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129人はなぜ帰れなかったのか遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する

129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する

遭難・救助

フランクリン遠征について、
最も有名な説明のひとつがあります。

「缶詰から溶け出した鉛によって隊員たちが中毒になり、判断力と体力を失って全滅した」
という説です。

確かに、
遠征隊員の遺体や人骨からは
高い鉛濃度が検出されました。

しかし、
現在の研究から見ると、
これだけで129人の死を説明することはできません。

Beechey Islandで死亡した3人には、
結核や肺炎を含む重い病気の痕跡がありました。

King William Island周辺では、
遠征隊員の人骨が広い範囲から発見されています。

その一部には
ナイフによる切断痕があり、
さらに長骨を破壊して
骨髄まで利用した可能性を示す痕跡も残っていました。

遠征隊は長期間氷に閉じ込められ、
1848年4月には船を捨て、
105人で陸上から南へ向かっています。

寒冷。
病気。
栄養状態。
飢餓。
長期間の閉塞。
体力低下。
徒歩とソリによる長距離移動。

これらは互いに独立した問題ではありません。


フランクリン遠征の全滅は、
一つの毒物や一つの病気ではなく、
複数の負荷が連鎖した結果として考える方が
現在の証拠に合っています。

この記事で分かること

  • 「鉛中毒で全滅した」という説はどこから生まれたのか
  • Beechey Islandの3遺体から何が分かったのか
  • John Torrington、John Hartnell、William Braineは何で死亡したのか
  • 遠征隊員から高い鉛濃度が検出されたのは事実なのか
  • 鉛の原因を缶詰だけに限定できるのか
  • 2018年の研究が鉛中毒説をどう評価したのか
  • 壊血病は遠征全滅の主因だったのか
  • 結核や呼吸器疾患はどこまで確認されているのか
  • 人骨の切断痕は何を意味するのか
  • 人肉食は「噂」なのか、それとも物証があるのか
  • 現在、最も合理的な遠征崩壊モデルは何か

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集(全10回)

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言

  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する【現在の記事】
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

先に結論|129人全員を一つの死因で説明する証拠はない

フランクリン遠征について、
現在確認できる最も重要な事実は、
129人の死因を一括して示す医学記録が存在しない
ことです。

遠征隊には医師がいました。

本来であれば、
病気や治療について記録した
Sick Bookなどの医学記録が作成されていた可能性があります。

しかし、
そうした体系的記録は現在まで回収されていません。

残っているのは、
Beechey Islandで保存された3遺体、
King William Island周辺に散在する人骨、
少数の個人が特定された骨、
遺物、
Inuitの証言、
そしてVictory Point Noteです。

そこから分かるのは、
遠征隊員が全員同じ原因で死亡したとは考えにくい
ということです。

まず確認できる死亡者|Beechey Islandの3人

1845~1846年、
遠征隊はBeechey Island周辺で
最初の冬を過ごしました。

この期間に、
3人が死亡しています。

人物 所属 死亡日
John Torrington HMS Terror 1846年1月1日
John Hartnell HMS Erebus 1846年1月4日
William Braine Royal Marine / HMS Erebus 1846年4月3日

