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アポロ13号は何をするはずだったのか3人の乗員とフラ・マウロ月面着陸計画

アポロ13号は何をするはずだったのか|3人の乗員とフラ・マウロ月面着陸計画

宇宙事故

1970年4月11日午後2時13分。フロリダ州ケネディ宇宙センター39A発射台から、1機のSaturn Vロケットが打ち上げられた。

搭乗していたのは、ジム・ラヴェル、ジャック・スワイガート、フレッド・ヘイズの3人。

後に彼らは、酸素タンク事故から生還した「Apollo 13の乗員」として知られることになる。しかし、この時点で3人が目指していたのは地球への生還ではない。

人類3回目の月面着陸だった。

目的地は、Apollo 11や12が着陸した月の「海」とは性格の異なるフラ・マウロ地域。ラヴェルとヘイズは月面へ降り、約33.5時間滞在して地質調査と科学観測装置の設置を行う予定だった。

ではApollo 13は、本来どのようなミッションだったのか。事故が起きる前の計画を確認すると、なぜ月着陸船Aquariusが後に3人を救うことができたのか、そして事故によって何が失われたのかも見えてくる。


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アポロ13号特集|全10回

月面着陸へ向かっていたApollo 13は、飛行3日目にサービスモジュールの酸素系統で重大な事故を起こした。この特集では、事故だけではなく、本来の月探査計画から、宇宙船の構造、生命維持、帰還軌道、再突入、事故調査までをNASAの公式記録から追う。

  1. 第1回 アポロ13号とは?|月面着陸から「生還ミッション」へ変わった6日間
  2. 第2回 アポロ13号は何をするはずだったのか|3人の乗員とフラ・マウロ月面着陸計画【現在の記事】
  3. 第3回 「Houston, we’ve had a problem」|アポロ13号で酸素タンクが爆発した夜
  4. 第4回 なぜアポロ13号の酸素タンクは爆発したのか|地上試験から事故までを追う
  5. 第5回 月着陸船Aquariusはどう「救命艇」になったのか|壊れたOdysseyからの脱出
  6. 第6回 電力・水・CO2をどう切り詰めたのか|アポロ13号を生かした即席の生命維持策
  7. 第7回 アポロ13号はどう地球へ戻ったのか|月を回る自由帰還軌道とエンジン噴射
  8. 第8回 停止していたOdysseyを再起動せよ|アポロ13号、再突入から太平洋着水まで
  9. 第9回 アポロ13号事故は何を変えたのか|事故調査委員会の結論と酸素タンク再設計
  10. 第10回 映画『アポロ13』はどこまで実話なのか|人物・台詞・Mission Controlを史実と比較

Apollo 13は「3回目の月面着陸」になるはずだった

1969年7月、Apollo 11によって人類は初めて月面へ到達した。その約4か月後にはApollo 12も月面着陸に成功している。

Apollo 13は、この2回に続く人類3回目の有人月面着陸ミッションとして計画されていた。

ただし、単に「もう一度月へ行く」ことが目的だったわけではない。

Apollo計画は、最初の着陸成功から徐々に科学探査の比重を高めていた。Apollo 11では「人間が月へ着陸し、安全に地球へ帰還できること」の実証が最優先だったのに対し、Apollo 13では月面での地質調査や長期間観測する科学機器の設置が大きな目的になっていた。

項目 Apollo 13の計画
ミッション 有人月面着陸
打ち上げ 1970年4月11日
ロケット Saturn V AS-508
月面着陸予定地 フラ・マウロ地域
予定ミッション期間 約10日間
月面滞在予定 約33.5時間
船外活動 約4時間×2回
主な月面活動 地質調査、試料採取、ALSEP設置

NASAの計画資料では、Apollo 13の主要目的としてフラ・マウロ地域の地質調査、試料採取、Apollo Lunar Surface Experiments Package(ALSEP)の設置、月面で人間が作業する能力の向上などが挙げられていた。

