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吹雪のサウス・コルで誰が救われたのかアナトリ・ブクレーエフの救助とベック・ウェザーズの生還

吹雪のサウス・コルで誰が救われたのか|アナトリ・ブクレーエフの救助とベック・ウェザーズの生還

山岳遭難

1996年5月10日深夜。

標高約8,000mのサウス・コルで、
複数の登山者が吹雪の中に取り残されていた。

Camp IVのテントは遠くない。

しかし暗闇と雪で方向が分からず、
一部の登山者には数百メートルを歩く力さえ残っていなかった。

動ける者がCamp IVへ向かい、
助けを呼ぶことになった。

その知らせを受けて、
Mountain Madnessのガイド、アナトリ・ブクレーエフが
再び吹雪の中へ出ていく。

彼は一度では遭難者を見つけられなかった。

戻って位置を確認し、
もう一度外へ出た。

そしてCharlotte Fox、Sandy Hill、Tim Madsenを
Camp IVへ連れ戻した。

しかし全員を救うことはできなかった。

難波康子とBeck Weathersは雪上に残された。

翌朝、2人は生存不能と判断された。

その数時間後、
Camp IVの外にいる登山者たちの前へ、
死亡したと思われていたWeathersが自力で歩いて現れる。

CASE FILE 24

1996年エベレスト大量遭難特集(全10回)

1996年春のエベレストで起きた大量遭難を、商業登山隊の構成、南東稜の地形、
5月10日の登頂行動、下降中の悪天候、サウス・コルでの救助、
Hall隊とFischer隊それぞれの最終局面、北側の遭難、事故後の原因論争まで順番に追います。

先に結論|救助を左右したのは「まだ歩けるか」だった

サウス・コルでの救助を理解するとき、
低地の遭難救助と同じ感覚で考えることはできない。

救助車両は来ない。

担架を持った大規模な救助隊もすぐには来ない。

標高約8,000mでは、
救助する側の人間自身も低酸素と疲労にさらされている。

その状況で最も大きな違いになったのは、
救助される側が補助を受けながらでも
自分の足で歩けるかどうかだった。

ここで、South Colがエベレスト南東稜のどこに位置するかを確認しておく。


エベレスト周辺の概略地形図。南東稜の標準南ルートとSouth Colを示す

地形図|エベレスト南東稜とSouth Col
図中の「South Col(Südsattel)」が、1996年各隊のCamp IVが置かれていた高所鞍部にあたる。
オレンジの点線は一般的な南側標準ルートの概略であり、South Colから山頂側へ続く南東稜との位置関係を確認できる。
この図は1996年5月10〜13日の救助行動を再現したものではなく、Boukreevが捜索した正確な位置、遭難者が集まっていた地点、Camp IV内のテント配置、Weathersの実際の下降線を示さない。
画像:Kino / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

Boukreevが発見したMountain Madnessの3人は、
極度に衰弱していたが、
励まされ、支えられれば歩くことができた。

一方、難波康子とBeck Weathersは、
当時の救助者からは歩いてCamp IVまで戻せる状態ではないと判断された。

この違いが、
その夜の救助結果を大きく分ける。

Camp IVへ戻った一行は、Boukreevへ位置を伝えた

吹雪の中をSouth Colでさまよっていた一行は、
一時的に天候が弱まったことでCamp IVの方向を確認した。

まだ歩ける者はテントへ向かった。

Neal Beidleman、Lene Gammelgaard、
Michael Groom、Klev Schoeningらは、
ほとんど残っていない体力でCamp IVへ到達した。