1850年、
捜索隊がこの3人の墓を発見しました。

北極圏の永久凍土に埋葬された遺体は、
極めて良好な状態で保存されていました。

1980年代、
Owen Beattieらの研究チームは
遺体を発掘し、
医学・化学分析を行いました。

ここから、
Franklin遠征の健康状態をめぐる議論が
大きく変わります。

John Torrington|20歳、著しく衰弱していた

最初に詳しく調査されたのが、
HMS Terrorの
John Torringtonです。

死亡時20歳。

遺体は永久凍土によって
非常によく保存されていました。

医学調査では、
死亡時に大きく体重を失っていたことが確認されています。

肺には重い病変があり、
結核を示す所見に加えて
肺炎が死亡に関係したと評価されました。

つまり、
遠征最初の冬に死亡した人物の一人は、
単に
「北極で凍死した」
わけではありません。

すでに重い呼吸器疾患と
著しい身体衰弱が存在していました。

John Hartnell|結核が確認された

Torringtonの3日後、
John Hartnellが死亡します。

25歳でした。

Hartnellの遺体も
1980年代に調査されました。

その結果、
肺結核が死亡に重要な役割を持ったと考えられています。

Hartnellについては、
その後さらに興味深い分析が行われました。

爪を使って、
死亡前数か月間の
鉛、亜鉛、銅などの変化を
時系列として読み取る研究です。

その研究は、
従来の
「遠征中に大量の鉛を摂取し続けた」
という単純なモデルに疑問を投げかけました。

William Braine|結核性疾患を示す所見

1846年4月3日、
3人目の
William Braineが死亡しました。

32歳でした。

Braineの遺体からも、
肺を含む結核性疾患を示す所見が報告されています。

この3人を見るだけでも、
Franklin遠征の健康問題が
「一つの毒物」だけではなかったことが分かります。

少なくとも最初の冬には、
感染症と身体衰弱が現実の問題として存在していました。

では「鉛中毒説」はどこから出てきたのか

1980年代の調査で注目されたのが、
遺体や人骨に含まれる
lead――鉛でした。

Beechey Islandの遺体、
King William Island周辺の人骨などから、
比較的高い鉛濃度が検出されました。

鉛は人体に有害です。

大量または長期間曝露すると、
消化器症状、
貧血、
末梢神経障害、
認知機能への影響などを引き起こす可能性があります。

そのため、
次のような説明が広く知られるようになりました。

有名になった鉛中毒説

大量の缶詰を積載

缶のはんだから鉛が食品へ移る

隊員が長期間鉛を摂取

身体・認知機能が低下

判断力低下と疾病が遠征崩壊を加速

物語としては非常に分かりやすい説明です。

しかし、
その後の研究で
いくつか問題が指摘されました。

「鉛があった」と「鉛中毒で全滅した」は別の主張

ここを分ける必要があります。

Franklin隊員の身体から
鉛が検出されたこと自体は事実です。

問題は、
その濃度が
遠征中に特異的に増えたのか
そして
遠征を失敗させるほどの臨床的鉛中毒を広範囲に起こしたのか
です。

19世紀の英国社会では、
鉛曝露そのものが
現代よりはるかに一般的でした。

鉛を含む配管、
食器、
薬品、
顔料、
食品容器など、
複数の曝露源が存在しました。

したがって骨から高濃度の鉛が見つかった場合でも、
その鉛が1845年以降の遠征中だけに蓄積したとは限りません。

缶詰だけが鉛の候補だったわけでもない

Franklin隊は、
大量の保存食を積んでいました。

当時の缶詰は、
接合部分にはんだが使われており、
鉛曝露源になった可能性があります。

しかし、
遠征船には別の鉛源も存在しました。

たとえば船内の給水設備なども、
過去の研究では候補として検討されています。

さらに、
隊員たちは遠征前から
社会環境の中で鉛へ曝露していました。

そのため、

「鉛を検出した」

「缶詰が原因」

「それで全員死亡」

という三段階を、
証拠なしに直結させることはできません。

2018年|骨の中の鉛を細かく調べ直した

鉛中毒説を再評価する重要な研究の一つが、
2018年に発表されました。

研究チームは、
Franklin遠征隊員と考えられる人骨について、
高分解能のX線分析を使い、
骨の微細構造のどこに鉛が分布しているか
