1972年10月13日午後、ウルグアイ空軍571便はアルゼンチンのメンドーサを離陸し、チリのサンティアゴへ向かった。
目的地までの直線距離はそれほど長くない。しかし、2都市の間にはアンデス山脈が横たわっている。571便が使っていたフェアチャイルド・ヒラーFH-227Dは、山々の上を好きな場所から一直線に越えていくのではなく、比較的標高の低い峠へ迂回する航空路を飛ぶ必要があった。
そのため571便は、メンドーサからいったん南下してマラルグエへ向かい、そこから西へ進んでプランチョン峠を越え、チリ側のクリコを通過してから北へ針路を変え、サンティアゴへ降下する計画だった。
ところが機体は、まだアンデス山中にいる段階で「クリコまで到達した」と管制へ報告する。
サンティアゴ側の管制官は、その位置報告を前提として降下を許可した。571便は雲の中で高度を下げ、やがて乗客たちの目の前に山の稜線が現れた。
事故の核心は、山そのものではない。
なぜ機体が実際にはまだアンデスを越えていないのに、乗員側では「すでにクリコへ到達した」と判断されたのか。
第2回では、571便の飛行経路と航空管制、当時の航法環境をたどりながら、この位置認識のずれがどのように墜落へつながったのかを整理する。
この記事で分かること
- なぜメンドーサからサンティアゴへ直線的に飛ばなかったのか
- マラルグエ、プランチョン峠、クリコは航路上でどんな意味を持っていたのか
- 571便はどこで位置を誤認したのか
- なぜ管制官は降下を許可したのか
- 悪天候は事故原因だったのか
- 事故調査で「人的要因」とされた意味
- 「単純なパイロットミス」だけでは説明しにくい理由
CASE FILE 30
ウルグアイ空軍571便アンデス遭難特集|全10回
- ウルグアイ空軍571便アンデス遭難とは?|45人を乗せた飛行機と16人が生還した72日間
- なぜ571便はアンデスに墜落したのか|飛行経路と「クリコ通過」誤認 【現在の記事】
- 墜落地点はどこだったのか|地図で見るアンデスの谷と捜索の死角
- 零下の機体でどう生き延びたのか|水・防寒・負傷者治療・役割分担
- 食料が尽きたとき、なぜ死者の肉を食べる決断をしたのか|飢餓と生存の選択
- 墜落16日後、雪崩が機体を埋めた|8人が死亡した第二の遭難
- 救助を待つのをやめた|尾部探索・無線の失敗・アンデス脱出への準備
- パラードとカネッサはどうアンデスを越えたのか|10日間の徒歩脱出
- 72日間の終わり|571便の16人はどう救助されたのか
- 『雪山の絆』はどこまで史実か|実在人物・記録・『生きてこそ』との違い
まず結論|571便は「まだ山の中にいる状態」で降下を始めた
事故原因を最も短くまとめるなら、571便は実際の位置より西へ進んでいると認識し、アンデスを越えた後に行うはずだった旋回と降下を早く始めてしまった。
乗員は、チリ側にあるクリコ付近まで進んだと管制へ報告した。しかし実際の機体は、まだアンデス山脈の中にいた。
この位置報告を受けたサンティアゴの航空管制側には、その情報が誤っていると判断する手段がほとんどなかった。当時、この山岳地域を航空管制レーダーで連続的に追跡できる環境ではなく、管制官は乗員から送られてくる位置報告を基に交通を管理していたからである。
そのため、「クリコへ到達した」という前提が乗員と管制の双方で共有される。
本来なら、そこから北へ向きを変えて高度を下げれば、機体はアンデス西側からサンティアゴ方面へ進むはずだった。
実際には、その前方にも高い山が残っていた。
メンドーサとサンティアゴの間にはアンデスがある
地図だけを見ると、アルゼンチンのメンドーサとチリのサンティアゴは東西に向かい合っている。そのため「そのまま西へ飛べばよい」と考えたくなる。
しかし航空機にとって、2地点の間にある地形が問題になる。
メンドーサ北西には標高6,000mを超える山々が並び、アコンカグアは約6,960mに達する。571便のFH-227Dには高高度を飛行する能力があったものの、乗客と荷物を積んだ状態で、この山域を余裕を持って直接越える航路を選ぶわけではなかった。
そこで使われていたのが、南へ大きく回るルートだった。
| 区間 | おおまかな進行方向 | 役割 |
|---|---|---|
| メンドーサ → マラルグエ | 南 | 高いアンデス山域を避けて南下 |
| マラルグエ → プランチョン峠 | 西~北西 | 比較的低い峠からアンデスを横断 |
| プランチョン峠 → クリコ | 西 | チリ側へ完全に抜ける区間 |
| クリコ → サンティアゴ | 北 | 山脈を越えた後に降下・進入 |