しかし全員が戻ったわけではない。

吹雪の中には、
Charlotte Fox、Sandy Hill、Tim Madsen、
難波康子、Beck Weathersらが残っていた。

Camp IVで彼らを待っていたBoukreevは、
戻ってきたBeidlemanらから
残された登山者のおおよその位置を聞いた。

正確な座標ではない。

「どちらの方向へ、どの程度進んだ場所か」
という地形上の説明だった。

その情報だけを頼りに、
Boukreevは夜のSouth Colへ戻っていく。

最初の捜索では、誰も見つけられなかった

Boukreevは温かい飲み物や酸素などを用意し、
Camp IVを出た。

しかし最初の捜索では、
遭難者の集団を発見できなかった。

距離としては遠くなかったと考えられている。

それでも見つからない。

これは前回の記事で見た、
「Camp IVの近くにいながらテントを発見できなかった」
という状況と同じ問題である。

暗闇。

雪。

強風。

広い白いSouth Col。

そこでは、
数十m位置がずれるだけでも
人間の姿を発見できない可能性がある。

BoukreevはいったんCamp IVへ戻った。

「どこにいるのか」をもう一度聞き直した

Camp IVへ戻ったBoukreevは、
Lene Gammelgaardらに位置をもう一度確認した。

Gammelgaardの後年の証言では、
Boukreevは遭難者を発見できなかったことに苛立ち、
より具体的な方向を求めていた。

彼女たちは、
自分たちが歩いてきた地形を思い出しながら
残された人々の位置を説明した。

Boukreevは再び外へ出た。

今度は、
遭難者たちを発見する。

Boukreevが見つけた時、全員の状態は同じではなかった

集団の中には、
まだ反応できる者と、
ほとんど反応を失っている者がいた。

Sandy Hill、Charlotte Fox、Tim Madsenは、
自力でCamp IVへ戻れる状態ではなかったものの、
Boukreevの助けを受ければ歩ける可能性が残っていた。

