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JR福知山線脱線事故なぜブレーキ操作は遅れたのか伊丹駅オーバーランから事故まで

なぜブレーキ操作は遅れたのか|伊丹駅オーバーランから事故まで|REAL CASE FILE イメージビジュアル
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THE QUESTION

なぜブレーキ操作は遅れたのか | 伊丹駅オーバーランから事故までについて、この回が担う固有の論点は何か。

STORY SO FAR

前回「なぜ列車は曲線で脱線したのか|R304・70km/h・約116km/hを読み解く」で確認した論点を受け、この回ではなぜブレーキ操作は遅れたのか | 伊丹駅オーバーランから事故までについて、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。

2005年4月25日、快速5418Mは尼崎駅手前の制限70km/hの曲線へ約116km/hで進入した。[2]

CASE049-02では、その速度条件がなぜ1両目を左へ転倒するような脱線へ導いたのかを、曲線半径、カント、車両運動、事故調査のシミュレーションから確認した。

しかし、物理の説明だけでは事故の一番重要な疑問が残る。

なぜ、曲線へ入る前に十分なブレーキ操作が行われなかったのか。

事故調査報告書は、この問いを「運転士が単純に速度制限を忘れた」と処理していない。

事故直前の数分間には、宝塚駅到着時のATS非常ブレーキ作動、伊丹駅での約72mの停止位置行き過ぎ、後退しての再停車、車掌との車内電話、輸送指令員への報告、そして事故現場へ向かう列車運転が重なっていた。

事故調査は、これらを一つずつつなぎながら、事故現場までのブレーキ使用が遅れたのは、運転士の注意が運転からそれていたためと考えられる、と整理した。

さらに、その注意逸脱について、車掌と輸送指令員の交信へ特段の注意を払っていたことや、自分の失敗について言い訳を考えていたことが関係したと考えられる、とした。

一方で、その背後にあった日勤教育や懲戒処分を含む運転士管理方法については、事故調はより慎重である。

「事故原因そのもの」と断定したのではなく、運転士が交信へ注意を向けたり言い訳を考えたりしたことに、会社の運転士管理方法が関与した可能性が考えられるとした。

この表現の違いは重要だ。

CASE049-03では、伊丹駅到着から脱線までを時間順に戻しながら、「確認された事実」「事故調が考えられるとしたこと」「可能性が考えられるとした背景」を分けて追う。


事故の前には、宝塚駅でも異常な場面があった

事故列車の運転士は、5418Mとして営業運転を始める前、回送列車を宝塚駅へ入線させていた。

事故調査報告書によれば、宝塚駅へ到着する際、列車は制限速度を超え、ATSの確認扱いが完了しないまま進行したため、8時54分43秒ごろに非常ブレーキが作動して停止した。

