THE QUESTION
ブース追跡はどう終わったのか | ギャレット農場包囲と1865年4月26日の最期について、この回が担う固有の論点は何か。
STORY SO FAR
前回「なぜブースは数日間見つからなかったのか|メリーランド潜伏とポトマック川越え」で確認した論点を受け、この回ではブース追跡はどう終わったのか | ギャレット農場包囲と1865年4月26日の最期について、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。
1865年4月23日朝、ジョン・ウィルクス・ブースとデイヴィッド・ヘロルドは、二度目の試みでようやくポトマック川を渡り、ヴァージニア側へ到達した。[5]
フォード劇場でリンカーンを撃ってから約8日半。
メリーランド南部では、森に潜伏し、接触相手を限定することで大規模な捜索をかわしてきた。だがヴァージニアへ入ると、その方法が崩れ始める。
ブースとヘロルドは食料、宿、移動手段を得るため、人と会わなければならなくなる。
Elizabeth Quesenberry。 Thomas Harbin。 William Bryant。 Richard Stuart。 William Lucas。 Charley Lucas。 Mortimer Ruggles。 Absalom Bainbridge。 Willie Jett。 Richard Garrettとその家族。
接触する人間が増えるほど、二人の位置を知る人間も増える。
4月24日、Rappahannock川のPort Conwayで出会った元南軍兵Willie Jettに、Heroldは同行者がJohn Wilkes Boothであることを明かした。
JettはBoothをRichard Garrettの農場へ案内する。
翌25日夜、連邦側の兵士と探偵はBowling GreenでJettを見つけ、Boothの居場所を聞き出す。
そして26日午前2時ごろ、16th New York Cavalryの兵士と探偵たちがGarrett Farmへ到着する。
BoothとHeroldはtobacco barnにいた。
Heroldは投降する。
Boothは拒否する。
納屋には火が放たれ、Boothが武器を構えるような動きを見せたとき、Boston Corbett軍曹が命令に反して一発を撃つ。
弾丸はBoothの首を貫き、脊髄を損傷する。
Boothは全身を動かせなくなり、農場のporchへ運び出される。
数時間後、4月26日午前7時15分ごろ、死亡した。
12日間の逃走はそこで終わった。
本記事では、Virginia到達からGarrett Farm包囲、Herold投降、Booth被弾・死亡、遺体の身元確認までを扱う。
その後に行われた8人の被告に対する軍事法廷はCASE054-07へ送る。
結論|追跡を終わらせたのは「大規模な包囲網」だけではなく、Booth自身の接触人数が増え、居場所を知る人物が現れたことだった
Maryland潜伏期のBoothは発見されにくかった。
理由は、数日間ほとんど動かず、Thomas Jonesのような限られた人物だけが外部との接触を代行したからである。
しかしVirginiaへ入ると状況が変わった。
食料を求める。 宿泊場所を求める。 馬やwagonを必要とする。 川を渡る。 案内人を必要とする。
そのたびに新しい人間と接触する。
しかも、すべての相手がBoothを積極的に支援したわけではない。
食事だけ与えてそれ以上の協力を断る者もいた。 Boothに脅されて家を明け渡した者もいた。 Boothの正体を知って驚く元南軍兵もいた。 Garrett家は、Boothを暗殺犯だと知らずに泊めた。
追跡側に必要だったのは、Boothの顔写真より「最後に誰と会い、どこへ行ったか」という人間関係の線だった。
その線がWillie JettからGarrett Farmへつながる。
逃走終結の決定点は、Boothが「見つかった瞬間」ではない。
自分の居場所を知る第三者を増やしすぎた瞬間に、すでに始まっていた。
4月23日朝|Virginiaへ入っても安全にはならなかった
4月23日朝、BoothとHeroldはPotomac川を渡り、Gambo Creekの河口付近へ上陸した。
MarylandからVirginiaへ入ることは、Boothにとって大きな目標だった。
Virginiaは旧Confederacyの中心州である。
Boothは自分の行為が南部への忠誠として理解され、支援を得られることを期待していた。
しかし現実は違った。
NPSの現在の逃走記録では、BoothとHeroldはまずElizabeth Quesenberryの家を訪ねる。
QuesenberryはSouthern sympathizerで、Thomas Jonesから紹介された人物だった。
彼女は二人に食事を与えた。
しかし、それ以上の支援はしなかった。
「南部支持者ならLincoln暗殺犯を当然匿った」という構図にはならない。
政治的に南部寄りであっても、暗殺犯を自宅へ長く置くことは別問題だった。
Boothが期待した「南部の英雄としての歓迎」は、Virginia上陸直後から崩れ始める。
