アルカトラズから脱獄するには、いくつもの壁を越えなければなりませんでした。
まず監房を出る。次にセルブロックから抜ける。刑務所の建物を出た後にはフェンスがあり、その先には島を取り囲むサンフランシスコ湾があります。
1934年に連邦刑務所へ転用された際には鉄格子も強化され、島には監視塔や警備設備が設置されていました。
それでも1962年6月11日夜、フランク・モリス、ジョン・アングリン、クラレンス・アングリンの3人は、監房から刑務所建物の外まで抜け出しました。
彼らが正面の鉄格子を破壊したわけではありません。
狙ったのは、監房の反対側――背後にある通気口と、その向こうに存在した設備用の空間でした。
FBIの捜査では、Bブロックの監房後部から共用の設備通路へ抜け、配管を使ってセルブロック上部へ登り、さらに建物上部の換気口から屋根へ出た経路が再構成されています。
つまりアルカトラズ脱獄事件を理解するには、「警備が厳しかったか、甘かったか」だけを見るのでは足りません。
刑務所の構造の中に、囚人が通常使わない空間がどうつながっていたのか。
この記事では、監房、通気口、設備通路、セルブロック上部、屋根、外周、そして海まで、3人が突破した「防壁」を一つずつ追います。
この記事で分かること
- アルカトラズ連邦刑務所がどのような建物だったのか
- 3人が収容されていたBブロックとは何か
- なぜ正面の鉄格子ではなく監房後部を狙ったのか
- 監房裏の「utility corridor」とは何だったのか
- セルブロック上部がなぜ脱獄準備に利用できたのか
- 監房から屋根まで、どのような経路がつながっていたのか
- 屋根を出たあと、3人がどのように島の岸へ向かったのか
- 「煙突を降りた」「排水管を降りた」という資料差をどう考えるか
- なぜ海そのものがアルカトラズの重要な警備設備だったのか
- この脱獄後、刑務所側がどこを補強したのか
CASE FILE 12|アルカトラズ脱獄事件特集(全10回)
この特集では、アルカトラズ連邦刑務所の構造、4人の計画者、数か月に及んだ工作、1962年6月11日夜の脱出、FBIによる捜索、湾内で発見された物証、生存可能性、生存説、映画と史実、現在まで続く逃亡者捜索を10本の記事で追います。
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第1回 アルカトラズ脱獄事件とは?|1962年、消えた3人と未解決の脱獄を追う
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第2回 なぜアルカトラズから逃げられたのか|監房・通路・島を囲む海の構造【現在の記事】
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第3回 フランク・モリスとアングリン兄弟は誰だったのか|4人目アレン・ウェストと脱獄計画
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第4回 スプーン、偽の頭、50着超のレインコート|脱獄道具と秘密の作業場
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第5回 1962年6月11日夜、3人はどう脱獄したのか|監房から北東岸までのルート
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第6回 FBIは何を見つけたのか|パドル、救命胴衣、漂流物と大捜索
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第7回 3人はサンフランシスコ湾を渡れたのか|潮流・水温・筏と生存可能性
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第8回 アルカトラズ脱獄の生存説はどこまで確かか|手紙・写真・家族証言を検証
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第9回 映画『アルカトラズからの脱出』はどこまで実話なのか|1962年脱獄との違いを検証
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第10回 アルカトラズ脱獄事件のその後|FBI捜査終了と現在も続く3人の手配
今回は3人の人物像や工作技術よりも、「どの空間がどこにつながっていたのか」に絞って、刑務所を内側から外側へたどります。
アルカトラズは「鉄格子一枚」で守られた刑務所ではなかった
アルカトラズ連邦刑務所は1934年から1963年まで運用されました。
