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刑事責任はどう裁かれたのかウォルシュ独立検察官、逆転判決、そして恩赦

刑事責任はどう裁かれたのか|ウォルシュ独立検察官、逆転判決、そして恩赦

政治スキャンダル・秘密工作

1989年5月4日、ワシントンの連邦地裁。

オリバー・ノースに対する評決が読み上げられた。

有罪、3件。

議会調査の妨害を幇助したこと。
公文書を破棄・変更したこと。
そして、秘密作戦を支えたリチャード・セコードから不法な利益供与を受けたこと。

テレビ中継された1987年の議会公聴会で、イラン・コントラ事件の象徴となった元NSCスタッフに、刑事裁判でも有罪評決が出た。

翌1990年には、ノースの上司だったジョン・ポインデクスターも5件すべてで有罪となる。

これで事件の中心人物に刑事責任が確定した――ように見えた。

しかし、最終的には違った。

ノースの3件の有罪判決は取り消される。
ポインデクスターの5件もすべて取り消される。

その理由は「事件が存在しなかったから」ではない。

1987年、真相を明らかにするために連邦議会が二人へ与えた免責付き証言が、その後の刑事裁判に影響した可能性を検察側が完全に排除できなかったからである。

さらに1992年12月24日。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、元国防長官キャスパー・ワインバーガーらイラン・コントラ関係者6人に全面恩赦を与えた。

裁判を待っていた2人は、法廷へ立つ前に訴追から解放された。

第9回では、ローレンス・ウォルシュ独立検察官の約7年間に及ぶ捜査を追いながら、

誰が起訴され、誰が有罪となり、なぜ一部の判決は消え、最後に大統領恩赦が何を終わらせたのか

を整理する。

1986年12月19日――独立検察官ローレンス・ウォルシュ

イラン・コントラ事件が公になった翌日の1986年11月26日、司法長官エドウィン・ミースはFBIへ捜査開始を命じた。

しかし事件の対象には、ホワイトハウス、NSC、CIA、国務省、国防総省など、レーガン政権の中枢が含まれていた。

通常の司法省が政権高官を捜査すれば、捜査の独立性そのものが疑われかねない。

そこで12月19日、元連邦判事で元司法副長官のローレンス・E・ウォルシュが独立検察官に任命された。

ウォルシュの捜査は巨大だった。

ワシントン、ニューヨーク、オクラホマシティに拠点が置かれ、FBI、税務当局、税関などからも要員が集められた。

捜査チームも、

  • ホワイトハウス・NSC・司法省
  • CIA・国務省
  • 資金の流れ・国防総省

などに分かれた。

目的は「事件の政治的責任を評価すること」ではない。

証拠を集め、連邦刑法違反を合理的疑いを超えて立証できる人物を起訴することだった。

最初から大きな障害があった――議会の免責

独立検察官が捜査を始めた時点で、連邦議会も同じ事件を調べようとしていた。

しかし両者の目的は異なる。

議会は、できるだけ早く関係者から証言を引き出し、何が起きたのかを国民の前で明らかにしたい。

検察は、証言を公開する前に独立した証拠を集め、刑事裁判で使える形にしておきたい。

ここで対立したのが免責だった。

ノースやポインデクスターは、自らを刑事訴追へ結びつける証言について憲法上の自己負罪拒否特権を主張できる。

そこで議会は1987年、一定の免責を与えたうえで証言を求めた。

ノース、ポインデクスター、アルバート・ハキムらが対象となった。

これにより、議会は事件の内部事情を詳しく聞くことができた。

一方、検察側には極めて厳しい制限が生まれた。

「免責」は犯罪を許す制度ではない

ここは大きな誤解が生まれやすい。

議会から免責を与えられたからといって、

「それ以前に行った犯罪について刑事責任を問えなくなる」

という意味ではない。

問題は、免責付きで強制された証言を、検察が本人の刑事裁判に使用できないことである。

さらに、その証言から派生した証拠も使えない。

例えば、ノースがテレビ公聴会で、

「Aという人物に指示した」

と証言したとする。

それを見た検察官が初めてAを捜し出し、Aから証言を得れば、その証言は免責証言から派生した証拠になる可能性がある。

さらに問題は、検察が公聴会を直接利用していなくても、裁判へ呼ぶ証人がテレビでノースの証言を見ていた場合だった。

その証人の記憶や表現が、公聴会から影響を受けていないことまで確認する必要が生じる。

全米に中継された証言だけに、この問題は非常に大きかった。

FACT CHECK|議会の免責は「恩赦」と同じなのか

まったく違う。

免責付き証言は、強制された本人の証言やそこから派生した証拠を刑事訴追に使用することを制限する制度である。
独立して入手した証拠があれば、訴追そのものは可能だった。