を調べました。

目的の一つは、
遠征末期になって
急激に鉛曝露が高まった証拠があるかを見ることです。

結果として、
死亡直前に形成された骨組織にも鉛は確認されました。

しかし、
遠征隊員が比較対象より
異常に高い鉛曝露を受けていたという
一貫した証拠は得られませんでした。

研究者たちは、
鉛がFranklinと乗組員の喪失に中心的・決定的役割を果たしたという結論を支持しない
としています。

FACT CHECK|鉛中毒説は完全否定されたのか

それも違います。

隊員に鉛曝露があったことは確認されています。

個々の隊員に何らかの健康影響があった可能性も
完全には排除できません。

現在否定的に評価されているのは、
「異常な鉛中毒が129人全滅の中心原因だった」とする強い単一原因説
です。

Hartnellの爪から見えた別の問題

John Hartnellの爪を使った研究でも、
鉛について興味深い結果が出ています。

研究では、
遠征期間中に
Hartnellの鉛曝露が一貫して増加したという
証拠は得られませんでした。

むしろ死亡直前に
鉛濃度が上がった部分については、
重い病気と体重減少によって
骨や組織に蓄積していた金属が
体内へ再放出された可能性が提案されています。

同じ研究では、
Hartnellに
亜鉛不足が存在した可能性も提示されました。

亜鉛は免疫機能にも関係します。

そのため、
栄養状態の悪化が結核に対する抵抗力を低下させた可能性が議論されました。

ただし、
これについても確定ではありません。

別の研究者は、
爪の亜鉛濃度をそのまま全身の亜鉛欠乏指標として使うことには不確実性がある
と指摘しています。

つまり、
「鉛説が否定されたので、今度は亜鉛不足が真相」
と置き換えることもできません。

壊血病はどうだったのか

極地探検で頻繁に名前が出る病気が
scurvy――壊血病です。

ビタミンCが長期間不足することで発生し、
疲労、
歯肉出血、
創傷治癒障害、
出血、
最終的には死亡につながります。

Franklin遠征隊も
壊血病対策としてレモンジュースを積んでいました。

しかし、
保存期間や加工によって
ビタミンCの有効性が低下した可能性があり、
遠征後半に壊血病が広がったという説は
古くから存在します。

一方、
現在利用できる人骨の分析だけでは、
船を放棄した1848年時点で壊血病が遠征隊全体を壊滅状態にしていたと確定することはできません。

しかも壊血病では、
すべての症例が骨に明確な痕跡を残すわけでもありません。

したがって評価は、
「壊血病はなかった」でも
「全員が重症壊血病だった」でもありません。

結核は少なくとも現実に存在していた

病気の中で、
より直接的な証拠があるのが
tuberculosis――結核です。

Beechey Islandで死亡した隊員の遺体には、
結核性病変が確認されています。

19世紀の英国では、
結核そのものが珍しい病気ではありませんでした。

さらに、
100人以上が限られた船内空間で長期間生活する環境は、
呼吸器感染症の拡大に有利です。

ただし、
これも
「Franklin隊129人が結核で全滅した」
という意味ではありません。

確認できるのは、
遠征最初期から少なくとも一部の隊員が重大な感染症を抱えていた
ということです。

1848年4月には24人がすでに死亡していた

Victory Point Noteによれば、
1848年4月25日までに
9人の士官と15人の乗組員、合計24人
が死亡していました。

出発時129人に対して、
約19%です。

しかも、
死亡者には
John Franklin本人も含まれていました。

しかし、
24人それぞれの死因は記録されていません。

感染症。

栄養不足。

事故。

外傷。

寒冷。

その他の疾病。

複数の原因が混在していた可能性があります。

船を放棄した105人に待っていたもの

1848年4月22日、
残った105人は
ErebusとTerrorを放棄しました。

ここで条件は劇的に変わります。

それまで彼らには、
少なくとも船という大型の避難場所がありました。

船内には寝床、
暖房設備、
調理設備、
物資の保管場所がありました。

しかし船を離れれば、
それらを持って移動することはできません。

必要な物資を
人間がソリで引かなければならなくなります。

目標は南にある
Back River方面でした。

そこまでの移動は、
海氷、
岩場、
雪、
河川、
