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ジブラルタルの海事審問は何を疑ったのか殺人・反乱・詐欺説と「証拠」の検証

ジブラルタルの海事審問は何を疑ったのか|殺人・反乱・詐欺説と「証拠」の検証

海難・失踪ミステリー

1872年12月13日。

無人のメアリー・セレスト号は、デイ・グラティア号から派遣された3人によってジブラルタルへ到着した。

船を発見し、安全な港まで運んだ側には、通常ならサルベージ報酬を受け取る権利がある。

そこで始まったのが、ジブラルタル副海事裁判所での審理だった。

本来の中心的な問題は、

「デイ・グラティア側にいくら救助報酬を支払うべきか」

だった。

ところが審理は、次第に別の方向へ進んでいく。

なぜ航行できる船から10人全員が消えたのか。

甲板の赤褐色の染みは血ではないのか。

船首の傷は斧などで意図的につけられたものではないか。

船長室に残されていた剣は、殺人に使われたのではないか。

乗組員が反乱を起こしたのか。

あるいは、発見者であるデイ・グラティア側が何かを隠しているのか。

ジブラルタル司法長官フレデリック・ソリー=フラッドは、
メアリー・セレスト号の放棄には何らかの犯罪が関係している
という疑いを強めていった。

しかし、審理が進むにつれて、その疑いを支えるはずだった物証は次々に弱くなっていく。

今回追うのは「殺人説があった」という話ではない。

何が殺人の証拠だと疑われ、検査すると何が残ったのか。

1872~73年の審問そのものを、証拠の強さに沿って見ていく。

この記事で分かること

  • なぜメアリー・セレスト号でサルベージ審問が行われたのか
  • 司法長官ソリー=フラッドが何を疑ったのか
  • 「血痕」「血の付いた剣」は本当に血だったのか
  • 船首の傷は意図的につけられたものだったのか
  • 乗組員反乱説にはどんな根拠があったのか
  • デイ・グラティア側の共謀・サルベージ詐欺は立証されたのか
  • 裁判所が最終的に何を認定できなかったのか
CASE FILE 39|メアリー・セレスト号 1872

← 第4回|発見時のメアリー・セレスト号はどんな状態だったのか|Dei Gratia乗組員が見た無人船

第5回|ジブラルタルの海事審問は何を疑ったのか|殺人・反乱・詐欺説と「証拠」の検証【現在の記事】

→ 第6回|なぜブリッグス船長は船を離れた可能性があるのか|ポンプ・浸水判断・天候・航法を検証

そもそも「殺人裁判」ではなかった

メアリー・セレスト号がジブラルタルへ運ばれた理由は、殺人事件を捜査するためではない。

海上で発見した放棄船を港へ持ち込んだデイ・グラティア側が、サルベージ報酬を請求するためだった。

海難船を救助した場合、その行為によって守られた船体や積荷の価値、救助作業の危険度などを基準に報酬が決められる。

1872年12月17日、ジブラルタルの副海事裁判所で審理が始まった。

ところが今回の船には、通常の海難救助と大きく違う点があった。

船は残っている。

積荷もほぼ残っている。

食料もある。

明白な沈没寸前の損傷もない。

それなのに10人全員がいない。

このため、「なぜ放棄されたのか」を確認しなければ、サルベージ請求自体も簡単には処理できなかった。

フレデリック・ソリー=フラッドは犯罪を疑った

審理で大きな影響を与えた人物が、ジブラルタル司法長官フレデリック・ソリー=フラッドだった。

フラッドは、単純な事故による退船という説明に強い疑いを持った。

彼が問題視したのは、

  • 船がまだ航行可能だったこと
  • 10人全員が消えていること
  • 救命艇がなくなっていること
  • 積荷が大量のアルコールだったこと
  • 船体や船内に不自然にも見える傷・染みがあったこと