難波康子とBeck Weathersは、
より深刻な状態だった。

ここでBoukreevができることには限界があった。

5人全員を一度に連れて戻ることはできない。

一人を背負って運ぶことも現実的ではない。

Boukreev自身も、
同じ日にエベレスト山頂へ登り、
すでに長時間高所で活動している。

救助者にも残存体力という限界があった。

最初にCharlotte FoxをCamp IVへ戻した

Sandy Hillの証言によれば、
Boukreevはまず遭難者たちへ温かい飲み物を与え、
酸素を残した。

そのうえで、
Charlotte Foxを先にCamp IVへ連れていくことにした。

Foxは自力では何度も崩れ落ちる状態だった。

Boukreevは腕を組み、
身体を支えながら、
彼女を立たせ続けた。

Fox自身は後に、
Camp IVまで自分の足で歩いたことを覚えている。

ただし、
一人で歩けたわけではない。

座り込みそうになるたび、
Boukreevに引き起こされながら進んだ。

Camp IVへ入ると、
温かい飲み物とテント、
そして風を遮る空間があった。

South Colの雪上とCamp IVの間にある違いは、
距離以上に大きかった。

Boukreevは、もう一度外へ戻った

FoxをCamp IVへ戻したあと、
Boukreevの救助は終わらなかった。

South Colには、
Sandy HillとTim Madsenらがまだ残っている。

Boukreevは再び吹雪の中へ出た。

その後、
HillとMadsenもCamp IVへ戻すことに成功した。

PBS FRONTLINEでは、
Boukreevは最初の捜索を含め複数回South Colへ出て、
最終的に3人を救助したと整理している。

全員を戻したあと、
Boukreev自身も疲労のため動けなくなった。

もう一度同じ救助を行う余力は残っていなかった。

FACT CHECK|Boukreevは「一度だけ外へ出て3人を連れ帰った」のではない

映画や短い記事では、
Boukreevが吹雪へ出て一度に3人を救ったように描かれることがある。

PBS FRONTLINEの生存者証言では、
最初の捜索では遭難者を発見できずCamp IVへ戻り、
位置を確認したうえで再び捜索している。

その後も複数回に分けて、
Charlotte Fox、Sandy Hill、Tim MadsenをCamp IVへ戻した。

つまり救助は、
「発見して3人をまとめて連れ帰る」という一回の行動ではなく、
Camp IVと遭難地点を繰り返し往復する活動だった。

なぜ難波康子とBeck Weathersは残されたのか

ここは、この救助を理解するうえで最も慎重に扱う必要がある。

BoukreevはMountain Madnessの3人を救助した。

一方、
Adventure Consultantsの難波康子とBeck Weathersは
その場に残された。

結果だけを見ると、
「自分の隊の顧客だけを救った」
ようにも見える。

しかし資料から確認できる状況は異なる。

当時、
難波とWeathersはほとんど反応がなく、
死亡している、または救命できない状態と判断されていた。

Adventure Consultants自身の事故記録でも、
Boukreevは2人を死亡していると判断したと記している。

加えて、
標高約8,000mでは自分で歩けない人間を
一人の救助者が運ぶことはほぼできない。

そのため、
所属だけを理由に救助対象を選んだと断定する根拠はない。

5月11日朝|難波とWeathersの状態が再確認された

夜が明けると、
Camp IVではまだ戻っていない人間の確認が始まった。

難波康子とBeck Weathersは、
依然としてSouth Colの雪上にいた。

現場へ行った登山者たちは、
2人を死亡しているか、
救命できない状態と判断した。

ここで重要なのは、
「医療機関で死亡確認された」という意味ではないことである。

場所は標高約8,000m。

十分な診察機器もない。

救助者も疲労している。

呼び掛けへの反応、身体状態、
呼吸や動きなどから判断するしかなかった。

難波はそのまま死亡した。

Weathersについても、
救助可能性はないと考えられた。

FACT CHECK|Beck Weathersは「一度死んで蘇生した」のではない

Weathersの生還は、
「死亡確認後に生き返った」
と表現されることがある。

これは正確ではない。

WeathersはSouth Colで意識を失い、
複数の登山者から死亡している、
または生存不能な状態と判断された。

しかし病院で医学的な死亡確認を受けたわけではない。

実際には極度の低体温と凍傷の状態で生存しており、
後に意識を回復した。

したがって本記事では、
「死亡したと判断された」
「生存不能と判断された」
と表現する。

Weathersは意識を取り戻した

Weathers自身の証言では、
意識を取り戻したとき、
妻と子どもの姿を強く思い浮かべたという。

それが、
もう一度動こうとするきっかけになった。

身体はまともな状態ではなかった。

顔は腫れ、
目はほとんど見えない。

両手には深刻な凍傷を負っていた。

それでもWeathersは立ち上がった。

そして風向きや地形の感覚を頼りに、
Camp IV方向へ歩き始めた。

NOVAの当時報告では、
Camp IVにいたTodd Burlesonが外を見ると、
すでに死亡したと思われていたWeathersが
腕を不自然に広げた状態で歩いてくる姿が見えたと記録されている。

それは救助隊が彼を見つけた場面ではない。

Weathers自身が、
雪上からCamp IVまで戻ってきた場面だった。

Camp IVへ戻っても、生還はまだ決まっていなかった

WeathersがCamp IVへ到着した時点でも、
生存できる保証はなかった。

重度の凍傷。

長時間の低体温。

極端な脱水と疲労。

そしてまだ標高約8,000mにいる。

Todd BurlesonやPete Athansら、
他の遠征隊から上がってきた登山者たちが
酸素や保温などの処置を始めた。

PBSの記録では、
Alpine Ascents Internationalをはじめ、
複数の遠征隊がこの段階の救助に参加している。

もはやAdventure Consultantsだけで
救助を完結できる状況ではなかった。

事故後、他の遠征隊が登頂計画を止めて救助へ加わった

1996年の救助で重要なのは、
会社や遠征隊の境界が急速に消えていったことである。

Adventure Consultantsの記録では、
競合する商業登山会社や他の遠征隊が
自分たちの登頂計画を中断し、
救助活動へ人員と物資を出したことが記されている。

