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なぜリヴァプールサポーターが責められたのか事故後の警察説明と報道を追う

なぜリヴァプールサポーターが責められたのか|事故後の警察説明と報道を追う

群集・施設事故

1989年4月15日、ヒルズボロ・スタジアムで群集圧迫が発生した直後から、「リヴァプールのサポーターがゲートを突破した」「大量の酔った観客が押し寄せた」といった説明が広がり始めた。
その日のうちに、事故原因をサポーターの行動へ結びつける情報がテレビやラジオで流れ、数日後には一部新聞が、救助を妨げた、警察官を襲った、犠牲者から物を盗んだといった深刻な主張まで掲載した。

しかし、1989年のTaylor Inquiryは、サポーターの行動を事故原因とする見方を退けた。
2016年の新検死審問でも、陪審はサポーターの行動がLeppings Laneの危険な状況を引き起こした、または寄与したかという問いに「No」と回答している。
2025年に公表されたIOPC・Operation Resolve最終報告も、この中心的な結論を変更する証拠はないとしている。

では、なぜこれほど長く「サポーターにも責任があった」という印象が残ったのか。
答えは、The Sun紙の一つの記事だけにはない。
事故当日の警察幹部による誤った説明、匿名警察官の発言、地方報道と通信社を経由した情報、政治家による伝聞、さらに事故後のSouth Yorkshire Police(SYP)がTaylor Inquiryや検死審問へ向けて作った組織的な主張が、時間をずらしながら重なっていた。

第6回では、事故当日から数日間のメディア報道と、その後に行われた警察官の記録修正を分けて追う。
同時に、「すべてが最初から一つの巨大な情報操作として計画されていた」と単純化することも避ける。
2025年最終報告が明らかにしたのは、メディアへの組織的な一斉工作が証明されたわけではない一方、SYPがその後の公式調査では一貫して警察側への責任を小さくし、サポーター側の行動を強調する方向へ動いたという、二つの異なる事実である。

最初の誤った説明は、事故当日のうちに始まった

事故後の「サポーター責任論」を追うとき、最初に確認すべきなのはThe Sun紙ではない。
全国紙の記事が出る前、事故当日の午後からテレビ・ラジオでは「観客がゲートを強制的に開けてスタジアムへ入った」という趣旨の情報が流れていた。

この説明の重要な出所となったのが、当日のmatch commanderだったChief Superintendent David Duckenfieldである。
事故直後、彼はFAとSheffield Wednesday FCの幹部に対し、サポーターがゲートを押し開けて入場したという趣旨の説明をした。
しかし実際には、Gate Cは警察側によって開放されていた。

その日の夕方、South Yorkshire PoliceのChief Constable Peter Wrightは記者会見で、ゲートが警察によって開けられたことを明らかにし、この初期説明を修正した。
それでも、翌日の新聞の一部には「サポーターがゲートを突破した」という説明が残った。

Duckenfieldは後年、2014〜2016年の新検死審問で、この最初の説明が虚偽だったことを認め、遺族へ謝罪している。
2025年のIOPC最終報告も、この発言がサポーター責任論の形成へ長期的な影響を与えたと評価している。

FACT CHECK|「警察が最初から公式に、サポーターがゲートを壊したと発表した」のか

正確には少し違う。
DuckenfieldがFA・クラブ幹部へ誤った説明をし、それが事故当日の放送にも反映された一方、Chief Constable Wrightは同日夜の記者会見でGate Cが警察によって開けられたことを公に説明している。
したがって、誤情報が一度も訂正されなかったわけではない。
それでも初期報道に乗った説明は翌日以降にも残り、後のサポーター責任論と結び付いた。

4月16日から「4,000人の酔ったサポーター」という情報が現れる

事故翌日の4月16日、SYPのpress logには、Sheffield Starの記者から問い合わせがあった記録が残っている。
記者は匿名警察官から、「4,000人の酔ったリヴァプールサポーター」が問題を起こしたという趣旨の情報を得たとしていた。
SYPの公式press officeは、この問い合わせにはコメントしなかった。

