1995年6月29日17時55分ごろ、三豊百貨店A棟が崩壊した。
ここまでの第2回から第6回では、設計変更、構造、荷重、崩壊前の警告、そして約20秒の進行性崩壊までを追ってきた。
しかし、建物が崩れた時点で事故が終わったわけではない。
積み重なった床版、折れた柱、鉄筋、商品、設備。その内部には、完全には押し潰されず、人が横たわれるだけの小さな空間が残っていた。
地上では救助隊が瓦礫を取り除き、声や物音を探した。
事故から51時間後には、地下に取り残されていた環境美化員24人がまとまって救出された。その後、生存者が見つからない期間が続いたが、事故11日目には約230時間、13日目には約285時間、そして17日目には約377時間にわたって閉じ込められていた生存者が相次いで発見された。
MBCが事故17日目にまとめた救助記録では、三豊百貨店の瓦礫から合計38人が生存状態で救出されたとされている。[1]
第7回では、この17日間を「奇跡の生還」という言葉だけで終わらせない。
なぜ瓦礫の中に生存できる空間が残ったのか。救助隊は何に苦戦したのか。なぜ10日以上経過したあとも捜索を続ける意味があったのか。
救助する側と、閉じ込められた側の両方から見ていく。
CASE FILE 13|三豊百貨店崩壊事故特集(全10回)
第6回では、1995年6月29日の朝から17時55分ごろの崩壊までを一本の時間軸で再構成した。
第7回は、その直後から始まる。
- 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
- 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
- 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
- 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
- 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
- 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
- 第7回|現在の記事:瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
- 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
- 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
- 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革
先に結論|長期生存を可能にしたのは「瓦礫の中に残った空間」だった
三豊百貨店で長期間生存した人々には、共通する条件があった。
完全に圧壊した場所ではなく、落下した床版や柱、エスカレーター、設備などが偶然支え合い、身体が収まる空隙=ボイドが残っていたことである。
事故17日後のMBCの救助現場報道も、長期生存したチェ・ミョンソク、ユ・ジファン、パク・スンヒョンの3人はいずれも、崩れた構造物の間に身体を保持できる空間を確保していたことを指摘している。[2]
重要なのは、「瓦礫の下」という言葉から想像する状態が一様ではないことだ。
ある場所では床版同士が密着して押し潰される。
別の場所では、柱や梁、設備がつっかえ棒のようになり、数十cmから1m程度の隙間ができる。
三豊百貨店の生存者は、その限られた空間の中にいた。
崩壊直後|救助隊が直面したのは巨大な立体パズルだった
進行性崩壊したA棟では、上階の床版が下階へ次々と落下した。
その結果、事故現場は単純な瓦礫の山にはならなかった。
厚いコンクリート床版が斜めに重なり、その間に柱、鉄筋、エスカレーター、商品棚、設備、配管などが入り込んだ。
救助するには、それらを取り除かなければならない。
しかし、重機で上から順番に壊せばよいわけではない。
