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MKULTRA Subproject 68Ewen Cameronとモントリオール実験

モントリオールのSubproject 68では何が行われたのか?|Ewen CameronとAllan Memorial Institute
U.S. Senate Select Committee on Intelligence, Project MKULTRA Joint Hearing (1977) 出典 U.S. Government work / official Senate record

THE QUESTION

モントリオールのSubproject 68では何が行われたのか? | Ewen CameronとAllan Memorial Institute

STORY SO FAR

前回「知らない被験者にLSDはどう投与されたのか?|秘密投与とフランク・オルソン事件」で確認した論点を受け、この回ではモントリオールのSubproject 68では何が行われたのか? | Ewen CameronとAllan Memorial Instituteを扱う。

MKULTRAの中でも、モントリオールのAllan Memorial Instituteで行われたSubproject 68は、後世に最も強い印象を残した事例の一つである。

Ewen Cameronの名とともに語られるのは、反復音声を用いる「psychic driving」、既存の行動・記憶パターンを崩そうとする「depatterning」、強い電気けいれん療法、薬物による長時間睡眠、部分的な感覚遮断、LSDなどの薬物である。そのため一般向けの説明では、「CIAがカナダの病院で患者の人格を消去し、再プログラムする実験を命令した」と一文でまとめられることもある。

しかし、残っている資料を読むと、その構図はもう少し複雑である。

CameronはCIA資金が始まる前からpsychic drivingを研究し、1956年にはその考えを医学誌で発表していた。1957年のSubproject 68申請書にも、CIA側が新しい治療法を一から指定したのではなく、Allan Memorial側ですでに進めていた研究を拡張する形で計画が書かれている。一方でCIAは、その研究内容を読んだうえで資金提供を承認し、MKULTRAのSubproject 68として支援した。資金はCIA名義ではなく、Society for the Investigation of Human Ecologyという仲介組織を通じて支払われた。

つまり、この事例で問うべきなのは、「CIAかCameronか、どちらが全部を始めたのか」という二択ではない。

Cameronが自ら形成していた精神医学上の研究・治療構想と、行動変容技術を探していたCIAの関心が、秘密の資金経路を介して接続した。その結果、通常の患者治療と研究が重なる医療施設で、CIAが利用価値を見いだした方法が継続的に資金支援された。

この記事では、Subproject 68について、資金経路、研究計画、実際に文書化された手法、患者の位置づけ、CIA側の認識を分けて整理する。

先に結論――CIAはCameronの既存研究へ秘密資金を流したが、日々の治療を直接命令した証拠までは確認できない

一次・公式資料から固定できる要点は明確である。

  • Cameronは1943年、McGill UniversityのProfessor of Psychiatry、Department of Psychiatryの初代Chair、Allan Memorial InstituteのDirectorに任命された。
  • psychic drivingはCIA funding前からCameron自身が研究し、1956年に医学誌へ発表していた。
  • 1957年1月のgrant applicationは「反復する言語信号が人間行動へ与える影響」を研究する計画だった。
  • CIAは1957年3月にこれをMKULTRA Subproject 68として承認し、米連邦地裁が政府資料から整理したfunding periodは1957年3月18日〜1960年6月30日である。
  • 後年のCIA summaryは総額を約6万ドル、cover mechanismをSociety for the Investigation of Human Ecologyとする。
  • 同summaryはCameronをCIA sponsorshipについて「unwitting」と分類し、「Agencyが研究のnatureへ影響した証拠はない」と記している。
  • ただしCIAはproposalの内容を読み、MKULTRAとして資金を承認した。秘密資金の提供と日々の臨床指示は別問題である。
  • proposalにはintensive electroshockによるdepatterning、1日16時間・6〜7日のverbal repetition、partial sensory isolation、7〜10日のcontinuous sleep、LSD-25等のchemical agentsが明記されている。
  • 患者の同意も単純ではない。1988年Orlikow判決は、原告らが治療について何らかの同意をしていた一方、「alleged experimental nature」を知らなかった点は争われていないと整理した。

したがって、Subproject 68は「CIAがCameronへ一から治療法を命令した事件」でも、「CIAとは無関係な独自治療」でもない。Cameronの既存研究とCIAの行動変容研究への関心が、秘密資金を介して接続した事例である。

Ewen Cameronはどのような立場にいたのか

McGill University Archivesの1943年7月1日付appointment letterは、CameronをProfessor of Psychiatry、Director of the Allan Memorial Institute、Chairman of the Department of Psychiatryへ任命したことを示す。McGillの公式史も、1943年創設の精神医学部門がAllan Memorial Instituteを拠点とし、Cameronが初代Chairだったと記している。

