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前回「スペインかぜとは何だったのか――1918年、世界を覆ったパンデミック」で確認した論点を受け、この回ではパンデミックはどこから始まったのか――起源が今も断定できない理由の場所・空間条件は事件理解にどう関わるのか。を扱う。
1918年インフルエンザ・パンデミックについて、「最初の患者はどこにいたのか」という問いは直感的には単純に見える。
米国カンザス州。フランス北部の軍事拠点。中国。あるいは、それらとは別の場所。
100年以上にわたって複数の候補が挙げられてきた。しかし現在も、研究上の結論は「ここが発生地だった」と一地点に固定できる状態にはない。
この問題が難しい最大の理由は、最初に記録された大きな集団発生と、パンデミックウイルスが実際に成立した場所が同じとは限らないことにある。
1918年春、米国カンザス州Camp Funstonでインフルエンザ様疾患の大規模流行が確認された。この出来事は同年の第一波を示す重要な史料であり、米国内で追跡しやすい最初期の集団発生の一つである。
しかし、だからといって「1918年ウイルスはCamp Funstonで誕生した」とは言えない。
その前にはカンザス州Haskell Countyで重い呼吸器疾患が報告されたという説がある。さらに1916~1917年のフランスÉtaples周辺では、英軍の兵士に「purulent bronchitis(化膿性気管支炎)」と呼ばれた重い呼吸器疾患が発生しており、1918年の病態との類似性から前駆的流行だった可能性が論じられてきた。[1]中国や中国人労働者の移動を起源と結びつける仮説も提示された。
ところが、どの候補にも証拠の空白がある。
そのためこの問題を理解するには、「どの説が一番有名か」ではなく、何をもって『起源』と呼ぶのか、各仮説がどの証拠に立ち、どこで証拠が途切れるのかを見る必要がある。
「起源」という言葉には少なくとも三つの意味がある
パンデミックの起源を議論するとき、しばしば異なる問いが一つに混ざる。
第一は、パンデミックウイルスの祖先が、どの動物・どのウイルス系統から来たのかという生物学的起源である。
第二は、ヒトからヒトへ持続的に伝播できるウイルスが、いつ・どこで成立したのかという進化・疫学上の起源である。
第三は、歴史記録上、最初にパンデミックらしい集団発生が確認された場所はどこかという観測上の起源である。
これらは同じではない。
遺伝子研究からは1918年ウイルスと鳥類インフルエンザウイルスとの深い関係が示されているが、それだけで「どの国のどの町でヒトへの適応が起きたか」は決まらない。
逆に、ある軍営で多数の患者が記録されていても、その場所にウイルスが外部から持ち込まれた可能性を排除できない。
さらに、1918年当時はインフルエンザウイルスを直接検出する検査が存在しない。医師が「influenza」「grippe」「bronchitis」「pneumonia」などと記録した症例を、後世の研究者が臨床像と流行状況から再評価するしかない場合が多い。
したがって、起源論は構造的に不確実性を抱える。
Camp Funston――「最初の記録」と「発生地」は違う
1918年春の米国で最も有名な記録の一つが、カンザス州Fort RileyにあったCamp Funstonである。
3月上旬、同キャンプで多数の兵士が急性のインフルエンザ様症状を呈し、短期間に患者が増えた。これは1918年春の第一波を象徴する事例として、軍医療記録や後世の研究で繰り返し取り上げられている。
Camp Funstonが重要なのは、第一波の流行が大量の若い兵士を抱える軍事施設で明瞭に観察されたことだ。
第一次世界大戦中の米国では、兵士が各地から訓練基地へ集められ、鉄道で港へ移動し、輸送船で欧州へ渡っていた。したがって、ひとたび軍営内で感染が広がれば、別基地や港湾、さらには大西洋の向こうへ運ばれる条件が整っていた。
ただし、この「後の拡散に接続しやすかった」という事実と、「そこでウイルスが誕生した」という主張は分けなければならない。
Camp Funston以前にも、米国内外に呼吸器疾患の流行記録が存在する。さらに、同キャンプで確認された時点ですでに効率的なヒト-ヒト感染が起きていたとすれば、ウイルスはそれ以前のどこかで成立していた可能性がある。
