オスロ政府庁舎で爆弾が爆発してから約1時間半後。
実行犯が向かったのは、首都から北西へ約40km離れたティリフィヨルド湖(Tyrifjorden)に浮かぶ小さな島だった。
島の名前はウトヤ島(Utøya)。
面積は約10ヘクタールほどで、対岸との間には約625mの水面がある。
2011年7月22日の午後、この島にはAUFのサマーキャンプ参加者やスタッフなど564人が滞在していた。
事件を時系列だけで読むと、「犯人が島へ渡り、警察が後から追った」という単純な構図に見える。
しかし地図を見ると、状況はかなり違って見える。
逃げるにも、助けに行くにも、警察が突入するにも、最後には湖を越えなければならない。
しかも島内には森、建物、崖、水際、細い道が点在していた。
この地理が、7月22日の約1時間を理解するための重要な前提になる。
- ウトヤ島がノルウェーのどこにあるのか
- 本土と島の間がどれくらい離れているのか
- 2011年当時、島内にどのような建物・場所があったのか
- 本土側船着場と島側船着場がなぜ重要だったのか
- なぜ湖が避難と救助の両方に影響したのか
- 警察が「島へ行く」ために何を必要としたのか
- 現在のウトヤ島と2011年当時の島を同一視できない理由
CASE FILE 25|2011年ノルウェー連続テロ事件特集(全10回)
2011年7月22日、オスロ政府庁舎への爆破とウトヤ島での銃撃によって77人が死亡した。
この特集では、2地点の攻撃、ウトヤ島の地理、警察対応、救助、公式調査、裁判、そして事件後のノルウェーまでを全10回で追います。
- 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
- 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
- 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
-
第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理【現在の記事】
- 第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う
- 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題
- 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
- 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
- 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
- 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在
先に結論|ウトヤ島は「歩いて逃げられない現場」だった
ウトヤ島の地理で最初に押さえるべきなのは、島が本土から完全に水面で隔てられていることである。
22 July Commissionによると、島と本土側船着場の間は約625m。
通常はAUFが運航するフェリーMS Thorbjørnなどで行き来し、航行にはおよそ7~8分かかった。
600m余りという数字だけなら、それほど遠くないようにも見える。
しかし銃撃が続く非常事態では意味が変わる。
島から道路へ逃げることはできない。
徒歩で橋へ向かうこともできない。
島を離れるには船を使うか、自力で湖へ入る必要があった。
逆に警察や救急が島へ入る場合も同じである。
道路をどれだけ速く走って現場近くまで到達しても、最後の約625mは水上輸送になる。
この一点だけでも、ウトヤ島事件が通常の市街地での銃撃事件とは異なる条件下で起きたことが分かる。
ウトヤ島はどこにあるのか
ウトヤ島はノルウェー南東部、Buskerud県Hole自治体のティリフィヨルド湖にある。
オスロ中心部からは直線距離でおよそ40km圏に位置する。
周辺にはSundvollen、Storøya、Utvikaなどがあり、湖沿いを道路が走っている。
ウトヤ島へ渡る通常の入口となるのが、本土側のUtøykaiaと島側の船着場である。
Google Mapでウトヤ島の位置を確認する
