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MKULTRA計画MKULTRAはどう運営されたのか?149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワーク

MKULTRAはどう運営されたのか?|149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワーク
U.S. Senate Select Committee on Intelligence, Project MKULTRA Joint Hearing (1977) 出典 U.S. Government work / official Senate record

THE QUESTION

MKULTRAはどう運営されたのか? | 149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワーク

STORY SO FAR

前回「なぜCIAはMKULTRAを始めたのか?|BLUEBIRD・ARTICHOKEから1953年承認まで」で確認した論点を受け、この回ではMKULTRAはどう運営されたのか? | 149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワークを扱う。

MKULTRAは、CIA内部の一つの研究室だけで完結した計画ではなかった。

1953年に承認された枠組みの下で、CIAは多数のサブプロジェクトを設け、大学、病院、研究財団、企業、刑務所など外部の研究環境と接続した。しかも、その接続方法は単純な「CIAと大学の直接契約」だけではない。CIAの関与を隠すために、財団や基金、個人、別の政府機関などが資金仲介やcoverとして使われる場合があり、研究者や所属機関が最終的な資金源を知らないまま研究費を受け取るケースもあった。

1977年に見つかった資料からは149のサブプロジェクト、185人の非政府研究者・助手、80の機関名が確認された。[1]ただし、これは「CIAが直接149件の実験を一つの指揮系統で実施した」という意味ではない。研究、調達、資金経路の維持など性質の違う案件が同じ番号体系に含まれていた。

この記事では、個々の実験内容ではなく、MKULTRAを支えた組織・契約・資金の仕組みに焦点を当てる。1977年の上院公聴会、1963年のCIA Inspector General報告、残存するCIA文書をつなぎ、「誰が管理し、どのように外部へ資金を流し、どこまでCIAの関与が隠されていたのか」を復元する。

先に結論――MKULTRAは「分散型の研究ネットワーク」だった

公文書から確認できるMKULTRAの運営構造は、次のように整理できる。

  • CIA内部ではTechnical Services Division(TSD)がMKULTRAの研究開発を担当した。
  • 1963年のInspector General報告では、TSDは研究開発予算の一部、最終的には20%に設定された枠をMKULTRA関連研究へ使用できたとされる。
  • MKULTRAでは通常のproject approval、funding、accounting手続きが免除され、内部で区画化された管理が採用された。
  • 外部研究は、大学、製薬会社、病院、州・連邦機関、民間研究組織などの専門家との継続的な関係を通じて行われた。
  • CIAの関与を隠すため、cutout、intermediary、foundationなどの仲介経路が使われた。
  • 研究者や機関がCIAスポンサーであることを知っていたかどうかは一様ではない。少数の「key individuals」だけが知る構造もあれば、受領者がCIA資金だと知らない助成もあった。
  • 1977年に回収された資料では、149サブプロジェクトに関係する185人の非政府研究者・助手と、80の機関名が確認された。
  • ただし149は完全な「実験件数」でも、MKULTRA全期間の完全な活動総数でもない。継続案件が新しい番号に置き換えられる場合もあり、資金経路それ自体を扱うサブプロジェクトもあった。
  • 1977年に見つかった資料は主にBudget and Fiscal Sectionに残った財務・管理記録であり、各研究の完全な運用記録ではない。

したがって、MKULTRAを理解するうえで重要なのは、149という数字だけではない。その数字の背後に、CIA内部の小さな管理中枢、外部研究者、研究機関、資金仲介組織をつないだ多層のネットワークがあったことが本質である。

CIA内部の中心――Technical Services Division

1953年にMKULTRAが承認されたとき、研究開発の責任を与えられたのはTechnical Services Staff、後のTechnical Services Divisionだった。

1963年7月26日のCIA Inspector Generalによる「Report of Inspection of MKULTRA」は、MKULTRAをTSDの活動として監察している。報告によれば、TSDは人間の行動や生理状態へ影響し得る化学・生物などの材料を研究開発し、その成果を秘密工作へ利用できる能力を整える役割を担っていた。

