1993年4月12日、ワシントンD.C.。
就任からまだ約1か月しか経っていなかった米司法長官ジャネット・リノの前に、FBIから一つの作戦案が持ち込まれた。
51日近く続いているウェーコ包囲事件を、CSガスを使って終結へ動かす。
施設へ軍隊のように突入する計画ではない。
装甲車両から建物の一部へCS剤を入れる。
人々が出なければ別の区画へ広げる。
それでも出なければ、さらに圧力を強める。
FBIの想定では、全員が出るまで48時間、あるいは2~3日かかる可能性があった。
リノが最初に尋ねたのは、
「どのガスを使うのか」ではなかった。
なぜ今なのか。なぜ待てないのか。
交渉は完全に途絶えていたわけではない。
デビッド・コレシュは前日まで「七つの封印」について原稿を書くと言っていた。
それでもFBIは、
「待ち続ける」こと自体にも危険があると説明した。
大量の武器。
広大で守りにくい包囲線。
長期間のHRT運用。
外部から侵入する人物。
子どもたち。
食料と水が長期間持つ可能性。
そして、3月23日以降一人も出ていないという事実。
リノはすぐには承認しなかった。
子どもへの影響を調べさせ、軍の専門家から説明を受け、FBI交渉担当者の見解を確認し、一度は計画を認めない方向へ傾いた。
最終的に承認したのは4月17日。
作戦開始は4月19日と決まった。
この決定は、51日間のなかでも最も重要な分岐点の一つになる。
この記事で分かること
- CSガス案がいつから検討されていたのか
- なぜFBIは包囲をそのまま続けることを問題視したのか
- 「待つ」という選択肢にはどのようなリスクがあったのか
- HRTの疲労・包囲線維持がどのように議論されたのか
- 子どもへのCSガスの影響を誰が検討したのか
- ジャネット・リノは最初から作戦に賛成していたのか
- なぜ4月12日に承認せず、4月17日まで判断を保留したのか
- CSガス作戦は「突入作戦」だったのか
- 当初計画では何時間・何日を想定していたのか
- Branch Davidiansが発砲した場合、計画はどう変化する予定だったのか
- クリントン大統領はいつ説明を受けたのか
- 4月19日の実際の行動が、当初計画とどこで変わったのか
CASE FILE 19|ウェーコ包囲事件特集(全10回)
先に結論|FBIは「突入」を選んだのではなく、待機と突入の中間案としてCSガスを選んだ
4月19日の作戦を「FBIが戦車で建物へ突入することを決めた」とだけ説明すると、当初計画の構造を誤解する。
FBIが司法省へ提出した計画は、
CSガスによって建物の一部を徐々に使えなくし、内部の人々を外へ出す
というものだった。
最初から建物全体へ一斉にガスを入れる計画ではない。
最初の区画へ少量を投入する。
退出する、あるいは真剣な交渉が再開されれば待つ。
反応がなければ別区画へ広げる。
この処置を段階的に続ける。
FBIと司法省は、
2~3日かけて全員を退出させる可能性
まで考えていた。
つまり作戦は、
交渉だけを無期限に続ける
と
武装部隊が建物へ直接突入する
の中間に、
CSガスによる段階的強制退出
を置いたものだった。
問題は、その当初設計が4月19日の朝にどのように変化していったのかである。
それは第8回で詳しく追う。
CSガス案が初めて正式に検討されたのは3月22日
CSガス案は、4月18日夜に突然考えられたものではない。
FBIが正式な選択肢として検討したのは3月22日だった。
この時点で交渉班は、
KoreshやSteve Schneiderから
「誰が」
「何人」
「いつ」
退出するのか、具体的な回答を得られなくなっていた。
そこでFBI危機管理チームは、
- さらなる交渉
- ストレス・圧力戦術の強化
- CSガスによる非致死性の強制退出
を検討する。
この段階ではまだ、
「明日ガスを使う」
という決定ではない。
むしろ、
交渉が完全に行き詰まった場合の次の手段
として候補に入った。
FBIが避けたかったのは、通常の武装突入だった
施設へ特殊部隊を入れて、一室ずつ制圧する。
これは理論上は可能に見える。
しかしFBIは、この方法を極めて危険と評価した。
