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1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか標的拘束からSuper 61撃墜まで

1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで

軍事作戦・戦闘

1993年10月3日16時20分。

モガディシュ上空を飛んでいたMH-60 Black Hawk、
コールサイン「Super 61」がロケット推進擲弾、RPGを受けた。

機体は目標建物から北東へ数ブロック離れた市街地へ墜落する。

この瞬間は、後に映画『ブラックホーク・ダウン』を象徴する場面として知られることになる。
しかし、作戦開始からここまでを見ると、
Task Force Rangerが最初から失敗していたわけではない。

むしろその逆だった。

特殊作戦部隊は目標建物へ入り、
アイディード派の主要人物2人を含む24人を拘束。
地上車列も現場へ入り、
拘束者を積み込む段階まで進んでいた。

つまり16時20分直前まで、
本来予定していた「標的を拘束して撤収する作戦」は、かなりの部分まで成立していた

では、その約50分間に何が起きていたのか。

第4回では、10月3日午後に標的情報が入ってから、
15時32分の出撃、建物への突入、最初の重傷者、
24人の拘束、そしてSuper 61撃墜までを時系列で追う。

CASE FILE 23|モガディシュの戦闘特集(全10回)

この特集では、ソマリア内戦全体ではなく、
Operation Gothic Serpentと1993年10月3~4日のモガディシュ市街戦を中心に追う。

第4回から、いよいよ10月3日の実際の作戦へ入る。
今回はSuper 61墜落までに範囲を限定し、
墜落後の第1墜落地点での救出活動は第5回、
地上車列の混乱は第6回で詳しく扱う。


  1. 第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日

  2. 第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent

  3. 第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計
  4. 第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで【現在の記事】

  5. 第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間

  6. 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱

  7. 第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点

  8. 第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊

  9. 第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか

  10. 第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実

先に結論|16時20分までは、拘束作戦そのものは成立していた

10月3日の作戦について、
最初からすべてが崩れていたと考えると実際の経過を見失う。

Task Force Rangerは目標建物を特定し、
航空強襲によって突入部隊とBlocking Forceを投入した。

一部のレンジャーは予定地点からずれた場所へ降下し、
降下事故による重傷者も発生した。
地上からの射撃も過去の作戦より激しかった。

それでも、建物そのものの制圧は進んだ。

アイディード派の主要人物2人を含む
24人が拘束された

地上車列も目標地点へ入り、
拘束者を車両へ積み込む段階に達していた。

つまり本来の作戦シーケンス、


突入
→ 封鎖
→ 標的人物の拘束
→ 車列へ収容
→ 空港へ撤収

のうち、
最後の「撤収」を残すところまで進んでいた。

しかし16時20分、
Super 61が墜落した。

それまでの作戦計画には存在しなかった
「墜落地点」という新しい目標が市街地に発生する。

ここからTask Force RangerのMISSIONは、
拘束者を連れて帰ることだけではなくなった。

10月3日昼|最初に入ったのは「会合」の情報だった

10月3日は日曜日だった。

Task Force Rangerにとっては、
常に大規模作戦が予定されていた日ではない。

しかし午後、
情報部門へアイディード派の重要人物が
モガディシュ中心部で会合しているという情報が入った。

1994年に作成されたTask Force Rangerの公式報告によれば、
13時台に人的情報源、
HUMINTから情報が入っている。

対象の一人は
アイディードの有力な政治顧問
オマル・サラド・エルミだった。

さらに複数の重要人物が同じ場所にいる可能性がある。

問題は、
「重要人物がモガディシュにいる」と分かっただけでは
作戦を開始できないことだった。

市街地には似たような建物が多数並んでいる。
特殊部隊を投入するには、
どの建物なのかを正確に特定しなければならない。

情報源に「どの建物か」を確認させた

Task Force Rangerは、
人的情報源からの報告だけで突入しなかった。

上空には偵察用航空機やヘリコプターを配置し、
情報源が示す地点を確認した。

公式Task Force Ranger報告によれば、
情報源にはOlympic Hotel付近であらかじめ決めた行動を取らせ、
上空の偵察要員がその車両を確認。
そこから会合場所まで追跡する方法が使われた。