一枚の床版を不用意に動かすと、それが支えていた別の瓦礫が沈み、その下に残っている空隙を押し潰す可能性がある。
つまり救助隊は、
速く掘る
しかし
生存空間を壊さない
という相反する条件の中で作業しなければならなかった。
韓国国家記録院は初期救助について、現場への人員集中、交通統制の不足、建物図面の不足などが活動を難しくしたと整理している。崩壊した建物の内部構造を正確に把握する情報が十分でないことも、救助側にとって大きな問題だった。[3]
事故直後から数日|生存者は次々と発見された
崩壊直後から救助作業は夜を徹して続けられた。
最初の数日間には、地下階を中心に複数の生存者が救助された。
特に大きかったのが、事故発生から約51時間後の7月1日である。
A棟地下3階にあった環境美化員の更衣室付近から、清掃業務に従事していた24人がまとまって救助された。MBCの事故経過整理では、7月1日だけで27人が救出されたとしている。[4]
崩壊から2日以上が経過しても、多数の人が生きていることが確認された。
これは救助側に、
建物内部にはまだ比較的大きな生存空間が残っている
という情報を与えた。
71時間後|救出されても助かるとは限らなかった
一方、瓦礫から生きて出られれば必ず回復できるわけではない。
7月2日には、三豊百貨店でアルバイトをしていたイ・ウンヨンが、事故から約71時間後に生存状態で救助された。
しかしMBCの事故経過では、救出から約2時間30分後に死亡したと記録されている。[4]
長時間の圧迫、脱水、外傷、低体温、循環状態など、瓦礫下で身体が受ける影響は人によって大きく異なる。
この出来事のあと、生存者が見つからない期間が続いた。
現場では遺体の収容が増え、「これ以上の生存者はいないのではないか」という見方も強くなっていった。
それでも捜索は続いた。
事故11日目|約230時間後、チェ・ミョンソクを発見
状況が変わったのは7月9日だった。
事故発生日を1日目として数えると11日目。
実際の埋没時間では約230時間だった。
A棟中央部に近い地下1階、エスカレーター付近の瓦礫から、アルバイト従業員だったチェ・ミョンソクの声が確認された。[5]
彼がいたのは、重なった床版の間に形成された約1.3mほどの空隙だったとMBCは報じている。完全に立ち上がれる空間ではなかったが、身体全体が押し潰されることを防いだ。[6]
救助隊は、声だけを頼りに重機で掘り進んだわけではない。
長い棒を差し込んで本人に握らせ、位置と反応を確認した。そこから酸素溶接機や削岩機を使い、コンクリートの間に救出経路を作った。
発見から救出までにも約1時間40分を要した。作業中に周囲の瓦礫が崩れれば、生存者自身を傷つける危険があったためである。[5]
約230時間後の生存者発見は、現場の前提を変えた。
事故から10日近くが経過したあとでも、まだ生存者がいる可能性が現実のものになったからである。
「11日後」ではなく「事故11日目」|日数表現に注意
FACT CHECK|230時間は11日なのか
当時の韓国報道では、チェ・ミョンソクについて「事故11日目に救出」と表現されている。
ただし、230時間を24で割ると約9日14時間である。
これは矛盾ではない。
韓国報道の「11日目」は、6月29日を第1日として暦日を数えた表現である。
同様に、
- チェ・ミョンソク:事故11日目/約230時間
- ユ・ジファン:事故13日目/約285時間
- パク・スンヒョン:事故17日目/約377時間
と整理する。
本記事では、報道上の日数と実際の経過時間を併記する。
事故13日目|約285時間後、わずか30cmの空間からユ・ジファンを救出
チェ・ミョンソクの救出から約2日後の7月11日。
今度は、すぐ近くの地下1階中央エスカレーター付近から、ユ・ジファンの生存が確認された。
埋没時間は約285時間。
事故発生日から数えると13日目だった。[7]
ユ・ジファンがいた空間はさらに狭かった。
MBCが本人の証言と現場確認をもとに再現したところ、長さは約1.5m、空間の高さはわずか約30cmだった。身体を起こすことはできず、姿勢を変えることさえ難しい空間だった。[8]