理由はマウント・カーメルの構造と武装だった。
施設内部には約70人の成人が残っていると考えられ、その一部は大量の銃器へアクセスできた。
FBIは、
- 半自動・全自動火器
- .50口径ライフル
- 暗視装置
- 新たに作られた射撃用開口部
などの存在を警戒していた。
建物は木造で、壁そのものを通して発砲できる。
さらに中央には見晴らしの良い塔があり、2月28日のATF銃撃戦でも重要な射撃位置になったとFBIは認識していた。
特殊部隊が徒歩で中へ入れば、
攻撃側が圧倒的に不利になる可能性がある。
そして建物内には子どもがいる。
そのため、
通常の強行突入や建物の一気の破壊は、子どもへの危険が大きすぎる
と判断された。
では、何もしないで待てばよかったのか
ジャネット・リノが最初に繰り返し尋ねたのが、まさにこの疑問だった。
なぜ今なのか。
なぜ待てないのか。
1993年の司法省報告では、4月12日に初めてCSガス案の説明を受けたリノが、
「Why now, why not wait」
という趣旨の質問を繰り返したことが記録されている。
これは重要である。
最終的に作戦を承認した人物が、最初から「早く突入しろ」と要求していたわけではない。
むしろFBI側が、
「この状態を長期間維持することにも危険がある」
と説明する必要があった。
理由1|食料と水が尽きるのを待つには長すぎた
包囲事件でよく使われる方法の一つが、
「待つ」ことである。
内部の食料や水が減り、疲労が増し、
最終的に外へ出るよう仕向ける。
しかしマウント・カーメルでは、この方法がどの程度の時間を要するのか分からなかった。
FBIは、施設内部に長期間分の食料があると評価していた。
水についても、一時「不足しているのではないか」という情報が入ったが、
さらに調べると、Koreshが水を管理・配給しながら補充しているとFBIは判断した。
司法省記録では、
施設には最大1年程度維持できる可能性のある備蓄がある
とFBI側が考えていたことまで記録されている。
つまり、
「あと数日待てば食料が尽きる」
という状態ではなかった。
待機案は、数日ではなく数週間、場合によっては数か月以上に延びる可能性があった。
理由2|広大な包囲線を無期限には維持できない
FBIが問題視したのは施設内部だけではない。
マウント・カーメル周辺は、市街地の狭い建物を警察車両で囲むような現場ではなかった。
広大で開けた土地を、多数の捜査官で警戒し続ける必要がある。
しかも実際に、包囲期間中には外部から警戒線を突破し、施設内へ入った人物がいた。
これは大規模なFBI部隊を置いても、
包囲線を完全に封鎖することが難しい
ことを示していた。
さらにFBIは、施設内部にあると考えられた.50口径ライフルの射程を問題視していた。
施設の近くにいる捜査官だけでなく、周辺へ集まる一般人や報道関係者にも危険が及ぶ可能性がある。
外からKoreshを支援しようとする人物や集団が現れる可能性も警戒された。
つまり、
「何もしない」という選択は、
実際には大人数で危険な警戒活動を毎日続ける選択だった。
理由3|HRTを最高警戒状態のまま維持できるのか
FBIのHostage Rescue Team(HRT)は、
長期間ウェーコで高い警戒状態を続けていた。
狙撃観測。
装甲車両。
周辺警戒。
突然の銃撃への対応。
こうした作業を、緊張状態のまま長期間続ける必要がある。
4月14日の会議では、軍関係者から
「HRTを永久にこの状態で維持することはできない」
という趣旨の意見が出た。
HRT指揮官Richard Rogersは、
その時点では部隊は十分休息しており、戦術行動に支障があるほど疲労してはいないと説明した。
ただし、包囲がさらに長期化するなら、
休養と再訓練のためHRTを一度引き下げる必要が生じる
とも説明している。
リノは、
「それなら通常のSWATチームへ交代できないのか」
とも尋ねた。
FBI側の答えは否定的だった。
強力な武器への対応。
装甲車両の操作。
広い包囲線。
こうした現場にはHRTの専門能力が必要だという判断だった。
理由4|3月23日以降、構成員が一人も出ていなかった