だった。

これらを組み合わせれば、

船内で暴力事件が起き、その後犯人たちが救命艇で逃げた

という筋書きは一応成立する。

問題は、筋書きが成立することと、それを証明する証拠があることは別だという点である。

第一の疑惑|乗組員が反乱を起こしたのではないか

フラッドが強く疑ったシナリオの一つが、乗組員による反乱だった。

メアリー・セレスト号には1,701樽のアルコールが積まれていた。

そこで、

船員が積荷のアルコールに手を出す


酔って暴力事件が起きる


ブリッグス船長と家族、船内の一部の人間が殺される


犯人が証拠を隠そうとする


救命艇で逃走する

という説明が考えられた。

一見すると、無人船と消えた救命艇を同時に説明できる。

しかし、この説には複数の問題があった。

まず、ブリッグス一家や乗組員の遺体がなかった。

さらに、発見者のデヴォーらは最初の乗船時、船内に明白な大規模暴力の痕跡を確認していない。

積荷の大半も残っていた。

そして、第2回で確認したように、出航前の段階で乗組員が問題を起こしていたことを示す確実な資料もない。

反乱説を成立させるには、さらに直接的な物証が必要だった。

「血痕」が見つかった

そこで注目されたのが、甲板や船体に見つかった赤褐色の染みだった。

ソリー=フラッドは船をより詳しく調査させた。

甲板や手すりなどには、血のようにも見える褐色の痕跡があった。

もしこれが人間の血液であれば、状況は大きく変わる。

「誰もいない船」

から、

「暴力事件の痕跡がある無人船」

になるからである。

さらに船長室から見つかった剣にも、赤褐色の染みがあった。

これも血ではないかと疑われた。

こうして、

血痕+剣+消えた10人

という非常に犯罪事件らしい構図が作られていった。

しかし、検査すると「血」ではなかった

重要なのはここからである。

染みは見た目だけで血液と決められたわけではない。

ジブラルタルの医師J・パトロンが試料を調べた。

船上から採取された赤褐色の物質と、剣に付着していた染みについて、当時利用できた化学試験や顕微鏡観察が行われた。

結果は、

血液を確認できない

というものだった。

剣の染みからは鉄由来とみられる物質などが確認され、血球は検出されなかった。

甲板上の染みについても、血液だと認定できる結果は得られなかった。

パトロン医師は最終的に、当時の科学的知識に基づけば、

船上または剣の染みに血液は存在しない

と結論している。

FACT CHECK|「血まみれの剣」はあったのか

FACT:ブリッグス船長の船室から剣が発見された。

FACT:剣には赤褐色に見える染みがあり、血液の可能性が疑われた。

FACT:医師による検査では血液を確認できなかった。

したがって、後世に語られることがある「血の付いた剣が発見された」という表現は正確ではない。

第二の疑惑|船首の傷は斧で作られたのか

もう一つソリー=フラッドが注目したのが、船首周辺の傷だった。

調査員は、船首の両側などに鋭利な道具で切られたように見える跡を確認した。

さらに手すりには、斧のような鋭い道具による打撃にも見える深い傷があった。

もし人為的につけられたものなら、

船上で暴力が行われた

あるいは、

事故に見せかけるため船体を意図的に傷つけた

という可能性が出てくる。

実際、ソリー=フラッドはこうした傷を犯罪説の重要な材料として扱った。

傷についても専門家の見解は割れた

しかし、船首の傷についても「人為的な傷」と確定したわけではない。

ジブラルタルでの初期調査では、鋭利な道具によるものではないかという意見が出た。

一方、米国領事ホレイショ・スプレイグは、当時ジブラルタルにいたアメリカ海軍のロバート・W・シューフェルト艦長にも船を調べさせた。

シューフェルトは異なる見解を示した。

船首の傷は、海上で船体の木材が長期間動き続けることによって生じた通常の損傷で説明できると判断した。

つまり、

「斧で人為的につけた傷」だという評価そのものが確定しなかった。

この時点で、犯罪説を支える主要な物証はさらに弱くなった。

「証拠」と「証拠に見えたもの」を分ける

疑われたもの 当初の解釈 検証後
甲板・手すりの赤褐色の染み 血痕の可能性 血液とは確認されなかった
船長室の剣の染み 血液の可能性 血液とは確認されなかった
船首の切れたような傷 鋭利な道具で意図的に作った可能性 自然な船体損傷とする専門家意見あり。人為的損傷と確定せず
消えた救命艇 犯人が逃走した可能性 通常の退船でも同じ状態になる
アルコール積荷 飲酒・反乱の可能性 それ自体は反乱の証拠ではない

