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なぜ13人は洞窟から出られなくなったのかタムルアンの地形・雨季・浸水

なぜ13人は洞窟から出られなくなったのか|タムルアンの地形・雨季・浸水

遭難・救助

2018年6月23日、少年サッカーチームの12人とコーチは、タイ北部のタムルアン・ナンノン洞窟へ入った。

彼らが洞窟へ入ったこと自体は、後になってすぐ分かった。入口には自転車や所持品が残されていたからだ。

それなのに、13人はその日のうちに戻ってこなかった。

洞窟の中で道に迷い、出口が分からなくなったわけではない。

問題は、入ったときには通ることができたルートへ水が入り、帰るための通路そのものが使えなくなったことにあった。

タムルアン洞窟は、雨季になると内部の状態が大きく変化する洞窟である。地上で降った雨が地下へ入り、低い通路を満たせば、歩いて通れた場所が水中区間へ変わる。

13人は、入口から遠く離れた場所に突然閉じ込められたのではない。

自分たちが通ってきた道の途中が、後から水によって遮断された。

この違いが、タムルアン遭難を理解するうえで重要になる。

CASE FILE 18|タムルアン洞窟遭難・救出特集(全10回)

  1. 第1回|タムルアン洞窟遭難・救出とは?|13人を全員生還させた2018年の救助作戦
  2. 第2回|なぜ13人は洞窟から出られなくなったのか|タムルアンの地形・雨季・浸水【現在の記事】
  3. 第3回|13人はどう発見されたのか|9日間の捜索と英国人洞窟ダイバー
  4. 第4回|洞窟の水と酸素をどう管理したのか|排水・補給線・Chamber 3
  5. 第5回|サマン・クナンの死亡事故|救助前の洞窟潜水で何が起きたのか
  6. 第6回|13人をどう外へ出すべきだったのか|待機・掘削・排水・潜水案を比較する
  7. 第7回|救出ルートはどう設計されたのか|ダイバー、ガイドライン、ボンベ、搬送
  8. 第8回|なぜ少年たちに麻酔を使ったのか|ケタミンとフルフェイスマスクの救出医療
  9. 第9回|2018年7月8〜10日、13人はどう救出されたのか|3日間の救出作戦を時系列で追う
  10. 第10回|映画『13人の命』はどこまで実話なのか|タムルアン洞窟救出の史実と比較

先に結論|出口を見失ったのではなく、出口までの道が水没した

タムルアン洞窟遭難について、「少年たちは洞窟の奥へ入りすぎて迷った」と理解すると、事件の構造を取り違える。

13人が戻れなくなった最大の理由は、降雨によって洞窟内の水位が上がり、入口へ戻る途中の通路が水没したことだった。

オーストラリア政府が救助後にまとめた「Thai Cave Rescue Symposium 2018」の報告書では、少年たちは6月23日にサッカー練習後に洞窟へ入り、その直後の激しい雨によって洞窟が部分的に浸水し、内部に閉じ込められたと整理されている。

British Cave Rescue Council(BCRC)も、タムルアン洞窟について、モンスーン期には季節的な洪水が起きやすく、2018年6月の豪雨によって少年たちが洞窟内に閉じ込められたと説明している。

つまり、入洞時と帰路では、同じ洞窟であっても条件が違っていた。

歩いて入れる洞窟だったものが、数時間後には潜水装備がなければ通過できない洞窟へ変わっていたのである。

FACT CHECK|「洞窟で迷った」は正確ではない

  • 13人は2018年6月23日にタムルアン洞窟へ入った。
  • 入口付近には自転車や所持品が残されていた。
  • その後の降雨によって洞窟内部の水位が上昇した。
  • 帰路の一部が水没し、歩いて入口へ戻ることができなくなった。
  • 発見時、13人は水没区間よりさらに奥の乾いた高所にいた。

したがって、「道に迷った結果9日間出られなかった」という説明ではなく、洪水によって帰路を物理的に遮断された遭難と理解する方が実態に近い。

タムルアンはどんな洞窟なのか

タムルアン・ナンノン洞窟は、タイ北部チェンライ県、ミャンマー国境に近いドイ・ナンノン山系の地下に広がっている。

オーストラリア政府の救助検証資料では、洞窟系の総延長を約10kmとしている。

ただし、10kmの一本道が山の下に伸びているわけではない。

石灰岩の地下には、大小の空間、狭い通路、分岐、低い区間、広い空洞が連続している。

このような石灰岩地域で形成される地形は「カルスト」と呼ばれる。

石灰岩は、長い時間をかけて雨水や地下水によって溶かされる。岩の割れ目や水の流れ道が拡大していくことで、地下に洞窟や水路が形成される。

タムルアンの場合、この地下空間を雨季には水が実際に流れることが重要だった。

まず現在の地理では、タムルアン洞窟の入口がチェンライ県北部のドイ・ナンノン山系にあることを確認できる。
ただし、地上のGoogle Mapだけでは、2018年に問題となった洞窟内部の水没区間やPattaya Beach、Monks Junctionなどの位置関係は分からない。