一度目の確認ではうまく捕捉できず、
情報源にもう一度同じ手順を行わせている。

二度目に上空の偵察部隊が車両を確認し、
標的建物が特定された。

ここからデルタの作戦要員が、
航空写真や市街地情報を使って突入計画を組み立てた。

FACT CHECK|襲撃されたのは「Olympic Hotel」そのものではない

モガディシュの戦闘を説明する際、
10月3日の襲撃対象を「Olympic Hotel」と書く資料もある。

しかし米軍の公的資料では、
標的はOlympic Hotel付近の別の建物として記録されている。

Olympic Hotelは位置を説明するランドマークとして頻繁に使用されたため、
「Olympic Hotel raid」という表現が定着した。

本特集では、
建物そのものと周辺ランドマークを混同せず、
「Olympic Hotel付近の標的建物」と表記する。

まず現在の地理では、Bakara Market(Hawlwadag District)周辺を基準に、
1993年10月3日の作戦地域がモガディシュ市街地のどの一帯にあったのかを確認できる。

現在のBakara Market(Hawlwadag District)周辺。1993年当時のOlympic Hotel付近の標的建物、Blocking Position、Super 61墜落地点の正確な位置を示すものではない。


Googleマップで大きく見る

この地図で確認するのは現在の市街地上の大まかな位置だけである。
標的建物とSuper 61墜落地点の位置関係は、1993年の米軍公的地図に基づく専用図で扱う必要がある。

拘束対象の名前にも資料上の混同がある

さらに、標的となった主要人物にも注意が必要である。

初期情報では、
オマル・サラド・エルミとともに、
アイディード派の有力者
アブディ・ハッサン・アワレ、通称Qeydidが
会合に参加している可能性があると考えられていた。

しかしTask Force Rangerの公式報告は、
実際にその場にいたのは別人だったと整理している。

拘束された主要人物は、
オマル・サラド・エルミと
モハメド・ハッサン・アワレだった。

FACT CHECK|「Awale」という名前の混同

当日の情報ではAbdi Hassan Awaleがいる可能性が示されていたが、
後の公式報告では、
実際に会合していたのはMohammed Hassan Awaleだったとされている。

同姓・類似した名前を持つ人物が複数登場するため、
本特集では公式Task Force Ranger報告の整理を優先する。

15時32分|19機の航空部隊が発進する

標的が確認され、
作戦実施が決定された。

米空軍の戦史研究がTask Force RangerのAfter Action Reportを照合した結果では、
航空部隊がモガディシュ空港側の基地を離れた時刻は
15時32分だった。

編成にはMH-60 Black Hawk、
MH-6 Little Bird、
AH-6攻撃ヘリコプター、
指揮・統制用航空機、
CSAR用航空機などが含まれていた。

目標は前回説明した通り、
短時間での拘束だった。

デルタの突入部隊を建物へ送り、
レンジャーを周囲のBlocking Positionへ降ろす。

その後、
地上車列が拘束者と突入部隊を回収する。

長時間その場所を保持する計画ではなかった。

約3分後|標的地域へ進入

航空部隊は15時32分に発進し、
約3分後にはHawlwadig Road周辺の標的地域へ入った。

地上車列もほぼ同時期に基地を出発している。

ここで航空部隊は、
デルタとレンジャーを市街地へ投入した。

しかし、降下開始直後から
予定との小さなずれが生まれる。

ヘリコプターのローターが巻き上げた砂塵によって、
地上が見えにくくなる
いわゆるbrown-outが発生した。

公式Task Force Ranger報告には、
砂や土が数十フィートまで舞い上がり、
一部のMH-60が予定位置から約1ブロックずれた場所へ降下したと記録されている。