National Park Serviceによれば、現在残る主要なセルハウスは、アルカトラズがまだ軍事刑務所だった1910年から1912年に建設された建物です。
建物内部には3層の監房階と4つのセルブロックがありました。
1934年にFederal Bureau of Prisonsが施設を連邦刑務所として引き継ぐと、脱獄防止のため鉄格子などが強化されました。
さらに島には監視塔や高所のキャットウォークが設けられ、武装した職員が監視していました。
FBIは当時のアルカトラズについて、囚人に対して1日に何度も人数確認が行われていたと説明しています。
したがって、
「古い刑務所だから、壁に穴を開ければ簡単に外へ出られた」
という理解では実態を捉えられません。
脱獄者が突破しなければならなかった防壁を分けると、少なくとも次のようになります。
| 段階 | 本来の防壁 | 1962年に使われた経路 |
|---|---|---|
| 1 | 監房 | 正面の鉄格子ではなく、背面の通気口周辺を拡大 |
| 2 | セルブロック内部 | 監房背後の共用設備通路へ侵入 |
| 3 | 建物上部 | 配管を利用してセルブロック上部へ登る |
| 4 | セルハウス外壁・屋根 | 上部の換気口を開けて屋根へ出る |
| 5 | 刑務所外周 | 建物から地上へ降り、フェンスを越える |
| 6 | 島 | 北東岸まで移動 |
| 7 | サンフランシスコ湾 | レインコート製の筏と救命具を使用 |
この表を見ると、1962年の計画が「一つの弱点を破った脱獄」ではなかったことが分かります。
それぞれ性質の違う防壁を、順番に迂回する必要がありました。
3人がいたのはセルハウスのBブロックだった
1962年の計画参加者は、セルハウスのBブロックに収容されていました。
FBIの事件直後の通信記録では、フランク・モリスは138号監房にいたことが確認できます。
現在FBIが公開している写真でも、モリスの138号監房後部にある通気口と、そこから設備通路へ抜けた開口部を見ることができます。
Bブロックだけが「脱獄しやすい特別な区画」だった、という意味ではありません。
重要なのは、監房の背後に何があったかです。
彼らは正面の鉄格子を破らなかった
監房の正面には、職員側から見える鉄格子があります。
ここを切断すれば、作業跡が目立ちます。
仮に格子を突破できても、そのまま監視される通路側へ出ることになります。
4人が狙ったのは反対側でした。
各監房後部には、小さな換気口がありました。
FBIによれば、4人は換気口そのものを大きくしたというより、換気口周囲の壁へ小さな穴を連続して開け、壁の一部をまとめて外せるようにしたとされています。
作業には即席の工具が使われました。
さらに壊れた掃除機のモーターを利用し、自作の電動ドリルまで作られました。
そして作業中の穴は、段ボールや偽の壁面などを使って隠しました。
つまり突破されたのは、鉄格子という目立つ防壁ではありません。
監房の奥にあり、通常の視線から外れやすい部分でした。
最大の構造的要因は、監房裏の「utility corridor」だった
壁を抜いた先が、すぐ島の外だったわけではありません。
そこにあったのは、FBIがcommon utility corridorと呼ぶ空間でした。
監房背後に設けられた、配管、暖房、照明用の管路や設備を通すための空間です。
FBIは、この設備通路をunguarded=通常は警備員が配置されていない空間と説明しています。
ここが1962年の脱獄経路で重要な転換点になりました。
監房の正面から出れば、囚人が日常的に利用する通路へ入ります。
ところが背面を抜けば、囚人用の動線ではなく、建物を維持するための設備空間へ入ることができました。
さらにこの空間は、横方向へ移動できるだけではありませんでした。
上へつながっていました。
設備通路は屋根方向へ約30フィート伸びていた
事件直後のFBI通信では、監房裏の設備空間は屋根方向へ約30フィート伸びており、内部の配管を使って上へ登ったと記録されています。
約30フィートは、およそ9メートルです。
セルハウスが3層構造だったことを考えると、監房から壁の裏へ入っただけで脱出が完了するわけではありません。
そこから配管などを足場として垂直方向へ移動しなければなりませんでした。
この構造は、
- 監房背後へ抜ける横方向の経路
- 上部へ登る縦方向の経路
を同時に提供していました。
4人はここを単なる配管スペースではなく、監房と建物上部をつなぐルートとして利用しました。
セルブロック上部が「秘密の作業場」になった
設備通路を登った先には、セルブロック上部の空間がありました。
FBIによると、4人はここを秘密の作業場として利用しました。
この場所で、
