1993年2月28日、日曜日の朝。
デビッド・コレシュは、マウント・カーメルの中でATFの潜入捜査官ロバート・ロドリゲスと聖書について話していた。
その途中で、外から情報が入った。
ATFが来る。
州兵も来る。
潜入捜査を続けていたロドリゲスは、コレシュの様子が変わったことに気づいた。
共同体を出た彼はATF側へ連絡し、コレシュが作戦について知った可能性が高いことを報告した。
ATFが準備していたのは、相手が十分な武器を手に取る前に建物へ入り、短時間で令状を執行する作戦だった。
その成立条件の一つが「奇襲性」である。
しかし、その条件は崩れた可能性があった。
それでも作戦は続行された。
午前9時30分ごろ、約75人のATF捜査官を乗せた牛運搬用トレーラーがマウント・カーメルへ到着する。
捜査官たちは車両から飛び降り、正面玄関と屋根へ向かった。
その直後、銃声が始まった。
約2時間半後、ATF捜査官4人が死亡し、多数が負傷していた。
ブランチ・ダビディアン側にも死傷者が出た。
逮捕・捜索令状の執行として始まった作戦は、この朝、武装した共同体を取り囲む長期事件へ変わった。
この記事で分かること
- ATFが2月28日にどのような作戦を予定していたのか
- なぜ「奇襲」が作戦成立の重要条件だったのか
- 潜入捜査官ロバート・ロドリゲスは当日の朝に何を知ったのか
- ATF指揮官は奇襲性喪失の情報をどこまで把握していたのか
- なぜそれでも作戦は続行されたのか
- 牛運搬用トレーラーとヘリコプターにはどのような役割があったのか
- 正面玄関と屋根で何が起きたのか
- 「誰が最初に撃ったのか」はどこまで確認できるのか
- ヘリコプターからATFが発砲したという主張は確認されたのか
- 銃撃戦はどのように停戦へ向かったのか
CASE FILE 19|ウェーコ包囲事件特集(全10回)
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第1回|ウェーコ包囲事件とは?|ATFの令状執行から51日間の包囲と炎上まで
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第2回|ブランチ・ダビディアンとは何者だったのか|デビッド・コレシュとマウント・カーメル
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第3回|なぜATFはマウント・カーメルを捜索しようとしたのか|武器捜査・潜入・令状まで
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第4回|現在の記事:ATFの令状執行はなぜ銃撃戦になったのか|1993年2月28日の現場を追う
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第5回|51日間の包囲で何が起きていたのか|FBIへの指揮移管と交渉の時系列
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第6回|なぜウェーコの交渉は終結しなかったのか|「七つの封印」とFBIの圧力戦術
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第7回|なぜFBIは4月19日に強制終結へ動いたのか|CSガス投入計画とジャネット・リノの決断
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第8回|1993年4月19日、マウント・カーメルで何が起きたのか|突入開始から火災まで
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第9回|ウェーコの火災は誰が起こしたのか|出火点・FLIR映像・FBI発砲説を検証する
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第10回|ウェーコ事件は何を残したのか|裁判・議会調査・Danforth報告と法執行機関への影響
先に結論|失敗の核心は「令状」ではなく、奇襲を前提にした作戦を続行したことにある
2月28日の失敗を考えるとき、最初に三つの問題を分ける必要がある。
| 論点 | 確認できること |
|---|---|
| 逮捕・捜索する法的根拠があったか | 連邦判事が2月25日に逮捕令状・捜索令状を発付していた |
| 2月28日の執行方法が適切だったか | 事件後、作戦計画と指揮判断について重大な批判が行われた |