ウトヤ島はティリフィヨルド湖に浮かぶ島で、オスロ中心部から北西方向へ約40km圏に位置する。現在のGoogle Mapは位置確認用であり、2011年当時の建物配置を完全に示すものではない。
地図を縮小すると、オスロとの距離だけでなく、ウトヤ島が大きな湖の東側にあり、周辺の道路網から最後だけ切り離されていることが分かる。
この「道路でかなり近くまで行けるが、最後は船が必要」という構造が、後の警察行動で重要になる。
島は大きくない|2011年午後には564人がいた
ウトヤ島は大きな島ではない。
資料によって面積表記に若干の差はあるが、およそ10ヘクタール規模の島である。
22 July Commissionによれば、2011年7月22日の午後には564人が島内にいた。
AUFの全国各地のメンバー、スタッフ、警備関係者などがサマーキャンプに参加していた。
ただし、564人が一か所に集まっていたわけではない。
島には建物、テントサイト、森、道路、水際、岩場などがあり、人々は複数の場所に分散していた。
これは事件が始まったあとに重要な意味を持つ。
一つの建物から一斉避難する火災などとは違い、人々は島内のさまざまな方向へ逃げ、その位置を外部の警察が正確に把握することも難しかった。
船着場から丘を上がるとHovedhusetがあった
2011年当時、島へ到着する人は船着場から坂道を上って島内へ入っていった。
22 July Commissionの写真資料にも、船着場からHovedhuset(本館)へ上る道が記録されている。
実行犯もこのルートを使った。
警察官のような制服を着て本土側からMS Thorbjørnに乗り、17時17分ごろ島へ到着した後、船着場からHovedhuset方向へ移動している。
ここで重要なのは、島への「正式な入口」が事実上かなり限定されていたことである。
通常の来訪者はフェリーで到着し、同じ船着場から島内へ入る。
つまり犯人は森の中や湖岸から密かに上陸したわけではない。
AUFが日常的に使っていた正規のアクセス経路から島へ入った。
2011年当時の主要地点を整理する
現在のウトヤ島には事件後に新しい建物や追悼・学習施設が整備されている。
そのため現在の地図だけを見て、2011年の島内構造をそのまま想像すると位置関係を誤る可能性がある。
2011年当時の事件記録を読むうえで、最低限押さえておきたい地点は次のとおりである。
| 地点 | 役割・特徴 |
|---|---|
| 船着場 | 本土からフェリーが到着する島の主要な出入口 |
| Hovedhuset | 船着場から坂を上った場所にある本館 |
| Kafébygget | 集会・食事などに使われていた主要建物。現在は一部がHegnhuset内に保存されている |
| テントサイト | サマーキャンプ参加者の多くが宿泊していた開けた区域 |
| Skolestua | 島内にあった建物の一つ。事件記録にも登場する |
| Pumpehuset | 湖岸付近の施設。多数の人が水際周辺へ避難した区域の一つ |
| Kjærlighetsstien | 島の周縁部を通る小道。事件時の移動・避難経路として記録に登場する |
| Sydspissen | 島の南端。水際や森へ逃れた人々がいた区域 |
これらの場所を全部暗記する必要はない。
重要なのは、島の中央部だけに人がいたのではなく、建物から森へ、森から岸辺へ、さらに湖へと逃げる方向が複数存在したことである。
森は隠れる場所になったが、「出口」ではなかった
ウトヤ島には木々が多く、島の周縁部にも森や岩場がある。
銃撃が始まると、人々は建物の中だけではなく、木々の間、岩陰、水際などにも逃げた。
視界を遮る森は、犯人から姿を隠すうえでは意味を持った。
しかし、森を抜けた先に一般道路があるわけではない。
島の端まで逃げても、その先は湖である。
つまりウトヤ島では、通常なら「建物から外へ逃げれば安全」という考え方が成立しなかった。
建物から逃げる。
森へ入る。
島の反対側へ移動する。
岸辺まで下りる。
どの方向へ進んでも、最終的に島そのものから離れようとすれば、水面という新しい障害にぶつかる。
625mの湖は「壁」であると同時に「逃走路」になった
本土まで約625m。
この距離は、事件時には二つの意味を持った。
