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なぜ建物の余裕は失われたのか5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重

なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重

建築・構造物事故

三豊百貨店の崩壊原因を紹介する記事では、しばしば「屋上に重い冷却塔を載せた」「それを屋上で引きずった」という話が強調される。

確かに、冷却塔は重要な要素だった。

しかし事故調査を構造側から読むと、建物に加わっていた余分な荷重は冷却塔だけではない。

5階は当初想定されたローラースケート場から飲食店街へ変更され、壁や床が追加された。屋根では、設計計算より重い仕上げが施工された。さらに空調用冷却塔が載せられ、その位置まで変更された。

第3回で見たように、三豊百貨店では柱径、床版の有効せい、鉄筋位置、コンクリート強度など、「支える側」の安全余裕が設計時より小さくなっていた

そこへ今度は、「支えなければならない側」の荷重が増えていた。

三豊百貨店の崩壊を理解するには、この二つを同時に見る必要がある。

CASE FILE 13|三豊百貨店崩壊事故特集(全10回)

この特集では、建物の構造的な弱点だけでなく、その弱点がなぜ放置され、事故当日まで営業が続いたのかを追う。

第3回では無梁床構造とパンチングせん断を見た。第4回では、その構造に実際にどのような荷重が加わっていたのかを整理する。

事故当日の亀裂や床沈下、それを見た経営側の判断は第5回で扱うため、今回は崩壊前までに建物の荷重条件そのものがどう変化したのかに集中する。

  1. 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
  2. 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
  3. 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
  4. 第4回|現在の記事:なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
  5. 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
  6. 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
  7. 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
  8. 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
  9. 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
  10. 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革

先に結論|冷却塔ひとつで崩れた事故ではない

三豊百貨店では、建物完成までとその後の使用過程で、設計時には想定されていなかった、あるいは設計時より大きな荷重が複数加わっていた。

事故調査委員会の結果を整理したGardnerらの論文では、特に次の3点が確認できる。[1]

場所 設計・当初想定 実際の状態
5階 ローラースケート場 飲食店街へ変更し、固定荷重が約35%増加
屋根 軽量コンクリート仕上げ 1.9kPa 実際の仕上げ荷重 約4.0kPa
屋根 計算上の積載荷重 1kPa 冷却塔の自重相当 約4kPa

これらはすべて、同じ種類の問題ではない。

5階の用途変更は、床そのものへ常時載る固定荷重を増やした。

屋根仕上げは、設計計算で想定した自重より実物が重かった。

冷却塔は局所的に大きな荷重を加え、さらに移動によって屋根スラブへ損傷を与えたと事故調査委員会は整理した。

重要なのは、複数の変更が同じ構造系へ同時に作用したことである。

「荷重が大きい」とはどういう意味なのか

まず、事故記事で使われる「重すぎた」という言葉を少し分解しておきたい。

構造物にとって重要なのは、建物全体で何トンあるかだけではない。

同じ10トンでも、広い面積へ均等に載る場合と、一つの柱の近くへ集中する場合では、床や柱に発生する力は違う。

さらに、荷重には時間的な違いもある。

種類 意味 三豊百貨店での例
固定荷重 常に建物へ載っている重量 床、壁、仕上げ、固定設備
積載荷重 使用状況により変化する重量 人、商品、家具等
局所荷重 限られた場所へ集中する重量 大型設備、冷却塔等
偏った荷重 柱・床へ均等でない力を与える状態 冷却塔位置、設備配置

三豊百貨店では、単に「建物全体が重かった」のではない。

設計時とは異なる場所に、異なる種類の荷重が加わっていた。

5階|ローラースケート場から飲食店街へ

事故調査委員会によれば、5階は当初ローラースケート場として計画されていた。

Gardnerらが示す設計条件では、5階の当初の固定荷重は8.0kPa、積載荷重は2.4kPaだった。[1]

kPaは圧力の単位だが、床荷重では「1平方メートル当たりどの程度の力がかかるか」と考えると理解しやすい。

1kPaは、おおまかには1㎡当たり約100kgfに相当する。

したがって8.0kPaなら、単純換算では1㎡当たり約800kgf程度の固定荷重というイメージになる。ただし、これは構造計算上の面荷重を理解するための概算であり、建物重量をそのままkgへ換算した値ではない。