事故が起こらなければ、Apollo 13は「遭難した宇宙船」としてではなく、月の地質を詳しく調べた科学探査ミッションとして記録されていた可能性が高い。

なぜ着陸地点はフラ・マウロだったのか

Apollo 13が目指したフラ・マウロは、月の「フラ・マウロ形成層(Fra Mauro Formation)」と呼ばれる地域にある。

ここが選ばれた最大の理由は、月の巨大な衝突地形であるインブリウム盆地の形成過程を調べる手掛かりが得られると考えられていたためだった。

巨大な天体が月へ衝突して盆地を形成すると、地下にあった岩石や土砂が広範囲へ飛散する。フラ・マウロには、インブリウム盆地形成時に放出された物質が大量に堆積していると考えられていた。

そこから岩石を採取して地球へ持ち帰れば、単に着陸地点周辺の地質だけではなく、月の大規模な衝突史を調べる材料になる。

Apollo 11と12の成功によって「月へ降りる」こと自体の経験が蓄積されたからこそ、Apollo 13ではより科学的価値の高い場所へ踏み込む計画が立てられた。

目標の一つはCone Crater周辺の地質だった

フラ・マウロで特に重要だった地点の一つが、Cone Craterと呼ばれる比較的新しいクレーターだった。

クレーターが形成される際には、地下の物質が掘り起こされて周囲へ飛び散る。そのためクレーター周辺を調査すると、地表を深く掘削しなくても地下由来の岩石を採取できる可能性がある。

ラヴェルとヘイズは月面を歩き、地形を観察しながら岩石や土壌を採取する訓練を繰り返していた。

NASAは地質学者を訓練へ参加させ、ハワイ島の火山地帯などでもフィールドワークを実施している。宇宙飛行士は単に岩を拾うのではなく、周囲の地形との関係を観察し、どの位置から何を採取したのかを記録する「地質調査員」としての能力も求められていた。

このフラ・マウロ計画はApollo 13の事故によって中止されたが、着陸地点そのものが放棄されたわけではない。翌1971年、Apollo 14がほぼ同じフラ・マウロ地域へ着陸し、Apollo 13が予定していた科学探査の一部を引き継ぐことになる。

月面では約33.5時間滞在する予定だった

ラヴェルとヘイズの計画では、Aquariusで月面へ着陸した後、約33.5時間を月面で過ごす予定だった。

その間に予定されていた船外活動は2回。それぞれ約4時間である。

第1回の船外活動では、月着陸船周辺で科学観測装置を設置することが主要な作業の一つだった。

設置予定だったApollo Lunar Surface Experiments Package、略してALSEPは、宇宙飛行士が月を離れた後も自動で観測を続けるための科学機器群である。

Apollo 13用のALSEPには、主に次のような実験装置が含まれていた。

実験 調べるもの
Passive Seismic Experiment 月震や衝突による振動
Heat Flow Experiment 月内部から地表へ流れる熱
Charged Particle Lunar Environment Experiment 月面へ到達する陽子・電子などの荷電粒子
Cold Cathode Gauge Experiment 極めて薄い月周辺の気体環境
Lunar Dust Detector 装置表面への月の塵の堆積など

さらに地質試料採取、写真撮影、太陽風粒子を集める実験なども予定されていた。

Apollo 13の月面着陸が中止されたことで失われたのは、単なる「月へ降りる記録」ではない。こうした科学観測と地質試料そのものが得られなくなった。

3人には、それぞれまったく違う役割があった

Apollo宇宙船は3人が同じ仕事をする乗り物ではない。

月面着陸ミッションでは、船長、司令船操縦士、月着陸船操縦士に役割が明確に分けられていた。

船長|ジム・ラヴェル

Commander(船長)を務めたのがジェームズ・A・“ジム”・ラヴェル Jr.である。

Apollo 13はラヴェルにとって4回目の宇宙飛行だった。

1965年のGemini 7、1966年のGemini 12を経験し、1968年にはApollo 8の司令船操縦士として月まで飛行している。

Apollo 8は、人間が初めて地球周回軌道を離れ、月を周回したミッションだった。つまりApollo 13の時点でラヴェルは、3人の中で唯一、実際に月まで飛んだ経験を持つ宇宙飛行士だった。

Apollo 13ではAquariusを操縦して月面へ降り、ヘイズとともに地質調査を行う予定だった。

月着陸船操縦士|フレッド・ヘイズ

Lunar Module Pilot(月着陸船操縦士)はフレッド・W・ヘイズ Jr.

