メアリー・セレスト号は沈まなかった。
1872年12月に発見されたあと、オリバー・デヴォーとわずか2人の船員によってジブラルタルまで約600海里を航行した。
結果だけを見れば、
「船を捨てる必要などなかった」
ように思える。
では、経験あるベンジャミン・ブリッグス船長は、なぜ妻と2歳の娘を含む10人を本船から救命艇へ移す可能性がある判断をしたのか。
ここで一つ、事故を考えるうえで重要な原則がある。
後から分かった「実際の状態」と、その瞬間に船長が認識していた「見えている状態」は同じとは限らない。
船は実際には沈まなかった。
しかしブリッグスには、それを未来から確認することはできなかった。
彼が知ることができたのは、荒天を抜けた船に水が入り、その量を調べるためにポンプ周辺を確認し、予定より遅れてようやく陸地を発見したという、その時点までの情報だけだった可能性がある。
今回は、
- ポンプ
- 測深
- 浸水
- 積荷
- 荒天
- 船位認識
- サンタマリア島
を分けて検証する。
目的は「この説が真相だ」と決めることではない。
ブリッグスが合理的に退船を判断する条件が、少なくとも成立し得たのか。
そこまでを確認する。
- 発見されたポンプは本当に故障していたのか
- 測深棒は何を調べるために使われたのか
- 「3.5フィートの水」は何を意味するのか
- 積荷1,701樽が浸水確認を難しくした可能性
- 最後の夜の荒天はどの程度重要なのか
- ブリッグスが船位を誤認していたという現代仮説
- なぜサンタマリア島付近で一時退船するシナリオが考えられるのか
- この仮説でも説明できない最後の問題
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まず、「沈まなかったから退船は不合理」は成立しない
メアリー・セレスト号事件では、結果を知っている現在からブリッグスの判断を評価しないことが重要になる。
12月4日にデイ・グラティア側が発見した船は、損傷と浸水こそあったものの、ジブラルタルまで航海できた。
だから現在の私たちは、
「船は沈まなかった」
と知っている。
しかし、11月25日前後のブリッグスには分からない。
船長に必要だったのは、
現在どれだけ水が入っているか
だけではない。
水位が増えているのか。
その増加をポンプで抑えられるのか。
船体のどこから水が入っているのか。
今後さらに増えるのか。
を判断することだった。
つまり、安全性の評価に必要なのは水位そのものより、
浸水量 × 流入速度 × 排水能力
である。
この三つのうち一つでも把握できなければ、船長の判断には大きな不確実性が生じる。
発見時、約3.5フィートの水が測定された
デイ・グラティアの第一航海士オリバー・デヴォーは、メアリー・セレスト号へ乗り込んだ後、ポンプを調べた。
その証言では、約3.5フィートの水が測定された。
メートル換算では約1.1メートルである。
ただし、この数字には注意が必要になる。
一般向けの記事ではしばしば、
「船倉に1.1メートルの水がたまっていた」
と表現される。
しかしデヴォーの証言は、より厳密にはポンプ/測深箇所で3.5フィートの水を測ったという内容である。
船倉全体に均一に1.1メートルの水が広がっていた、とそのまま解釈するべきではない。
さらに、この数値だけでは浸水速度も分からない。
昨日から急速に増えた3.5フィートなのか。
数日かけて蓄積したものなのか。
一時的に荒天から入り込んだ水なのか。
発見時の測定だけでは判断できない。
水位は「深さ」であり、船内に存在する水の総量ではない。
水がどこに集まっているか、船体形状、積荷配置、船の傾きによって同じ水量でも測定値は変化する。
さらに事故判断で重要なのは、単発の水位より時間当たりの増加量と排水能力である。
ポンプは「壊れていた」のか
ここはメアリー・セレスト号で非常に誤解されやすい部分である。
発見時、船にあった2基のポンプのうち1基が部分的に分解された状態だった。
このため、
「ポンプが故障していた」
「排水不能になったため船を捨てた」
と説明されることがある。
しかし、1872年のデヴォー証言を見ると、そこまで単純ではない。
デヴォーはポンプ機構について良好な状態だったという趣旨を証言している。
