1993年4月19日、午前5時55分。
まだ日の出前のマウント・カーメルへ、2両の巨大な装甲車両が動き始めた。
FBI Hostage Rescue Teamが使用するCEV――Combat Engineering Vehicleである。
51日間続いた包囲を終結へ動かすため、この日FBIが始めたのはCSガスを使った強制退出作戦だった。
前日まで司法長官ジャネット・リノへ説明されていた計画では、作戦は数時間で終わらせるものではなかった。
一部の区画へCS剤を入れる。
待つ。
退出しなければ別の場所へ入れる。
それを繰り返し、48時間、場合によっては2~3日かけて内部の人々を外へ出す。
しかし、開始からわずか数分で前提が変わる。
午前6時04分。
FBI前方監視員から無線へ、
「compromise」
というコードが入った。
CEVへ向けて、マウント・カーメル内部から銃撃が行われている。
6時07分には複数の銃弾が装甲車へ跳ね返っていることが確認された。
承認されていた作戦には、撃たれた場合にはCSガス投入を一気に拡大する規定があった。
ここから、2~3日を想定していた作戦の速度が変わる。
約6時間後。
午後0時07分41秒。
上空の赤外線映像に、最初の火災が記録された。
その約3分後には、炎は建物の複数方向へ広がっていた。
午後0時11分。
巨大なマウント・カーメルは急速に火に包まれ始める。
51日間続いた包囲事件は、数分間の火災によって最終局面へ入った。
この記事で分かること
- 4月19日の作戦が何時に始まったのか
- FBIは最初にどのような警告を行ったのか
- 最初のCSガスはどこへ投入されたのか
- なぜ開始数分後にガス投入が拡大されたのか
- FBIは4月19日に建物へ発砲したのか
- 6時31分までに作戦がどこまで進んでいたのか
- 7時30分以降、なぜCEVが再び建物へ入ったのか
- 9時17分に正面玄関で何が起きたのか
- 電話回線をなぜ再接続しなかったのか
- 11時30分以降、建物への物理的損傷がなぜ拡大したのか
- 最初の火災は何時に確認されたのか
- 複数の出火地点はどの順番で確認されたのか
- どこまでが時系列上のFACTで、火災原因はどこから別問題になるのか
CASE FILE 19|ウェーコ包囲事件特集(全10回)
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第1回|ウェーコ包囲事件とは?|ATFの令状執行から51日間の包囲と炎上まで
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第2回|ブランチ・ダビディアンとは何者だったのか|デビッド・コレシュとマウント・カーメル
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第3回|なぜATFはマウント・カーメルを捜索しようとしたのか|武器捜査・潜入・令状まで
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第4回|ATFの令状執行はなぜ銃撃戦になったのか|1993年2月28日の現場を追う
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第5回|51日間の包囲で何が起きていたのか|FBIへの指揮移管と交渉の時系列
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第6回|なぜウェーコの交渉は終結しなかったのか|「七つの封印」とFBIの圧力戦術
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第7回|なぜFBIは4月19日に強制終結へ動いたのか|CSガス投入計画とジャネット・リノの決断
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第8回|現在の記事:1993年4月19日、マウント・カーメルで何が起きたのか|作戦開始から火災まで
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第9回|ウェーコの火災は誰が起こしたのか|出火点・FLIR映像・FBI発砲説を検証する
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第10回|ウェーコ事件は何を残したのか|裁判・議会調査・Danforth報告と法執行機関への影響
先に結論|4月19日は「最初から6時間で終わらせる作戦」ではなかった