一方、大統領恩赦は大統領が憲法上の権限によって連邦犯罪に対する刑事責任を免除する行為である。

ノースとポインデクスターは議会から免責を受けたが、大統領恩赦を受けたわけではない。

1988年3月16日――事件中枢の4人が起訴される

1988年3月16日、連邦大陪審は23件からなる起訴状を提出した。

中心となった被告は、

  • ジョン・ポインデクスター
  • オリバー・ノース
  • リチャード・セコード
  • アルバート・ハキム

の4人だった。

当初は4人を一つの事件として扱う予定だったが、機密情報の扱いや免責証言の影響などから、裁判は分離されることになる。

さらに中心的な共謀罪についても、機密情報を法廷でどこまで開示できるかという問題が生じ、当初想定された形のまま審理することはできなかった。

国家安全保障上の秘密を守りながら、公開の刑事裁判を行う。

この矛盾も、イラン・コントラ事件の刑事訴追を難しくした要因だった。

ノースは16件で起訴され、12件が裁判になった

ノースには、1988年3月の起訴状で16件の重罪が課された。

その後の整理を経て、1989年の裁判では12件が審理された。

論点には、

  • 議会調査の妨害
  • 虚偽説明
  • 公文書の破棄・改変
  • 不法な利益供与
  • 政府資産・資金をめぐる問題

などが含まれていた。

裁判は1989年初めに始まり、5月4日に評決が出る。

ノース――12件中3件で有罪

陪審はノースについて、12件すべてを有罪とはしなかった。

最終的に有罪となったのは3件だった。

  1. 議会調査妨害を幇助したこと
  2. 公文書を破棄したこと
  3. セコードから不法な利益供与を受けたこと

1989年7月5日、連邦地裁はノースへ、

  • 禁錮3年・執行猶予
  • 保護観察2年
  • 罰金15万ドル
  • 社会奉仕1,200時間

を言い渡した。

この時点では、事件を象徴する人物に刑事有罪判決が成立していた。

しかし1990年、ノースの有罪判決は取り消された

ノース側は控訴した。

そして1990年7月20日、連邦控訴裁判所は3件の有罪判決を取り消し、事件を地裁へ差し戻した。

理由は事件の事実そのものを否定したことではない。

問題となったのは1987年の議会公聴会だった。

ノースは免責付きで長時間証言し、その内容は全米へテレビ放送されていた。

検察側が裁判で使った証人の証言に、ノースの免責証言が直接・間接に影響していないことを十分に証明できていたのか。

控訴裁判所は、地裁による審査では不十分だと判断した。

各証人について、免責証言から影響を受けていないかをより厳格に調べる必要があるとしたのである。

FACT CHECK|ノースは「無実だから逆転無罪になった」のか

その表現は正確ではない。

控訴審は、陪審が認定した事実について「ノースは何もしていなかった」と判断したわけではない。

議会で強制された免責証言が、刑事裁判の証人へ影響していた可能性を検察側が憲法上要求される水準で排除できたかが問題となり、有罪判決が取り消された。

したがって、「無罪が証明された」ことと「有罪判決を法的に維持できなかった」ことは区別する必要がある。

1991年、ノース事件は再審されず終了した

独立検察官側は控訴審判断についてさらに争ったが、連邦最高裁は事件の審理を引き受けなかった。

その後、差戻し先の地裁では、免責証言が証人へどの程度影響したのかについて改めて審理が行われた。

しかし、全米放送されたノースの議会証言から証人が完全に独立していたことを、必要な水準で立証するのは極めて困難だった。

ウォルシュ独立検察官は最終的に再審を断念する。

1991年9月16日、独立検察官の申立てによってノースに対する事件は棄却された。

結果として、1989年に出された3件の有罪評決は最終的な有罪判決として残らなかった。