IMAX隊も酸素や人員を救助へ回した。

Alpine Ascents InternationalのTodd Burleson、
Pete Athansらも高所へ上がった。

事故後の下山では、
Ed Viesturs、Robert Schauerらも支援に加わる。

救助は一つの隊ではなく、
山にいた複数の遠征隊による共同作業へ変わっていた。

Weathersは、自分の足で下山しなければならなかった

重傷者であっても、
標高約8,000mから担架で運び下ろすことは現実的ではない。

Weathersは重度の凍傷を負っていたが、
幸い脚は歩行能力を残していた。

このことが生還に決定的な意味を持った。

David Breashearsは後に、
Weathersが自力歩行できなければ
South Colから下ろすことは極めて困難だったと振り返っている。

救助者は支えることができる。

方向を示すこともできる。

酸素や水を渡すこともできる。

しかし体重のある成人男性を
約8,000mから数千m担いで下ろすことはできない。

ここでも、
「歩けるか」が生存条件になった。

5月12日|救助隊とともにローツェ・フェイスを下る

翌日、
Todd BurlesonとPete Athansらは
Weathersを下山させ始めた。

途中ではIMAX隊のRobert Schauer、
Ed Viestursらも交代して支援した。

Yellow Band。

Camp III。

ローツェ・フェイス。

通常でも転落の危険があるルートを、
手に重度の凍傷を負い、
視界も十分でないWeathersが下降していく。

その日のうちにCamp IIまで到達した。

ここには、
高所キャンプよりは充実した医療と救助の準備があった。

しかしベースキャンプまでには、
まだクンブ・アイスフォールが残っている。

ヘリコプターをどこまで上げられるか

救助側は、
Weathersをすべて徒歩でベースキャンプまで下ろす以外の方法を探した。

最大の障害はクンブ・アイスフォールだった。

健康な登山者でも危険な場所を、
手に重傷を負ったWeathersに通過させるのは大きなリスクがある。

Adventure Consultants側ではGuy Cotterらが
ネパール軍のヘリコプターを手配するため動いた。

目標は、
クンブ・アイスフォール上部まで機体を上げることだった。

当時としては非常に高い高度での救出になる。

5月13日|WeathersとMakalu Gauが空路で搬送された

5月13日、
ネパール軍のヘリコプターが
Camp I付近、クンブ・アイスフォール上部の約6,000m地点へ上がった。

そこから重傷のBeck Weathersと、
台湾隊のMakalu Gauが空路で搬送された。

NOVAの5月16日付現地報告では、
約20,000ftで行われた非常に高高度の航空救助として記録されている。

現在のエベレストでは高所ヘリ救助の事例が増えているが、
1996年当時の機体性能と運用環境では、
極めて難しい飛行だった。

Camp IVへ直接ヘリコプターが来たわけではない。

Weathers自身が約8,000mから歩いて下り、
多数の登山者が支援し、
ようやくヘリコプターが到達可能な高度まで運ばれたのである。

難波康子はなぜ同じように生還できなかったのか

Weathersの生還を見ると、
「難波にも同じ可能性があったのではないか」
という疑問が生じる。

しかし、
この2人を単純に同条件として比較することはできない。

難波は下降時点ですでに歩行が困難となり、
Neal Beidlemanらに支えられていた。

South Colで集団がCamp IVへ向かおうとした際にも、
自力で立ち続けることができなかった。

その後さらに長時間、
極端な寒冷環境へさらされた。

翌朝には死亡したと判断され、
実際に生還することはなかった。

Weathersは重篤な状態だったが、
結果として体温と循環が完全には失われておらず、
後に意識を取り戻し、
自力で立って歩く能力まで回復した。

その差を、
意志の強さだけで説明することはできない。

低体温の進行度、
凍傷、
体格、
姿勢、
風への曝露、
装備、
個人差など、
複数の条件が関係したと考えるべきである。

FACT CHECK|Weathersが助かったのは「精神力だけ」ではない

Weathers本人は、
妻や子どものことを思い浮かべたことが
再び動き出す強い動機になったと語っている。

しかし医学的な生存を、
意志の強さだけで説明することはできない。

同じ寒冷環境でも、
低体温の進み方や凍傷の程度、
身体の冷却速度には個人差がある。

Weathersが意識を回復できる生理状態を残していたこと、
脚の歩行能力が維持されていたこと、
Camp IVへ到達後に酸素・保温・他隊の支援を受けられたこと、
その後も自力歩行を続けられたことが重なって生還につながった。