Thomas HarbinとWilliam Bryant|人脈は続くが、支援は断続的だった
Quesenberry宅の後、BoothとHeroldはThomas HarbinとWilliam Bryantにつながった。
NPSはHarbinとBryantをConfederate agentsとしている。
この二人との接触は、MarylandでThomas Jonesらが支えていた南部側の人的ネットワークがVirginiaにも続いていたことを示す。
しかしネットワークがあることと、すべての家で歓迎されることは違う。
BryantはBoothとHeroldをCleydaelへ連れて行く。
そこはDr. Richard Stuartの家だった。
StuartもSouthern sympathizerだった。
それでも、BoothとHeroldへ食事以上の支援をしなかった。
NPSによれば、StuartはBryantを追いかけ、二人を自分の家から連れ出させた。
ここでも支援の限界が見える。
Boothが「南部側の同志」を想定していても、相手から見れば、自宅を捜索対象にしかねない危険人物である。
暗殺後9日目ともなれば、Boothの名前は新聞や指名手配で広く知られている。
彼を助けることには大きな危険が伴った。
William Lucas宅|Boothは脅迫を使う
BryantはBoothとHeroldを、自由黒人William Lucasとその家族が暮らすcab inへ連れて行く。
ここでBoothの行動はさらに変化する。
NPSによれば、Boothはその日の出来事に怒り、William Lucasをknifepointで脅して家族を家から追い出し、その家を宿泊場所として使った。
これは「逃走支援者」という言葉を無条件で使えない典型例である。
Lucas家はBoothの政治思想に共鳴して匿ったのではない。
脅された側である。
Boothの逃走経路を人物一覧にすると、全員が「協力者」に見えやすい。
しかし実際には、
明確な共謀者。 南部側の連絡員。 食事だけ与えた人物。 有償の案内人。 脅迫された住民。 正体を知らずに泊めた農家。
が混在している。
Virginia終盤では、この違いが特に大きい。
4月24日朝|Charley LucasのwagonでPort Conwayへ
翌4月24日、BoothとHeroldはWilliam Lucasの息子Charley Lucasを雇い、wagonでRappahannock川沿いのPort Conwayへ向かう。
Boothは脚を負傷している。
長距離を徒歩で移動することは難しい。
wagonを使えば移動は楽になるが、同時に接触者が増える。
Boothの逃走は、ここから「誰にも見られず森を進む」状態ではなくなる。
Port Conwayは川を渡る交通点である。
人と会う可能性が高い。
そしてそこで、逃走終結につながる三人と出会う。
Mortimer Ruggles。 Absalom Bainbridge。 Willie Jett。
三人はいずれも元Confederate soldiersだった。
Willie Jettに正体を明かす
NPSによれば、Port Conwayで三人の元南軍兵と会った際、David HeroldはWillie Jettに同行者の正体を明かした。
John Wilkes Booth。
Jettは驚いた。
なぜなら、Boothが自分たちの行き先を知る「新しい人物」を増やしたからである。
Jettは暗殺計画の古い共謀者ではない。
Marylandで数か月前からBoothを支えていた人物でもない。
その場で出会った元南軍兵である。
Heroldが正体を明かしたことで、Jettは単なる旅人ではなく「Booth本人を見て、彼と一緒に移動した証人」になる。
後に連邦側はJettへ到達する。
その時点で、Boothの居場所を絞るための情報が完成する。
Rappahannock川を渡る
BoothとHeroldはRuggles、Bainbridge、Jettと一緒にferryでRappahannock川を渡る。
対岸はPort Royal。
Jettは二人の宿泊先を探す。
最初にRandolph Peytonの家を訪れるが、そこには未婚の姉妹二人しかおらず、BoothとHeroldを泊めることは断られた。
この拒否も、「元南軍地域ならどこでも隠してもらえた」という理解を崩す。
Jettは別の場所を探す。
そして数マイル先のRichard Garrettの農場へ二人を案内する。
ここが逃走最後の場所になる。
Garrett Farm|Boothは「John W. Boyd」と名乗る
Richard Garrettの農場で、Boothは本名を明かさない。
NPSによれば、「John W. Boyd」という偽名を使い、元Confederate soldierだと説明した。
Garrett家はBoothがLincoln暗殺犯だとは知らなかった。
Boothは農場に泊まることを許される。
Heroldはそのまま元南軍兵たちとBowling Greenへ向かい、Boothだけが最初の夜をfarmhouseで過ごした。