この報告で運営構造を考えるうえで特に重要なのは、予算と手続きである。

TSDには、研究開発予算の一部をMKULTRAに使う権限が与えられ、その比率は最終的に20%に設定されたと報告されている。そして通常のproject approval、funding、accountingの手続きは免除された。後年には支出監査のための特別な仕組みが作られたが、発足時の設計から通常案件より強い秘密性と内部区画化を前提としていた。

これは「一切の承認がなかった」という意味ではない。MKULTRA自体はCIA長官の承認を受けており、内部には研究責任者や資金承認の仕組みも存在した。だが、通常の研究契約のように広い組織内で審査され、会計記録からスポンサーと研究内容を容易に追跡できる方式ではなかった。

この設計は、CIAの研究関心や外部研究者との接触を必要最小限の人員に限定するためだった。その結果、計画は「中央の巨大研究所」ではなく、小さな管理中枢が外部研究や支援案件をサブプロジェクトとして束ねる形になった。

Sidney Gottliebの位置――「一人ですべてを実施した」わけではない

MKULTRAの歴史ではSidney Gottliebの名前が頻繁に登場する。

1963年のInspector General報告では、Gottliebは当時TSDのDeputy Chiefであり、それ以前にはChemical Divisionを率いていた人物として現れる。残存するサブプロジェクト文書にも、Chemical Division/TSSまたはTSDの責任者として、研究提案、資金、継続案件の承認に関係した記録が残っている。

そのため、GottliebをMKULTRA管理の中心人物と呼ぶことには根拠がある。

ただし、「Gottliebが一人で149すべての実験を設計し、被験者へ直接実施した」と考えるのは構造を誤る。MKULTRAは外部の研究者や機関へ広く分散していた。CIA内部で研究課題の関心や資金を管理していても、実際の研究計画は外部研究者側が設計する場合があり、CIAがすべての日々の実験操作を直接指揮していたわけではない。

後の上院公式調査は、情報機関が個々の研究者にproject designを委ねていたことを指摘している。これは、CIAの責任が小さかったという意味ではない。むしろスポンサーとして研究方向を選び、資金を提供しながら、外部での具体的実施を分散させる構造だったことを示す。

この点は、責任関係を考える際に重要である。

CIAは「外部研究者が設計したから関係がない」とは言えない。一方、外部研究者も全員がCIA職員として同一の命令系統で動いていたわけではない。MKULTRAの実態は、その中間にある分散した資金・研究ネットワークだった。

149サブプロジェクトは「149回の実験」ではない

1977年8月3日の米上院公聴会で、CIA長官Stansfield Turnerは新たに発見された資料を三つの大きなグループに整理した。

第一が、149のMKULTRAサブプロジェクトである。

第二が、audit 報告書やfinancial statementを含む雑多なMKULTRA資料で、その中にはCIAスポンサーを隠すためのcutout、つまり仲介資金メカニズムの記録が含まれていた。

第三が、MKULTRAの資金枠から支出されていたものの、行動変容や薬物・毒物研究とは直接関係しない33の追加サブプロジェクトだった。

この整理だけでも、「149」という数字を単純な人体実験件数として読むことができない理由が分かる。

149の中には、研究そのものだけでなく、外部研究を支えるfunding mechanismを扱うサブプロジェクトが含まれていた。1977年の分類では、MKULTRA external research activitiesの資金メカニズムに関するものだけで3サブプロジェクトが挙げられている。

また、後年のCIA内部資料は、番号の付け方にも注意が必要だったことを示している。ある研究が年度をまたいで継続すると、新しいサブプロジェクト番号が割り当てられる場合があり、一つの活動系列が複数番号へ分かれることがあった。したがって、番号の総数と独立した研究テーマの数は一致しない。