この日の流れで最も重要なのは、
計画と実際の速度が違った
ことである。
4月18日、司法長官ジャネット・リノはクリントン大統領へ、
作戦が段階的に進められ、完了まで2~3日かかる可能性があると説明していた。
しかし4月19日の実際の進行はこうなった。
5:55
CEV展開
↓
6:00
最初のCS剤投入
↓
6:04~6:07
CEVへの発砲確認
↓
6:07以降
ガス投入を全体へ拡大
↓
9:17
正面玄関をCEVが突破
↓
11:30以降
後部への大規模な開口作業
↓
12:07:41
最初の火災を赤外線映像で確認
↓
12:11
火災が建物全体へ急速に拡大
なぜ速度が上がったのか。
第一の理由は、開始直後からCEVへ銃撃があったとFBIが判断したこと。
第二に、強風によってCS剤が想定より早く拡散したこと。
第三に、内部へガスを届かせるため建物への開口が次第に大きくなったこと。
こうした要素が積み重なった。
5時55分|2両のCEVが動き出す
4月19日午前5時55分、HRT指揮官リチャード・ロジャースは2両のCEVをマウント・カーメルへ展開させた。
CEV-1は建物正面左側へ。
CEV-2は建物右側へ。
建物内部にはまだ多数のBranch Davidian構成員が残っている。
FBIはこの時点で、武装した直接突入を始めたわけではない。
車両の目的は、
装甲の内側から安全にCS剤を建物へ投入すること
だった。
一方、ワシントンD.C.のFBI本部では、司法長官や司法省幹部、FBI幹部がSIOCに集まり、CNN映像と現場からの音声回線で作戦を監視していた。
5時56分|FBIは電話をかける
CEVが動き始めてから約1分後。
主任交渉担当バイロン・セージがマウント・カーメルへ電話をかけた。
スティーブ・シュナイダーを電話へ出すよう求めた。
相手が電話へ出るまで約3分かかった。
5時59分|「これは突入ではない」
午前5時59分。
施設内の人物が電話へ出た。
セージは、
「建物へ催涙剤を入れ始める」
「これは突入ではない」
「FBIは建物内部へ入らない」
という趣旨を伝えた。
しかし電話は、その直後に建物の外へ投げ出された。
これによって通常の電話交渉経路は途切れた。
セージは大型スピーカーに切り替えた。
その後、火災が起きるまで、
外へ出ること。
武器を撃たないこと。
これは建物への武装突入ではないこと。
などを繰り返し放送する。
6時00分|最初のCS剤投入
午前6時00分。
セージが施設へ警告したことを確認すると、ロジャースはCEV-1へ最初の投入命令を出した。
使用したのはMark Vと呼ばれる液体CS剤投入装置だった。
CEVの長いブームを1階窓付近へ位置させ、
液体CS剤を建物内部へ噴射する。
最初の命令は、
4本搭載されたボトルのうち2本だけを使用し、その後待機する
というものだった。
ここには当初の「段階的作戦」がまだ残っている。
6時04分|無線に「compromise」
開始から約4分。
前方監視地点Sierra Oneから無線が入った。
コードは
「compromise」。
これは、マウント・カーメル内部からCEVへ発砲しているのが確認されたことを意味した。
HRT指揮官ロジャースは確認を求めた。
6時06~07分|CEVへ弾丸が当たっていると確認
6時06分、後方の戦術指揮所からも、
CEVへ弾丸が当たっているとの情報が入った。
6時07分。
Sierra Oneの監視員は、複数の弾丸がCEVへ命中し、跳ね返っていると報告した。
自動火器による発砲も含まれているとされた。
ロジャースは全部隊へ
「compromise」
を発令した。
この瞬間、作戦は第2段階へ移った。
FBIは撃ち返さなかった
承認された作戦計画には、
Branch Davidiansが発砲した場合、FBIの通常の交戦規則に従い必要であれば致死的な武力を使うことができると書かれていた。
しかし4月19日のCSガス作戦中、
FBIは建物へ発砲しなかった
というのが1993年DOJ報告の記録である。
FBIが選んだのは、
銃撃で応じることではなく、
CS剤投入を拡大することだった。
この点は、後に「FBIが火災中に建物へ発砲していたのではないか」というFLIR映像論争と直接つながる。
その問題は第9回で別に検証する。
6時07~31分|「一部」から「建物全体」へ
発砲確認後、当初の限定投入は終了した。
CEVだけでなく、4両のBradleyからもFerret弾を使ってCS剤を投入する。
6時14分。
6時18分。
監視員は依然としてCEVへ銃撃が続いていると報告した。
午前6時31分。