頭上には重なったコンクリート床版があり、その上にはエスカレーターの鋼製部材もあった。
それらが完全に落ち切らず、わずかな隙間を残したことが、結果として身体を直接圧壊から守った。
雨が降れば、瓦礫の中まで水が届いたのか
長期生存については、「雨水を飲んで生き延びた」という説明も見られる。
しかしユ・ジファン本人の当時証言では、外で雨が降っている音は分かったものの、厚いコンクリートに遮られ、雨水が生存空間へ容易に入ってきたわけではなかった。[8]
したがって、三豊百貨店の長期生存者全員について、
「雨水を飲めたから助かった」
と共通原因にすることはできない。
チェ・ミョンソクは救出直後、水について言及している一方、パク・スンヒョンについて当時MBCは「水のない空間」で生き延びたと報じている。[5][9]
個々の生存者が実際にどの程度の水分を摂取できたのかは、資料だけでは完全には確定できない。
この点は、「17日間、水を一滴も飲まずに生きた」といった強い表現へ単純化しない方がよい。
長期生存に必要だった4つの条件
災害時に瓦礫の下で長期間生存できるかは、一つの要因だけでは決まらない。
三豊百貨店の生存例と、後年に専門家が整理した一般的な条件を重ねると、少なくとも次の4点が重要になる。
| 条件 | 意味 |
|---|---|
| 生存空間 | 胸部・頭部が圧迫されず、呼吸できる空隙が残る |
| 空気 | 完全密閉されず、外部とわずかでも通気がある |
| 水分 | 脱水の進行速度に大きく影響する |
| 外傷の程度 | 大出血や致命的な圧迫損傷がないこと |
聯合ニュースが後年、過去の長期生存事例を医学的観点から整理した記事でも、特に水分を確保できるか、身体を保持できる空間があるかが重要とされている。[10]
三豊百貨店の長期生存者では、少なくとも「身体が完全に圧壊されない空間」が共通していた。
なぜ床版の崩壊で空隙ができたのか
三豊百貨店の進行性崩壊は、多数の床版がほぼ水平に落下する形を含んでいた。
しかし床版は完全に平行なまま重なったわけではない。
柱、エスカレーター、壁、設備、商品棚などが途中に挟まり、一部の床版は傾いた。
すると、
上の床版
\
空間
/
下の床版
のように、三角形や楔形の隙間が生まれる。
チェ・ミョンソクの空間は、当時MBCが「笠のような形」と表現する約1.3mの隙間だった。ユ・ジファンの場合は高さ約30cm、パク・スンヒョンの場合は天井と柱・床版の間に身体を横たえられる空間が残った。[6][8][9]
ここは第3回で扱った「進行性崩壊」と表裏の関係にある。
建物にとっては壊滅的な連鎖崩壊だった。
しかし均一に押し潰されなかった結果、局所的には人が生きられる空隙も残った。
救助側にとって、生存空間は同時に「壊してはいけない構造」だった
生存空間があると分かっても、救出は簡単ではない。
瓦礫の隙間は、周囲の構造物が微妙に支え合って成立している。
上にあるコンクリートを一枚持ち上げる。
鉄筋を一本切断する。
重機で瓦礫を引く。
それだけで荷重バランスが変わり、生存者のいる空間が潰れる可能性がある。
7月9日のチェ・ミョンソク救出では、救助隊は削岩機や溶接機を使いながら救出通路を作ったが、途中には周囲の瓦礫が本人へ落下する危険もあった。[5]
つまり救出作業は、
瓦礫を除去する作業
ではなく、
現在の不安定な力の釣り合いを保ちながら、人が通れる経路だけを作る作業
だった。
事故17日目|最後の生存者、パク・スンヒョン
7月15日。
事故発生日から数えて17日目。
ユ・ジファンが救出されてからさらに4日が経過していた。
午前10時55分ごろ、A棟南側の地下1階付近で瓦礫撤去をしていた重機作業員が、床材を取り除いた際、小さな穴を発見した。
穴は高さ約10cm、幅約30cm。
その奥から人の存在が確認された。[11]
取り残されていたのは、地下1階の子ども服売場で働いていたパク・スンヒョンだった。
事故から約377時間。
当時MBCは、韓国内で確認された長時間埋没後の救出記録として報じている。[12]
パク・スンヒョンの空間|約1.5m四方、高さ約50cm