この時点では、Boothは再び安全な場所を得たように見える。
4月24日の夜を屋内で眠る。
翌25日の朝にはGarrett家で朝食をとり、子どもたちと過ごす。
NPSの記述を見る限り、Boothは一時的に緊張から解放されたような時間を過ごしている。
だが、その安全は長く続かない。
4月25日|Union cavalryの噂でBoothが森へ逃げる
4月25日午後、HeroldがGarrett Farmへ戻る。
その後、RugglesとBainbridgeも到着する。
二人はUnion cavalryが近づいていると知らせる。
Boothは反応する。
NPSによれば、Boothは近くのwoodsへ逃げて隠れ、Heroldが見張った。
これはGarrett家にとって不自然な行動だった。
Boothは自分を「元南軍兵John W. Boyd」と説明していた。
普通の旅人や復員兵なら、Union cavalryの接近を聞いて突然森へ逃げる必要はない。
Richard Garrettの息子Jack Garrettは元Confederate soldierだった。
彼はBoothとHeroldの行動を見て疑いを持つ。
ただし、Jackがその時点で「Lincoln暗殺犯だ」と見抜いたわけではない。
NPSは、Garrett家が二人をhorse thievesではないかと疑ったとしている。
Boothの恐怖反応が、自分たちへの警戒を生んだ。
皮肉なことに、捜索を避けるために森へ隠れた行動が、宿主から見れば正体不明の危険人物である証拠になった。
なぜtobacco barnで寝ることになったのか
Garrett家の疑いが強まると、BoothとHeroldは家の中で眠ることを許されなくなる。
4月25日夜、二人はtobacco barnで寝るよう求められた。
Jack Garrettらは、二人が馬を盗んで逃げるのではないかと警戒した。
NPSによれば、BoothとHeroldは納屋の中へ入れられ、外からlockされた。
近くのcorn cribではGarrett家の息子たちが見張る。
Marylandのpine thicketでは、四方が森だった。
危険を感じれば移動できる。
Garrett Farmのtobacco barnでは、出入口が限定される。
しかも外から鍵をかけられている。
Booth自身は安全な宿を確保したつもりだったかもしれないが、実際には追跡側から見れば包囲しやすい場所へ入っていた。
同じ夜|追跡側はWillie Jettへ到達する
Boothがbarnで眠っているころ、追跡側では決定的な進展が起きていた。
Union soldiersとdetectivesがBowling GreenでWillie Jettを見つけたのである。
Jettは、4月24日にBoothとHeroldと一緒にRappahannock川を渡った人物だった。
さらにBoothをGarrett Farmへ案内している。
つまり、Jettを見つけた時点で追跡側は「Boothと会った人物」だけでなく、「最後の宿泊先を知る人物」を確保したことになる。
NPSによれば、Jettは尋問を受け、BoothがRichard Garrettの農場にいることを教えた。
そして兵士たちを現地へ案内する。
ここで追跡は、広域捜索から特定住所への急行に変わる。
これまでの「Maryland南部のどこかを捜す」段階とは違う。
目的地が一つに絞られた。
追跡部隊|16th New York Cavalryと探偵たち
Garrett Farmへ向かったのは、16th New York Cavalryの兵士と連邦側のdetectivesだった。重要なのは部隊名そのものより、彼らが偶然農場を発見したのではなく、Bowling GreenでWillie Jettを確保し、その証言から目的地をGarrett Farmへ絞ったことである。
4月26日午前2時ごろ|Garrett Farm到着
追跡部隊は午前2時ごろGarrett Farmへ到着する。
NPSによれば、兵士たちはRichard Garrettを荒っぽく問い詰めた。
そこで息子Jackが現れ、逃亡者二人がtobacco barnにいることを告げる。
兵士たちはbarnを包囲する。
BoothとHeroldに投降を要求する。
12日間の逃走で初めて、Boothは完全に位置を把握された状態で包囲される。
Potomacの森のように逃げ込める地形ではない。
舟もない。
馬もない。
Heroldと二人でbarnの中にいる。
逃走は事実上、この時点で終わっている。
残っているのは「生きて拘束されるか、抵抗するか」である。
Boothは投降を拒否する
NPSの現在の逃走記録では、Boothは兵士側にshootoutの機会を求めたが拒否された。
追跡側の目的は、彼を生け捕りにすることだった。
Boothは投降を拒み続ける。
この場面には後世、多くの劇的な台詞が付加されている。
19世紀の新聞記事や回想には、Boothと包囲側の長いやり取りが記録されている。
しかし記事では、有名な台詞を大量に再現するより、複数の公的資料で一致する行動を中心に扱う。