HRTは
建物全体へのガス投入を一通り完了した
と報告した。
ロジャースはここでいったんガス投入を停止する。
CEVはMark Vを再装填するため現場を離れた。
再装填には約1時間かかった。
つまり開始約30分で、一度目の全面投入は終わっている。
6時12分以降|FBIは電話交渉を戻そうとしていた
ガス投入と並行して、交渉担当は電話回線の復旧を試みた。
6時12分、施設へ電話をかける。
6時24分には、
「電話が使えず、話をしたいなら白い旗を出してほしい」
という趣旨をスピーカーで伝えた。
一時白い布が窓に出たが、すぐに別の暗い布へ交換された。
FBI側は、
降伏を意味する白旗と誤解されることを施設側が嫌った可能性があると解釈した。
6時45分|2分後に再投入すると警告
6時45分、セージは、
「2分以内に外へ出なければ、さらにガスを入れる」
という趣旨を放送した。
6時47分。
BradleyからFerret弾の投入が再開された。
FBIは、人の動きや発砲が確認された窓を中心にCS剤を入れていった。
6時50~53分|再びBradleyへ発砲
6時50分から53分にかけて、建物後方・左側からBradleyへ向けた発砲が確認された。
その後もしばらく散発的な銃撃が続いた。
午前7時04分、
HRTはすべての側面へのガス投入を終えたと報告した。
午前7時09分には、
Ferret弾を窓から各区画へ投入したものの、
一部を除いて壁そのものは十分に貫通できていないことが報告された。
ここで別の問題が明確になる。
CS剤を撃ち込んでも、
建物の奥へ十分届いていない可能性
があった。
強風|投入しても外へ流れていく
4月19日のウェーコでは強い風が吹いていた。
DOJ報告では、最大35ノット程度の突風が報告されている。
この風はFBIに二重の問題を与えた。
液体CS剤やエアロゾル化した成分が建物内部へ十分残らず、外へ拡散しやすい。
つまり、
投入量を増やしても、期待した濃度を維持できない。
FBIは建物へより確実にCS剤を届けるため、
物理的な開口を増やしていく。
7時30分|CEVが再び建物へ
再装填を終えた2両のCEVが午前7時30分に再展開された。
CEV-1は建物正面右側へ進み、
1階部分へ開口を作りながらCS剤を投入した。
その直後、
再び建物内部からCEVへ発砲があったとFBIは記録している。
午前7時58分には、
CEV-2が建物後方右側の2階へ穴を開けた。
7時45分|FBIはFerret弾を追加で探し始める
この時点でFBIは大量のFerret弾を消費していた。
7時45分、ワシントン側のFBI幹部はQuanticoを通じ、
全国のFBI支局へ追加弾を探すよう指示した。
午前9時20分には、ヒューストン支局から追加48発が現場へ届いている。
重要なのは、この動きが何を意味しているかである。
FBIはこの時点でも
「まもなく作戦が終わる」と考えていなかった。
さらに午後まで続く可能性を想定していた。
8時01分|午後2時の燃料補給まで準備していた
8時01分、FBIはNational Guardへ、
午後2時にCEVとBradleyへ燃料を補給できるよう準備を求めた。
火災が起きる約4時間前である。
この記録は重要である。
少なくとも午前8時時点のFBIは、
「正午までに建物を破壊する」
というスケジュールで動いていなかった。
午後も作戦を継続する可能性を現実に想定していた。
9時10分|「電話を直してほしい」
午前9時10分。
建物正面の窓に横断幕が出された。
内容は、
「We want our phone fixed」
――電話を直してほしい。
FBIとの通信経路を戻してほしいという意思表示だった。
これだけを見ると、
交渉再開の可能性があったようにも見える。
しかし、その7分後に物理的な状況がさらに変化する。
9時17分|CEVが正面玄関を突破
午前9時17分。
再び前線へ戻ったCEV-1が建物の正面玄関を突破した。
穴が大きくなったことで、
HRTの狙撃観測員は建物の1階と2階内部を見通せるようになった。
これは、
「ガスを窓から入れる」
という作戦から、
「CEVで建物へ大きな開口を作る」
方向への変化がはっきり現れる場面である。
9時28分|現場指揮側が作戦を再検討
9時28分。
HRT指揮官ロジャースは、現場指揮官ジェフ・ジェイマーらと今後の行動を協議した。
問題は複数あった。
- Ferret弾を大量に消費している
- CEV-2に機械的なトラブルが発生した
- 強風でCS剤が拡散している
- Branch Davidiansが依然として退出しない
そこでCEV-1は、