一つは隔離である。
徒歩では島外へ避難できない。
船がなければ、警察も救急も直接島へ入れない。
もう一つは逃走の可能性だった。
銃撃から逃れるため、湖へ飛び込み、本土方向へ泳いだ人もいた。
だが、「600m程度なら泳げる」と単純には考えられない。
服を着た状態で突然湖へ入り、強いストレス下で泳ぐことになる。水温、疲労、負傷、泳力なども人によって違う。
その一方、本土や周辺の湖上にいた民間人は、自らの船で島へ近づき、逃げてきた人々の救助を始めた。
したがって湖は、事件の間ずっと単純な障害だったわけでもない。
犯人から人々を閉じ込める地形である一方、島外へ脱出する数少ない経路であり、外部から救助者が接近する経路でもあった。
この民間救助については第7回で詳しく扱う。
警察も最後の625mを越える必要があった
警察にとっても地理条件は同じだった。
オスロから車両でウトヤ周辺まで到着することはできる。
しかし車両で島へ乗り入れることはできない。
最終的には人員と装備を船へ移し、水上を横断しなければならない。
22 July Commissionによると、最初の警察官が本来のUtøya brygge landsiden、つまりウトヤ島の対岸にある本土側船着場へ到着してから、警察部隊が実際に島へ上陸するまでには約35分を要した。
しかも、その途中で警察の集合地点が変更された。
対テロ部隊側には、当初の本土側船着場ではなく、その約3.6km北にあるStorøya付近が新たな集合地点として伝えられた。
船を準備していた側には変更が十分共有されず、車両部隊と船側で位置認識がずれるという問題も起きた。
これは「625mを渡るのに35分かかった」という単純な問題ではない。
道路上の移動、集合地点、通信、利用する船、人員の集結、乗船、湖上移動という複数段階が存在していた。
なぜこのような時間を要したのかは、第6回で警察側の行動として詳しく検証する。
| 位置 | ノルウェー・Hole自治体、Tyrifjorden |
| オスロから | 北西方向へ約40km圏 |
| 規模 | 約10ヘクタール規模 |
| 本土側船着場との距離 | 約625m |
| 通常のフェリー所要 | 約7~8分 |
| 2011年7月22日午後の島内人数 | 564人 |
| 通常のアクセス | 本土側船着場からフェリーで島側船着場へ |
2011年の地図と現在のウトヤ島は同じではない
現在Google Mapや航空写真でウトヤ島を見る場合には、もう一つ注意が必要である。
事件後、AUFはウトヤ島を再び活動の場として使用することを決め、施設の再整備を進めた。
2015年にはサマーキャンプがウトヤ島へ戻っている。
2016年には、学習・記憶施設Hegnhusetが完成した。
この建物は、2011年当時のKafébyggetの一部を保存し、その周囲を新しい建築で囲む構造になっている。
島の北側には、69人を追悼する「Lysningen(The Clearing)」と呼ばれる追悼空間も整備された。
つまり、現在のウトヤ島は事件現場がそのまま凍結保存されているわけではない。
2011年以前から存在する場所、保存された部分、事件後に新設された建物や追悼施設が重なっている。
そのため本特集で2011年当時の移動経路を扱うときは、現在のGoogle Mapだけではなく、22 July Commissionが作成した当時の地図や現場記録を優先する。
Google Mapは、ウトヤ島・本土・Tyrifjordenの大きな位置関係を理解するには有効です。
一方で、2011年当時の
- 建物配置
- テントサイト
- 当時のKafébygget
- 警察・避難者の具体的な移動経路
を現在の地図からそのまま読み取ることはできません。
事件当時の細かな位置関係については、22 July Commissionの現場図を優先します。
この地理を知ってから時系列を見ると意味が変わる
ウトヤ島事件の記録には、Hovedhuset、Kafébygget、Pumpehuset、Kjærlighetsstien、Sydspissenといった多くの地名が登場する。
名前だけを連続して読んでも、事件の動きを理解するのは難しい。
船着場から島へ入る。
丘を上がる。
中央部の建物やテント周辺から人々が逃げる。
森や島の周縁部へ分散する。