ポインデクスターは5件すべてで有罪となった

ノースに続いて裁判へ進んだのが、元国家安全保障担当大統領補佐官ジョン・ポインデクスターだった。

ポインデクスターには1988年3月、7件の重罪が起訴された。

最終的に5件が裁判となる。

内容は、

  • 議会・政府調査を妨害するための共謀
  • 議会妨害2件
  • 虚偽説明2件

だった。

1990年4月7日。

陪審は5件すべてについて有罪と評決した。

同年6月11日、各罪について禁錮6か月、同時執行という判決が言い渡された。

ポインデクスターの5件も、翌年すべて覆った

しかしポインデクスターも控訴する。

そして1991年11月15日、連邦控訴裁判所は5件の有罪判決をすべて覆した。

中心的な理由は、ノース事件と同じだった。

ポインデクスターも1987年の議会公聴会で免責付き証言を行っていた。

その証言を見聞きした証人が刑事裁判で証言しており、免責証言による影響を完全に排除できたかが問題になった。

連邦最高裁は1992年12月7日、この控訴審判断を再審理しなかった。

その後1993年、独立検察官の申立てで起訴自体が棄却された。

なぜ「全米中継」が刑事裁判を難しくしたのか

ここには、イラン・コントラ事件特有の矛盾がある。

議会公聴会は真相解明という点では大きな成果を上げた。

ノースとポインデクスター本人から、

  • コントラ秘密支援
  • 資金流用
  • NSCの活動
  • 文書処理

などについて直接証言を得られた。

しかし、その証言を全国放送したことで、後の刑事裁判へ呼ばれる可能性のある証人たちも内容を知ってしまった。

検察が免責証言を一切見なくても、証人の側が見ていれば問題になり得る。

結果として、

政治的事実を早く明らかにすること

と、

刑事裁判で汚染されていない証拠だけを使うこと

が衝突した。

ウォルシュは議会が免責を与えると分かった段階で捜査スタッフを増員し、免責証言が公開される前に可能な限り多くの独立証拠を確保しようとしていた。

それでも完全には防げなかった。

ノースとポインデクスターだけが起訴されたわけではない

イラン・コントラ事件の刑事責任を二人だけで理解するのも正確ではない。

ウォルシュ独立検察官は最終的に14人を刑事事件で訴追した。

その結果を大きく整理すると、

結果 人数・内容
刑事訴追された人物 14人
有罪となった人物 11人
後に有罪判決が覆った人物 2人(ノース、ポインデクスター)
裁判前に恩赦された人物 2人
機密情報問題で事件が棄却された人物 1人

「11人が有罪」という数字には、陪審による有罪評決だけでなく、有罪答弁を行った人物も含まれる。

マクファーレン――議会への情報 withholding で有罪答弁

元国家安全保障担当大統領補佐官ロバート・マクファーレンは、1988年3月11日に4件の軽罪について有罪を認めた。

内容は、コントラ秘密支援に関して連邦議会へ情報を十分に提供しなかったことだった。

1989年3月、裁判所は、

  • 保護観察2年
  • 罰金2万ドル
  • 社会奉仕200時間

を言い渡した。

マクファーレンの有罪は、ノースやポインデクスターのように控訴審で取り消されたわけではない。

しかし後にブッシュ大統領の恩赦対象となる。

セコードとハキムも有罪答弁した

Enterpriseを運営していたリチャード・セコードは、複数の重罪で起訴された。

最終的に1989年11月、議会へ虚偽説明を行った1件の重罪について有罪を認めた。

1990年1月に保護観察2年の判決を受けている。

アルバート・ハキムも1989年11月に有罪答弁した。

罪は、オリバー・ノースの給与を不法に補填したことに関する軽罪だった。

さらにハキムが主要株主だったLake Resources Inc.は、イラン武器売却収益をコントラ支援などへ流用したことについて、政府財産窃取の法人重罪を認めた。

