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チャック・イェーガー1947年10月14日、Mach 1.06へBell X-1音速突破飛行の全経過

飛行中のBell X-1 46-062
NASA / Wikimedia Commons 出典 PUBLIC_DOMAIN

1947年10月14日、火曜日。

カリフォルニア州モハーヴェ砂漠のMuroc Army Air Fieldでは、朝6時ごろからBell X-1-1、シリアル46-062の飛行準備が始まった。

機体はオレンジ色に塗られ、機首には“Glamorous Glennis”の名が入っていた。チャック・イェーガーが妻Glennisにちなんで付けた名前である。

この日の飛行は、X-1-1にとって軍側9回目のpowered flightだった。

4日前の10月10日、X-1は補正値でMach 0.997まで到達していた。そこで、Mach 1付近では従来のelevator、昇降舵がほとんど効かなくなることも実機で確認された。

ただし、X-1には水平安定板そのものの取付角を変えられるadjustable stabilizerがある。その機能はすでに試験済みだった。

だから10月14日の目的は、「何が起こるかわからない領域へ賭けで突入する」ことではない。

10月10日までに確認した飛行手順と操縦方法を、ほんの少し高いMach数まで延長し、計測上も明確にMach 1を越える。

それがこの日の試験だった。

結果はMach 1.06、高度約43,000ft。

人類は初めて、有人航空機を意図的に制御しながら音速を越え、その飛行を計測データとして記録した。

06:00|MurocでX-1の準備が始まる

NASAの超音速研究史によれば、10月14日のMuroc Dry Lakeは晴れていた。

朝6時ごろからengineerとtechnicianがX-1の準備を開始する。

X-1は通常の航空機のように滑走路へ出て、自力で離陸するのではない。

B-29母機のbomb bayへ取り付けられ、高度約20,000ftまで運ばれ、空中でreleaseされる。

したがって飛行準備は、X-1一機だけのpreflightではない。

X-1の機体。
XLR-11ロケットエンジン。
液体酸素。
アルコール・水系燃料。
計測装置。
B-29母機。
chase aircraft。
地上計測。
乾湖上の着陸区域。

これらが一つの試験システムとして成立している必要がある。

この日、crew chiefのJack Russellは、X-1のwindscreen内側が曇る・着氷する問題への対策として、Drene shampooを薄く塗ったとEdwards Air Force Baseの公式史は記録している。

こうした細部は、Mach 1という大きな記録の陰に隠れやすい。

しかしtest flightでは、視界不良のような一見小さな問題でも任務中止へつながる。

歴史的な飛行は、空力理論だけでなく、こうした現場の小さな対策の積み重ねでも成立していた。

数日前の乗馬事故で、Yeagerは肋骨を痛めていた

この飛行には有名な逸話がある。

Yeagerは10月14日の数日前、乗馬中に落馬し、肋骨を負傷していた。

NASAの歴史資料は「two broken ribs」と記している。

Yeagerは飛行を外されることを避けるため、この状態を広く申告せず、Jack Ridleyにだけ知らせた。

X-1 cockpitへの搭乗は狭く、さらにhatchを閉じるには身体をひねってleverを操作する必要があった。

負傷したYeagerにはこれが難しかったため、Ridleyは短いbroom handleを渡し、それを使ってhatch latchを操作できるようにした。

この話は「英雄の根性」を示すエピソードとして語られがちである。

ただし、工学的に重要なのは別の点だ。

Yeagerが負傷していても、機体側の試験条件そのものが変わったわけではない。

10月14日の成功を肋骨の逸話だけで説明すると、4日前までの段階試験、stabilizer validation、instrument calibrationといった本質的な準備が消えてしまう。