交渉が完全に失敗していたわけではない。
35人が施設から退出している。
しかし、その流れは止まっていた。
3月23日にLivingstone Faganが出て以降、
4月19日までBranch Davidian構成員は一人も退出していない。
4月15日、Associate Attorney GeneralのWebster Hubbellらは、
FBI交渉担当Byron Sageと約2時間話した。
Sageは、
さらに交渉しても追加退出へつながる見込みはほとんどない
という非常に悲観的な見方を伝えた。
KoreshがSeven Sealsを利用して交渉を延ばしているとSageは評価し、
自分たちに残された説得手段はほとんどないと考えていた。
これはFBI側の評価であり、
「実際に待っても絶対に誰も出なかった」
ことの証明ではない。
しかし、司法長官が意思決定する時点で、
FBI交渉責任者自身が極めて悲観的だったことは重要な材料になった。
理由5|子どもを「待たせ続ける」ことにも危険があると考えられた
建物内部には子どもが残っていた。
これはCSガスを使うことへの反対理由であると同時に、
FBI側では長期包囲を終わらせる理由の一つにもなった。
衛生状態。
医療体制。
食事・水。
過去の児童虐待・性的虐待に関する情報。
FBIと司法省は、
子どもをその環境に長期間置き続けることにも危険があると考えた。
ただし、ここには後に大きな論争が残る。
とくにリノが承認を決める過程で、
「子どもが現在殴られている」という趣旨の情報を受け取ったと理解していたことが司法省報告に記録されている。
その情報の正確性、表現のされ方については後の調査でも検討対象になった。
したがって、
「子どもを救うためだけに作戦を決めた」と単純化するのも適切ではない。
リノ自身も、児童問題は多数の判断材料の一つだったと説明している。
4月12日|リノはCSガス案を即決しなかった
4月12日、FBIは司法長官へ正式にCSガス計画を提示した。
リノが注目したのは、
- なぜ今実行する必要があるのか
- 子どもへどのような影響があるのか
- 妊婦・高齢者への影響
- 内部の人々が自傷する危険
- 別の非致死性手段はないのか
だった。
この日は結論を出さなかった。
むしろリノは、追加の専門的情報を要求した。
4月14日|軍と毒性専門家からCSガスの説明を受ける
4月14日には、司法省・FBI幹部に加えて軍関係者と専門家が参加する会議が開かれた。
リノがとくに知りたかったのは、
CSガスを子どもへ使った場合の安全性
だった。
説明を行った人物の一人が、CS剤の毒性研究に詳しいDr. Harry Salemだった。
司法省報告によれば、
子どもを対象とした直接的な実験データは存在しなかった。
一方で、軍事訓練等での使用経験や既存資料から、
永久的な障害が生じる可能性は低いという説明がなされた。
軍関係者は、
米陸軍でも訓練でCSガスへ曝露する機会があることを説明した。
ここでリノの認識も変わった。
「ガスで攻撃する」というイメージから、
「催涙性の化学剤によって一時的に建物を居住困難にする」
という作戦へ理解が具体化した。
ただし、だから「完全に安全」と確認されたわけではない。
とくに子どもについて直接データが不足している点は残っていた。
CSガスとは何か
CSは催涙剤として使われる化学物質である。
目の痛み。
流涙。
鼻・喉への刺激。
咳。
呼吸時の強い不快感。
こうした作用によって、その場所に留まり続けることを難しくする。
FBIの作戦目的は、
Branch Davidiansを殺傷することではなく、建物内部を徐々に不快・使用不能にして自主退出させること
だった。
そのため司法省報告では、
CSガス案を「non-lethal option」の一つとして位置づけている。
ただし「non-lethal」は、
「どの濃度・どの条件・どの人にも絶対に危険がない」という意味ではない。
使用量、曝露時間、密閉性、年齢、健康状態などによってリスクは変わる。
だからこそリノは、子どもや妊婦を含む条件について専門家へ確認していた。
