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リンカーン暗殺とブース追跡ブース逃走劇の何が事実で何が伝説なのか証言・記録・残された史跡を検証する

ジョン・ウィルクス・ブースの遺体から発見された所持品を写した展示資料
Photographs in the Carol M. Highsmith Archive, Library of Congress, Prints and Photographs Division 出典 No known restrictions on publication

STORY SO FAR

前回「リンカーン暗殺の共犯者はどう裁かれたのか|軍事法廷と8人の被告」で確認した論点を受け、この回ではブース逃走劇の何が事実で何が伝説なのか | 証言・記録・残された史跡を検証するについて、通説と確認可能な事実はどう異なるのか。を扱う。

ジョン・ウィルクス・ブースの逃走には、160年以上たった現在も「有名な場面」がいくつも残っている。

大統領席から舞台へ飛び降り、その瞬間に脚を折った。 舞台上で「Sic Semper Tyrannis」と叫んだ。 12日間、追っ手を振り切って南へ走り続けた。 Garrett Farmで射殺された。 最後に劇的な言葉を残した。 政府は遺体を秘密裏に埋葬した。 実はGarrett Farmで死んだ男はBoothではなく、本人は逃げ延びた。

一部は強く裏付けられている。

一部は事実だが、細部が後世に整えられている。

一部は複数の史料が食い違う。

そして一部は、確認できる一次・公的記録より後世の伝説の方がはるかに弱い。

リンカーン暗殺は写真、警察記録、軍事法廷記録、目撃証言、Booth自身の日記、事件に使われた武器や衣服など、非常に多くの史料が残る事件である。

それでも「すべてが完全に確定している」わけではない。

歴史上の事件では、ある事実が有名であることと、その細部まで証明されていることは別である。

CASE054の最後では、これまでの記事で保留してきた論点を四段階に分ける。

確定度が高い事実。 複数資料から有力とみられる事実。 史料が食い違い、確定できない点。 後世に広まったが、一次・公的資料との整合性が弱い伝説。

この分け方を使うと、Booth逃走劇は「謎だらけの事件」にも、「全部わかっている事件」にもならない。

残っている証拠が強い部分と、空白の部分が見える。

結論|大筋は非常によく確認できる。曖昧なのは「細部」であり、Boothが逃げ延びたという核心逆転説ではない

まず、事件の骨格については公的資料がかなり強い。

1865年4月14日夜、BoothがFord’s TheatreでLincolnを撃った。[3] Boothが劇場から逃走した。 David Heroldと合流した。 Surratt Tavernへ立ち寄った。 Dr. Samuel Muddが負傷した左脚を治療した。 Maryland南部で数日間潜伏した。 Potomac川を越えた。 Virginiaへ入った。 Willie Jettを通じてGarrett Farmへたどり着いた。 4月26日未明、連邦側がfarmを包囲した。 Heroldが投降した。 Boothがbarnに残った。 Boston Corbettの一発でBoothが首を撃たれた。 Boothが数時間後に死亡した。 遺体がWashingtonへ運ばれ、autopsyと身元確認が行われた。 遺体が秘密裏に埋葬され、1869年にBooth家へ返還された。

この大筋を逆転させるには、相当量の公的記録と複数の目撃・身元確認を同時に否定する必要がある。

一方、細部では本当にわからないことがある。

左脚をどこで骨折したのか。 “Sic Semper Tyrannis”を発砲前に言ったのか、舞台へ降りてから叫んだのか。 最期の言葉がどこまで正確に記録されているのか。 逃走総距離を何マイルと数えるべきか。

こうした点は、無理に一つへ固定しない方が史料に忠実である。

判定1|Boothは大統領席から舞台へ飛び降りた

確定度:高い

これは事件の中でも強く裏付けられている。

NPSのFord’s Theatre資料は、BoothがLincolnを撃った後、Henry Rathboneと格闘し、大統領席から舞台へ飛び降りたとする。

その際、Boothのspurが大統領席を飾っていたTreasury Departmentの旗に引っ掛かったことも、NPSのmuseum collectionで説明されている。

当時の旗そのものが保存されている。

また、Boothが舞台へ降りた後にdaggerを持って走り、stage right側の裏口からBaptist Alleyへ逃げたことも多数の証言と公的記録に一致する。