この日の飛行を成立させたのは、負傷を押して乗ったpilotの意志だけではない。

機体・制御・計測・運用の条件が、すでにMach 1へ進める段階まで詰められていたことが前提だった。

10:00|B-29がX-1を抱えて離陸

NASAの記録では、B-29は午前10時ごろMurocを離陸した。

X-1は母機のbomb bayに搭載されている。

母機のpilotはRobert L. Cardenas。

X-1は、地上ではpilotが通常の方法でcockpitへ乗り込んだまま母機に吊られていたわけではない。

B-29が上昇した後、Yeagerは母機内部からX-1 cockpitへ移る。

NASAの超音速研究史では、B-29が5,000ftを通過するころ、YeagerがX-1 cockpitへ入り込んだとされる。

狭い空間。
負傷した肋骨。
母機は上昇中。

Ridleyの補助を受けながら、YeagerはX-1へ移乗し、flight positionへ入った。

ここからX-1はまだ母機に接続された状態で、高度約20,000ftのrelease pointまで運ばれる。

10:26|高度約20,000ft、X-1 release

午前10時26分。

B-29は高度約20,000ft付近。

NASAの記録ではrelease時の母機速度は約250mphだった。

Cardenasがrelease leverを操作し、X-1がB-29から落下する。

この瞬間、X-1は自分の翼だけで飛ぶ独立した航空機になる。

空中発進では、release直後に母機との接触を避け、安定した姿勢へ入る必要がある。

X-1はそれまでのglide flightやpowered flightで、この動作を何度も確認していた。

10月14日は歴史的なflightではあるが、release自体は新しい操作ではない。

すでに繰り返し実証されたprocedureの一つだった。

release後|4つのrocket chamberを順番に確認する

Edwards Air Force Baseの公式史によれば、Yeagerはrelease後、4つのrocket chamberを順番にtest-fireした。

XLR-11は4つの燃焼室を持ち、それぞれ約1,500lbf、合計で約6,000lbfの最大推力を発生する。

ただし、最初から4基すべてを連続して全開にしたままMach 1へ向かったわけではない。

各chamberの作動を確認した後、Yeagerは2基を燃焼させた状態でclimbを開始した。

この段階では、単に速度を上げるだけでなく、機体が前回までと同じようにcontrolできるかを確認する必要がある。

10月10日にはMach 1直前でelevator effectivenessの大幅な低下が確認されていた。

そのため、この日の重要な確認項目の一つがadjustable stabilizerだった。

上昇中|stabilizerが本当に使えるか、もう一度確かめる

Edwards AFBの公式史は、Yeagerがclimb中にmoving stabilizerを試し、Ridleyの見立てどおり機能することを確認したとしている。