| 誰が最初に撃ったのか | 証言は対立。後の議会調査はDavidians側が先に撃った可能性が高いとしたが、決定的には解明できないとした |
つまり、ATFに有効な令状があったからといって、採用された戦術が自動的に正しかったことにはならない。
逆に作戦計画に重大な問題があったからといって、令状自体が無効だったことにもならない。
2月28日の最大の作戦上の問題は、
相手が準備する前に建物へ入ることを前提にした強制突入計画を、相手が作戦を知った可能性が高いという情報を得たあとも続行したこと
にあった。
ATFが準備した「Operation Trojan Horse」
ATFが2月28日に計画していた令状執行作戦は、後年のATF資料でOperation Trojan Horseと呼ばれている。
基本的な考え方は長期包囲ではない。
約75人のATF捜査官が一気にマウント・カーメルへ接近し、建物内の人々が大量の武器へアクセスする前に重要区画を確保する。
ATFの作戦資料では、三つのSpecial Response Team(SRT)と複数の支援チームが投入される計画だった。
| 部隊・手段 | 予定された役割 |
|---|---|
| 牛運搬用トレーラー | 多数の捜査官を施設正面まで一度に輸送する |
| 正面突入チーム | 玄関から建物内部へ入り、主要部分を確保する |
| 屋根側チーム | 屋根から2階へ入り、武器庫とみられる区画を確保する |
| 女性・子ども担当チーム | 非戦闘員がいると予想された区域を確保する |
| 周辺確保チーム | 埋設されたスクールバスや作業区域などを確保する |
| 前方監視員 | 長距離銃を用意し、捜査官などの生命に差し迫った危険がある場合に援護する |
| ヘリコプター | 建物から離れた位置を飛行して注意を引き、地上部隊の接近を補助する |
ここで、正面突入チームと屋根側チームが向かおうとしていた建物内部の大きな配置を確認しておく。

マウント・カーメル施設の1階平面図。ATF公式ギャラリー掲載資料で、居住区、食堂・厨房、階段などの大きな配置を確認できる。
図自体はATF捜査官の進入線、個々の配置、発砲位置を示した戦術図ではない。
原図には「NOT TO SCALE」とあり、施設の居住配置に関する記憶を基にした平面図として示されている。

2階平面図。Koresh’s QuartersとGUNSの表記があり、屋根側チームが2階の武器保管区画を早期に確保しようとした作戦意図を理解する補助になる。
ただし、この図だけから1993年2月28日の実際の武器配置、屋根チームの正確な侵入口、銃撃位置を確定しない。
この作戦には明確な前提があった。
マウント・カーメル内の人々が、ATFの到着時刻と作戦を知らないこと。
ATF自身の後年の説明でも、計画は「武器が配られる前に施設へ入る」ことを重要条件としていた。
相手がすでに警戒し、武器を持って待っているなら、同じ作戦はまったく別の危険性を持つ。
2月28日午前8時ごろ|ロバート・ロドリゲスが最後の潜入へ入る
作戦当日の朝、ATF潜入捜査官ロバート・ロドリゲスは再びマウント・カーメルへ入った。
時間は午前8時ごろとされる。
ロドリゲスはそれ以前にも何度も共同体へ入り、デビッド・コレシュの聖書講義へ参加していた。
コレシュから見れば、聖書に興味を持って訪ねてくる人物だった。
この日の目的は、施設内部に通常と異なる動きがないかを最終確認することだった。
ところがロドリゲスがコレシュと話している間に、共同体へ外部から情報が入った。
後の議会調査では、地元テレビ局のカメラマンが道を尋ねた相手がBranch Davidian関係者だったこと、そこで法執行機関の作戦について不用意に話したことが、情報漏洩の一つの経路として整理されている。
新聞社やテレビ局は、すでにATFが近く何らかの行動を行うという情報を得ており、当日の朝には複数の報道関係者が周辺で取材準備をしていた。
つまり、ATFが秘密にしていたはずの作戦の周囲には、すでに多数の人が動き始めていた。
「ATFと州兵が来る」|コレシュの態度が変わる
情報を受けたコレシュは、ロドリゲスの目の前でそれまでとは異なる反応を示した。
1993年の米財務省による事後調査と、その内容を検討した後の議会報告では、コレシュがATFとNational Guardが来るという趣旨の言葉を発したことが記録されている。
ロドリゲスは施設を出た。
そして近くの潜入拠点へ戻り、さらに作戦指揮側へ、
コレシュがATFの行動について知ったと判断できる情報
を伝えた。
この時点が、2月28日を考えるうえで最大の転換点になる。