Apollo 13が初めての宇宙飛行だった。

月着陸船Aquariusの各システムを担当するとともに、月面着陸後はラヴェルと一緒に船外へ出て、地質調査、試料採取、ALSEPの設置を行うことになっていた。

事故後には、この月着陸船に関する知識が別の意味を持つことになる。月へ降りるためのAquariusが、3人の生命を維持する宇宙船へ役割を変えるためである。

司令船操縦士|ジャック・スワイガート

Command Module Pilot(司令船操縦士)はジョン・L・“ジャック”・スワイガート Jr.

スワイガートもApollo 13が初飛行だった。

月着陸が予定どおり進んだ場合、ラヴェルとヘイズがAquariusで月面へ降りている間、スワイガートは1人で司令・機械船Odysseyに残り、月周回軌道を飛び続ける。

そこで宇宙船の管理を行うだけではなく、月面の地質観測や、将来のApolloミッションで着陸候補となる地域の写真撮影などを行う計画だった。

そして月面活動を終えたラヴェルとヘイズがAquariusで月周回軌道へ戻ると、Odysseyと再びランデブー・ドッキングして3人で地球へ帰還する。

ところがスワイガートは、本来の乗員ではなかった

ここにApollo 13の出発前から知られていた大きな変更がある。

もともと司令船操縦士として飛ぶ予定だったのは、スワイガートではなくトーマス・“ケン”・マッティングリーだった。

Apollo 13の当初の主乗員は、

  • ジム・ラヴェル
  • ケン・マッティングリー
  • フレッド・ヘイズ

の3人である。

状況が変わったのは打ち上げの約3週間前だった。

バックアップクルーの月着陸船操縦士チャールズ・デュークが、風疹(German measles / rubella)に感染した。

デュークは発症する前まで主乗員・バックアップ乗員と訓練や会議を行っていたため、他の宇宙飛行士も感染している可能性が生じた。

NASAは血液検査を行った。

ラヴェルとヘイズには免疫が確認された。バックアップクルーのジョン・ヤングとスワイガートにも免疫があった。

しかしマッティングリーには、風疹に対する免疫が確認できなかった。

「発症したから交代」ではなかった

ここはApollo 13で誤解されやすい点である。

マッティングリー本人が風疹を発症していたわけではない。

問題だったのは、感染していた場合に、症状が現れる時期だった。

NASAの医療担当者は、感染していれば月周回軌道へ到達するころに発熱、発疹、頭痛などの症状が出る可能性を懸念した。

司令船操縦士は、他の2人が月面にいる間、1人でOdysseyを運用する。さらに月面から戻るAquariusとのランデブー・ドッキングなど、失敗できない操作を担当する。

その時期に体調を崩すリスクは受け入れにくかった。

NASA内部では、打ち上げを次の機会まで延期する案も検討された。しかし最終的には、マッティングリーを地上に残し、バックアップ司令船操縦士だったスワイガートを飛ばすことになった。

