現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

13人はどう発見されたのか9日間の捜索と英国人洞窟ダイバー

13人はどう発見されたのか|9日間の捜索と英国人洞窟ダイバー

遭難・救助

2018年7月2日。

タムルアン洞窟の奥で、2人の英国人洞窟ダイバーが水面から顔を出した。

ライトの向こうに、人影があった。

6月23日から行方が分からなくなっていた少年サッカーチームの12人とコーチ1人。13人全員が生きていた。

世界中で繰り返し放送されたこの発見場面だけを見ると、ダイバーが洞窟の奥まで潜っていき、偶然13人を見つけたようにも見える。

しかし、そこへ到達するまでには9日間かかっている。

その理由は、単に洞窟が長かったからではない。

豪雨による増水で捜索そのものが何度も止まり、視界の悪い水没通路へガイドラインを敷き、呼吸用ボンベを奥へ送り、少しずつ「次に進める地点」を作らなければならなかった。

13人の発見は、一度の長距離潜水で達成されたものではない。

水位が下がる短い機会を使いながら、数日かけて捜索ルートを洞窟深部へ延ばした結果だった。

CASE FILE 18|タムルアン洞窟遭難・救出特集(全10回)

  1. 第1回|タムルアン洞窟遭難・救出とは?|13人を全員生還させた2018年の救助作戦
  2. 第2回|なぜ13人は洞窟から出られなくなったのか|タムルアンの地形・雨季・浸水
  3. 第3回|13人はどう発見されたのか|9日間の捜索と英国人洞窟ダイバー【現在の記事】
  4. 第4回|洞窟の水と酸素をどう管理したのか|排水・補給線・Chamber 3
  5. 第5回|サマン・クナンの死亡事故|救助前の洞窟潜水で何が起きたのか
  6. 第6回|13人をどう外へ出すべきだったのか|待機・掘削・排水・潜水案を比較する
  7. 第7回|救出ルートはどう設計されたのか|ダイバー、ガイドライン、ボンベ、搬送
  8. 第8回|なぜ少年たちに麻酔を使ったのか|ケタミンとフルフェイスマスクの救出医療
  9. 第9回|2018年7月8〜10日、13人はどう救出されたのか|3日間の救出作戦を時系列で追う
  10. 第10回|映画『13人の命』はどこまで実話なのか|タムルアン洞窟救出の史実と比較

先に結論|9日かかった理由は「居場所」より「そこへ進めなかった」ことにある

13人が洞窟のどこにいる可能性が高いかについて、救助側にはある程度の見当があった。

洪水から逃れているなら、洞窟内部の高い場所へ後退している可能性がある。

捜索では「Pattaya Beach」と呼ばれる地下地点が一つの目標になっていた。

しかし、目標地点を想定できることと、そこへ到達できることは別だった。

途中の通路は増水によって水没していた。

British Cave Rescue Council(BCRC)の記録では、英国人洞窟ダイバーが6月29日と30日にChamber 3より先へ進もうとした際、強い水流と約1m程度の視界によって探索を断念している。