なぜならATFの計画そのものが「相手が準備する前に入る」ことを前提としていたからである。
奇襲性は失われたのか
ロドリゲスの報告を受けた作戦担当者が、どのように評価したのかについては事件後に激しい争いになった。
米財務省の1993年事後調査は、現場の主要指揮官がロドリゲスから重要な情報を受け取り、
奇襲性が失われたことを知りながら作戦を続行した
と厳しく批判した。
また、失敗後にATF幹部が「指揮官は奇襲性が失われたことを知らなかった」という趣旨の説明を行ったことについても、財務省調査は問題視した。
一方、1995年の米下院による再調査では、もう少し複雑な評価になっている。
議会報告も、現場指揮官がロドリゲスから「Davidians側が作戦を知っている」ことを示す情報を得ながら行動したことを重大な失敗と評価した。
しかし同報告は、
「奇襲性が失われた場合には必ず作戦を中止せよ」という明確な命令が上級部門から現場へ伝達されていたか
については、財務省報告ほど単純ではないと指摘している。
したがって、ここでは次のように分ける必要がある。
| 項目 | 評価 |
|---|---|
| Koreshが作戦を察知した可能性を示す情報が現場指揮側へ入った | 確認度が高い |
| 奇襲を重要条件とする作戦がそのまま続行された | FACT |
| 現場指揮官は「絶対中止せよ」という明示命令に故意に違反した | 資料間で評価差あり |
ただし、明示命令の有無とは別に、
情報を得たあとも作戦を再評価せず、そのまま突入段階へ進んだ判断そのもの
は、後の政府調査で大きな批判対象となった。
「急げ、相手は知っている」|予定より前倒しされた突入
ATF部隊はベルミードの集合地点からマウント・カーメルへ向かった。
捜査官たちは牛運搬用の大型トレーラーに分乗していた。
外見だけを見れば、一般的な警察車両とは大きく異なる。
奇襲性が危ういという情報が伝わったことで、現場には「相手が準備する前に急ぐ」という考えが生まれた。
しかし、この判断には構造的な矛盾がある。
当初の作戦
「相手が知らないうちに迅速に突入する」
情報漏洩後
「相手が知っている可能性があるため、さらに急いで突入する」
前提条件が崩れたため中止するのではなく、前提条件が崩れたこと自体が「急いで実行する理由」へ変化したのである。
結果から見れば、これがATF側に極めて不利な状況を作った。
午前9時30分ごろ|2台のトレーラーがマウント・カーメルへ到着
米司法省の公式時系列では、ATFによる令状執行開始は午前9時30分ごろとされる。
トレーラーが施設前へ到着すると、ATF捜査官は次々に車両から降りた。
作戦は、玄関前で令状を読み上げて長時間交渉する方式ではない。
事前訓練から、迅速に建物へ入るdynamic entryを前提としていた。
一つのチームは正面玄関へ。
別のチームははしごを使って屋根へ向かい、2階の窓から武器庫と考えられていた区画へ入ろうとした。
そのころ上空にはヘリコプターも接近していた。
ATF側は、短時間で建物を制圧する計画を実行に移した。
正面玄関|コレシュが姿を見せたというATF側証言
正面玄関へ接近したATF捜査官の一人、ジョン・ヘンリー・ウィリアムズは、後の議会公聴会で当時の状況を証言している。
ウィリアムズによれば、デビッド・コレシュが黒い迷彩服姿で正面玄関へ姿を見せた。
ATF捜査官が接近すると、コレシュは建物内へ戻り、扉が閉じられた。
そして、その直後に玄関方向から激しい銃撃が始まったとウィリアムズは証言した。
ATFの現在の公式資料も、施設内から正面玄関を通して発砲が行われ、接近していた捜査官が撃たれたという流れで事件を説明している。
しかし、ここにはウェーコ事件で最も長く争われる問題の一つがある。
誰が最初に撃ったのか
ブランチ・ダビディアン側の生存者や弁護士は、ATF側から最初の銃撃が始まったという主張を行った。
一部では、ATF捜査官の偶発的な発砲がきっかけだったという説も出された。
ATF側の生存者は反対に、建物内部から最初の銃撃を受けたと証言している。
Texas Rangersによる捜査でも、Davidians側から先に発砲されたとする評価が示された。
1995年の米下院調査は、これらの証言を検討したうえで、
「Davidians側が先に発砲したことを示す証拠の方が強い」
と評価した。
しかし同じ報告書は、その直後に重要な留保を付けている。
誰が最初の1発を撃ったのかを決定的に解明することはできない。
これは本記事でも維持すべき線引きである。
| 主張 | 扱い |
|---|---|
| 到着直後に激しい銃撃戦が始まった | FACT |