当初案|最初から建物全体へ入れる計画ではなかった
FBIが司法省へ説明した計画では、
CS剤は段階的に使用することになっていた。
最初に一部へ投入する。
内部の人々には、
「これは突入ではない」
「建物の外へ出てほしい」
と電話と大型スピーカーで伝える。
ガスのない区画や出口へ移動する余地も残す。
退出してくる人はRed Crossの旗を目印に誘導し、
医療・除染・身柄確認を行う。
もし誰も出ず、真剣な交渉も再開しなければ、
次の区画へガスを入れる。
これを少しずつ続ける。
「48時間」が一つの基準だった
作戦計画では、
CSガスを開始してもすぐに全員が退出しないことを想定していた。
大きな基準の一つが48時間だった。
ガス投入を続けても48時間経過後に全員が出ない場合、
CEVを使って、比較的ガスの影響が弱い部分から建物を徐々に解体していく計画だった。
つまり、
4月19日午前6時開始
→ 正午までに全員退出
という6時間作戦として設計されていたわけではない。
司法省幹部は、
2日、あるいは3日かかる可能性を前提としていた。
リノはクリントン大統領へも、
4月19日は「D-Day」ではない
という趣旨の説明をしている。
「発砲された場合」は別の計画へ移る
ただし当初計画には例外があった。
Branch DavidiansがFBIへ発砲した場合である。
その場合は、
徐々に少量ずつ入れる計画から、
より多くの窓・開口部へCS剤を投入する段階へ直ちに移る
ことが予定されていた。
FBI側から見れば理由は明確だった。
装甲車両へ銃撃する場所をそのまま使わせれば、
作戦を安全に継続できない。
そこで発砲地点を含む区画へガスを集中させ、
射撃位置として利用しにくくする。
ただし、この「発砲時のエスカレーション条項」が、
4月19日の作戦速度を大きく変えることになる。
4月15日|リノはまだ「なぜ今なのか」を納得していなかった
4月14日の説明でCSガスそのものへの理解は進んだ。
しかしリノは、
「この方法が使用できる」
ことと
「今使うべきである」
ことを別に考えていた。
4月15日、Associate Attorney General Webster Hubbellらは、
ウェーコ現地の主任交渉担当Byron Sageと約2時間話した。
目的は、
交渉には本当にもう余地がないのか
を確認することだった。
Sageの回答は厳しかった。
追加の説得はほとんど成果を生まない。
KoreshはSeven Sealsを巡って誠実ではない。
交渉は完全な行き詰まりに近い。
これはFBI交渉担当者自身の評価である。
ただし、前回扱ったとおり、
4月14日にはKoreshがSeven Seals原稿を書き終えた後に退出すると新たに伝えていた。
FBI側は、
その話を
「最後の具体的な出口」
ではなく、
「これまでと同じ新しい延期条件」
として見る方向へ傾いていた。
4月16日|一度は承認されない方向へ進んだ
司法省報告には興味深い経緯が残っている。
4月16日、司法省内部では、
リノが一度CSガス計画を認めない判断をしたという情報が関係者へ伝えられた。
FBI Director William Sessionsらがその説明を受けると、
直接リノと話すことになった。
その後リノは最終的な拒否を確定させず、
施設内部の状態。
交渉の進展。
CSガス案を採る理由。
これらを文書で整理して提出するよう求めた。
つまり決定は、
賛成
→ 即承認
という一直線ではない。
疑問 → 追加調査 → 拒否方向 → 追加説明 → 最終承認
という経路をたどっている。
4月17日|ジャネット・リノが最終承認
4月17日、リノは司法省・FBI幹部と再び会議を開いた。
前日に求めていた文書も提出された。
ここでは、
- 施設内部の状況
- 交渉の進展
- 長期包囲の危険
- CSガス計画
- 子どもへの対応
- 発砲された場合のルール
が改めて確認された。
リノがとくに確認したのは、
子どもが武器と一緒に利用された場合の対応だった。
たとえば、
銃を撃つ人物が子どもを抱えている。
子どもを窓際へ置いてFBIを牽制する。