建物正面中央部の開口をさらに大きくすることになった。
DOJ報告では、
内部の人々が外へ出るための大きな退出路を作る
ことが理由の一つとされている。
故障したCEV-2の乗員は、
CS投入装置を持たない別のCEVへ乗り換える。
その車両は建物後方へ穴を作り、
避難路とガス投入経路を増やす役割を与えられた。
電話は、なぜ直されなかったのか
9時35分、FBI交渉担当は、
外へ投げ出されていた電話機を一人が取りに出るよう放送した。
9時49分から54分にも、
電話接続について施設へ呼びかけた。
ただしFBIは、
「本当に降伏について話す意思が明確になれば回線を再接続する」
という条件を付けた。
電話を直すにはFBI捜査官が開けた場所まで歩いて出る必要がある。
その朝、CEVやBradleyにはすでに繰り返し発砲が確認されていた。
FBIは、
明確な降伏意思がない状態で捜査官を無防備な場所へ出すことを拒否した。
Branch Davidianのグレーム・クラドックが外へ出て電話機を持ち上げたが、
FBIが求めていた降伏意思を示す合図は行わなかった。
回線は再接続されなかった。
10時00分|司法長官はSIOCを離れる
午前10時。
ジャネット・リノはワシントンのSIOCを離れ、以前から予定されていた司法関係の会議へ向かった。
これも当時の認識を知る重要な記録である。
リノは作戦がまだ数時間以上続くと考えており、
急激な最終局面が迫っているとは認識していなかった。
少なくとも午前10時時点では、
約2時間後に建物全体が炎上することを政府側は予測していなかった。
11時30分|再び作戦が大きく動く
午前中後半は、一時活動が落ち着いた。
BradleyからのFerret弾投入は続いたが、
大きなCEVの動きは減っていた。
11時30分。
作戦の速度が再び上がる。
代替CEVが建物後方へ進み、
倉庫・体育館に近い後部右側を大きく開口し始めた。
DOJ報告によれば目的は、
- 新しい退出経路を作る
- CS剤を入れる場所を増やす
ことだった。
11時27~30分|FBIはまだ電話をかけていた
11時27分。
交渉担当者は、回線が壊れている可能性が高いにもかかわらず、もう一度施設へ電話した。
20回呼び出した。
誰も出なかった。
11時30分にも再び電話したが、応答はなかった。
同時にスピーカーから退出を呼びかけ続けた。
11時40分|最後のFerret弾
DOJの時系列では、
最後のFerret弾投入は午前11時40分ごろ
だった。
午後0時までの6時間で、
CEVによる液体CS剤投入は合計6回行われたと記録されている。
11時45分|建物後部の壁が崩れる
午前11時45分。
CEVによる開口作業で、建物右後方の壁の一部が崩壊した。
FBI前方指揮所からは、
施設内部を直接見ることができるほど大きな開口になったと報告された。
この段階になると、建物は朝6時の形状から大きく変わっている。
外壁には複数の穴があり、
一部は大きく崩れていた。
この建物損傷が、
- 内部の移動経路
- 避難可能性
- 火災時の空気流入
- 火災拡大
へどの程度影響したのかは、後に議論となる。
ただし、
「CEVが壁を壊した」ことと「そのため火災が発生した」ことは同じ主張ではない。
火災原因は別に検証する必要がある。
12時01分|最後まで退出を呼びかける
午後0時01分。
交渉担当者はスピーカーから、
建物から出るよう再び呼びかけた。
CEVが扉・開口部を広げているのは退出を容易にするためだ、という趣旨の放送も行われた。
しかし集団退出は始まらなかった。
12時06~08分|最後のCEV接触
公式Arson Reportでは、
CEVによる建物との最後の物理的接触は
午後0時06分ごろ
と整理されている。
正面右側・南東側付近の1階外壁の一部が取り除かれた。
DOJ本体の時系列では、
午後0時08分ごろCEV-1が建物正面右側から後退したと記録されている。
この時点まで、
約6時間に及ぶCEVと建物の断続的な接触中に
火災は確認されていなかった
というのが1993年公式火災調査の記録である。
12時07分41秒|最初の火災を赤外線映像が記録
午後0時07分41秒。
上空を飛行していたFBI機の赤外線映像に、
最初の火災が確認された。
場所は、
建物正面側・2階・南東角
だった。
ここで重要なのは、
「最初にテレビ映像で煙が見えた時間」と
「赤外線映像を後から解析して確認された最初の火災時間」
が違うことである。
地上から肉眼で煙が明確になる前に、
赤外線映像にはすでに火災が写っていた。
12時08分49秒|別の場所ですでに火災