Boukreevの救助は、その後の論争とは分けて考える必要がある

1996年事故後、
Anatoli Boukreevの行動は大きな論争となった。

主な論点は、
Mountain Madnessのガイドでありながら、
顧客より早く山頂から下降し、
Camp IVへ戻っていたことだった。

Jon Krakauerはこの行動を批判的に評価した。

Boukreev側は、
早くCamp IVへ戻って回復し、
必要になれば救助できる状態にしておくという考えだったと反論した。

ここで二つの問題を混同してはいけない。

「先に下降した判断が適切だったか」
という問題と、

「その夜、吹雪の中で3人を救助した」
という事実は別である。

前者は現在でも評価が分かれる。

後者については、
PBSの複数の生存者証言やAmerican Alpine Journalなどで確認できる。

本特集では、
救助を理由にすべての判断を正当化せず、
逆に早期下降への批判を理由に救助活動を軽視することもしない。

Boukreevをめぐる評価は、
第8回で改めて検証する。

救助を可能にしたのは「英雄一人」ではない

Boukreevの夜間救助は、
1996年事故の中でも特に知られている。

しかし事故全体の救助を
一人の英雄の物語にまとめることも適切ではない。

Neal Beidlemanは、
動ける登山者をSouth ColからCamp IVへ導いた。

Michael Groomは、
視覚を失ったWeathersや歩けなくなった難波を支えた。

Klev SchoeningやLene Gammelgaardらは、
Camp IVの方向を発見し、
救助を呼びに戻った。

Boukreevは夜間に何度もSouth Colへ出た。

翌日にはTodd Burleson、Pete Athansらが高所へ上がった。

IMAX隊のEd Viesturs、Robert Schauerらも下山を支援した。

Base CampではGuy Cotterらが
救助の調整や航空搬送の手配を進めた。

そして最後にはネパール軍のヘリコプターが飛んだ。

Weathersの生還は、
一つの救助行動ではなく、
山頂直下から約6,000mまで続いた
複数段階の救助によって成立している。

サウス・コル救助の流れ

時期 出来事 意味
5月10日 深夜 動ける登山者がCamp IVへ到達 South Colに残された人々の存在を知らせる
深夜 Boukreevが最初の捜索 視界不良で発見できず、一度Camp IVへ戻る
深夜〜11日未明 再捜索で遭難者を発見 温かい飲み物・酸素を使用し救助開始
未明 Fox、Hill、MadsenをCamp IVへ救助 複数回に分けて帰還させる
5月11日 朝 難波康子、Weathersが生存不能と判断される 難波は死亡。Weathersも救助対象から外れる
5月11日 午後 Weathersが自力でCamp IVへ戻る 救助側にとって予想外の生還
5月12日 他隊を含む救助者がWeathersを下降支援 Camp IIIを経てCamp IIへ
5月13日 WeathersとMakalu Gauをヘリ搬送 Camp I付近・アイスフォール上部から航空救助

日付・救助順序はPBS FRONTLINE、1996年当時のNOVA現地報告、
Adventure Consultantsの社史を中心に整理しています。
South Colでの行動は深夜の低酸素・吹雪下で行われており、
個々の捜索時刻や正確な所要時間には資料差があります。

「救助不能」という判断が、必ずしも死亡を意味しない

Weathersの生還が強烈なのは、
現場の判断が間違っていたという単純な話だからではない。

標高約8,000mでは、
救助者自身にもできることの限界がある。

脈拍を詳細に測り、
体温を測定し、
搬送用担架へ載せ、
救急車で病院へ運ぶことはできない。

反応がほぼなく、
自力歩行もできない人間を見たとき、
救助者は、
その人を救うために残ることで
自分や他の生存者まで失う可能性を考えなければならない。

その判断が、
結果としてWeathersについては外れた。

しかし、
「もっと早く救助すれば必ず助かった」
と後から断定することもできない。

その場所では、
救助可能性そのものが極端に低かった。

難波康子とBeck Weathersは、同じ場所から違う結末へ進んだ

5月10日の朝、
難波は山頂を目指していた。

Weathersは視覚障害のため登頂を断念した。

難波は山頂へ到達した。

Weathersは待機していた。

夕方、
二人は同じ下降グループへ入った。

夜、
二人ともSouth Colの雪上に取り残された。

翌朝、
二人とも生存不能と判断された。

そこで結末が分かれた。

難波は戻らなかった。

Weathersは意識を取り戻し、
Camp IVへ歩いた。

この差を、
「山頂へ行ったから死亡した」
「精神力が強かったから助かった」
という一言で説明することはできない。

高所事故では、
ほんのわずかな身体状態や時間の差が、
結果として非常に大きな差になることがある。

1996年の救助が示したもの

1996年5月10日の大量遭難では、
登山隊の組織が崩れた。

ガイドと顧客は分散した。

会社の境界も意味を失った。

酸素は減り、
救助者自身も疲労していた。

それでも、
救助は完全には止まらなかった。

South ColではBoukreevが何度も吹雪へ戻った。

翌日には別の遠征隊が上がった。

負傷者を交代で下ろした。

Base Campから航空救助を手配した。

そしてWeathersは生還した。

一方で、
救うことができなかった人もいた。

山の上での救助とは、
「助ける意思があれば全員を助けられる」
ものではない。

人員。

高度。

視界。

体力。

酸素。

そして救助される側が歩けるか。

それらすべてが、
救助可能性を決めていた。

しかし、さらに約850m上にはロブ・ホールが残っていた

South Colで救助が行われている間も、
山の上部では別の危機が続いていた。

Adventure Consultantsのリーダー、
Rob HallはSouth Summit付近に残されていた。

顧客Doug Hansenはすでに姿が確認できなくなっていた。

ガイドAndy Harrisも、
Hallを助けるため上方へ向かったあと消息を絶っていた。

Hallには無線があった。

Base Campとは話すことができた。

しかし、
話せることと救助できることは別だった。

強風の中、
約8,750mまで救助者を上げることはできなかった。

次回は、
ロブ・ホール、ダグ・ハンセン、アンディ・ハリスの
最後の約2日間を追う。

出典・参考資料

本記事では、Boukreevによる救助そのものと、
「なぜMountain Madnessの顧客より早くCamp IVへ下降していたのか」という
事故後の評価論争を分離しています。
夜間にSouth Colへ複数回出てCharlotte Fox、Sandy Hill、Tim Madsenを
Camp IVへ救助したことは複数資料で確認できますが、
彼の登頂日全体の判断評価については第8回で改めて扱います。
またBeck Weathersについては医学的な死亡確認が行われたわけではないため、
「死亡後に蘇生した」とは表現せず、
現場で死亡または救命不能と判断された後に意識を回復した、としています。