| 建物内部からATFへ多数の銃弾が撃たれた | FACT |
| ATF側も建物へ発砲した | FACT |
| Davidians側が最初に撃った可能性が高い | 公的調査による評価 |
| 最初の1発を誰が撃ったか完全に確定している | FALSE |
「誰が最初か」だけでは、作戦失敗を説明できない
最初の発砲は重要な問題である。
しかし、それだけに集中すると、なぜここまで多数の捜査官が危険にさらされたのかという別の問題が見えなくなる。
ATFの作戦は、捜査官が施設へ到着した瞬間に組織的な抵抗を受ける状況を主な成功シナリオとして想定していなかった。
マウント・カーメルには多数の窓があり、木造の外壁そのものを通して発砲することも可能だった。
対してATF捜査官は、開けた地面を移動して施設へ接近している。
奇襲に成功すれば短時間で武器へ到達できるという作戦は、
建物内部の人々がすでに配置につき、銃器を持って待っていた場合には極めて不利
になる。
銃撃開始後、この構造がそのままATF側の弱点になった。
屋根へ向かったチーム
正面で銃撃が始まる一方、別のATFチームははしごを使って屋根へ上がった。
目的は2階の窓から、武器が保管されていると考えられていた部屋へ入ることだった。
このチームも激しい銃撃を受けた。
ATFの計画では、武器庫を早い段階で確保すれば共同体側が大量の銃器を使用することを防げるはずだった。
しかし銃撃戦がすでに始まっている状態では、屋根上の捜査官にはほとんど遮蔽物がない。
負傷者が出るなかで侵入は失敗し、屋根から退避する必要が生じた。
ここでも、もともとの「武器が配られる前に確保する」という作戦構想が逆転している。
ヘリコプターから発砲したのか
2月28日のもう一つの長期的な論争がヘリコプターである。
Branch Davidian側は、上空のヘリコプターから施設へ発砲されたと主張した。
施設の屋根などに残った銃弾痕も、その証拠だと主張された。
ATF側はこれを否定している。
1995年の議会調査では、ヘリコプター乗員の宣誓供述書、映像、Texas Rangersの調査などが検討された。
その結果、
ATF捜査官がヘリコプターから発砲したという主張を支持する証拠は確認できなかった
という評価になった。
一方で、議会報告は屋根に存在した一部の弾痕について、
それを誰がどこから撃ったのかまでは確定できない
ともしている。
したがって、
「ヘリコプターからのATF発砲は確認されていない」
と
「屋根のすべての弾痕の由来が完全に解明されている」
は同じ意味ではない。
建物はATFにとって巨大な遮蔽物になった
銃撃戦が始まると、物理的な条件は施設内部にいる側へ大きく有利になった。
Branch Davidiansは建物内にいる。
壁。
窓。
柱。
部屋。
廊下。
これらを遮蔽物として利用できる。
一方でATF捜査官は、施設正面の開けた土地、車両周辺、屋根などに散らばった。
ATFの現在の追悼資料では、捜査官たちは建物内部へ十分に侵入できず、自然の遮蔽物も乏しかったため、戦術上の優位性が完全にBranch Davidians側へ移ったと説明している。
銃撃戦は単に「双方が撃ち合った」という均等な状態ではない。
ATFは本来予定していた短時間の制圧に失敗した時点で、設計していた作戦とは別の戦闘を強いられた。
4人のATF捜査官が死亡した
この日の銃撃戦で死亡したATF捜査官は4人だった。
| 氏名 | 所属機関 |
|---|---|
| コンウェイ・C・ルブリュー(Conway C. LeBleu) | ATF |
| トッド・W・マッキーハン(Todd W. McKeehan) | ATF |
| ロバート・J・ウィリアムズ(Robert J. Williams) | ATF |
| スティーブン・D・ウィリス(Steven D. Willis) | ATF |
ATFの現在の公式資料では、これに加えて20人の捜査官が銃撃または破片で負傷し、8人がその他の負傷をしたと整理している。
一方、1993年の司法省Executive Summaryでは「16人負傷」と記載されている。
数字が違うのは資料の集計時点や負傷の定義が異なるためであり、本記事では現在のATFが示す詳細区分を基本としつつ、1993年DOJ報告には別集計が存在することを明記しておく。
Branch Davidians側にも死傷者が出た
Branch Davidians側にも死傷者が出た。
現在のATF資料では、2月28日の一連の銃撃に関連して6人が死亡し、4人が銃撃で負傷したと整理している。
ただし、1993年の司法省Executive Summaryは、建物内部で死亡・負傷した人数のうち、