最初の火災確認から約1分後。
午後0時08分49秒。
建物中央部1階、
食堂付近に別の火災が確認された。
この火災は、
映像上で初めて見えた時点ですでに初期段階を過ぎていた。
つまり、
実際の着火は0時08分49秒より前
だった可能性が高いと火災調査チームは判断している。
12時09分30秒|最初の火災が部屋全体へ
0時09分30秒。
南東角2階で始まった最初の火災は、
すでに部屋全体へ広がる段階まで成長した。
その12秒後、
0時09分42秒には窓から炎が外へ吹き出している。
12時09分45秒|3か所目の火災
午後0時09分45秒。
今度は建物東側1階、
礼拝堂付近で新しい火災が確認された。
この火災は非常に速く成長した。
12時10分22秒|体育館へ延焼
3番目の火災確認から約37秒。
0時10分22秒には炎が体育館部分へ大きく広がっていた。
複数の区画でほぼ同時に火勢が強くなる。
12時11分|建物全体へ急拡大
午後0時11分。
火災は急速に建物全体へ拡大し始めていた。
最初の赤外線上の確認から、
わずか約3分20秒。
この短時間で、
南東側2階、
中央部1階、
東側礼拝堂付近という離れた区画で火災が確認されている。
1993年の公式火災調査が
複数の独立した出火地点
という結論へ至った最大の根拠の一つが、この時間差と位置関係だった。
ここから先は「時系列」と「原因」を分ける
ここまでで確実に整理できるのは、
いつ、どこで、何が確認されたか
である。
一方、
誰が、何を使って、なぜ火をつけたのか
は別の問題である。
1993年の司法省・火災調査は、
Branch Davidian側による意図的放火と結論づけた。
複数出火点。
可燃性液体。
施設内部の会話記録。
生存者の証言。
などが根拠として挙げられた。
しかし後年には、
- FBIが使用した発火性催涙弾
- FLIR映像の閃光
- FBIによる発砲疑惑
- CEVによる建物損壊
- CS剤と火災の関係
などをめぐり再調査が行われる。
そのため本記事では、
「公式調査がそう結論づけた」ことと、「論争まで完全に消えた」ことを同一視しない。
FBIは本当に4月19日に一発も撃たなかったのか
1993年司法省報告では、
CSガス作戦中、
FBIはマウント・カーメルへ一発も発砲しなかった
とされている。
一方、
Branch Davidians側からCEV・Bradleyへ発砲があったことは複数時刻で記録されている。
しかし後年、
FBI航空機が撮影したFLIR映像に映る閃光を
「FBI側からの銃口炎」と解釈する主張が現れた。
この問題は大規模な再調査へ発展した。
したがって本シリーズでは、
1993年FBI・DOJ記録
↓
後年のFLIR発砲説
↓
追加実験・Danforth調査
という順番で検証する。
「CSガスが火をつけた」という説明も分けて考える
もう一つ重要なのが、
CSガスと火災の関係である。
4月19日に大量のCS剤が使用されたのは事実である。
しかし、
「CSガスがあった」
ことと
「CSガスそのものが火災の着火源だった」
ことは同じではない。
また、後年FBIが認めることになる
発火性を持つ催涙弾の使用
についても、
何時、どこへ、何発使われたのかを確認する必要がある。
ここも第9回で扱う。
FACT CHECK|4月19日の約6時間
| 主張 | 判定 | 確認できること |
|---|---|---|
| 4月19日の作戦は午前5時55分ごろ始まった | FACT | HRT指揮官が2両のCEVを展開 |
| 最初からFBI部隊が徒歩で建物へ突入した | FALSE | 初動は装甲車両からのCS剤投入だった |
| FBIは作戦開始前に施設側へ警告した | FACT | 5時59分ごろ電話でCS剤投入を告知し、その後スピーカーで繰り返した |
| 最初のガス投入直後にCEVへの発砲が確認された | FACT | 6時04~07分に複数の無線報告が記録されている |
| FBIはCEVへの銃撃に対して建物へ銃撃で応戦した | DOJ記録ではFALSE | 1993年DOJ報告はFBIが作戦中一発も発砲しなかったとしている。後年の異論は第9回で検証 |
| 当初計画どおり一部だけにガスを入れ続けた | FALSE | 発砲確認後、承認計画の規定に従って建物全体へ投入を拡大 |
| 6時31分には一度建物全体へのガス投入を終えていた | FACT | HRTが全面投入完了を報告し、CEVは再装填へ下がった |
| 午前8時時点でFBIは正午までの終了を予定していた | FALSE | 午後2時の車両燃料補給まで手配していた |