7月1日になって水位と流れが改善し、ようやく奥へガイドラインを延ばせるようになった。

そして7月2日、さらに奥へ進んだリック・スタントンとジョン・ヴォランセンが13人を発見した。

つまり9日間の中心的な問題は、

「13人がどこにいるのか分からない」だけでなく、「可能性の高い場所まで捜索隊自身が進めない」ことだった。

FACT CHECK|発見したのは誰か

13人を最初に発見したのは、英国人洞窟ダイバーのリック・スタントン(Rick Stanton)ジョン・ヴォランセン(John Volanthen)だった。

ただし、2人だけで9日間の捜索を行ったわけではない。

作戦全体はタイ当局が指揮し、タイ海軍特殊部隊、軍、警察、地元救助関係者に加え、英国、米国、オーストラリアなどから専門家が参加した。

BCRCも6月28日の時点で、タイ当局が救助作戦全体を統括し、英国チームはタイ側の能力を補完する立場であると明記している。

したがって、「英国人2人だけが少年たちを探し出した」という理解も正確ではない。

6月23日|13人が帰ってこない

少年サッカーチーム「Wild Boars」の12人とコーチは、6月23日にタムルアン洞窟へ入った。

その夜になっても帰宅しなかった。

翌24日には、洞窟入口付近で自転車や靴などが発見された。

これによって、一行が洞窟へ入ったことは強く裏付けられた。

ここで、現在のTham Luang Nang Non Cave入口がチェンライ県Mae Sai地区のどこにあるかを確認しておく。

Tham Luang Nang Non Cave入口の現在位置。現在のGoogle Mapは洞窟入口と周辺地理を確認するためのもので、2018年当時の水位、水没区間、Chamber 3、Monks Junction、Pattaya Beach、13人の発見地点など地下の位置関係を再現するものではない。


Googleマップで大きく見る


BCRC掲載の洞窟測量図で内部地点を確認する

問題は、その先だった。

洞窟内部では雨によって水位が上昇していた。

13人を探すには、その水の向こう側へ進まなければならない。

6月25日|タイ海軍特殊部隊が洞窟へ入る

オーストラリア政府が後にまとめた救助作戦の時系列では、6月25日にタイ海軍特殊部隊が少年たちの捜索のため洞窟内へ入ったとされている。

同じ日、現場では激しい雨が続き、排水ポンプも投入された。

しかし、ポンプを設置したからといって、洞窟内の水がすぐに消えるわけではない。

山地へ降り続く雨は、新しい水を洞窟へ送り続ける。

救助側は「奥へ進む作業」と「流れ込んでくる水を減らす作業」を同時に進めなければならなかった。

6月26日|洪水で捜索隊自身が押し戻される

6月26日には、Pattaya Beach方面への到達を試みたダイバーが、流れ込む洪水によって洞窟から撤退を余儀なくされた。

これは、9日間の捜索が長期化した理由をよく示している。

少年たちが洞窟奥にいる可能性が高くても、そこへ向かう水没区間の流速が強すぎれば、捜索隊は進めない。

洞窟潜水では、単に強いフィンキックで流れに逆らえばよいわけではない。

狭い通路、岩、濁水、装備、呼吸ガスの残量を考えながら、安全に戻れる範囲で前進しなければならない。

前へ進む能力だけでなく、引き返すためのガスと時間を残すことも必要になる。

国外から専門ダイバーが集められた理由

タムルアンで必要とされたのは、一般的な潜水技術だけではなかった。

BCRCは6月28日のブリーフィングで、英国チームの強みとして、

  • 低視界での洞窟潜水
  • 狭い通路での潜水
  • 地下の河川洞窟での捜索
  • 洞窟内部の地形・測量に関する経験

を挙げている。

通常の海でのスクーバダイビングと、タムルアンのような洪水洞窟での潜水は条件が大きく異なる。

海なら緊急時に水面へ浮上できる場合が多い。

洞窟では頭上に岩盤がある。

入口方向へ戻らない限り外へ出られない。

しかも水が濁れば、出口の方向を目で確認することもできない。

だからこそ、英国の洞窟救助・洞窟潜水の専門家がタイ側から要請された。

6月28日|Chamber 3までの偵察

後に英国政府がスタントンとヴォランセンの功績を記録した資料によれば、6月28日、2人は完全に水没した3つの区間を潜って、後にChamber 3と呼ばれる場所まで偵察している。