MBCの当時報道では、パク・スンヒョンの生存空間は、およそ縦横1.5m、高さ約50cmとされている。[12]
事故発生時、地下1階から逃げようとしたが、10mも進まないうちに崩落に巻き込まれた。
意識を取り戻したとき、落下した天井部分と周辺構造物によって作られた狭い空間に横たわっていたという。[9]
周囲には他の被災者の声もあった。
しかし時間が経つにつれ、その声は少なくなっていったと当時の報道は伝えている。
暗闇の中では時計も外光もなく、何日経ったのかを判断することも難しかった。
10時55分に発見、11時15分ごろ救出
パク・スンヒョンがいた空間へつながる穴を確認したあと、救助隊は慎重に開口部を広げた。
MBCの現場記録では、空間内部のコンクリートと鉄筋が救出経路を完全には塞いでいなかったため、作業は比較的早く進んだ。
本人の生存を確認すると水が渡され、身体を保護するための毛布も入れられた。
そして11時15分ごろ、救出された。[11]
事故から約377時間。
しかし「377時間」という数字だけを見ると、一つ重要な点を見落とす。
彼女は377時間後に突然生き返ったのではない。
その間ずっと、瓦礫の中の小さな空間で生存し続けていた。
FACT CHECK|17日間、本当に水を一滴も飲んでいなかったのか
パク・スンヒョンについて当時のMBC報道は「水のない状態で377時間を生き延びた」と伝えている。
一方、人間の水分摂取量を瓦礫内部で後から正確に測定することはできない。
ごく少量の水分が何らかの経路で入った可能性まで完全に排除する資料も確認できない。
したがって、
「17日間、一滴の水も口にしなかったことが医学的に証明された」
とまでは書かない。
確認できるのは、通常の飲料水や食料を確保できない極めて厳しい環境に長期間閉じ込められていたこと、救出直後に水を求めたと当時報道されていることである。
3人の長期生存者を比較する
| 生存者 | 救出日 | 報道上の日数 | 埋没時間 | 生存空間 |
|---|---|---|---|---|
| チェ・ミョンソク | 7月9日 | 事故11日目 | 約230時間 | 地下1階、約1.3mの笠状の空隙 |
| ユ・ジファン | 7月11日 | 事故13日目 | 約285時間 | 長さ約1.5m、高さ約30cm |
| パク・スンヒョン | 7月15日 | 事故17日目 | 約377時間 | 約1.5m四方、高さ約50cm |
3人の空間は同じではない。
水分を得られた条件も同じではない。
負傷状態も異なる。
それでも共通しているのは、コンクリート同士が完全に密着せず、呼吸できる空間が残っていたことである。
「72時間を超えたら生存者はいない」は絶対的な期限ではない
大規模災害では、発生後72時間が人命救助の一つの目安として語られることが多い。
これは時間が経過するほど、重傷、脱水、低体温などによって生存可能性が低下するためである。
しかし72時間を過ぎた瞬間に、生存確率がゼロになるわけではない。
三豊百貨店はその典型例になった。
約230時間。
約285時間。
約377時間。
10日以上が経過したあとにも、生存者は存在していた。
この事実は、
「統計的に可能性が低い」ことと、「この瓦礫の中に生存者がいない」ことは同じではない
ことを示している。
救助を続ける判断もまた、SYSTEMの一部だった
三豊百貨店では、時間が経つほど現場の状況は厳しくなった。
遺体の収容が続く。
夏の暑さと雨が作業環境を悪化させる。
大量の瓦礫を撤去しなければならない。
重機を使えば作業は速いが、生存空間を壊す危険もある。
それでも捜索を完全な瓦礫撤去へ切り替えず、生存者の可能性を残して作業を続けたことが、後半の3人の発見につながった。
7月13日のMBC現場報道では、重機8台でコンクリートを撤去しながら、救助隊員が懐中電灯で隙間を確認する作業が続いていた。[13]
つまり、救助活動では、
大量撤去
+
細部確認
という二つを併用しなければならなかった。
生存者38人という数字が示すもの
MBCの17日間の救助記録では、三豊百貨店の瓦礫から生存状態で救助された人は38人と整理されている。[1]