そして1基が外されていた理由について、
測深棒を下ろすためだった
と説明している。
小型船では独立した測深管を設けず、ポンプの一部を外してそこから水位を測る構造が存在した。
つまり、
「ポンプが分解されていた」というFACTから、「故障して使えなかった」というFACTを作ることはできない。
ここは明確に分離する必要がある。
では、なぜ「ポンプ故障説」が出てきたのか
後世の再検証で重要な仮説を提示したのが、海事史研究者アン・マグレガーらによる再構成だった。
マグレガーは、メアリー・セレスト号が直前の航海で石炭を運んでいたこと、さらに船が改修を受けていたことに注目した。
そこから、
- 石炭粉
- 船体改修時の木片・ごみ
などがビルジ周辺へ入り、
ポンプの吸込みや水路を阻害した可能性
を提唱した。
もしこれが起きていたなら、
「ポンプ本体が壊れている」
のではなく、
「機械自体は動くが、期待した排水能力を得られない」
という状態も考えられる。
これは機械設備でも同じである。
モーターが回る。
ポンプ機構も動く。
しかし吸込み側が詰まっていれば、必要流量は得られない。
ただし、重要なのは、
これが1872年の調査で確認された事実ではない
ということである。
石炭粉や改修ごみによるポンプ能力低下は、後世の合理的な再構成仮説である。
測深棒がポンプのそばに残されていた
発見時、ポンプの近くには測深棒が残されていた。
測深棒は、船底部にたまった水の深さを確認するために使用する。
これは失踪直前の行動を考えるうえで興味深い。
少なくとも、
誰かが船内の水量を気にして測定した可能性
とは整合するからである。
ただし、
「測深棒が出ていた」
から、
「測定直後にパニックになって退船した」
まで一気に進めることはできない。
船内の水位確認は通常の船舶管理でも行われる。
測深棒が残っていたことは、
水位測定が行われた可能性を示す状況証拠
までである。
1,701樽の積荷が「見る」ことを難しくしていた可能性
メアリー・セレスト号の船倉には1,701樽ものアルコールが積み込まれていた。
船倉は貨物で大きく占有されていた。
そのため、船倉底部を直接目視して、
「どこから水が入っているか」
「どれだけ水がたまっているか」
を簡単に確認できる状態ではなかった可能性がある。
ここでポンプや測深系統に問題が加わると、船長の認識はさらに不確実になる。
例えば、
測深値が増えている。
しかし船底は直接見えない。
排水しても思うように減らない。
原因も確認できない。
そうなれば、
実際以上に重大な浸水が進行している
と判断する可能性が生まれる。
重要なのは、これが「船長がパニックを起こした」という説明ではないことだ。
限られたセンサーしかないシステムで、危険側に判断する可能性を検討している。
最後の夜には荒天があった
第3回で確認したように、メアリー・セレスト号は大西洋横断中、荒天を経験していた。
特に最後の航海記録直前の夜について、後世の気象データを用いた再構成では、風速35ノットを超える強風があった可能性が示されている。
35ノットは約18メートル毎秒である。
帆船にとって航海不能な数字そのものではない。
しかし、
- 荒天が続いている
- 船内へ水が入っている
- 船の水位把握に不確実性がある
- 排水能力に疑問がある
という条件が重なるなら、単独の35ノットとは意味が変わる。
事故は、一つの異常だけで成立するとは限らない。
複数の小さな不確実性が同時に存在すると、判断は急速に難しくなる。
もう一つの問題|自分がどこにいるか
船長が退船を判断するとき、船体状態だけでなく現在位置も重要になる。
何百海里も陸地から離れているなら、小艇へ移ることは極めて危険である。
一方、陸地が見えているなら評価は変わる。
メアリー・セレスト号最後の記録は、アゾレス諸島サンタマリア島付近だった。
午前8時、島の東端が南南西約6海里にあると記録されている。
およそ11キロメートル。
視認できる距離に陸地があった。
もし船長が、
「本船が沈む可能性がある」
と判断していたなら、
陸地が近いうちに小艇へ移る
という選択肢は、外洋中央部で退船するよりは合理性を持つ。
もちろん、実際にサンタマリア島へ向かったことを示す記録はない。