Lake Resourcesは最終的に解散を命じられた。

「誰も刑務所へ行かなかった」わけでもない

イラン・コントラ事件について、

「結局、全員が無罪や恩赦になった」

と説明されることもある。

これも正確ではない。

Enterpriseに関係した元CIA職員トーマス・クラインズは、海外口座や所得を税務申告で正しく申告しなかった4件の重罪で1990年に有罪となった。

裁判所は禁錮16か月、罰金4万ドルを言い渡した。

控訴審でも有罪判決は維持され、クラインズは実際に服役した。

また民間のコントラ資金集めに関係したカール・チャネル、リチャード・ミラーも、アメリカ政府を欺く共謀罪で有罪答弁している。

CIA高官にも捜査が及んだ

ノースとポインデクスターの裁判が終わった後、ウォルシュの捜査は上位の政府関係者へ広がった。

CIAでは、

  • アラン・ファイアーズ
  • クレア・ジョージ
  • デュアン・クラリッジ
  • ジョセフ・フェルナンデス

らが刑事事件の対象となった。

焦点の多くは、秘密作戦そのものよりも、事件発覚後の議会・大陪審・調査機関への説明だった。

アラン・ファイアーズ――議会へ情報を隠したことを認める

CIA中米タスクフォース責任者だったアラン・ファイアーズは、1991年7月、議会へコントラ秘密支援に関する情報を隠した2件の軽罪について有罪を認めた。

1992年1月、

  • 保護観察1年
  • 社会奉仕100時間

の判決を受ける。

ファイアーズの協力は、他の政府関係者がノースの秘密補給網についてどこまで知っていたかを調べる際にも重要になった。

エリオット・エイブラムズ――国務省側にも有罪答弁

国務省で中南米政策を担当していたエリオット・エイブラムズも捜査対象となった。

1991年10月、エイブラムズは2件の軽罪について有罪を認めた。

内容は、コントラへの秘密政府支援と、第三国からの支援資金について連邦議会へ重要情報を十分に提供しなかったことだった。

裁判所は、

  • 保護観察2年
  • 社会奉仕100時間

を言い渡した。

彼も後にブッシュ大統領から恩赦を受ける。

クレア・ジョージ――CIA幹部に重罪有罪評決

CIA作戦担当副長官を務めたクレア・ジョージは、1991年に偽証、虚偽説明、妨害などで起訴された。

最初の裁判は1992年8月に評決不一致となり、無効審理となる。

しかし再び裁判が行われ、1992年12月9日、陪審はジョージについて、

  • 議会への虚偽説明
  • 議会での偽証

の2件の重罪で有罪とした。

量刑は1993年2月に予定されていた。

ところが有罪評決からわずか15日後、状況は大きく変わる。

ワインバーガーの手書きメモが捜査を変えた

捜査終盤の最重要人物の一人が、元国防長官キャスパー・ワインバーガーだった。

ワインバーガーは1985年当時、イランへの武器供給へ強く反対していた人物でもある。

ところが捜査が進むと、彼が閣僚会議や電話の内容を詳細に記録した大量の手書きメモを残していたことが判明した。

そこには、イラン武器取引についてレーガン政権高官がいつ、何を話していたかを確認できる重要な同時代記録が含まれていた。

ウォルシュ独立検察官は、それ以前のワインバーガーによる議会や捜査機関への説明と、このメモの内容との食い違いを問題視した。

1992年6月16日、ワインバーガーは偽証、虚偽説明など複数の罪で起訴された。

裁判開始日は1993年1月5日。

事件発覚から6年以上たって、元国防長官が法廷へ立とうとしていた。

ジョセフ・フェルナンデス事件は「機密情報」で止まった

ウォルシュ捜査には、免責とは別の障害もあった。

元CIAコスタリカ支局長ジョセフ・フェルナンデスは、タワー委員会への妨害や政府機関への虚偽説明などで起訴された。

しかし弁護側は、自己防御のため特定の機密情報が必要だと主張した。

裁判所も、その一部が防御に必要だと判断した。

当時の司法長官リチャード・ソーンバーグは、国家安全保障上の理由からその情報の開示を認めなかった。

結果として1989年、事件は棄却された。

つまりここでは、

被告人に公正な裁判を保障するため必要な情報

と、

国家が守ろうとする機密情報

が衝突し、訴追を続けること自体ができなくなった。

1992年12月24日――ブッシュ大統領が6人を恩赦

1992年12月24日、クリスマス・イブ。

任期終了まで1か月を切っていたジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イラン・コントラ関係者6人へ全面的かつ無条件の恩赦を与えた。