| 9時10分に施設側が電話復旧を求めた | FACT | 「We want our phone fixed」と書かれた幕が掲げられた |
| FBIは電話復旧要求を完全に無視した | FALSE | 交渉担当は復旧条件を示したが、捜査官を危険地域へ出すため明確な降伏意思を要求した |
| 9時17分にCEVが正面玄関を突破した | FACT | DOJ公式時系列に記録 |
| 11時45分には建物後部の壁の一部が崩壊していた | FACT | CEVによる開口作業で大規模な損傷が発生 |
| CEVが建物へ接触した瞬間に火災が発生した | SUPPORTEDされず | 公式火災調査では約6時間の接触中に火災は確認されず、最初の赤外線上の火災確認は12:07:41 |
| 火災は一か所から徐々に建物全体へ広がった | 公式調査ではFALSE | 離れた3地点で短時間のうちに火災が確認された |
| 12時11分ごろには火災が建物全体へ急速に広がっていた | FACT | 赤外線映像・地上映像を用いた公式火災時系列で確認 |
4月19日|分単位の時系列
| 時刻 | 出来事 |
|---|---|
| 5:55 | HRT指揮官Rogersが2両のCEVをMount Carmelへ展開 |
| 5:56 | 主任交渉担当Byron Sageが施設へ電話 |
| 5:59 | FBIがCSガス投入を告知。「これは突入ではない」と説明。電話が外へ投げ出される |
| 6:00 | CEV-1が正面左側からMark Vによる最初の液体CS剤投入 |
| 6:04 | Sierra OneがCEVへの発砲を示す「compromise」を無線報告 |
| 6:06 | CEVに弾丸が当たっているとの追加報告 |
| 6:07 | 発砲を再確認。Rogersが全体へ「compromise」。ガス投入を拡大 |
| 6:12 | 交渉班が電話連絡回復を試みる |
| 6:14 / 6:18 | CEVへの発砲継続を報告 |
| 6:24 | 電話復旧を望むなら白旗で合図するよう放送 |
| 6:31 | 建物全体への一巡目のガス投入を完了。CEVは再装填へ |
| 6:45 | 2分以内に退出しなければガスを再投入すると放送 |
| 6:47 | BradleyからFerret弾投入を再開 |
| 6:50~6:53 | Bradleyへの発砲を確認 |
| 7:04 | 各側面へのガス投入完了を報告 |
| 7:09 | Ferret弾が多くの壁を十分に貫通できていないことを報告 |
| 7:30 | 再装填したCEVを再展開。正面右側へ開口しながらガス投入 |
| 7:45 | FBI本部が追加Ferret弾の確保を各支局へ指示 |
| 7:58 | CEV-2が後方右側2階へ開口 |
| 8:01 | 午後2時のCEV・Bradley燃料補給をNational Guardへ依頼 |
| 9:10 | 施設側が「We want our phone fixed」の幕を掲示 |
| 9:17 | CEV-1が正面玄関を突破 |
| 9:20 | Houston FBIから追加Ferret弾48発が到着 |
| 9:28 | Rogers、Jamarらが作戦継続方法を協議 |
| 9:35 | 電話を取りに出るよう施設へ指示 |
| 9:49~9:54 | 電話再接続には明確な降伏意思が必要と放送 |
| 10:00 | Reno司法長官がSIOCを離れる。作戦はまだ長時間続くと認識 |
| 11:27 | FBIが施設へ再度電話。応答なし |
| 11:30 | 代替CEVが後部右側・体育館周辺へ大規模な開口作業を開始 |
| 11:40ごろ | 最後のFerret弾投入 |
| 11:45 | 建物後部右側の壁の一部が崩壊 |
| 12:01 | FBIがスピーカーで改めて退出を要求 |
| 12:06ごろ | 公式Arson Report上、最後のCEVによる建物接触 |
| 12:07:41 | 赤外線映像上、南東側2階で最初の火災を確認 |
| 12:08ごろ | CEV-1が正面右側から後退 |
| 12:08:49 | 中央部1階・食堂付近で別の火災を確認 |
| 12:09:30 | 最初の火災が部屋全体へ広がる |
| 12:09:42 | 2階窓から炎が吹き出す |
| 12:09:45 | 東側1階・礼拝堂付近で3か所目の火災を確認 |
| 12:10:22 | 3番目の火災が体育館へ急速に拡大 |
| 12:11 | 火災が建物全体へ急速に広がる |
約6時間で、当初計画はどう変わったのか