タムルアン洞窟の現在位置。Google Mapは洞窟入口とドイ・ナンノン山系の地上位置を確認するためのもので、2018年当時の洞窟内水位、浸水区間、少年たちの移動経路、発見地点を示すものではない。


Googleマップで大きく見る


BCRCの洞窟測量図でMain Entrance・Monks Junction・Pattaya Beachの位置関係を確認する

特徴 遭難時に何を意味したか
石灰岩の洞窟 地下に複雑な通路・空洞・水の流路が形成されている
高低差のある通路 低い場所から先に水没し、乾いた場所が分断される
狭い区間 増水すると人が歩いて通過できなくなる
長い洞窟系 入口から奥へ進んだ後に帰路が遮断されると、地上から容易に到達できない
季節的な洪水 同じ通路でも降雨量によって「歩行区間」と「潜水区間」が入れ替わる

洞窟に水が入ると、何が変わるのか

洞窟での洪水を、地上の道路が冠水する状況と同じように考えると分かりにくい。

地上なら、水深が少し増えても別の道路を探したり、高い場所へ移動したりできる。

しかし洞窟では、低い通路が天井まで水で満たされれば、その地点は完全な水中トンネルになる。

その先に乾いた巨大な空間が残っていても、入口側からは水没区間を越えなければ到達できない。

BCRCは、こうした洞窟を説明する際に、洪水によって区切られた乾いた空間へ到達するためには専門的な洞窟潜水能力が必要になるとしている。

普通の人が考える「洞窟の奥」と、救助隊が直面した「洞窟の奥」には大きな違いがある。

距離だけの問題ではない。

途中に1か所でも完全水没した区間があれば、その先は歩いて到達できない。

6月23日|13人はサッカー練習後に洞窟へ入った

6月23日、少年サッカーチーム「Wild Boars(野生のイノシシ)」の12人とコーチは、サッカー練習後にタムルアン洞窟を訪れた。

この時点で、後に世界規模の救助作戦になるような状況が起きていたわけではない。

BCRCの初期ブリーフィングは、タムルアンを地元で知られた観光洞窟として記しており、入口に残された自転車や所持品から、一行が洞窟内へ入ったことが判断されたとしている。