ATFの銃撃によって何人が死亡したかを正確に確定することはできない
としていた。
4月19日の火災によって施設そのものが失われ、多くの物証も破壊されたことが後の検証を難しくした。
そのため本記事でも、
「2月28日にBranch Davidians側で6人が死亡したと後年の公的資料では整理されている」
ことと、
「その全員がどの銃弾・どの状況で死亡したかが完全に確定している」
ことは区別する。
建物の中から911へ電話がかけられた
激しい銃撃が続くなか、マウント・カーメル内部から外部へ一本の電話がかけられた。
電話をしたのはBranch Davidianのウェイン・マーティンだった。
マーティンは弁護士資格を持つ共同体メンバーである。
彼はマクレナン郡の911へ電話をかけ、地元当局との通信経路が成立した。
一方、ATFのジェームズ・キャヴァノーもデビッド・コレシュらとの電話連絡を始めた。
これによって、銃撃戦と同時並行で二つの交渉経路が動き始める。
| 通信経路 | 主な人物 |
|---|---|
| ATF側 | ジェームズ・キャヴァノー ↔ コレシュ、スティーブ・シュナイダーなど |
| 911側 | 地元警察・保安官側 ↔ ウェイン・マーティン、シュナイダー、コレシュなど |
ATFが武力だけで銃撃戦を終わらせたわけではない。
電話による意思疎通が、停戦形成に重要な役割を果たした。
停戦するにも時間がかかった
電話で「撃つのをやめる」と合意しても、その瞬間に現場全体の射撃が止まるわけではなかった。
マウント・カーメルは大きな建物で、内部のBranch Davidiansも複数地点に分かれていた。
ATF側も、正面、屋根、周囲などに部隊が分散していた。
Branch Davidians側では、スティーブ・シュナイダーらが建物内へ停戦を伝える必要があった。
ATF側でも、キャヴァノーから現場の各チームリーダーへ、さらに各捜査官へ情報を伝えなければならない。
そのため、停戦交渉が成立し始めても銃声はすぐには完全に止まらなかった。
最終的にATFは死亡者と負傷者を退避させ、施設から離れることになった。
令状は執行できなかった。
同じ日の午後にも別の銃撃事件が起きた
2月28日の銃撃は、午前中の正面衝突だけではない。
司法省時系列では、午後4時55分ごろ、マウント・カーメルへ戻ろうとしていた3人とATF捜査官の間でも銃撃が発生している。
この衝突ではマイケル・シュローダーが死亡し、ノーマン・アリソンが拘束された。
ロバート・ケンドリックはその場から逃れ、その後逮捕された。
後の刑事事件では、この午後の銃撃は午前中の最初の銃撃戦とは分けて扱われた。
したがって司法資料で「February 28のfirst shootout」「second shootout」という表現が出てくる場合、同じ日の別の衝突を指している。
なぜ作戦を中止しなかったのか
ここまで戻ると、第4回の中心的な疑問へ戻る。
なぜATFは、奇襲性が失われた可能性を知りながら作戦を中止しなかったのか。
一つには、作戦指揮側が「Koreshは知ったとしても、まだ共同体全体は戦闘準備を終えていない」と判断した可能性がある。
そして、時間を置けば置くほど大量の武器が配られ、防御態勢が完成すると考えられていた。
つまり指揮側から見れば、
いま行く
→ 奇襲性は低下しているが、まだ完全な準備前かもしれない
延期する
→ 武器配布・防御強化・証拠移動などの時間を与える可能性がある
というトレードオフだったと考えられる。
しかし、この判断には重大な欠点があった。
「相手がまだ準備していない」という部分を確認できていない。
ロドリゲスが得た情報はむしろ反対方向を示していた。
結果的にATFは、
成立条件を確認できなくなった作戦を、成立条件が残っていることへ賭ける形で実行した
ことになる。
事件後の政府調査は何を問題視したのか
2月28日の失敗後、米財務省はATFの計画と指揮判断を大規模に調査した。
そこでは単に「Branch Davidiansが激しく抵抗したため失敗した」で終わらなかった。
特に問題となったのは、
- 情報収集と作戦計画の接続
- 奇襲性喪失の評価
- 現場指揮官の判断
- 作戦中止基準
- 上級指揮部門と現場の通信
- 失敗後のATFによる説明
だった。
1995年の米下院調査も、
ロドリゲスがもたらした情報を適切に処理しなかったことを、ATF作戦失敗の最大の原因の一つ
と評価している。
つまり後の公的検証では、
「ATF捜査官が勇敢だったか」
と
「作戦指揮が適切だったか」
は明確に分けて評価された。