湿地などを横断する
極めて厳しい行程になります。

しかも105人は、
健康な状態で出発したとは限りません。

なぜ船を離れてすぐ多くの遺骨が現れるのか

後世の捜索では、
King William Island西岸から南岸、
さらに本土方向にかけて
Franklin隊員と考えられる遺骨や遺物が発見されました。

中には、
船を放棄した地点から
それほど遠くない地域で見つかったものもあります。

これは、
少なくとも一部の隊員が
陸上移動を開始した段階ですでに
相当に衰弱していた可能性
と整合します。

船を降りれば元気になるわけではありません。

むしろ、
病気や栄養不足で弱った身体に
長距離ソリ移動という新しい負荷が加わりました。

そして人骨にナイフの痕跡が見つかった

19世紀、
John RaeがInuitから
人肉食について聞いたことは
前回の記事で扱いました。

当時、
この報告は英国で激しく否定されました。

しかし20世紀後半になると、
King William Island周辺から回収された
Franklin遠征隊員の人骨に
人為的な切断痕が確認されます。

骨に残った痕跡は、
動物による噛み跡とは異なり、
刃物によって軟部組織を取り外した行為と
整合するものでした。

これによって、
Raeが記録したInuit証言は
単なる噂として片付けられなくなりました。

さらに「骨髄まで利用した」可能性

2010年代には、
既存のFranklin隊員人骨が
さらに詳しく再分析されました。

研究対象となった一部の長骨には、
意図的に破壊されたと考えられる痕跡がありました。

さらに破断面の一部には、
加熱した液体中で骨を処理した際に生じる可能性がある磨耗
が確認されています。

研究者は、
これを
骨を砕き、
内部の骨髄脂肪まで利用した
end-stage cannibalism
の可能性として慎重に評価しました。

ここで重要なのは、
センセーショナルな「人食い」の話ではありません。


通常なら利用しない骨髄までカロリー源として処理する必要があったほど、
一部の生存者が深刻な飢餓状態に達していた可能性

です。

人肉食は全滅の「原因」ではなく、末期状態を示す証拠

因果関係を逆にしてはいけません。

人肉食がFranklin遠征を崩壊させたわけではありません。

むしろ、
すでに遠征が極限状態まで崩壊していた結果として発生した可能性が高い行動
です。

したがって、
人骨の切断痕は
「なぜ最初に船が動けなくなったか」を説明しません。

しかし、
「陸上撤退の末期にどれほど食料事情が悪化していたか」
を示す重要な証拠になります。

FACT CHECK|人肉食は証明されたのか

一部のFranklin隊員人骨には、
刃物による切断痕が確認されています。

さらに一部長骨には、
骨髄利用を目的とした破壊・処理と整合する痕跡があります。

したがって、
遠征末期の一部集団で人肉食が行われたとする説明には骨学的根拠があります。
ただし、誰が誰に対して、いつ、どの程度行ったのかまでは特定できません。

寒さそのものより、「寒冷下での消耗」が問題になる

「北極だから凍死した」
という説明も単純すぎます。

遠征隊員は、
極地装備を持っていました。

船内には暖房もあり、
極寒環境への備えは行われていました。

しかし1848年以降は、
船を離れて長距離を移動します。

寒冷環境では、
身体が体温を維持するためにも
多くのエネルギーを消費します。

同じ気温でも、
健康で十分な食料を持つ人間と、
感染症・栄養不足・疲労を抱えた人間では
生存条件が大きく異なります。

そこへ、
重いソリを引く作業が加わりました。

つまり寒冷は
単独で人を殺すだけではなく、
栄養不足・感染症・疲労と相互に作用する増幅要因
になります。

彼らは狩猟で補給できなかったのか

Franklin遠征は、
現地の食料をまったく利用しない計画ではありませんでした。

狩猟によって
船内物資を補うことも想定されていました。

しかし、
ErebusとTerrorが長期間閉じ込められた
King William Island北西周辺は、
常に豊富な獲物を確保できる場所ではありません。

さらに大型の英国海軍遠征では、
100人を超える人員を
現地狩猟だけで長期間養うことは困難です。

後世にFranklin隊を探したJohn Raeや、
Inuitの人々が北極環境で効率的に移動・狩猟できたことと、
105人規模の疲弊した集団を支えることは
同じ問題ではありません。