これは10月14日の飛行で最も重要な操作の一つである。

X-1には通常のelevatorがある。

しかしMach 1付近では、shock waveの位置変化によってelevatorがほぼ効かなくなる。

10月10日に、それは理論上の懸念ではなく実機現象として確認された。

そこで10月14日は、horizontal stabilizer全体のincidenceを変えることでpitch controlを確保する。

つまりstabilizerは「もしもの予備」ではない。

Mach 1を通過するためのprimary control strategyの一部になっていた。

ここに、10月10日と10月14日の連続性がある。

前回の飛行で問題を発見し、次の飛行で突然新しい対策を試したのではない。

設計段階から用意され、低いMach領域で事前に試験され、10月10日に必要性が明確になり、10月14日に実際の突破手段として使われた。

Mach 0.85付近|未知領域へ再び入る

NASAの歴史記述では、X-1はMach 0.85付近へ近づく。

1947年当時、wind tunnel dataが十分に存在しない領域へ入っていく。

CASE055-05までで見たように、Yeager自身にとってMach 0.85はもう初体験ではない。

8月29日の最初のpowered flightですでに到達している。

Mach 0.89。
0.91。
0.92。
0.925。
0.997。

そこまで段階的に進んできた。

したがって、この日のMach 0.85は「未知の入口」であると同時に、pilotとteamにとってはすでに通過実績のある領域だった。

Yeagerは速度を上げながらcontrol responseを確認する。

NASAの歴史資料では、Mach meterが0.95へ上がっていく中で、Yeagerはいったん4基のうち2基を止め、controlを慎重に試したとされる。

ここでも重要なのは、全推力で一気に突き抜けなかったことだ。

速度を上げる。
推力を減らす。
controlを確認する。
さらに進む。

10月14日のflightも、過去8回のpowered flightと同じflight-test logicで進められた。

約40,000ft|水平へ移り、追加のrocket chamberを点火

X-1は上昇を続け、約40,000ftへ達する。

この付近でYeagerは機体をほぼlevelへ移し、停止していたrocket chamberのうち1基を再点火した。

推力が増える。

ここからMach 1へ向けた最後の加速が始まる。

Mach meterは0.98。

0.99。

そして1.02へ進む。

10月10日のcorrected valueは0.997だった。

4日前なら、この付近が「まだ越えたかどうか明確でない」境界だった。

しかし10月14日は、meterがその先へ進んだ。

Mach 1.02から1.06へ|「壁」に衝突する瞬間はなかった

NASAの記述では、Mach meterは1.02付近で一度hesitateした後、1.06へjumpした。

高度約43,000ft。

速度は約700mph、約1,127km/h。

X-1は明確にMach 1を越えていた。

ここで、長く恐れられていたような激しい現象は起きなかった。

機体が突然巨大な衝撃を受けたわけではない。

controlを失わない。

破壊されない。

猛烈なbuffetingに襲われない。

NASAの歴史資料はflight was smoothと記している。

これは「Mach 1では何も物理現象が起きない」という意味ではない。

機体周囲にはshock waveが形成されている。

NASAの記述では、X-1のneedle-like nose前方には強いbow shockが形成された。

地上ではsonic boomとして圧力変化を聞くことができる。

しかしpilotがcockpitで経験するものは、「透明な壁へ激突する感覚」ではなかった。

CASE055-02で見たように、難所はMach 1という数学的な一点そのものではなく、その前後のtransonic regimeで空力特性が急激に変化することにある。

X-1は、その変化へ対応できる設計とcontrol strategyを持っていた。

だからMach meterが1を越えた瞬間は、むしろ驚くほど平穏だった。

Mach meterが示した「jump」は、単なる針の動きではない

10月14日の記録には、Mach meterが0.98、0.99、1.02、そして1.06へ進んだという描写が残る。

このmeter behaviorには、Mach 1付近のpressure measurement特有の問題も含まれる。

X-1はpitot/static pressure系を使ってMachを求める。

しかしtransonicからsupersonicへ入ると、機体のnose周辺に形成されるshock waveとpressure fieldがstatic pressure measurementへ影響する。

NASAの1948年conference資料では、Mach 1通過時にairplane-generated bow waveがstatic-pressure holesを通過することで、airspeed indicationやaltitude indicationにjumpが現れることが説明されている。

つまりcockpit表示には、実際の飛行状態だけでなくmeasurement-system responseも含まれる。

だから10月14日の「Mach 1.06」は、pilotがmeterを見て自己申告しただけの数字ではない。

NACAが機体へ搭載したinstrumentationで記録し、flight後にdataをreduceし、pressure-field correctionを含めて解析した結果として確定された。

ここが、偶然高速になったaircraftとresearch flightの違いである。

地上ではsonic boomが「聞こえる証拠」になった

Mach 1を越えたX-1の周囲にはshock waveが形成される。

そのpressure disturbanceが地表を通過すると、地上ではsonic boomとして聞こえる。

後年のNASA資料では、NACA researcherらがCalifornia high desertでそのboomを聞いたと紹介されている。

ただしsonic boomを「Mach 1を一度越えた瞬間にだけ出る爆発音」と考えるのは正しくない。

超音速飛行中のaircraftは継続的にshock wave systemを作る。

そのwaveが地上の観測者を通過したとき、急激なpressure changeとしてboomを聞く。

したがって、pilotが機内で「boomを聞いて突破を知った」のではない。

YeagerはMach meterと機体挙動によって自分がMach 1を越えたと判断し、地上側はshock-wave passageと計測dataによってそれを確認した。