この5階は、実際にはローラースケート場ではなく飲食店街として使用された。

そこで追加されたのが、間仕切り壁や二重床などだった。[1]

韓国料理店では、通常の売場とは違う床構成が必要になる場合もある。

床座で利用する店舗、厨房、給排水、間仕切り、床仕上げなどを整備すれば、その重量は客がいない夜間でも常に床へ載り続ける。

事故調査委員会は、こうした変更によって5階の固定荷重が当初想定より約35%増加したと評価した。[1]

35%増という数字は、何を意味するのか

「35%増」と聞くと、それだけで建物が耐えられなくなったように感じるかもしれない。

しかし、そう単純ではない。

建物は通常、使用時の荷重ぎりぎりで壊れるようには設計されていない。材料強度や荷重には安全係数を設定し、ある程度の余裕を持たせる。

実際、Gardnerらの再計算では、当初設計条件だけを使った場合、5階と屋根の柱・スラブ接合部には規準上一定の安全性があった[1]

問題は、その余裕を削る条件が35%の荷重増加だけではなかったことにある。

第3回で確認したように、

  • 柱径が計算上800mmだったものから600mmとなった箇所
  • 床版の有効せいが410mmから約360mmへ小さくなった部分
  • コンクリート強度が設計値21MPaに対し崩壊部で平均約18MPaだったこと
  • 柱周辺の床厚・鉄筋施工上の問題

も存在した。[1]

つまり、


要求される耐力は増える
一方で
実際に存在する耐力は減る

という両方向の変化が起きていた。

屋根|設計では1.9kPaだった仕上げが、実際には4kPa

5階の上にある屋根側でも、計算上の前提と実物には差があった。

事故調査委員会をまとめたGardnerらによれば、屋根の構造計算では軽量コンクリート仕上げの自重として1.9kPaが想定されていた。[2]

しかし、事故後に調査された実際の屋根仕上げ荷重は約4kPaだった。

単純な比率なら、設計計算で見込んだ値の約2.1倍になる。

ここでも、「屋根仕上げだけで建物が崩れた」という意味ではない。

重要なのは、柱5E周辺の接合部から見れば、上から伝わってくる恒常的な荷重が設計時の想定より大きくなっていたことである。

そしてその屋根には、さらに大型の空調設備が載せられた。

冷却塔は「エアコン本体」ではない

三豊百貨店事故の記事では、「屋上のエアコンを移動した」という表現を見ることがある。

より正確には、問題になったのは空調システムに使用される冷却塔(cooling tower)である。

大型建物では、空調設備で発生した熱を冷却水へ移し、その熱を屋外へ放出するために冷却塔が使われる。

冷却塔はファンだけではない。

構造体、水槽、配管、内部部材、水などを含む設備であり、運転時には大きな重量になる。

三豊百貨店では、この冷却塔が屋上に設置されていた。

韓国国立中央図書館の災害アーカイブも、荷重を十分考慮しないまま屋上冷却塔が設置されたことを、5階・屋上の過大荷重とともに崩壊原因の一部として整理している。[3]

冷却塔の重量は「87トン」で確定しているのか

FACT CHECK|冷却塔の総重量

三豊百貨店の冷却塔については、後年の解説資料に「3台で36トン」「1台15トン」「冷却水を含む運転時87トン」など複数の数字がある。

一方、事故調査委員会報告を直接要約しているGardnerらの査読論文では、冷却塔荷重を総重量○トンではなく、床へ作用する面荷重として扱っている。

同論文では、構造計算上の屋根の積載荷重を1kPaとしていたのに対し、冷却塔の自重による荷重を4kPaとしている。[2]

そのため本シリーズでは、二次資料間で値が揺れる総トン数を事故原因の確定値として使用せず、事故調査委員会を基にした4kPaという構造計算上の値を優先する。

ここで重要なのは、「何トンだったか」という印象的な数字だけではない。

設計上1kPaとしていた荷重条件に対し、その位置へ4kPa相当の設備荷重が加わったのであれば、床・柱接合部には設計時と異なる曲げやせん断が発生する。

冷却塔は、なぜ移動させられたのか

事故調査委員会によれば、冷却塔は当初、建物の東側に設置されていた。

しかし東側の住民から騒音に関する苦情があり、反対側へ移動させることになった。[2]