包囲された。 投降を求められた。 Boothは拒んだ。 Heroldは投降する方向へ動いた。 Boothはbarnに残った。
この構造が重要である。
David Heroldは投降した
Heroldは最終的にBoothと別れる。
NPSによれば、Heroldは投降し、barnから引き出された。
Boothは彼をcowardと呼んだとされる。
Heroldの投降は、逃走をともにしてきた二人の関係が最後に分かれる瞬間である。
Heroldは4月14日の暗殺計画を知り、Seward襲撃側の案内役を務め、MarylandでBoothと合流した。
その後、約11日間Boothと行動を共にした。
しかしGarrett Farmでは生存を選び、投降する。
CASE054-07では、Heroldがどの行為を理由に有罪とされたのかを裁判記録の側から扱う。
なぜbarnに火をつけたのか
Boothが投降しないため、包囲側は次の手段を選ぶ。
barnへの放火である。
NPSの現在の記録では、detective Everton Congerの指示で兵士側が納屋へ火をつけた。
目的はBoothを焼死させることではなく、火によって外へ出させることだった。
暗い納屋の内部で武装したBoothへ突入すれば、兵士側にも危険がある。
火をつければ、Boothは外へ出ざるを得ない。
しかしBoothはすぐには投降しない。
NPSによれば、燃え始めたbarnの中で火を消そうとし、武器を準備するような動きを見せた。
その姿を外から見ていた兵士の一人がBoston Corbettだった。
Boston Corbettの一発
Boston Corbettは16th New York Cavalryの軍曹だった。
NPSの現在ページでは、Boothを殺さないよう命令されていたにもかかわらず、Corbettは一発を発射したと説明している。
Corbettは、Boothが銃を構えて発砲しようとしているように見えたため撃ったとした。
銃弾はBoothの首を通過する。
脊髄が損傷し、Boothは首から下を動かせなくなる。
Boothが銃撃戦の末に何発も撃たれて死亡したわけではないことである。
一発だった。
しかも包囲側の基本方針は生け捕りだった。
Corbettの発砲は、その方針から外れた行動だった。
NPSのAftermath FAQも、Corbettがburning barnの隙間からBoothを見て、Boothがrifleを上げて撃つと判断して自分のpistolを発射したと整理している。
したがって、「軍が処刑目的でBoothを射殺した」と書くのも、「激しい銃撃戦で死亡した」と書くのも正確ではない。
生け捕りを意図した包囲の最中、兵士一人の一発が致命傷になった。
Boothをbarnから運び出す
Boothが撃たれると、Congerらは燃えるbarnへ入り、彼を外へ引き出す。
Boothは重度の麻痺状態だった。
NPSによれば、尋問を試みたが、ほとんど話すことができなかった。
BoothはGarrett farmhouseのporchへ運ばれる。
医師が呼ばれた。
診察の結果、助からないと判断される。
ここからBoothは数時間生存する。
弾丸が即死させたわけではない。
意識は残っていたが、身体を自由に動かすことはできなかった。
Boothの最後の言葉はどこまで確かか
NPSの現在の逃走ページは、Boothが最期の数時間に母への伝言を頼み、最後に自分の手を見て「useless, useless」と述べたと伝えている。
ただし、臨終の言葉は後世に脚色されやすく、Boothは喉と脊髄に重大な損傷を負っていた。本CASEではNPSが採用する証言として紹介し、完全な速記記録のようには扱わない。
午前7時15分ごろ|Booth死亡
NPSの現在の逃走記録では、Boothは4月26日午前7時15分ごろ死亡した。[5]
Lincolnを撃ってから約11日と9時間後である。
よく「12日間の逃走」と表現されるのは、4月14日夜から4月26日朝までを暦日で追うためである。[5]
Boothの死亡で、逃走そのものは終わる。
しかし捜査は終わらない。
遺体の身元を確認しなければならない。
Heroldは生きて拘束されている。
ほかの共謀者もすでに逮捕、あるいは捜索対象になっている。
政府側には、この事件を裁判へ移す作業が残る。
遺体はWashingtonへ運ばれた
Boothの遺体はwagonで運ばれ、steamship John S. Ideを経てWashingtonへ移送された。
NPSによれば、autopsyはUSS Montauk上で行われた。
ここで複数の人物が遺体を確認し、John Wilkes Booth本人であると判定した。
NPS Aftermath FAQは、Boothを生前知っていた複数の人物がautopsy時に遺体を確認したことを明記している。
これは後世に繰り返し現れる「Boothは実は逃げ延びた」という説を考えるうえで重要である。
ただし、Booth生存説そのものの検証はCASE054-08の役割である。
本記事では、連邦政府側が遺体をBooth本人と確認し、その後秘密裏に埋葬したという事実までを扱う。
秘密埋葬と1869年の返還