X-1はMach 1.06を維持し続ける必要はなかった

X-1は実用supersonic aircraftではない。

Mach 1.06で長時間巡航することが目的ではない。

必要なのは、対象速度領域へ入り、機体挙動と計測dataを得て、安全に帰還することである。

XLR-11のpropellantには限りがある。

研究区間が終われば推力を落とし、機体を減速させる。

最終的にはrocket powerを使わないgliderとして着陸する。

このflight profileは、X-1の設計思想そのものだった。

高高度へ母機で運ぶ。
短時間だけrocketで強く加速する。
研究対象のMach rangeを通過する。
dataを取る。
glideで帰る。

Mach 1.06は目的地ではなく、試験点だった。

超音速域を抜け、glideへ戻る

Mach 1.06到達後、Yeagerは加速を終え、X-1を減速させる。

燃焼を終えたX-1は、推力を持たない滑空機としてMurocへ戻る。

rocket planeという言葉からは、飛行全体が強烈な推力で行われるように見える。

しかし実際は、powered phaseはごく短い。

X-1はその後、薄い翼と小さな機体で乾湖へ向かってenergyを管理しながら降下する。

ここで8月6〜8日のglide familiarizationが再び意味を持つ。

試験開始時に最初に確認した「推力なしで帰れること」が、毎回の任務の最後に必要になる。

10月14日の飛行も例外ではなかった。

Rogers Dry Lakeへ着陸

YeagerはX-1をRogers Dry Lakeへ滑空させ、正常に着陸した。

Edwards AFBの公式史はclean glide in to land on Rogers Lakebedと記している。

巨大な乾湖はMurocが飛行試験拠点になった重要な理由の一つだった。

乾いた湖底は広く平坦で、通常の滑走路より着陸方向の自由度が大きい。

engine flameoutやexperimental aircraftの異常時でも、広大なsurfaceをemergency landing areaとして使える。

X-1のようにpowered flight終了後はgliderとなる研究機にとって、この地形条件は大きな安全余裕だった。

MAP|Muroc / Rogers Dry Lake

1947年10月14日のX-1試験は、現在のEdwards Air Force Base周辺、Rogers Dry Lakeを中心とするMurocの飛行試験区域で行われた。

Google MapsでRogers Dry Lakeの現在位置を確認

注意: 現在のGoogle Mapsは、1947年当時のMuroc Army Air Fieldの施設配置、release point、実際のX-1 flight trackを示す歴史地図ではない。本記事のMapは、歴史的な試験地域が現在どこに位置するかを確認するための地理参照である。

着陸した時点では、まだ「世界的ニュース」ではなかった

今日から見ると、Mach 1突破は歴史的瞬間であり、その場ですぐ世界へ発表されたように感じられる。

実際には逆だった。

NASAのFirst Generation X-1史によれば、flightから約2時間後、Air Force officialsはこの飛行とdataをTop Secretに指定した。

情報は1947年12月までには外へ漏れ始めたが、U.S. Air Forceがachievementを公式確認したのは1948年3月だった。

この扱いは、X-1 programが単なるpublicity stuntではなかったことを示す。

transonic/supersonic dataは、戦後のmilitary aircraft developmentへ直結する。

Mach 1を越えられるか。
どのようなcontrol issueが出るか。
どのwing thicknessが有利か。
どのようなstabilizerが必要か。

これらは次世代fighter designにとって価値の高いinformationだった。

だから、Yeagerが着陸しても、その日のうちに新聞見出しになることはなかった。

成功を確定したのはpilotの感覚ではなくdataだった

Yeager自身は、Mach meterがscaleを越える挙動から、sound barrierを越えたと判断した。

しかしresearch programとしての「成功」は、pilot impressionだけでは確定しない。

NACAはX-1にinstrumentationを搭載し、flight dataを記録した。

NASA Armstrongの公式historyも、10月14日のflightについて「NACA instrumented the aircraft and reduced the data」と明記している。

このdata reductionによって、Mach 1.06という数字が工学的に確定する。

ここはX-1の歴史を考える上で非常に重要である。

もしpilotが「たぶんMach 1を越えた」と感じただけなら、航空史上の伝説にはなっても、engineering resultとしては弱い。

X-1の成果は、

pilotの操作。
cockpit indication。
onboard instrumentation。
ground analysis。

が一致したことで、再現可能な技術知識になった。

42,000ftと43,000ft、なぜ資料で数字が違うのか

10月14日の高度について、公式資料には42,000ftと43,000ftの両方が見られる。

Edwards AFBの一部history pageは42,000ftとする。

1948年のAir Force 報告書にも42,000ft表記がある。

一方、NASAのFirst Generation X-1、NASAの詳細な超音速研究史、Smithsonian National Air and Space Museum、Air Force photo archiveなどは43,000ftを採用している。