つまりCamp Funstonは、非常に重要な初期増幅点・初期観測点ではあっても、起源地点と同義ではない。
Haskell County説――カンザス起源仮説の核心
米国起源説の中で、より早い時点を指すのがHaskell County仮説である。
歴史家John M. Barryは、カンザス州南西部Haskell Countyで1918年初頭に起きた重いインフルエンザ様疾患に注目した。
現地の医師Loring Minerは、通常の季節性インフルエンザより異常に重いと感じる流行を経験し、公衆衛生当局へ報告したとされる。その地域からCamp Funstonへ向かった兵士がいたことから、Haskell Countyから軍営へウイルスが持ち込まれた可能性が論じられた。
この仮説の強みは、時系列と人の移動が比較的具体的である点にある。
「異常な呼吸器疾患があった」 「その地域から軍営へ人が移動した」 「その後、Camp Funstonで明瞭な大流行が起きた」
という連鎖を描けるからだ。
しかし問題も大きい。
まず、Haskell Countyの症例から1918年H1N1ウイルスが直接検出されたわけではない。保存検体もない。臨床記録は限定的で、症状だけから後世に病原体を確定することはできない。
さらに、同時期またはそれ以前の別地域に未記録の流行が存在した可能性を除外できない。
インフルエンザは当時、すべての地域で一律に届出対象となっていたわけではない。小規模な流行なら、地域社会で「例年の風邪」「肺炎」として処理され、公的記録に残らなかった可能性がある。
そのため、Haskell County説は「整合的な一つの仮説」ではあるが、「ここが起点だったことが証明された説」ではない。
近年のレビューでも、Kansas、Étaples、中国など複数候補のうち一地点を決定的に支持するデータは不足していると整理されている。
Étaples説――1916~1917年の「化膿性気管支炎」
もう一つ重要なのが、1916~1917年のフランス北部Étaples周辺を起源候補とする説である。
Étaplesには第一次世界大戦中、大規模な英軍基地と病院群があり、多数の兵士が集まっていた。
この地域では、1916年末から1917年にかけて重い呼吸器疾患が報告された。医師たちはこれを「purulent bronchitis」と記載し、発熱、咳、肺炎、チアノーゼなどを伴う症例を詳細に報告した。
後世の研究者、とくにJohn Oxfordらは、その臨床像が1918年秋の重症インフルエンザと似ていることから、1918年パンデミックウイルスまたはその近縁ウイルスが、すでに欧州の軍事環境で循環していた可能性を論じた。
この説には興味深い点がある。
第一に、1918年より一年以上早い。
第二に、第一次世界大戦の軍営という、高密度の人間集団が形成される環境で起きている。
第三に、病理解剖など比較的詳細な医学的記録が残された症例がある。
ただし、ここでも決定打はない。
1916~1917年のÉtaplesで起きた呼吸器疾患が、1918年H1N1そのものだったことを確定するウイルス学的証拠がないからである。[1]
重い肺炎、チアノーゼ、呼吸不全という臨床像は1918年の重症例と似ているが、それだけで同一病原体とは断定できない。
さらに重要なのは、仮に1916~1917年の疾患が1918年ウイルスの近縁だったとしても、その後なぜ長期間、世界的パンデミックとして連続的に観測されなかったのかという問題が残ることだ。
TaubenbergerとMorensらは、提案されている早期発生候補の多くが、インフルエンザの流行しやすい季節に出現した後、パンデミックが明瞭になるよりかなり前に消えている点を指摘している。
つまり「似た病気が早く存在した」ことは、「そこから1918年パンデミックへ連続的に発展した」ことを意味しない。
中国起源説――移動経路はあるが、証拠は割れている
中国起源説も長く議論されてきた。
第一次世界大戦中、連合国側は多数の中国人労働者を欧州へ動員した。いわゆるChinese Labour Corpsなどを通じて、多くの人々が中国から北米や海上交通路を経由し、フランスなどへ移動した。
この大規模移動を、1918年インフルエンザの欧州への導入経路とみなす説がある。
また、中国北部などで1917~1918年に報告された呼吸器疾患の流行を、後から1918年インフルエンザの前駆的流行として読み直す議論も行われた。[1]