JR西日本のルールでは、このような場合、運転士は輸送指令員へ状況を連絡し、指示を受けた後にATS復帰扱いを行うことになっていた。

しかし本件運転士は、輸送指令員へ連絡しないままATS復帰扱いを行い、運転を再開した。

この宝塚駅での出来事が、事故現場で直接列車を脱線させたわけではない。

ただし事故調は、後の伊丹駅オーバーランを分析する中で、この未報告のATS復帰扱いを運転士が気にしていた可能性を検討している。

つまり、事故直前の注意逸脱は、伊丹駅で突然始まったものとしてではなく、その前から続く心理的・認知的負荷の中で分析された。

ここで注意したいのは、本人から口述を得られないという事故調査上の制約である。

運転士は事故で死亡している。

そのため「本人はこう考えていた」と直接確認することはできない。

事故調は車掌や輸送指令員、他の運転士の口述、ATS-P記録、列車運転記録、運転操作、会社制度などを突き合わせて心理状態を推定している。

だから、報告書の「考えられる」「可能性が考えられる」という言葉を、後から断定形へ強めてはいけない。


伊丹駅の手前で、ブレーキ開始が遅れた

5418Mは事故直前の停車駅である伊丹駅へ向かった。

事故調査報告書によれば、列車は伊丹駅の所定停止位置の約643m手前を約113km/hで走行していたとき、ATS-Pの停車ボイス機能による音声が作動した。

さらに約468m手前を約112km/hで走行しているとき、停車駅通過防止警報が作動した。

その直後に強い常用ブレーキが使用された。

しかし減速は間に合わなかった。

列車は伊丹駅ホーム始端を約83km/hで通過し、その約11秒後、所定停止位置をなお約46km/hで通過した。

その後、車掌が非常ブレーキスイッチを操作し、運転士も非常ブレーキ位置へ操作したが、列車は所定停止位置を約72m行き過ぎて停止した。

この72mという数値は、後に指令へ報告された8mとは異なる。

まず実際の運転記録から解析された行き過ぎ距離が約72mあった。

そして事故後の調査で、車掌が輸送指令員へ「8m」と報告していたことが確認された。

この差が、事故直前の運転士の注意を考えるうえで重要になる。


停止から約12秒後、列車は後退した

伊丹駅で約72m行き過ぎて停止した5418Mは、そのままでは乗降位置から大きく外れていた。

事故調査報告書では、停止から約12秒後に後退を開始したとされる。

列車は後退して所定停止位置へ戻ろうとしたが、今度は所定停止位置より約3m後方まで下がり、9時15分43秒ごろに伊丹駅へ到着した。

定刻より約1分08秒遅れていた。

そして9時16分10秒ごろ、5418Mは伊丹駅を出発した。

この時点では定刻より約1分20秒遅れていた。

事故が起きるのは9時18分54秒ごろ。

伊丹駅出発から1両目脱線まで約2分44秒しかない。

この短時間に、運転士は列車を加速しながら、車掌との車内電話を行い、その後は車掌と輸送指令員の列車無線交信を聞く状況に入ったと事故調は整理している。


「まけてくれへんか」という車内電話

伊丹駅を出発した後、運転士は車掌へ車内電話をかけた。

運輸安全委員会が後に事故調査報告書を解説した資料では、運転士は車掌に「まけてくれへんか」というようなことを話したとされる。

車掌は、それを所定停止位置から行き過ぎた距離を短く報告してほしいという意味だと受け取り、「だいぶと行ってるよ」という趣旨で答えた。

ここで「まけてくれへんか」を何メートルにしてほしいという明示的な依頼だったと断定することはできない。

事故調が確認したのは、そのような発言があり、車掌が「行き過ぎ距離を小さく報告してほしいという意味」と受け取ったことだ。

その直後、7両目では別の出来事が起きた。

乗客が客室と車掌室の間を仕切るガラスを叩いたため、車掌は車内電話を切り、乗客への対応を行った。

乗客からは、遅れているのになぜ謝罪放送をしないのか、という趣旨の申し出があった。

車掌はその後、お詫びの車内放送を行った。

運転士側から見れば、車掌との車内電話が途中で終わった形になる。

事故調査報告書は、このとき運転士が「電話を切られた」「車掌が怒っている」と思った可能性にも言及している。

しかし、これも本人の口述で確認された心理ではない。

あくまで、行動と周辺状況から検討された可能性である。


実際は約72m、指令への報告は「8m」

その後、車掌は列車無線で総合指令所へ、伊丹駅で所定停止位置を行き過ぎたことと、それによって列車が遅延していることを報告した。

車掌の口述では、自分では行き過ぎ距離を30~40m程度と思っていた。

その一方で、5m程度なら運転士への処分が厳しくないと聞いていたが、5mでは少なすぎると考え、指令には「8m」と報告した。

遅延時間については「1分半」と報告した。

後の解析で実際の行き過ぎ距離は約72mだった。

この虚偽報告は重要だが、ここでも単純化しない方がよい。

車掌の説明では、運転士をかばう意図があり、虚偽報告が発覚することまで考えずに行ったとされる。

事故調は、車掌が虚偽報告を行ったことについて、運転士をかばうためだったものと考えられる、と整理した。

さらに、行き過ぎ距離を少なく報告することが当時の現場で常態化していたことが関与した可能性が考えられる、とした。