CIA資金の流入先は秘密実験専用施設ではなく、大学と病院に接続した教育・研究・患者治療の場だった。このため、後に個々の処置について「治療」「研究」「実験」の境界が争点になる。

CIAが接触する前から「psychic driving」は存在した

Cameronは1956年、American Journal of Psychiatryに「Psychic Driving」を発表していた。1988年Orlikow判決は、CIA心理学者John Gittingerがこの論文を読み、CameronへSociety for the Investigation of Human Ecologyの研究資金へ応募するよう招いた経緯を政府資料から整理している。

時系列は、Cameronが研究を始める→psychic drivingを公表する→CIA側が研究を知る→秘密資金へ接続する、である。「CIAがpsychic drivingを開発させた」とする直接根拠は確認できない。

1957年の申請書――何に資金を求めたのか

中心資料は1957年1月21日付「Application for Grant to Study the Effects upon Human Behavior of the Repetition of Verbal Signals」である。CIAの2月20日付memorandumは、Cameronを研究責任者とし、1957年3月18日開始の研究としてSubproject 68を準備している。

proposalの目的は、predetermined signalsの反復がphysiological functionsとpatterns of behaviorへ与える影響を調べることだった。heteropsychic drivingの改善や、既存行動パターンをより速く崩すchemical agentsの探索も含まれ、Artane、Anectine、Bulbocapnine、Curare、LSD-25などが候補として挙げられた。

これは候補物質のリストであって、全患者へ全物質を投与した記録ではない。ただし後年のCIA summaryは、LSD-25などが患者へ使用されたことを記録している。

depatterningとpsychic drivingはどう組み合わされたのか

grant applicationは、「lasting changes in the patient’s behavior」を目指す手順として次を記している。

  1. particularly intense electroshocksによってongoing patterns of behaviorを崩す。
  2. prearranged verbal signalを1日16時間、6〜7日間反復する。
  3. その期間、患者をpartial sensory isolationへ置く。
  4. その後7〜10日間のcontinuous sleepへ移す。

Cameron側の用語はdepatterningとpsychic drivingであり、病的な行動・思考パターンを弱めた後、反復メッセージで持続的変化を作ろうとする治療・研究構想だった。

intensive electroshockとcontinuous sleepは資料に直接ある

電気けいれん療法の使用は後世の伝説ではない。Subproject 68のgrant application自体がdepatterningの手段として「particularly intense electroshocks」を明記している。Cameron自身の1960年論文「Production of Differential Amnesia as a Factor in the Treatment of Schizophrenia」も、intensive electroshock therapy、またはelectroshockとprolonged chemical sleepによるdepatterningを記述した。

一方、「通常のECTの30〜40倍」といった一律の比較値は、刺激条件や当時の標準を特定しないまま使うと不正確になる。本稿では一次資料が直接示す「particularly intense / intensive electroshock」までを固定する。

continuous sleepについて、Subproject 68のproposalが直接示すのはpsychic driving後の7〜10日間である。より長い睡眠期間が語られる患者事例は存在するが、それは個別記録やCameronの別研究に基づいて検証すべきで、proposal全体へ一般化しない。

CIA資金はどの経路で届いたのか

資金はCIAからMcGillへ直接「CIA研究費」として送られたのではない。cover mechanismはSociety for the Investigation of Human Ecologyだった。

Orlikow判決は、このSocietyをCIAが外部研究をfundするために用いたsecret front organizationとして整理している。CameronはCIAではなくSocietyへgrant applicationを提出し、CIAは1957年3月4日にSubproject 68として承認した。判決が政府資料から示すfunding periodは1957年3月18日〜1960年6月30日で、後年のCIA summaryは総額を約6万ドルとしている。[1]

1960年4月12日、CameronはSocietyへ数年間の支援への謝意を記した。CIA funding終了後も研究そのものは続いたため、「Allan Memorialで行われた全活動=CIA資金による活動」ではない。

Funding chronology――Subproject 68の資金関係

時点 確認できること
1956年 Cameronのpsychic driving論文をCIA側が把握し、Society資金への応募を促す
1957年1月21日 Allan Memorial側のgrant application
1957年2月20日 CIA内部のSubproject 68開始memorandum
1957年3月4日 CIAがgrantをSubproject 68として承認
1957年3月18日 funding period開始
1959年4月 CIA memorandumは100を超えるcasesの完了を記録
1960年4月12日 CameronがSocietyへ支援への謝意を表明
1960年6月30日 CIA funding period終了
後年CIA summary 総額約6万ドル、Societyをcover mechanism、Cameronをunwittingと分類