したがって、「Boothは舞台へ飛び降りなかった」「別の出口から密かに歩いて出た」といった理解を採る必要はない。

不確実なのは、飛び降りた事実ではなく、その着地で何が起きたかである。

判定2|その瞬間に左脚を骨折した

確定度:不確実

これはCASE054で最も典型的な「有名だが完全には確定しない事実」である。

Booth自身は逃走中の日記で、舞台へ飛び降りた際に脚を折ったという趣旨を書いている。

NPSの公式brochureも、Boothが装飾に引っ掛かって着地を崩し、左脚を骨折したという伝統的な説明を採用している。

しかし、NPSの現在のFAQはそれだけでは終わらない。

現在のNPSは、BoothがWashington脱出中に馬から落ち、その際に左脚を骨折した可能性も紹介している。

David Heroldへ落馬で脚を痛めたと話したとされること、Boothが乗っていた馬の左側にも傷があったことが、この可能性の根拠として挙げられる。

NPSの結論は明確である。

正確にどこで骨折したかは、おそらく今後もわからない。

ただし、確定できる下限はある。

Boothが4月15日午前0時ごろSurratt Tavernへ着いた時点では、左fibulaは明確に骨折していた。

つまり、

大統領席からの跳躍で骨折した可能性。 逃走中の落馬で骨折した可能性。

この二つを残すのが現在の公的説明に最も近い。

映画や一般書で「舞台へ着地した瞬間にポキッと折れた」と描かれていても、その演出をそのまま確定史実にはできない。

判定3|Boothの日記は信頼できる一次資料である

確定度:一次資料として重要。ただし自己弁護と誇張を含む

Boothの日記は非常に重要な史料である。

NPSによれば、これは1864年用の小型appointment bookで、4月26日にBoothの遺体から発見された。[3]

現在はFord’s Theatre National Historic Siteのmuseum collectionにあり、展示されている。

Boothは逃走中に二つのまとまったentryを書いた。

そこには、誘拐計画から殺害へ転じた自分なりの説明、Lincolnを「tyrant」とみなす思想、自分が南部のために行動したという自己正当化、新聞から非難されたことへの怒りが残されている。

しかし、一次資料だからといって全部を事実記録として読めるわけではない。

NPS自身が、Boothの日記には自己演出的な誇張があると指摘している。

たとえばBoothは暗殺当夜に60 miles走ったという趣旨を書いたが、NPSはこれは事実ではないとしている。

骨折した脚の骨が走るたびに肉を裂いたという劇的な表現も、NPSは誇張とみている。

Boothは俳優だった。

そして逃走中、新聞を読み、自分が「英雄」ではなく卑劣な暗殺者として非難されていることを知っていた。

日記は単なる行動ログではなく、「後世に自分をどう見てほしいか」を意識した文章でもある。

したがって、Boothの日記は捨てるべき資料ではない。

しかし、目撃証言や物証と食い違う場合に「本人が書いたから絶対に正しい」とすることもできない。

判定4|“Sic Semper Tyrannis”は舞台上で叫んだ

確定度:有力

NPSの現在のFAQは、多数の目撃者が、Boothが舞台へ飛び降りた後、daggerを振りかざしながら“Sic Semper Tyrannis”と叫んだと記録している。