翌17日にも、複数紙で匿名警察官の発言が掲載された。
内容には、救助中の警察官が殴られた、蹴られたといった主張が含まれていた。
ここで重要なのは、事故後の警察組織が公式声明として一つの文章を配ったわけではないことだ。
匿名の個々の警察官や関係者による情報が、新聞社ごとに断片的に現れている。

一方で、IOPCは「警察官がメディアへ話した証拠自体」は存在すると判断している。
2025年調査では多数の記者へ接触し、当時の記事・press log・関係者証言を照合した。
ただし、匿名で引用された警察官の大部分について、誰だったのかを特定することはできなかった。

「大量の飲酒」が事故原因だったという証拠はない

事故後の報道で最も繰り返された説明の一つが、リヴァプールサポーターの大量飲酒だった。
当時の一部警察官は、普段のサッカー試合より飲酒した観客が多かったと証言している。

しかし、IOPCが警察以外の証言、写真、映像を合わせて再検証した結果、飲酒が異常な水準だったという説明は支持されなかった。
飲酒していた観客が一人もいなかったという意味ではない。
FAカップ準決勝へ向かう観客の中に飲酒者はいた。
問題は、それを「事故を起こすほど異常な大量飲酒」と評価できる証拠があるかどうかである。

2025年最終報告は、その証拠はないと整理している。
さらに2016年の新検死審問では、サポーターの行動がLeppings Lane入口の危険な状況を引き起こした、または寄与したとは認められなかった。

したがって、「酔った観客が押し寄せたから事故になった」という説明は、現在の公式調査結果とは一致しない。

「チケットなしの観客が大量に来た」という説も支持されなかった

もう一つ長く語られたのが、チケットを持たない観客が大量にスタジアムへ押し寄せたという説明である。
これが事実なら、計画された収容人数を超える観客がLeppings Lane側へ集まり、入口の圧迫を生んだという筋書きになる。

しかし、Taylor Inquiryはこの見方を事故原因として採用しなかった。
2025年IOPC最終報告も、大量のチケットなし観客が存在したことを示す証拠はないとしている。

事故当日の問題は、予定外の数万人が突然追加されたことではない。
第2回で見たように、Leppings Lane側に割り当てられた観客数とターンスタイルの処理能力自体に余裕がなく、第3回・第4回で見たように、場外の滞留を解消する操作が満員に近い中央Penへの大量流入へ接続した。

4月18日|地方報道と通信社で、より強い主張が広がる

事故から3日後の4月18日、サポーターの行動を非難する報道はさらに強くなった。
Sheffield Starは、飲酒した一部サポーターが警察や救助関係者を攻撃したという趣旨の記事を掲載した。
同じ日、地方通信社White’s News Agencyも、匿名警察官などの証言をもとに、サポーターの行動を問題視する複数の記事を配信した。

この通信社の記事は、各新聞社が購入して再利用できるnews feedだった。
そのため、一つの地方発情報が複数の全国紙へほぼ同じ形で広がる経路になった。
翌19日にはThe Times、Daily Express、Daily Mail、Daily Mirrorなど複数紙で、White’sの配信内容と強く似た記事が掲載された。

最も大きな注目を集めたのがThe Sun紙だった。
同紙は「The Truth」という見出しのもとで、他紙が「~との主張がある」と扱った内容の一部を、より断定的な形で掲載した。
そのため、後年の記憶ではThe Sunがサポーター責任論の出発点のように扱われやすい。

しかし2025年のIOPC調査が示した重要な点は、The Sunが最初ではなかったことである。
類似した話は前日のSheffield StarとWhite’sですでに流れており、複数の全国紙へ拡散していた。
The Sunはそれを最も強く、最も断定的に提示した媒体だった。

報道された主張を、2025年の証拠で一つずつ見る

事故直後に報道された内容には、事実に近い断片と、誇張または裏付けの乏しい主張が混在していた。
現在の資料から「すべて嘘だった」と一括するのも、「警察官が見たのだから事実だった」と受け入れるのも適切ではない。
IOPCは個々の主張を分けて再検証している。