対象は、

  • キャスパー・ワインバーガー
  • ロバート・マクファーレン
  • エリオット・エイブラムズ
  • アラン・ファイアーズ
  • クレア・ジョージ
  • デュアン・クラリッジ

だった。

6人の状況は同じではない。

人物 恩赦時点
マクファーレン 有罪答弁・量刑済み
エイブラムズ 有罪答弁・量刑済み
ファイアーズ 有罪答弁・量刑済み
クレア・ジョージ 重罪2件で有罪評決済み・量刑前
ワインバーガー 起訴済み・裁判開始12日前
クラリッジ 起訴済み・裁判前

したがって「ブッシュが6人の有罪判決を消した」という説明も正確ではない。

すでに有罪となっていた人物と、まだ裁判すら始まっていなかった人物が同時に恩赦されたのである。

ブッシュはなぜ恩赦したのか

ブッシュ大統領は恩赦声明で、自らの理由を明確に説明した。

6年以上にわたりイラン・コントラ事件は徹底的に調査された。
タワー委員会、議会、独立検察官が膨大な資料と証言を検討した。

そのうえでブッシュは、これらの訴追を政策上の相違を刑事事件化する「criminalization of policy differences」だと批判した。

また恩赦対象者について、

  • 愛国的動機から行動した
  • 私的利益を目的としていなかった
  • 長年国家に奉仕してきた
  • すでに職業・家庭・経済面で大きな代償を払った

と説明した。

ブッシュの立場では、これ以上刑事裁判を続けるより、事件を政治の領域へ戻し、国として前へ進むべきだという判断だった。

FACT CHECK|ブッシュの恩赦は違法だったのか

恩赦そのものは、合衆国憲法が大統領へ与えている権限に基づく。

議論となったのは、大統領に恩赦権が存在するかではなく、その権限をこの時点で行使したことで、まだ予定されていた裁判や事実解明が停止したことだった。

ブッシュは「十分に調査されたため事件を終わらせるべきだ」と説明した。
一方ウォルシュ独立検察官は、特にワインバーガー裁判が中止されたことで、事件終盤に得られた証拠を法廷で検証する機会が失われたと批判した。

ウォルシュにとって、ワインバーガー恩赦は特に重大だった

ウォルシュ独立検察官にとって、6人の中でもワインバーガーの恩赦には特別な意味があった。

裁判開始まで12日しか残っていなかったからである。

しかもワインバーガーの手書きメモには、レーガン政権上層部で行われたイラン武器取引の協議が同時代記録として残されていた。

さらに裁判では、当時副大統領だったブッシュ自身が証人として呼ばれる可能性もあった。

ウォルシュは最終報告で、ブッシュが事件について重要な事実を知る証人になり得たと評価している。

一方、恩赦が事実解明を妨害する目的だったと刑事的に証明されたわけではない。

ウォルシュ自身も、恩赦が腐敗した取引によって得られたという証拠がない以上、この問題を大陪審へ持ち込まなかった。

したがって、

「恩赦によってワインバーガー裁判とクラリッジ裁判が行われなくなった」

ことは事実だが、

「ブッシュが真相隠蔽の犯罪として恩赦したことが立証された」

わけではない。

ブッシュ自身の記録も捜査終盤に問題になった

恩赦直前の1992年12月、もう一つの問題が浮上していた。

ブッシュが副大統領時代などに記していた日記の一部が、以前から独立検察官に求められていたにもかかわらず提出されていなかったことが判明した。

ホワイトハウスが独立検察官へその事実を伝えたのは12月11日だった。

ウォルシュは一度ほぼ終了していた捜査を再開し、日記を確認した。

最終的に、その日記自体はブッシュに対する新たな刑事捜査を正当化する内容ではないと判断された。

またウォルシュは、ブッシュがイラン武器売却収益のコントラへの流用を知っていたという証拠も得ていない。

この点は、事件の最終評価で重要になる。

1993年8月4日――約7年の捜査が最終報告へ

1993年8月4日、ウォルシュは独立検察官最終報告を提出した。

事件発覚から約6年9か月。
任命から数えれば約6年半に及ぶ捜査だった。

国立公文書館がまとめる公式記録では、

  • 14人が刑事訴追された
  • 11人が有罪となった
  • ノースとポインデクスターの有罪判決は控訴審で覆った
  • 2人は裁判前に大統領恩赦を受けた
  • 1人の事件は機密情報をめぐって棄却された