そのような状況が発生した場合には、
FBI側が作戦を引くこと
をリノは求めた。
こうして4月17日午後、
CSガス計画が承認された。
実施日は4月19日、月曜日。
なぜ日曜日ではなく月曜日だったのか
リノは4月17~18日の週末実施を避けた。
司法省報告では、
週末より平日の方が救急医療体制を確保しやすいという懸念が理由の一つとして記録されている。
もし多数の人々が一度に退出する。
ガス曝露による医療処置が必要になる。
銃撃による負傷者が出る。
こうした状況へ対応できる医療体制を考える必要があった。
そのため実行日は月曜日の4月19日となった。
4月18日|クリントン大統領へ説明
CSガス作戦を承認したのは司法長官ジャネット・リノだった。
翌4月18日、リノはビル・クリントン大統領へ電話で計画を説明した。
大統領へ説明した重要点の一つが、
4月19日にすべてを一気に終わらせる計画ではない
という点だった。
段階的な圧力であり、
完了まで2~3日かかる可能性がある。
クリントンは計画の説明を受け、
最終的な判断を司法長官へ任せた。
事件翌日の記者会見では、
自分も説明を受け、質問をしたうえでリノに判断を任せたと説明している。
誰が最終決定者だったのか
| 人物・組織 |
役割 |
| FBI Waco現場 |
長期包囲の運用、HRT、交渉、現場リスク評価 |
| FBI本部 |
CSガス計画を整理し司法省へ提案 |
| 司法省幹部 |
計画の法的・政策的・医療面を検討 |
| Janet Reno司法長官 |
CSガス作戦そのものを最終承認 |
| Bill Clinton大統領 |
4月18日に説明を受け、Renoの判断に委ねた |
| Waco現場指揮官 |
承認された計画の範囲内で4月19日の具体的戦術判断を実施 |
したがって、
「クリントン大統領が戦車突入を命令した」
という説明は正確ではない。
一方、
「大統領は何も知らなかった」
という説明も正しくない。
4月18日に説明を受けており、
翌日の作戦を知った状態で司法長官の判断を支持した。
作戦には「撤退条件」もあった
CSガス計画は、
何が起きても最後まで前進するという設計ではなかった。
リノは、
とくに子どもが危険にさらされる状況では作戦を後退させるよう求めていた。
また大量自殺を示す明確な兆候が出れば、
通常の段階的ガス投入から緊急救助計画へ切り替えることも想定されていた。
問題は、
実際の現場では「危険が高まっている」と判断したとき、
止まるべきなのか。
逆に圧力を強めるべきなのか。
この二つの判断が常に明確ではなかったことである。
火災は想定されていなかったのか
FBIは火災の可能性をまったく考えていなかったわけではない。
火災が発生する可能性自体は想定していた。
一方、司法省の意思決定過程でより強く警戒されていた最悪のシナリオは、
爆発
だった。
Renoも、
Koresh側が施設を爆破する可能性を懸念していた。
FBIは、
Koreshが本当に建物を爆破したいのであれば以前から可能だったはずだと評価し、
集団自殺の可能性も低いと説明していた。
火災対応車両については、
Branch Davidiansの火器から消防士を守るため、
施設直近には配置されなかった。
この配置と4月19日の消火開始の遅れは、
事件後に大きな検証対象となる。
計画上のCEVは「戦車」だが、目的は射撃ではなかった
4月19日の映像を見ると、
大型の装甲車両が建物の壁へ入り込んでいる。
そのため、
「米軍の戦車が宗教施設を攻撃した」
という印象を持ちやすい。
使用された中心車両の一つが
Combat Engineering Vehicle(CEV)
だった。
M60戦車系の車体を使った工兵用車両で、
長いブームを装備している。
ウェーコでは主砲で施設を撃つためではなく、
- ブームを建物へ差し込む
- Mark Vシステムで液体CS剤を投入する
- 必要に応じて壁へ開口部を作る
ために使われる計画だった。
つまり車両の外見は軍用戦車に近いが、
4月19日の承認された主要用途はCSガスの配送と建物へのアクセス確保だった。