理論上は理解しやすい。
パンデミック直前に大規模な国際移動があり、移動先が戦争中の欧州である。もし出発地に新しいインフルエンザウイルスが存在していたなら、輸送網を通じて広がる可能性はある。
しかし、この仮説にも強い反論がある。
軍人・労働者の死亡記録を再検討した研究では、中国人・東南アジア出身の労働者や兵士のインフルエンザ死亡のピークが、同じ地域にいた他部隊より遅れていたことが示され、中国人労働者が致死的な1918年ウイルスを欧州へ持ち込んだという仮説を支持しないと結論づけられた。
また、中国で報告された「肺ペスト」などの疾患を後世にインフルエンザだったと再解釈するには慎重さが必要である。当時すでにペスト菌を同定する細菌学的方法が存在し、すべての重症呼吸器流行を「実は1918年型インフルエンザだった」と置き換えることはできない。
したがって、中国起源説は歴史的に検討されてきた重要な仮説ではあるが、現在の証拠だけで確定説にすることはできない。
遺伝子解析なら起源を決められないのか
現代ではウイルスのゲノムを比較し、系統樹から共通祖先の年代を推定することができる。
では、1918年ウイルスのゲノムが復元されているなら、その配列から「何年何月、どこで生まれたか」を特定できるのではないか。
ここにも限界がある。
1918年ウイルスのゲノム研究は、その進化的背景について重要な手がかりを与えている。水鳥に由来するインフルエンザAウイルスとの関係や、ヒトへの適応過程を考える材料も得られた。
一方で、系統解析から推定される「共通祖先が存在した時期」には幅があり、研究手法によって推定値も異なり得る。
さらに、ゲノム配列には普通、「Kansas」「France」「China」といった地名が刻まれているわけではない。
地理的起源を推定するには、複数の時点・複数地域から得られた十分な数のウイルス配列が必要になる。しかし1918年前後には、現代のような系統的ウイルスサーベイランスが存在しなかった。
現存する1918年ウイルス配列は、保存病理組織や永久凍土中の犠牲者遺体など、ごく限られた資料から得られたものである。
特にパンデミック前の1917年以前や1918年初頭から、地理的に広範なウイルス配列が残っているわけではない。
そのため遺伝学は、「どのようなウイルスだったか」「どの系統と近いか」「いつ頃まで祖先をさかのぼれるか」を考える強力な道具ではあるが、一地点の発生地を確定する万能なGPSにはならない。
そもそも「最初の患者」を見つけるのは現実的なのか
感染症史では「patient zero」という言葉が有名だが、1918年パンデミックのような事例で一人の最初の患者を特定することはほぼ不可能に近い。
新しいウイルスが動物からヒトへ一度だけ侵入し、その一人から世界中へ一直線に広がったとは限らない。
初期には、限られた感染連鎖が何度か発生して消えた可能性もある。あるいは一定期間、季節性インフルエンザの背景に紛れて小規模に循環し、その後に大規模な伝播能力を獲得した可能性も考えられる。
しかも1918年当時、インフルエンザ様疾患は珍しくなかった。
発熱、倦怠感、咳、肺炎という症状だけでは、既存の季節性インフルエンザや他の呼吸器感染症と区別できない。
TaubenbergerとMorensらは、パンデミック以前の感染・死亡が季節性インフルエンザや他の呼吸器疾患による背景死亡の中に埋もれていた可能性を指摘している。
つまり後から史料を検索して「最も古い似た症例」を見つけても、それが真の起点だとは限らない。
古い記録を発見する競争は、構造的に「さらに古い候補」が出続ける可能性を持つ。
2019年の起源レビューも、Kansas、Étaples、中国などのいずれかで「非常に精密なパンデミックの震源」が偶然リアルタイムに記録されていた確率は低いと論じている。
これは起源研究を否定する話ではない。
むしろ、「証拠が持つ解像度以上の結論を出さない」ことが重要だという話である。
第一波と第二波を同じものとして扱えるのか
1918年春の第一波は、多くの地域で秋の第二波より軽症だった。
この違いのため、「春のウイルスが秋までに突然変異して凶悪化した」という説明がよく使われる。
しかし近年の研究では、この単純な物語にも注意が必要である。
保存された1918年のウイルス資料は限られているものの、初期症例から得られた配列と秋のパンデミック波の配列を比較した研究は、初期のウイルスが秋のものと非常に近かった可能性を示している。