当時広まった主張 2025年IOPCの評価 事故原因との関係
大量のサポーターがチケットなしで来た 大量に存在したことを示す証拠なし 事故原因として支持されない
異常な量の飲酒があった 警察証言はあるが、第三者証言・映像等は異常水準を支持しない 事故原因として支持されない
警察官への暴行が広範にあった 混乱時の接触や一部の衝突証言はあるが、広範な攻撃を裏付ける証拠は乏しい 事故原因ではない
救助中の警察官へ唾を吐いた その種の証言は存在するが、場所・対象は様々で、救助を妨害したとの一般化はできない 事故原因ではない
警察馬をたばこで焼いた 裏付けなし。IOPCは極めて不可信と評価 無関係
犠牲者から金品を盗んだ 最も深刻な報道を裏付ける証拠なし 無関係

特に注意したいのは、現場で警察官と観客の間に一切の衝突がなかった、と逆方向へ断定しないことだ。
大規模災害の直後で、怒り、混乱、救助、警備が同時に進んでいた。
個別の口論や接触、唾を吐かれたという証言は存在する。

しかし、それらを「リヴァプールサポーターという集団の行動」へ拡張し、さらに「その行動が97人の死亡事故を起こした」という因果へつなげる証拠はない。
ここが、個別証言と事故原因を分けて読む必要がある理由である。

警察官から政治家へ、政治家からメディアへ情報が流れた

地方報道へ流れた情報の経路について、2025年調査で比較的具体的に確認できた人物がIrvine Patnickである。
当時Sheffield Hallam選出の保守党議員だったPatnickは、事故当日の夜、警察官が集まっていたNiagara Police Sports and Social Clubへ行き、複数のSYP警察官と話した。

そこで警察官から、サポーターによる暴行や放尿など複数の話を聞いたと、Patnick自身の当時のメモに残っている。
Patnickはその後、それらの話をメディアへ伝えた。
White’s News Agencyの配信内容にもPatnickの発言が含まれている。

重要なのは、Patnick自身が現場でその行為を直接確認した証人ではなかったことだ。
彼は警察官から聞いた情報を再伝達した。
しかもメモには、上級警察官から話を鵜呑みにしないよう注意されたことも記録されている。

2012年のHillsborough Independent Panel報告後、Patnickは、警察官から聞いた情報の正確性を十分確認せずメディアへ伝えたことについて謝罪している。

警察組織がThe Sunの記事を「指示した」証拠は見つかっていない

ここまで読むと、「SYP上層部が匿名警察官を使って新聞社へ虚偽情報を流し、The Sunの記事を作らせた」という一つの計画を想像しやすい。
しかし、2025年のIOPC調査はそこまでを証明していない。

IOPCは、複数の警察官がメディアへ話したことを示す証拠を確認した。
一方で、それがSYP上層部の指示に基づく組織的なメディアキャンペーンだったという証拠は見つけていない。

むしろ4月19日、The Sunの記事が出た日、SYP内部ではChief Constableの明示的な許可なしにHillsboroughについてメディアへコメントしてはならないという指示が出されている。
29日にも同様の注意が繰り返された。

したがって、事故直後のメディア報道について最も資料に忠実な説明は、次のようになる。

確認できること 確認できないこと
Duckenfieldが事故直後にゲート突破という虚偽説明をした その発言が事前にSYP上層部と計画されていたこと
複数の警察官がメディア・政治家へサポーター批判を伝えた 匿名発言をした警察官全員の身元
Patnickらを通じ、警察由来の話がメディアへ流れた SYP本部がWhite’sやThe Sunへ記事内容を指示したこと
The Sun以前に地方報道・通信社で同様の話が広がっていた The Sunだけがすべての責任論の起点だったこと

この区別は、「警察による責任転嫁がなかった」という意味ではない。
メディアへの組織的工作が証明されていないことと、SYPがその後の公式調査で責任を自らから遠ざけようとしたことは別問題である。

事故後、警察官の記録はどのように集められたのか

事故当日に勤務していたSYP警察官は、その後、自分が見聞きしたことを記録したaccountsを作成した。
当初は、何が起きたのかを内部的に把握するための資料という性格を持っていた。