つまり、事故直前には「オーバーランという失敗」だけでなく、「その失敗をどう報告するか」という問題が運転室と車掌室の間に発生していた。


列車はその間も走り続けていた

列車無線による指令への報告は、停車中に行われたわけではない。

5418Mは伊丹駅を出発し、尼崎へ向かって走行していた。

事故調査の解説資料では、運転士が車掌と指令との交信へ注意を向け、自分の失敗に対する言い訳を考えていたことが、運転から注意がそれた要因として整理されている。

重要なのは、この間も列車が高速で移動していたことである。

運転士の認知作業は止まっても、列車の運動は止まらない。

伊丹駅を9時16分10秒ごろに出発。

猪名寺駅中心を9時17分38秒ごろに通過。

その後も力行し、塚口駅へ近づいていく。

CASE049-01で確認したとおり、塚口駅通過は9時18分22秒ごろ。

1両目脱線は9時18分54秒ごろ。

つまり、事故直前の運転士に残された時間は分単位ではなく、秒単位で減っていた。


注意がそれるとはどういうことか

「運転から注意がそれた」という表現を、「前を全く見ていなかった」と言い換えるのは正確ではない。

人間の注意には限界がある。

目の前の作業を続けながら、別の問題を考え、無線を聞き、その内容を記憶し、対応を考えることはできる。

しかし複数の課題へ注意を分配すれば、重要な情報の認知が遅れたり、いつも行っている操作を開始するタイミングが遅れたりする。

事故調が問題にしたのは、そのような注意配分だった。

報告書では、事故現場の曲線へ至るまでに必要なブレーキ使用が遅れたことは、運転から注意がそれたことによるものと考えられる、としている。

さらに、

  • 車掌と輸送指令員との交信へ特段の注意を払っていたこと
  • 自分の失敗への言い訳を考えていたこと

が注意逸脱につながったものと考えられる、と整理した。

また、交信内容をメモしようとしていたことが関与した可能性も検討された。

ここには証拠強度の段階がある。

「ブレーキが遅れた」ことは運転記録から確認できる。

「注意が運転からそれていた」は、事故調が行動・記録・口述を総合して「考えられる」とした分析。

「メモしようとしていたことの関与」は、さらに弱い「可能性が考えられる」という位置づけである。

CASE049ではこの段階を潰さない。


「考え事をしていたから事故を起こした」だけではない

事故を短く説明すると、「運転士がオーバーランの言い訳を考えていて、カーブを忘れた」と表現されることがある。

しかし、これは事故調の分析をかなり圧縮した説明である。

事故調査で確認されたのは、単なるぼんやりした考え事ではない。

直前に実際の運転上の失敗が起きた。

その報告をめぐって車掌へ電話をした。

電話は途中で終わった。

車掌はその後、輸送指令員へ報告を始めた。

その内容は実際の行き過ぎ距離より小さかった。

運転士は走行中、その交信へ注意を向けていたと考えられている。

そのうえ、自分の失敗についてどのように説明するかを考えていた可能性が高いと事故調は解析した。

つまり、事故直前の認知負荷には、運転操作以外の複数の課題が重なっていた。

その間に、列車は事故曲線へ接近していた。


日勤教育は「直接原因」と断定されていない

福知山線事故を語るとき、必ず登場する言葉の一つが「日勤教育」である。

本件運転士は、過去にも日勤教育を受けていた。

事故調査報告書によれば、2004年6月の片町線下狛駅での停止位置行き過ぎに対して13日間の日勤教育を受けていたほか、車掌時代の事象でも日勤教育を受けている。[1]

事故調は、その日勤教育について、精神論的なレポート項目が多く、運転中の注意配分やブレーキ操作など実践的な運転技術に関する内容が少なかったことを指摘した。

また、他の運転士への口述調査などから、日勤教育が一部の運転士にペナルティとして受け取られていたことも分析した。

ここから「日勤教育が事故を起こした」と直結させたくなる。

しかし事故調の表現はそこまで強くない。

報告書が述べたのは、交信へ特段の注意を払ったり、言い訳を考えたりしていたことについて、インシデントを起こした運転士に日勤教育や懲戒処分等を行い、報告を怠ったり虚偽報告した場合にはさらに厳しく扱うという運転士管理方法が関与した可能性が考えられるということだった。

「可能性が考えられる」である。

事故調自身が採用した証拠強度の中では、断定ではない。

この違いを落とすと、「日勤教育が直接列車を脱線させた」という因果関係に書き換わってしまう。

それは報告書が言っていることとは違う。


事故調は運転士の適性異常を認定していない

事故後には、運転士個人の資質や適性を問題視する見方も広がった。

しかし後の運輸安全委員会の検証資料では、本件運転士について、運転適性や運転技術に特別な異常は見つからなかったという事故調査の整理が示されている。

健康状態や勤務状況についても、事故原因として説明する異常は認定されていない。

これは「何の問題もなかった」という意味ではない。

宝塚駅でルールどおりの指令連絡をせずATS復帰扱いを行ったこと、伊丹駅でブレーキ開始が遅れて約72mオーバーランしたこと、車掌へ虚偽報告を求めたと考えられる電話をしたことなど、具体的な行動上の問題は事故調査で分析されている。