その場合、春と秋の死亡差を「一つの決定的な突然変異」だけで説明することは難しくなる。
季節、集団免疫、年齢構造、感染量、細菌性肺炎、医療状況、人口移動など複数要因を考える必要がある。
これは起源論にも関係する。
もし1918年春のウイルスがすでにパンデミック株と非常に近い性質を持っていたなら、「秋に初めてパンデミックウイルスが成立した」という図式は単純すぎる。
一方で、1916年や1917年の類似呼吸器疾患まで同じウイルスだったと確定する証拠もない。
起源は一本の線ではなく、「ウイルスがどの段階で、どの性質を獲得したか」を複数の証拠から推定する問題になる。
では、なぜCamp Funstonがこれほど有名なのか
起源が確定していないにもかかわらず、一般向けの説明ではCamp Funstonが「始まり」と書かれることが多い。
理由は理解しやすい。
軍隊には記録が残る。患者数が多い。日付が比較的明確である。さらに、その後の兵員移動と世界的拡散を物語として接続しやすい。
これに対し、農村の小規模流行や戦時下の断片的な医療記録は、時系列をきれいに並べにくい。
歴史叙述では、記録が豊富な場所ほど「始まり」に見えやすい。
しかし、記録密度は発生確率ではない。
医療記録が残った軍営は見える。記録の乏しい農村、植民地、戦地、移動中の労働者集団は見えにくい。
この「観測バイアス」は、1918年の起源研究で常に意識しなければならない。
Camp Funstonを無視する必要はない。むしろ第一波を追う上で非常に重要である。
ただし、その正確な位置づけは「最もよく記録された初期の大規模流行の一つ」であって、「科学的に証明された世界最初の発生地」ではない。
「スペインかぜ」の名前はなぜ残ったのか
では、起源がわからないのに、なぜスペインだけが名前として残ったのか。
第一次世界大戦中、交戦国では軍事上の秘密や国民の士気を守るため、報道に強い制約がかかっていた。
感染症流行についても、軍隊の戦力低下や国内の混乱を敵国へ知らせる可能性があるため、報道が抑制されたり、過小に扱われたりした。
一方、スペインは中立国だった。
スペインの報道機関は国内の流行を比較的自由に報じることができ、1918年5月にはマドリードでの流行が大きく報道された。国王Alfonso XIIIの罹患も注目された。
その結果、国外の読者には「スペインで特に大きな流行が起きている」ように見えた。
CDCのEmerging Infectious Diseasesに掲載された歴史解説も、スペインが戦争に参加しておらず検閲・プロパガンダへの関与が比較的小さかったため、流行負担がスペイン紙でより早く、より広く報道され、それが“Spanish flu”という名称につながったと説明している。
名称は、病原体の出生地ではなく、情報が可視化された場所を反映した。
これは1918年パンデミックの起源問題を象徴している。
感染が最初に起きた場所と、最初に世界へ知られた場所は違う。
スペインでは「スペインかぜ」と呼ばれていなかった
名称の皮肉はさらにある。
スペイン国内では、この病気を「French flu」と呼ぶ表現も使われた。スペイン側から見れば、流行は国外から入ってきたものと考えられていたからである。
つまり同じ流行を、ある国は別の国の名前で呼んだ。
この現象は感染症の名称が、医学的証拠だけではなく政治、報道、国際関係、他者への帰属によって形成されることを示す。
本シリーズで「スペインかぜ」という語を使うのは、日本語で定着した歴史名称だからであって、発生地を示すためではない。
起源候補をどう比較すべきか
三つの代表的な仮説を、証拠の種類で整理すると見えやすい。
Kansas / Haskell–Camp Funston
強み
- 1918年初頭という時期。
- Haskell Countyで異常なインフルエンザ様疾患の報告がある。
- HaskellからCamp Funstonへの人的移動を想定できる。
- Camp Funstonでは春の第一波が明瞭に記録され、その後の軍隊移動と接続しやすい。
弱み
- Haskell症例のウイルス学的証拠がない。
- より早い未記録流行を排除できない。
- Camp Funstonでの流行確認は、そこでウイルスが誕生した証明にならない。
France / Étaples
強み
- 1916~1917年という早い時期に重症呼吸器疾患が詳細に記録されている。