重要なのは、入れたからといって、同じ条件で出られるとは限らなかったことである。

オーストラリア政府報告では、一行が入洞した後に激しい雨が降り、洞窟の一部が浸水したと記録されている。

地上の雨は、地下では通路を遮断する水へ変わった。

「モンスーン」はただの大雨ではない

この遭難では「モンスーン」という言葉が頻繁に登場する。

モンスーンとは、本来は季節によって卓越する風向が変化する現象を指すが、東南アジアでは、それに伴う雨季そのものを説明する言葉として使われることも多い。

BCRCは2018年6月28日の時点で、タムルアン洞窟はモンスーン期に季節的洪水を起こしやすく、その時期が6月から始まり8月まで続くと説明していた。

つまり救助側にとって雨は、一度降って終わるイベントではなかった。

一時的に水位が下がったとしても、再び雨が降れば洞窟内へ水が流れ込む。

この性質は、後の救出作戦でも最大級の制約になる。

「今は通れる」という状況が、数時間後や翌日にも維持される保証がないからである。

少年たちはどこへ移動したのか

ここは、断定に注意が必要な部分である。

13人が洞窟へ入ってから、7月2日に発見されるまで、彼らの移動を外部からリアルタイムに記録した資料はない。

そのため、「何時何分にどの地点からどの地点へ移った」という詳細な経路を、後から完全に再構成することはできない。

確認できるのは、最終的に13人が洪水で遮断された区間より奥にある、高く乾いた場所に避難していたことだ。

BCRCは発見直後、13人が「Pattaya Beach」と呼ばれる地下地点から約200m南側にある乾いた空間で発見されたと発表している。

一方、オーストラリア政府報告書では、発見場所を洞窟入口から約2.5kmの高い粘土質の場所としている。

別の公的資料では、洞窟内部での距離がさらに長い数値で示される場合もある。

これは必ずしも資料同士が真正面から矛盾しているという意味ではない。

洞窟では、入口からの測定方法、実際に人が通る経路、測量線、基準地点によって「距離」の表現が変わる。

この特集では、発見地点を「入口から正確に○km」と一つの数字だけで固定するより、複数の水没区間を越えなければ到達できない洞窟深部として扱う。

「Pattaya Beach」は少年たちが見つかった場所ではない

タムルアン救助の記事では、「Pattaya Beach」という名前がよく登場する。

そのため、少年たちがPattaya Beachで発見されたと説明されることもある。

しかしBCRCが7月2日に発表した記録では、実際の発見地点はPattaya Beachそのものではなく、そこからさらに約200m南側だった。

捜索側は当初、Pattaya Beach周辺を13人が避難している可能性の高い場所として想定していた。

ところが、そこへ到達しても13人はいなかった。

ダイバーはさらに奥へ進んだ。

この事実からも、一行が単に「入口近くで水に阻まれて待っていた」のではなく、より安全な高所を求めて洞窟内部へ移動していたことが分かる。

水没したのは洞窟全体ではない

「タムルアン洞窟が水没した」という表現も、厳密には注意が必要である。

洞窟全体が巨大な水槽のように完全水没したわけではない。

実際には、

  • 歩ける乾いた空間
  • 浅い水の区間
  • 流れのある水路
  • 完全に水没した通路
  • 再び空気のある空間

が連続していた。

この「乾燥区間と水没区間が交互に現れる」という構造が、後の救助を非常に複雑にした。

少年たちがいる場所に食料を届けるだけでも、途中の水没区間では潜水が必要になる。

医師を送り込むにも潜水が必要になる。

ボンベを配置するにも潜水が必要になる。

通信機材や照明を持ち込むにも、同じルートを使わなければならない。

そして最後に少年たち自身を外へ運ぶときも、その水没区間を通過しなければならなかった。

なぜ泳いで戻れなかったのか

ここでも「水があるなら泳げばいい」という考えは成立しない。

問題になった区間は、水面のある川を泳ぐような場所ではない。

天井まで水で満たされた区間では、人は呼吸装置なしでは進めない。

さらにBCRCは、当時の洞窟潜水について低視界と狭い通路への対応能力が必要だったと説明している。

流れがある濁水の中では、前方を目で確認しながら進めるとは限らない。

そのため洞窟ダイバーは、後にガイドラインと呼ばれるロープ状のラインを張りながら進んだ。

このラインは、視界を失ったときでも入口方向や進行方向を確認する生命線になる。

少年たちは、このような環境での潜水経験を持っていなかった。

「泳げるかどうか」と「浸水した洞窟を潜水できるかどうか」は、まったく別の能力である。

救助隊も同じ水に阻まれた

洪水が危険だったことは、少年たちが出られなかったという事実だけから判断する必要はない。

捜索に入った専門家たちも、同じ水によって何度も前進を止められている。

BCRCによれば、7月2日までの捜索では、天候が改善して水位と流速が低下したことでようやく潜水活動を再開できた。

英国人洞窟ダイバーらは、浸水区間にガイドラインを設置しながら少しずつ奥へ進んだ。

7月2日の朝の時点では、入口から約1,500mに位置するMonks Junctionまで進み、そこからさらにPattaya Beach方面を目指していた。

つまり、専門装備を持った救助側でさえ、雨と水位が悪条件のままでは前進できなかった。

13人にとって、帰路が現実的ではなかった理由がここから分かる。

FACT CHECK|雨が止めば、すぐ歩いて出られたのか?

そうではない。

雨が弱くなると新たな流入水は減るが、洞窟内にすでに入った水が直ちになくなるわけではない。実際、捜索隊は天候の改善、水位低下、流速低下によってようやく潜水作業を前進させている。

さらに救助期間中は排水ポンプも大量に使用された。

したがって、雨が止むことと、洞窟が歩ける状態へ戻ることは同義ではない

この遭難を成立させた4つの条件

13人が洞窟内に孤立した理由を整理すると、4つの条件が重なっていたことが分かる。

条件 何が起きたか
① 洞窟奥へ入っていた 一行は入口から離れた場所まで進んでいた
② 雨季の降雨 入洞後の雨によって地下への流入水が増えた
③ 低い通路の水没 帰路の一部が完全な水中区間となった
④ 奥側に乾いた高所が残った 入口には戻れない一方、洞窟奥では生存可能な空間へ避難できた