ここが、この審問を理解するうえで重要である。

殺人説は、まったく何もないところから作られたわけではない。

一見すると不自然に見える傷や染みがあった。

しかし、「不自然に見える」ことと「犯罪によるものだと証明できる」ことの間には大きな差がある。

デイ・グラティア側も疑われた

疑いは、消えたメアリー・セレスト号の乗組員だけに向けられたわけではない。

発見者であるデイ・グラティア側にも及んだ。

理由はサルベージ報酬だった。

無人船を発見し港まで運べば、船体と積荷の価値に応じた報酬を得られる。

そこで、

「デイ・グラティア側がメアリー・セレスト号の人々を殺し、その後“無人船を偶然発見した”ことにしたのではないか」

という疑いも生まれた。

これが成立するなら、サルベージ請求そのものが犯罪によって作られたことになる。

しかし、この説にも大きな問題があった。

両船はニューヨークを異なる日に出航している。

デイ・グラティアはメアリー・セレスト号より後発だった。

実際の航路や速度を考えれば、どこで追いつき、どのように10人を処理し、その後事故を偽装したのかを説明する必要がある。

さらに、暴力事件を裏付ける血液や遺体も発見されていない。

共謀を示す直接的な通信、契約、証言も確認されなかった。

したがって、

「サルベージを目的とした殺人」というシナリオも立証されなかった。

ブリッグス船長自身が共謀していた説

さらに後世には、ブリッグス船長とモアハウス船長があらかじめ共謀し、船を放棄して保険金やサルベージ報酬を得ようとしたのではないかという説まで語られた。

しかし、これも確認された事実ではない。

第2回で触れたように、ブリッグスとモアハウスが非常に親しい友人だったという有名な話自体、同時代資料による裏付けは強くない。

さらにブリッグスはメアリー・セレスト号の持分を所有していた。

正常にジェノヴァまで航海を終えた方が、自分と家族の安全も船の価値も維持できる。

その人物が、

  • 2歳の娘
  • 7人の乗組員

を巻き込みながら、大西洋上で小艇へ移る危険な保険詐欺を計画したと考えるには、相応の証拠が必要になる。

その証拠は見つかっていない。

船主ジェームズ・ウィンチェスターも疑われた

メアリー・セレスト号の主要所有者の一人だったジェームズ・ウィンチェスターも、審理の中で疑いから無縁ではなかった。

ウィンチェスターはジブラルタルへ赴き、ブリッグス船長の人物について証言した。

ブリッグスは信用できる経験ある船長であり、よほどの危機がなければ船を捨てる人物ではないという趣旨だった。

これは反乱・詐欺説よりも、

ブリッグスが何らかの実際の危険を認識したため退船した

という方向につながる証言だった。

ただし、それでも「何を危険と判断したか」は分からなかった。

犯罪説はなぜ魅力的だったのか

ソリー=フラッドが犯罪にこだわった理由を、単に「偏った捜査官だった」で終わらせると重要な部分を見失う。

1872年当時の状況だけを見れば、犯罪を疑うこと自体には理由があった。

航行可能な船から10人が消えている。

救命艇もない。

赤褐色の染みがある。

剣もある。

船首には人為的にも見える傷がある。

積荷は大量のアルコール。

さらに発見者は、船を持ち込むことで多額のサルベージ報酬を得る立場にある。

これだけを並べれば、

「何か犯罪があったのではないか」

と疑うのは不自然ではない。

問題は、その後である。

検査によって血痕説が崩れても、別の証拠が犯罪を立証したわけではなかった。

船首の損傷についても専門家の判断が一致しなかった。

遺体もない。

暴力事件を直接見た証人もいない。

犯行を示す文書もない。

ここから先、疑いを維持するには推測を積み重ねる必要があった。