4人の捜査官が死亡したことは、作戦指揮への批判と矛盾しない。
むしろ、現場の捜査官を不必要に危険な状況へ送り込んだ可能性があるからこそ、指揮判断が強く検証された。
FACT CHECK|1993年2月28日について何が確認できるのか
| 主張 | 判定 | 確認できること |
|---|---|---|
| ATFは令状を持たずにマウント・カーメルへ突入した | FALSE | 2月25日に連邦判事が逮捕・捜索令状を発付していた |
| ATFの作戦は奇襲性を重要条件としていた | FACT | 武器が配られる前に施設へ入ることが作戦構想の重要部分だった |
| 作戦前にKoreshがATFの行動を知った可能性を示す情報が入った | FACT | 潜入捜査官RodriguezがKoreshの発言・様子を指揮側へ報告した |
| その情報を得たあと作戦は中止された | FALSE | 作戦は続行され、午前9時30分ごろ令状執行が始まった |
| Davidians側が最初に撃ったことは完全に証明されている | UNRESOLVED | 1995年議会調査はDavidians側が先だった可能性が高いと評価したが、決定的には解明できないとした |
| 建物内部からATFへの激しい銃撃が行われた | FACT | 多数の証言・公的調査で確認されている |
| ATFも建物へ発砲した | FACT | 銃撃戦ではATF側も応射している |
| ATFがヘリコプターから施設を機銃掃射した | SUPPORTEDされず | 議会調査はヘリコプターからのATF発砲を支持する証拠を確認していない |
| 屋根に残ったすべての弾痕の発射位置が確定している | FALSE | 一部については由来を確定できないと議会報告が留保している |
| ATF捜査官4人が死亡した | FACT | LeBleu、McKeehan、Williams、Willisの4人 |
| 銃撃戦は武力だけで終結した | FALSE | 911とATF側電話を使った交渉によって停戦が形成された |
2月28日の時系列|「捜索」から「包囲」へ変わった朝
| 時刻 | 出来事 |
|---|---|
| 午前8時ごろ | 潜入捜査官ロバート・ロドリゲスがマウント・カーメルへ入り、コレシュと接触 |
| 午前8時台 | 共同体側へATF作戦を示唆する情報が伝わる。Koreshの反応を見たRodriguezが施設を退出 |
| その後 | RodriguezがATF側へ、Koreshが作戦について知った可能性を報告 |
| 午前9時台 | 作戦続行。ATF部隊が牛運搬用トレーラーでマウント・カーメルへ向かう |
| 午前9時30分ごろ | ATFが逮捕・捜索令状の執行開始。正面・屋根などから建物へ接近 |
| 直後 | 激しい銃撃戦が発生。正面・屋根など複数地点でATFが攻撃を受け応射 |
| 銃撃中 | Wayne Martinが911へ電話。ATF James CavanaughもKoreshらとの電話交渉を開始 |
| 午前10~11時ごろ | ATFがFBIへ交渉要員の支援を要請 |
| 午前~正午前後 | 停戦条件の交渉が進み、双方で射撃停止を伝達。ATFが死傷者の退避を進める |
| 午後 | 令状執行作戦は失敗。ATFは施設から後退し、長期包囲状態へ移行 |
| 午後4時55分ごろ | 施設へ戻ろうとしていた3人とATFの間で別の銃撃が発生。Michael Schroeder死亡 |
作戦失敗を一つの原因にしない
2月28日の結果を「情報が漏れたから失敗した」とだけ説明するのも十分ではない。
情報漏洩があっても、そこで作戦を止めたり、別の方法へ切り替えたりできれば結果は異なった可能性がある。
同様に、「Branch Davidiansが撃ったから失敗した」という説明だけでも足りない。
武装抵抗の可能性は、そもそもATF自身が作戦計画段階から想定していた。
この日の結果は、
大量の武器があると推定された施設
+
短時間の強制突入を選んだ作戦設計
+
報道関係者を含む情報漏洩
+
潜入捜査官が察知した奇襲性喪失
+
作戦続行判断
+
建物側の武装抵抗
=
ATFが想定した短時間制圧から長時間銃撃戦へ
という複数の条件の重なりとして見る方が実態に近い。
2月28日の終わり|事件の主役がATFからFBIへ変わる
午前中に始まった令状執行は失敗した。
しかし、コレシュと多数のBranch Davidiansは依然としてマウント・カーメル内部にいる。
ATF捜査官4人が死亡し、多数が負傷している。
施設内にも死傷者がいる。
大量の武器が残っている可能性が高い。