その後、Taylor Inquiryへ証拠を提出する必要が生じたため、SYPは警察官のaccountsを見直す作業を始めた。
法務チームHammond Suddardsからの助言を受ける第一次の見直しと、SYP内部で行われた第二次の見直しが行われている。

見直し自体が直ちに不正を意味するわけではない。
文法ミス、誤記、伝聞、単なる意見を整理して、公式調査へ提出する文章を明確にすることには合理性がある。
実際、2025年IOPCが確認した327件の修正accountsのうち85件は、スペル、文法、表現上の修正だけだった。

問題は、残る修正の一部が、単なる文章整理を超えていたことである。

2025年の再検証で、327人分の警察官記録が修正されていたと判明した

2012年のHillsborough Independent Panelは、警察官の記録が修正されていたことを重要な問題として明らかにした。
その後IOPCがさらに全資料を調べた結果、2025年最終報告では、修正されたSYP警察官のaccountsは合計327人分だったことが確認された。

これは事故当日に関するSYP警察官accountsのおよそ4分の1に相当し、2012年報告で把握されていた数より133件多い。
327件のうち297件は、事故捜査を担当したWest Midlands Police(WMP)へ送られていた。

修正には小さなものから重要なものまで幅があった。
IOPCが特に重視したのは、警察の計画・通信・指揮・過去の群集管理についての記述が削除または弱められた例である。

修正された主な内容 IOPCが確認した件数・傾向
通信・無線の問題 40件で修正
警備計画・戦術・人員・救助時の連携への批判 31件で修正
Leppings Lane外側の警察統制の失敗 29件で修正
上級警察官・command & controlへの批判 63件で削除または言い換え
過去に中央トンネルを閉じてPenへの流入を制御した記述 該当した5件すべてから削除
SYPがPen内の安全・収容状況を監視していた記述 該当した8件すべてから削除

特に最後の二項目は事故原因と直接関係する。
もし警察が過去の試合で、中央Penが満員になればトンネルを閉じる運用をしていたなら、1989年にも警察がPenへの流入管理を担っていたことを示す重要な証拠になる。

ところが、そうした過去の実務を記した記述は、Taylor Inquiryへ渡る前のaccountsから削除されていた。
IOPCは、この変更によってSYPの主張はより一貫した形になったが、Taylor Inquiryへ示される証拠は不完全になったと評価している。

FACT CHECK|「327人の警察官が証言を捏造した」のか

そうではない。
327は、警察官本人のaccountsに何らかの修正が加えられた人数であり、85件は文法・スペル・表現だけの修正だった。
また修正作業には警察官本人、SYP内部、法務チームなど複数の段階が関係している。
問題は327件すべてが虚偽だったことではなく、一部の重要な修正で警察の失敗、過去のトンネル閉鎖、Pen監視責任など事故原因に直結する情報が削除・弱化されたことである。

SYPはTaylor Inquiryで何を主張しようとしていたのか

2025年のIOPC最終報告は、事故後のSYP内部資料や法務チームとの会議を横断して検証し、South Yorkshire Policeが自らへの責任を小さくする方向へ一貫した主張を作ろうとしていたと結論づけた。

中心となったのは、Pen内の安全管理はクラブのsteward側の責任であり、警察はPenの収容人数や中央トンネルへのアクセス管理について責任を負っていなかった、という立場である。

しかし実際には、過去の試合で警察官がPenの密度を監視し、満員になった場合に中央トンネルを閉じたというaccountsが存在した。
SYP内部の上級警察官も、満員時にはトンネルを止めるcontingencyが知られていたことを示す発言をしている。

それらの記述が提出資料から削られれば、「警察はその役割を担っていなかった」という主張を組み立てやすくなる。
IOPCは、この点を単なる文章整理ではなく、事故後の責任転嫁を示す重要なパターンとして評価している。

Taylor Interim Reportが警察側の主張を退けても、責任転嫁は終わらなかった

1989年8月に公表されたTaylor Interim Reportは、事故の主な理由を警察による群集統制の失敗とし、サポーター側の行動を原因とする説明を退けた。