- 軍事拠点の過密環境という疫学的条件。
- 1918年重症例に似た臨床・病理描写がある。
弱み
- 1918 H1N1そのものだったことを示す直接証拠がない。
- 1917年から1918年春までの連続的伝播を示せない。
- 類似した病態だけでは同一病原体と確定できない。
China / Asian-origin hypotheses
強み
- 1917~1918年の呼吸器疾患記録。
- 中国人労働者など大規模な国際移動が存在した。
- 当時の戦時物流と欧州への人的接続がある。
弱み
- 中国人・東南アジア出身集団の死亡時系列が「持ち込み元」仮説と合わないとする研究がある。
- 既存の肺ペスト等の診断を後世にすべてインフルエンザへ置き換えることはできない。
- 決定的なウイルス学的連続性が示されていない。
この比較から見えるのは、「一番有名な説」が「一番証明された説」ではないことだ。
何があれば起源をもっと絞れたのか
理想的には、1917年から1918年初頭にかけて世界各地で採取された呼吸器検体と、それぞれの患者の詳細な日付・居住地・移動歴が保存され、そこからウイルスゲノムを多数回収できればよい。
しかし、そのような資料は存在しない。
TaubenbergerとMorensらは、1918年5月より前の症例から追加のウイルス配列が得られれば、ウイルスの起源と当時の集団免疫を考える手がかりになると述べている。しかし、それでも地理的起源を一意に決められるとは限らない。
必要なのは一本の「最古配列」だけではない。
複数地域・複数時点の配列、流行曲線、患者移動、動物ウイルス、血清学的情報などを合わせて、初期の系統がどの方向へ分岐したかを見る必要がある。
1918年には、その観測網そのものが存在しなかった。
起源を知ることができないのは研究が怠慢だからではなく、当時の観測可能性に上限があるからである。
「わからない」は研究の失敗ではない
歴史記事では、結論が一つに決まっていた方が物語は作りやすい。
「カンザスの農村で生まれ、Camp Funstonから兵士とともに世界へ広がった」 「フランスの軍営で生まれ、戦争が世界へ運んだ」 「中国から労働者とともに欧州へ入った」
どれも一本の線として描けばわかりやすい。
しかし現在の証拠は、そのどれか一つを唯一の正解として固定するところまで達していない。
研究レビューが示しているのは、むしろ「どの候補にも決定的証拠がない」という状態である。
この「不確実性」を残すことが、1918年の起源を扱ううえで最も重要な結論になる。
歴史上の出来事には、永久に解像できない部分がある。
とくに、病原体を直接検出する技術がなく、戦争で人々が大量に移動し、報道が制限され、医療記録の保存状況も地域によって大きく違う1918年ではなおさらである。
起源より確実に言えること
起源地点は確定できなくても、1918年春までに起きていたことについては、より確度の高い事実がある。
新しいインフルエンザウイルスは、1918年春までには複数の地域で効率的にヒトからヒトへ伝播していた。
軍事施設では大規模流行が起きた。
米兵を含む大量の人々が、大陸内・大西洋間を高速で移動していた。
欧州では戦争により兵士が密集し、各国間の人流が拡大していた。
1918年春の第一波は、秋の第二波ほどの死亡負荷を示さない地域が多かったため、当時の人々に「これから世界規模の異常な死亡波が来る」と予測させるには不十分だった。
そして数か月後、第二波が現れる。
起源の一点を特定できなくても、パンデミックが拡大できるネットワークがすでに完成していたことは追跡できる。
次の記事で扱うのは、まさにそこだ。
どこで最初の一人が感染したのかではなく、なぜ一つの地域の流行が世界規模の流行へ変わったのか。
1918年のパンデミックを理解するうえで、そちらの方が社会システムとしては重要な問いになる。
事実確認
1918年インフルエンザはスペインで発生したのか
その証拠はない。 スペインは第一次世界大戦の中立国で、交戦国より自由に流行を報道できたため、病名とスペインが結びついた。スペイン起源は現在の主要仮説ではない。
Camp Funstonが世界最初の発生地なのか
確定していない。 Camp Funstonは1918年春の最もよく記録された初期大流行の一つだが、それ以前にHaskell County、Étaples、中国などの候補がある。記録上早いことと、ウイルス発生地であることは別である。