通常、大型設備を屋上で移動させる場合、その重量、吊り上げ方法、移動経路、床の局部耐力などを検討する必要がある。

冷却塔を一度分解して小さな部品として運ぶ方法も考えられるが、事故調査委員会の記録では、再組立てが難しいことから小分けにはされなかった。

その結果、冷却塔は屋根上を移動させられ、その過程で屋根スラブへ損傷を与えたと報告されている。[2]

この移設は、三豊百貨店事故を紹介する映像や記事で頻繁に取り上げられる。

ただし注意したい。

冷却塔を移動した瞬間に、1995年の崩壊が決定したわけではない。

建物はその後も使用され続けている。

移設は、既に余裕の小さかった屋根スラブへさらに損傷や不均衡な荷重を加えた一要素として見るべきである。

なぜ冷却塔の「位置」が重要なのか

同じ冷却塔なら、屋上のどこへ置いても重量自体は変わらない。

しかし構造への影響は変わる。

フラットスラブ構造では、床版が受けた荷重が柱へ直接伝わる。

そのため、冷却塔を柱間のどこへ置くかによって、

  • どの柱が多く荷重を負担するか
  • 床版がどの方向へ曲がるか
  • 柱・スラブ接合部へどの程度の不均衡モーメントが加わるか

が変わる。

Gardnerらは、冷却塔荷重によって柱・スラブ接合部へunbalanced moments=不均衡モーメントが生じたと記している。[1]

これは単に真下へ押すだけの力ではない。

床版の片側へ大きな荷重が寄れば、柱との接合部を回転させるような曲げ作用が加わる。

パンチングせん断耐力を評価するとき、この曲げ作用は無視できない。

「冷却塔を引きずったから柱5Eが壊れた」と言い切れるのか

ここも、事故の説明で単純化されやすい部分である。

事故調査委員会をまとめた論文から確認できるのは、

  • 冷却塔は住民苦情を理由に位置変更された
  • 小さく分解せず移動された
  • 移動によって屋根スラブに損傷を与えた
  • 冷却塔荷重は柱・スラブ接合部へ不均衡モーメントを生じさせた

というところまでである。[2]

一方で、

「移設時の一回の損傷が、そのまま2年後の崩壊を単独で引き起こした」

と因果関係を一本に固定するのは適切ではない。

第3回で見た構造欠陥、5階の用途変更、屋根荷重、施工品質なども同時に存在していたからである。

冷却塔は重要な寄与要因ではあるが、単独原因ではない。

荷重を「合計」するだけでも事故は説明できない

では、

5階固定荷重35%増

屋根仕上げ4kPa

冷却塔4kPa

を単純に足せば、事故原因を計算できるのか。

それも違う。

これらは作用する場所、面積、方向が異なる。

構造計算では、どこへどの荷重が加わり、それによって床版へどのような曲げモーメントやせん断力が発生するかを解析する必要がある。

特に三豊百貨店のようなフラットスラブ構造では、柱周辺のパンチングせん断だけではなく、荷重が偏ることで発生する不均衡モーメントも接合部耐力に影響する。

したがって本質は、

「重い物がたくさん載っていた」

ではなく、

「設計時とは違う荷重状態が、設計・施工時より耐力の低い柱・スラブ接合部へ作用していた」

ことである。

耐力と荷重を一つの図式で見る

ここまで第3回と第4回で扱った内容をまとめると、事故直前の建物を次のように整理できる。

耐力を下げる側 荷重を増やす側
柱径800mm想定 → 一部600mm 5階を飲食店街へ変更
床版有効せい410mm → 約360mm 5階固定荷重 約35%増
コンクリート21MPa想定 → 崩壊部平均約18MPa 屋根仕上げ1.9kPa想定 → 約4kPa
ドロップパネル・鉄筋施工上の問題 冷却塔荷重 約4kPa
柱・床接合部の施工品質 設備位置による不均衡モーメント