これで警察側からサポーターへ責任を向ける議論が終わったわけではない。
IOPCは、Taylor Interim Report公表後もSYPが同様の主張を続けた証拠を確認している。

たとえばSYPは、議員向けに事故映像を使った説明会を行い、警察側の見方を伝えている。
一部の会合では、警察官が飲酒したサポーターなどについて語り、議員に警察側の立場を外部へ説明してもらおうとする動きもあった。

さらに、Popper Inquestsへ向けて「unruly behaviour by Liverpool fans」や高水準の飲酒に関する証拠を積極的に探す内部文書も存在した。

ここでは、事故直後の匿名メディア発言とは性質が変わっている。
最初の数日間の報道については、SYP上層部による組織的メディアキャンペーンは証明されていない。
しかし、その後Taylor Inquiryや検死審問へ向けてSYPが組織として自らへの責任を小さくし、他者の行動を強調したことについては、IOPCは明確に「deliberately and consistently try to deflect the blame」と結論づけている。

では、これは「警察の隠蔽」だったのか

ヒルズボロでは「cover-up」という言葉が長く使われてきた。
しかし、この一語にすべてを入れると、証拠の強さが異なる行為まで同じものに見えてしまう。

2025年IOPCの結論は慎重だが明確である。
SYPには、事故後のさまざまな公式手続きの中で、警察への責任を遠ざけようとする広範で一貫したパターンがあった。
警察官accountsの重要部分を修正し、Penの安全監視やトンネル閉鎖という過去の警察実務を提出資料から外し、サポーター行動を強調する証拠を集めた。

一方で、事故後に疑われてきたすべての出来事が同じ計画に含まれていたわけではない。
IOPCは、遺体への血中アルコール検査や警察データベース照会が「犠牲者の評判を落とすため」に行われたという意図までは認定していない。
Sheffield Wednesdayのcontrol roomから映像テープ2本が消えた件についても、SYPが関与した証拠は見つけていない。

そして、Duckenfieldの最初の虚偽説明やThe Sunを含む初期メディア報道についても、それ自体がSYP本部による一つの組織的計画から生まれたとは証明されていない。

したがって、最も正確なのは「一枚岩の巨大な陰謀」として説明することではない。
事故直後には複数の人物・媒体を経由して裏付けの弱いサポーター批判が拡散し、その後の公式調査対応ではSYPという組織が、自らへの責任を小さくする方向へ継続的・意図的に証拠と主張を組み立てた、という二段階で見る必要がある。

なぜ誤った印象は長く残ったのか

1989年のTaylor Inquiryは早い段階で警察の統制失敗を指摘していた。
それでもサポーター責任論が消えなかった理由の一つは、公式調査報告書より、事故直後の強いイメージの方が社会に広く残りやすかったことにある。

「酔った観客」「ゲート突破」「救助妨害」といった説明は短く理解しやすい。
一方、実際の事故原因は、ターンスタイル処理能力、キックオフ延期判断、Gate C、中央トンネル、Pen 3・4の収容密度、警察指揮という複数の要素を理解しなければならない。

The Sunの「The Truth」という見出しが象徴的なのは、複雑な事故原因を一つの道徳的な物語へ変えてしまったからである。
技術・組織事故だった出来事が、「行儀の悪い観客が引き起こした混乱」として読むことのできる形に変換された。

その結果、事故の生存者や遺族は、家族を失ったことだけでなく、自分たちの行動が事故を招いたという社会的な疑念とも長期間向き合うことになった。
2012年のHillsborough Independent Panelと2016年の新検死審問が大きな転換点となった理由は、この責任の位置を公的資料と証拠によって再整理したことにある。