さらに、1963年のInspector General報告ではTSDが144のサブプロジェクトを開始していたと記録されている一方、1977年の回収資料では149が整理されている。[2]これも、ある時点の進行中・累積件数と、後に回収されたサブプロジェクトファイルの集合を同一視できないことを示している。

この記事では149を、「1977年に回収された資料群で識別されたMKULTRAサブプロジェクトの集合」として扱う。それ以上の意味を持たせない。

1977年に見つかったのは「完全な実験ファイル」ではなかった

149サブプロジェクトの構造を復元できるようになったのは、1977年にそれまで見つかっていなかった記録が発見されたためである。

その資料は、Office of Technical ServiceのBudget and Fiscal Sectionの退役記録に残っていた。発見経緯を記した1977年6月のCIAメモは、過去の検索がChemistry、Biological、Behavioral Activities、Contracts Managementなど「MKULTRA文書がありそうな場所」を中心に行われたため、会計部門の一見目立たないファイルが見落とされていたと説明している。

この事情は、今回のテーマと直結する。

発見されたのは主に財務・管理文書だった。つまり、「実験を毎日どのように進めたか」を記録した研究ノートの完全セットではなく、誰に資金を出したか、どのサブプロジェクトへいくら割り当てたか、どの仲介組織を使ったか、どのproposalが承認されたかといった痕跡である。

上院公聴会でも、すでに1960〜1964年の76サブプロジェクトについてOffice of Finance由来のfinancial disbursement recordsがChurch Committeeへ提供されていたと説明されている。そして1977年の新発見は、研究者名や機関名、資金仲介の仕組みをさらに明らかにした一方、各研究の実施状況や結果を完全に再現するものではなかった。

これは、財務記録の弱点であると同時に強みでもある。

研究内容の細部は欠けていても、資金はどこかを通る。契約、grant、支払い、監査の痕跡が残れば、研究ネットワークの外形を追うことができる。1977年の資料がMKULTRAの「組織図」を復元するうえで重要なのは、このためである。

外部研究はどこで行われたのか

1963年のInspector General報告を後の上院調査が引用した部分では、MKULTRAのresearch and development phaseが、大学、製薬会社、病院、州・連邦機関、民間研究組織などの専門家との継続的な関係によって進められていたとされる。

つまり、外部機関の種類は一つではない。

1977年に回収された149サブプロジェクト資料から、CIAは185人の非政府研究者・助手の名前を確認した。[1]また、「仕事が行われた、またはこれらの人物が所属していた」とされた機関は80に達した。

Turnerの準備声明は、その80機関の内訳として、44の大学・college、15のresearch foundationまたは化学・製薬会社等、12の病院・clinic、3の刑務所を挙げている。これらを単純に足すと74であり、残り6機関について同じ箇所では分類が示されていない。したがって、80という総数と列挙カテゴリーを無理に一致させるべきではない。

MKULTRAは学術界だけを利用した計画ではなく、大学、病院、企業、研究財団、矯正施設など異なる制度の組織を含んでいた。ただし、80機関すべてで同じ種類の実験が行われたわけではない。機関名が資料に現れることと、その機関全体がCIAの目的を理解して秘密実験へ参加したことも同じではない。

CIAスポンサーを「機関そのもの」から隠す

1963年Inspector General報告を引用した上院公式調査には、MKULTRAの外部研究構造を端的に示す記述がある。

research and development phaseは、大学、製薬会社、病院、政府機関、民間研究組織の専門家とのstanding arrangementsによって行われ、CIAの関心が「institution」から隠される形が取られた。そして、各機関でCIAスポンサーを知らされたのは少数の「key individuals」に限られたとされる。

ここで「機関が知らなかった」と「研究者全員が知らなかった」は区別しなければならない。

例えば、大学の研究室にCIA資金が流れていたとして、大学執行部や経理部門がスポンサーを知らない一方、特定の教授や仲介者だけがCIAとの関係を知っていることはあり得る。逆に、研究者自身も最終的な資金源を知らず、通常の財団助成として受け取る場合もあった。