この数字には、事故直後から数日のうちに救助された人と、10日以上を経て救助された人の両方が含まれる。
注目されやすいのは最後の3人だが、救助活動の全体像を考えるなら、初期段階で多数を救出した活動も同じように重要である。
特に地下3階の24人は、ある程度まとまった生存空間が残ったことで、50時間以上が経過したあとも集団で救出された。
一方、後半になるほど、救助対象は広い空間から瓦礫の間に残る数十cm単位の空隙へ変わっていった。
「奇跡」では説明できない
当時の報道は、230時間、285時間、377時間の救出を繰り返し「奇跡」と表現した。
社会的な感覚としては理解できる。
しかし事故を検証する記事では、それだけで終わらせるべきではない。
生存には、
- 身体を押し潰さない空隙
- 呼吸できる空気
- 致命傷を負わなかったこと
- 極端な温度環境でなかったこと
- 水分条件
- 救助作業がその場所まで到達したこと
が関係する。
つまり結果は非常に稀だったが、物理的条件のない場所から人が突然生還したわけではない。
崩壊した建物の内部に、偶然残った生存可能な空間を、救助隊が見つけるまで失わなかった。
そこに長期生存の構造がある。
救助活動から見えた、別の三豊百貨店の問題
救助活動を見ると、事故前とは別のSYSTEM上の問題も見えてくる。
設計・施工段階では、図面と実物の違いが問題になった。
事故後には、その図面情報の不足が救助側にも影響した。
どこに柱があるのか。
地下階の区画はどうなっているのか。
エスカレーターや設備はどこにあるのか。
どこに大きな空間が残る可能性があるのか。
完成した建物の正確な情報が管理されていれば、災害時にも利用できる。
第2回で扱った「設計図と実物の差」は、崩壊原因だけの問題ではなかった。
事故後の救助にもつながる情報管理の問題だった。
17日目で、生存者救助の時間軸はいったん終わった
7月15日、パク・スンヒョンが救出された。
事故から約377時間。
その後も生存者の可能性を考慮した捜索は続いたが、彼女が三豊百貨店崩壊事故で最後に救出された生存者となった。
崩壊から17日間。
その間に救助活動は、
多数を短時間に救う段階
↓
瓦礫内部を捜索する段階
↓
ごく小さな生存空間を探す段階
へ変化していった。
一方で現場では、救助と並行してもう一つの作業が進んでいた。
なぜ建物は崩れたのかを調べること。
コンクリートを採取する。
鉄筋位置を測る。
設計図を集める。
柱の寸法を確認する。
構造計算をやり直す。
建設・改修・維持管理の記録を追う。
次回は救助現場から事故調査へ視点を移す。
第3回と第4回で見てきた構造上の問題は、事故後の捜査と技術調査によってどのように確認され、最終的に「何が崩壊原因だった」と整理されたのか。
第8回では、設計・施工・維持管理を一つの因果関係として検証する。
CASE FILE 13|全10回
- 第1回|三豊百貨店崩壊事故とは?|営業中の百貨店はなぜ崩れたのか
- 第2回|三豊百貨店はどう建てられたのか|用途変更・増築・繰り返された設計変更
- 第3回|三豊百貨店の建物構造|無梁板・柱・スラブは荷重をどう支えていたのか
- 第4回|なぜ建物の余裕は失われたのか|5階・冷却塔・改修と積み重なった荷重
- 第5回|崩壊の前兆はどこまで見えていたのか|ひび割れ、床沈下、それでも続いた営業
- 第6回|1995年6月29日、三豊百貨店で何が起きたのか|朝の異常から崩壊まで
- 第7回|現在の記事:瓦礫の下で続いた17日間|三豊百貨店の救助活動と最後の生存者
- 第8回|捜査は何を崩壊原因と認定したのか|設計・施工・維持管理を検証する
- 第9回|誰が三豊百貨店崩壊の責任を問われたのか|経営陣・建設関係者・公務員の裁判
- 第10回|三豊百貨店崩壊事故のあと何が変わったのか|安全点検・災害管理・制度改革
出典・参考資料
-
MBC Newsdesk — 「三豊崩壊事故発生から17日間の生存者救助記録」(1995年7月15日)