段階的計画を図にするとこうなる
第1段階
夜明け前にCEVを配置
↓
第2段階
建物の限定された区画へ少量のCSガス
↓
退出または真剣な交渉が始まる
→ 待機・対応
退出しない
→ 別区画へ段階的にガス投入
↓
Branch Davidiansが発砲
→ 複数の窓・開口部へガス投入範囲を拡大
↓
48時間経過しても全員退出しない
→ CEVによる建物の段階的解体を開始
少なくとも文書上は、
「午前中に建物を大きく解体する」ことは通常シナリオではなかった。
しかし4月19日、計画は数時間で加速した
ここが第7回と第8回の境界になる。
計画段階では数日。
実際には約6時間後、建物は炎上した。
なぜそこまで速度が変わったのか。
最大の要因は、
CSガス投入開始直後からFBI装甲車両へ銃撃が行われたとFBIが判断したことだった。
承認済み計画には、
発砲された場合にはガス投入を一気に広げる条項があった。
そのため、
「段階的に一部だけ」
という最初の計画は開始数分後から変化する。
さらに強風でCS剤が拡散しやすく、
想定より効果が弱かった。
Ferret弾の消費。
CEVの機械トラブル。
射撃地点への対応。
退出路を作るための壁面開口。
複数の現場判断が重なり、
建物への物理的な損傷が増えていった。
司法省の事後評価自身も、
午前中には当初承認された計画からの「apparent deviation」が始まった
と記録している。
この実行段階は、次の記事で時刻単位に分解する。
FACT CHECK|CSガス作戦の意思決定
| 主張 |
判定 |
確認できること |
| CSガス案は4月19日の朝に突然決まった |
FALSE |
3月22日に正式な選択肢として検討が始まり、4月12日から司法省で本格審議された |
| Janet Renoは最初から即時実行を求めていた |
FALSE |
「なぜ今なのか、なぜ待てないのか」を繰り返し問い、追加情報を要求した |
| Renoは4月12日に計画を即承認した |
FALSE |
最終承認は4月17日 |
| CSガス使用は子どもへの影響を検討せず決められた |
FALSE |
毒性専門家・軍関係者から説明を受け、子ども・妊婦・高齢者への影響が議論された |
| 子どもに対するCSガスの直接的実験データが十分存在した |
FALSE |
司法省報告自体が、子どもについて直接的な実験データがなかったことを記録している |
| 当初から4月19日中に全員を出す計画だった |
FALSE |
48時間、場合によっては2~3日を想定した段階的計画だった |
| 最初から建物全体へ一斉にCSガスを投入する計画だった |
FALSE |
限定区画から段階的に広げる設計だった |
| Branch Davidiansが発砲した場合でも同じ速度で続ける予定だった |
FALSE |
発砲時にはガス投入範囲を直ちに拡大する条項があった |
| FBIは長期包囲を簡単に維持できると考えていた |
FALSE |
包囲線の脆弱性、HRT、人員疲労、外部侵入、武器の射程などが問題視された |
| 施設内の食料は数日で尽きる見込みだった |
FALSE |
FBIは長期間、資料によっては最大約1年維持できる可能性まで想定していた |
| Clinton大統領が現場へ直接CSガス使用を命令した |
FALSE |
Renoが計画を承認し、4月18日にClintonへ説明。大統領は判断を司法長官へ委ねた |
| Clinton大統領は4月19日の作戦を知らなかった |
FALSE |
前日の4月18日にRenoから説明を受けた |
| CEVは建物へ砲撃する目的で投入された |
FALSE |
主要用途は液体CS剤の投入、障害物・開口部処理だった |
| 4月19日の実行は最後まで当初計画どおりだった |
FALSE |
司法省事後評価も午前中の建物解体について承認計画からの逸脱を指摘している |
3月22日から4月19日まで|意思決定の流れ
| 日付 |
出来事 |
| 3月22日 |
FBIがCSガスを非致死性の強制退出手段として正式に検討開始 |
| 3月23日 |