市街地で1ブロックずれることは、
単なる位置誤差ではない。

Blocking Forceは指定された交差点へ移動し、
その場所を確保しなければならない。

予定外の地点へ降りれば、
そこから自力で本来の位置まで移動する必要が生じる。

Chalk 4は予定地点から外れた

特に影響を受けたのが、
レンジャーのChalk 4だった。

公式報告では、
Chalk 4は予定位置から約2ブロック北へ降下し、
激しい射撃を受けながら
本来のBlocking Positionへ移動することになった。

そのため、
別のChalkが一時的に標的建物の後方を守るなど、
現場で役割を補う必要が生じた。

ただし、
この位置ずれだけで作戦が破綻したわけではない。

各部隊は修正しながら配置へ向かい、
突入部隊も標的建物の制圧を進めていた。

降下中、PFCトッド・ブラックバーンが転落する

作戦開始直後、
最初の重大な負傷者が出た。

レンジャーの
PFCトッド・ブラックバーンが
ヘリコプターからファストロープで降下する際、
ロープを保持できず転落した。

米軍公式記録では、
高さは60フィートを超えていたとされる。

ブラックバーンは重傷を負った。

これは作戦計画にはない最初の大きな処理だった。

現場では救命処置が行われ、
彼をできるだけ早く医療施設へ運ばなければならなくなった。

ただし重要なのは、
この事故が発生しても、主作戦そのものは継続できていたことである。

建物内部では拘束作戦が進んでいた

外側でレンジャーが配置につく一方、
デルタを中心とするAssault Forceは建物内部を制圧していった。

公式Task Force Ranger報告には、
突入部隊が部屋を順に確認し、
初期段階で10~12人を一室で拘束した記録が残る。

その後も建物内部の確認が続けられ、
拘束者は中庭へ集められた。

最終的に、
24人が拘束された。

その中には、
今回の主要標的だったアイディード派の有力人物2人が含まれていた。

ここだけを見れば、
Task Force Rangerは目的を達成している。

地上からの抵抗は、以前より激しかった

一方、建物の外では状況が悪化していた。

米空軍戦史は、
地上車列が目標建物へ到着する前から
過去の作戦より激しい射撃を受けていたと記録している。

Blocking Forceも小火器やRPGによる攻撃を受けた。

9月21日のオスマン・アット拘束作戦でも
RPG射撃はすでに増えていた。

9月25日には、
Task Force Rangerとは別の米軍UH-60が
RPGで撃墜されている。

したがって10月3日、
ソマリア側がヘリコプターへRPGを撃つこと自体は、
完全に未知の戦術ではなかった。

違っていたのは、
その攻撃密度と、
実際にTask Force Rangerの航空機へ致命的な命中弾が出たことだった。

地上車列は目標建物へ到着した

航空強襲と並行して、
ハンヴィーと5トントラックなどで構成された地上車列も市街地へ入った。

車列の目的は明確だった。

拘束した24人と突入部隊を収容し、
モガディシュ空港側の基地へ戻す。

車列は攻撃を受けながらも、
目標建物へ到達した。

しかし現場で待機している間にも攻撃は続き、
5トントラックの1両がRPGによって使用できなくなった。

これは小さくない問題だった。

拘束者24人に加え、
突入部隊も車両で撤収する予定だったため、
輸送能力が減少することになる。

それでもまだ、
残った車両を使って拘束者を輸送することは可能だった。

16時13分|ブラックバーンを先に搬送する

作戦開始から約40分後、
ブラックバーンの状態は
現場に残しておけるものではないと判断された。

公式Task Force Ranger報告によれば、
16時13分
Ground Reaction Forceの指揮官は
ブラックバーンを直ちに後送することを決定した。