重要なのは、それらを「特殊で不適格な一人の運転士だったから」と片づけることが事故調の結論ではないという点である。

もし「普通の運転士でも、ある条件が重なると安全に必要な注意を失う可能性がある」と考えるなら、再発防止の対象は個人だけではなくなる。

教育、報告制度、無線の使い方、運転支援、安全設備、管理方法などへ視野を広げる必要が生まれる。


車掌の「8m報告」は何を示すのか

実際のオーバーランは約72m。

車掌が指令へ報告したのは8m。

数字だけ見れば、大きな虚偽報告である。

しかし事故調がさらに問題視したのは、この行動が孤立した一回限りのものだったのかという点だった。

他の乗務員への調査では、停止位置行き過ぎなどの距離を少なく報告するよう依頼した、あるいは依頼された経験があるという口述も得られている。

事故調は、車掌による虚偽報告に、行き過ぎ距離を少なく報告することの常態化が関与した可能性が考えられる、とした。

この問題はCASE049-05で詳しく扱う。

ここで重要なのは、事故直前の運転士にとって「正確に何が起きたかを報告する」ことより、「報告された結果が自分にどう返ってくるか」が強い関心事になっていた可能性があることだ。

安全システムでは、失敗や異常を正確に報告できるかどうかが重要になる。

もし報告することで強い不利益を予想する環境があれば、人は情報を小さく見せたり、隠したり、言い訳を考えたりする方向へ動く可能性がある。

ただし、その一般論を本事故へそのまま当てはめて断定してはいけない。

事故調が本件で述べたのは、会社の運転士管理方法がその注意状態に「関与した可能性が考えられる」というところまでである。


ブレーキ操作は曲線に入ってから始まった

事故現場へ近づく列車は、塚口駅通過後も高い速度を維持していた。

事故調の解説では、制限70km/hへ減速するため本来ブレーキを開始すべき地点を通過しても、ブレーキ操作が始まらなかった。

実際にブレーキ操作が行われたのは脱線直前、曲線入口を越えたあたりだった。

しかも最初から非常ブレーキや常用最大ブレーキが選ばれたわけではなく、通常の運転時に見られるような段階的なブレーキ操作が行われた可能性が指摘されている。

CASE049-02で確認したとおり、9時18分50秒ごろからB1、B3またはB4、B5、B6、B7、そしてB8へとブレーキ操作が進んだ。[1]