CASE055では、H1以降のCanonical valueとして約43,000ftを使用する。

理由は、詳細flight historyとSmithsonian aircraft recordが一致し、現代の公式解説でも広く採用されているためである。

ただし42,000ft表記を「誤り」とは断定しない。

rounding、記録時点、どのmomentのaltitudeを採るかによって、歴史資料の表現が異なる可能性がある。

したがって本文では「約43,000ft」とし、1,000ft差を必要以上に精密な対立として扱わない。

699.4mphか700mphか

速度についても、同様に表記差がある。

NASAやSmithsonianの一般的な記述は約700mph。

Edwards AFBのhistoryには699.4mphという値もある。

ここでもCASE055では、

Mach 1.06 / 約700mph / 約1,127km/h

を標準表記とする。

なぜなら、この飛行の物理的・歴史的な基準値はground speedの小数点以下ではなく、local speed of soundに対するMach numberだからである。

気温、高度、measurement correctionまで含めれば、「700mph」という値だけを独立して絶対値のように扱うべきではない。

「level flightだったのか」という表現にも注意が必要

Air Force Historical Support Divisionは、この飛行をfirst man to exceed the speed of sound in level flightと表現している。

一方、NASAの詳細な時系列を見ると、X-1はrelease後にclimbし、約40,000ftでlevel offを始め、その後追加chamberを点火してMach 1を越えている。

したがって、典型的な「急降下して一瞬だけ音速を越えた」という飛行ではないことは明確である。

ただしflight path全体が厳密な一定高度水平飛行だった、と理解する必要はない。

重要なのは、

powered climbの後、約40,000ft付近で機体をほぼ水平へ移し、制御された状態でMach 1を越えた

ことだ。

これが、それ以前の急降下中の局所的な高速現象や、未確認の先行主張と区別される点になる。

「誰が最初か」という定義問題はCASE055-07で詳しく検証する。

なぜこの飛行は意外なほど「普通」に終わったのか

10月14日を最も象徴するのは、Mach 1を越えたことだけではない。

Mach 1を越えても、飛行が特別な破局にならなかったことである。

X-1は破壊されない。
controlを失わない。
激しいbuffetingもない。
pilotは通常のprocedureで減速し、glideし、Rogers Dry Lakeへ戻る。

この「普通さ」こそ成果だった。

Mach 1を越えることが、本質的に航空機を破壊する物理境界ではないと、実機飛行で示した。

もちろん、そこへ到達するまでには特殊な研究機が必要だった。

薄翼。
調整式stabilizer。
rocket propulsion。
air launch。
大きなstructural margin。
計測装置。
広大なdry lake。
段階的なflight-test sequence。

これらを組み合わせて、初めてその「普通の通過」が可能になった。

だから音速の壁は、10月14日に消滅したわけではない。

圧縮性もshock waveもdrag riseも、その後も存在する。

変わったのは人間側である。

未知だった現象を、設計と試験によって管理できることを示した。

FACT CHECK|10月14日の飛行をめぐる誤解

Yeagerは地上からX-1を離陸させた?

違う。

X-1はB-29母機に搭載され、高度約20,000ftからair launchされた。

10月14日はX-1初飛行だった?

違う。

Yeagerだけでも、その前に3回のglide flightと8回のAir Force powered flightを行っている。10月14日は9回目のpowered flightだった。

4基のrocket chamberを最初から全部全開にしてMach 1へ突っ込んだ?

違う。

release後にchamberの作動を確認し、2基でclimbしながらcontrolを試し、約40,000ftで追加chamberを使って最後の加速を行った。

Mach 1を越えた瞬間、pilotは強い衝撃を受けた?

違う。

flightはsmoothだったとNASAは記録している。Mach 1そのものは「壁への衝突」ではない。

sonic boomをYeagerが聞いて突破を知った?

その理解は誤り。

sonic boomはshock waveが地上のobserverを通過するとき聞こえるpressure signatureである。Yeagerはcockpit instrumentationとflight behaviorから突破を認識し、最終的にはflight data analysisでMach 1.06が確認された。

43,000ftが絶対に唯一の正しい高度?

そこまで断定しない。

公式資料には42,000ft表記も存在する。本CASEではNASA詳細史とSmithsonian等が一致する約43,000ftをCanonical valueとして採用している。

音速突破直後に世界へ発表された?