重要なのは、プランチョン峠を通っただけでは、まだ「クリコを通過した」ことにはならないという点である。
峠からクリコまでは、さらに西へ飛ばなければならない。その区間を終えて初めて、機体は山岳地帯から十分に離れ、北へ向きを変えてサンティアゴへの降下へ移れる。
571便では、この最後の区間の位置認識が崩れた。
前日、571便はアンデス越えを一度中止している
571便は10月13日にウルグアイを出発したわけではない。最初の出発は前日の10月12日だった。
しかしアンデス周辺の天候が悪く、その日のうちにサンティアゴへ向かうことは断念された。機体はアルゼンチンのメンドーサに着陸し、乗員と乗客はそこで一夜を過ごしている。
翌13日も山岳地域の天候は完全に安定したわけではなかった。571便は天候の改善を待ち、午後になってメンドーサを出発した。
この事実から、「危険な天候を無視して無理やり飛んだ」と単純化することはできない。
前日に飛行継続を断念していることからも、乗員が天候リスクを認識していたことは分かる。13日の飛行そのものも、設定された航空路を利用して山脈を越えようとしていた。
問題は、飛行を開始したことそのものより、雲によって地形を直接確認しにくい状況で、自機位置の認識を誤ったことにあった。
571便を操縦していたのは誰だったのか
事故当時の機長は、ウルグアイ空軍のフリオ・セサル・フェラーダ大佐だった。
フェラーダはアンデス横断を何度も経験していた飛行経験のある操縦士だった。一方、この区間で実際に操縦を担当していたのは副操縦士ダンテ・エクトル・ラグララで、フェラーダはその飛行を監督していたと複数の資料が伝えている。
この点は、「経験のない操縦士だけでアンデスへ入った」という理解とは異なる。
経験者が同じコックピットにいながら、位置認識の誤りを修正できなかった。
したがって事故を考えるときは、ラグララ個人の一回の操作だけを見るのではなく、コックピット全体として誤った位置情報が受け入れられ、そのまま管制へ伝えられた過程を見る必要がある。
マラルグエまでは、計画された航路を進んでいた
571便はメンドーサを出発すると、まず南へ向かった。
目的地はいったんサンティアゴから遠ざかる方向にあるマラルグエだった。そこから西へ針路を変え、プランチョン峠を通ってチリへ入る。
当時の航空路では、地上に設置された無線標識などを利用しながら、機体の進行方向と位置を判断していた。
現在の旅客機で一般的なGPSによる位置表示を想像すると、1972年の状況を誤解しやすい。
現在なら航空機の位置は衛星航法、慣性航法、地上無線施設など複数の情報を統合して高い精度で表示できる。航空管制側でも、多くの地域で機体位置を継続的に把握できる。
571便の時代は違う。
山岳地帯を雲の中で飛ぶ場合、乗員は無線航法設備、針路、速度、経過時間、風などの情報を組み合わせて現在位置を判断する必要があった。
つまり、見えている地形と航法情報をいつでも簡単に照合できるわけではなかった。
決定的な地点「クリコ」
事故を理解するうえで、最も重要な地名がチリのクリコ(Curicó)である。
クリコはアンデスの西側にある。計画通りなら、571便はプランチョン峠からさらに西へ飛び、クリコ付近へ到達した後に北へ旋回する。
つまり乗員にとって「クリコに到達した」という判断は、
「高いアンデス山脈を越え終えた」
という意味に近かった。
ところが571便は、実際にはクリコへ到達していない段階で、サンティアゴ管制へクリコ付近にいると報告した。
資料によって通信時刻の表記にはタイムゾーン上の差があるものの、一般に再構成されている経過では、プランチョン峠付近を通過した直後、ラグララはクリコ到達が間近だと報告し、その数分後にはクリコを通過したと伝えている。
しかし、通常ならプランチョン峠からクリコまでには、さらに十数分程度の飛行を要する。
この時間差は小さくない。
時速数百kmで飛行する航空機では、約10分の位置差は数十kmになる。山岳飛行でこの距離を「すでに通過した」と認識すれば、機体がいる地形そのものが変わってしまう。
なぜ「クリコまで来た」と判断したのか
ここは571便について最も注意して書く必要がある部分でもある。
一般的な解説では、「パイロットが飛行時間を計算し間違えた」「推測航法を誤った」と説明されることが多い。
しかし後年の資料では、乗員が単純に時計だけを見て位置を推測していたわけではなく、無線航法を利用していたことも指摘されている。
そのため、現存資料だけから
「時計の計算を何分間違えたため事故が起きた」