決定が公式に発表されたのは1970年4月10日、打ち上げ前日だった。

スワイガートは「急に連れてこられた代役」ではない

打ち上げ前日の交代という事実だけを見ると、スワイガートがほとんど準備なしでApollo 13に乗ったようにも見える。

実際にはそうではない。

Apollo計画では主乗員とは別にバックアップクルーが設定され、必要な場合に交代できるよう同じミッションについて訓練を行っていた。

Apollo 13のバックアップクルーは、

  • 船長:ジョン・ヤング
  • 司令船操縦士:ジャック・スワイガート
  • 月着陸船操縦士:チャールズ・デューク

だった。

スワイガートは司令船システムに関する訓練を受けており、NASAの記録によれば、司令船の故障時手順の作成にも深く関わっていた。

交代決定後にはラヴェル、ヘイズとシミュレーターによる集中訓練を行い、3人で複雑な操作を実行できることを確認したうえで飛行している。

したがって「まったく訓練していない人物が前日に選ばれた」のではない。

ただし、長期間一緒に訓練してきたラヴェル、マッティングリー、ヘイズの組み合わせが、打ち上げ直前に変わったことは事実だった。

3人を月へ運ぶ宇宙船は、実際には複数の機体からできていた

Apollo 13を理解するとき、「Apollo 13という1機の宇宙船」と考えると、事故後の状況が分かりにくくなる。

月へ向かう宇宙船は、役割の異なる複数のモジュールを組み合わせた構造だった。

機体 名称 本来の役割
Command Module Odyssey 3人が搭乗する司令船。地球大気へ再突入する唯一の部分
Service Module 電力、酸素、水、推進系などを司令船へ供給
Lunar Module Aquarius 2人を月面へ降ろし、月周回軌道へ戻す

司令船Odysseyは円錐形の部分で、打ち上げ時から帰還まで乗員が使用する中心的な船だった。地球へ戻る際には耐熱シールドを使って大気圏へ再突入する。

その後方にはService Module(サービスモジュール)が接続されていた。

ここには主エンジンだけではなく、酸素タンク、水素タンク、燃料電池など、長期間の飛行に必要な設備が集められていた。

そして月面着陸専用のAquariusは、地球へ帰還する宇宙船ではない。本来は月周回軌道から月面まで往復するための機体だった。

この役割分担が、飛行3日目の事故によって崩れる。

事故が起きるのはOdysseyの乗員区画ではなく、後方のサービスモジュールにある酸素系統だった。そのため司令船の電力・酸素供給能力が失われ、逆に本来は月面でしか長時間使用しないはずだったAquariusが生命維持の中心になる。

第5回で扱う「月着陸船を救命艇として使う」という対応は、このApollo宇宙船特有の構成があったから可能になった。

Saturn VはどのようにApollo 13を月へ送り出したのか

Apollo 13を地球から打ち上げたのは、NASAの大型ロケットSaturn Vだった。

Apollo 13で使用された機体番号はAS-508。

Saturn Vは3段式で、打ち上げ後に各段を順番に使用して速度と高度を上げていく。

まずApollo宇宙船を地球周回軌道へ投入し、その後、第3段S-IVBを再点火して月へ向かう速度まで加速する。これはTrans-Lunar Injection、略してTLIと呼ばれる。

月へ向かう軌道へ入った後、OdysseyはS-IVBから分離する。そして機体を反転させ、ロケット上部に格納されていたAquariusとドッキングして引き出す。

ここからOdyssey、Service Module、Aquariusの組み合わせで月まで飛行する。

またApollo 13では、役目を終えたS-IVBを太陽周回軌道へ送るのではなく、月面へ意図的に衝突させる計画が採用された。

衝突によって発生する振動を、すでに月面に設置されていたApollo 12の地震計で観測するためである。

ロケットの使用済み段階さえ、月内部を調べる人工的な震源として利用しようとしていた。

打ち上げ5分半後、すでに最初の異常は起きていた

1970年4月11日午後2時13分、Apollo 13はLaunch Pad 39Aから打ち上げられた。

しかし飛行は最初から完全に予定どおりだったわけではない。

離陸から約5分半後、Saturn V第2段S-IIの中央エンジンが予定より約2分早く停止した。

このため残った4基のエンジンを予定より約34秒長く燃焼させ、さらに第3段S-IVBも約9秒長く燃焼させることで不足分を補った。

結果としてApollo 13は必要な地球周回軌道へ到達し、その後の月へ向かう飛行も継続できた。

この打ち上げ時のエンジン停止と、2日後に起きる酸素タンク事故は別の問題である。

後からApollo 13の経過を知ると「最初から異常続きだった」と一本の線で結びたくなるが、事故原因を考える場合には、独立した出来事を後知恵で関連付けないことが重要になる。