ここでも、
退船するならそのタイミングを選ぶ理由が成立する
というところまでである。
ブリッグスは自分の位置を120マイル誤っていたのか
さらに興味深いのが、後世の航跡再構成である。
アン・マグレガーと気象学者フィル・リチャードソンは、ソリー=フラッドが残した最後の数日間の航海記録と、歴史的な海洋・気象データを照合した。
その結果、彼らは、
ブリッグスが実際の位置より約120マイル東側にいると考えていた可能性
を提示した。
言い換えれば、実際の船はブリッグスが考えていた位置より約120マイル西にいたという再構成である。
原因候補として挙げられたのが、クロノメーターの誤差だった。
19世紀の航海では、正確な経度を求めるために正確な時刻が重要になる。
クロノメーターに誤差があれば、経度の計算にも誤差が入る。
マグレガーらの再構成では、ブリッグスの計算上なら、実際にサンタマリア島を目撃するより数日前に陸地を確認していてもおかしくない位置関係になっていたという。
そのためブリッグスにとって、
「予定していた時期になっても陸地が見えない」
という追加の不安材料が存在した可能性がある。
ただし「クロノメーター故障」は確定事実ではない
この120マイルという数字は非常に具体的であるため、確定事実のように見える。
しかしそうではない。
これは、
- 失われた原本の代わりとなるソリー=フラッドの転記
- 当時の海況データ
- 航跡
- 推定速度
を組み合わせた現代の再構成である。
ブリッグス本人が、
「クロノメーターが故障している」
と書き残した記録が存在するわけではない。
したがって、
「船位誤差が存在した可能性」=THEORY
「クロノメーター故障が原因だった」=さらに一段仮説
とするのが適切である。
条件を一つずつではなく、重ねてみる
ここまでの条件を並べる。
| 条件 | 確度 | 判断への影響 |
|---|---|---|
| 荒天を経験していた | FACT | 船体・索具・浸水への警戒 |
| 船内に水が入っていた | FACT | 浸水量と増加速度の把握が必要 |
| 水位確認が行われた形跡 | FACT / 強い状況証拠 | 船内の水が意識されていた可能性 |
| 1基のポンプが外されていた | FACT | 測深のためだったとの証言あり |
| ポンプ能力が石炭粉等で低下 | THEORY | 排水能力への不信につながり得る |
| 船位に大きな誤差があった | THEORY | 航海判断の不確実性を増加 |
| サンタマリア島を視認 | FACT | 退船するなら陸地が近い機会 |
一つだけなら、退船を説明できない。
荒天だけなら航海を続ける。
多少の浸水だけでも、排水できれば航海を続ける。
位置誤差だけでも船を捨てない。
しかし、
荒天
+
浸水
+
水量把握への不安
+
排水能力への疑念
+
航法上の不確実性
+
近くに見える陸地
が同時に存在したなら、
「今のうちに船を離れる」
という判断が生まれる条件は成立し得る。
完全退船ではなく「一時退避」だった可能性
ここで重要になるのが、
ブリッグスは最初からメアリー・セレスト号を永久に捨てるつもりだったのか
という問題である。
救命艇へ移るというと、
本船を完全に放棄し、小艇だけで陸へ向かった姿を想像しやすい。
しかし別のシナリオも考えられる。
本船と救命艇を長いロープでつなぎ、
危険が収まるまで一時的に船外へ避難する。
船が沈まなければ戻る。
もし沈めば小艇で近くの島へ向かう。
この方法なら、
「航行可能な本船をなぜ完全に捨てたのか」
という問題は少し変わる。
船長は「捨てた」のではなく、
戻るつもりで一時的に離れた
可能性があるからである。
切れたロープがすべてを変えたのか
発見時のメアリー・セレスト号には、船尾付近からロープが海中へ伸びていたとする証言・記録がある。
後世には、
これが救命艇と本船を結んでいた曳航索だったのではないか、
という説が提唱されている。
もし一時退避中に、
- 強風
- 波
- 本船と小艇の速度差
- ロープの破断
が起きればどうなるか。
小型艇の乗員から見れば、メアリー・セレスト号は帆を一部残したまま急速に離れていく。
小艇だけでは追いつけない。
