを追う必要がある。
参考文献
検証ノート
確認した事項:YoungがPtolemy名の一部で音価を示した到達点。[1][2][3]
資料の読み分け:公的・博物館・公文書・査読資料が一致する範囲をSUPPORTEDとして採用した。Young単独で体系全体を解読した、または何も解けなかったという二分法を採らない。
直接引用:本記事では原文の長い直接引用を追加せず、検証可能な範囲を要約し、出典との対応を示した。