構造物の安全性を非常に単純化すれば、


安全余裕 = 耐力 ÷ 要求される力

と考えることができる。

耐力が下がる。
要求される力が上がる。

この二つが同時に進めば、その比率は急速に悪化する。

三豊百貨店では、一つの巨大なミスによって突然安全率がゼロになったというより、異なる工程で生じた複数の変更が同じ安全余裕を少しずつ消費したと捉える方が分かりやすい。

事故調査も「過大荷重だけ」を原因にはしていない

韓国国立中央図書館の災害アーカイブは、三豊百貨店について、5階食堂部分の床が沈下したあと、床荷重が周辺柱へ移り、連鎖的なせん断破壊が起きたと整理している。[3]

その原因として挙げられているのは、

  • 設計変更手続き上の問題
  • 構造図と実施工の相違
  • スラブ鉄筋配置
  • 柱・ドロップ部の施工不良
  • 5階と屋上の過大荷重
  • 屋上冷却塔
  • 監理・許認可上の問題

などである。

つまり公的な災害整理でも、過大荷重は「事故原因の一部」であって、他の構造・施工・管理問題から独立した唯一原因とはされていない。

なぜ建物はすぐには崩れなかったのか

ここまで問題が多かったなら、なぜ三豊百貨店は完成直後に崩れず、数年間営業できたのか。

これは、構造物が通常、ある程度の余裕を持っていることと関係する。

設計値からわずかに外れた箇所があるからといって、その日に必ず崩れるわけではない。

また日常の荷重状態も常に一定ではない。

そのため、構造的な余裕が小さくなった建物でも、しばらく使用できてしまう場合がある。

Gardnerらの解析は、この事故の重要な点を示している。

当初設計条件だけなら安全性を満たしていた。しかし、

  • 柱径の縮小
  • コンクリート強度低下
  • 床版有効せい低下
  • 用途変更による荷重増加
  • 偏荷重・不均衡モーメント

を順次組み合わせると、使用する設計式によってはパンチングせん断破壊の可能性が大きく上昇する。[1]

「長年立っていたから安全」という判断は成立しない。

むしろ安全余裕の小さい建物ほど、限界に近づくまで外からは普通に使えてしまうことがある。

そして1995年、建物自身が警告を出し始めた

ここまでの第2~4回では、事故を建物の側から見てきた。

用途が変わった。

構造部材が設計計算と違った。

荷重が増えた。

屋上設備が追加され、移動された。

安全余裕は設計時より小さくなった。

しかし、この段階ではまだ事故を「防げなかった」とは言い切れない。

建物が危険な状態に近づいたあと、最終的に人命被害を大きくしたもう一つの問題が残っているからである。

崩壊前に、建物は目に見える警告を出していた。

1995年春には5階周辺で亀裂が確認され、6月29日の朝にはその異常が急速に拡大した。

床が沈む。
亀裂が広がる。
音がする。
設備が振動する。

異常は、構造計算書の中だけに存在していたのではない。

人が見て確認できる状態になっていた。

では、その情報は誰まで伝わっていたのか。

なぜ5階の一部を閉鎖しながら、百貨店全体の営業は続いたのか。

次回は構造計算から離れ、1995年6月29日に現場で認識されていた「崩壊の前兆」と組織の意思決定を追う。

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第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか

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第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業

CASE FILE 13|全10回

  1. 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
  2. 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
  3. 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
  4. 第4回|現在の記事:なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
  5. 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
  6. 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
  7. 第7回|瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
  8. 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
  9. 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
  10. 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革

出典・参考資料

本記事は、事故調査委員会報告を整理したGardnerらの査読論文、Parkによる事故原因再検証、韓国国立中央図書館の災害アーカイブを中心に構成しています。冷却塔については二次資料に「36トン」「45トン」「運転時87トン」など異なる総重量表記があるため、本記事では総重量を確定値として使用せず、事故調査委員会を基にした構造荷重値「4kPa」を優先しました。また、冷却塔の移設を単独の崩壊原因とはせず、5階用途変更、屋根仕上げ、構造部材・施工上の問題と重なった寄与要因として扱っています。