裁判所は犯罪を立証できなかった

審理と調査は1873年まで続いた。

メアリー・セレスト号は2月25日に裁判所の拘束から解放され、その後本来の目的地ジェノヴァへ向かった。

そして最終的な司法判断でも、

殺人、反乱、デイ・グラティア側による犯罪を証明する証拠は認定されなかった。

ジブラルタル政府の現在の歴史資料も、ソリー=フラッドが犯罪を証明しようとしたものの、証拠は彼の殺人・共謀説を支持しなかったと整理している。

Royal Museums Greenwichも同様に、調査が進むほどフラッドの解釈に不利な材料が増えたとしている。

つまり、

「当時の当局が殺人を疑った」ことはFACT。

「殺人があった」ことはFACTではない。

この二つを混同してはいけない。

それでも疑惑だけは残った

犯罪が立証されなかったにもかかわらず、事件から疑惑は消えなかった。

むしろ審問そのものが新聞報道を通じて広まり、

  • 血の付いた剣
  • 斧で破壊された船体
  • 酔った船員の反乱
  • 船長一家の殺害
  • 発見者によるサルベージ詐欺

といった要素が一人歩きしていった。

「最初は血液と思われたが、検査では血液ではなかった」

という説明より、

「謎の無人船から血の付いた剣が発見された」

という話の方が、はるかに印象に残る。

こうして否定された疑惑まで、事件の伝説を構成する部品になっていった。

これは後の第9回「幽霊船神話」の成立にもつながっていく。

Evidence Ledger|ジブラルタル審問

区分 内容
FACT 1872年12月17日、ジブラルタルでサルベージ審理が始まった
FACT 司法長官ソリー=フラッドは犯罪関与を強く疑った
FACT 甲板・手すり・剣の赤褐色の染みが血液ではないかと調査された
FACT 医師による検査では血液を確認できなかった
FACT 船首の傷について人為的損傷とする意見が出た
FACT 一方で、海の作用による通常損傷とする専門家意見も出た
CLAIM / THEORY 乗組員がアルコールを飲み、反乱・殺人を起こした
CLAIM / THEORY デイ・グラティア側がサルベージ報酬目的で犯罪に関与した
CLAIM / THEORY ブリッグスや船主を含む保険・サルベージ詐欺が計画されていた
FACT 最終的に犯罪関与を立証できる証拠は得られなかった

審問から見えてくる、もう一つの重要な事実

ジブラルタル審問は、メアリー・セレスト号の謎を解決しなかった。

しかし、無意味だったわけでもない。

殺人や反乱を疑って船が詳細に調べられた結果、

明白な犯罪物証が見つからなかった

という情報が残った。

これは消去法として重要である。

もし10人が船上で殺されたという直接証拠がないのであれば、

救命艇が消えていること、
航海計器と書類の一部がなくなっていること、
最後の記録時に陸地が比較的近かったこと、
ポンプが分解されていたこと、
船内に浸水があったこと、

を改めて組み合わせて考える必要がある。

ここから事件の焦点は、

「誰が10人を殺したのか」

から、

「なぜ10人は自分たちで船を離れた可能性があるのか」

へ移っていく。

問題は「実際の船の状態」ではなく「船長から見えた状態」だった可能性

後から調べれば、メアリー・セレスト号はジブラルタルまで航行できた。

つまり、結果的には船を捨てなくても沈まなかった可能性が高い。

しかし、ブリッグス船長が最後に船上にいた時点では、それを知ることはできない。

彼が見ていたのは、

  • 長期間の荒天
  • 船内への浸水
  • 正常に使えなかった可能性があるポンプ
  • 船倉の状態を確認しにくい積荷配置
  • 航法上の不確実性
  • サンタマリア島という近い陸地