- 50着を超えるレインコートを使った筏
- 手製の救命具
- 木製パドル
- 筏へ空気を入れる器具
- その他の脱獄道具
などを製作・保管していました。
監房の中だけで約1.8×4.3メートル規模の筏を完成させ、長期間隠し続けるのは困難です。
セルブロック上部に通常の生活動線から外れた空間が存在したことで、監房より大きな作業場所を確保できました。
FBIは、作業中には見張り役を置き、職員の動きを確認するための簡易的な「ペリスコープ」まで作っていたと説明しています。
したがって、この場所は単なる通過点ではありません。
数か月に及ぶ脱獄準備を支えた中継基地でした。
しかし、セルブロックの上まで登っても建物からは出られない
セルブロック上部まで到達しても、まだ刑務所建物の内部です。
次に必要だったのが、屋根への出口でした。
FBIによれば、建物上部には換気設備があり、その開口部には鉄製の障害物が設けられていました。
4人は事前にこの部分へ手を加え、屋根へ出られる状態にしました。
FBIは、外した部分を発見されにくくするため、石けんで偽のボルトを作って一時的に固定したと説明しています。
この換気口が、監房内部から続く経路の最後の「室内側出口」になりました。
監房から屋根までの経路を整理する
ここまでを一本につなぐと、脱獄経路は次のようになります。
① Bブロックの監房
↓
② 後部の通気口周辺を拡大
↓
③ 監房裏の共用設備通路
↓
④ 配管を使って上へ移動
↓
⑤ セルブロック上部の秘密作業場
↓
⑥ 建物上部の換気口
↓
⑦ セルハウスの屋根
このルートで特徴的なのは、監視される通常の囚人用通路をほとんど使わないことです。
監房後部から、設備維持のために造られた空間へ入り、そのまま建物上部へ移動しました。
刑務所としての「正規の出口」を一つずつ突破したのではなく、建物内部に存在する別用途の空間を連結して脱出経路へ変えたと見る方が実態に近いでしょう。
屋根へ出ても、まだアルカトラズの外ではなかった
1962年6月11日夜、モリスとアングリン兄弟は設備通路へ入り、準備した道具を集め、換気口から屋根へ出ました。
しかし屋根へ到達しても、その下にはまだ刑務所の敷地があります。
次は高い場所から地面へ降りる必要がありました。
ここには、資料によって記述に差があります。
FACT CHECK|3人は「煙突」を降りたのか「排水管」を降りたのか
現在のFBIの事件紹介では、3人は屋根からbakery smoke stackを伝って降りたと説明されています。
一方、事件直後のFBI通信では、屋根を約100フィート移動した後、建物側面のdrain pipeを約50フィート降りたと記録されています。
Federal Bureau of Prisonsの現在の事件説明も、セルハウス北端のdrainpipeを降りたとしています。
つまり、公的資料同士でも降下地点の呼び方が完全には一致していません。
このため本特集では、
屋根から建物外側の設備を利用して地上へ降りた
というところまでを確実な共通部分として扱います。
「この一本の煙突をこの位置から降りた」と現在の建物写真だけを使って厳密に固定することは避けます。
地上へ降りたあと、フェンスを越えた
FBIの再構成では、3人は建物から地上へ降りた後、刑務所外周のフェンスを越えました。
そして島の北東側へ移動しました。
ここで重要なのは、屋根から降りた瞬間に自由になったわけではないことです。
セルハウスを出た後にも、
- 刑務所敷地内を移動する
- 監視を避ける
- フェンスを越える
- 筏や救命具を運ぶ
- 海岸まで到達する
必要がありました。
そしてようやく北東岸で、刑務所の建築的な防壁は終わります。
そこから先を守っていたのは、人工の壁ではありませんでした。
アルカトラズ最大の外壁はサンフランシスコ湾だった
アルカトラズ島は、サンフランシスコ湾内に位置しています。
National Park Serviceの資料では、島は岸からおよそ1~2マイルの範囲にあり、周囲の海水は平均約50°F、摂氏では約10℃と案内されています。
さらに湾には潮流があります。
そのため刑務所側にとって、海そのものが天然の外周防壁として機能していました。
島の刑務所という立地は、
建物から出ても、次に海を越えなければならない
という二重の問題を作ります。
4人が50着を超えるレインコートから筏と救命具を作ったのは、この最後の防壁を突破するためでした。
現在のアルカトラズ島を地図で確認する
以下は現在のアルカトラズ島の位置を確認するための地図です。1962年当時のフェンス配置、警備員の位置、3人の島内移動経路、海上経路を再現したものではありません。