NPSのLincoln Conspirators解説も、Boothが舞台へ降りてこの言葉を叫んだという叙述を採っている。

このラテン語は一般に「暴君には常にこのように」という意味で理解され、Virginia州のmottoでもある。

CASE054-02で見たように、BoothはLincolnを「tyrant」と捉え、自分をBrutusのような存在として正当化した。

したがって、この言葉はBoothの思想とも整合する。

問題は「いつ言ったか」である。

Booth自身の日記では、発砲前に“Sic Semper”と叫んだという順序になっている。

しかしNPSは、多数の目撃証言が舞台へ降りた後の発声を支持するとする。

しかも、Boothの日記には自分の行動をより英雄的に見せる誇張がある。

そのため本CASEでは、

Boothが“Sic Semper Tyrannis”を叫んだことは強く支持される。 多数の目撃証言では舞台へ降りた後。 本人の日記では発砲前。

と分ける。

一つの映画的な順序に固定するより、この史料差そのものを示す方が正確である。

判定5|Boothは12日間、90 miles以上を走り続けた

確定度:逃走期間は高い。距離表現と「走り続けた」は要注意

NPSの現在のThe Assassin’s Escapeは、Boothの逃走を12 days、over ninety milesと説明する。

一方、NPSの別資料では約90 miles、古いroute brochureでは約80 milesという表現も見られる。

どこを起点・終点にし、蛇行や渡河失敗をどこまで含めるかによって総距離は変わる。

そのため「正確に何マイル逃げたか」を事件の核心にする必要はない。

さらに重要なのは、「12日間走り続けた」という印象が誤っていることである。

BoothとHeroldは4月16日から20日までMaryland南部のpine thicketに潜伏し、数日間ほとんど移動していない。

Thomas Jonesが食料、新聞、情報を運んだ。

むしろ見つからなかった理由の一つは、動かなかったことである。

12日間の逃走とは、12日間連続で馬を走らせたという意味ではない。

移動。 停止。 迷走。 渡河失敗。 再渡河。 人の家での休息。

その繰り返しである。

判定6|政府はBoothの「声明文」を隠した

確定度:支持されない

Booth自身の日記には、自分が残した文章を政府が公表させないという不満が書かれている。

これだけを読むと、「政府がBoothの声明文を押収して隠した」という物語を作ることができる。

しかしNPSの現在のjournal解説は別の経緯を説明している。

暗殺当日の午後、Boothは自分の行為の理由を説明する長い文章を書き、俳優仲間John Matthewsへ渡した。

National Intelligencerへ届け、新聞に掲載してもらう意図だった。

暗殺後、Matthewsは封筒を開ける。

内容を読んだ彼は、自分まで事件に巻き込まれることを恐れ、手紙を焼いた。

Boothはその事実を知らなかった。

そのため逃走中、政府が自分の文章を抑えていると思い込んだ。

つまり、文章が失われたこと自体は事実である。

しかし現在のNPS説明に従う限り、「政府が原文を押収して隠蔽した」ことを示すものではない。

ここは、本人の思い込みと確認できる経緯を分ける必要がある。

判定7|Garrett Farmでは激しい銃撃戦になった

確定度:支持されない

Boothの最期は映画的に描きやすい。

燃える納屋。 包囲する騎兵隊。 拳銃を持つBooth。 銃撃。

しかし、NPSの現在の記録は「銃撃戦」とはしていない。

4月26日午前2時ごろ、detectivesと16th New York CavalryがGarrett Farmへ到着した。

Heroldは投降した。

Boothは拒否した。

Everton Congerの指示でbarnに火がつけられた。

Boothが武器を準備するように見えたとき、Sergeant Boston Corbettが外から一発を撃った。

NPSは、Boothを殺さないよう命令されていたにもかかわらずCorbettが発砲したと説明する。

弾丸はBoothの首を通り、spinal cordを損傷した。

Boothは麻痺した。

これは激しい撃ち合いとは違う。

追跡側はBoothを生け捕りにしようとしていた。

その包囲の途中で、Corbettの一発が致命傷になった。

判定8|BoothはGarrett Farmで即死した

確定度:誤り

Boothは撃たれた直後には生きていた。

NPSによれば、Congerらが燃えるbarnからBoothを運び出し、Garrett farmhouseのporchへ移した。

Boothは首から下を動かせない状態だった。

医師が呼ばれ、助からないと判断された。

Boothは数時間生存し、午前7時15分ごろ死亡した。

したがって、

「Corbettの一発でその場で即死」 「炎の中で焼死」 「兵士との銃撃戦で死亡」

はいずれもNPSの現在記録とは一致しない。

判定9|Boothの最期の言葉は完全に確定している

確定度:有名な証言はあるが、完全な速記記録としては扱わない

NPSの現在のThe Assassin’s Escapeは、Boothが母への伝言を頼み、最後に自分の手を見たあと“useless, useless”と発したとする。

この場面はBoothの最期を象徴するエピソードとして繰り返し紹介されている。

ただし、Boothは首を撃たれてspinal cordを損傷し、NPS自身も「barely speak」とするほど話すことが困難な状態だった。

臨終の言葉は、複数の人物が後から記録する過程で細部が変化しやすい。

したがって、本CASEでは、

NPSが現在採用している最期の言葉として紹介できる。 しかし音声録音や逐語速記のような完全記録ではない。

という位置づけにする。

歴史記事で重要なのは、最期の一言を劇的に確定することではなく、どの資料がどの程度の確度を持つかを示すことである。

判定10|Garrett Farmで死んだ人物は本当にBoothだった

確定度:非常に高い

ここが後世の「Booth survival」説の中心になる。

NPSの現在のAftermath FAQでは、Boothの遺体はWashington Navy Yardへ運ばれ、4月27日にautopsyが行われた。

その際、Boothを生前知っていた複数の人物が遺体を目視で確認した。

NPSのThe Assassin’s Escapeも、USS Montauk上のautopsyで遺体がJohn Wilkes Booth本人であることが確認されたとする。