違う。

Air Forceは飛行後約2時間でflightとdataをTop Secretに指定した。公式確認は1948年3月まで待つことになる。

10月14日の成功は、Yeagerの操縦だけで証明された?

違う。

NACA instrumentationとpost-flight data reductionが、Mach 1.06を工学的な記録として確定する重要な役割を担った。

10月14日の飛行を一行で表すなら

「YeagerがMach 1を越えた」。

事実としては正しい。

しかし、その一行だけでは、この飛行の意味を十分に表せない。

より正確に言えば、

1947年10月14日、MurocでBell X-1-1は、事前に検証されたadjustable stabilizerと段階的なrocket operationを使い、約20,000ftからのair launch後に約43,000ftでMach 1.06へ到達し、NACAの計測dataによって有人・制御された超音速飛行として確認された。

これが当日の技術的な姿である。

そして、そのflightは破局ではなく正常なglide landingで終わった。

「音速の壁」を破った最大の証拠は、Mach meterの数字だけではない。

Mach 1を越えても、航空機を設計し、操縦し、測定し、帰還させられたことだった。

次のCASE055-07では、ここであえて残した問題へ進む。

本当にYeagerが「最初」だったのか。

North American XP-86を飛ばしていたGeorge Welchが、1947年10月14日より前に音速を越えていたという主張は、後年繰り返し語られてきた。

公式記録。
instrumentation。
sonic boomの証言。
後年の回想。

それらを分離し、「first」という言葉が何を意味するのかを検証する。

出典・参考資料

  1. NASA, “Research in Supersonic Flight and the Breaking of the Sound Barrier”
    https://www.nasa.gov/history/SP-4219/Chapter3.html

  2. NASA, “First Generation X-1”
    https://www.nasa.gov/aeronautics/first-generation-x-1/

  3. NASA History, “Air Force Supersonic Research Airplane XS-1 — Report No. 1”
    https://www.nasa.gov/history/x1/afsrax.html

  4. NASA History, “NACA Conference on the XS-1”
    https://www.nasa.gov/history/x1/x.html

  5. NASA Armstrong, “Milestones in NASA Armstrong’s History”
    https://www3.nasa.gov/specials/armstrong-milestones/

  6. Edwards Air Force Base, “Edwards AFB remembers first super-sonic flight, 74 years ago today”
    https://www.edwards.af.mil/News/Article/2811083/edwards-afb-remembers-first-super-sonic-flight-74-years-ago-today/

  7. Edwards Air Force Base, “This week in Edwards flight test history: Yeager breaks sound barrier”
    https://www.edwards.af.mil/News/Article/973346/this-week-in-edwards-flight-test-history-yeager-breaks-sound-barrier/

  8. Air Force Historical Support Division, “1947 — Breaking the Sound Barrier”
    https://www.afhistory.af.mil/FAQs/Fact-Sheets/Article/459015/1947-breaking-the-sound-barrier/

  9. NASA, “October 14, 1947”
    https://www.nasa.gov/image-article/october-14-1947/

  10. Smithsonian National Air and Space Museum, “Bell X-1 Glamorous Glennis”
    https://airandspace.si.edu/collection-objects/bell-x-1/nasm_A19510007000

  1. 01 チャック・イェーガーはどう音速の壁を破ったのか|1947年Bell X-1初の有人超音速飛行
  2. 02 チャック・イェーガー|「音速の壁」とは何だったのか|遷音速で起きる圧縮性・衝撃波・操縦性の問題
  3. 03 チャック・イェーガー|Bell X-1はなぜ弾丸の形だったのか|薄翼・調整式水平安定板・XLR11ロケット
  4. 04 なぜイェーガーが選ばれたのか|テストパイロットとNACA・空軍・Bellのチーム
  5. 05 チャック・イェーガー|Mach 1直前まで何が起きていたのか|1947年8月から10月10日までのX-1試験飛行
  6. 06 チャック・イェーガー|1947年10月14日、Mach 1.06へ|Bell X-1音速突破飛行の全経過
  7. 07 本当にイェーガーが「最初」だったのか|George Welch説と記録が示すこと
  8. 08 チャック・イェーガー|音速突破の後に何が変わったのか|NACA研究・X-1A・Xプレーンへ続いた遺産

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