という一つの操作へ原因を限定するのは適切ではない。
確実に言えるのは、次の3点である。
- 実際にはまだアンデス山中にいた
- 乗員はクリコ付近へ到達したと管制へ報告した
- その位置報告を基に北への旋回と降下が始まった
つまり事故原因を考える際に重要なのは、位置誤認の内部メカニズムを断定することではなく、誤った位置認識が訂正されないまま飛行判断へ使われたことである。
なぜサンティアゴ管制は「そこはまだ山です」と止めなかったのか
ここで、もう一つ疑問が生まれる。
乗員が位置を間違えたとしても、航空管制官が実際の位置を確認して止めることはできなかったのか。
現在の航空管制を知っている読者ほど、そう感じるかもしれない。
しかし事故当時、この区間ではサンティアゴ側の管制官が571便の位置をレーダー画面上で連続的に確認していたわけではなかった。
管制側が持っている重要な情報の一つが、航空機自身から送られてくる位置報告だった。
したがって571便から
「クリコへ到達した」
と報告されれば、管制官はその位置を前提に次の指示を出す。
本当にクリコにいるのなら、その後の北への旋回と降下は不自然ではない。
問題は、正しい場所にいる航空機へ出せば正常な指示が、誤った位置にいる571便にとって危険な指示になったことである。
これは「管制官が山へ向かって降下させた」という意味ではない。
管制官が認識していた571便と、現実の571便の位置が違っていたのである。
降下許可が事故を作ったのではない
571便はクリコを通過したと報告した後、サンティアゴへの進入に向けて降下許可を求めた。
管制側はこれを許可した。
この場面だけを切り取ると、「管制が誤って降下を許可した」と見える。
しかし管制官の認識上、571便はすでにアンデス西側へ抜けていた。
その位置からサンティアゴへ向かうなら、高度を下げていくこと自体は通常の飛行手順の一部になる。
したがって事故の因果関係は、
降下許可 → 墜落
という単純なものではない。
より正確には、
位置誤認 → 誤った位置報告 → 管制側もその位置を前提化 → 北への旋回・降下 → 山岳地帯で地形と接触
という連鎖で考える必要がある。
雲が「誤りに気づく最後の手段」を奪った
位置認識を間違えても、晴天なら周囲の地形を見て「まだ山の中にいる」と気づけた可能性がある。
571便では、その視覚的な確認も難しかった。
アンデスは雲に覆われ、乗員は眼下や前方の山岳地形を継続して確認できない状況で飛行していた。
ここで重要なのは、「雲が事故原因だった」ということではない。
雲は位置誤認を生み出した唯一の要因ではない。だが、航法上の認識と実際の地形が食い違っていることを目視で発見する防護層を失わせた。
計器上では「山を越えた」と考えている。
管制も同じ前提で動いている。
そして窓の外からは、その前提が間違っていることを確認できない。
この条件が揃ったまま、機体は高度を下げていった。
雲を抜けたとき、目の前に山があった
降下中、571便は強い乱気流に遭遇した。
やがて雲の下へ出た機内から、周囲の山が見えるようになる。
そこで初めて、乗員と乗客の目の前に高い稜線が現れた。
機体は上昇して山を越えようとした。しかし、この段階では高度も距離も不足していた。
Smithsonianの『Air & Space』に掲載された元ウルグアイ空軍技術者による事故再構成では、まず右主翼側が山へ接触して損傷し、その後、機体後部や反対側の翼も失われたとされる。
残った胴体はそのまま雪の斜面へ落下し、雪面を高速で滑った。
通常の航空機事故なら、ここで機体は完全に破壊されても不思議ではなかった。
しかし571便では、胴体前部の一部が形を保ったまま雪上を滑走し、最終的に停止した。
この偶然が、多数の人間が衝突直後に生き残った理由の一つになった。
事故調査は「人的要因」と分類している
現在ウルグアイ空軍が公開している航空事故記録では、1972年10月13日のF-H-227-571の事故について、
- 分類:重大事故
- 機体:修復不能
- 場所:アンデス
- 原因要因:FACTOR HUMANO(人的要因)
と記録されている。
したがって、この事故について「原因不明」とするのは適切ではない。
乗員側の位置判断と、それに基づく飛行操作が事故成立の中心にあったことは、公式記録とも整合する。
ただし「人的要因」という分類を、
「副操縦士が一度ミスした。それだけで墜落した」
と読み替えるのも正確ではない。
571便は一つのミスだけで墜落したのか
事故を構造として見ると、複数の条件が重なっている。