NPSによれば、Boothの遺体はEdwin Stantonの命令でOld Arsenal Penitentiaryに秘密裏に埋葬された。その後、1869年に家族へ返還され、現在はBaltimoreのGreen Mount CemeteryにあるBooth家の区画に埋葬されている。秘密埋葬の経緯が後世の生存説を生む一因になったが、死亡確認そのものとは別問題である。
Garrett Farmは現在どうなっているのか
Richard Garrett Farmは、Booth逃走の終着点として非常に重要な歴史地点である。
しかし、NPSの現在ページはGarrett farmhouseについて「No trace of the farmhouse remains today」と明記している。
つまり、Ford’s TheatreやSurratt Tavern、Mudd Houseのように、1865年当時の建物を現在の史跡としてそのまま訪問できる場所ではない。
このためCASE054-06では、Google Mapsの現代施設リンクを設置しない。
現代の一点を「ここが当時のGarrett Farm」と強く固定すると、現在の道路・土地境界と1865年の農場位置関係を混同する危険がある。
代わりにD04で、Port Conway / Port Royal、Garrett Farm、Bowling Greenという歴史的な位置関係を示す。
D04|Garrett Farmを「現代の観光スポット」ではなく歴史的終着点として示す

CASE054-06のD04は、通常の観光マップではない。
目的は、追跡がどのように一点へ収束したかを見せることである。
必要な要素は次の通り。
Gambo Creek / Virginia arrival ↓ Cleydael / Richard Stuart ↓ Lucas cabin ↓ Port Conway ↓ Rappahannock ferry ↓ Port Royal ↓ Garrett Farm ↑ Willie Jett ↑ Bowling Green ↑ Union detectives / 16th New York Cavalry
この図で重要なのは、Boothの移動線だけではない。
「追跡側の情報線」を別に描くことである。
Booth側はPort ConwayからGarrett Farmへ移動した。
追跡側はWillie JettをBowling Greenで発見し、そこからGarrett Farmへ到達した。
二本の線が4月26日未明に一点で交差する。
それがD04の役割である。
検証ポイント|Garrett Farm最終局面で誤解しやすい点
「BoothはVirginiaへ入ると南部の人々に次々歓迎された」
誤りである。
QuesenberryやStuartは食事以上の支援を断った。Lucas家はBoothに脅された。Garrett家はBoothの正体を知らず、「John W. Boyd」という元南軍兵だと説明されていた。
「Garrett家はLincoln暗殺犯だと知って匿った」
NPSの現行説明ではそのようには扱われていない。
Boothは偽名と元南軍兵という設定を使って宿泊した。Garrett家が疑ったのは、BoothとHeroldがhorse thievesではないかという点だった。
「Union troopsは偶然Garrett Farmを発見した」
誤りである。
Bowling GreenでWillie Jettを見つけ、尋問し、Boothの居場所を聞き出したことで農場へ到達した。
「HeroldもBoothと一緒に撃たれた」
誤りである。
Heroldはbarnから投降し、生きて拘束された。後に軍事法廷で裁かれる。
「Boothは激しい銃撃戦で死亡した」
不正確である。
NPSによれば、barnへ火が放たれた後、Boothが武器を構えるように見えたためBoston Corbettが一発を発射した。Boothは首を撃たれ、脊髄損傷によって麻痺した。
「CorbettにはBoothを射殺する命令が出ていた」
NPSは逆に、Boothを殺さないよう命令されていたにもかかわらずCorbettが発砲したとする。
包囲側の基本方針は生け捕りだった。
「Boothは撃たれて即死した」
誤りである。
Boothはbarnから運び出され、farmhouseのporchで数時間生存した。NPSは午前7時15分ごろ死亡したとしている。
「Boothの遺体は確認されず秘密に消された」
誤りである。
遺体はWashingtonへ運ばれ、USS Montauk上のautopsyでBoothを知る複数の人物によって確認された。その後の秘密埋葬は事実だが、「身元確認がなかった」ことを意味しない。
「現在もGarrett farmhouseが残っている」
残っていない。
NPSは現在、farmhouseの痕跡は残っていないとしている。そのため本CASEでは現代Google Mapsリンクを必須にせず、歴史的locator diagram D04を用いる。
まとめ|12日間の逃走を終わらせたのは、Booth自身が作った「情報の痕跡」だった
4月23日、BoothとHeroldはVirginiaへ到達した。