現在の地図でも、アルカトラズ島がサンフランシスコ市街とマリン郡側の陸地から海によって完全に分離されていることを確認できます。1962年の正確な海上ルートについては確定していません。
では、アルカトラズの警備は「甘かった」のか
1962年に3人が刑務所の外へ出たという結果だけを見ると、「アルカトラズは評判ほど厳重ではなかった」と考えたくなります。
しかし、この評価も単純すぎます。
アルカトラズには強化された鉄格子、監視塔、キャットウォーク、頻繁な人数確認、島という立地がありました。
実際、連邦刑務所時代に行われた多数の脱獄企図のほとんどは、失敗しています。
1962年の3人が利用したのは、警備設備そのものが存在しない刑務所ではありません。
既存の警備が想定していた囚人の動線から外れた、建築設備上の経路でした。
脱獄を可能にした5つの条件
構造面だけに絞ると、1962年の脱獄経路が成立した条件は、次の5つに整理できます。
1.監房後部から設備空間へ到達できた
監房後部の通気口周囲を広げることで、囚人用通路ではなく設備通路へ直接入ることができました。
2.設備通路に常時警備員が配置されていなかった
FBIはこの空間を「unguarded common utility corridor」と表現しています。
壁を一枚抜いた先が、別の監視された囚人通路ではなかったことが重要でした。
3.設備空間が垂直方向につながっていた
内部の配管を利用し、セルブロック上部まで登ることができました。
つまり、監房から建物上部へ続く経路が物理的に存在していました。
4.セルブロック上部に作業と保管ができる空間があった
大きな筏やパドルなどを、すべて監房内だけで作り続ける必要がありませんでした。
準備期間の長さを考えるうえで、この空間の存在は大きな意味を持ちます。
5.屋根へつながる換気口を事前に加工できた
設備通路に入るだけでは行き止まりです。
4人は、その先にある屋根への出口まで事前に確認し、開けられる状態にしていました。
つまり、
監房 → 設備通路 → セルブロック上部 → 換気口 → 屋根
という一連の経路が完成していました。
脱獄後、刑務所側は換気口を補強した
事件後の対応を見ると、刑務所側がどこを構造上の問題として認識したのかが分かります。
FBIの1962年の捜査記録によれば、刑務所長側は事件後、セルハウス屋根にあった複数の換気口を改修し、新しい脱獄防止用の金属棒と蓋を取り付けました。
さらにBブロックなどの監房について、通気口周辺を改めて確認しています。
これは、1962年の事件が単に「囚人が監視の隙を突いた」という問題だけではなく、
建物内部の設備経路そのものを再点検する必要がある脱獄だった
ことを示します。
構造だけでは脱獄を説明できない
ただし、設備通路が存在したから自動的に脱獄できたわけではありません。
同じ刑務所にいた多くの囚人は、そこから逃げていません。
実際の計画には、
- 通気口周辺を長期間かけて削る
- 作業跡を隠す
- 設備通路へ入る
- 上部へ登る方法を見つける
- 屋根の換気口を加工する
- ダミーヘッドを作る
- 筏と救命具を作る
- 海上移動の準備をする
という工程が必要でした。
つまり1962年の事件は、
建物に弱点があった
だけでも、
4人が巧妙だった
だけでも説明できません。
建築上の空間、長期間の観察、工作、隠蔽、役割分担が重なったことで、一つの経路として成立しました。
次回は、この構造を利用した4人そのものへ視点を移します。
よくある疑問
アルカトラズのセルハウスは何階建てだったのか
National Park Serviceは、主要セルハウスを3層の監房を持つ建物として説明しており、内部にはA~Dの4セルブロックがありました。
脱獄者はどのセルブロックにいたのか
1962年の脱獄計画参加者はBブロックに収容されていました。FBI資料では、フランク・モリスが138号監房にいたことも確認できます。
鉄格子を切って逃げたのか
1962年の3人は正面の鉄格子を破って脱出したわけではありません。監房後部の通気口周囲を削り、壁の裏にあった設備通路へ入りました。
監房の壁を抜いたら、そのまま外だったのか
違います。壁の先は建物内部の共用設備通路でした。そこから配管を利用してセルブロック上部へ登り、さらに屋根へ出る必要がありました。
なぜ設備通路には警備員がいなかったのか
FBIはこの空間を「unguarded common utility corridor」と表現しています。もともと囚人が日常的に移動する通路ではなく、配管や暖房、照明などの設備を収めるための空間でした。
3人は本当に煙突を降りたのか
公的資料の表現が一致していません。現在のFBI紹介ではbakery smoke stack、事件直後のFBI通信やFederal Bureau of Prisonsではdrain pipe/drainpipeとされています。本特集では「屋根から建物外部の設備を使って地上へ降りた」ことを共通部分として扱います。