| 要素 | 571便で起きていたこと | 事故への意味 |
|---|---|---|
| 位置認識 | クリコへ到達したと判断 | 実際より西側にいる前提となった |
| 位置報告 | 誤った位置を管制へ報告 | 管制側も同じ位置認識を共有した |
| 管制監視 | 山岳区間をレーダーで直接確認できない | 位置報告の誤りを外部から検出できなかった |
| 視界 | 雲が山岳地形を覆っていた | 実際の位置を目視で確認しにくかった |
| 旋回・降下 | アンデスを抜けた前提で実施 | 山岳地帯の中で高度を失った |
| 発見 | 地形が見えた時点では山が至近 | 回避できる時間・高度が不足した |
どれか一つだけを切り取るより、この連鎖を見る方が事故の実態に近い。
特に重要なのは、最初の誤った位置認識が後段で訂正されなかったことである。
航空安全では、一人が間違えないことだけに依存すると事故を防ぎにくい。
人は誤ることがある。そのため現在の航空では、位置表示、地形警報、レーダー監視、標準化された手順など、誤りがあっても次の仕組みで検出する考え方が重視される。
571便が飛んだ1972年には、現代機で使われている衛星航法や地形警報装置のような支援システムは存在していなかった。
「機体の性能不足が原因」という説明にも注意が必要
FH-227Dについては、後世の資料で「Lead Sled(鉛のそり)」という俗称が紹介されることがある。そのため「性能の低い飛行機だったから山を越えられなかった」と説明される場合もある。
しかし、この説明も事故原因としては単純すぎる。
571便は、FH-227Dの性能を前提としてプランチョン峠を通る航空路を選択していた。
つまり問題は、
「本来越えられない山へ無理に上昇した」
ことではない。
本来は安全な航空路に沿って山脈を抜けてから降下するはずだった機体が、山脈を抜けたと誤認して早く降下したことが中心である。
最後に山を発見した時点で機体の上昇性能が回避可能性を左右したことと、事故を発生させた原因とは分けて考える必要がある。
「悪天候」「パイロットミス」「管制ミス」のどれなのか
571便について一語だけで原因を表すなら、公式記録に従えば「人的要因」となる。
しかし読者が事故の仕組みを理解するためには、それだけでは情報が足りない。
悪天候だけなら、予定された航空路を正確に飛び続ければ必ず墜落するわけではない。
管制官の降下許可だけを原因とすることもできない。管制官は571便から送られてきた位置情報を前提としていた。
機体性能だけでも説明できない。本来のルートはFH-227Dでアンデスを越えるために設定されたものだった。
事故を成立させた中心は、
自機位置を実際より西側と認識し、その誤りが乗員・管制・視界のいずれによっても修正されないまま、旋回と降下へ進んだこと
だったと整理するのが妥当である。
位置の誤りは、墜落後の捜索にも影響した
この航法上の誤りには、事故後にも影響が残った。
571便が最後に管制へ伝えていた情報では、機体はクリコを通過してサンティアゴ方向へ進んでいることになっていた。
しかし実際の墜落地点は、そこから東側のアンデス山中だった。
つまり捜索側は、事故発生直後から正確な墜落地点を持っていたわけではない。
加えて現場は雪に覆われ、機体の残骸も白い雪原の中へ埋もれるように存在していた。
捜索機が上空を通過しても、生存者たちは発見されなかった。
571便の位置誤認は、飛行機を山へ向かわせただけではない。
「どこで消えたのか」という事故後の探索にも、不確実性を残した。
次の第3回では、事故地点を現在の地図と当時の飛行経路から確認する。プランチョン峠、クリコ、実際の墜落地点、サンティアゴを一つの地図上へ置くと、なぜ捜索が難しかったのかがさらに分かりやすくなる。
まとめ|山にぶつかった原因は「山が見えなかった」だけではない
ウルグアイ空軍571便は、アンデス山脈を無計画に横断していたわけではない。
メンドーサからマラルグエへ南下し、比較的低いプランチョン峠を通り、クリコへ到達してから北へ向かうという航空路が設定されていた。
事故当日も571便はそのルートを進んでいた。
しかし途中で、自機が実際より西へ進んでいると認識された。
まだアンデス山中にいる状態でクリコ到達が管制へ報告され、その情報を基に北への旋回と降下が始まった。
管制側には、この位置報告をレーダーで直接訂正する情報がなかった。さらに雲によって、乗員自身も地形から誤りを発見しにくかった。
そして雲の下へ出たときには、すでに山が目前に迫っていた。
ウルグアイ空軍の現在の事故記録は、この事故を「人的要因」に分類している。