1977年の公聴会でTurnerは、多くの関係者や機関がCIA sponsorshipを知らなかった一方、witting basis、つまりCIAと承知して協力した研究者や機関も存在したことを明確にしている。

したがって、MKULTRAの外部ネットワークを「すべての大学が騙されていた」または「すべての研究者がCIAと知って参加していた」と一括することはできない。

正確には、知識の範囲が案件ごとに異なっていた。

cutoutとは何だったのか

この仕組みを支えたのがcutout、つまりCIAと最終受領者の間に置かれる仲介者・仲介組織である。

1977年公聴会では、新たに回収された二箱の雑多なMKULTRA資料に、CIA sponsorshipを隠すために用いられたintermediary funding mechanismsの監査報告や財務記録が含まれていたと説明されている。

cutoutを使うと、外部の研究者や機関から見える資金源は財団、基金、個人、別組織になる。最終的なCIAとの線が直接見えにくくなるため、研究テーマへの情報機関の関心を秘匿しやすい。

一方で、この方式は統制を弱くする。

上院のChurch Committee報告は、別のケースでBureau of Narcoticsがcutoutとして機能した結果、CIAが被験者選定や試験後のfollow-upを十分に管理できず、重要情報がCIA上層部へ届かない危険が生じたと批判している。cutoutは秘密性を高めるが、その距離そのものが管理上の空白を作る。

外部研究助成でも同じ構造上の問題がある。スポンサーを隠せば、受領機関はその研究がどの目的で利用される可能性があるのかを判断しにくい。研究者が学術的には正当なテーマを研究していても、その成果をCIAがどのような作戦目的で評価しているかまで共有されているとは限らない。

MKULTRAの資金ネットワークは、単なる会計上の工夫ではなく、秘密性と監督可能性のトレードオフを内包する仕組みだった。

Human Ecology系の助成は何を示すのか

1977年公聴会では、Society for the Investigation of Human EcologyとHuman Ecology Fundについても証言が行われた。

CIA関係者John Gittingerは、この仕組みが心理学、社会学、人類学などの行動科学研究を支援し、CIAが実質的に資金を提供していたと説明した。そして、助成を受けた研究者の中にはCIA資金であることを知らず、CIAから特別な研究指示を受けていない人々がいたと証言している。

公聴会では、財団がCIAから資金を受け、それを複数の研究programへgrantとして配分する構造も確認されている。Kennedy上院議員が「Foundation acquired the money from the Agency and then made grants」と確認すると、Gittingerは肯定している。また、そこには八つの大学と個人研究者が含まれていたというやり取りもある。

この例は、CIAから研究者へ直接資金を渡す方式だけでなく、一般的な研究助成の形式を介して最終スポンサーを見えにくくする経路があったことを示す。同時に、その資金で行われた研究すべてを「CIAが細部まで命令した秘密実験」とみなすこともできない。Gittingerは、CIAが資金を出しても各projectを直接指揮したわけではないと証言している。

80機関と86大学・機関――数字はなぜ一致しないのか

CASE048-02の段階で残った数字上の問題がある。

1977年8月3日の公聴会冒頭で、Senator Edward Kennedyは、新たな記録によって従来考えられていたより広範な実験が判明し、「86 universities or institutions were involved」と述べた。

一方、同じ公聴会でTurnerが回収資料を整理した準備声明では、149サブプロジェクトに関する185人の非政府研究者・助手が確認され、その人物が仕事をした、または所属していた機関として80機関が挙げられている。

この二つを同じ数字の誤記として片付ける根拠は、今回確認した公聴会記録にはない。

80は、Turnerが「recovered material dealing with the 149 subprojects」という具体的な資料集合に結び付け、「where work was done or with which these people were affiliated」という基準で数えた数字である。その内訳として44大学・college、15研究財団・化学/製薬企業等、12病院・clinic、3刑務所が示されている。