1両目の脱線は9時18分54秒ごろ。

つまり、ブレーキをかけ始めてから脱線までに残された時間は極めて短かった。

この数秒で、約116km/hの列車を70km/h以下まで落とすことはできなかった。

だから事故の焦点は、「最後にブレーキを操作したかどうか」ではない。

必要な地点で減速を開始できなかったことにある。


「注意逸脱」はヒューマンエラーだが、個人非難とは違う

事故調査におけるヒューマンファクター分析は、運転士を心理的に裁くためのものではない。

人間がどのような条件で重要な操作を失念したり、開始を遅らせたりするのかを理解し、システム側でどう補うかを考えるためにある。

この事故で運転士が必要なブレーキ操作を遅らせたことは重大である。

しかし、そこで「運転士が悪かった」で分析を止めれば、次に別の運転士が似た認知状態に入ったとき、同じ危険が残る。

事故調は、走行中の運転士がメモを取ることを禁止すべきことや、安全上必要性が高い場合を除いて走行中の交信を制限すべきことなどを指摘した。

これは、注意資源の限界を制度側で扱う発想である。

安全に必要な行動を「集中してください」という注意喚起だけに任せず、注意を奪う作業そのものを減らす。

福知山線事故後の安全対策でヒューマンファクターが大きなテーマになった理由の一つがここにある。


事故調の4段階を崩さない

運輸安全委員会の検証資料は、事故調査報告書の表現について、概ね次のような証拠強度の違いを整理している。

断定できる場合は「認められる」。

断定できないが、ほぼ間違いない場合は「推定される」。

可能性が高い場合は「考えられる」。

可能性がある場合は「可能性が考えられる」。

福知山線事故を扱うとき、この違いは特に重要である。

たとえば、

「列車が伊丹駅で約72mオーバーランした」

これは運転記録などから確認された事実である。

「事故現場までのブレーキ使用が遅れたのは、運転から注意がそれたため」

これは事故調が「考えられる」とした分析である。

「注意がそれたことに、交信内容をメモしようとしていたことが関与した」

これは「可能性が考えられる」とされる。

「その注意状態に会社の運転士管理方法が関与した」

これも「可能性が考えられる」という段階である。

これらを全部「原因だった」と同じ強さで書くと、事故調査の構造そのものを壊してしまう。


伊丹駅から事故現場までの2分44秒

時系列を最後にもう一度並べる。

伊丹駅で5418Mは所定停止位置を約72m行き過ぎて停止した。

停止約12秒後に後退開始。

所定停止位置より約3m後ろへ戻り過ぎ、9時15分43秒ごろ伊丹駅に到着。

9時16分10秒ごろ、定刻より約1分20秒遅れて出発。

出発後、運転士は車掌へ車内電話をかけ、行き過ぎ距離を小さく報告するよう求めたと考えられる発言をした。

車掌は乗客対応のため電話を終え、その後、列車無線で指令へオーバーランを報告。

実際は約72mだったが、車掌は8mと報告した。

その間、列車は走り続けた。

事故調は、運転士がその交信へ特段の注意を向け、自分の失敗への言い訳を考えていたことから、運転への注意がそれたものと考えた。

9時18分22秒ごろ塚口駅通過。

本来減速を始めるべき地点を過ぎても十分なブレーキ操作は行われなかった。

事故曲線へ約116km/hで進入。

9時18分54秒ごろ1両目脱線。

伊丹駅出発から約2分44秒だった。


なぜブレーキは遅れたのか

CASE049-03の問いに、事故調査の表現を保ったまま答えるならこうなる。

ブレーキ使用が遅れたのは、運転士の注意が運転からそれていたためと考えられる。

注意がそれたのは、伊丹駅での停止位置行き過ぎ後、車掌と輸送指令員との交信へ特段の注意を払っていたこと、そして自分の失敗について言い訳を考えていたことによるものと考えられる。

交信内容をメモしようとしていたことも関与した可能性が考えられる。

さらに、そのような注意状態に至った背景として、日勤教育や懲戒処分等を含むJR西日本の運転士管理方法が関与した可能性が考えられる。

この最後の一段を、「日勤教育が事故原因だった」と断定形へ変更してはいけない。

一方で、事故を運転士個人の一時的な不注意だけに縮小することも、事故調の分析を十分に反映しない。

本事故では、人の注意、報告制度、教育・処分、安全設備という複数の層が接続していた。

CASE049-03はそのうち、人の注意が事故直前にどう崩れたかを扱った。

次に残るのは別の問いである。

人間が必要な減速を忘れたとき、鉄道システム側は列車を止められなかったのか。

次回CASE049-04では、ATS-SW、ATS-P、曲線速度照査を分け、事故当時の福知山線にどの機能があり、事故曲線には何がなかったのかを確認する。


FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] 航空・鉄道事故調査委員会「鉄道事故調査報告書 RA2007-3-1 西日本旅客鉄道株式会社 福知山線塚口駅~尼崎駅間 列車脱線事故」2007年6月28日
  2. [2] 運輸安全委員会「JR西日本福知山線事故調査に関わる不祥事問題の検証と事故調査システムの改革に関する提言」2011年4月15日
  3. [3] 運輸安全委員会「福知山線列車脱線事故に係る鉄道事故調査報告書の概要/事故調査報告書に関する解説」
  4. [4] JR西日本「福知山線列車脱線事故の鉄道事故調査報告書に対する取り組み」
  1. 01 JR福知山線脱線事故で何が起きたのか|2005年4月25日の5418Mを追う
  2. 02 JR福知山線脱線事故|なぜ列車は曲線で脱線したのか|R304・70km/h・約116km/hを読み解く
  3. 03 JR福知山線脱線事故|なぜブレーキ操作は遅れたのか|伊丹駅オーバーランから事故まで
  4. 04 JR福知山線脱線事故|ATSはなぜ事故を止められなかったのか|ATS-SWとATS-P、速度照査の空白
  5. 05 JR福知山線脱線事故|事故の背景に何があったのか|ダイヤ・日勤教育・報告制度・安全管理
  6. 06 JR福知山線脱線事故|脱線後の現場で何が起きたのか|車両衝突・救助・多数傷病者への対応
  7. 07 JR福知山線脱線事故|事故調査は何を明らかにしたのか|2007年報告書とその後の検証
  8. 08 JR福知山線脱線事故|福知山線事故後、鉄道安全はどう変わったのか|ATS・安全管理・事故継承

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