ただし事故の理解として重要なのは、誰か一人を「間違えた人」として終わらせることではない。
最初の位置誤認が、なぜ次の段階で修正されなかったのか。
571便は、その問いを見ることで初めて事故の構造が見えてくる。
そして、その誤った位置情報は事故後にも残った。
次回は、571便が実際にはどこへ墜落したのかを地図上で追う。
前の記事:
第1回|ウルグアイ空軍571便アンデス遭難とは?|45人を乗せた飛行機と16人が生還した72日間
次の記事:
第3回|墜落地点はどこだったのか|地図で見るアンデスの谷と捜索の死角
特集全記事
- ウルグアイ空軍571便アンデス遭難とは?|45人を乗せた飛行機と16人が生還した72日間
- なぜ571便はアンデスに墜落したのか|飛行経路と「クリコ通過」誤認 【現在の記事】
- 墜落地点はどこだったのか|地図で見るアンデスの谷と捜索の死角
- 零下の機体でどう生き延びたのか|水・防寒・負傷者治療・役割分担
- 食料が尽きたとき、なぜ死者の肉を食べる決断をしたのか|飢餓と生存の選択
- 墜落16日後、雪崩が機体を埋めた|8人が死亡した第二の遭難
- 救助を待つのをやめた|尾部探索・無線の失敗・アンデス脱出への準備
- パラードとカネッサはどうアンデスを越えたのか|10日間の徒歩脱出
- 72日間の終わり|571便の16人はどう救助されたのか
- 『雪山の絆』はどこまで史実か|実在人物・記録・『生きてこそ』との違い
今回出てきた言葉
- プランチョン峠(Paso del Planchón)
- アルゼンチンとチリの国境を越えるアンデスの峠。571便の計画航路では、マラルグエから西へ進んでここを越え、さらにクリコへ向かうことになっていた。
- クリコ(Curicó)
- チリ中部の都市。571便にとって、アンデスを越えた後に北へ旋回してサンティアゴへ向かうための重要な航法地点だった。
- 位置報告
- 航空機が管制機関へ自機の位置などを知らせる通信。レーダー監視がない区間では、航空管制側が航空機の状況を把握する重要な情報になる。
- FL180
- Flight Level 180の略。標準気圧を基準とする飛行高度で、おおむね18,000フィートに相当する。571便のアンデス横断時の高度として資料に記録されている。
- 人的要因
- 事故原因・寄与要因のうち、人間の判断、操作、認知、情報伝達などに関係するもの。ウルグアイ空軍の事故記録ではFAU 571は「FACTOR HUMANO」に分類されている。
出典・参考資料
-
Fuerza Aérea Uruguaya — Registro histórico de accidentes
1972年10月13日のF-H-227-571について、重大事故、修復不能、アンデス、原因要因「FACTOR HUMANO」とするウルグアイ空軍の公式記録確認に使用。 -
Smithsonian Air & Space Magazine — The Ghost of FAU 571
FH-227、乗員の飛行経験、アンデス横断、機体が山岳へ接触してから胴体が雪面へ停止するまでの事故再構成確認に使用。 -
Matt J. Rossano — The Crash of Flight UAF 571, Columbia University Press / Oxford Academic
クリコ通過の位置認識と実際の位置との差、降下開始と事故との関係を確認する補助学術資料として使用。 -
National Geographic — “Society of the Snow” is based on a true story. Here’s what really happened.
ラグララが操縦を担当していたこと、フェラーダとラグララによる位置認識の誤り、降下後に山岳へ衝突した経過の確認に使用。 -
Museo Aeronáutico — Fuerza Aérea Uruguaya「FAIRCHILD 227-D」
事故機FH-227Dとウルグアイ空軍での運用に関する機種情報の確認に使用。
本記事は、ウルグアイ空軍の公式事故記録を基礎に、航空史資料・学術資料・報道資料を照合して構成しています。571便の位置誤認については資料ごとに「推測航法」「無線航法」「位置判断」と説明の粒度が異なるため、原因を特定の一操作へ限定せず、確認できる「クリコ到達の誤認と、それに続く旋回・降下」を中心に整理しています。また通信時刻は資料によってタイムゾーン表記に差があるため、本文では必要以上の秒・分単位の断定を避けています。