そして、女性と子どもも建物内にいた。
ATFが当初想定していた「捜索令状を執行する事件」は、すでに終わっていた。
そこに残されたのは、
武装した多数の人々が巨大な施設へ籠もり、連邦政府側にも死者が出た包囲事案
だった。
ATFはFBIへ支援を求めた。
翌3月1日には、事件解決の主導権はFBIへ移っていく。
まとめ|「奇襲が失われた」ことより、「失われたあと何をしたか」が問題だった
1993年2月28日朝、ATFには有効な逮捕令状と捜索令状があった。
そして、多数の武器が存在すると考えられる施設へ安全に入るため、相手が準備する前に重要区画を確保する作戦を組んでいた。
ところが作戦当日の朝、潜入捜査官ロバート・ロドリゲスは、コレシュがATFの接近を知った可能性が高いことを察知した。
その情報は作戦指揮側へ伝えられた。
それでも作戦は続行された。
午前9時30分ごろ、ATFが到着した直後から激しい銃撃戦となった。
誰が最初の1発を撃ったのかについて、公的調査は完全な確定には至っていない。
後の議会調査はBranch Davidians側が先に撃った可能性を高く評価しているが、それを「完全に解明済み」と書くことはできない。
一方で、もっと明確なことがある。
ATFは奇襲を重要条件とする作戦を準備し、その奇襲性が失われた可能性を示す情報を得ても、同じ作戦を続けた。
その結果、現場の捜査官は建物内部からの激しい銃撃にさらされた。
4人が死亡した。
そして、逮捕・捜索作戦は達成できなかった。
しかし銃撃が止まっても、事件は終わらなかった。
むしろここから、本来の「ウェーコ包囲事件」が始まる。
次回は2月28日の停戦から4月18日までを一本の時間軸に置く。
FBIは51日間、コレシュと何を話し、何人を外へ出し、なぜ最後まで全員を退出させることができなかったのか。
銃撃戦から長期包囲へ変わった事件を追う。
今回出てきた言葉
Operation Trojan Horse
ATFが1993年2月28日に実施したBranch Davidian施設への令状執行作戦を指す名称。多数の捜査官を短時間で投入し、武器へアクセスされる前に施設を確保することを狙った。
Dynamic Entry
令状執行などで、対象施設へ迅速に進入して短時間で制圧する戦術。ウェーコでは正面玄関と2階などからの短時間進入が計画された。
Special Response Team(SRT)
ATFの高危険度事案へ対応する戦術部隊。2月28日の作戦には複数のSRTが投入された。
ロバート・ロドリゲス
ATF潜入捜査官。作戦前からデビッド・コレシュへ接触していた。2月28日朝、コレシュがATFの接近を知ったと判断できる情報を指揮側へ伝えた。
ジェームズ・キャヴァノー
ATF幹部。銃撃戦の最中からKoreshらとの電話連絡を行い、停戦交渉に重要な役割を果たした。
ウェイン・マーティン
Branch Davidianの一員で弁護士。2月28日の銃撃戦中に911へ電話し、施設内部と地元当局を結ぶ通信経路を作った。
Element of Surprise
「奇襲性」。相手が作戦開始を知らず、十分な対応準備ができていない状態。ATFの2月28日作戦では重要な成立条件だった。
- 第1回|ウェーコ包囲事件とは?|ATFの令状執行から51日間の包囲と炎上まで
- 第2回|ブランチ・ダビディアンとは何者だったのか|デビッド・コレシュとマウント・カーメル
- 第3回|なぜATFはマウント・カーメルを捜索しようとしたのか|武器捜査・潜入・令状まで
- 第4回|現在の記事:ATFの令状執行はなぜ銃撃戦になったのか|1993年2月28日の現場を追う
- 第5回|51日間の包囲で何が起きていたのか|FBIへの指揮移管と交渉の時系列
- 第6回|なぜウェーコの交渉は終結しなかったのか|「七つの封印」とFBIの圧力戦術
- 第7回|なぜFBIは4月19日に強制終結へ動いたのか|CSガス投入計画とジャネット・リノの決断
- 第8回|1993年4月19日、マウント・カーメルで何が起きたのか|突入開始から火災まで
- 第9回|ウェーコの火災は誰が起こしたのか|出火点・FLIR映像・FBI発砲説を検証する
- 第10回|ウェーコ事件は何を残したのか|裁判・議会調査・Danforth報告と法執行機関への影響
出典・参考資料
-
Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives — Timeline of Events / Remembering Waco