対して86はKennedyのopening remarksに現れるが、同じ箇所には集計基準や分類内訳が示されていない。公聴会本文を検索しても、86という総数が後でTurnerの80へどう調整されたかを説明する箇所は確認できない。

したがってこの記事では、80を「回収された149サブプロジェクト資料からTurnerが具体的に整理した機関数」、86を「Kennedyが冒頭発言で述べた、より広いまたは別集計の可能性がある数字」として分けて記録する。

どちらか一方を根拠なく正しい総数へ昇格させない。MKULTRAの数字を扱う際には、数字そのものより「何を母集団として数えたか」を確認する必要がある。

研究ネットワークを図にすると何が見えるか

CASE048-03では、後工程でFUNDING_NETWORK図を作成する。

公文書で支えられる基本ノードは、次の四層である。

第1層:CIA内部の管理 Technical Services Staff / Technical Services Division、Chemical Division、研究・資金承認に関わる内部責任者。

第2層:資金仲介・cover cutout、intermediary、foundation、fundなど。案件によっては別政府機関がcoverや仲介機能を持つ。

第3層:外部研究機関・研究者 大学、研究財団、製薬・化学企業、病院・clinic、州・連邦機関、刑務所、個人研究者。

第4層:subproject / research activity 個々の研究、調達、試験、支援、資金メカニズムなど。

ただし、すべての案件がこの四層を必ず同じ順番で通ったわけではない。

CIAから外部研究者へ比較的直接的に接続する案件もあれば、財団を挟む案件もある。外部機関の一部の人物だけがスポンサーを知る場合もあれば、研究者自身が知らない場合もあった。図は「典型的に確認できる経路」を示すものであり、MKULTRA全案件に共通する固定配線図として描くべきではない。

この注意を付けることで、秘密資金ネットワークを必要以上に巨大な一枚岩として見せず、実際の公文書が示す分散性を保てる。

FACT CHECK――組織と資金について固定できること

1.MKULTRAはCIA内部だけで研究を完結させたのか。 違う。1963年監察と後の上院調査は、大学、病院、企業、研究財団、政府機関など外部の専門家・施設との関係を明確に記録している。

2.CIA内部の管理主体はどこだったのか。 Technical Services Staff、後のTechnical Services Divisionが研究開発を担当した。Sidney GottliebはChemical DivisionやTSDの管理職として中心的に関与した。

3.通常の研究契約と同じ手続きだったのか。 違う。1963年Inspector General報告は、通常のproject approval、funding、accounting手続きが免除され、内部で区画化された統制が採られていたと記録している。

4.149は149回の人体実験という意味か。 違う。研究、調達、支援、資金メカニズムなど性質の異なるサブプロジェクトが含まれ、継続活動が複数番号になる例もある。

5.1977年の149はMKULTRA全期間の完全な活動総数か。 そうは断定できない。これは1977年に回収された資料で識別された重要な集合であり、記録の欠落や番号の継続運用がある。

6.外部研究者は全員CIAスポンサーを知っていたのか。 違う。wittingとunwittingの双方が存在した。機関全体は知らず少数のkey individualsだけが知る場合もあった。

7.cutoutは実際に使われたのか。 確認できる。1977年公聴会は、CIA sponsorshipを隠すintermediary funding mechanismの財務・監査記録が回収されたと説明している。

8.1977年回収資料で確認された規模はどの程度か。 149サブプロジェクトに関する185人の非政府研究者・助手、80機関がTurnerの準備声明で示されている。

9.「86 universities or institutions」という数字は誤りなのか。 誤りと断定できない。Kennedyの冒頭発言に86がある一方、Turnerの149資料の具体的集計は80であり、公式記録内で両者の差は解消されていない。母集団を分けて扱うのが安全である。