2両の武装ハンヴィーと
1両の輸送用ハンヴィーが分離され、
負傷者搬送へ向かう。

結果として、
本隊の車列はさらに小さくなる。

それでも標的建物側では
拘束者の積み込み準備が進んでいた。

この時点でも、
作戦の中心はまだ
「拘束者を連れて撤収すること」だった。

Super 61はなぜ目標付近に残っていたのか

MH-60「Super 61」は、
突入部隊を投入して役目を終えたわけではなかった。

航空部隊はその後も市街地上空を飛び、
地上部隊を監視・支援していた。

Super 61には航空機搭載の武装と狙撃要員もあり、
目標地域周辺で地上部隊への支援を続けていた。

その一方で、
低高度を飛行するヘリコプターは
市街地からの小火器・RPG射撃へさらされ続ける。

ソマリア側は一発だけRPGを撃っていたわけではない。

米軍After Action Reportでは、
Super 61が撃墜された際、
ヘリコプターへ向けて
多数のRPGが一斉に発射されていたと記録されている。

16時20分|Super 61にRPGが命中する

16時20分。

RPGの一発がSuper 61へ命中した。

操縦していたのは
クリフトン・“エルヴィス”・ウォルコットと
ドノヴァン・“ブル”・ブライリーだった。

機体は飛行を維持できなくなり、
目標建物から北東へ約3ブロック、
およそ200m前後離れた市街地へ墜落した。

上空の別の航空機からは、
墜落後に機体から生存者が出てくる様子が確認された。

同時に、
ソマリア側の武装要員が
墜落地点へ接近していることも報告された。

時間を置いて救助するという選択肢は取りにくかった。

ここでMISSIONが変わった

Super 61が墜落した時点で、
標的建物には24人の拘束者がいた。

車列も現場へ到達している。

本来なら、
彼らを車両へ載せ、
Blocking Forceを回収して基地へ戻る段階だった。

しかし今度は、
約200m離れた場所に
墜落した米軍航空機と乗員がいる。

しかも、
その場所へ武装したソマリア側の人員が近づいている。

そのためTask Force Rangerには、
新しい最優先課題が発生した。

Super 61の墜落地点を確保し、搭乗員を救出すること。

レンジャーの一部はすでに墜落方向へ動き始めた。

事前に準備されていたCSAR、
Combat Search and Rescueチームも投入される。

突入部隊の一部には、
拘束者を車列へ乗せて基地へ戻す任務が割り当てられ、
残りの部隊は墜落地点へ向かうことになる。

ここで、一つだった部隊の目的が分かれた。

FACT CHECK|「標的拘束作戦は失敗した」のか

標的人物を拘束するという当初目的だけを見れば、
Task Force Rangerは24人を拘束し、
主要標的2人も確保している。

したがって
「標的を捕らえられなかったため作戦が失敗した」
という説明は正しくない。

問題は、
拘束には成功したが、計画していた方法で部隊を撤収できなくなった
ことだった。

Super 61墜落によって、
当初の拘束MISSIONへ
救出MISSIONが追加されたのである。

約50分間を時系列で整理する

ここまでの流れを時刻順に並べると、
作戦がどの地点で変化したのかが分かりやすい。

時刻 出来事 作戦上の状態
13時台 アイディード派主要人物の会合情報を取得 標的確認開始
14時台 人的情報源と航空偵察で標的建物を確認 作戦計画を確定
15:32 航空部隊がモガディシュ空港から発進 拘束MISSION開始
約15:35 航空部隊が標的地域へ進入、突入・封鎖開始 建物制圧へ
作戦開始直後 ブラックバーンが降下中に転落 最初の重傷者発生
15時台後半~ 建物を制圧、24人を拘束 中心目的は達成
16時前後 地上車列が目標地点へ入り拘束者収容準備 撤収段階へ
16:13 ブラックバーンの緊急後送を決定 車列の一部を分離
16:20 Super 61がRPGを受け墜落 救出MISSION発生

FACT CHECK|時刻資料には一部差がある

モガディシュの戦闘では、
回想録、公式戦史、After Action Reportなどによって
数分から数十分程度の時刻差が見られる。

本記事では、
Task Force RangerのAfter Action Reportを再検証した
米軍・米空軍の公的研究を優先し、
15:32発進、16:13重傷者後送決定、16:20 Super 61撃墜
を基準時刻とした。