最後の条件は特に重要である。

洪水は13人の出口を奪ったが、洞窟の奥に空気のある空間まで完全に奪ったわけではなかった。

だからこそ彼らは孤立しながらも生存することができた。

逆に言えば、ほんの少し洞窟構造や水位条件が違っていれば、同じ結末になった保証はない。

「奥へ行ったから遭難した」だけでは説明できない

この事故を後知恵で見れば、「雨季なのだから洞窟へ入らなければよかった」という一文で終わらせることもできる。

しかし、それだけではタムルアンで実際に何が起きたのかは理解できない。

遭難を成立させたのは、単なる距離ではなく、

「人が入れる状態の通路が、降雨によって帰れない状態へ変化した」

という環境変化だった。

この性質は救助側にもそのまま引き継がれた。

捜索隊が昨日まで到達できた場所へ、翌日には水位上昇のため進めないことがある。

反対に、雨が弱まり排水が進めば、再び前進できる。

そのためタムルアン救助では、「洞窟のどこにいるか」だけでなく、その時点で洞窟のどこまで通過可能なのかを常に判断しなければならなかった。

6月23日の遭難は、7月の救出方法まで決めていた

6月23日に起きた浸水は、単に13人を洞窟内へ閉じ込めただけではない。

その後の救助作戦の形まで決定した。

もし帰路が完全には水没していなければ、歩いて救出できた可能性がある。

もし短い水没区間だけであれば、別の簡単な方法が使えた可能性もある。

しかし実際には、13人と入口との間に、専門的な洞窟潜水を必要とする複数の区間が残った。

その結果、

  • 洞窟ダイバーを海外から招集する
  • ガイドラインを敷設する
  • 大量のボンベを洞窟内部へ配置する
  • 排水を続ける
  • 少年たちを潜水区間へ通す方法を考える

必要が生じた。

7月8日に始まった異例の救出作戦は、突然思いつかれたものではない。

その原点は、6月23日に帰路が水没した瞬間にあった。

まとめ|洞窟は「入ったときと同じ場所」ではなくなっていた

2018年6月23日、少年12人とコーチはサッカー練習後にタムルアン・ナンノン洞窟へ入った。

その後の降雨によって洞窟内へ水が入り、低い通路の一部が水没した。

彼らは道を忘れたわけではない。

入口へつながるルートを知っていても、そこにある水没区間を越えることができなかった。

一方、奥側には水面より高い乾いた空間が残っていたため、13人はそこへ避難し、生存を続けることができた。

つまりタムルアン遭難の本質は、

「洞窟の奥へ行きすぎたこと」ではなく、「帰路の環境が後から変化したこと」

にある。

そして、この水は救助隊にも同じ問題を突きつけた。

少年たちがどこにいるか分からない。分かったとしても、そこへ歩いて行くことはできない。

次に必要になったのは、濁った水の向こう側にいる13人を探し出すことだった。

次回は、9日間の捜索で、英国人洞窟ダイバーたちがどのように13人へ到達したのかを追う。


← 第1回|タムルアン洞窟遭難・救出とは?


第3回|13人はどう発見されたのか →

今回出てきた言葉

【カルスト】
石灰岩などの水に溶けやすい岩石が、地下水や雨水による溶食を受けて形成する地形。地下には洞窟、亀裂、水路などが発達することがある。

【モンスーン】
季節によって卓越する風向が変化する現象。東南アジアでは、それに伴う雨季を指す表現としても使われる。タムルアン洞窟はモンスーン期に季節的な洪水を起こしやすい。

【Pattaya Beach】
タムルアン洞窟内部に付けられていた地点名。捜索初期には13人が避難している可能性の高い場所として注目されたが、実際の発見地点はBCRCの記録ではさらに約200m奥だった。

【Monks Junction】
捜索時の位置確認に使われた洞窟内部の地点。7月2日の朝までに英国人洞窟ダイバーらがここまでガイドラインを延ばし、その後さらにPattaya Beach方面へ探索を進めた。

【水没区間】
洞窟通路が天井まで水で満たされ、空気のある空間がなくなった部分。通常の歩行や水面遊泳では通過できず、洞窟潜水装備と技術が必要になる。

【ガイドライン】
洞窟ダイバーが水中で経路を確認するために設置するライン。濁水などで視界を失った場合でも、ラインをたどることで進行方向や出口方向を確認できる。

出典・参考資料

本記事では、遭難直前の13人の細かな行動を後年の証言から過度に補完せず、オーストラリア政府の救助検証報告書と、救助活動中にBritish Cave Rescue Councilが公表した資料を中心に再構成した。入洞後から発見までの全移動経路・時刻を外部から連続記録した一次資料はないため、「どの時点でどの地点から後退したか」など確認できない細部は断定していない。また、発見地点までの距離は資料によって約2.3km、約2.5km、その他の値が示されるため、本記事では洞窟内距離を単一数値へ固定せず、Pattaya Beachなど確認可能な地点との位置関係を優先した。