Haskell County起源説は証明されているか
証明されていない。 異常なインフルエンザ様疾患の記録とCamp Funstonへの人的接続はあるが、Haskell症例のウイルス学的証拠はない。
1916~1917年のÉtaples流行は1918年ウイルスだったのか
可能性が論じられているが、確定していない。 臨床・病理所見の類似性はあるが、1918 H1N1との直接的なウイルス学的連続性を示す証拠は不足している。
中国人労働者が1918年ウイルスを欧州へ持ち込んだのか
確定しておらず、支持しない研究もある。 中国・東南アジア出身集団の死亡時系列を検討した研究では、致死的1918年ウイルスの欧州への導入源だったという仮説を支持しない結果が報告されている。
ゲノム解析で発生地点を特定できるか
現存資料だけでは難しい。 1918年以前・初期の多数地域から連続的にウイルス配列が残っていないため、進化的背景や年代の手がかりは得られても、地理的な一点を確定することはできない。
「スペインかぜ」という名称は起源を意味するか
意味しない。 戦時検閲下の交戦国よりスペインで流行報道が目立ったことが名称定着の大きな要因だった。
FACT CHECK|出典・参考資料
- [1] Taubenberger JK, Morens DM. “The 1918 influenza pandemic: 100 years of questions answered and unanswered.”
- [2] Morens DM, Taubenberger JK. “The 1918 Influenza Pandemic and Its Legacy.”
- [3] Worobey M, Cox J, Gill D. “The origins of the great pandemic.”
- [4] Barry JM. “The site of origin of the 1918 influenza pandemic and its public health implications.”
- [5] Oxford JS, Gill D. “Unanswered questions about the 1918 influenza pandemic: origin, pathology, and the virus itself.”
- [6] Taubenberger JK. “The Origin and Virulence of the 1918 ‘Spanish’ Influenza Virus.”
- [7] Shanks GD et al. “No evidence of 1918 influenza pandemic origin in Chinese laborers/soldiers in France.”
- [8] Centers for Disease Control and Prevention, Emerging Infectious Diseases. “Trench Conflict with Combatants and Infectious Disease.”
- [9] National Archives. “The Flu Pandemic of 1918.”
- [10] Trilla A, Trilla G, Daer C. “The 1918 ‘Spanish flu’ in Spain.”
スペインかぜ|なぜ感染は世界規模へ広がり、社会はどう対応したのか 第2回 全8回 全8回を見る
- 01 スペインかぜとは何だったのか――1918年、世界を覆ったパンデミック
- 02 スペインかぜ|パンデミックはどこから始まったのか――起源が今も断定できない理由
- 03 スペインかぜ|なぜ世界中へ広がったのか――第一次世界大戦と人の移動
- 04 スペインかぜ|なぜ若い成人まで多く死んだのか――第二波と異常な死亡曲線
- 05 スペインかぜ|都市は何をしたのか――休校・集会禁止・隔離と対応の差
- 06 スペインかぜ|日本では何が起きたのか――大正7年から始まった三つの流行
- 07 スペインかぜ|パンデミックはいつ終わったのか――1919〜1921年、後続する波の実像
- 08 スペインかぜ|100年後、1918年のウイルスはどう解かれたのか――保存組織・ゲノム・再構築