一部は岸辺へ下り、さらに湖へ入る。
その外側では、民間船が島へ向かい、警察部隊も別の船で上陸を試みていた。
つまり7月22日のウトヤ島では、島内の移動と、湖を越える移動が同時進行していた。
この構造が分かると、第5回で扱う「17時21分から18時34分まで」の時系列が、単なる時刻の羅列ではなくなる。
まとめ|ウトヤ島では「島であること」自体が事件の条件になった
ウトヤ島はTyrifjordenに浮かぶ小さな島で、本土側の船着場とは約625mの水面で隔てられている。
2011年7月22日の午後には564人が島内にいた。
通常であれば、その625mはフェリーで7~8分ほどの距離にすぎない。
しかし銃撃事件では、それが物理的な境界になった。
人々は道路へ走って逃げることができず、森や建物、水際へ分散した。
島外へ出るには船か水泳が必要だった。
同じ制約は救助側にも警察側にも存在した。
周辺道路へ到着することと、事件現場へ到着することは同じではない。
最後には必ず湖を越えなければならなかった。
この地理を前提にして、次回は事件当日の時間軸へ戻る。
17時17分の上陸、17時21分ごろの最初の銃撃から、18時34分の逮捕まで。
島内のどこで、どの順番で状況が変化していったのかを公式記録から再構成する。
CASE FILE 25|全10回
- 第1回 2011年ノルウェー連続テロ事件とは?|オスロとウトヤ島で77人が犠牲になった「22 July」
- 第2回 なぜ政府庁舎とAUFが狙われたのか|ブレイビクの極右思想と政治的標的化
- 第3回 オスロ政府庁舎爆破で何が起きたのか|最初の攻撃と首都中心部の混乱
- 第4回 ウトヤ島はどんな場所だったのか|AUFサマーキャンプと島・湖・船着場の地理【現在の記事】
- 第5回 ウトヤ島で何が起きたのか|銃撃開始から逮捕までを時系列で追う
- 第6回 なぜ警察のウトヤ島到着は遅れたのか|通報・指揮・移動・連携の問題
- 第7回 ウトヤ島からどう逃げ、生き延びたのか|湖への避難と民間人・救急隊の救助
- 第8回 22 July Commissionは何を失敗と認定したのか|防げた可能性とノルウェーの危機管理
- 第9回 ブレイビク裁判で何が争われたのか|責任能力と「21年」の予防拘禁
- 第10回 22 Julyはノルウェーに何を残したのか|改革・記憶・追悼施設の現在
出典・参考資料
-
22 July Commission
NOU 2012:14「Report of the 22 July Commission」Chapter 2 / Chapter 7 / Chapter 9
2011年当時のウトヤ島、島内人数564人、船着場、MS Thorbjørn、本土まで約625m、警察の進入経路と集合地点について確認。 -
22 July Centre
「About Utøya」
Utøyaの所在地、Tyrifjorden、AUFと島の歴史、現在の位置付けについて確認。 -
22 July Centre
「What happened on 22 July, 2011? | Timeline」
実行犯の本土側船着場到着、MS Thorbjørnによる移動、島への上陸時刻を確認。 -
Utøya
「The Learning Centre / Hegnhuset」
事件後に建設されたHegnhuset、保存されたKafébyggetの一部、現在の学習施設について確認。 -
Utøya
「Commemoration」
島北側の追悼空間Lysningenと、現在の追悼活動について確認。 -
Store norske leksikon
「Utøya」
島の規模、所在地、現在の施設構成などの地理的基本情報を補助確認。
資料について:
本記事では現在のGoogle Mapを「ウトヤ島・本土・Tyrifjordenの大きな位置関係を把握するための地図」として使用しています。
2011年当時の建物配置や人・警察の具体的移動については、現在の地図ではなく22 July Commissionの現場図・写真・記録を優先しています。
また、島の面積は資料間で表記差があるため、本文では約10ヘクタール規模として扱い、事件理解に直接重要な本土側船着場との距離約625mと、当時の島内人数564人を公式調査資料に基づいて記載しています。