Operation Trojan Horseの作戦構成、約75人のATF捜査官、牛運搬用トレーラー、SRT、屋根・武器庫確保計画、2月28日の死傷者について確認するために使用。
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Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives — Fallen Agents / Steven D. Willis・Conway C. LeBleuほか
死亡したATF捜査官4人の氏名、約2時間半の銃撃戦、20人の銃撃・破片負傷と8人のその他負傷という現在のATF集計を確認するために使用。
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U.S. Department of Justice — Report to the Deputy Attorney General on the Events at Waco, Texas: Executive Summary
午前9時30分ごろの令状執行開始、ATF捜査官4人死亡、1993年時点の負傷者集計、Branch Davidian側死傷者の確定限界について確認するために使用。
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U.S. Department of Justice — Chronology: February 28 to April 19, 1993
2月28日の銃撃開始、FBIへの支援要請、Wayne Martinの911通報、James Cavanaughによる停戦交渉、午後の第二の銃撃について確認するために使用。
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U.S. Department of Justice — The FBI’s Management of the Standoff at Mt. Carmel
銃撃中に成立した2系統の通信、Cavanaughによる停戦形成、ATF死傷者退避からFBI交渉開始への移行を確認するために使用。
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U.S. House of Representatives — House Report 104-749, Activities of Federal Law Enforcement Agencies Toward the Branch Davidians
Robert RodriguezからATF指揮側への情報伝達、奇襲性喪失後の作戦続行、正面玄関での発砲証言、「誰が最初に撃ったか」の評価、ヘリコプター発砲説、作戦指揮への議会評価を確認するために使用。
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U.S. Department of the Treasury — Report on the Bureau of Alcohol, Tobacco, and Firearms Investigation of Vernon Wayne Howell Also Known as David Koresh, September 1993
2月28日のATF作戦計画、Robert Rodriguezの警告、作戦指揮官による判断、奇襲性喪失と失敗後の説明についての行政調査結果を参照。
本記事では、1993年2月28日の出来事について、ATF・司法省・財務省・米議会の資料を分けて扱っています。
ATFの現在の公式資料は、施設内部から最初の激しい銃撃を受けたという捜査官側の経過を記録しています。一方、Branch Davidian生存者・弁護士側からはATF側が先に発砲したという反対主張が存在しました。1995年の米下院調査は「Davidians側が先に発砲した可能性が高い」と評価したものの、最初の1発については決定的に解明できないとしています。このため本文では「Davidiansが必ず最初に撃った」と確定事実化していません。
また、1993年財務省調査と1995年議会報告では、ATF上級部門から現場への作戦中止条件の伝達について評価差があります。一方、Robert RodriguezからKoreshがATF作戦を察知した可能性を示す情報が現場へ伝わり、その後も作戦が続行されたことは主要資料で確認できます。
死傷者数は1993年司法省報告と現在のATF資料で集計方法に差があるため、本文では資料主体を明示して併記しています。