初期CIA memoは2年間の計画としているが、後の法廷記録は1960年6月までのfundingを示す。したがって当初期間と実際の継続期間を分けて読む必要がある。

CameronはCIAスポンサーだと知っていたのか――資金提供と研究指示を分ける

後年のCIA Subproject 68 summaryはCameronを「UNWITTING」と分類し、Agencyが研究のnatureへ影響した証拠はないとしている。Orlikow判決も、MKULTRAではCIAが間接的にfundしたため、参加研究者がCIA関与を知らない場合があったと整理する。

現存する公式記録に従えば、CameronはCIAを真のスポンサーとしては知らなかったと扱うのが妥当である。ただし本人の内心を完全に再現する資料はなく、「何も疑わなかった」まで証明するものではない。

また、研究方法をCIAが直接命令した証拠が乏しいことと、CIAの責任がないことは別である。CIAはproposalに書かれたelectroshock、LSD、sensory isolation、continuous sleep、verbal repetitionを把握したうえでMKULTRA資金を承認している。

資料に最も忠実な構図は、Cameron側が研究方法を形成し、CIA側がそこへ情報価値を見いだして秘密裏にfundした、である。

患者は「実験」だと知っていたのか――treatmentとresearchの境界

CIAの後年summaryは、患者がwittingだったかについてfileにindicationがないとしている。

一方、1988年Orlikow判決は原告9人について、grant period中にCameronの患者であり、各人がgrant applicationに記されたprocedureの少なくとも一部を受けたこと、そして「alleged experimental nature」を知らなかった点は争いがないと整理した。同時に「various forms of consent were given for treatment」とも記している。

つまり、治療への同意と、研究計画・秘密スポンサーを理解した上でのresearch informed consentは別である。「全員が何も同意していなかった」とも、「治療同意があるから研究同意も十分だった」とも言えない。

Cameron自身はdepatterningやpsychic drivingを治療法として発表し、CIA側は同じ活動を人間行動へ影響する研究として支援した。同一の手技が、患者には治療、研究者には治療研究、CIAにはbehavioral researchという複数の意味を持っていた。

患者への影響はどこまで追えるのか

CIA summaryは、患者として長期かつ治療困難なpsychoneurotic conditionsを持つ人々が選ばれたと記し、1959年memoは100を超えるcasesが完了したとしている。しかし、この内部要約だけでは100人全員の診断、処置、長期転帰を復元できない。

Orlikow判決は、原告の一人についてLSD、複数薬物、65回のelectroconvulsive shocks、54日間のdrug-induced sleep、sensory deprivation、psychic drivingを受けたとする息子のpsychiatristによるaffidavitを紹介する。ただしこれは個別訴訟上のEvidenceで、Subproject 68全患者へ一般化できない。

本稿で固定するのは、CIA-funded proposalに侵襲的な方法が明記され、grant-periodの患者らがそのprocedureの少なくとも一部を受けていた、という範囲である。

「brainwashing」は後世の総括語として分ける

Subproject 68は「brainwashing experiments」と呼ばれることが多いが、Cameron側の文書で中心となる用語はpsychic driving、depatterning、repetition of verbal signals、behavioral change、differential amnesiaである。

したがって「人格を消してCIA向けに再プログラムすることに成功した」と書くことはできない。残存資料は侵襲的な方法と行動変化への明確な関心を示すが、望む人格を自由に作る技術の完成を示してはいない。

またSubproject 68は149サブプロジェクトの一つであり、ここで行われた方法をMKULTRA全体の標準手法へ一般化してはならない。

FACT CHECK――Subproject 68で固定できること

1.CameronはMcGill Universityの正式な精神医学部門責任者だったのか。 確認できる。McGill Archivesの1943年appointment letterが、Professor of Psychiatry、Allan Memorial Institute Director、Department Chairへの任命を記録する。

2.CIAがpsychic drivingを始めさせたのか。 確認できない。CameronはCIA funding前の1956年にpsychic drivingを発表していた。

3.Subproject 68のCIA fundingはいつか。 Orlikow判決が政府資料から整理した期間は1957年3月18日〜1960年6月30日。[1]承認日は1957年3月4日。