MKULTRAの運営構造から見える問題

MKULTRAを組織と資金の側から見ると、秘密性と監督可能性の衝突が見える。通常の承認・会計ルートを外せばスポンサーや研究関心を隠しやすいが、誰が何を承認したかを後から追いにくくなる。cutoutを挟めばCIAと実施現場の距離が広がり、情報伝達や監督も弱くなる。さらに、スポンサーを知らされない研究者や機関は、成果が誰のために使われるのかを判断できない。

MKULTRAの問題は研究テーマだけではない。秘密研究を可能にするための管理設計そのものが、監督と検証を難しくしていた。

次に見るのは「資金の先で何を研究したか」

ここまでで、MKULTRAの外形はかなり見えてくる。

CIA内部ではTSDが研究開発を管理し、通常手続きを外した特別な資金・承認枠を持った。その外側にはcutoutやfoundationなどの仲介経路があり、その先に大学、病院、研究組織、企業、刑務所、個人研究者がつながっていた。研究者や機関がCIAとの関係を知っている度合いは案件ごとに異なった。

1977年に回収された財務資料は、このネットワークを完全には再現しない。それでも149のサブプロジェクト、185人の非政府研究者・助手、80機関という具体的な輪郭を残した。

この構造を確認した上で、次に問うべきなのは「その資金で何を研究していたのか」である。

LSDはMKULTRAの象徴になったが、計画の研究範囲はそれだけではない。催眠、睡眠、心理・精神医学、電気刺激、行動評価など、多数の領域が公文書に現れる。ただし、研究テーマとして記録されたこと、実際に試験されたこと、作戦で使用されたことは同じではない。

CASE048-04では、この三つを分けながら、1963年Inspector General報告を中心にMKULTRAの研究領域と手法を整理する。

MKULTRAの資金経路を示す図
CIAの資金が仲介組織を経て外部研究へ届く、資料で確認できる典型的な構造。すべてのサブプロジェクトが同一経路だったことを意味しない。

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] U.S. Senate Select Committee on Intelligence / Subcommittee on Health and Scientific Research, Project MKULTRA, the CIA’s Program of Research in Behavioral Modification , Joint Hearing, August 3, 1977
  2. [2] CIA Inspector General, Report of Inspection of MKULTRA , July 26, 1963
  3. [3] U.S. Senate Select Committee to Study Governmental Operations with Respect to Intelligence Activities, Testing and Use of Chemical and Biological Agents by the Intelligence Community , 1976; reproduced as Appendix A in the 1977 MKULTRA hearing record
  4. [4] CIA, Request for Guidance on Handling Recently Located MKULTRA Material , June 22, 1977; reproduced in Appendix B of the 1977 hearing record
  5. [5] CIA MKULTRA subproject memoranda and funding documents reproduced in Appendix C of the 1977 hearing record
  1. 01 MKULTRA計画とは何だったのか?|公文書で確認できる事実と記録の限界
  2. 02 MKULTRA計画|なぜCIAはMKULTRAを始めたのか?|BLUEBIRD・ARTICHOKEから1953年承認まで
  3. 03 MKULTRA計画|MKULTRAはどう運営されたのか?|149サブプロジェクトと資金・研究機関のネットワーク
  4. 04 MKULTRA計画|MKULTRAは何を試していたのか?|LSDだけではない行動変容研究の範囲
  5. 05 MKULTRA計画|知らない被験者にLSDはどう投与されたのか?|秘密投与とフランク・オルソン事件
  6. 06 MKULTRA Subproject 68|Ewen Cameronとモントリオール実験
  7. 07 MKULTRA計画|なぜMKULTRAの全貌は復元できないのか?|1973年の記録廃棄と1977年公聴会
  8. 08 MKULTRA計画|MKULTRAについて何が事実で、何が未確認なのか?|公文書・証言・陰謀論の境界

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