「なぜ全員死んだのか」を因果関係で整理する

現在の証拠から考えると、
Franklin遠征の崩壊は
次のような連鎖として見るのが合理的です。

1846年9月
船が海氷に拘束

1847年夏にも解放されない

船内生活の長期化
感染症・栄養状態・身体消耗

1848年4月までに24人死亡

105人が船を放棄

寒冷環境で徒歩・ソリによる長距離撤退

食料不足+疾病+疲労+低体温リスク

集団の分散・死亡者増加

一部では極度の飢餓を示す骨処理

このモデルであれば、
鉛曝露、
結核、
壊血病、
その他の疾病が
一部の隊員へ影響した可能性も
同時に組み込むことができます。

どれか一つを
「真犯人」にする必要はありません。

仮説を現在の証拠で比較する

要因 証拠 現在の評価
鉛曝露 遺体・人骨から鉛を検出 存在は確認。ただし遠征全滅の中心原因だったとは支持されない
結核・呼吸器疾患 Beechey Island遺体に病変 少なくとも一部隊員で実在
壊血病 極地環境・長期保存食から可能性 関与の可能性はあるが、1848年時点の全隊員重症説は確定できない
亜鉛不足 Hartnellの爪分析から提案 興味深い仮説だが、指標の解釈には異論あり
ボツリヌス症 保存食との関連から提唱 仮説。遠征全体を説明する直接証拠は不足
飢餓 人骨切断痕・骨髄利用の可能性 少なくとも末期の一部集団では強い物証
寒冷・曝露 北極環境+陸上撤退 疾病・栄養不足と相互作用した可能性が高い
長距離撤退 遺物・人骨分布、Back Riverへの計画 疲弊した集団への重大な追加負荷

「原因不明」ではない。しかし「原因確定」でもない

Franklin遠征について、
原因がまったく分かっていないわけではありません。

何が彼らへ負荷を与えたのかは、
かなり見えてきています。

長期間の海氷閉塞。

遠征初期から存在した感染症。

時間とともに悪化した栄養・食料条件。

寒冷環境。

船を捨てた後の陸上撤退。

そして末期には、
通常なら食料としない人骨の骨髄まで
利用した可能性。

一方で、
129人それぞれについて
直接の死因を特定することはできません。

つまり現在の到達点は、

「何も分からない」から
「複合要因による崩壊だったことはかなり分かる」
まで進んだ

という位置にあります。

まとめ|鉛は存在した。しかし「鉛が129人を殺した」ではない

1980年代、
Beechey Islandの保存遺体から
高い鉛濃度が検出されました。

これによって
「鉛中毒がFranklin遠征を壊滅させた」
という説明が広まりました。

しかし後の研究では、
Franklin隊員が
当時として異常に高い鉛曝露を受けたことや、
遠征期間中に鉛濃度が急上昇したことを示す
一貫した証拠は得られていません。