月面着陸まで、どんな流れになる予定だったのか

事故がなかった場合のApollo 13は、おおまかに次のように進む予定だった。

段階 予定されていた内容
1 Saturn Vで地球周回軌道へ
2 S-IVB再点火で月遷移軌道へ
3 OdysseyとAquariusをドッキング
4 月周回軌道へ投入
5 ラヴェル、ヘイズがAquariusへ移動
6 AquariusがOdysseyから分離
7 フラ・マウロへ月面着陸
8 2回の船外活動・地質調査・ALSEP設置
9 Aquariusの上昇段で月面を離脱
10 月周回中のOdysseyとランデブー
11 3人でOdysseyへ移動し地球へ帰還

この設計では、Aquariusは一時的にOdysseyから離れ、2人を月面へ運ぶ。

一方、Odysseyはスワイガート1人を乗せたまま月周回軌道に残る。

つまりApollo 13の3人は、月付近では同じ宇宙船に乗り続ける予定ではなかった。

ところが実際には、酸素タンク事故によって正反対の状況になる。3人全員がAquariusへ集まり、Odysseyをほぼ停止させなければならなくなる。

なぜ事故後、月面着陸を強行できなかったのか

「Aquariusは無事だったのだから、そのまま月へ降りることはできなかったのか」という疑問も生まれる。

しかし月面着陸は、月着陸船だけで完結する作業ではない。

月面から帰還した後にはOdysseyとドッキングし、地球まで帰らなければならない。ところが酸素タンク事故によって、Odysseyを支えるサービスモジュールの電力・酸素系統は急速に失われていった。

しかもAquariusが持つ酸素、電力、水、推進剤は、本来の月着陸だけを想定して搭載された有限の資源である。

NASAに残された合理的な選択肢は、月面着陸を続行することではなかった。

Aquariusの資源をすべて、3人を地球へ戻すために使うことだった。

事故によって失われたのは「月面へ降りるチャンス」だけではない。Apollo 13というミッションそのものの目的が、その瞬間から完全に書き換えられた。

FACT CHECK|Apollo 13の出発前に誤解されやすいこと

スワイガートは最初からApollo 13の主乗員だった?

違う。

本来の司令船操縦士はケン・マッティングリーだった。打ち上げ直前、風疹感染の可能性を考慮して地上に残され、バックアップ司令船操縦士だったスワイガートと交代した。

マッティングリーは風疹を発症した?

発症していない。

検査で免疫が確認できず、潜伏期間を考えると月周回中に発症する可能性を排除できなかったため、医学的リスクを考慮して交代となった。

フラ・マウロ計画はApollo 13の事故で消滅した?

消滅していない。

Apollo 13では中止されたが、着陸地点はApollo 14へ引き継がれた。1971年、アラン・シェパードとエドガー・ミッチェルがフラ・マウロへ着陸して地質調査を行っている。

打ち上げ時の第2段エンジン停止が酸素タンク事故につながった?