そこで2人は、増水によって取り残されていたタイ人救助要員4人の退避も支援した。

この出来事は重要である。

救助側まで洪水によって孤立する危険があったことを示しているからだ。

Chamber 3はその後、洞窟内部で人員・装備・医療・物資を集約する重要な拠点になっていく。

ただし、この時点では13人まではまだ遠かった。

6月29日・30日|前進できない

英国政府の記録では、6月29日と30日にもChamber 3より奥の探索が試みられた。

しかし、強い水流と約1mの視界によって断念された。

13人の捜索で最も重要だったのは、距離だけではなかったことがここでも分かる。

前日と同じ場所へ行こうとしても、水位や流速が変われば通過条件も変わる。

捜索ルートは固定された道路ではない。

天候によって通行可能性が毎日変化する地下の水路だった。

ガイドラインとは何か|視界ゼロでも帰るための道

洞窟ダイバーが先へ進む際、重要な装備の一つがガイドラインである。

細いラインを入口側から連続して延ばしていき、潜水中はそれを経路の基準として使う。

濁った水の中では、ライトを点けてもほとんど前が見えないことがある。

その状態で方向感覚だけを頼りに戻ろうとすれば、出口を失う危険がある。

ガイドラインがあれば、視界が失われても手でラインを確認しながら出口方向へ戻ることができる。

タムルアンでは、単にダイバーが奥へ泳ぐのではなく、

次のダイバーも同じ場所まで安全に進めるルートを作りながら前進する

必要があった。

さらに、呼吸用ボンベを途中へ配置する作業も進められた。

一度の潜水で入口から最奥部まで完結させるのではなく、深部へ活動範囲を伸ばすためのインフラを洞窟内部へ作っていったのである。

6月30日から7月1日|雨が弱まり、状況が変わる

6月末になって、捜索側に重要な変化が起きた。

雨が一時的に弱まり、水位と流速が低下した。

BCRCは7月2日午前のブリーフィングで、

  • 水位がある程度低下した
  • 流速が弱まった
  • 水中視界が改善した

ため、潜水捜索を再開できたと説明している。

英国人洞窟ダイバー2人が先行してルートを探し、その後方ではタイ海軍特殊部隊、オーストラリア、米国などのダイバーが呼吸用ボンベを搬送し、エア供給地点を作った。

捜索の先端と、その先端を維持する補給作業が同時に動いていた。

7月1日|奥へラインを延ばす

英国政府の叙勲資料では、7月1日にスタントンとヴォランセンがChamber 3からさらに約800m奥へ進み、ガイドラインを敷設したとされている。

それ以前にタイ海軍特殊部隊が到達していた範囲は、同資料ではChamber 3から約250m先までとされている。

進路には高低差があり、岩による障害や狭窄部も多かった。

この前進によって、13人がいる可能性の高いPattaya Beach方面へ捜索範囲が一気に伸びた。

同日のBCRC資料では、捜索隊がMonks Junctionまで到達したことも報告されている。

翌7月2日の目標は、そのさらに奥にあるPattaya Beachだった。

7月2日|Pattaya Beachまで行っても13人はいなかった

Pattaya Beachは、捜索前から13人が避難している可能性の高い地点として考えられていた。

しかし、そこまで到達しても13人はいなかった。

これは捜索側にとって重要な瞬間だった。

想定地点で見つからないからといって、そこで探索を終えることはできない。

スタントンとヴォランセンはさらに奥へ進んだ。

そして水面へ浮上した先の乾いた空間で、人影を確認した。

12人の少年とコーチ。

13人全員が生きていた。

発見地点は「Pattaya Beach」ではない

この点は資料を読む際に注意が必要である。

現在でも「少年たちはPattaya Beachで発見された」と説明されることがある。

しかし、BCRCが発見直後に公表したブリーフィングでは、13人がいたのはPattaya Beachの南側にある乾いた空間だった。

BCRCはその距離を約200mとしている。

一方、オーストラリア政府の後年の時系列資料では、Pattaya Beachから約400m先と記されている。

このため、本特集では「Pattaya Beachから正確に○m」と固定しない。

確実に言えるのは、

13人はPattaya Beachそのものではなく、そこからさらに奥へ進んだ乾いた高所で発見された

という点である。

FACT CHECK|「入口から何kmで発見された」の数字は資料によって異なる

発見地点の距離についても、公的・準公的資料で数値が一致していない。

資料 発見地点の表現
オーストラリア政府 Symposium Report・Executive Summary 洞窟系内部約4.7km
同報告書本文 洞口から約2.5kmの高い粘土質の場所
BCRC発見直後ブリーフィング Pattaya Beachから約200m南側
オーストラリア政府時系列 Pattaya Beachから約400m先