17日間で生存状態で救助された人数を38人とする整理、51時間後の環境美化員24人、230時間・285時間・377時間の長期生存者の時系列確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「三豊百貨店崩壊現場、生存空間を探して救助活動」(1995年7月17日)
チェ・ミョンソク、ユ・ジファン、パク・スンヒョンの長期生存に、瓦礫内部へ残った身体を保持できる空間が共通していたことの確認に使用。
-
韓国国家記録院 — 「삼풍백화점 붕괴사고」
崩壊後の初期救助、現場統制、交通、人員集中、建物図面情報の不足など、救助活動全体の公的整理に使用。
-
MBC Newsdesk — 「三豊百貨店崩壊惨事以降の救助過程」(1995年7月11日)
事故後の生存者救出経過、51時間後の環境美化員24人、7月1日の計27人、71時間後に救出された生存者の死亡、230時間・285時間の救出について確認。
-
MBC Newsdesk — 「三豊崩壊事故11日目、チェ・ミョンソク救出」(1995年7月9日)
約230時間後の発見、棒による反応確認、削岩機・溶接機を使った約1時間40分の救出作業、救出時の状態確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「地下1階の笠状の空間でチェ・ミョンソクが230時間生存」(1995年7月9日)
地下1階で重なった床版の間に約1.3mの生存空間が形成されていたことの確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「地下1階から救出されたユ・ジファン」(1995年7月11日)
地下1階中央エスカレーター付近で13日目、約285時間後に生存確認・救助された経過の確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「高さ30cm・長さ1.5mの空間で285時間」(1995年7月11日)
ユ・ジファンの生存空間寸法、外の雨音は認識していたが雨水が容易には入らなかったこと、通気のある狭い空間で生存していた状況の確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「パク・スンヒョン、暗闇の377時間」(1995年7月15日)
地下1階で逃走中に崩落へ巻き込まれ、天井・構造物の間に残った狭い空間で長期間生存したこと、当時の本人証言を基にした状況整理に使用。
-
聯合ニュース — 「災害後の生存期間は? 三豊事故では17日」(2011年3月19日)
三豊百貨店の230時間・285時間・377時間の生存例と、一般に瓦礫下の生存で水分・生存空間・体温等が重要になるという専門家整理の確認に使用。
-
MBC Newsdesk — 「17日目に救助されたパク・スンヒョン、発見から救出まで」(1995年7月15日)
10時55分ごろの小開口発見、高さ約10cm・幅約30cmの入口、救助中の水・毛布供給、11時15分ごろの救出経過に使用。
-
MBC Newsdesk — 「377時間後に救出されたパク・スンヒョン」(1995年7月15日)
約377時間という埋没時間、約1.5m四方・高さ約50cmと報じられた生存空間、事故17日目の救出記録に使用。
-
MBC Newsdesk — 「三豊百貨店崩壊現場、中央ホール集中救助」(1995年7月13日)
長期化した現場で重機による瓦礫撤去と、救助隊による隙間確認を並行していた状況の確認に使用。
本記事は、1995年当時のMBC Newsdeskの救助記録を中心に、韓国国家記録院と聯合ニュースの後年整理を照合して構成しています。「事故11日目・13日目・17日目」は事故発生日を第1日として数えた暦日表現であり、実際の埋没時間は約230時間・285時間・377時間として区別しました。また、長期生存者の水分摂取については当時報道でも状況が一様ではないため、「全員が雨水で生存した」「17日間一滴も水を飲まなかったことが医学的に確定している」といった単純化は避けています。長期生存は、空隙、通気、外傷の程度、水分条件、救助作業が到達するまで空間が維持されたことなど複数条件の組み合わせとして扱っています。