NASAの事故調査では、そのような因果関係は示されていない。

酸素タンク事故はサービスモジュールの酸素タンク2番と、その製造・取り扱い・地上試験・電気系統に関係する問題として調査された。打ち上げ時のS-II中央エンジン早期停止とは分けて考える必要がある。

まとめ|Apollo 13は「月へ行くだけ」のミッションではなかった

Apollo 13は、人類3回目の月面着陸を目的として1970年4月11日に打ち上げられた。

目的地のフラ・マウロでは、ジム・ラヴェルとフレッド・ヘイズが約33.5時間滞在し、2回の船外活動によって地質調査、岩石・土壌の採取、ALSEPの設置などを行う予定だった。

司令船操縦士は当初ケン・マッティングリーだったが、風疹感染のリスクから打ち上げ前日にジャック・スワイガートへの交代が発表された。

宇宙船は司令船Odyssey、サービスモジュール、月着陸船Aquariusという役割の異なる部分から構成されていた。通常の計画では、Aquariusはラヴェルとヘイズだけを月面へ運び、スワイガートはOdysseyで月を周回するはずだった。

その構造が、2日後にはまったく異なる使われ方をする。

月面へ降りるために積まれたAquariusの酸素、電力、生命維持装置、エンジンが、3人を生かして地球へ戻すために使われることになるからである。

1970年4月13日、打ち上げから約56時間。

Apollo 13の目的を「月面着陸」から「生還」へ変える異常が、サービスモジュールで発生する。



CASE FILE 14|アポロ13号特集 全10回

  1. 第1回 アポロ13号とは?|月面着陸から「生還ミッション」へ変わった6日間
  2. 第2回 アポロ13号は何をするはずだったのか|3人の乗員とフラ・マウロ月面着陸計画【現在の記事】
  3. 第3回 「Houston, we’ve had a problem」|アポロ13号で酸素タンクが爆発した夜
  4. 第4回 なぜアポロ13号の酸素タンクは爆発したのか|地上試験から事故までを追う
  5. 第5回 月着陸船Aquariusはどう「救命艇」になったのか|壊れたOdysseyからの脱出
  6. 第6回 電力・水・CO2をどう切り詰めたのか|アポロ13号を生かした即席の生命維持策
  7. 第7回 アポロ13号はどう地球へ戻ったのか|月を回る自由帰還軌道とエンジン噴射
  8. 第8回 停止していたOdysseyを再起動せよ|アポロ13号、再突入から太平洋着水まで
  9. 第9回 アポロ13号事故は何を変えたのか|事故調査委員会の結論と酸素タンク再設計
  10. 第10回 映画『アポロ13』はどこまで実話なのか|人物・台詞・Mission Controlを史実と比較

出典・参考資料

  • NASA「Apollo 13: Mission Details」
    Apollo 13の目的、乗員、バックアップクルー、Odyssey、Aquarius、Saturn V、打ち上げ日時の確認に使用。
  • “`

  • NASA「Apollo 13 One Month to Launch」
    約10日間のミッション計画、フラ・マウロ着陸、2回の船外活動、月周回軌道からの写真観測計画の確認に使用。
  • NASA「Apollo 13 Two Months from Launch」
    月面約33.5時間滞在、ALSEP、地質調査、月面活動訓練の確認に使用。
  • NASA「Apollo 13 Lunar Surface Procedures」
    フラ・マウロで予定されていた地質調査、ALSEP、月面科学実験、船外活動計画の確認に使用。
  • NASA「Apollo 13 and German Measles」
    チャールズ・デュークの風疹、乗員の免疫検査、マッティングリーからスワイガートへの交代経緯の確認に使用。
  • NASA「Apollo 13 Off to the Moon」
    1970年4月11日の打ち上げ、Saturn V、Mission Controlへの管制移行などの確認に使用。
  • NASA「Apollo 13 Mission Report」
    正式な乗員構成、打ち上げ時刻、ミッション目的と飛行計画の照合に使用。
  • “`

資料について

本記事はNASAのApollo 13ミッション資料、月面活動手順書、Mission Report、NASA History Officeの記録を中心に構成しています。事故後の出来事については、第3回以降との重複を避けるため、本記事では本来の月面着陸計画を理解するために必要な範囲だけ扱っています。

ケン・マッティングリーについては「風疹に感染・発症した」とは記述していません。NASA記録では、風疹への曝露後に免疫が確認できず、飛行中に発症するリスクを考慮して交代したとされています。