| 当初の想定 | 4月19日の実際 |
|---|---|
| 限定区画から段階的にCS剤を入れる | 開始直後の発砲確認で全窓への投入へ拡大 |
| 退出を待ちながら2~3日かける可能性 | 6時間以内に建物への開口が大幅に拡大 |
| 一部にガスを入れて反応を見る | 強風と抵抗でCS剤の効果が弱く、投入回数・場所が増加 |
| 48時間後までに出なければ解体を検討 | 午前中から一部の壁・正面玄関・後部に大きな開口を作成 |
| 退出経路を確保する | 複数の大規模開口ができ、建物構造自体が変化 |
司法省による後年の事後評価は、
午前中に行われた一部の建物解体について、
承認された計画からの「apparent deviation」
があったと評価している。
つまり政府自身も、
4月19日のすべての動きが当初の48時間計画そのままだったとは評価していない。
なぜ建物を壊したのか
CEVによる破壊だけを見ると、
FBIが建物そのものを壊すことを目的としていたように見える。
FBI側の説明では主な目的は三つだった。
- CS剤を建物の奥へ届かせる
- 内部の人々が外へ出られる開口部を作る
- Branch Davidiansが射撃位置として使う場所を使用しにくくする
一方で、
結果として建物内部の構造が大きく変化したことも事実である。
とくに11時30分以降の体育館周辺への大規模開口については、
事件後に安全性・避難経路への影響が検証された。
ここでは、
FBIが説明した目的
と
実際に建物へ生じた結果
を分けて見る必要がある。
火災は3分ほどで「局所火災」ではなくなった
12時07分41秒。
最初の火災。
12時08分台。
別地点。
12時09分45秒。
3地点目。
12時11分。
建物全体へ急速拡大。
最初の確認から約3分である。
巨大な施設でありながら、
火災がこれほど短時間で広がったことが、
ウェーコ最終日の被害を決定的なものにした。
まとめ|4月19日は「突入して燃えた」の一文では説明できない
4月19日午前5時55分。
FBIは2両のCEVを動かした。
午前6時、
限定された区画へ最初のCS剤を入れた。
4分後には、
建物内部からCEVへ発砲しているという無線報告が入った。
そこで、承認されていた緊急時の規定に従ってガス投入が拡大された。
FBIは銃撃で応戦せず、
CS剤と装甲車両による作戦を続けたというのが1993年司法省報告の記録である。
6時31分には一度建物全体へのガス投入を終えていた。
それでも誰も集団退出しなかった。
強風でガスが流れる。
Ferret弾が壁を十分に貫通しない。
CEVが建物へ穴を作る。
9時17分には正面玄関を突破した。
11時45分には後部の壁の一部が崩壊していた。
しかしFBIは午前8時の時点で午後2時の燃料補給まで準備しており、
午前10時にリノ司法長官がSIOCを離れた時点でも、
作戦はさらに何時間も続くと考えられていた。
正午。
CEVによる接触が終わりに近づく。
そして午後0時07分41秒。
最初の火災が赤外線映像に現れる。
約1分後、離れた別地点。
さらに約1分後、3地点目。
0時11分には炎が施設全体へ広がっていた。
ここまでが、時間軸として確認できる4月19日の流れである。
しかし、最大の疑問はまだ残っている。
なぜ3か所で短時間のうちに火災が始まったのか。
FBIが火をつけたのか。
Branch Davidiansが放火したのか。
CSガスは燃えたのか。
後に発覚した発火性催涙弾は関係したのか。
FLIR映像に映る閃光は銃撃なのか。
次回は、ウェーコ事件でもっとも論争の大きい
火災原因とFBI発砲説
を、証拠ごとに分けて検証する。
今回出てきた言葉
Compromise
4月19日のHRT無線で使われたコード。施設側からFBI車両への発砲が確認されたことを示し、この報告によってCS剤投入のペースが拡大された。
Mark V
CEVのブームに取り付けられた液体CS剤投入システム。二酸化炭素を利用し、液体CS剤を建物内部へ噴射した。
Ferret Round
40mmランチャーから使用する液体催涙剤入りの弾。Bradleyから窓などを通じて建物内部へ投入された。
Sierra One
FBI HRTの前方監視地点の一つ。4月19日早朝、CEVへの発砲を確認し「compromise」を報告した。
CEV
Combat Engineering Vehicle。M60系車体を使用した工兵車両。CS剤投入、開口作業、障害物処理などに用いられた。
FLIR