Boothは、旧Confederacyの土地へ入れば安全になると期待した。
しかし実際には、支援を断る南部支持者もいた。
William Lucasは脅された。
Port Conwayでは三人の元南軍兵に出会った。
HeroldはWillie JettへBoothの正体を明かした。
Jettは二人をRappahannock川の向こうへ連れて行き、BoothをRichard Garrettの農場へ案内した。
Boothは「John W. Boyd」と名乗り、元南軍兵を装った。
4月25日、Union cavalryの接近情報に反応して森へ隠れたため、Garrett家から不審に思われる。
その夜、BoothとHeroldはtobacco barnで寝かされ、外からlockされた。
同じころ、追跡側はBowling GreenでWillie Jettを見つける。
JettはGarrett Farmを教える。
4月26日午前2時ごろ、16th New York Cavalryの兵士とdetectivesが農場へ到着する。
Heroldは投降する。
Boothは拒否する。
Everton Congerの指示でbarnに火が放たれる。
Boothが武器を構えるような動きを見せる。
Boston Corbett軍曹が一発を撃つ。
Boothは首を撃たれ、麻痺する。
午前7時15分ごろ死亡する。
MarylandでBoothを守ったのは、停止、森林、限定された接触だった。
Virginiaでその条件は失われた。
逃げるために人と会い、移動手段を借り、宿を求め、正体を明かす。
その一つ一つが「自分はここにいた」という情報を残した。
追跡側は最終的に、その情報を人物から人物へたどった。
だからGarrett Farmでの結末は、単に「騎兵隊がBoothを見つけた」のではない。
逃走側が増やした接触者と、追跡側が積み上げた証言が同じ地点で交差した結果だった。
次のCASE054-07では、この追跡の後に始まった軍事法廷へ進む。
Boothは裁判を受けないまま死亡した。
では、残された8人の被告は何を理由に「暗殺共謀者」として裁かれたのか。
誘拐計画への参加。 4月14日の殺害計画。 逃走支援。 Boothとの過去の接触。
これらは同じではない。
軍事法廷が誰にどの行為を認定し、どの刑を科したのかを分けて見る。
FACT CHECK|出典・参考資料
- [1] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “The Assassin’s Escape: Following John Wilkes Booth”
- [2] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “FAQ: Aftermath”
- [3] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “The Lincoln Conspirators”
- [4] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, Park Brochure
- [5] Library of Congress, “The killing of Booth, the assassin — the dying murderer drawn from the barn where he had taken refuge, on Garrett’s farm, near Port Royal, Va., April 26, 1865”
- [6] Library of Congress, Abraham Lincoln Papers, “Assassination Timeline”
- [7] Library of Congress, “Booth Killed,” With Malice Toward None: The Abraham Lincoln Bicentennial Exhibition
リンカーン暗殺とブース追跡|大統領暗殺後、犯人はどう追い詰められたのか 第6回 全8回 全8回を見る
- 01 リンカーン暗殺事件とは?|1865年4月14日からブース死亡まで12日間を追う
- 02 リンカーン暗殺とブース追跡|ジョン・ウィルクス・ブースはなぜリンカーンを狙ったのか|誘拐計画から暗殺計画へ
- 03 リンカーン暗殺とブース追跡|フォード劇場で何が起きたのか|1865年4月14日、暗殺の夜を時系列で追う
- 04 リンカーン暗殺とブース追跡|ブースはどうワシントンを脱出したのか|サラット酒場からマッド医師宅まで
- 05 リンカーン暗殺とブース追跡|なぜブースは数日間見つからなかったのか|メリーランド潜伏とポトマック川越え
- 06 ブース追跡はどう終わったのか|ギャレット農場包囲と1865年4月26日の最期
- 07 リンカーン暗殺の共犯者はどう裁かれたのか|軍事法廷と8人の被告
- 08 リンカーン暗殺とブース追跡|ブース逃走劇の何が事実で何が伝説なのか|証言・記録・残された史跡を検証する