という結果になった。

さらに6人の関係者が1992年12月24日にブッシュ大統領から恩赦されている。

最終的な結果を人物別に整理する

人物 主な結果
オリバー・ノース 3件有罪 → 控訴審で取消 → 事件棄却
ジョン・ポインデクスター 5件有罪 → 控訴審で取消 → 事件棄却
ロバート・マクファーレン 4件の軽罪で有罪答弁 → 量刑 → 1992年恩赦
リチャード・セコード 議会への虚偽説明1件の重罪で有罪答弁
アルバート・ハキム 軽罪で有罪答弁。Lake Resourcesも法人重罪を認め解散
トーマス・クラインズ 税務関連4件の重罪で有罪、禁錮16か月を服役
アラン・ファイアーズ 2件の軽罪で有罪答弁 → 1992年恩赦
エリオット・エイブラムズ 2件の軽罪で有罪答弁 → 1992年恩赦
クレア・ジョージ 2件の重罪で有罪 → 量刑前に1992年恩赦
デュアン・クラリッジ 起訴 → 裁判前に1992年恩赦
キャスパー・ワインバーガー 起訴 → 裁判12日前に1992年恩赦
ジョセフ・フェルナンデス 機密情報開示問題により事件棄却

「有罪判決が消えた」ことと「調査で確認された事実」は別である

イラン・コントラ事件の司法結果が分かりにくい最大の理由がここにある。

刑事裁判には非常に高い立証基準がある。

さらに、

  • 免責付き証言
  • 機密情報
  • 文書破棄
  • 証人の記憶
  • 大統領恩赦

という特殊な問題も重なった。

そのため、

ある人物に最終的な有罪判決が残らなかった

ことと、

その人物が秘密作戦に関与したこと自体が確認されていない

ことは同じではない。

例えばノースがコントラ秘密支援やイラン武器取引へ関与していたことは、本人の議会証言、政府文書、銀行記録、他の証人の証言などによって確認されている。

問題となったのは、それらのうち刑事裁判で使用された証拠が、免責証言から完全に独立していたことを検察が立証できるかだった。

FACT CHECK|「イラン・コントラ事件では結局誰も有罪にならなかった」のか

違う。

ウォルシュ独立検察官の捜査では14人が刑事訴追され、11人が一度は有罪となった。

そのうちノースとポインデクスターの有罪判決は後に覆ったが、セコード、ハキム、クラインズ、チャネル、ミラーなど別の人物の有罪はそれとは異なる結果をたどった。

またマクファーレン、エイブラムズ、ファイアーズ、クレア・ジョージらは有罪となった後に大統領恩赦を受けている。

したがって「全員無罪」でも「中心人物全員が刑務所へ入った」でもない。

司法制度は、政治責任とは違う問いをしていた

1987年の議会調査は、

「行政府は議会の統制をどのように扱ったのか」

という問題を追った。

タワー委員会は、

「NSCの運営はなぜ失敗したのか」

を調べた。

ウォルシュ独立検察官が問うたのは、さらに狭く厳格だった。

「特定の人物について、特定の刑事犯罪を、適法に取得した証拠だけで合理的疑いを超えて立証できるか」

である。

そのため、三つの調査で同じ人物に対する評価が異なることは矛盾ではない。

刑事事件として成立しなくても、行政上・政治上の責任が存在する場合がある。

逆に政策判断が政治的に支持されていても、議会への偽証や文書破棄など別の刑事行為が許されるわけでもない。

恩赦は事件を「無かったこと」にしたわけではない

大統領恩赦についても同じである。

恩赦は、歴史的事実を削除する制度ではない。

マクファーレンが議会への情報 withholding について有罪答弁したこと。
エイブラムズとファイアーズが有罪答弁したこと。
クレア・ジョージが陪審から有罪評決を受けたこと。