海があるのに、本当に脱獄計画は成立したのか
4人は海を最後の防壁と認識しており、50着を超えるレインコートから筏と救命具を製作していました。ただし、実際に3人が湾を横断できたかどうかは別問題で、第7回で詳しく検証します。
まとめ|3人が利用したのは「刑務所の正規ルートではない、もう一つの建物」だった
アルカトラズ連邦刑務所には、強化された鉄格子、監視塔、頻繁な人数確認、外周フェンス、そして海という複数の防壁がありました。
1962年の脱獄者たちは、その防壁を正面から一枚ずつ壊したわけではありません。
監房後部の通気口周辺を広げ、その裏側にある共用設備通路へ入りました。
そこから配管を使って上へ登り、セルブロック上部を秘密の作業場として利用。さらに建物上部の換気口から屋根へ抜けました。
つまり、脱獄を成立させた構造上の核心は、
監房の裏側に、囚人用の通路とは別の空間が存在し、その空間が建物上部までつながっていたこと
にあります。
ただし、設備通路が存在しただけでは脱獄できません。
数か月かけて壁を加工し、作業跡を隠し、屋根への出口を準備し、筏と救命具まで作ったことで、初めて監房から海までの経路が一本につながりました。
そして、その計画を進めていたのは3人ではなく、当初は4人でした。
次回は、フランク・モリス、ジョン・アングリン、クラレンス・アングリン、アレン・ウェストがどのような人物で、なぜ同じ脱獄計画へ集まったのかを追います。
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CASE FILE 12|第3回
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出典・参考資料
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FBI「Alcatraz Escape」
Bブロック監房後部の通気口、共用設備通路、セルブロック上部の秘密作業場、配管を利用した上昇、屋根への換気口、脱獄当夜の経路を確認するために使用。
-
FBI Vault「Alcatraz Escape Part 01」
1962年6月の初期捜査記録。Bブロックの監房、utility corridor、屋根方向への高さ、屋根上の移動、建物外部へ降りた経路などを確認するために使用。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 02」
脱獄後にセルハウス屋根の換気口へ脱獄防止用の金属棒・蓋を設置し、Bブロック等を再点検した記録を確認するために使用。
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Federal Bureau of Prisons「Alcatraz」
1962年の脱獄経路、監房後部から設備通路への侵入、屋根から地上へ降りた経路、北東側から海へ向かったというBOP側の説明を確認するために使用。
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National Park Service「Alcatraz Cellhouse」
セルハウスが1910~1912年に建設された3層・4セルブロックの建物であること、連邦刑務所化後に鉄格子が強化されたことを確認するために使用。
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National Park Service「U.S. Penitentiary Alcatraz」
アルカトラズが1934年から高警備連邦刑務所として運用された背景と、島という立地が選ばれた理由を確認するために使用。
本記事はFBI、FBI Vault、Federal Bureau of Prisons、National Park Serviceの公的資料を中心に、1962年の脱獄経路と現在確認できる建物構造を照合して構成しています。現在のアルカトラズ島・セルハウスは保存・修復を経た史跡であり、現在の見学経路や設備を1962年当時の警備配置そのものとして扱っていません。また、屋根から地上へ降りた方法について、現在のFBI説明は「bakery smoke stack」、事件直後のFBI記録とFederal Bureau of Prisonsは「drain pipe/drainpipe」としており、公的資料間で表現差があります。本記事では確定できる共通部分と資料差を分けて記載しています。