さらに、Boothの日記は4月26日に遺体から発見されたとNPS museum collectionに記録されている。[3]

医師はBoothのspineの一部を摘出し、弾丸が通過した部分を保存した。

この標本は現在、National Museum of Health and Medicineのcollectionにある。

つまり死亡確認は、

Garrett Farmでの追跡者の目撃。 遺体の回収。 Washingtonへの輸送。 USS Montauk上でのautopsy。 Boothを知る人物による身元確認。 本人所持品。 身体標本。

という連続した記録の中にある。

「遺体を誰も見なかった」「焼けすぎて識別不能だった」という前提で生存説を組み立てることは、現在確認できる公的記録とは合わない。

判定11|秘密埋葬されたことはBooth生存説の証拠である

確定度:秘密埋葬は事実。ただし生存の証拠にはならない

Boothの遺体が秘密裏に埋葬されたこと自体は事実である。

NPSによれば、Edwin Stantonの命令で遺体はOld Arsenal Penitentiaryに秘密裏に埋葬された。

この秘密性が、後世の疑惑を生みやすくした。

墓を公開しない。 一般市民へ遺体を公開しない。 埋葬地点を政府が管理する。

こうした措置だけを見れば、「本当にBoothだったのか」という疑念が生まれるのは理解できる。

しかし、秘密埋葬の前に身元確認とautopsyが行われている。

さらに1869年、Booth家の要請によって遺体は家族へ返還された。

現在、BoothはBaltimoreのGreen Mount CemeteryにあるBooth family plotに埋葬されている。

NPSはそのgraveがunmarkedであると説明する。

したがって、

秘密埋葬された。 だから本人ではない。

という論理にはならない。

「政府が墓所を公開しなかった事実」と「遺体の身元確認」を別々に見る必要がある。

判定12|Boothは実は逃げ延びた

確定度:現在の公的記録では支持されない

Booth survival説は後世繰り返し現れた。

「Garrett Farmで撃たれたのは別人だった」 「Boothは西部へ逃げた」 「数十年後まで生きていた」

といった型である。

こうした物語が残りやすかった背景には、

政府による秘密埋葬。 Boothの遺体が一般公開されなかったこと。 暗殺直後から多くの噂が流れたこと。 Boothが著名俳優で、多数の目撃談が生まれたこと。

などがある。

しかし、伝説を評価するときは「疑う余地があるか」ではなく、「対立する証拠のどちらが強いか」を見る必要がある。

Garrett Farmの男がBoothではなかったとするなら、

Boothを追ってきた兵士・detectives。 Garrett Farmでの本人の行動。 遺体から見つかった本人のdatebook。 Washingtonへの連続した輸送記録。 USS Montaukでのautopsy。 生前Boothを知る複数人の身元確認。 保存された身体標本。 1869年の遺体返還。

これらをまとめて説明する必要がある。

現在のNPSは、Garrett Farmで死亡した人物をJohn Wilkes Booth本人として扱っている。

Georgetown University Libraryが紹介するBooth関連史料でも、USS Montaukで遺体を見たMarine Sergeant Joseph Hartleyの記録は、多数の他の目撃証言とともにGarrett Farmで死んだ人物がBoothであったことを確認する資料として位置づけられている。

したがって本CASEでは、生存説を「未解決の五分五分の謎」とは扱わない。

伝説は存在する。

しかし、確認できる史料の重みはBooth死亡側に大きく偏っている。

判定13|現在のFord’s Theatreに行けば、1865年の内部がそのまま残っている

確定度:誤り

Ford’s Theatreは現存する歴史地点だが、内部が1865年のまま凍結保存されているわけではない。

NPSによれば、1866年にoffice buildingへ転用された際、劇場内部構造のほぼすべてが撤去された。

1893年には建物内部の崩壊事故も起きた。

現在の劇場内部は20世紀のrestorationによって1865年の姿を再現したものである。

NPSが「original」とする主な建築部分はfront façade、roof framingやatticの一部、外壁の一部などである。

State boxの家具も多くが1968年復元時のreplicaである。

一方、本物の物証は残っている。

state boxへ通じるoriginal door。 Boothが外側のdoorをbarするために使ったwood piece。 wallpaperやcurtainのfragment。 Treasury flag。 BoothのDerringer。 dagger。 diary。