これらの司法記録そのものが存在しなくなるわけではない。

一方、ワインバーガーとクラリッジについては裁判前に恩赦されたため、起訴内容が法廷で有罪・無罪どちらかに確定される機会そのものがなくなった。

この違いも重要である。

まとめ|司法は事件を完全には「終わらせられなかった」

イラン・コントラ事件の刑事捜査は、1986年12月から1993年まで続いた。

ローレンス・ウォルシュ独立検察官は14人を刑事訴追した。

11人が有罪となった。

しかし事件の中心人物だったノースとポインデクスターについては、議会の免責付き証言が刑事裁判の証人へ影響した可能性を排除できず、有罪判決を維持できなかった。

別のCIA・国務省・NSC関係者には有罪答弁や有罪評決が残った。

トーマス・クラインズのように実際に服役した人物もいる。

その一方で、国家機密を守るため必要な証拠を法廷で使えず、フェルナンデス事件は棄却された。

そして1992年12月24日。

ブッシュ大統領はワインバーガー、クラリッジ、ジョージ、ファイアーズ、エイブラムズ、マクファーレンの6人を恩赦した。

ブッシュは、6年以上の調査で事件は十分に検証され、これ以上の訴追は政策上の対立を刑事事件化するものだと説明した。

ウォルシュは逆に、特にワインバーガー裁判が中止されたことで、捜査終盤に得られた証拠を法廷で検証する機会が失われたと考えた。

どちらの評価を採るにしても、確定していることがある。

司法手続だけでは、

「誰が最終的に何を知っていたのか」

という事件最大の問いに、完全な答えは出なかった。

そして残る最大の人物が、ロナルド・レーガン大統領である。

レーガンはイランへの武器供給を知っていた。
コントラ支援を強く支持していた。

では、その二つを結びつけた資金流用は知っていたのか。

ノースの秘密補給網をどこまで理解していたのか。

事件発覚後に行われた政府内の説明や文書処理について、どこまで把握していたのか。

そして、膨大な調査を終えた現在、「レーガンは知らなかった」「すべて知っていた」のどちらまで証拠で言えるのか。

最終回では、タワー委員会、議会報告、ウォルシュ独立検察官最終報告を照合し、確定事実・証言・未確定事項を分けて、この事件最大の問いを検証する。

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第8回 調査は何を突き止めたのか|タワー委員会と1987年議会公聴会

次の記事:

第10回 レーガンはどこまで知っていたのか|確定事実・争点・イラン・コントラ事件が残したもの

CASE FILE 43|全記事

  1. 第1回 イラン・コントラ事件とは?|武器売却とコントラ支援が結びついた秘密工作の全貌
  2. 第2回 なぜイランへ武器を売ったのか|レバノン人質問題と「イラン・イニシアチブ」
  3. 第3回 武器はどうイランへ渡ったのか|イスラエル経由から米国直接取引まで
  4. 第4回 なぜコントラ支援は秘密化したのか|ボランド修正と議会統制
  5. 第5回 武器代金はどうコントラへ流れたのか|資金流用と「Enterprise」の仕組み
  6. 第6回 誰が秘密作戦を動かしたのか|オリバー・ノース、ポインデクスターとNSCの実働化
  7. 第7回 イラン・コントラ事件はどう発覚したのか|1986年11月、秘密工作が表に出るまで
  8. 第8回 調査は何を突き止めたのか|タワー委員会と1987年議会公聴会
  9. 第9回 刑事責任はどう裁かれたのか|ウォルシュ独立検察官、逆転判決、そして恩赦[現在の記事]
  10. 第10回 レーガンはどこまで知っていたのか|確定事実・争点・イラン・コントラ事件が残したもの

出典・参考資料

本記事では、刑事裁判上の「有罪」「判決取消」「事件棄却」「有罪答弁」「大統領恩赦」を区別しています。特にノースとポインデクスターについては、控訴審が事件への関与そのものを否定したのではなく、議会での免責付き証言が刑事裁判の証人へ影響した可能性を排除できなかったため有罪判決を維持できなかった点を重視しています。また1992年12月24日のブッシュ大統領恩赦については、大統領自身の公式な理由と、ウォルシュ独立検察官側の批判を分けて記述しています。