2025年最終報告で、何が確定し、何が確定しなかったのか

第6回の内容を、証拠の強さで整理すると次のようになる。

論点 現在の評価
サポーターの行動が事故を起こしたか 否定。Taylor Inquiry、2016年新検死審問、2025年IOPC/Operation Resolveで支持されない
Duckenfieldがゲート突破という虚偽説明をしたか 確認。本人も後年認めて謝罪
匿名警察官がサポーター批判をメディアへ話したか 一部確認。複数の証拠はあるが、大部分の身元は特定不能
SYPが組織的にThe Sun等へ記事を書かせたか 証拠なし。組織的メディアキャンペーンは確認されていない
SYPが公式調査で自らへの責任を遠ざけようとしたか 確認。2025年IOPCは意図的・一貫した責任転嫁を認定
警察官accountsが修正されたか 確認。327人分を確認。ただし全修正が不正という意味ではない
重要な警察批判・トンネル閉鎖・Pen監視の記述が削除されたか 確認。複数の重要項目で削除・弱化を確認

ここまで分けると、「何十年も真実が完全に隠されていた」という表現も少し修正が必要になる。
事故原因の核心は、1989年のTaylor Inquiryですでに警察の群集統制失敗として示されていた。

長期間解明されなかったのは、それだけではない。
事故後の情報がどのように作られ、警察内部のaccountsがどう修正され、どの資料が調査へ渡り、遺族が受け取った説明と公的判断の間にどんな差があったのかという、事故後の制度的プロセスである。

次回は、2012年の独立委員会が何を変えたのか

事故後の責任転嫁や警察官accountsの修正が広く理解される決定的な転換点となったのが、2012年9月に公表されたHillsborough Independent Panel(HIP)の報告だった。

HIPは、新たに一人の犯人を見つけた調査ではない。
それまで政府、警察、救急、検死、クラブなどに分散していた大量の資料を集め、事故当日の出来事と事故後の公的説明を同じ記録群の中で照合した。

その結果、警察官のaccountsが修正されていたこと、救命可能性に関する従来の説明に問題があったこと、サポーターへ責任を向ける情報の形成などが体系的に示された。
この報告を受け、従来の検死評決は破棄され、新たな検死審問と大規模な刑事・警察調査へ進むことになる。

次回は、2012年のHillsborough Independent Panelがどの資料を読み直し、1989年から続いていた説明の何を変えたのかを追う。

前の記事:

第5回 群集圧迫はなぜ止められなかったのか|警察指揮と救急・救助対応を検証する

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第7回 ヒルズボロ独立委員会は何を明らかにしたのか|2012年、過去の記録を再検証する

CASE FILE 15|全記事

  1. 第1回 ヒルズボロの悲劇とは?|1989年の群集事故と36年にわたる真相究明
  2. 第2回 ヒルズボロでは何度も危険が起きていた|1981年の圧迫事故と見直されなかった安全性
  3. 第3回 1989年4月15日、ヒルズボロで何が起きたのか|入場開始から試合中止までの時系列
  4. 第4回 なぜ中央ペンに人が集中したのか|Gate C・トンネル・Pen 3・4を図解する
  5. 第5回 群集圧迫はなぜ止められなかったのか|警察指揮と救急・救助対応を検証する
  6. 第6回 なぜリヴァプールサポーターが責められたのか|事故後の警察説明と報道を追う [現在の記事]
  7. 第7回 ヒルズボロ独立委員会は何を明らかにしたのか|2012年、過去の記録を再検証する
  8. 第8回 2016年のヒルズボロ評決は何を認定したのか|「Unlawful Killing」とサポーター無責任の結論
  9. 第9回 ヒルズボロでは誰が裁かれたのか|Duckenfield裁判と刑事責任の結末
  10. 第10回 ヒルズボロの悲劇は何を変えたのか|スタジアム安全改革から「Hillsborough Law」法案まで

出典・参考資料

本記事は、2012年Hillsborough Independent Panel、2016年新検死審問、2025年IOPC・Operation Resolve最終報告を照合し、事故直後のメディア報道と、その後のSouth Yorkshire Policeによる公式調査対応を分けて構成しています。
The Sunを含む初期報道について、SYP上層部が組織的に記事を指示した証拠は確認されていない一方、SYPがTaylor Inquiry等への対応で意図的・一貫して警察への責任を小さくしようとしたことは2025年IOPC報告で明確に認定されています。
また、327人分の警察官accountsが修正された事実を、327人全員による虚偽証言や捏造と同一視していません。