本船は無人のまま大西洋へ流れていく。
そして10人は小さな艇に取り残される。
このシナリオなら、
- 船が航行可能な状態で残った
- 救命艇がなくなった
- 10人全員がいなくなった
- 航海計器や書類が持ち出された
- 遺体や暴力痕跡が船内にない
という複数の事実を比較的少ない仮定で説明できる。
ただし、
ロープが実際に救命艇をつないでいたことを証明する直接証拠はない。
これも合理的なTHEORYである。
この説が説明できないこと
技術的退船説には一定の強みがある。
しかし「有力に見える」ことと「解決した」は別である。
いくつか大きな空白が残る。
1|退船を決定させた直接の出来事が分からない
ポンプなのか。
浸水なのか。
アルコール蒸気なのか。
荒天なのか。
複数の条件なのか。
ブリッグス本人の記録がないため、決定要因は確認できない。
2|いつ船を離れたか分からない
11月25日午前8時は最後の記録であって、退船時刻ではない。
その直後だったのか、数時間後だったのかは不明である。
3|救命艇そのものが発見されていない
艇も10人もその後確認されていない。
したがって、ロープ破断後に何が起きたかを物証から追うことができない。
4|ポンプ能力低下は実証されていない
発見者デヴォーの証言ではポンプ機構は良好だった。
石炭粉・改修ごみによる閉塞は後世の仮説であり、1872年に閉塞物そのものが記録されたわけではない。
5|船位誤差も再構成である
約120マイルの誤差という説も、現代のデータ分析から導かれたものだ。
クロノメーター故障を直接示す史料はない。
では、現時点でどこまで評価できるのか
| 命題 | 評価 |
|---|---|
| 船内には浸水があった | FACT |
| 乗員が水位を測定していた可能性がある | LIKELY |
| 1基のポンプが測深のため外されていた | FACT |
| ポンプそのものが壊れていた | 未確認 |
| 石炭粉等によって排水能力が低下していた | THEORY |
| 最後の夜に荒天があった | FACT / 後世データによる補強 |
| ブリッグスの認識位置に約120マイルの誤差があった | THEORY |
| サンタマリア島付近で退船した | LIKELY / THEORY |
| 本船と救命艇をロープでつないだ一時退避だった | THEORY |
| ロープが切れて本船へ戻れなくなった | THEORY |
「判断ミス」より「情報不足」と見る方が適切かもしれない
この仮説が興味深いのは、ブリッグスを無能な船長として扱わなくても成立する点にある。
事故後に分かった情報を使えば、
「船は沈まなかったのだから残ればよかった」
と言える。
しかし当時の船上では、
水量を正確に把握できない。
排水能力にも不安がある。
荒天が続く。
船位にも自信を失っている可能性がある。
そこへ陸地が見える。
という条件だった可能性がある。
安全設計の考え方でいえば、
「沈没することが確定してから退船する」では遅い。
沈没確率が無視できないと判断した段階で、退避を検討する必要がある。
問題は、ブリッグスがその確率を正しく評価できるだけの情報を持っていたかどうかである。
その答えは残っていない。
それでも、まだ一つ大きな要素が残っている
ポンプ、浸水、荒天、航法だけでも一時退船の条件はある程度説明できる。
しかしメアリー・セレスト号には、もう一つ無視できない要素があった。
船倉を埋めていた1,701樽の工業用アルコールである。
後の荷下ろしでは、そのうち9樽が空になっていた。
もしアルコールが漏れ、船倉へ蒸気がたまっていたとすればどうなるのか。
実際に爆発が起きたのか。
爆発しなくても、船長が爆発を恐れるだけで退船理由になり得るのか。
そして、
なぜ発見された船には焼損や大爆発の跡がなかったのか。
次回は、メアリー・セレスト号でもっとも有名な合理的仮説の一つ、
アルコール蒸気・爆発恐怖説
を、積荷と樽の構造から検証する。
まとめ
メアリー・セレスト号が後にジブラルタルまで航行できたからといって、ブリッグス船長の退船判断が最初から非合理だったとは断定できない。
発見時には船内へ水が入り、約3.5フィートの水位が測定されている。