これは洞窟内の測定経路、基準点、実移動距離、洞窟測量上の表現が異なることが一因と考えられる。

したがって、「入口から正確に4.7kmだった」など、一つの数字だけを絶対値として扱うのは避けた方がよい。

本シリーズでは位置関係を、

入口 → 水没区間 → Chamber 3 → Monks Junction → Pattaya Beach周辺 → さらに奥の発見地点

として理解する。

6月23日から7月2日まで|捜索の流れ

日付 捜索・現場の動き
6月23日 少年12人とコーチが洞窟へ入り、帰宅しない
6月24日 洞窟入口付近で自転車や所持品が確認される
6月25日 タイ海軍特殊部隊が洞窟内で捜索。激しい雨と増水が続く
6月26日 Pattaya Beach方面への前進を試みるが、洪水のため撤退
6月27日 国外から軍・洞窟潜水の専門家が現場へ加わる
6月28日 豪雨で捜索活動が制限。英国人ダイバーがChamber 3方面を偵察
6月29~30日 強い流れと低視界によりChamber 3より奥への進行が困難
7月1日 水位・流速が改善。ガイドラインを洞窟奥へ延長
7月2日 スタントンとヴォランセンがPattaya Beachより奥へ進み、13人全員を発見

なぜスタントンとヴォランセンだったのか

2人が選ばれた理由を「勇敢だったから」だけで説明すると、救助作戦の本質を見失う。

必要だったのは、極めて専門性の高い洞窟潜水能力だった。

タムルアンでは、

  • 流れのある水中を進む
  • 濁水でほとんど視界がない
  • 狭窄部を通る
  • ガイドラインを設置する
  • 呼吸ガス消費を管理する
  • 複雑な洞窟内から確実に帰還する

必要があった。

しかも、未知の水没洞窟へ先頭で入る「パスファインディング」の能力が必要になる。

スタントンとヴォランセンは、この種の英国の洞窟潜水・洞窟救助で長い経験を持っていた。

だから2人が捜索の最前線を担った。

一方、その前進を可能にしたのは後方の補給チームだった。

ボンベが送られなければ前へ進めない。

排水が進まなければ潜水を再開できない。

地上の指揮・通信がなければ捜索範囲を管理できない。

発見は、最前線の2人と、その後ろにあった大規模作戦を切り離して理解することはできない。

発見時、13人は比較的安定していた

9日間、食料もなく洞窟内にいた13人は、発見時には衰弱していた。

それでも映像では全員が意識を保ち、ダイバーとのやりとりに反応している。

オーストラリア政府の後年の時系列資料も、7月2日に13人が「alive and relatively well」、つまり生存し比較的良好な状態で発見されたと記録している。