4.資金額と経路は。 後年CIA summaryは約6万ドル、cover mechanismをSociety for the Investigation of Human Ecologyとする。

5.CameronはCIAスポンサーだと知っていたのか。 CIA summaryはCameronを「UNWITTING」と分類している。今回のEvidence setでは、この分類を覆す直接一次資料は確認できない。

6.CIAが具体的治療法を命令したのか。 直接証拠は確認できない。CIA summaryは研究のnatureへ影響した証拠はないとする。ただしCIAは具体的proposalを把握してfundした。

7.proposalにelectroshock、sensory isolation、sleep、LSDは含まれていたのか。 含まれていた。particularly intense electroshocks、1日16時間・6〜7日のverbal repetition、partial sensory isolation、7〜10日のcontinuous sleep、LSD-25等が文書化されている。

8.患者は十分なresearch consentを与えていたのか。 一括して確認できない。Orlikow判決は原告らがalleged experimental natureを知らなかった一方、治療への各種同意は存在したと整理する。

9.CIA funding終了で研究も終わったのか。 違う。CIA funding終了後もCameronの研究は続いた。

10.Subproject 68はMKULTRA全体の標準手法か。 違う。一施設・一subprojectのCase Studyである。

Subproject 68が示したもの

Subproject 68の本質は、「CIAかCameronか」という単純な二択ではない。

Cameronは既存の大学病院で、自ら形成した治療・研究構想を進めていた。そこにはdepatterning、psychic driving、electroshock、chemical sleep、sensory isolation、LSDなど、現在から見れば非常に侵襲的な方法が含まれた。

CIAはその研究に行動変容上の価値を見いだし、スポンサーの正体を隠したSociety経由で複数年にわたりfundした。公式記録上CameronはCIA sponsorshipについてunwittingだったが、CIA側はproposalの内容を把握していた。

患者側では、治療への同意と研究へのinformed consentが一致していなかった可能性が公式・法廷記録から浮かぶ。

つまり、秘密機関、cutout、大学、病院、研究者、患者という複数層が重なり、スポンサー、研究目的、治療、実験の境界が当事者ごとに異なっていた。この制度的な接続こそ、Subproject 68が重要な理由である。

次の記事では、個別実験から離れ、なぜMKULTRAの全貌を後から復元できないのかを追う。1973年の記録廃棄と1977年の財務記録再発見が、現在のMKULTRA像をどのように形作ったのかがCASE048-07の主題になる。[8]

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] CIA, MKULTRA Subproject 68 , including the February 20, 1957 memorandum and the application for grant concerning the effects upon human behavior of the repetition of verbal signals
  2. [2] CIA, later summary/briefing material concerning Subproject 68, principal researcher Dr. D. Ewen Cameron, Allan Memorial Institute of Psychiatry at McGill University, funding cover, participant awareness, and project details
  3. [3] McGill University Archives, Dr. Ewen Cameron appointment letter , July 1, 1943
  4. [4] McGill University, Department of Psychiatry, History of the Department
  5. [5] Cameron, D. Ewen, Psychic Driving , American Journal of Psychiatry, 1956
  6. [6] Cameron, D. Ewen, Production of Differential Amnesia as a Factor in the Treatment of Schizophrenia , Comprehensive Psychiatry, 1960
  7. [7] Orlikow v. United States , 682 F. Supp. 77, U.S. District Court for the District of Columbia, January 19, 1988
  8. [8] U.S. Senate, Project MKULTRA, the CIA’s Program of Research in Behavioral Modification , Joint Hearing, August 3, 1977
  1. 01 MKULTRA計画とは何だったのか?|公文書で確認できる事実と記録の限界
  2. 02 MKULTRA計画|なぜCIAはMKULTRAを始めたのか?|BLUEBIRD・ARTICHOKEから1953年承認まで
  3. 03 MKULTRA計画|MKULTRAはどう運営されたのか?|149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワーク
  4. 04 MKULTRA計画|MKULTRAは何を試していたのか?|LSDだけではない行動変容研究の範囲
  5. 05 MKULTRA計画|知らない被験者にLSDはどう投与されたのか?|秘密投与とフランク・オルソン事件
  6. 06 MKULTRA Subproject 68|Ewen Cameronとモントリオール実験
  7. 07 MKULTRA計画|なぜMKULTRAの全貌は復元できないのか?|1973年の記録廃棄と1977年公聴会
  8. 08 MKULTRA計画|MKULTRAについて何が事実で、何が未確認なのか?|公文書・証言・陰謀論の境界

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