初期情報が入った時刻については公的資料間にも差があるため、
無理に1分単位へ固定せず「13時台」としている。

まだ「ブラックホーク・ダウン」は一機だけだった

16時20分の段階では、
まだ撃墜されたブラックホークはSuper 61の1機だった。

Task Force Rangerには
航空機墜落を想定したCSARチームが用意されていた。

実際、
Super 61が墜落すると、
そのチームはただちに現場へ投入される。

MH-6も墜落地点へ着陸し、
負傷した搭乗員を回収する。

したがって、この時点だけなら、
事前の緊急対応計画の範囲で収束する可能性も残っていた。

しかし現実には、
墜落地点へ集まった米軍部隊が
周囲から激しい攻撃を受ける。

さらにその後、
別のBlack Hawk、
Super 64まで撃墜される。

問題は一つの墜落事故から、
二つの墜落地点を同時に守らなければならない戦闘へ拡大していく。

その段階については、
第5回と第7回で分けて追う。

まとめ|作戦が崩れた瞬間は「標的建物」ではなく、その外側にあった

10月3日の襲撃開始直後には、
すでに予定外の出来事が起きていた。

砂塵による降下地点のずれ。
Chalk 4の移動。
トッド・ブラックバーンの転落。
過去の作戦より激しい小火器・RPG射撃。
地上車両の損傷。

それでもTask Force Rangerは、
標的建物を制圧し、
24人を拘束した。

つまり、
建物へ入り標的人物を捕らえるという
Operation Gothic Serpentの中心工程そのものは機能していた。

決定的な変化は16時20分に起きた。

Super 61が墜落したことで、
Task Force Rangerは
「捕らえて帰る部隊」から「墜落した仲間を救出しなければ帰れない部隊」へ変わった。

そして、この新しいMISSIONは
標的建物から約200m離れた市街地で始まる。

次回はSuper 61の墜落地点へ移る。
ウォルコット、ブライリーらを乗せた機体が墜落した後、
MH-6、レンジャー、CSARチームはどのように現場へ入り、
なぜ第1墜落地点から簡単に撤収できなくなったのかを追う。


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CASE FILE 23|モガディシュの戦闘 全10回


  1. 第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日

  2. 第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent

  3. 第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計
  4. 第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで【現在の記事】

  5. 第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間

  6. 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱

  7. 第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点

  8. 第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊

  9. 第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか

  10. 第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実

出典・参考資料

  • United States Special Operations Command / United States Army Special Operations Command History Offices,
    Task Force Ranger: Operations in Somalia, 3–4 October 1993.
    — 標的情報、偵察、15時32分の発進、降下地点のずれ、24人の拘束、
    ブラックバーン負傷、16時13分の後送判断、16時20分のSuper 61撃墜を確認。
  • United States Forces Somalia,
    After Action Report and Historical Overview.
    — Olympic Hotel付近への襲撃、24人の拘束、地上車列、
    16時20分前後のBlack Hawk撃墜と作戦転換を確認。
  • U.S. Air Force History,
    Special Tactics Airmen in the Battle of Mogadishu.
    — 15時32分の航空部隊発進、15時35分前後の進入、
    地上車列の構成、Super 61撃墜時刻の再検証に使用。
  • U.S. Army Center of Military History,
    The United States Army in Somalia, 1992–1994.
    — 10月3日の標的、主要人物、24人の拘束、
    Super 61墜落とその後のMISSION転換を確認。
  • U.S. Army,
    Veterans reflect on Battle of Mogadishu.
    — トッド・ブラックバーンの降下事故、
    Assault ForceとRanger Blocking Forceの役割、
    Super 61撃墜前後の流れを確認。

※10月3日の作戦開始時刻には、資料によって数分程度の差がある。
本記事ではTask Force RangerのAfter Action Reportを再検証した米空軍史研究が示す
15時32分の航空部隊発進を基準とした。

※最初の標的情報が入った時刻にも公的資料間で差があるため、
本文では「13時台」とした。
一方、Super 61撃墜の16時20分は複数の米軍公的資料で整合している。

※襲撃対象はOlympic Hotelそのものではなく、その付近にあった標的建物。
「Olympic Hotel raid」という通称と実際の建物を区別した。

※第4回はSuper 61撃墜までを対象とする。
墜落直後のMH-6による救出、CSAR投入、第1墜落地点の防御については第5回、
地上車列の経路・誘導・通信問題については第6回で詳述する。