つまり、「建物は全部復元だから価値がない」でも「1865年がそのまま残る」でもない。

復元空間と実物資料を分けて理解するのが正確である。

判定14|Garrett Farmも現在そのまま残っている

確定度:誤り

逃走最後の場所Richard Garrett Farmは、Ford’s TheatreやSurratt Tavern、Mudd Houseとは保存状態が異なる。

NPSは現在、Garrett farmhouseについて“No trace of the farmhouse remains today”としている。

そのためCASE054-06ではGoogle Mapsの現代施設リンクを固定しなかった。

「現在訪問できる建物」と「史料から位置関係を復元する歴史地点」は同じではない。

CASE054の地図設計でGarrett Farmをhistorical locator diagram D04にしたのは、この違いのためである。

歴史記事で地図を使うとき、現在地を示せるからといって「現物がそこに残っている」と誤認させないことが必要になる。

判定15|事件史料の「食い違い」は、すべて陰謀の証拠である

確定度:誤り

歴史事件の資料には食い違いがある。

Boothの脚の骨折場所。 発声の順序。 舞台までの正確な高さ。 逃走総距離。 最期の言葉の細部。

こうした差を見ると、「公式説明が矛盾している。だから全体が捏造だ」と考えたくなることがある。

しかし、史料差はそれ自体が陰謀の証拠ではない。

目撃者は違う位置から事件を見る。 後日証言では記憶が変化する。 本人は自己弁護する。 地図の距離はルート定義で変わる。 建物は改造され、後から正確な寸法を取り直せない。 臨終の言葉は複数人が別の形で記憶する。

重要なのは「矛盾があるか」ではなく、その矛盾が事件の核心を変える規模かどうかである。

脚を劇場で折ったか、数十分後の落馬で折ったかは不確実である。

しかし、その不確実性は「BoothがLincolnを撃ったか」「Boothが4月26日にGarrett Farmで死亡したか」という別の論点を自動的に不確実にはしない。