最後のBranch Davidian構成員が退出。その後4月19日まで退出なし |
| 3月下旬~4月上旬 |
FBIが段階的CSガス投入計画を具体化 |
| 4月12日 |
FBIがJanet Reno司法長官へ計画を正式説明。Renoは「なぜ今なのか」と問い、即決せず |
| 4月14日 |
軍関係者・CS毒性専門家を交え、子ども・妊婦・高齢者への影響、HRT、包囲継続等を検討 |
| 4月14日 |
KoreshがSeven Sealsについての原稿完成後に退出すると弁護士へ伝える |
| 4月15日 |
Webster Hubbellらが主任交渉担当Byron Sageから交渉見通しについて約2時間聴取 |
| 4月16日 |
Renoが一度は承認しない方向に傾くが、追加の文書・根拠提出を要求して判断継続 |
| 4月17日 |
司法省・FBI幹部と再検討。Renoが4月19日のCSガス計画を承認 |
| 4月18日 |
RenoがClinton大統領へ計画を説明。「4月19日だけで終わらせる作戦ではない」と説明 |
| 4月18日 |
FBIが施設正面の車両等を撤去し、翌朝の準備を進める |
| 4月19日 5時55分ごろ |
HRTがCEVを展開。承認されたCSガス作戦が開始される |
意思決定表|当時FBI・司法省が見ていた選択肢
| 選択肢 |
期待できること |
主な問題 |
| 交渉を続ける |
武力を使わず退出者を増やせる可能性 |
3月23日以降退出なし。Koreshの条件変更。終了時期不明 |
| 長期包囲を継続 |
時間によって内部の意思が変化する可能性 |
食料・水が長期間持つ。包囲線、人員、HRT、外部侵入等の問題 |
| 通常の強行突入 |
短時間で物理的制圧を試みられる |
大量火器、建物構造、子どもの存在から極めて高リスク |
| 建物を一気に破壊 |
内部抵抗力を短時間で奪える可能性 |
子ども・成人への直接的危険が大きい |
| 段階的CSガス |
直接銃撃せず、内部を徐々に居住不能にして退出を促す |
健康影響、内部の反応、発砲時のエスカレーション、建物損傷等のリスク |
FBI・司法省が選んだのは、この中で
最も「中間」に位置する方法
だった。
少なくとも計画文書上はそうだった。
後から見れば「CSガスを選んだこと」がすべての原因なのか
4月19日の火災を知っている現在から見ると、
「CSガス作戦を承認しなければ火災はその日に起きなかった」
という因果は考えやすい。
少なくとも4月19日の一連の出来事が、
CSガス作戦開始を契機として進んだことは事実である。
しかし、
「作戦を行わなければ全員が必ず平和的に生存して退出した」
ところまで資料から確定することはできない。
逆に、
「待っても絶対に何も変わらなかった」
とも証明できない。
意思決定の評価では、この不確実性を残す必要がある。
後年の議会調査は何を問題視したのか
1995年の米下院調査も、
4月19日の意思決定過程を大きな検証対象とした。
議会報告は、
CSガス計画が4月12日に司法長官へ提出され、
17日に承認されたという基本経緯を確認している。
一方で、
- 外部専門家の意見をもっと利用できなかったのか
- KoreshとBranch Davidiansの行動評価が十分だったか
- 政府内部の専門家評価に偏りがなかったか
- 交渉と強制措置の切り替え判断は妥当だったか
などを問題として扱った。
つまり後年の評価でも、
「選択肢はCSガスしかなかった」と単純化するより、
どのような情報と専門家意見を基に、その選択肢を最善と判断したのか
が問われた。
まとめ|4月19日の決断は「もう待てない」だけではなかった
FBIがCSガスを使う案を正式に検討し始めたのは3月22日だった。
それから約4週間、すぐには使わなかった。
交渉は続いた。
弁護士も施設へ入った。
Koreshは過越祭後の退出を示唆し、
さらにSeven Sealsについての原稿を書くと言った。
一方、3月23日からBranch Davidian構成員は一人も出なかった。
施設内部には長期間持つ食料と水があると考えられた。