ただし、「元気だった」という意味ではない。

長期間の絶食、暗闇、湿潤環境、感染症、低体温などのリスクを考える必要があり、発見後には医療評価と食料・薬剤の供給が開始された。

そして、ここから救助作戦の性質が変わる。

「捜索」は終わったが、「救助」は始まったばかりだった

7月2日の時点で、一つの重大な疑問には答えが出た。

13人は生きている。

場所も分かった。

だが、救助隊がその場所まで潜って到達できたということは、少年たちも同じルートを通って帰れるという意味ではない。

スタントンとヴォランセンは、世界でも経験豊富な洞窟ダイバーだった。

少年たちには潜水経験がない。

しかも、洞窟の水位は天候によって再び上昇する可能性があった。

13人を見つけるMISSIONは成功した。

しかし次に必要になったのは、

その13人を洞窟内で生かし続けながら、救出可能な環境を作ること

だった。

まとめ|9日間で作られたのは「13人まで届く道」だった

6月23日に13人が行方不明になった後、タイ当局は洞窟内の捜索を開始した。

しかし豪雨によって水位は上がり、捜索隊自身が撤退を余儀なくされる状態が続いた。

国外から洞窟潜水の専門家が加わっても、すぐに13人の場所まで進めたわけではない。

6月29日と30日には強い流れと低視界で前進できず、水位が低下した7月1日になってようやくガイドラインをさらに奥へ延ばすことができた。

7月2日、リック・スタントンとジョン・ヴォランセンはPattaya Beachよりさらに奥へ進み、乾いた高所で少年12人とコーチを発見した。

9日間の捜索で救助側が作り上げたのは、単なる「探索記録」ではない。

地上から13人まで、人員と物資が到達できる経路そのものだった。

そして、その経路は発見後も使い続けなければならない。

食料、薬、呼吸用ボンベ、医師、潜水装備を奥へ運ぶ一方、洞窟には雨水が流れ続ける。

次回は、発見後のもう一つの巨大な作戦を追う。

洞窟の水をどう減らし、奥にいる13人へ酸素と物資をどう届けたのか。


← 第2回|なぜ13人は洞窟から出られなくなったのか


第4回|洞窟の水と酸素をどう管理したのか →

今回出てきた言葉

【リック・スタントン】
英国の洞窟ダイバー。タムルアン捜索ではジョン・ヴォランセンとともに水没通路の最前線を進み、2018年7月2日に13人を発見した。その後の搬出計画にも中心的に参加した。

【ジョン・ヴォランセン】
英国の洞窟ダイバー。スタントンとともにガイドラインを洞窟奥へ延ばし、少年12人とコーチが避難していた場所へ到達した。

【Chamber 3】
救助作戦で重要な前進拠点となった洞窟内部の区画。物資・ボンベ・人員を奥へ送り込むための中継地点となり、後の搬出作戦でも重要な役割を持った。

【Monks Junction】
洞窟内部の地点名。7月2日朝のBCRCブリーフィングでは、英国人ダイバーらがこの付近まで捜索ルートを延ばしていたと報告された。

【Pattaya Beach】
13人がいる可能性が高いと考えられていた洞窟内部の地点。実際の発見場所はPattaya Beachそのものではなく、そのさらに奥だった。

【パスファインディング】
未確立の洞窟潜水ルートを先頭で探索し、安全に通過可能な経路を見つけていく作業。タムルアンではガイドラインを設置しながら進む必要があった。

【ガイドライン】
洞窟潜水で経路を確認するために設置するライン。濁水で視界を失っても、ラインをたどることで出口方向や進路を確認できる。

出典・参考資料

  • British Cave Rescue Council,
    “Luang Nang Non – Cave Rescue Incident,”
    28 June 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “Tham Luang Nang Non Cave, Thailand – BCRC Update2,”
    2 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “Tham Luang Nang Non Cave, Thailand – Supplement,”
    2–3 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • UK Cabinet Office,
    “Civilian Gallantry List: 2019,”
    28 December 2018.

    GOV.UK
  • Australian Government, Emergency Management Australia,
    “Thai Cave Rescue Symposium 2018 – Symposium Report.”

    Australian Government

本記事では、発見までの捜索経路についてBritish Cave Rescue Councilが2018年6月28日・7月2日に公表した同時期資料と、後に英国政府がスタントン、ヴォランセンの活動を記録したCivilian Gallantry Listを優先した。発見地点については資料間に距離表記の差があり、BCRCはPattaya Beachから約200m南側、オーストラリア政府の時系列は約400m先、同政府報告書内でも入口から約2.5km/洞窟系内部約4.7kmという異なる表現が確認できる。そのため、一つの距離を確定値として採用せず、「Pattaya Beachよりさらに奥の乾いた高所」という一致部分を本文の基準とした。また、英国人ダイバー2人の役割を強調する一方で、救助作戦全体はタイ当局の指揮下にあり、タイ海軍特殊部隊や国際支援チームによる排水・ボンベ輸送・後方支援が捜索前進の前提だったことを明記した。