確度は論点ごとに評価する必要がある。

この事件で残る「本当の空白」

Lincoln assassinationには、今も完全には埋まらない空白がある。

Boothが暗殺へ最終的に転換した正確な瞬間。

失われたmanifestoの全文。

脚の骨折地点。

いくつかの発言の正確な順序。

Mary Surrattが4月14日の殺害計画をどこまで知っていたか。

Samuel Muddが暗殺計画をどこまで事前に知っていたか。

こうした問題は、追加資料が発見されない限り完全には確定しない可能性が高い。

しかし「空白がある」ということは、「どんな説でも同じ重みを持つ」という意味ではない。

史料がないところでは断定を避ける。

史料が複数一致するところでは確度を上げる。

本人の回想と物証が衝突すれば、自己正当化の可能性を考える。

後世の伝説が公的記録を覆すなら、それに見合う証拠を求める。

この姿勢が必要である。

CASE054全体で確定度をどう扱ったか

このシリーズでは、記事ごとに「わからないこと」を無理に消さなかった。

CASE054-01では、事件全体を12日間の追跡として整理した。

CASE054-02では、Boothが誘拐計画から暗殺へ転じた正確な日を一つに固定しなかった。

CASE054-03では、John Parkerが暗殺時にどこにいたかを「酒場」と断定しなかった。

CASE054-04では、Mary SurrattとSamuel Muddの事前知識を確定事項にしなかった。

CASE054-05では、Potomac渡河の一度目が失敗したことを残し、逃走を一本道にしなかった。

CASE054-06では、Boston Corbettの一発を「政府による処刑命令」とは扱わなかった。

CASE054-07では、8人の被告を同じ関与レベルの暗殺共犯者としてまとめなかった。

そして本記事では、骨折、発声、死亡確認、生存説を同じ「謎」という箱に入れず、証拠強度を分けた。

歴史的事件をCASEとして追う意味は、すべてを一つの物語へきれいに並べることではない。

事実が強いところ。 証言が割れるところ。 後世の演出が強くなったところ。

その境界を見える形にすることである。

最終FACT CHECK|何を確定し、何を保留するか

確定度が高い

BoothがFord’s TheatreでLincolnを撃った。

大統領席から舞台へ飛び降り、劇場裏から逃走した。

Surratt Tavern到着時には左fibulaが骨折していた。

BoothとHeroldがMaryland南部で数日潜伏した。

Potomac渡河を一度失敗し、二度目にVirginiaへ入った。

Willie Jettを通じてGarrett FarmへBoothの位置がつながった。

Heroldは投降し、Boothはbarnに残った。

Boston Corbettの一発がBoothの首に命中した。

Boothは即死せず、数時間後に死亡した。

Boothの遺体はWashingtonへ運ばれ、autopsyと身元確認が行われた。

遺体は秘密埋葬された後、1869年に家族へ返還された。

有力だが細部に注意

“Sic Semper Tyrannis”をBoothが叫んだ。

Garrett Farmで報告されたBoothの最期の言葉。

Boothの日記が逃走中の本人の考えを示すこと。

保留すべき

左脚を骨折した正確な地点。

“Sic Semper Tyrannis”を発砲前か舞台上のどちらで言ったかという厳密な順序。

暗殺へ転換した正確な瞬間。

Mary SurrattとMuddが暗殺計画を事前にどこまで知っていたか。

逃走ルートの厳密な総距離。

現在の証拠では支持が弱い

政府がBoothのmanifestoを押収して隠した。

Garrett Farmで大規模な銃撃戦があった。

BoothがGarrett Farmで即死した。

Boothの遺体は誰にも確認されなかった。

Garrett Farmで別人が死亡し、Booth本人は長期間逃げ延びた。

まとめ|「伝説を消す」のではなく、証拠の強さを分ける

John Wilkes Boothの逃走劇には、今も魅力的な物語がまとわりついている。

舞台へ飛び降りた瞬間の骨折。 ラテン語の叫び。 秘密の南部ネットワーク。 燃えるbarn。 最後の言葉。 秘密埋葬。 生存説。

しかし、史料を並べると、すべてが同じ種類の「謎」ではない。

骨折地点は本当にわからない。

“Sic Semper Tyrannis”の発声時点は本人記述と目撃証言が食い違う。

最期の言葉はNPSが採用する証言があるが、録音された逐語記録ではない。

一方、Garrett Farmで死亡した人物がBooth本人だったことは、複数の目撃、遺体輸送、autopsy、身元確認、所持品、身体標本という連続した証拠に支えられている。

だからBooth survival説を、脚の骨折地点と同じレベルの「未解決問題」として並べることはできない。

このCASEで追ってきたのは、1865年4月14日の一発の銃声だけではなかった。

誘拐計画。 暗殺への転換。 Ford’s Theatre。 Washington脱出。 Maryland潜伏。 Potomac渡河。 Virginia。 Garrett Farm。 軍事法廷。 そして後世の伝説。

事件は、計画、地理、人間関係、情報伝達、捜査、司法、記憶が連続して形づくったものだった。

最も重要なのは「全部わかった」と言うことではない。

わかっているところを強く言う。 わからないところは残す。 後世の物語が一次資料を上書きしていないか確認する。

その線引きを守ることで、Lincoln assassinationとBooth manhuntは、神話ではなく史料から追える一つのCASEとして見えてくる。

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “Frequently Asked Questions: The Assassin”
  2. [2] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “Frequently Asked Questions: The Aftermath”
  3. [3] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “The Assassin’s Escape: Following John Wilkes Booth”
  4. [4] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “Thoughts from an Assassin: The Journal of John Wilkes Booth”
  5. [5] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “Frequently Asked Questions: Ford’s Theatre”
  6. [6] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, “Collections”
  7. [7] National Park Service, Ford’s Theatre National Historic Site, Park Brochure
  8. [8] Georgetown University Library, “This One Mad Act”
  9. [9] Library of Congress, Lincoln assassination visual and documentary collections
  1. 01 リンカーン暗殺事件とは?|1865年4月14日からブース死亡まで12日間を追う
  2. 02 リンカーン暗殺とブース追跡|ジョン・ウィルクス・ブースはなぜリンカーンを狙ったのか|誘拐計画から暗殺計画へ
  3. 03 リンカーン暗殺とブース追跡|フォード劇場で何が起きたのか|1865年4月14日、暗殺の夜を時系列で追う
  4. 04 リンカーン暗殺とブース追跡|ブースはどうワシントンを脱出したのか|サラット酒場からマッド医師宅まで
  5. 05 リンカーン暗殺とブース追跡|なぜブースは数日間見つからなかったのか|メリーランド潜伏とポトマック川越え
  6. 06 ブース追跡はどう終わったのか|ギャレット農場包囲と1865年4月26日の最期
  7. 07 リンカーン暗殺の共犯者はどう裁かれたのか|軍事法廷と8人の被告
  8. 08 リンカーン暗殺とブース追跡|ブース逃走劇の何が事実で何が伝説なのか|証言・記録・残された史跡を検証する

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