Forward Looking Infrared。赤外線を利用して熱源を映像化する装置。4月19日の火災開始時刻・出火地点の分析に使われ、後にはFBI発砲説をめぐる論争でも重要な証拠となった。
- 第1回|ウェーコ包囲事件とは?|ATFの令状執行から51日間の包囲と炎上まで
- 第2回|ブランチ・ダビディアンとは何者だったのか|デビッド・コレシュとマウント・カーメル
- 第3回|なぜATFはマウント・カーメルを捜索しようとしたのか|武器捜査・潜入・令状まで
- 第4回|ATFの令状執行はなぜ銃撃戦になったのか|1993年2月28日の現場を追う
- 第5回|51日間の包囲で何が起きていたのか|FBIへの指揮移管と交渉の時系列
- 第6回|なぜウェーコの交渉は終結しなかったのか|「七つの封印」とFBIの圧力戦術
- 第7回|なぜFBIは4月19日に強制終結へ動いたのか|CSガス投入計画とジャネット・リノの決断
- 第8回|現在の記事:1993年4月19日、マウント・カーメルで何が起きたのか|作戦開始から火災まで
- 第9回|ウェーコの火災は誰が起こしたのか|出火点・FLIR映像・FBI発砲説を検証する
- 第10回|ウェーコ事件は何を残したのか|裁判・議会調査・Danforth報告と法執行機関への影響
出典・参考資料
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U.S. Department of Justice — Report to the Deputy Attorney General on the Events at Waco, Texas: The Events of April 19, 1993
5:55のCEV展開、5:59の電話警告、6:00のCS剤投入、6:04~07の発砲確認、7:30以降の再投入、9:17の正面玄関突破、電話再接続問題、11:30以降の開口作業、12時前後の作戦進行を確認するための主要資料。
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U.S. Department of Justice — Appendix D: Arson Report
CEVによる最後の建物接触時刻、12:07:41以降の火災発生時刻、3つの出火地点、火災拡大の秒単位時系列を確認するために使用。
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U.S. Department of Justice — The Aftermath of the April 19 Fire
3地点の位置関係と火災拡大時刻について、火災調査結果を再確認するために使用。
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U.S. Department of Justice — Evaluation of the Handling of the Branch Davidian Stand-Off in Waco, Texas
承認された段階的CSガス計画と、実際の4月19日午前中の建物開口・解体行動との差についての事後評価を確認するために使用。
本記事は4月19日の「時系列」を扱う記事であり、火災原因について最終判断する記事ではありません。
1993年司法省報告は、5:55以降のFBI無線、HRT記録、交渉記録、CEV運用記録をもとに非常に詳細な時間軸を提示しています。本記事では、これらから「何時にどの行動・観測が記録されたか」を主として採用しています。
一方、同報告は火災についてBranch Davidiansによる意図的放火と結論づけていますが、この因果評価は本記事では時系列上のFACTと同一視していません。火災原因、可燃性液体、施設内部の録音、発火性催涙弾、FLIR映像、FBI発砲疑惑、後年のDanforth調査は第9回で個別に扱います。
また、1993年DOJ報告では4月19日のCSガス作戦中にFBIは建物へ発砲しなかったとされています。この主張に対して後年FLIR映像を根拠とする異論が出たため、本記事では「DOJ記録では」と主体を明記し、完全な検証結果は次回へ送っています。
CEVによる建物損壊についても、FBI側はCS剤投入・射撃位置無力化・退出経路確保を目的として説明していますが、それが内部の避難や火災拡大へどの程度影響したのかは別論点です。
なお、火災調査では最初の火災を12:07:41、第二地点を12:08:49、第三地点を12:09:45としています。これは赤外線・映像解析による「最初に観測された時刻」であり、各地点の実際の着火時刻と完全に同一とは限りません。