だった可能性がある。

もし「船内への水の流入量が分からない」「ポンプで排水できない」「このまま沈むかもしれない」と判断したなら、話は変わってくる。

そして、

本船を完全に捨てるのではなく、ロープで救命艇をつないだまま一時的に船外へ避難しようとした

のであれば、さらに別のシナリオが成立する。

次回は、犯罪説からいったん離れる。

ポンプ、浸水、荒天、航法、船位認識。

ブリッグス船長が実際には航行可能だった船を「危険」と判断する条件が、本当に成立し得たのかを技術面から検証する。

まとめ

1872年12月17日、メアリー・セレスト号をめぐるサルベージ審理がジブラルタルで始まった。

司法長官フレデリック・ソリー=フラッドは、船がまだ航行可能だったことや乗船者10人全員が消えていることから、早い段階で犯罪の可能性を強く疑った。

乗組員による反乱。

ブリッグス一家の殺害。

デイ・グラティア側によるサルベージ目的の共謀。

さまざまな可能性が調べられた。

船上の赤褐色の染みや船長室の剣も、血液ではないかと疑われた。

だが、医師による検査では血液は確認されなかった。

船首の傷も人為的につけられた可能性が指摘された一方、海上での通常の船体運動による損傷とする専門家意見が出た。

結局、

殺人、反乱、詐欺、デイ・グラティア側の犯罪関与のいずれも立証されなかった。

ここで非常に重要なのは、

「当時、本気で殺人が疑われた」

という事実と、

「殺人が起きた」

という結論を分けることである。

ジブラルタル審問が残したのは殺人事件の証明ではない。

むしろ、

犯罪を疑って徹底的に調べても、それを裏付ける決定的証拠を見つけられなかった

という記録だった。

そうなると、次に検討すべきなのは船そのものになる。

ブリッグス船長が、実際には沈まなかった船を沈没寸前だと判断するだけの条件はあったのか。

次回はポンプ、浸水、天候、航法の4点から、退船判断の技術的な成立可能性を検証する。

CASE FILE 39|全記事

  1. メアリー・セレスト号とは?|航行可能な船から10人が消えた1872年の未解決事件
  2. 最後の航海に乗っていたのは誰か|ブリッグス船長一家と7人の乗組員
  3. 1872年11月25日まで何が記録されていたのか|ニューヨーク出航から最後の航海日誌
  4. 発見時のメアリー・セレスト号はどんな状態だったのか|Dei Gratia乗組員が見た無人船
  5. ジブラルタルの海事審問は何を疑ったのか|殺人・反乱・詐欺説と「証拠」の検証
  6. なぜブリッグス船長は船を離れた可能性があるのか|ポンプ・浸水判断・天候・航法を検証
  7. 1,701樽のアルコールは原因だったのか|漏洩・蒸気・爆発恐怖説を検証
  8. 海賊・反乱・海震・海上竜巻説はどこまで成立するのか|主要仮説を証拠で比較
  9. 「幽霊船メアリー・セレスト」はどう作られたのか|コナン・ドイルと後世の脚色
  10. 10人はどこへ消えたのか|確認事実・最有力仮説・未解決部分を最終整理

出典・参考資料

  • Government of Gibraltar / Ministry for Heritage「Courthouse」― 1872年12月17日のサルベージ審理開始、ソリー=フラッドによる犯罪説の捜査、赤褐色の染み・船体損傷、犯罪を立証できなかった経緯を確認。
  • Royal Museums Greenwich「The mystery of the Mary Celeste」― ジブラルタル到着、サルベージ審理、ソリー=フラッドが反乱・殺人を疑ったこと、調査が進むにつれて犯罪説を支持する材料が弱くなったことを確認。
  • Dr. J. Patron examination report― メアリー・セレスト号甲板および船長室の剣から採取された赤褐色の染みに対する化学・顕微鏡検査。血液を確認できなかったことを確認。
  • Old Dartmouth Historical Sketches / New Bedford Whaling Museum― パトロン医師による検査結果、デヴォーの再証言、ジブラルタル審問における血痕説の検証を参照。
  • U.S. Consul Horatio J. Sprague関連記録 / Capt. Robert W. Shufeldt report― 船首の傷について、人為的損傷ではなく海上での木材の動きによるものとする反対意見を参照。
  • Smithsonian Magazine「Abandoned Ship: The Mary Celeste」― サルベージ審問が通常の報酬決定から犯罪疑惑の調査へ拡大した経緯と、最終的に犯罪証拠が得られなかったことを確認。

本記事では「ソリー=フラッドが殺人・反乱・共謀を疑った」という当時の捜査上の主張と、「それらが証明された」という事実を明確に分離しています。特に船上・剣の赤褐色の染みは当初血液の可能性が疑われましたが、医師による検査では血液と確認されませんでした。また船首の傷についても専門家間で評価が一致しておらず、犯罪の物証として確定していません。したがって、本特集では「血の付いた剣」「船員が船長一家を殺害した」「発見者がサルベージ目的で殺害した」といった表現を確定事実として使用しません。