したがって、
鉛を遠征全滅の中心原因とする説明は
現在では支持しにくくなっています。

一方、
Beechey Islandの3遺体からは
重い呼吸器疾患や身体衰弱が確認されました。

1848年までには24人が死亡。

残った105人は
船を離れて南へ向かいました。

そしてKing William Island周辺の人骨には、
遠征末期の深刻な飢餓と整合する
切断・骨処理の痕跡が残っていました。

Franklin遠征を理解するうえで、
最も重要なのは
「本当の死因を一つ選ぶこと」ではありません。


病気で弱る。
食料条件が悪化する。
寒冷下で消耗する。
船を失う。
重い荷物を引いて歩く。
さらに食料が不足する。

一つの問題が次の問題を悪化させる。

その連鎖こそが、
129人全員が帰還できなかった理由に
最も近いと考えられます。

ただし、
ここまで見てきた証拠の大半は
陸上から見つかったものです。

長い間、
最大の物証だけが欠けていました。

HMS Erebusそのものです。

2014年9月。

1845年の出航から169年後、
海底ソナーに一隻の木造船が映りました。

次回は、
Inuitの口承、
現代の海底探査、
陸上で見つかった小さな金属片が
どのようにつながり、
HMS Erebus発見へ至ったのかを追います。


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今回出てきた言葉

鉛中毒説
Franklin遠征隊員の遺体・人骨から高い鉛濃度が確認されたことから、
鉛曝露が遠征崩壊を招いたとする仮説。
鉛曝露そのものは確認されているが、
現在の研究では遠征全滅の決定的原因だったとする説明は支持されていない。
John Torrington
HMS Terrorの隊員。
1846年1月1日にBeechey Islandで死亡した。
永久凍土に保存された遺体の医学調査から、
著しい衰弱と重い呼吸器疾患が確認された。
John Hartnell
HMS Erebusの隊員。
1846年1月4日に死亡。
遺体だけでなく爪の元素分析も行われ、
Franklin遠征における鉛・栄養状態研究の重要な資料となった。
scurvy/壊血病
長期間のビタミンC不足によって起きる疾病。
極地探検で重大な問題だったが、
Franklin遠征でどの程度死亡に寄与したかは現在も確定していない。
end-stage cannibalism
極度の飢餓状態で、軟部組織だけでなく骨を破壊・処理し、
骨髄など残された栄養まで利用する段階を指す考古学上の表現。
Franklin隊員の一部人骨から、この行動と整合する可能性のある痕跡が報告されている。

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集 全10回

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する【現在の記事】
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

出典・参考資料

  • Swanston et al. (2018) — Franklin expedition lead exposure: New insights from high resolution confocal x-ray fluorescence imaging of skeletal microstructure

    Franklin隊員人骨の鉛分布、
    遠征末期の鉛曝露、
    同時代比較、
    鉛が遠征喪失に決定的役割を果たしたとする説の再評価に使用。
  • Millar, Bowman & Battersby — A re-analysis of the supposed role of lead poisoning in Sir John Franklin’s last expedition, 1845–1848

    鉛中毒説の成立、
    当時の鉛曝露背景、
    栄養不足・感染症・寒冷など他要因との相互作用、
    単一原因説の問題点確認に使用。
  • Christensen et al. — Hartnell’s time machine: 170-year-old nails reveal severe zinc deficiency played a greater role than lead in the demise of the Franklin Expedition

    John Hartnellの爪を用いた鉛・亜鉛・銅の時系列分析、
    死亡直前の金属濃度変化と栄養状態仮説の確認に使用。
  • Millar & Bowman — “Hartnell’s time machine” reprise

    爪の亜鉛濃度を亜鉛欠乏の直接指標とすることへの異論、
    Hartnell研究の解釈上の限界確認に使用。
  • Mays & Beattie — Evidence for End-stage Cannibalism on Sir John Franklin’s Last Expedition to the Arctic

    King William Island周辺の人骨に残る切断痕、
    長骨の破壊・磨耗、
    骨髄抽出を目的とした末期人肉食の可能性と
    Inuit証言との整合性確認に使用。
  • Polar Record — Finding the dead: bodies, bones and burials from the 1845 Franklin Northwest Passage Expedition

    Franklin隊員の遺骨・埋葬地点の分布、
    そこから復元される南下経路、
    鉛・壊血病・結核など複数の死亡要因研究の整理に使用。
  • Polar Record — The health of nine Royal Naval Arctic crews, 1848 to 1854

    Franklin遠征のSick Bookが未発見であること、
    同時代の北極捜索艦隊に見られた呼吸器・消化器疾患、
    壊血病、結核、寒冷曝露とFranklin隊との比較検討に使用。

本記事では、Franklin遠征の死亡原因について
鉛中毒、結核、壊血病、亜鉛不足、飢餓、寒冷などを個別に検討した。
Franklin隊129人全員について直接の死因を示す医学記録は存在しないため、
いずれか一つを「全滅原因」として確定していない。
特に鉛については曝露の存在と臨床的な中毒、
人肉食については遠征崩壊の原因と末期飢餓の結果を区別した。