広大な包囲線は維持が難しく、
HRTも無期限に最高警戒状態を続けることはできない。
大量の武器と子どもが同じ施設内に残っている。
この状態でFBIは、
交渉だけを続ける。
長期包囲する。
直接突入する。
段階的にCSガスを使う。
という選択肢を比較した。
ジャネット・リノはすぐには承認しなかった。
「なぜ待てないのか」を問い、
子どもへの影響を調べ、
軍や専門家から説明を受け、
交渉担当者の意見を確認した。
一度は計画を認めない方向へ傾いたあと、
追加説明を求め、
4月17日に承認した。
そしてこの時点で想定していたのは、
4月19日に一気に建物へ突入することではなかった。
48時間。
場合によっては2~3日。
少しずつCS剤を入れ、
外へ出る時間を与える。
それが承認された計画だった。
しかし4月19日午前6時すぎ、
開始からわずか数分でFBIは装甲車への銃撃を確認した。
計画にあらかじめ設定されていた
「発砲された場合のエスカレーション」
が作動する。
そこから作戦の速度は急速に変わる。
ガス投入が拡大される。
CEVが壁へ開口部を作る。
建物の一部が崩れる。
そして正午過ぎ、炎が現れる。
次回は、
4月19日5時55分から火災発生までの約6時間
を時刻順に追う。
今回出てきた言葉
ジャネット・リノ(Janet Reno)
1993年3月に就任した米司法長官。ウェーコ事件ではFBIが提出したCSガス計画を検討し、4月17日に最終承認した。
CS
催涙性の化学剤。眼・呼吸器等へ強い刺激を与えることで、その場所に留まり続けることを困難にする。ウェーコでは建物からの退出を促すために使用された。
CEV(Combat Engineering Vehicle)
M60戦車系の車体を基礎とする戦闘工兵車両。ウェーコでは長いブームを建物へ入れ、液体CS剤を投入する役割などに使用された。
Mark V
CEVに装備された液体催涙剤投入システム。二酸化炭素を利用して液体CS剤を建物内部へ噴射する。
Ferret Round
M79等のランチャーから発射する液体CS剤入りの弾体。建物の開口部などへ催涙剤を投入するため使用された。
HRT(Hostage Rescue Team)
FBIの高度戦術部隊。4月19日の作戦ではCEVやBradleyの運用、狙撃観測、周辺警戒などを担当した。
SIOC
FBI Strategic Information and Operations Center。ワシントンのFBI本部側で4月19日の作戦状況を監視する中枢の一つとなった。
出典・参考資料
本記事では、4月19日の結果を知った後から意思決定を逆算せず、1993年4月12~18日の時点でFBI・司法省が把握していた情報と選択肢を中心に整理しています。
米司法省1993年報告は、CSガス計画の会議・参加者・質問・日程を詳細に確認できる主要公的資料ですが、司法省・FBI自身が事件当事者でもあります。そのため「CSガスが唯一の合理的選択だった」という行政側の評価そのものと、4月12日に計画が提示された、4月17日にRenoが承認した、48時間以上を想定した段階計画だった、といった事実を分けて扱っています。
また、Janet Renoが子どもの状況について受け取っていた情報には、後に正確性が問題となったものが含まれます。そのため「現在進行形の児童虐待を止めるためにCSガスを承認した」と一本の理由にはしていません。司法省報告上も、児童問題は食料・水、交渉停滞、HRT、包囲線、武器、衛生状態など複数の判断材料の一つとして扱われています。
CSガスについては当時「非致死性」手段として計画されましたが、これはあらゆる曝露条件・年齢・健康状態で危険がないことを意味しません。司法省報告自身、子どもを対象にした直接的実験データがなかったことを記録しています。
また、承認計画ではガスを段階投入し、48時間後までに退出しない場合に建物解体へ進む設計でした。4月19日午前中に実際に行われた建物への大規模な開口・損傷については、司法省事後評価でも当初計画からの逸脱があったとされています。その実行過程と時刻は第8回で分離して検証します。