ポンプの一つは部分的に外され、その近くには測深棒が残されていた。
ただし、これは「ポンプが故障していた」という直接証拠ではない。
デヴォーはポンプ機構を良好と証言し、1基が外されていたのは水位を測るためだったとしている。
一方、後世の再検証では、直前の石炭輸送や船体改修による粉じん・ごみがポンプ能力を低下させた可能性が提唱された。
さらに最後の夜には荒天があり、現代の航跡再構成ではブリッグスが自船の位置を大きく誤認していた可能性も指摘されている。
そこへ、サンタマリア島という陸地が現れた。
これらを重ねれば、
「船が沈むかもしれない。陸地が近いうちに、一時的に救命艇へ移ろう」
という判断が成立する余地はある。
そして本船と小艇を結ぶ索が失われたなら、航行可能なメアリー・セレスト号だけが大西洋へ走り去り、10人が小艇に取り残されたという結果も説明できる。
しかし、これは一貫したシナリオであって、証明された真相ではない。
ポンプ閉塞も、船位誤差も、一時退船も、索の破断も、決定的な直接証拠を欠いている。
現在言えるのは、
経験ある船長が退船を考えるだけの複数の不確実要因は存在し得た
というところまでである。
次回は、その判断をさらに切迫させた可能性がある1,701樽のアルコールを検証する。
CASE FILE 39|全記事
- メアリー・セレスト号とは?|航行可能な船から10人が消えた1872年の未解決事件
- 最後の航海に乗っていたのは誰か|ブリッグス船長一家と7人の乗組員
- 1872年11月25日まで何が記録されていたのか|ニューヨーク出航から最後の航海日誌
- 発見時のメアリー・セレスト号はどんな状態だったのか|Dei Gratia乗組員が見た無人船
- ジブラルタルの海事審問は何を疑ったのか|殺人・反乱・詐欺説と「証拠」の検証
- なぜブリッグス船長は船を離れた可能性があるのか|ポンプ・浸水判断・天候・航法を検証
- 1,701樽のアルコールは原因だったのか|漏洩・蒸気・爆発恐怖説を検証
- 海賊・反乱・海震・海上竜巻説はどこまで成立するのか|主要仮説を証拠で比較
- 「幽霊船メアリー・セレスト」はどう作られたのか|コナン・ドイルと後世の脚色
- 10人はどこへ消えたのか|確認事実・最有力仮説・未解決部分を最終整理
出典・参考資料
- Royal Museums Greenwich「The mystery of the Mary Celeste」― 1基のポンプが部分的に外されていたこと、測深棒が付近に残されていたこと、救命艇・航海計器等の発見状況を確認。
- Gibraltar Vice-Admiralty Court / Oliver Deveau testimony― 約3.5フィートの水の測定、ポンプ機構の状態、1基を測深棒挿入のため外していたことに関する発見者証言を参照。
- Peabody Essex Museum, Phillips Library「Benjamin Spooner Briggs Papers」― ジブラルタル副海事裁判所での証言・調査記録の保存所在を確認。
- Smithsonian Magazine「Abandoned Ship: The Mary Celeste」― Anne MacGregor / Phil Richardsonによる航跡・気象再構成、約120マイルの船位誤差仮説、荒天、石炭粉・改修残渣によるポンプ能力低下仮説を参照。
- Smithsonian Magazine「An Abandoned Merchant Ship Was Discovered Floating in the Atlantic in 1872」― ポンプ閉塞・浸水判断を中心とする現代的退船仮説が、確定した解決ではないことを確認。
本記事では、1872年の発見記録と後世の再構成仮説を分離しています。「ポンプが故障していた」「クロノメーターが故障していた」「サンタマリア島付近で一時退船した」「本船と救命艇を結ぶ索が切れた」は、いずれも直接確認された事実ではありません。また、一般に「船倉に約3.5フィートの水」と要約される数値についても、デヴォーの証言ではポンプ/測深箇所での水位として記録されているため、船倉全体に均一な約1.1メートルの浸水があったという意味には使用していません。